2016年のCES展示会にてデビューした新シリーズで、これを書いている時点では限定的な地域で少数が出回っているようです。近々さらに手広くセールス展開されると思います。
Optoma NuForce HEMシリーズ |
NuForceというと、2014年に発売された「Primo 8」という4BA型IEMが非常に高音質で人気がありましたが、会社的に色々とゴタゴタがあったようで、好評のうちに表舞台から姿を消していました。
それから2年後、新たな資本傘下で再生したNuForceが発表したNEWシリーズがこの「HEM」というわけです。
1~4基のBA型ドライバを搭載したIEMなので、一見もう使い古された構成のように思えますが、神出鬼没なオーディオメーカーNuForceというブランド力もあり、やはり気になる存在です。
Optoma NuForceと、NuPrime
NuForce社は、2014年末にOptomaという会社に買収され、それ以降は「Optoma NuForce」というブランド名で存在しています。Optomaというのは、ホームシアターに興味がある人であれば必ず知っているであろう、映像投影用プロジェクターの大手メーカーです。個人シアター向けの高級プロジェクターから、巨大なコンサートホールや会議室など、幅広い分野での業務用プロジェクターまで網羅している大企業です。
カリフォルニア発のNuForceというオーディオメーカーは、イヤホン・ヘッドホンの分野では知名度があまり高くありませんが、据え置き型のスピーカーオーディオでは10年ほど前から結構名を馳せたメーカーでした。会社設立が2004年なので、オーディオメーカーとしては比較的新しい部類です。
コンパクトで高出力なNuForceパワーアンプは画期的でした |
その当時から、NuForceは一般的なハイエンド・オーディオとは一線を画する異彩を放っていました。とくに初期のReferenceシリーズというパワーアンプがかなり独創的で注目を集めていたことが想い出深いです。
NuForceのパワーアンプというのは、今でも一部の「ピュア」オーディオ マニアからはタブーとされている「スイッチング電源」と、「クラスDアンプ回路」という二つの地雷構成を正々堂々と導入して、オーディオ業界に新たな旋風を巻き起こしました。
この2004年当時は、NuForce以外にもソニーのS-MasterやB&O ICEpower、廉価なToppingなど、クラスDアンプが次世代の有望株としてもてはやされていた時期です。
コンパクト、高効率で大パワーが望めるクラスD回路はたしかに注目度が高かったのですが、基礎設計やコストダウンが難しく、技術力の無いオーディオメーカーでは手が出しにくい手法だったことと、それまで「アンプは発熱して、無駄が多いほうが正義」と主張してきた一部マニアから酷評を受けて、だんだんと影が薄くなっていきました。その当時AVアンプなどにクラスDを搭載していたソニーやパイオニアなども、数年後にはまた従来通りのクラスABアンプに出戻りしています。
ちなみに、NuForceを含めた当時の新参クラスDアンプ勢は、そこまで圧倒的に旧式を凌駕する高音質というわけでは無かったため、マニアが伝統的なクラスABをプッシュしていたことは当然だと思います。しかし、最近になってクラスDもそこそこ進化を遂げており、たとえばDevialetなどの超ハイエンドアンプでもサラッと搭載されるようになってきました。なんとなくガソリン車とハイブリッド車のバトルみたいに、最近になって高級レースカー・スポーツカーにハイブリッドが採用されるようになって、ようやくカーマニアのハイブリッド嫌いが緩和されてきたのと同じような、時代の流れを感じます。
イヤホンの話なので、あまりアンプに関して多く語るのもバカらしいですが、ともかくNuForceというメーカーは、その当時のハイエンド業界からは、「伝統的なクラスABアンプの一流エリートクラブに堂々と殴りこみをかけてきた、新星の暴れ馬」、みたいなワイルド感がありました。実際初期のアンプは結構不具合が多く、しかも複雑で修理が難しいため、故障で泣きを見た人も多いと思います。
NuForce ICONは人気がありました |
