2016年2月11日木曜日

ゼンハイザー HD800S ヘッドホンの試聴レビュー

先日、ゼンハイザーの最新フラッグシップモデル「HD800S」を試聴する機会があったので、感想をまとめておきます。

HD800Sと、従来のHD800

日本では2016年2月18日発売で、価格は21万円程度だそうです。従来のHD800が正規品で18万、並行輸入品で12万円くらいなので、結構な価格上昇ですね。

ドイツでは日本よりもずいぶん前から販売が開始しており、海外サイトなどでレビューを多数見かけます。私自身は今回買っていないのですが、友人がドイツから直輸入したものがあったため、私のHD800との音質差を比べるということで、自宅でじっくりと比較試聴できました。


ドイツから輸入しても格安というわけではなく、大体20万円弱くらいしますし、関税や、保証の問題もありますので、結局日本の正規代理店で買うのが一番安心だと思います。

HD800とHD800S

ゼンハイザーHD800は、2009年の発売当時、その奇抜なデザインや高額な価格設定など、全てにおいて当時の常識をくつがえすような、「超ハイエンド」ヘッドホンでした。とくに、マニアックなガレージメーカーなどではなく、プロ用ヘッドホン業界の大御所である、「あのゼンハイザー社が発売した」、という事実が衝撃的でした。今では20万円を余裕に越すプレミアムヘッドホンは無数にありますが、その当時では有名どころでもAKG K701やベイヤーダイナミックDT880、ゼンハイザーはHD650など、5万円以下でも高級というイメージが一般的だった時代です。事実、それ以降のプレミアムヘッドホンの価格高騰は、ゼンハイザーHD800が立役者になったといっても過言ではありません。

そのような、数あるハイエンドヘッドホンの中でも、HD800は特別な地位を確立しており、ヘッドホンマニアにとっては、「一番信頼できるレファレンス」として、だれでも必ず一台は持っている、というレベルにまで普及しました。私を含めて、音色の好き嫌いはあったとしても、HD800のサウンドはもはや音色云々では語れない、「確実な正しさ」を持っているような、不思議な安心感があり、解像感や分析能力といった、道具としてのヘッドホンを最大限に具体化したような製品です。

そんなHD800についての個人的な印象は、以前ブログの記事(http://sandalaudio.blogspot.com/2015/08/hd800.html)で紹介しましたが、今回は、その大御所HD800の後継機(上位機種?)である「HD800S」についての話です。

色違いというだけで、質感はほぼ一緒です

HD800とHD800Sで、実際何が違うのか、というと、まず一見してわかるのは、色がシルバーからブラックに変更されています。このブラック塗装以外は、パーツ構成や手触り、質感、剛性などは、全く一緒に感じられるので、実際手にとってみると、「なんだ、こんなもんか」という印象しか浮かびませんでした。格別高級になったとか、プレミア感が増したというわけではありません。

実際、HD800においては、すでに海外を中心にカスタマイズが盛んでして、音質チューニングはもとより、銀色ハウジングを独自に塗装したカスタムペイント品を多く見かけます(そういう専門業者もあります)。そのため、今回HD800Sのブラックカラーも、なんとなく既視感があります。

ケーブル端子もブラックになりました

イヤーパッドやケーブルなども、HD800と全く一緒なので、単純に外観だけ見れば、ただの「カラーバリエーション」だと思えます。6.35mmステレオ端子も、カラーリングをあわせてブラックになっています。

ゼンハイザーらしい、無難なパッケージ

パッケージはこれまでどおりゼンハイザーらしいメカニカルなデザインで、収納ケースとしても活用できるシルクっぽい内装になっています。化粧箱の「ハイレゾ」マークは、ソニーならまだしも、海外メーカーのボックスで見ると、なんか無理やりっぽくて不格好ですね。

4ピンXLRバランスケーブルと、USBメモリ

実はHD800Sには、ボーナスとして、HD800には無かった「4ピンXLRバランスケーブル」が付属しています。HD800より後に出た、同社のハイエンドヘッドホンアンプHDVD800がバランス出力対応なので、バランスケーブル付属は、アンプ購入への布石になりますね。

このケーブルはこれまでHD800用アップグレードケーブルとして販売していたものと同じやつで、単品では35,000円程度です。

あと、USBメモリーが同梱されています。8GB USB2.0のショボいやつ(よく見本市とかで無料でもらうやつ)ですが、中には音楽は入っておらず、ヘッドホン本体の測定グラフデータの画像ファイルが入っています。ただそれだけです。

