2020年11月6日金曜日

iFi Audio ZEN CAN ヘッドホンアンプの試聴レビュー

 iFi Audioから低価格アナログヘッドホンアンプ「ZEN CAN」を試聴してみたので、感想を書いておきます。

iFi Audio ZEN CAN

2020年9月発売、価格は約27,000円です。これくらいの価格帯で据え置きアナログヘッドホンアンプというのは意外と珍しい存在です。

ちょっと前に発売したZEN DACとセットで使うのが理想的ですが、DAPなどと合わせて大型ヘッドホンを鳴らすためのブースターアンプとしても使えそうです。


ZEN DACとZEN CAN

英国iFi Audio製品は2014年のmicro iDSDの頃から個人的に愛着があり、信頼しているブランドなので、2020年も続々と新作を投入して頑張っているのを見るのは嬉しいです。

数ヶ月前に「ZEN DAC」というUSB DACヘッドホンアンプが出ており、2万円という低価格ながら高性能・高音質ということで好評に売れているそうです。他にもBluetoothレシーバーの「ZEN BLUE」やフォノアンプ「ZEN PHONO」など、同じシャーシサイズで必要に応じてシステムが組めるようになっています。

近頃はポータブルやワイヤレスなどの話題が多いですが、それでもやっぱり据え置き型のヘッドホンオーディオというのは一定の人気があるんだな、という事実を再確認できました。

ZEN DACとZEN CAN

今回iFi Audioから登場したZEN CANというのは、そのZEN DACと同じシャーシデザインでDAC非搭載のアナログヘッドホンアンプに特化したモデルです。

単純にZEN DACからDAC部分を取り除いたモデルというわけではなく、むしろ価格はZEN DACの2万円に対してZEN CANは27,000円と高価になっています。

ZEN DACの方はUSBバスパワー駆動を前提に設計しているため(一応ACアダプターでも動きますが)、ヘッドホンアンプのパワーもそれで制限されてしまっていたのですが、今作ZEN CANはACアダプター駆動を前提に、より強力なヘッドホンアンプ回路を搭載しているため、ZEN DACと比べて飛躍的なパワーアップを果たしています。

つまり、すでにZEN DACを所有している人でも、ZEN DACのライン出力からZEN CANを通すことで、よりパワフルなヘッドホンアンプシステムを構成することが可能になります。

DAPのライン出力からZEN CAN

他にも、普段はイヤホンとポータブルDAPを使っているけれど、大型ヘッドホンを駆動するにDAPではちょっと非力だと感じているなら、DAPをラインソースとして使い、ZEN CANを追加することで、強力な据え置きシステムが完成します。

Chord Qutest DACからZEN CAN

さらに、スピーカーオーディオシステムのUSB DACやフォノアンプなどのラインソースから手軽にヘッドホンリスニング環境を追加するにも理想的な商品です。

このように、DAC非搭載のアナログヘッドホンアンプというのは様々な場面での使い道が思い浮かぶので、ZEN DACとはまた異なる魅力があります。

とくに、すでに優れたDACやDAPなどを所有している人なら、あえて新たに据え置きDACアンプ複合機を買うよりも、普段から聴き慣れたDACの音を活用できるアナログアンプの方が親しみやすいですし、コストパフォーマンスも高いです。

一昔前なら、この手のアナログのみのデスクトップ機器は種類が多かったのですが、最近は意外と新作の選択肢が少なく、しかも据え置きヘッドホンアンプというと10万円を超えるようなハイエンド機ばかりです。そんな状況において、颯爽と登場したZEN DAC・ZEN CANの人気が出るのも納得できます。

Pro iDSD・Pro iCAN

ZEN DACとZEN CANの組み合わせは、iFi Audioの最上級機Pro iDSD・Pro iCANの関係性に似ています。それぞれ各30万円超の超高級機です。

Pro iDSD単体でも優れたヘッドホンアンプを搭載したDACアンプ複合機ですが、さらにアナログヘッドホンアンプPro iCANを追加することで飛躍的なパワーアップが実現でき、さらにクロスフィードや低音ブーストなどの追加ギミックも楽しめます。これらの機能はZEN CANにも搭載されています。