NuForceはアンプ以外にも着々とラインナップを増やしていき、2010年くらいに登場したICONという商品は、当時まだ新しかった「卓上USB DAC+ヘッドホンアンプ」というジャンルの草分け的存在で、記憶に残っています。
現在、Optoma傘下に入ったNuForceは、ちょっと混乱した状況です。
OptomaはNuForceが持つネームバリューと、カジュアルAV・コンパクトプレミアム路線をプッシュしたいらしいです。それ以外のこれまでNuForceが主力としていたパワーアンプなどのハイエンドオーディオ製品は、Optomaとは別に「NuPrime Audio」という新設会社が引き継ぐということで、合意されています。
NuForce改め、NuPrimeブランドのパワーアンプ |
NuPrime uDSD |
とは言ったものの、NuPrime社でも最近小型USBDAC ヘッドホンアンプのuDSDを発売したり、なんだか線引きが曖昧ですね。
ようするに、OptomaとしてはNuForceブランドを取得したものの、ガチなオーディオマニア向けオタク製品を売る気は無いので、そっち方面はNuPrimeが好き勝手にやっていいよ、といった感じで、旧来のNuForceは心機一転NuPrimeというブランドに変わって、それでもファンはついてくるのかという勝負どころだと思います。
Optoma傘下でのNuForceというブランドは、今回のBAイヤホンのような、もっとヘッドホンマニア向けなオーディオ製品が今後続々登場する予感がします。
イヤホンについても、今回紹介するHEMシリーズがデビューモデルというわけではなく、Optoma傘下でもこれまでにBluetoothイヤホン「BE6」や、シングルダイナミック型のNE800Mなど、売れ筋中堅どころのモデルをいくつかリリースしています。
この手の大手資本買収騒ぎというと、AKGがハーマン傘下になった時を思い出しますが、やっぱり親会社の方向性によって、今後NuForceが名前だけのカジュアルブランドに成り下がるのか、それとも潤沢な開発予算を下敷きに、誰もが唸る高音質製品を作り続けるのか、そこが未知数なところです。つまり、たとえば今後将来的に、今回のHEMシリーズをさらに凌駕するような、最高クラスのIEMと真剣勝負ができるフラッグシップ機が出るのかどうか、気になります。
それまでのNuForce開発陣の中で、どの程度の割合がOptoma NuForceとNuPrimeにそれぞれ分かれたのかは不明ですが、どちらも健闘してほしいです。
Primo 8
NuForceというと、イヤホンマニアであればPrimo 8というモデルの存在が記憶に新しいです。NuForce Primo 8 |
2014年発売の4BA型IEMで、価格は6万円程度、2016年現在でもいまだに現行モデルとして手に入りやすい商品です。彫りの深いメタリックブルー塗装がカッコいいです。
Primo 8のセールスポイントとして、「Linear Phase」クロスオーバーというものが搭載されており、各ドライバ間の音のつながりが良いことが好評を得ています。
4BA型で6万円ということで、ライバルのShure SE535LTDやWestone W40などとほぼ同価格です。デザイン的にも両者とそっくりで、とくにWestoneとはサイズ感もそっくりなので、実は同じモデルじゃないかなんてウワサされていたりしました。
実際に聴いてみると、「Linear Phase」クロスオーバー回路のおかげか、BA型にありがちな不自然なバラつきが少ない、良いイヤホンだと思います。
HEM
今回登場したHEMシリーズは、シングルドライバで最低価格のHEM2から、2BAのHEM4、3BAのHEM6、そして最上位で4BAのHEM8というラインナップになっています。
公式サイトはOptomaになります(http://www.optomausa.com/soundproduct/HEM) |
つまり、モデルナンバーの数字は4BAであればHEM「8」という感じに左右のドライバを合計した数になるのでまぎらわしいです。8って書いてあると、8ドライバかと勘違いしてしまいそうですよね。
メーカー公式サイトのスペックでは、
- HEM2: 26Ω 110 dB/mW
- HEM4: 38Ω 113 dB/mW
- HEM6: 37Ω 113 dB/mW