HD800Sについて

ゼンハイザーが重い腰を上げて、ようやくHD800をリニューアルしようというのですから、その違いはブラック塗装のカラーバリエーションだけではありません。音質に関しても、新たにチューニングを施したらしいです。


具体的には、ドライバやハウジングなどは従来機と同様にキープして、内部の音響吸収剤(ドライバ付近のメッシュ構造)を一部変更したということです。

これについては、発売前からネット界隈で話題になっており、英語ですがYoutubeで「吸音材をちょっと変えただけで馬鹿が喜んで買うんだよ」なんてネタ動画が上がったりして海外掲示板で人気を博しました。ようするに、ちょっと内部の布地を変えただけで、上位モデルとして高価で販売するなんて、ボッタクリだという意見を散見します。

家電メーカーではよくあることですが、ある商品が古くなってくると、定価に対してどんどん値引きをせざるを得ないため、実はあまり変更点が思いつかなくても、定期的に「ニューモデル」を出すことで、売値をまた定価付近に引き戻すことができる、いわゆる「仕切り直し」という意味合いもあります。AKGなんかがよく使う戦法ですね。

実際HD800Sにはバランスケーブルも付属していることを考えると、(新製品なので値引き率は少ないことを考慮すれば)、HD800の18万円に対して、HD800Sの21万円という価格も納得できる範囲だと思います。そもそも2009年発売のHD800が、現在でもここまで高価を維持しているのは驚異的です。

その筋では有名な、HD800のフェルト材チューニング

これまでHD800においては、ベテランのヘッドホンマニア達のあいだで、ハウジング内部の布地を交換するという自作チューニングが流行っており、実際マニアックなショップから、HD800専用の形状に加工されたチューニング用フェルト素材を購入することも可能です。ゼンハイザーはHD800Sでそういったファンたちの改造(いわゆるMOD)を参考にしたんじゃないのか、なんて邪推しているユーザーも多いです。

なんか色々書いていると、HD800Sについて否定的に思えてしまいますが、実際ゼンハイザーとしては、未だに第一線でフラッグシップとして君臨しているHD800を、下手な「改良」をしたせいでダメにしてしまっては、とんでもない大打撃になりうるので、細心の注意を払う必要がある、とても重要な課題です。たとえば、HD600に続いて発売されたHD650が賛否両論になり、未だに旧モデルHD600を好んで使っているファンが多い、みたいに、今回のHD800からHD800Sの変化も、意見が分かれそうです。

一番重要なのは、私のような、すでにHD800を所有しているユーザーは、このタイミングでHD800Sに買い換えるメリットはあるのか、ということでしょう。

音質について

今回の試聴には、友人のChord Hugoと、私のChord Mojoを主に使いました。HD800とHD800Sはドライバそのものは同じっぽいので、双方の音量は全く一緒で、アンプのボリュームを一切変更せずとも、快適な比較試聴ができました。

HD800Sはエージングはあまりされていませんが、そもそもファクトリーでかなり入念なテストとエージングを行なっているため、これから劇的に音が変わることは考えにくいです。それについては、また数週間後に確認してみます。


まずHD800とHD800Sを交互に聴き比べてみての、第一印象は、「そこまで変わってないじゃん」という感じです。

事前情報で、低音がモリモリとか、パワフルとか、高域カットとか、そういう誇張されたウワサを聞いていたので、なんか逆に肩透かしを食らった気分です。

たとえば、HD600からHD650への変化は劇的でしたし、最近では、ベイヤーダイナミックのT1から、T1 2nd Generationへの変更は、同じ「T1」という名前を引き継ぐことが信じられないというほど大きな変化がありました。しかも、どちらも後継機としての全面的な改善とは言い難い、方向性の違いを感じさせます。

その点、HD800とHD800Sは、基本的なチューニングや周波数バランスはほぼ一緒で、どちらも「HD800のサウンド」として楽しめます。HD800らしさを拭い捨てなかったというだけでも、ゼンハイザーを賞賛したいです。

たとえば、AKG K702シリーズの系譜や、オーディオテクニカ各種のマイナーチェンジぶりと同レベルといえるかもしれません。



まず、ドロテア・レシュマンと内田光子のシューマン歌曲集を聴いてみました。

HD800とHD800S、両者が基本的に同じサウンドの傾向だということを踏まえて、ではあらためて、どこがどう違うのかじっくりと聴いてみると、細部では異なります。とくに、音楽のコアとなる中域にあるヴォーカルなどの実体感が、HD800Sのほうがずいぶん立体的で、グッと前に来てくれるインパクトがあります。