ZENとProの大きな違いは、価格相応の内部回路の作り込みの差は当然ありますが、それ以外では、Proには真空管プリアンプが搭載されており、楽曲やヘッドホンとの相性に応じてトランジスターと真空管を切り替えて聴き比べる事ができる点や、他には、リモコン制御モーターボリューム、多彩なデジタルアップスケーリング機能など、高価なハイエンド機ならではの贅沢な仕様が盛りだくさんですが、根本的な部分での「強力なヘッドホンアンプで、どんなヘッドホンでも余裕で鳴らし切る」という点では、低価格なZEN CANでも同じコンセプトを通しています。

デザイン

ZEN CANは一見ZEN DACと見分けが付きませんが、フロントパネルのボタン類はZEN CANの方が多いです。

上がZEN DACで、下がZEN CAN

どちらも中心に大きなボリュームノブがあり、右側には6.35mmシングルエンドと4.4mmバランスヘッドホン出力を搭載しています。

低価格モデルでもバランス出力を搭載しているのは嬉しいですね。しかも4.4mmは最近普及してきたので、使い勝手が良いです。

iFi Audioは2018年のPro iDSDでは2.5mmバランス端子を採用していましたが、それ以降は4.4mmに鞍替えして、Pro iDSDも現行モデルは4.4mmに仕様変更されました。ソニー、ゼンハイザー、オーテクなど、大型ヘッドホンで4.4mmバランスケーブルを付属しているメーカーが増えてきたので、このまま一気にデファクトスタンダードとして定着してもらいたいです(4ピンXLRも良いですが、4.4mmであればDAPと据え置きシステムで兼用できるというのが最大のメリットです)。

ZEN CANはACアダプター駆動なので、左端に電源ボタンがあります。(ZEN DACはバスパワー駆動なので常時ONでした)。その隣は入力切り替え、そしてゲイン切り替えボタンがあります。

ゲインは0dBから+6・+12・+18dBまであるので、ZEN CANのパワフルさを暗示しています。ボタンを押すたびに巡回するのですが、0dBに戻すには+18dBの大音量を通らないといけないので、その点はちょっと使いづらいと思いました。

ボリュームノブはクリック無しのスムーズなアナログポットで、目立ったギャングエラーなども無く、使いやすいです。ただしエンコーダーではなくアナログポットなので、できれば半分くらいまで上げた状態で適正音量が得られるようにゲインを設定するのが理想的です。ポットは定番のALPSではなくTOCOSというメーカーを使っていると公式サイトに書いてありますが、たしかに自作界隈などでも小型ポットでは好評なメーカーです。

さらに右端のボタンは低音ブーストのXBassとクロスフィードの3D Holographic、もしくは両方を有効にする巡回ボタンです。それぞれに白色LEDが点灯するので、試聴時には確認してください。

どちらも古くからiFi Audioでは定番のギミックです。XBassは低音というよりも聴き取れるかギリギリの超低音をブーストするので、モコモコ厚くなるのではなく、ダンスミュージックなどで体が震える感覚を増すような感じです。3D Holographicはステレオ定位が不自然な録音ほど効果を発揮するので、位相が自然なクラシックとかだとほぼ違いがわかりませんが、古いポップスなどで左右のパンが耳障りでヘッドホンでは聴きづらい楽曲などでは重宝します。

質感がちょっと違います

単純に製造ロットの違いからかもしれませんが、ZEN DACとZEN CANで天板の質感が随分違いました。ZEN DACはザラザラ、ZEN CANはスムーズです。色合いも微妙に違いますね。