- HEM8: 32Ω 124 dB/mW
というふうになっています。HEM8だけが飛び抜けて高能率ですね。Westoneで言うと、UM-Pro30が同じく124 dB/mWで、それ以外のモデルは110 dB/mW台です。
インピーダンス値はどれも常識的な範疇で、これもWestoneとかと同程度です。Shure SE846みたいに9Ωとかクレイジーな数値ではないので、アンプの電流出力性能にそこまでこだわらなくても良いのは嬉しいです。
ハウジングはメタリック塗装のポリカーボネイト製で、今のところ製品版として出回っているものは、HEM2がレッド、HEM4がブルー、そしてHEM6とHEM8がどちらもつや消しのブラックです。とくにブラック二機種は外観からはほとんど見分けがつかないので紛らわしいです。これは製造上なにかしら事情があるんですかね。きっと全モデル全色は面倒なので、とりあえず先行販売版は色を単色にしているのでしょう。
ちなみに、私が試聴したやつは、なぜかHEM2がブルー、HEM4がレッドでした。カラバリ展開についての詳細は不明です。
本体下部にモデル名が刻印されています。 |
HEM6とHEM8は両方ともブラックなので紛らわしいです。 |
幸い、本体の下部にモデル名が刻印されているため、ちゃんと確認すれば混同することはありません。NuForceといえばPrimo 8のあの深いメタリックブルーが印象的だったので、やはり最上位のHEM8はブルーに仕上げて欲しかったです。
マルチBAのドライバ構成に関しては、まだ公式サイトに分解図などが載っていないため、よくわかりません。その辺はサウンドを聴いてみることにします。
本体はWestoneやShureとほぼおなじ形状なので、フィット感も同程度です。イヤピースも同じサイズなので、選択肢は広いです。
ケーブルは二本付属しており、高品質そうです |
付属ケーブルは、1.38mでスマホ用マイク有りと無しで二種類入っています。公式サイトによると、マイク無しの方は銀メッキOFCだそうなので、そっちのほうが高音質っぽいですね。多分メーカーの音作りもそれに合わせてやっていると思うので、今回の試聴にはこのケーブルを使いました。
プラスチックの外枠つきの、2ピンコネクタです |
イヤホン側のコネクタは、旧モデルPrimo 8ではMMCXだったのですが、今回は2ピンになっています。ケーブルに独自のプラスチックソケットがついており、なんとなくゼンハイザーのIE80用コネクタとかに似ていますが、デザインは若干違います。
この2ピンは、いわゆるカスタムIEMで使われているタイプと近いため、ユーザーの多くはNoble AudioやALOなどのケーブルが流用出来たとのことです。
ちなみにMMCXから2ピンに変更した理由として、NuForceのコメントで、MMCXは信頼性に問題があったとのことです。たしかに、最近多くのイヤホンにてMMCXは普及していますが、何度か取り外しているとグラグラになったり、メーカーごとにセンターピンが若干合わなかったりなど、不具合は多いので、どちらかと言うと2ピンのほうが安心できます。
MMCXの利点は、故意に引っ張られた際にパチっと外れて双方にダメージが少ないのですが、2ピンではピンが折れてイヤホンハウジング内に埋まってしまうことがあるため、どちらも完璧とは言えませんね。結局今回NuForceが選択した、2ピン+がっちりしたプラスチックコネクタというのが最善な選択なのかもしれません。
ケース
今回NuForce HEMシリーズを見かけた際に、「どうせまたいつものマルチBAイヤホンだろう・・」と思って試聴する気も無かったのですが、パッケージを見た途端に気を引かれて、つい試聴してしまいました。
化粧箱はありきたりです |
中身は、まるごと巨大なクリアケースに入ってます |
一見普通の高級そうな紙パッケージなのですが、中にはパッケージまるごとサイズの大きなペリカンっぽいクリアケースが入っています。
中にはイヤホンがスポンジに埋め込まれた状態で梱包されており、その下には、ジッパー式のソフトケースも付属しています。そしてそのソフトケースの中にケーブルなどのアクセサリが入っているわけです。
ソフトケースも合わせて、上品なプレゼンテーションです |