中域の質感だけは、なんとなくAKG K812とかに近いかもしれません(全体が似ているという意味ではありません)。ようするに、これまでのゼンハイザーではありえないほど、ヴォーカルの質感が艶っぽく、張りのある風に描かれています。HD800ではもっと整然として事務的に、前方空間の奥で、ピアノ伴奏と合わせてきっちりと素朴に鳴っている印象でした。

低音に関しては、HD800Sでそこまで量感が増えたというわけではなく、過剰に感じることはありませんでした。ただし、低音楽器そのものの表現は結構変わっており、従来のHD800では、低音楽器はポツンと遠くの方で(つねに一定の距離感で)鳴っているような、空間配置で分析的に聴かせるスタイルだったのですが、HD800Sではもっとヘッドホンらしく、低音の残響がサラウンド的な響き方をします。こじんまりとしていないというべきでしょうか、これまでHD800ではどんな楽曲でも前方数メートル先に音像があるのが、HD800Sではその距離感から音響がさらにもっとリスナーに近い距離まで周囲にグッと迫ってくる感じです。

この低音のプレゼンテーションが賛否両論になりそうな気がします。HD800Sではもっとリアルなアコースティック空間に包まれるようになった、と思う人もいれば、HD800のような、リスナーとは隔離された前方遠くにイメージがピッタリ配置されたほうが正しい、というのも一理あります。どちらが良いがは、難しいところです。私はHD800Sのほうが、楽しめるので好ましいです。

HD800Sになって、中低域の質感が増したことは明らかなのですが、そのせいで高音域が犠牲になったわけではなく、一音一音の音色や空間定位は、HD800とHD800Sで変わっていないように思えます。たしかに、中低域の力強さのせいで、相対的に、これまでのような高域のみにスポットライトを当てた「高解像」サウンドからは一歩離れたようです。

サウンド全体をまとめて見ると、HD800Sはずいぶんと「ワイルドな」音が出せるな、という印象があります(乱れているという意味ではないです)。これまでコツコツと丁寧に、奥に、遠くに、分析的なサウンドをモットーとしてきたHD800ですが、HD800Sでは、その上、ちょっと色気を出して、アタックの質感や伸びやかな発声といった、音楽鑑賞の魅力がずいぶん増したようです。

HD800Sを聴いた上で、HD800をあらためて聴くと、「HD800ってのは、こんなに極端に整頓されたサウンドだったのか」と驚きを覚えます。私自身はHD800は退屈に感じていたので、ライバルのベイヤーダイナミックT1やAKG K812に誘惑されてしまったわけです。

そんな私にとっては、HD800よりもHD800Sのほうが、普段のリスニングもこれで良いな、と思えるような魅力を感じさせてくれます。(とはいっても、ほんの僅差です)。

バランス駆動

今回HD800にはバランスケーブルが同梱されていたのですが、残念ながら手元にバランス出力対応のヘッドホンアンプがありませんでした。せっかくなので、ちょっとパワー不足かもしれませんが、AK240の2.5mmバランス出力から、変換ケーブルを通して、HD800Sをバランス駆動してみました。

バランス駆動はAK240を使いました

思いのほか、AK240でも十分な音量が出せました。ポピュラー音源でのボリューム位置はMAXの70%程度、クラシックでも90%以上は必要ありませんでした。音質面でもChord Mojoといい勝負です。

ちなみに6.35mm→3.5mm変換アダプタはGradoのものを愛用しているので、今回AK240用の2.5mm→4ピンXLRバランス変換アダプタも、全く同じGradoのケーブルを使って自作しました。つまり変換アダプタによる音質差は極力避けられたと思います。


HD800Sの魅力を引き出すべく、パンチの強いポピュラー楽曲で、John Legend & The Roots 「Wake Up!」を聴いてみました。こういうのが上手に聴かせられるのがHD800Sで、多少淡々としてしまいがちなのがHD800です。

バランス駆動で面白かった点は、従来のHD800では、(AK240に限って言えば)シングルとバランス駆動では、さほど違いがありませんでしたが、HD800Sではもっと明確なメリットが感じられます。

HD800はバランス・アンバランス問わず、地道な「通常運行」といった具合でした。HD800Sの場合、バランス接続のほうが音楽の存在感がより力強くなり、骨太になるというか、メリハリが増します。