上がZEN DAC、下がZEN CAN

電源はDC5Vのアダプターを使います。ちなみにZEN CANは英国ではベーシックなアダプターが付属しているやつと、高品質なiFi Audio iPower 5VというACアダプターが同梱しているセットがあるのですが、日本では主に「ZEN DACスペシャルパッケージ」という名前で、iPower 5Vが付属しているものが売っているようです(初回限定なのでしょうか)。このiPowerは普通のACアダプターと比べてノイズが少ないということで、単品で5,000円くらいするので、セットで買っても損はないと思います。

もちろんDC5Vでしたら社外品でも高品質なリニア電源とかは色々手に入りますし、iFi Audioからも、もっと高価なiPower Xや、iPurifier DCという電源フィルターも出ています。個人的な経験則として、安価なオーディオ機器ほど内部の電源回路にお金をかけられないため、電源品質による音質差が現れやすいと思います。逆に超高級オーディオ機器というのは、オーディオ回路自体は非常にシンプルであっても、それを取り巻く電源やグラウンド、シールドなどを徹底しており、それが実際に音に現れ、それにコストが掛かっていると言ってもいいくらいです。

電源入力以外では、裏面には三系統のライン入力端子があります。一番よく使うのはステレオRCA端子だと思いますが、さらに3.5mm入力もあります。ちなみに説明書によるとRCAの最大入力電圧が3.8Vrmsなのに対して3.5mmでは1.92Vrmsと書いてあるので、3.5mm入力はあくまでスマホ用と割り切って、2Vrmsライン出力のあるDAPなどからは3.5mmではなくRCA入力を使ったほうが良さそうです。

別売の4.4mmラインケーブル

さらに、ユニークなアイデアとして、ZEN DACからZEN CANへのバランスライン接続のために、4.4mmバランスライン入出力端子があります。

4.4mmバランスプラグをラインケーブルとして使うアイデアはこれ以外ではほぼ見たことが無いので、今の所はZEN DAC・ZEN CAN専用と言ってもいいでしょう。あと思いつくのはOriolusとかくらいでしょうか。

ちなみにこのケーブルは付属していないので、今回は試しませんでした。自作できる人ならXLR→4.4mmバランスライン変換ケーブルとかも作るのは容易です。

個人的には、本来ヘッドホン駆動(つまり高電圧・高電流)用であるべき4.4mmを、しかも出入力ともに4.4mmプラグでラインケーブルとして使うのは、あまり快く思いません。

こういうケーブルが存在してしまうと、無知な人の手で、別の機器にて逆挿しアクシデントで壊してしまう可能性があるからです(ヘッドホンアンプ出力から別のヘッドホンアンプ出力につなげてしまうなど)。

近い例があるとすれば、スピーカーケーブルのスペードやバナナをライン信号に使うようなものです。RCAケーブルも出入力に同じプラグ形状を使っていますが、あちらはラインレベルでパワーの弱い信号を扱うものです。バランスラインケーブルはやはり逆差しリスクが無いXLRが最善だと思いますが、ZEN CANではスペース余裕が無いので4.4mmを選んだのでしょう。

ZEN DACと接続

今回の試聴では主にこのように接続しました。ZEN DACはUSBバスパワーで音楽データと電源を供給、紫色のRCAラインケーブルは付属品(意外と悪くないです)、ZEN CANの電源はiPower 5Vです。

出力とか

ZEN CANはアナログアンプなので、迎え入れるライン入力レベルによって音量は変わります。今回はZEN DACのRCAライン出力を固定「Fixed」にして使いました。ZEN DACにて0dBFS 1kHzサイン波信号を再生すると、RCAライン信号は約2Vrmsになるので、一般的な部類です。

スペックによるとRCA入力での最大許容入力は3.8Vrmsだそうなので、Chordとかの3Vrmsライン信号でも大丈夫そうです。

まずボリュームを上げて歪みはじめる(>1%THD)最大電圧(Vpp)を測って、他のヘッドホンアンプと比較してみました。実線がバランス出力で、点線がシングルエンド出力です。参考までに、パワフルなDAPの例としてAK KANN CUBE、一般的なDAPの例としてソニーZX507と比べてみます。

