2020年6月22日月曜日

KORG Nu:Tekt HA-KIT 真空管ヘッドホンアンプのレビュー

KORG Nu:Tektシリーズのアナログヘッドホンアンプ「HA-KIT」を購入しました。

Nu:Tekt HA-KIT

Nutube真空管を搭載する安価な自作キットアンプということで話題になっています。完成品から基板単体までいくつかのバリエーションが出ており、私が買ったのはHA-K1というハンダ付け必要なタイプで、約25,000円でした。

個人的にNutubeのサウンドにはけっこう興味があり、価格も手頃で自宅での暇つぶしになるだろうと思い、思い切って買ってみました。


KORG Nutube

楽器を演奏する人なら株式会社コルグの名を知らない人はいないでしょう。

1960年代の電子楽器黎明期からドラムマシーンやシンセなどに積極的に参入しており、ローランドやヤマハと列んで国産シンセの代表的メーカーとして、ビンテージ品の価格も高騰しています。

70年代のminiKORG-700S

80年代はヤマハと提携して音楽演奏のデジタル化の第一線を歩んでおり、以降はオーディオワークステーションやソフトシンセモジュール、ダンス系トラックメーカーなど、まさに電子音楽というジャンルの象徴とも言うべき存在です。

真面目な楽器と奇抜なガジェットと、幅が広いです

個人的に、2000年以降のKORGといえば、KAOSS PADやMicroKORG、ニンテンドーDSの音楽ソフトDS-10、Monotron、Volca、iOSやSwitch用KORG Gadgetなど、数千円から買える手頃な価格で奇抜なアイデアを続々投入しており、単なる楽器メーカーとは一線を画するアイデアメーカーとしてのイメージも強いです。

かなり気合が入っているKORG Nu 1

プロ用デジタルレコーダーなども作っているため、オーディオにも精通しており、オーディオマニアとしてはDS-DAC-10R、DS-DAC-100、Nu 1などのD/Aコンバーターの方が目にする機会が多いかもしれません。とくにDSD録音・再生に長年積極的に取り組んでおり、KORG AudioGateというDSD再生・変換ソフトは広く普及しています。

VOX AC30

意外と知られていませんが、KORGはビートルズやストーンズで有名なイギリスのアンプメーカーVOXを1990年代から傘下に収めており、オリジナルに忠実な復刻アンプを作り続ける一方で、ギター関連の電子製品はVOXブランドでも出しています。

そんなわけで、KORGというのは演奏から録音・再生までのすべてを視野に入れている、世界的に見ても数少ないメーカーなのですが、とりわけ真空管を積極的に活用する事でも有名です。

VOXギターアンプやペダルはもちろんのこと、デジタルシンセにおいても、2000年頃は各メーカーがアナログっぽい太い音をデジタルプログラムでシミュレートするのに躍起になっていた中、KORGはElectribeシリーズなどでValve Forceと称して本物の真空管を組み込んでしまうといった試みが注目を集めました。

Nutube 6P1

今回のHA-KITヘッドホンアンプに搭載されている真空管はNutube 6P1という直熱双三極管で、2015年にKORGがノリタケ伊勢電子と共同開発したものです。

用途としては12AU7などのようなプリ管ですので、パワー管として使う事は想定していません。

ノリタケが持っている蛍光表示管のパッケージ技術を応用して、真空管を小型・高効率・高精度なフォーマットに作り変えたもので、原理的には従来の真空管と同じです。

発表後、KORG・VOXのギターアンプ製品を始めとして、Ibanez Tube ScreamerのNutube版が出たり、色々と見る機会が増えてきました。

とくにギターのドライブ用途としては、従来の12AX7などのプリ管では250V程度の高電圧を使うためコンセント電源と大きなトランスが必要となり(そのため真空管ギターアンプは重く大きいです)、しかも振動に弱く、発熱が大きく、管の特性や寿命にばらつきが大きいなど、デメリットが多いです。そのためトランジスターで真空管っぽい音を出す手法が広く使われているのですが、そこにおいてNutubeは25V程度で駆動できる本物の真空管なのが魅力的です。

以前KORG・VOXのNutubeについてのインタビューを見ましたが、開発するきっかけとなったのは、真空管の将来に懸念を感じてという理由も大きいそうです。

つまり、現状では、中国やロシアなどで大量の真空管が製造されているので、供給に関しては問題ありませんし、真空管アンプマニアの心情としては、まだNutubeを敬遠する余裕があるかもしれませんが、実際ヨーロッパを中心に環境やエコ家電の法規制が厳しくなっており、このままいくと、明らかに無駄が多く有害な古典的真空管を大手企業がそのまま使い続ける事は難しくなる、という事です。

もちろん趣味レベルであったり、小規模なガレージ産業なら存続すると思いますが、VOXのような大手だと、以前話題になった製造業のISO9001や食品安全のISO22000のような認可制で、販売や輸出入が規制される可能性が出てくるため、今マニアに何を言われようと先手を打つ必要がある、という事です。

ライバルの米Fenderも昨年、往年の銘機Deluxe ReverbやTwin Reverbアンプの外観はそのままで中身をデジタル回路に変えたモデルをリリースしており、インタビューでも同様の事を言っていたので、どのメーカーも真空管の将来について懸念があるようです。


楽器の事はさておき、音楽鑑賞のオーディオ機器においても、Nutubeは一般的な真空管と比べてコンパクトで、しかも消費電力が少ないため、ポータブルオーディオにも適しています。

Nutube搭載iBasso AMP9

すでにKORG以外でもiBassoなどいくつかのオーディオブランドによって採用されており、市場の反響を伺っている状態です。とはいえ一般的なオペアンプやワンチップですべてが済む高性能ICと比べると導入の敷居が高いため、本腰を入れてやる気のあるメーカーでないと、なかなか採用まで踏み切れません。

NTS-1とOD-KIT

そのため、今回発売したHA-KITというのは、KORGが提供する評価回路といった側面もあります。アナログヘッドホンアンプのHA-KIT以外でも、NTS-1シンセ、OD-KITオーバドライブペダルなど、異なるジャンルでいくつかのキットをリリースしました。