非力なアンプや楽曲では、繊細すぎて薄っぺらくなりがちなHD800・HD800Sのサウンドも、バランス駆動を使うことにより、質感の主張が強くなり、よりいっそう音色を楽しめるサウンドに進化します。もちろんバランス駆動といっても、アンプごとにそれぞれ回路は異なるため、どのアンプでも確実にバランスのほうが好ましいというわけではありません。

おわりに

前評判とくらべて、思ったほど劇的な変化は感じられなかったHD800Sですが、これまでのHD800の分析モニター調サウンドから、さらに音楽鑑賞寄りにちょっとだけ進化したように感じられました。


あまり意識していなければ、どちらのモデルも同じようなサウンドに聴こえました。つまり、K812やT1などのライバルヘッドホンと比べれば、HD800とHD800Sはどちらも同じヘッドホンサウンドの範疇だという程度の話です。

あえて変更点として感じられた中低域の質感アップなどは、個人的な意見としては、純粋な音楽鑑賞にはとても好ましく、これといってマイナス要素も感じられない、魅力的なチューンナップだと思いました。

もしHD800とHD800Sが目の前にあって、どちらか選べと言われたら、確実にHD800Sを選ぶと思います。

しかし、根本的なサウンドはHD800に忠実なので、既にHD800を所有していて、それを二束三文で売ってまでHD800Sに買い換えるか、というと、そこまで大きなメリットは感じられない、と思いました。

とくこれを機にHD800を中古で手放す人も多いと思うので、中古相場は大暴落しています。(ベイヤーダイナミックT1 2nd Generationの時も同様でしたね)。そんな状況でHD800を手放すのも惜しい気がします。

実際HD800SにはXLRバランスケーブルが付属していることを考慮すると、新品定価でHD800とHD800S本体の価格差はほとんど無いようなものなので、あえて「HD800SはHD800の上位機種」と深く考えずに、対等な立場で双方を比較してみる必要があります。私自身はHD800Sのほうが好みでしたが、整然としたモニター調を極めたHD800がやはり好きだ、という人も多いと思います。

なんにせよ、ゼンハイザーは、多くのヘッドホンマニアを困窮させるべき、非常に悩ましいモデルを投入してきましたね。

追記:

二週間エージングしたあとで、また比較試聴してみました。サウンドはそこまで変わっておらず、当初の印象と全く変わっていません。しかし、少しだけ感じたのは、HD800Sの特徴的だった部分が、エージング後はさらに強調されているようでした。過去に遡ることは不可能なので、ただの想像かもしれませんが、なんとなく中域の前に出てくる太さが、もっと明確になったように感じられます。なんにせよ、よくわからない微妙な差なので、これまで書いたことを覆すようなことはありませんでした。

さらに追記:

先日、英語のヘッドホンレビューサイトの大御所「Innerfidelity」が、ちゃんとした真面目なHD800S測定レビューを公開しました。(→http://www.innerfidelity.com/)。

それによると、HD800とHD800Sの一番大きな違いは、HD800で問題視されていた6kHzに存在する高音ピークを抑えこむため、ドライバ中央のメッシュに穴を開けて、ヘルムホルツ共鳴で6kHzをピンポイントで低減させるギミックなのかもしれないそうです。

また、同サイトのグラフを見ると、低音の鳴り方も従来のHD800のような二次高調波(40Hzであれば80Hzの高調波)、つまり「高調波歪み」をあえて抑えこむのではなく、二次、三次と自然に減衰させることで、もっとナチュラルな低音の響きを演出しているらしいです。

そのため、歪み率だけで見るとHD800Sのほうが悪いのですが、自然な高調波の減衰による、「自然なサウンド」という意味合いでは正しい選択なのかもしれません。真空管アンプとかと同じ論点ですね。(Innerfidelityは最初のHD800Sテスト機がHD800よりも歪みが高いことが信じられず、別に二機借りてテストしたところ、どれも同じ現象が発生したということです)。

ともかく、こうやってちゃんと測定して評価してくれる人がいるのは素晴らしいですね。音質面でも大変満足しているようです。

また、測定結果も多くの人がリスニングで感じた印象とほぼ合っているのが面白いです。とくにHD800にあった6kHz付近のピークというのは、分析的なスタジオモニター系ヘッドホンではよくある傾向なので(ソニーとかオーディオテクニカのモニター系は大抵ありますね)、それを低減させるということと、低音を自然に響かせるというのは、つまりHD800はモニター系で、HD800Sはリスニングに適している、という当初の意図とピッタリ合った、さすがゼンハイザーと納得できるチューニングです。