こうやって比べてみると、ZEN CANの圧倒的な出力ゲインとパワーに驚かされます。公式スペックではバランスで600Ωで15.1Vrmsと書いてあるので、つまり42.7Vppで測定とピッタリ合います。

しかも、この高出力をかなり低いインピーダンス負荷まで維持できていて、50Ωくらいから電流リミットに差し掛かります。さすがACアダプター駆動に特化した高出力設計です。ここまで強力なヘッドホンアンプというのは、重厚なハイエンド機であっても、そうそう無いでしょう。なぜ珍しいかというと、ここまで高出力であると同時に、THD+NやS/N、ダイナミックレンジといった肝心のスペックを維持する設計をするのが難しいからです。とくにZEN DACの誇るTHD+N < 0.0015%、S/N < -116dBといったスペックはかなり優秀です。

ZEN CANと同じくらい高電圧が得られるアンプというと、バランスではPro iCANの65Vpp、ゼンハイザーHDV820の52Vpp、Questyle CMA Twelveの48Vppなど、シングルエンドだとmicro iDSDで28Vppなどが思い当たります。

グラフ上ではZEN DAC/hip-dacも健闘していますが、これらをすでに持っている人でもZEN CANを追加するメリットがわかると思います。

ソニーZX507は悪気があってグラフに載せているのではなく、よく見ると、低インピーダンス側でも出力が落ち込まずにしっかり維持出来ているので、20Ω以下くらいであれば、ZEN DACやhip-dacよりも強力です。つまり、20Ω以下のイヤホンなどを使う人にとっては、むしろソニーのほうがパワーが出せるということで、ZEN CANくらいになってようやくパワーアップを実感できるという事になります。

KANN CUBEの方も、大電圧が得られるのは高インピーダンス負荷にのみ限定しているので、300ΩのHD800Sとかを駆動するには有利ですが、低インピーダンス負荷のイヤホンとかでは一般的なDAPと同程度のパワーです。

このあたりは各メーカーごとに音質とパワーの最善なバランスを模索して設計しているので、どれが正解というよりも、どういったイヤホン・ヘッドホンと合わせるか、という考え方のほうが大事です。

電圧ゲインが高い方が必ずしも良いとは限りませんが、それだけヘッドルームが確保できて、感度が低いヘッドホンでも余裕を持って駆動できるという事ですから、わざわざ据え置き型ヘッドホンアンプを導入する意味としては、重要なポイントだと思います。

つまり、一般的なイヤホンなどではDAPを使い、高ゲインが必要な大型ヘッドホンを鳴らす時にはZEN CANを追加する、という使い方が理に適っているということが、このグラフからも伺えます。

あまりにもゲインが高すぎると、ボリュームノブをちょっと上げただけで大音量になってしまうので、むしろ使いづらくなってしまいますが、その点ZEN CANにはゲイン切り替えスイッチがあるので、必要に応じて適切なボリューム調整が行えます。

ZEN CANのみで、ゲインスイッチを切り替えてみました。実線はバランス、点線はシングルエンドで、さらに破線は裏面にあるバランスライン出力です。ちゃんとライン出力は高インピーダンスで出しているのが確認できます。

まず見てわかるのは、ゲインスイッチの+12dBと+18dBはどちらもボリュームノブを最大に回し切る前に波形がクリッピングしてしまうので、最大電圧は同じになってしまいます。もちろんそれぞれクリッピングが始まるボリュームノブ位置が違うので、ようするに+18dBモードはボリュームをちょっと上げただけで大音量になるハッタリ効果みたいなものです。

これらはZEN DACの2Vrmsラインレベルを入力した時の測定なので、ラインレベルが極端に低いソース(昔のCDプレーヤーとかスマホとか)を接続した場合は+18dBモードを選ぶメリットがあるかもしれません。

余談ですが、オーディオショップの友人に話を聴くと、最近はとくにスマホやパソコンなどをラインソースとして使う人が多く、しかもそれらのボリュームを適切に合わせておらず「アンプの音が小さい!」とか「音がすぐ歪む!」などと文句を言ってくる客が多いそうです。アナログアンプの性能を最大限に引き出すには、ちゃんと定格ラインレベルを送る事が大前提です。(ZEN CANの場合はRCAでは定格2Vrmsです)。