下位モデルでも同じパッケージングなのが嬉しいです |
ケーブル・アクセサリ類はソフトケース内です |
ペリカンケースというと、Westoneのオレンジケースなんかが有名ですが、アレのカスタム版に使われる巨大ケースみたいなのの亜種です。
このクリアケースを手にとってみると、なんかいろんな使いみちが思いついてワクワクしてしまいます。基本的にイヤホンはあえてクリアケースを使わずとも、付属のソフトケースで十分なので、つまりこのクリアケースはあくまで多目的なオマケみたいなものです。
しかも、最上位の4BAモデルだけではなく、最低価格のシングルドライバ「HEM2」にまで同じケース類が付属しているのが太っ腹です。
これは・・・使うしか・・・ |
スマホもピッタリ |
AK240は大きすぎました |
ソフトケースが収納されていたスポンジスペースですが、なんとなくMojoを入れてみたらぴったり同じサイズでした。その上にスマホを入れる余裕もあるので、自分でスポンジテープとかで梱包を自作すれば、色々面白そうです。AK240はギリギリ大きすぎました。
欲を言えば、もともとイヤホン本体が入っていた部分に、イヤホンにケーブルをつけたままピッタリ収納出来るような構造であったら、もっと実用性があって嬉しかったです。まあスポンジを切り抜けば簡単に改造できそうですね。
近頃、マルチBA型イヤホンというのは巷にありふれているので、どんなに音質に自信があったとしても、店頭で消費者に手にとってもらうということが一番の難関だと思います。そこで、このHEMシリーズのようにこだわりのあるパッケージとケースは「とりあえず」試聴を促すためのスパイスとして十分魅力があると思いました。
魅力の薄い、簡素なパッケージングを使い続けながら、それと反比例するかのごとく莫大な広告費を使っているようなメーカーと比べて、このNuForceのようなアプローチのほうが消費者の手に直接届く嬉しさは大きいと思います。
Linear Phaseクロスオーバー
NuForceはKnowles社のBAドライバを採用しているので、たとえばWestoneとかと系統は同じです。
意外と知られていないことですが、BAドライバそのものを製造しているメーカーは世界中で数社しか無いため、ほとんどのBA型イヤホンメーカーは、同じメーカー製のBAドライバを買って搭載しています。Knowles以外ではSonionという会社もあって、現状はほぼその2社だけです。あとは自社製で頑張っているソニーとかくらいでしょうか。
Knowles社は補聴器などで定評のある大手BAドライバメーカーで、オーディオ用ドライバも高域用、低域用など、用途に合わせて幅広いラインナップを誇っています。新参でIEMを作るメーカーを立ち上げたければ、単純にKnowlesのカタログを観覧して、気に入ったBAドライバを買い付けて、あとはプラスチックのボディに埋め込めば、それだけで作業完了です。
もちろん、ドライバが同じであっても、最終的に仕上がるBAイヤホンのサウンドは同じにはならないよう、ドライバ以外の部分での音質向上技術も、とても重要です。
ごく一般的なマルチBA型イヤホンとの差別化としてNuForceが提唱しているのが、旧モデルPrimo 8から引き続き搭載している「Linear Phase」クロスオーバーです。
クロスオーバーというのは各BAドライバへ送る信号を前処理する電気回路のことです。
マルチBAイヤホンを一番手軽に作りたければ、ケーブルからの配線をそのまま分岐させて、単純に全部のBAドライバに直接接続すれば済みます。実際、多くのイヤホンメーカーはそのような手法を使っています。あとは、BAドライバごとの特性にまかせて、高域用、低域用ドライバが同時に鳴るといった感じです。
そのようなシンプル配線では、BAドライバごとの特性がぴったりマッチしていないと、混じりあった帯域で音が濁ったり、過度にブーストされたりといった不具合が発生します。逆に、それを意図的に避けるために高域と低域ドライバが被らない特性のものを選んでしまうとか、逆相で配線したりすると、その間の周波数帯でポッカリと穴が空いてしまいます。さらにドライバの数が増えれば、問題は悪化します。