どれも各ジャンルでNutubeを導入する際に参考になるレファレンスデザインという感じですので、KORGとしてもコスト度外視で気合が入っています。とくにギターペダルはここ数年で世界的に大きなブームの最中なので、このOD-KITをスタート地点として、様々なブティックペダルメーカーがNutubeに挑戦する機会が生まれると良いです。

Nutubeが敷居が高いと言われているもう一つの理由は、Nutubeそのものの単価が高い事です。個人で自作アンプにチャレンジするにも単品で5,000円程度、メーカーがバルクで大量に買っても割引率は大きくないため、数十円で済むオペアンプや、1000円以下でも手に入る12AU7真空管などと比べると安価な製品への導入は難しいです。そう考えると、HA-KITの価格はかなり良心的でコスパが高いと言えます。

HA-KIT

今回私が買ったのは「HA-K1」というハンダ付けが必要な組み立てキットです。

他にも「HA-S」という基板実装済みでケースに組み込むだけのキットもあります。あとはHA-P1(基板)・HA-E1(コンポーネント)・HA-C1(ケース)とバラ売りのものもありますので、購入の際は間違わないよう注意してください。

いわゆるアナログポタアンです

フロントパネルには3.5mmアナログライン入力と、ボリュームノブ、3.5mmヘッドホン出力、そして電源スイッチ、という具合に、非常にシンプルでわかりやすい設計です。

内部の基板にはEDMスイッチというのもあるのですが、フタを開けて長い楊枝を使わないとアクセスできないため、頻繁に切り替えるものではありません。


実際の用途としては、こんな感じでしょうか。DAPのライン出力からHA-KITを通してイヤホンを鳴らしています。

HA-KITの本体重量は110g、側面にはステンレスのクリップみたいなものが鋲止めしてあり、端子面の保護と、重ねて使う際のベルトループとしての機能もあります。

上手にまとまっています

上蓋は黒いクリアプラスチックで、シャーシはブリキ缶みたいなデザインです。単三乾電池二本で、アルカリだと約9時間再生だそうです。

写真で上の方に見えるのがNutube真空管で、電源を入れると白い四角い部分が青緑に点灯します。振動対策として別基板に組み込まれており、茶色のケーブルでメイン基板に接続されています。

前方にはオペアンプがソケットに入っています。先程述べたようにNutubeはあくまでプリ管なので、ヘッドホンを駆動するための電力はこのオペアンプでドライブしています。HA-KITでは気を利かせて音色の違う二種類のオペアンプが付属してくれており、交換して聴き比べる事ができます。

組み立て

HA-KITはシンプルな白い紙箱に入っており、日本語の組み立て手順書もしっかりしているので、初心者でも組み立てに悩むことはないと思います。部品表や回路図もちゃんと提供してくれているのは嬉しいです。

パッケージ

中身

詳細な説明書

部品は全部でこれだけで、表面実装部品はすでに基板に実装済みなので、ハンダ付けといっても、コンデンサやスイッチなどスルーホール部品のみです。

もちろん電解コンやオペアンプソケットの向きとか、初歩的な回路の知識があることは前提になっていますが、カラー写真が付属しているので、悩んだらそれを見れば大丈夫です。

部品

スルーホールのみハンダ付けが必要です

作りやすいです

パターンの間隔に十分な余裕があり、過加熱で壊してしまいそうな部品や、コテのパワーが必要な大きなランドも無いなど、初心者向けとしてかなり上手く考えられていると思います。

コテも1.2mm程度の太いやつだけで済みますが、唯一サブ基板へのコネクターのみピッチが若干狭いので、加熱しすぎたりブリッジしないよう注意してください。

完成

裏面

慣れている人なら不安無く組み上がります。私も20分程度で完成しました。

基板上C18という電解コンが未実装ですが、これは説明書でも未実装になっているので大丈夫です。

Nutube

ゴムシートを忘れずに

スポンジで振動対策

肝心のNutubeですが、サブ基板には駆動用電源ICやFETなどがすべて実装済みなので、Nutubeとコネクターをハンダ付けするのみです。

ハンダ付け前にNutubeの裏にゴムシートを貼るのを忘れないよう注意してください。貼る位置なども手順書に明確に指定してあります。Nutubeは真空管ですから振動に弱いので、外周を囲むスポンジも付属しています。

このコネクターが厄介です

メイン基板と接続する茶色ケーブルのコネクターは、写真のように奥まで押し込むのが結構厄介なので、丁寧に目視で確認してください。

ボリュームノブのナットと底面ネジの三点固定です

ステッカーを貼り

上蓋の保護シールを剥がし

上蓋にはバッテリーのガタ防止ゴムを貼ります

あとはケース底に絶縁シートを貼り、基板をケースに組み込むだけで完成です。ネジ穴の組み上げ精度が高いのが嬉しいです。

全部組み立ててみての感想ですが、さすが日本の大手メーカーだけあって、とても丁寧に考えられており、初心者向け自作キットとしてオススメできます。慣れている人には簡単すぎるかもしれません。

電源を入れるとNutubeが光ります

ところで、私はたまにアマゾンやeBayとかで売っている中国の自作キットアンプなども試しているのですが、そういうのはHA-KITと比べると断然難易度が高く、思ったように完成できないリスクも高いです。プラモデルで例えるなら、このHA-KITがタミヤやバンダイくらい作りやすく、中国の自作キットはトランペッターや上海ドラゴンといった感じでしょうか。

具体的に、怪しい自作キットでよく遭遇する問題としては:
  • 有名キットを注文したはずが、届いたのはコピーの偽物
  • 部品がいくつか入っていない、もしくは既に壊れている
  • 基板の回路が回路図と違う、致命的な誤植がある
  • 非純正の類似トランジスターが入っている
  • 明らかにデータシートの動作レンジ外の駆動をしている
  • 謎の発熱
  • 謎メーカーの抵抗やコンデンサーで、実測すると膨大な誤差がある
  • コンセント電源なのに明らかに各国安全基準を満たしていない
  • シャーシが面取りしておらず指を切ってしまう
  • ネジ穴位置が明らかに合っていない
  • シャーシがガタガタする
・・・といったトラブルは毎回ほぼ何かしら起こります。とくに「オーディオグレード」なんて金字で印刷されている部品が、実測したらとんでもない粗悪品なんて事はよくあるので、基本的にキット付属の素子は全部捨てて買い直すのがマニアの定番です。