無負荷時にボリュームを1Vppに合わせてから負荷を与えていったグラフです。こちらはバランス・シングルエンド、ゲインスイッチの位置に問わず、ピッタリ重なりました。10Ω程度まで横一直線で、しかもバランス出力を使っても出力インピーダンスの点で不利にならないというのは優秀な設計です。ライン出力のみ、ちゃんと高インピーダンスで出しています。

ところで、ZEN DACとZEN CAN間は4.4mmケーブルでバランス接続もできますが、残念ながらこの4.4mm⇔4.4mmラインケーブルというのを持っていないのでテストしませんでした。どのみちライン信号なので、アンプのパワーには影響を与えないでしょう。

バランスというと、入力から出力まで「完全バランス(?)」でないと駄目だなんていうマニアもいるそうですが、そもそもラインレベルのバランス伝送と、ヘッドホンをバランスで駆動する事(スピーカーで言うところのBTL接続)はメリットや意味合いが全然異なるので、混同すべきではありません。

音質とか

今回の試聴では、ソースとしてHiby R6PRO DAPからUSB OTG接続でZEN DACへ、そしてZEN DACのRCAライン出力でZEN CANを鳴らしました。

ZEN CANの電源はiFi iPower 5Vを使い、ZEN DACの電源はDAPのバスパワーで供給しています。

こんな感じで使いました

ZEN CANの音質について、まず第一に言えるのは、音量が得やすいイヤホンなどを聴く場合なら、ZEN DACとほとんど違いがわからない、というのが率直な感想です。

つまり、ZEN DACをすでに持っていて、ボリュームノブを半分以上まで回すことが無いのでしたら、わざわざZEN CANを買い足すメリットはあまり無いと思います。あるとすれば、XBassと3D Holographicエフェクトを使いたい、という場合くらいでしょう。

HD660S

ZEN DACである程度ボリュームを上げる必要がある場合、たとえば上の写真のゼンハイザーHD660Sとかくらいから、ZEN CANを通すメリットが実感できるようになってきます。

HD660Sはそこまで鳴らしにくいヘッドホンではありませんが、ZEN DACではちょうどボリューム50%程度が適正音量でした(楽曲の録音レベルにもよりますが)。4.4mmバランスケーブルが付属しているので、手軽にバランス駆動が楽しめるというのもメリットです。

ATH-AWAS

他にも、オーテクATH-AWASなんかも、4.4mmバランスケーブル付属で、ZEN DACではボリューム半分を超える事が多かったヘッドホンです。

これらのヘッドホンで、ZEN CANを通すことで具体的に何が変わったかというと、周波数特性や空間展開が変わったようには感じませんが、全帯域にて余裕、安定感、一貫性みたいなものが感じられるようになります。ノイズが増えるとか、そういった心配はありません。

ZEN DACの方では、例えるなら、高音が得意な歌手が無理に低音の方まで歌おうとしているかのような、帯域ごとの表現の差が目立ちます。メリハリの無さ、不安定さ、そして音色そのものの充実感の無さ、空洞感みたいなものが気になります。使い物にならないというほどではなく、ZEN CANと比べてようやく気がつくようなものです。

特に低音側はヘッドホンの振動板を大振幅で動かすためのパワーが求められるため、アンプによる違いがわかりやすいです。逆に言うと、非力なアンプを使った方がヘッドホンごとの違いが現れやすく、それぞれ異なる音痩せのしかたをするのが面白いです。

これはZEN DACに限らず、DAPやバスパワーのアンプで大型ヘッドホンを駆動しようとすると大抵感じられる不満点です。音が薄い、詰まる、息苦しい、といったものが、ZEN CANを通す事で一気に解消されます。極端に鳴り方が変わるというよりも、なんとなく雰囲気が自然になり、長時間聴いていられるようになる感じです。