つまり、ドライバ特性だけをアテにしても、ドライバ間の混ざり合いで問題が発生するため、これがマルチBA型特有の問題点として広く知られています。気が付かなければ、それ以外の周波数帯では解像感が高く、高音質だと錯覚するのですが、広帯域な音楽を聴いてみると、実際の演奏と比べて不自然さや特徴的なクセが気になってしまいます。
Linear PhaseクロスオーバーについてNuForceの解説を見るかぎり、単純に1st order Butterworth Crossoverと書いてあるので、つまり伝統的なスピーカーに採用されているクロスオーバーと同じ手法のようです。
つまり、高域用ドライバの前にコンデンサを入れて低域カット、低域用ドライバの前にインダクタを入れて高域カット、という感じで、このコンデンサとインダクタの定数を上手に選ぶことで、各ドライバの帯域が交じり合わないギリギリのポイントで調整できます。
クロスオーバーは、うまくやれば、各ドライバ間のつながりがほぼ感じられないくらいスムーズになるので、たとえば複数のドライバを搭載した大型スピーカーでは必須の技術になっています。
実際、高級スピーカーにおいて、ドライバやハウジングと同じくらい、このクロスオーバー回路の性能は音質のキー要素になるので、スピーカー開発で非常に悩ましい部分でもあります。高品質なクロスオーバー回路を作るために、たったひとつのインダクタ(コイル)に10万円もするようなパーツを使っているスピーカーもあります。
なにはともあれ、ドライバ間の音のつながりは大事なので、他社のBAイヤホンでは、似たようなクロスオーバー手法や、たとえばBAドライバごとに音響フィルタをつけたり、独立した音響チューブを通して、時間差で位相を合わせたりなどの細やかな技術開発で差別化を図っています。
そのため、同じメーカー製のBAドライバを搭載していたとしても、決して同じサウンドにならないのがBA型イヤホンの面白いところです。
意外と知られていないことですが、BAドライバそのものを製造しているメーカーは世界中で数社しか無いため、ほとんどのBA型イヤホンメーカーは、同じメーカー製のBAドライバを買って搭載しています。Knowles以外ではSonionという会社もあって、現状はほぼその2社だけです。あとは自社製で頑張っているソニーとかくらいでしょうか。
Knowles社のカタログでBAドライバを選んで、それを大量購入します |
Knowles社は補聴器などで定評のある大手BAドライバメーカーで、オーディオ用ドライバも高域用、低域用など、用途に合わせて幅広いラインナップを誇っています。新参でIEMを作るメーカーを立ち上げたければ、単純にKnowlesのカタログを観覧して、気に入ったBAドライバを買い付けて、あとはプラスチックのボディに埋め込めば、それだけで作業完了です。
もちろん、ドライバが同じであっても、最終的に仕上がるBAイヤホンのサウンドは同じにはならないよう、ドライバ以外の部分での音質向上技術も、とても重要です。
ごく一般的なマルチBA型イヤホンとの差別化としてNuForceが提唱しているのが、旧モデルPrimo 8から引き続き搭載している「Linear Phase」クロスオーバーです。
クロスオーバーというのは各BAドライバへ送る信号を前処理する電気回路のことです。
マルチBAイヤホンを一番手軽に作りたければ、ケーブルからの配線をそのまま分岐させて、単純に全部のBAドライバに直接接続すれば済みます。実際、多くのイヤホンメーカーはそのような手法を使っています。あとは、BAドライバごとの特性にまかせて、高域用、低域用ドライバが同時に鳴るといった感じです。
一番シンプルな配線 |
そのようなシンプル配線では、BAドライバごとの特性がぴったりマッチしていないと、混じりあった帯域で音が濁ったり、過度にブーストされたりといった不具合が発生します。逆に、それを意図的に避けるために高域と低域ドライバが被らない特性のものを選んでしまうとか、逆相で配線したりすると、その間の周波数帯でポッカリと穴が空いてしまいます。さらにドライバの数が増えれば、問題は悪化します。
誇張したイラストですが、各ドライバの混ざりあう帯域で変な感じになります |