その点、HA-KITはニチコンなどれっきとしたメーカー製素子を使っており、あえてあれこれ悩まなくても、素組みでも全く問題ありません。

実際に使ってみて

HA-KITを一週間ほど使ってみて、概ね使い勝手には満足だったのですが、実用上いくつか不満点も思い浮かびました。

電源スイッチにぶつかってしまいます

まず、電源がトグルスイッチなので、バッグの中でケーブルなどに偶然引っ掛けてONになってしまう事がありました。何らかの保護ケースが必要ですね。

また、ヘッドホン端子と隣接しているため、一部のL字コネクターだと回転した時に電源スイッチが開閉してしまうことがあります。

無信号時のオートオフやパワーセーブなど気の利いたものも無いため、知らずに電池を空にしてしまう事が何度かありました。高価なアルカリ電池なので勿体ないです。

電池を交換するにも、上蓋の小さなキャップネジを外さないといけないのが面倒です。マグネットやサムスクリューに交換するなり、改造すれば済む話ですが、せっかくブリキ缶みたいなデザインなのだから、上蓋もブリキ缶と同じ要領でパカッと開けられるようなデザインにしてもらいたかったです。

私は使いませんでしたが、EDMスイッチも上蓋を開けないと切り替えることができず、しかも指では届かないので楊枝のような細い棒が必要になるのは面倒です。

電池について

安価な自作キットというイメージからも単三乾電池で正解だったと思いますが、近頃はUSB充電機能を内蔵したリチウムイオン電池とかも色々手に入るので、そういうのに換装してみるのも良いかもしれません。HA-KITは電源回路が優秀なので、説明書に1.8~3.6Vと書いてあるように、厳密に3Vでなくても大丈夫です。

アイドリング時

最大負荷

安定化電源でテストしてみたところ、無信号時の消費電流は150mA程度で、ヘッドホン負荷を与えて歪むまで駆動させると最大500mAくらい消費しています。普段のリスニングでは平均200mAくらいでしょうか。

カットオフ付近

説明書によると最低駆動電圧は1.8Vだそうです。つまり電池一本が0.9Vまで下がると電源が落ちます。実際テストしてみると確かに1.7V付近でカットオフしました。

アルカリ電池はどのメーカーも0.9V程度まで粘ってから急激に落ちるものが多いので、それをちゃんと使い尽くすよう設計されているようです。エネループなど充電電池は最後まで1.3V程度を維持して、空になるといきなり落ちるタイプが多いです。

今回使ったアルカリ電池のデータシートを見ると、200mAを消費すると仮定して、0.9Vまで下がるには約10時間くらい持つそうなので、HA-KITの仕様と合います。

完成後の調整

HA-KITのオーディオ信号経路は非常にシンプルです。ライン入力信号はバイアスされてNutubeグリッドに入り、プレートでMOSFETを動かしてオペアンプに送っています。ボリュームノブはオペアンプのゲイン調整で行っているのはユニークです。

つまり一般的なアンプと違い、入力信号はボリュームノブを通らずNutubeにそのまま入るため、信号レベルが音質に影響を与える事になります。後述するバイアス調整にもよりますが、一応確認してみたところ、入力は2.5Vrms程度でクリッピングしました。つまりChordの3VrmsモードとかだとHA-KITのボリューム位置に関わらずクリッピングするので注意してください。

オーディオ信号グラウンドは電池のマイナス側でシャーシアースに落としているシンプルな設計です。

ちなみに基板上にEDMスイッチというのがあり、回路図を見ると、ONにするとプリ部の負帰還HPFから電解コンが外れてフィルムコンのみになるため、負帰還量が減り低域ブーストにもなるような感じです。真空管アンプの帰還量については議論が絶えないので、興味がある人は自身で定数を計算していじってみるのも良いかもしれません。どちらにせよオペアンプで受けるのですが。

未調整時の左右信号

基板上には調整用VR(可変抵抗)がいくつかありますが、VR4・VR5はNutubeプレート負荷で、VR6・VR7は入力信号のバイアスです。

未調整の状態でも一応音は鳴りますが、素組みの初期状態だと左右の電圧に20%くらいの誤差があったので、負荷をかけた状態で正しく測定して調整できれば理想的です。このタイプのVRは目視での位置は信用できません。

たとえば上のキャプチャーは未調整で左右チャンネルに1kHzテスト信号を流してオシロでDC50Ω入力受けしたものですが、右チャンネル(緑)はマイナス側が張り付いており、左チャンネル(黄)は上が潰れて歪んでいます。

VR4・VR5は最大まで上げても危ない領域に入らないよう設計されているため、説明書では右端に回しておけば大丈夫と書いてありますが、ライン入力レベルなどによってベストなポイントは変わります。

左右が合ってても結構歪んでますね

テスターと耳で音を聴いて合わせても良いのですが、オシロがあればなお良いです。このように左右レベルがピッタリ合っていてもプラス側は丸く歪んでいる、なんてことも起こります。これではTHDは膨大ですが、まるでアナログコンプレッサーを通したかのように、音色に暖かみを感じる、なんて思うかもしれません。実際多くの低価格真空管アンプはこれくらい歪ませることで「真空管っぽい」サウンドを演出していたりします。

ボリュームを上げると誤差が出てきたり

これくらいでOKでしょうか

これくらいまで追い込めます

公式スペックではTHD+N < 0.15%(-15dBu)と書いてありますが、たしかに入力レベルを-15dBu(0.13Vrms)程度に制限して、低歪み優先でVRを調整すれば、ノイズフロア自体は十分低いので、上のFFTで見られるようにスペック以上の性能が出せます。

ただし、特定の条件でピッタリ合わせても、普段のリスニング条件にて歪とゲイン左右誤差が最小になるよう仕上げる必要があります。実用上、ゲイン優先で調整してTHD+N < 1%くらいに収まれば上等だと思います。