ZEN CANを通すことによるメリットは、単純に電圧ゲインが高いから、というだけではなく、もっと瞬発力とか過渡特性みたいな部分への貢献があるのだと思います。たぶんACアダプター駆動という点が大きいと思いますが、ZEN DACの方に同じACアダプターを接続しても同じような音は得られないので、やはりZEN CANはアンプ回路全体がACアダプター駆動を前提に設計されているということでしょう。

Ether 2

バランス駆動は必須というわけではなく、シングルエンド出力でも十分すぎるほど強力です。鳴らしにくい事で有名な平面駆動型ヘッドホンをいくつか試してみましたが、どれもしっかりと駆動できて、これといって不満点も思い浮かびません。

Dan Clark Audio Ether 2は平面駆動型でインピーダンスが16Ωという極端に低いため駆動が難しいヘッドホンです。先程の電圧グラフを参考にしてもらえるとわかりやすいですが、16Ω付近では据え置き・ポータブルを問わず、ほとんどのヘッドホンアンプではまともな出力が得られませんし、ZEN DACと比べてZEN CANを通すことで大幅なマージンが得られます。それが実際サウンドにも現れるようで、そもそもリラックスした親しみやすい傾向のEther 2ですが、ZEN CANを通すことでさらに丁寧でコントロール感のある豊かなサウンドになります。

HE-6SE

HIFIMAN HE-6SEは50Ω・83.5dB(/mW?)と、とにかく能率が悪い代表格のようなヘッドホンです。ZEN DACでもある程度の音量は得られますが、音がシャープでスカスカになってしまいます。ZEN CANで+12dBか+18dBモードを選択することで、ようやく「しっかり鳴ってるな」と実感できるようになります。

T60RP

個人的なオススメはフォステクスT60RPとの組み合わせです。T60RPは3万円台という安さでありながら、他社の何十万円もするようなハイエンド平面駆動型ヘッドホンと互角で健闘するような優れたヘッドホンだと思うのですが、50Ω・92dB(/mW?)でずいぶん音量が取りにくいせいで、購入したものの鳴らしきれず後悔した人も多いかもしれません。

DAPなどで聴くとどうしてもスピード感というかアタック部分のタイミングや情報量が不足して、相対的に響きの方だけが強調されすぎて、音抜けが悪く感じてしまうのうですが、ZEN CANを通す事でフォステクスRPドライバーらしい明確な鳴り方とウッドハウジングの響きの調和がとれて絶妙なサウンドが実現できます。

T60RPは片出しケーブルながらバランス化対応なので、フォステクス自身もT60RP専用に各種バランスケーブルや、HP-A4BLという優れたヘッドホンアンプを出しています。ZEN DAC+ZEN CANのセットとほぼ同額になるので、好みに応じて選択肢が増えるのは良いことです。T60RPと合わせて8万円程度でここまでハイエンドな据え置きヘッドホン環境が実現できるというのは、凄い事だと思います。

上流をアップグレードする価値は十分あります

冒頭で、イヤホンを鳴らす程度ならZEN CANのサウンドはZEN DACとほぼ変わらない、というような事を言いましたが、これは結構肝心なポイントです。

単純に、高ゲインが必要でないのならZEN CANは買わなくても良い、という事なのですが、もっと深く解釈するならば、ZEN CANは余計な脚色やクセが少ない、極めてストレートなヘッドホンアンプだという意味でもあります。他社のヘッドホンアンプのようにホットで濃厚な味付けを加える効果を期待しているのなら、ZEN CANには拍子抜けしてしまうかもしれません。

ZEN CANは入力信号を忠実に増幅するという目的を最優先した、透明感のあるアンプだと思います。つまり、上流に何を選ぶかによって、それらのサウンドをストレートに伝えてくれる実力があります。

これは、2万円台の低価格モデルとしては、必ずしも良い事ではないかもしれません。ソースとして適当にパソコンやスマホなどから直出しでZEN CANを使ってしまうと、それら特有のスカスカで刺激の強いサウンドが忠実に増幅されてしまうので、あまり良い音ではありません。そういう場合はむしろ真空管アンプなどを通した方が上流の不具合を隠してくれます。