つまり、ドライバ特性だけをアテにしても、ドライバ間の混ざり合いで問題が発生するため、これがマルチBA型特有の問題点として広く知られています。気が付かなければ、それ以外の周波数帯では解像感が高く、高音質だと錯覚するのですが、広帯域な音楽を聴いてみると、実際の演奏と比べて不自然さや特徴的なクセが気になってしまいます。
Linear PhaseクロスオーバーについてNuForceの解説を見るかぎり、単純に1st order Butterworth Crossoverと書いてあるので、つまり伝統的なスピーカーに採用されているクロスオーバーと同じ手法のようです。
一般的な一次バターワースフィルタ |
つまり、高域用ドライバの前にコンデンサを入れて低域カット、低域用ドライバの前にインダクタを入れて高域カット、という感じで、このコンデンサとインダクタの定数を上手に選ぶことで、各ドライバの帯域が交じり合わないギリギリのポイントで調整できます。
こんな感じに上手につながれば良いわけです |
クロスオーバーは、うまくやれば、各ドライバ間のつながりがほぼ感じられないくらいスムーズになるので、たとえば複数のドライバを搭載した大型スピーカーでは必須の技術になっています。
実際、高級スピーカーにおいて、ドライバやハウジングと同じくらい、このクロスオーバー回路の性能は音質のキー要素になるので、スピーカー開発で非常に悩ましい部分でもあります。高品質なクロスオーバー回路を作るために、たったひとつのインダクタ(コイル)に10万円もするようなパーツを使っているスピーカーもあります。
見慣れたスピーカーの中身にも複雑なクロスオーバー回路が入ってます |
なにはともあれ、ドライバ間の音のつながりは大事なので、他社のBAイヤホンでは、似たようなクロスオーバー手法や、たとえばBAドライバごとに音響フィルタをつけたり、独立した音響チューブを通して、時間差で位相を合わせたりなどの細やかな技術開発で差別化を図っています。
そのため、同じメーカー製のBAドライバを搭載していたとしても、決して同じサウンドにならないのがBA型イヤホンの面白いところです。
音質について
今回、幸いにもシングルドライバのHEM2から最上位4ドライバのHEM8まで全モデルをじっくりと試聴することができましたので、各モデルごとの傾向なんかもよくわかりました。
ケーブルとコネクタはカッコいいです |
試聴には手持ちのAK240とChord Mojoを使ってみました。ごく一般的なBA型IEMらしく、ポータブルDAPでも十分鳴らしやすいです。
結論からいって、4ドライバのHEM8は、個性的ながら万人受けしそうな素晴らしい完成度を誇っています。
そこからドライバの数が減ると、各モデルごとに何らかのクセというか不満点が現れるような感じです。つまりトータルの音作りは同じ方向性を持っており、その「音作り」の完成度がトップのHEM8で頂点に達しているみたいな印象です。
よく、マルチBA型イヤホンというと、ドライバ数が一番多いモデルは単純に部品が多いため値段が高くなるだけで、実際の音質は必ずしも最上とは限らない、というケースが多々あります。
私自身も、以前Westoneを購入した際に、UM-Pro10・20・30・50と聴き比べていって、結論として3ドライバのUM-Pro30がベストで、5ドライバのUM-Pro50は、そこに余計な贅肉がついたような太ましいサウンドが好みに合いませんでした。
同様に、先日発売された64 Audio ADELシリーズでも、2ドライバから12ドライバまで幅広い選択肢の中から、自分が一番好きだと感じたのが5ドライバモデルで、極端にドライバ数が多いモデルは「作れるから作った」みたいな必要過多な感じがしました。
そのようにサウンドの好みには個人差があるため(もちろん最上位モデルを最高音質だと感じる人が間違っているという意味ではないので)、ドライバ数が増えれば価格上昇は当然なわけで、それに自分が満足できる音質向上が伴っているか見極めるのが難しいです。
というわけで、NuForce HEMシリーズですが、シングルドライバモデルのHEM2は、やはりBAドライバがひとつということで、それっぽいサウンドです。
シングルドライバといっても、ER-4とかみたいにキンキンするわけではないですが、やはり若干中高域に癖があり、まあそれはそれで、この価格帯なら十分かなといった感じのコストパフォーマンスモデルです。