ただし、聴感上は歪がもっと多い方が魅力的に聴こえるかもしれないのが真空管アンプの面白いところです。たとえば、下手な録音技術のせいで帯域がバッサリとカットされている楽曲でも、歪みの多い真空管アンプを通すことで自然な高次倍音成分が付加されて美しく聴こえる、といった事もあります。

肝心なのは、調整に関しては正解が無く、十人十色なので、音質レビューについてはあまり参考になりません。これが自作オーディオの楽しさであり、評価の難しいところです。

優れたメーカー既製品であれば、しっかりと事前調整してあり、管交換時のバイアス調整も何mA流せなど正確な手順があり、それがメーカー独自の「音」を生み出しています。一方、安価な製品にありがちな、いろいろな真空管と入れ替えができるようなタイプは、その都度正確な動作条件を得ることは不可能です。「このビンテージ管だとやっぱり音が良い」なんて、実は5%以上歪んでいたなんていうケースが多々あります。

HA-KITはよほどの事が無い限り壊れないように設計されているので、オシロさえあれば気兼ねなく調整して音質の聴き比べができる、理想的な入門キットだと思います。

青が入力です

ちなみに直熱双三極管ポタアンにしてはクロストークも意外と低いです。無負荷時、左(青)のサイン波スウィープに対して、右(赤)は1kHzで-77dBくらいで、低域はカップリングの関係で-60dB程度でした。どのみち3.5mmシングルエンドですから、負荷をかければイヤホンケーブル側のクロストークもありますし、この程度なら聴感上問題無いレベルだと思います。

Nutube回路について

HA-KITではNutubeの駆動に必要なドライブFETを含む周辺回路一式がサブ基板に集約されているため、この部分がKORGの腕の見せ所だと思います。

Nutubeサブ基板の裏側

Nutubeサブ基板の内容ですが、まずTLV61046Aというチップで乾電池の+3Vを+26Vに昇圧して主電源を作っています。このチップの本来の用途はOLEDや液晶パネルの電源用なので、NutubeがVFD(蛍光表示管)由来であることを思い出させてくれます。

一般的なVFDは+12V駆動が多く、このTLV61046Aチップも+12Vを想定していますが、HA-KITではチップの上限近くの+26Vで動作させています。

ちなみに、この昇圧チップをメイン基板のオーディオ回路電源にも利用しているため、オペアンプも+26V片電源で動かしています。

もう一つ、TPS62510という降圧チップで+0.7Vを作り、Nutube用ヒーター電源に使っています。Nutubeは直熱管なので、ここの電圧・電流供給を安定させることが最重要ですから、かなり念入りに作られています。

HA-KITはNutubeの評価ボードという側面もあるため、ポテンシャルを最大限に引き出すために、このサブ基板はトラブルの余地が無いように真面目に作り込まれているという印象です。

また、これらの電源ICのおかげでNutubeの駆動やオーディオ回路が電池の電圧に関わらず常に定電圧駆動しています。おかげでエネループなど電圧が低い充電池を使っても新鮮なアルカリ電池と同じ駆動が得られるのは大きなメリットです。

電源ノイズは大きいです

ただし、このNutubeサブ基板はピュアオーディオ用としては懸念もあります。特に電源ICがNutubeと隣接しているので、PWMスイッチングによる物理的な振動や電気的な共振の心配もあります。オペアンプ電源を観測しても1MHz付近のノイズが結構見えます。

乾電池駆動のポータブルヘッドホンアンプですから文句は言えませんが、もうちょっと高価なオーディオアンプにNutubeを導入するためには、電源に余裕を持たせるか完全に分離する方が良いと思うので、そのためにも、もう一回り上等なレファレンス基板があっても良いと思います。

オーディオ回路

HA-KITにはNJM4580とMUSES01という二種類のオペアンプが付属しています。オペアンプを交換して音質差を楽しむのは、古くからヘッドホンアンプにて行われてきた伝統芸なので、こういう配慮は嬉しいです。

ソケット引抜工具が入ります

基板上にソケット引抜工具が入るスペースも開けてくれているのも良いですね。(初心者向けキットということで、引抜工具も付属してくれたら良かったと思います)。

NJM4580はドライブオペアンプとしては実質的スタンダードと言える定番のバイポーラ型で、一方MUSES01は同じJRC製の「高音質」オーディオ用JFET型です。

当然の事ながら二回路型が必要なので、OPA627など一回路型オペアンプを入れても動きません。個人的には、ペア用アダプターが入るように周辺スペースをもうちょっと開けてくれたらなお嬉しかったです。

オペアンプはシャーシアース基準の26V片電源駆動で、13Vの固定バイアスなので、もし別のオペアンプに交換したい場合は、ちゃんとこの仕様に対応しているか確認が必要です。

ほとんどのモダンなオーディオ用オペアンプは30V以上の片電源に対応しているので大丈夫ですが、いくつか15V上限とか、オフセットが嫌いなオペアンプなども存在するので、あれこれ入れ替える前にデータシートをちゃんと確認してみてください。

付属の電解コン

オーディオ信号経路はかなり多くの電解コンを通るため、このあたりが音質に影響を与えるだろうと思います。

入力、NFB、MOSFET後にそれぞれ10μFで、ヘッドホン出力に220μFです。MOSFET後のみ前後ともオフセットされていることもあり、気前よくバイポーラ型を使っているため、組立時は混同しないよう注意が必要です。あと負帰還に12nFのフィルムコンがあります。

こういったDIYキットの常套手段として、コンデンサーを高級オーディオグレード品に交換するのも楽しみですが、電源バイパスと信号DCブロッキングでそれぞれ用途もレベルも異なるため、無闇に容量を上げたり高価な低ESR品に交換すれば良いというものでもありません。高周波スイッチングもありますから、寄生LC共振で不安定になったりノイズが大きくなることもあります。