ZEN CANは低価格モデルとしては異例なほどに、上流のラインレベルソース、そして下流のヘッドホンの音質をそのまま伝える性格、つまりそれだけ伸びしろがあるので、ポータブルDAPやUSB DACなど、何を接続しても、それらの魅力を損なう事がありません。初心者向けの安物というレベルに留まらず、ベテランのヘッドホンマニアがブースター用途に購入しても満足できる仕上がりになっているという点が優秀だと思います。

上の写真のようにZEN DACの代わりにChord Qutest DACを使うと、Chord特有の細やかな流れるような描写が十分に伝わってきますし、Hiby R6PROのライン出力を使うと、普段毎日聴き慣れたR6PROそのままのサウンドが聴こえ、ボリュームノブの上限が拡張されただけのような印象です。この無個性さがZEN CANの凄いところで、むしろ値段が安いからこそ、余計な小細工を入れない事が良かったのかもしれません。

おわりに

ZEN CANは価格以上に優れたアナログヘッドホンアンプだと思いました。2万円台という価格設定で、ヘッドホンを駆動するために必要なエッセンスだけを凝縮した、非常にコストパフォーマンスが高い商品です。

価格差の価値は

もっと高価なヘッドホンアンプを買う意味があるのか、と考えてみると、まず機能面では、ZEN CANは余計な機能を削ぎ落としているので、たとえばリモコンボリュームや入力セレクターなどが欲しいという人もいるでしょう。

ところで、iFi Audioの現行ラインナップを見ると、据え置きシステムはZEN DAC+ZEN CANのセットと、Pro iDSD+Pro iCANのセットで、価格に大きな隔たりがあります。

これらの中間を埋めるようなneo iDSDという新作が発表されましたが、スペックを見る限りではZEN DACやPro iDSDのような複合機の部類のようで、ヘッドホンアンプのパワーのみに限っていえば、まだZEN CANの存在が際立ちます。

ZEN CANはパワーに関しては申し分無いという事は納得してもらえると思いますが、音質面では、コスト的に削った部分として、やはり電源周りなどの物量投入という点に差がありそうです。

ためしにACアダプターをiPower 5Vから別のスマホ充電器に変えてみたところ、パワーダウンや目立ったノイズなどは確認できませんが、背景の黒さというか、無音の静かさが損なわれるような感じで、常に浮足立つような背後のエネルギーみたいなものを感じてしまいます。

他社の高級オーディオ機器というのは、オーディオ信号回路自体に大きな差は無いものの、こういった「周辺環境による音質への影響」を極力排除するために、外堀を埋めるような形で、シャーシや電源などを徹底的に強化するような傾向があります。

このあたりは、もはや測定スペック上での違いとか、チップの品番や回路図を見ただけでわかるレベルではなく、たとえば電解コンデンサーのサイズや数量を変えたり、一本の抵抗を並列で二本組み合わせたりなどの部品単位での話から、基板の引き方やパターンの厚さ、もしくは配線を捩じる回数からネジの締付けトルクまで、すべて経験と感覚をもとに試聴を繰り返して煮詰めていくような、素人では到底たどり着けない世界です。

それらを追求していくことで、安価なアンプでは実現できないようなリアルな音色の再現性や質感の良さ、空間の立体感などを提供するのがハイエンドオーディオの魅力です。

高価な選択肢はいくらでもありますが、では実際のところ、本当にしっかりとヘッドホンを駆動できているのか、という点において、ZEN DACはハイエンドメーカーやマニアへの警鐘となる存在です。

高価なオカルト領域に足を踏み込む前に、たかが2万円台でここまでの事ができるのだから、ハイエンド機ともなれば、最低限これ以上を期待するのが当然だろうという、というレファレンスを提示してくれます。安価な入門機だと思い込まず、ぜひ試聴してみる価値のある商品です。