実際、HEM2のUS$199という価格設定は、米国でUM-Pro10の定価と同じなので、妥当だと思います。しかし、この価格帯ではダイナミック型のほうがバランスの良い音質を望めると思うので、あえて「BA特有のサウンド」を求めていないかぎり、他にもSE215SEとか、最近ヒットしているオンキヨーE700Mみたいなダイナミック型ライバルが多数存在しています。
次に、ワンランク上の、2ドライバのHEM4を聴いてみると、HEM2よりもバランスがとれて、より低音から高音までストレートに鳴っているように感じます。若干低音寄りというか、モコモコした感じもするので、あまりBA型という感じがしない不思議なサウンドです。どちらかというと、そこそこ良いダイナミック型のモニター系イヤホンを聴いているような、違和感の少ないストレートサウンドです。
中高域に刺激が少なく、低音もふわっとマイルド、若干聴き流してしまいそうなくらい無難なサウンドなので、これはこれで十分かな、と気にいる人もいると思いますが、私としてはちょっと物足りない感じでした。価格設定はUS$299なので、日本での実売価格が2~3万円台になると想像すると、一番難しい価格帯ですね。各社ともに、どのイヤホンも独特のクセや魅力はあっても万能じゃない、というレベルの価格なので、このHEM4はその中でも比較的無難で聴きやすいかな、なんて感じです。
3ドライバのHEM6は、一気に高域と低域が出てきて、いわゆるBAっぽいドンシャリサウンドに近くなりました。とくに高域はちょっとキツイ印象があって、BAらしいです。肝心のLinear Phaseクロスオーバーによるつながりも、このドンシャリサウンドに押されてあまり体感できないというか、これはこれで別の魅力があります。たとえば手持ちのWestone UM-Pro30とくらべると、HEM6のほうがもうワンランク大人のサウンドというか、広がりをもたせている感じがします。UM-Pro30はBA型の中では比較的クセが少なく、モニター調なサウンドが好評を得ていますが、HEM6と比べると音像がセンターにこじんまり集中してしまう感じで、楽しさ成分が薄いです。
個人的に、このNuForce HEMシリーズの真髄は4ドライバのHEM8だと思いました。これにはちょっと感動したというか、「上手なチューニングだな~」とつくづく感心しました。試聴してから一週間経った今このブログ日記を書いている時点でも、HEM8のサウンドが脳裏に残っているので、それだけ印象的だったのでしょう。
HEM8の魅力というのは、ズバリ、マルチBAらしく、低音から高音まで超ワイドレンジなサウンドなのに、それがギリギリのところでロールオフされている、まさにギリギリの「カマボコ型」周波数特性です。
カマボコというよりは、なんというか、金属や木工細工の角の部分を上手に丸く仕上げたというか、それくらいギリギリのロールオフ特性です。
つまり、これより尖っていると、ドンシャリ傾向でエッジが目立つ、従来通りのBAイヤホンに成り下がってしまい、逆にこれより丸くすれば、マイルド傾向な無難サウンドになってしまうのですが、このHEM8のサウンドは、自分の限界をよく知っており、その限界までベストを尽くす、みたいな心意気を感じました。
そして、HEM8のサウンドが、NuForceが提唱しているLinear Phaseクロスオーバーのメリットが一番強く現れていると感じました。
つまり、たとえば低域のボワつき、高域の刺さりといった乱暴さは皆無ですし、よくマルチBA型でありがちな、ボーカル域の拡声器のようなホーンサウンドが感じられません。本当に粛々とフラットだな~と関心するほど、低域から高域まで安定しています。
4ドライバというと、NuForce Primo 8と同じ構成になりますが、どちらも似たようなつながりの良いサウンドでありながら、Primo 8のほうが若干高域寄りのドンシャリで、空間的な音像にバラつきも感じます。HEM8のほうが、より中低域に存在感があり、そのおかげか、音像がしっかりと地に足がついているような、イメージの安定感があります。決して宙を舞うサラウンド的というわけではありませんが、たとえばSE535やUM-Pro30なんかと比べると、縦横に広いオープンな音像です。