入れ替えてみました

一通り素組みで一週間ほど聴いてみてから、せっかくなので、電解コンのみニチコンやパナなどで色気のあるグレードに交換してみました。

音がシルクのように美しくスムーズになった、なんて言う気はありませんが、ビジュアル的に気分が良いです。フィルムコンは残念ながら手持ちでカッコいいのが無かったのでそのままです。

ひとつ残念なポイントとして、基板上にあまり余裕が無いため、パーツ選択に限りがあります。たとえば電源周りもグラウンドを強化したりパスコンをパラで入れたり、もしアルカリ電池以外を使うならリップル対策などももうちょっとこだわりたいですが、物理的なスペースがありません。

他にも、自作キットといえば、固定抵抗を手作業でマッチングしたりVRを高精度高ターン品にしたりするなども定番ですが、その点HA-KITは表面実装が多く、コンパクトに凝縮されているため物足りないです。


ところで、真空管というと電磁誘導ノイズに敏感、というイメージがありますが、HA-KITは意外なほどに外乱の影響が少ないです。大きなトランス電源などに隣接させても、いわゆる交流ハムノイズは聴こえません。

スマホの電磁波には敏感なので、スマホとスタックする際や、DAPでも無線LANやBluetoothを入れた状態で繋げる場合は、金属ケースでシールドされている裏面に重ねるほうが良いです。プラスチックの上蓋に隣接した状態だと、電波送受信でたまにプチプチノイズが入りますが、裏面なら大丈夫でした。DAPなどでも同様の現象がよくありますね。

叩いた時の音

Nutubeは他の真空管と同様に振動にも弱いです。スポンジやゴムシートで厳重に対策してありますが、それでも振動の影響はイヤホンからでも観測できます。

無音状態でボリュームを上げてからシャーシを叩くと、「キーン」とワイングラスを叩いたかのような「鳴り」がイヤホンから聴こえます。

ボリュームを最大近くまで上げた状態での話なので、一般的なリスニング音量ではほぼ聴こえませんが、微小レベルでは常に存在していることを意識させられます。

上のFFTでは、安静時はほぼフラットなノイズフロアが、本体を指で弾くと700Hz以下に広帯域の振動ノイズが入り、3~6kHzに三つの明確な「鳴り」が発生しています。とくにグラフ上でカーソルを置いてある5.6kHzの鳴りは他と比べて減衰が非常に遅く、ノイズフロアに消えるまでに5秒くらいかかるので、これが「キーン」というガラスを叩いたような音として聴こえます。

こういった「鳴り」や「鳴き」というのは、常に一定量であるホワイトノイズとは違い、何らかの入力に対して発生するので、これが良い効果として働くこともあり、真空管オーディオの面白さに繋がっています。

スピーカーオーディオでは、スピーカーから出た音が直接、もしくはオーディオラックを伝わって真空管を振動して、それが複雑な電気的な響きを生み出すという、物理的フィードバックと言えるような現象も起こります。ヘッドホンアンプではそのような事は起こりにくいのですが、ヘッドホンの方が細かいディテールの分析力は高いので、微小な効果も聴き取れるかもしれません。

出力とオペアンプ

HA-KITはアナログアンプなので、ヘッドホン出力はライン入力レベルに依存します。

近頃のポータブルDAPなどはライン出力というと2Vrms(5.6Vpp)が多いようなので、今回はDAPから2Vrmsの1kHz サイン波テスト信号を送り、ヘッドホン負荷を与えて、ボリュームを上げて歪みはじめる最大電圧を測ってみました。

ちなみにHA-KITは2.5Vrmsくらいが入力上限のようなので、2Vrmsテスト信号だとかなり高めですね。実際の音楽信号はそこまで高くありませんが。


参考までに、Hiby R6PRO DAPとiFi Audio Hip-dacのヘッドホン出力もグラフに表示しています。どちらも3.5mmシングルエンドにて、0dBフルスケール1kHzサイン波での結果です。

HA-KITは無負荷時は8.1Vppと結構な高電圧が得られました。R6PROやHip-dacの最大音量と比べても遜色無いです。もちろんスマホなどラインレベルが低いソースを使った場合は相対的に出力が下がります。たとえばiPhoneの白いアダプターをボリューム最大(1Vrms・2.8Vpp)で接続するとHA-KITの最大電圧は1.6Vrms(4.5Vpp)くらいになりました。

ちなみに、基板のVRを調整すれば9Vppくらいまで出せたのですが、左右のバランスと歪みを考慮するとグラフの数字くらいが上限でした。

付属オペアンプ

グラフ上で二種類の付属オペアンプ(NJM4580とMUSES01)の違いを見ると、低インピーダンスでのドライブ力はNJM4580の方が粘り強いです。データシートを見ても確かに優秀です。

HA-KITの公式スペックでも、NJM4580で80mW、MUSES01で50mW(33Ωにて)と書いてあります。今回の実測だと86mW・48mWくらいの計算になるので、ほぼスペック通りです。


同じテスト信号で、無負荷時にボリュームノブを1Vppに合わせた状態で、負荷を与えて電圧の落ち込みを見てみます。

HA-KITは回路図を見ても10Ωの出力抵抗があるので、それが直接現れています。つまり出力インピーダンスに関してはオペアンプの違いは影響しません(そのためグラフ線もぴったり重なっています)。

公式スペックにも10Ωと書いてあり、ヘッドホンインピーダンスは15Ω以上を推奨というのもダンピングファクターの点からも納得できます。インピーダンス変動が激しいマルチBA型IEMイヤホンとかを鳴らすとかなり個性的なサウンドになりそうです。

そんなHA-KITと比べてみると、Hip-dacやR6PROは最新設計のヘッドホンアンプ回路を搭載しているだけあって、出力インピーダンスはほぼゼロに近い完璧な定電圧駆動を維持できています。

オペアンプ交換

近頃のDAPなどはオペアンプではなくディスクリートかLME49600・TPA6120といったヘッドホンアンプ専用ICを搭載しているため、それらと比べるとHA-KITはドライブ力不足は否めないですが、趣味の自作キットとしてはこれくらいシンプルな設計で良いと思います。

HA-KITはオペアンプを交換して聴き比べできるよう配慮されているのですが、選び方には注意が必要です。

いわゆる「オーディオ用高音質オペアンプ」と呼ばれているものの多くは、高感度、広帯域・低雑音といった性能を重視しており、あくまでプリアンプ用として、パワーは問題外なので、8Ωとかのイヤホン・ヘッドホンをそのまま駆動するような動作は考慮していません。F1レーシングカーでジャングルの泥道を走るようなものです。

先程のグラフを見てわかるように、100Ω以上のヘッドホンであればほとんどのオペアンプで歪む前にボリュームノブが頭打ちになりますが、それ以下だとオペアンプによっては電流不足に陥り、小音量でも歪みが顕著になるものもあります。よく「オペアンプ聴き比べ」なんて話もありますが、「このオペアンプは格別な美音だ」なんて言って歪みまくりの音を聴いていては本末転倒です。


参考までにTI・バーブラウンの定番オペアンプを入れ替えて、先程と同じように歪みはじめる最大電圧を測ってみました。

グラフ上で出力が高い順からNJM4580D (DIP8)、 MUSES01 (DIP8)、 OPA627SM (TO-99)、 OPA1612A (SOIC)、 OPA2107AU (SOIC)、 OPA2132U (SOIC)、 といった順です。OPA627のみ一回路タイプで物理的に入らないので下駄を重ねました。

色々交換するのも楽しいです

HA-KITのVRはMUSES01で合わせたままなので、各オペアンプごとに再調整すれば結果も若干変わると思いますが、聴き比べという観点からは現実的ではありません。特にOPA1612Aとかはもっと伸びしろがあるのでVR以外にも定数を色々変えたいですが、そこまでしてまで使う気にもなりません。

グラフを見てわかるように、HA-KITで低インピーダンスでのドライブ力を望むならNJM4580に勝るオペアンプはなかなかありませんが、それはあくまで歪まずに大音量が出せるという事であって、必ずしも音質面でベストというわけではありません。

ようするに、用途に応じて音質と音量の兼ね合いで、ちゃんと検討すべきだという事です。また、オペアンプごとにクリッピング時の歪み方も違うので、どうせ歪むならソフトに歪む方が音が良い、という選び方もできるかもしれません。

音質とか

HA-KITはアナログアンプなので、接続したソースによって音量や音質は大きく変わりますし、自作キットという性格上、組み上がりや調整次第でさらに違いが生まれるため、音質の評価は難しいです。

今回は、改造無しのオリジナル状態で、オペアンプはMUSES01、VRはスペック通りにTHD+N < 0.15%に収めるよう調整した状態で使ってみました。ソースはHiby R6PROの2Vrmsライン出力モードです。

HA-KITはボリュームノブ位置によってオペアンプの動作条件が変わる設計なので、音質にこだわるならボリュームノブとラインレベルの両方を調整してベストな条件を模索するのが良いと思います。


まず意外だったのはバックグラウンドノイズの低さです。感度が異常に高いイヤホンとして有名なCampfire Audio Andromedaを装着しても、ホワイトノイズはほとんど聴こえません。一般的なDAPやポタアンか、それよりも静かなくらい、ノイズレベルの低さは優秀です。

ボリュームノブを上げても雑音は少なく、非現実的なくらい大音量にして本体を叩くと、ようやく先程述べた「ワイングラスを叩いたような」ノイズが聴こえる程度です。


肝心の音質ですが、手持ちのイヤホン・ヘッドホンで一週間ほど色々と試してみましたが、R6PRO DAPから聴くのと比べると、音色が確かに違います。他にもAK DAPやiFi Audio nano iDSDなどをソースとして使ってみましたが、それぞれ単体で使うのとHA-KITを通すのでは音の感触が明らかに違います。HA-KITは値段やシンプルさから想像していたよりもはるかに音が良く、期待以上の結果に驚きました。


Sound Liaisonレーベルから、Gidon Nunes Vaz Quartet 「Embrace Me」を聴いてみました。トランペットがリーダーのしっとりしたジャズカルテットで、Featuring Denise Jannahと書いてあるように、全6曲中4曲で女性ボーカルが入っています。

とくに音質が良いことで注目しているレーベルですが、今回はかなりベタで聴きやすいボーカルジャズなので、サウンドチェック用としても万人にオススメできます。


HA-KITのサウンドについて簡単に言うと、厚みのある雰囲気の中で、中高域に綺麗な響きが乗る、落ち着いた美音です。情報よりも雰囲気、写真よりも絵画といった感じでしょうか。

周波数特性に関しては、高音がこもっているとか、低音がモコモコするといった目立ったクセは無く、つまり一般的なDAPなどと比べても狭くは感じません。キックドラムの低音やハイハットの高音といった帯域の両端も、DAPとHA-KITでどちらが強い弱いといった印象はありません。

HA-KITの最大の特徴は、音色の質感が豊かで魅力的である点です。いわゆる「艶っぽく、しっとりしている」と表現できそうです。ボーカルも楽器も、出音の構成音が厚く内側から溢れ出るような鳴り方で、それだけで聴き入ってしまいます。バンド全体がアンサンブルを行っている時でも、リズムセクションの背景の中から歌手やソロが浮かび上がってきます。注意をそらすような邪魔が入らず、ただ美しい音色だけをじっくりと堪能できます。

R6PRO DAPで同じ楽曲を聴いてみると、アタックや残響など目まぐるしい情報に翻弄されて、音色に集中できていないように感じてしまいます。本来こちらのほうが高解像で正しい(つまり一般的な高性能ヘッドホンアンプとして普段から聴き慣れた)サウンドです。どちらが正しいというよりも、聴き方が変わってしまいます。映画を見る際に、ストーリーと演技を重視する人か、セットや小道具に注目する人かの違いみたいなものです。

HA-KITのもう一点の特徴は、中高域に輝くような響きが付加されている事です。刺激的な刺さりとはちょっと違う、もっと厚みが感じられる響きなので、なんというか、グランドピアノでコードをフォルテシモでガーンと叩いた時に聴こえる沢山の金属弦が響いている音が綺麗に聴こえる、みたいなイメージです。