HEM8のサウンド傾向は、シングルダイナミック型イヤホンや、他社のマルチBA型とも異なり、なんとなくベイヤーダイナミックDT880とかみたいな、旧世代の大型ダイナミックモニターヘッドホンのような、分析的でありながら、硬質にならず余裕をもった、なおかつ限界以上にプッシュしない、完結した世界観です。主張が薄いとも言えますが、どの特定の周波数が目立つわけでもなく、空間が広くも近くもなく、それでいて一音一音の粒立ちがよく、ずっと黙々と聴いていられます。フォステクスのT50RPとか、KOSSのヘッドホンとかとも近い印象があります。
ようするにそれ以上でもそれ以下でもない、万人が納得するようなリニアサウンドなので、たとえばもっとキラキラした高域が欲しいとか、ボンボン沈み込む低音が、とかそういった一点集中型のサウンドではなく、苦労して仕上げたトータルバランスの良さに関心します。
価格もUS$499ということで、4~5万円台で4ドライバという妥当な値段ですが、音作りの完成度に関して言えば、過去のBA型IEMよりも一世代分先に進んだような印象を受けました。
これより上の価格帯では、結局何を求めるのか、という部分だと思います。たとえば、私自身はイヤホンそれぞれの魅力やクセを楽しむタイプなので、高域に光る魅力があるAKG K3003や、マッタリと広大なダイナミックサウンドが味わえるベイヤーダイナミック AKT8iEを好んで使っています。でもそれらは誰にでも勧められる万能サウンドとは言えません。一方で、このNuForce HEM8は、他人に勧めるのに躊躇する必要がない、スキの無い仕上がりです。
これより上の価格帯では、結局何を求めるのか、という部分だと思います。たとえば、私自身はイヤホンそれぞれの魅力やクセを楽しむタイプなので、高域に光る魅力があるAKG K3003や、マッタリと広大なダイナミックサウンドが味わえるベイヤーダイナミック AKT8iEを好んで使っています。でもそれらは誰にでも勧められる万能サウンドとは言えません。一方で、このNuForce HEM8は、他人に勧めるのに躊躇する必要がない、スキの無い仕上がりです。
まとめ
NuForceのHEMシリーズは、Optoma傘下に入ってイヤホン市場に再参入するにあたって、かなり上質な仕上がりになっていると感じました。
もうすでにマルチBA型イヤホンというのは市場に溢れていますが、その中でもHEMシリーズはパッケージや付属品の充実感、音質チューニングの良さなど、トータルで十分通用するレベルだと思います。特に最低価格モデルのHEM2でさえ大型クリアケースや銀OFCケーブル付属というのは嬉しいです。
個人的には、最上位のHEM8がとくに優れた仕上がりで印象深かったので、下位モデルにはそれぞれ特有のクセが目立ちましたが、それも価格相応ということを踏まえると妥当なラインナップだと思います。逆に、最上位モデルなのに音が微妙、なんていうブランドが多い中で、NuForceはHEM8を極上のチューニングで仕上げて、その意識の高さを実証してくれました。
イヤホンというのは、上下関係ではなく、自分に合ったサウンドを見つけるのが楽しいわけですから、過去の売れ筋ランキングとか、ベストヒット商品ばかりを検討するのではなく、たまにはこのようなニューフェースも試聴の候補に入れてみると、意外な発見があるかもしれません。
ニューフェースといえば、NuForceだけではなく、最近では同様にマルチBAイヤホンの64 Audio ADELシリーズなんかも、ユニバーサル版の流通が始まったので、そろそろ店頭に並ぶかもしれません。これもとても好きなサウンドで、注目株です。また、超マイナーですが、1BA+1ダイナミックのハイブリッド型で、PSBの「M4U 4」が想像以上に良い音の仕上がりで、驚いてしまいました。
最近の新作は、すでにライバルとして存在する銘器がたくさん存在するため、新参でも目標が高く、侮れないモデルが多いです。たとえば、バトル漫画とかで、連載後期に登場した新キャラクターが、何故か古株キャラ勢よりも格段に強かったりするのと同じ感じがします。
また、単純にドライバ数を増やすとか、そういった無粋な競争が終結して、そこからの問題点を理解して、超越した、さらに「良い音」を目指す技術開発が着々と進んでいるようで嬉しいです。