これは先程確認した、本体を叩くと鳴るガラスっぽい音に関連しているのかもしれません。この響きのおかげでサウンド全体が重苦しくならず、輝かしい雰囲気が生まれています。これらはオペアンプを交換しても必ず感じられるので、Nutube回路によるものでしょうか。

空間展開については、演奏の音像はそこまで遠くではないのですが、そこからリスナーに向かってくる刺激音(高音の刺さりや低音の圧力)が耳元に飛んでこないで、演奏と同じ定位置で鳴っているものをこちらから観察しているような聴き方になります。

いわゆるアナログっぽい緩やかなコンプレッション感があり、ダイナミクスや空間定位の緩急がなだらかで、ヘッドホンであっても目まぐるしいサラウンド展開が起こらず、遠くのスピーカーのような、もしくはジャズバーやホテルラウンジの生演奏のように、演奏と自分の間に絶妙な距離感があります。

そんな緩いサウンドが不明瞭にならないのは、先程述べた、音色の質感が強調され、中高域に輝かしい質感があるおかげです。余計な雑音に気を取られず、ボーカルやトランペット、ピアノなど、聴きたい楽器の音色を存分に味わうことができるのが良いです。

しかも、HA-KITがとりわけ良いと思えたのは、この音色の魅力が発揮される帯域が極めて広く、さらに楽曲の品質に関わらずに良い効果をもたらしてくれる事です。Nutubeによる倍音のアップスケーリング効果なのでしょうか。味気ないドライなアルバムでも、HA-KITを通すと音色の魅力が倍増します。

この手のポタアンというと、アナログ回路の作り込みに妥協が必要なので、音色に関しても特定の帯域のクセだけが目立ってしまうモデルが多いのですが、その点HA-KITは演奏全体が破綻せず、どんな楽器でも質感や輝きが増すという点が優秀です。

HA-KITの弱点を挙げるとすれば、それは単純に「レファレンスモニターっぽくない」という点のみに尽きます。音色も空間展開も明らかに演出を「盛って」いて、普通とは違います。つまりどんなアルバムを聴いても「HA-KITを通した音」になってしまうという事です。

たとえばRMEやMytekといった圧倒的なスペック重視のブランドとは真逆の存在なので、さすがに毎日HA-KITを使っていたら、そのうちそういったカチッとした高解像サウンドが聴きたくなると思います。

しかしそんなレファレンスサウンドをHA-KITに求める人はいないでしょうし、普段とは全く異なる音楽の表情を見せてくれるという事はむしろプラスと言えるかもしれません。


ノルウェーのLAWOレーベルから、ワシリー・ペトレンコ指揮オスロ・フィルハーモニー管弦楽団のリムスキー・コルサコフ管弦楽集を聴いてみました。イタリア奇想曲、ロシアの復活祭、シェヘラザードの三曲です。DXD録音で、音質は言うまでもなく極上です。


HA-KITのようなポタアンというと、フルオーケストラなど重厚で音数が多い楽曲は不得意で、持て余してしまうだろうと思っていたのですが、意外と良い音で鳴ってくれました。

とくに今作のように最先端録音技術を導入している作品は、音色自体は比較的軽く、コンサートホール全体の情景をクリアに描く方向です。最先端ハイエンドオーディオで聴くと確かに壮大なスケール感に圧倒されますが、楽器の音色は薄味です。

そこでHA-KITを通すと、先程のジャズアルバムと同様に、楽器の音色が強く出るため、ヴァイオリン、ハープ、クラリネットなど、その時々で主役となる楽器がソリストとして浮かび上がり、美しい音色を奏でます。

雰囲気としては、50~60年代のクラシック録音のように、主要な楽器にスポットを当てていく感じで、しかも古い録音にありがちなオンマイクな粗っぽさが無いので、聴きやすいです。

音数が少なくなるというか、メインでない音は緩い背景になるので、なんとなくポップスのオケアレンジみたいな雰囲気になります。管弦楽法の権威であるリムスキー・コルサコフからすると不本意かもしれませんが、おかげでシェヘラザードでもメロディラインが強調され、一連の長い組曲のストーリー性が伝わりやすくなります。

高性能DAPとかで聴いたほうが全体の細部まで聴き分けられるため、その方が優れている事は確かなのですが、この手の重厚なオーケストラ作品は、初心者だと展開の流れが掴めずに、ただ長いだけで何を聴いているのか意味がわからない、という問題に陥りがちです。HA-KITは簡潔に親しみやすさや理解力を与えてくれるため、クラシック嫌いな人でも全編通して聴いてみる気になるかもしれません。

DT1770PRO

HA-KITと相性の良いイヤホン・ヘッドホンについてですが、味の濃いヘッドホンアンプであることは確かなので、基本的にドライなモニター系モデルに風味を乗せるような使い方が最善だと思います。

音量には余裕があるので、250ΩベイヤーダイナミックDT1770PROでもボリュームノブ40%程度で十分な音量が得られました。この手のカチッとしたスタジオモニターヘッドホンは分析能力が高いので、HA-KITの特徴も伝わりやすいです。

上の写真では、iFi Audio Nano iDSD BLの背面ライン出力にHA-KITを繋げておけば、普段はNano iDSD BLで、気が向いたらHA-KITという風に切り替えて使い分けられます。

他にもゼンハイザーHD660S、Shure SRH1840、Hifiman各種など、薄味な開放型ヘッドホンに色艶を加えたり、UltrasoneやGradoの派手さを落ち着かせたりといった使い方も良いです。

イヤホンでも、たとえばShure SE535のような、クリアだけれどエッジが強めなサウンドのBAイヤホンも、HA-KITを通すことで鳴り方がゆったりして、高音もマイルドで耳当たりが良くなります。

ちなみにSE535は公式スペックによると1kHzで36Ωですが、実際は5.3kHzで9Ω以下になるので、論理的に考えればHA-KITとの相性は最悪です。しかし、逆に言うと、それだけ大きな効果があるという事でもあります。



最後に、せっかくなので、オペアンプをいくつか入れ替えてみたところ、それぞれ独自の個性が聴き分けられました。中域の音色はそのままで、空気感や低音・高音の両端に独自の特徴が生まれる感じです。

付属のMUSES01とNJM4580では、個人的にはイヤホン・ヘッドホンともに、MUSES01の方が好みでした。

ドライブ力はNJM4580の方が高く、サウンドもこちらのほうがクリアでダイナミック、無音と出音の差がクッキリと現れるような感じです。一般的なヘッドホンアンプに近いのはこちらなのですが、出音が若干硬いと思えることもあります。

MUSES01の方が音が厚く、不明瞭だと感じる人もいるかもしれません。しかし特に楽器の音色の美しさが映えて、全体のバランスも上手くまとまっているので、HA-KIT全体のコンセプトに合っています。

さらに、定番のOPA627も試してみたところ、やはり永遠のエースだけあって、サウンドにも独自の魅力があります。空間のスケールが広く、個々の音色はスリムになりますが、独特の空気のテンションというか気迫が感じられるので、とくにオーケストラなんかには良いかもしれません。他にも、OPA1612はNJM4580に近くクリアですが硬くカチッとしすぎている感じで、逆にOPA2132だとキラキラしすぎて土台が軽い印象です。

そんな感じに、オペアンプ交換というのは少ない投資であれこれ遊べるので、自作キットアンプの楽しみとして有意義です。とくにHA-KITは前段の特性が良好で、オペアンプをドライブ用として酷使するため、音の違いが現れやすいです。私はMUSES01でこのまま使い続ける事にしました。

おわりに

KORG Nu:Tekt HA-KITは期待以上に有意義な購入でした。普段こういうキットアンプはちょっと遊んだらゴミになりがちですが、今回は違います。周りの友人にも聴かせたくなるような魅力的なサウンドで、初心者向け自作キットとしても非常に良く出来ています。

個性的な鳴り方ですが、それが悪いクセになっておらず、とりわけ不満もありません。決してレファレンス的な高解像サウンドではありませんが、そもそも乾電池駆動のアナログポタアンにそれを求める人はいないでしょう。

実際のところ、HA-KITは単なるネタ的なガジェットや入門機に留まらず、多くのヘッドホンマニアにとっても、買って損はない実用的なヘッドホンアンプだと思います。

まず、ほとんどのヘッドホンマニアは、すでに高性能DAPや据え置きヘッドホンアンプを所有しているだろうと思います。

そして、オーディオ趣味の定番の悩みとして、ある時期に差し掛かると、そのままレファレンススペックを追求すべきか、それとも個性的な味わい深さを追求するか、という岐路に必ず立たされます。

たとえば私の友人でも、ついこのあいだまでメジャーな最先端DAPなどを使っていたのに、現在は据え置き真空管ヘッドホンアンプにのめりこみ、ビンテージプリ管に10万円、桐箱入り整流管に20万円、といった散財を繰り返しており、しかもどれも一種類では済まず骨董コレクションを築き上げています。

そんな明らかな泥沼にハマってしまうのは、普段から聴き慣れている音楽において、高性能オーディオをどれだけ買い換えても決して味わえなかった「何か」を、スペック面では劣るはずの真空管アンプで体験できたからです。

HA-KITというのは、そんな特別な体験を、最安値、最短距離で味わえる、という意味で、オーディオマニアにもオススメできます。普段のサウンドから脱する気分転換として、気が向いたらちょっとHA-KITを通してみる、といった非日常が手軽に味わえるツールです。

出力インピーダンスやパワーを見てわかるとおり、スペック重視とは真逆の主観の世界ですので、HA-KITが数十万円のハイエンド真空管アンプと比べて劣っているとはあながち言い切れません。現状では高性能ヘッドホンアンプは多くのメーカーから購入できますが、逆にHA-KITのようなサウンドは特異な存在です。(値段も考えればなおさらです)。


今回HA-KITについては非常に満足していますが、今後の展望として、個人的に期待したい事が二つあります。

まず、技術的に困難なのかもしれませんが、Nutubeでパワー管や整流管などのバリエーションが増えて欲しいです。五極管でUL接続プッシュプルとか、そういうのも作れてこそ次世代の真空管だと主張できると思います。まだまだ6P1型Nutubeのポテンシャルはあると思いますが、やはり楽器・オーディオともに、せめて5W程度でも出せるパワー型のNutubeがあれば夢が広がります。


また、KORGオーディオラインナップとしては、今回のHA-KITが2万円台で、本気の据え置き型Nu 1は45万円と、Nutube搭載機に大きなギャップがあります。

個人的には、10万円くらいでNutubeを活かしたヘッドホンアンプがあれば興味がわきます(売れるかどうかは別ですが・・・)。

据え置きとポータブル、DAC搭載とアナログ、色々と方向性はあると思いますが、たとえば10万円付近のポータブルDACアンプというとmicro iDSD BL、SU-AX01、Chord Mojoくらいしか思いつきませんし、据え置きだとHP-A8、HP-AMP1、HA-501などはずいぶん古くなってきました。新作イヤホン・ヘッドホンが続々登場しているのに、音自慢のヘッドホンアンプは意外と選択肢が少ないです。それだけ好評なモデルは息が長くロングセラーになりうるという事でもあります。

KORG Nu 1は高価ですが、A/D変換やフォノアンプなど、あまりにも多機能すぎて、肝心のDACプリ部分にどれだけコストを割いているのかイマイチ不明だった点や、ヘッドホンアンプ回路についてほとんど言及されいない点などが個人的にマイナスでした。せっかくDSDやDSPが得意なKORGなのですから、純粋にDACプリ・ヘッドホンアンプに絞って、なにか独自の多段ビットストリームのPDMをNutubeでスイッチングとローパス、みたいなユニークな回路があれば面白いのに、と期待してしまいます。

なんにせよ、現状ハイレゾDACプリやヘッドホンアンプ業界の進歩がかなり停滞気味なので、(だからこそ新製品が少ないのでしょうけれど)、新たなポテンシャルとして個人的にNutubeへの期待が大きいです。今回のHA-KITを聴くことで、そんなNutubeとKORGのポテンシャルに納得してもらえると思います。