最近ゼンハイザーとソニーから新しい密閉型ヘッドホンが登場したので、合わせて試聴してみました。
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Sennheiser HD620S・Sony MDR-M1 |
ゼンハイザーHD620Sは5万円台、ソニーMDR-M1は正式には日本未発売なのですが3万円台のようです。どちらも見慣れた定番デザインなので、音質面で過去作からどれくらい進化したのか気になります。
密閉型モニター
私自身、密閉型モニター系ヘッドホンというジャンルに興味があり、新作が出るたびに気になって試したくなってしまいます。とくに今回紹介するHD620SとMDR-M1はどちらも大手メーカーの主力モデルということで、失敗の許されない完成度の高さが期待されます。
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MDR-MV1とMDR-M1 |
ソニーMDR-M1は側面のステッカーに堂々と「Professional」と書いてあるとおり、明らかにプロ用のモニターヘッドホンいう位置づけです。2023年に登場した開放型モニターMDR-MV1と同世代の密閉型モデルという印象を受けます。
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HD560S・HD569・HD620S |
ゼンハイザーHD620Sの方はロングセラーHD500シリーズのデザインを継承しており、公式サイトではオーディオファイルヘッドホンというカテゴリーになっていますが、こちらもソニーと同様に、開放型HD560Sの密閉型兄弟機といった感じで、モニターヘッドホンとして活用したい人も多いだろうと想像します。
ちなみにゼンハイザーはプロ製品のSennheiser electronic SE & Co. KG(ゼンハイザーPro)とコンシューマー製品のSonova Consumer Hearing GmbH(ゼンハイザーHearing)に会社が最近分離したことでややこしくなっています。
HD490SやHD25など明らかな業務用ヘッドホンはゼンハイザーProの製品として取り扱っており、一方HD800SやHD600など本来プロモニターだったはずなのにコンシューマーにも人気なモデルの方はSonova社ゼンハイザーHearingの製品になっています。今回HD620Sもプロモニターを意識したデザインでありながらオーディオファイルモデルと呼ばれている理由もそのあたりにありそうです。
https://www.sennheiser.com/ja-jp |
https://www.sennheiser-hearing.com/ja-JP/ |
公式サイトもプロのsennheiser.comとコンシューマーのsennheiser-hearing.comが別々になったので、商品が見つからないという問題があります。(Proサイトのヘッダーにはコンシューマーに飛べるリンクがあります)。上のスクリーンショットを見ても「マイク°ーステージ」とか「皆の噂のまと」みたいな英語サイトのノーチェック機械翻訳みたいな内容ばかりで、日本語タイプフェイスや改行などのレイアウトデザインも壊滅的にダサいので、各国語のサイト開発をもうちょっと頑張ってもらいたいです。
それはさておき、プロ用のモニターヘッドホンというトピックに話を戻すと、古典的なMDR-CD900STやオーテクATH-M50x、ベイヤーDT770 PROなど、乱暴に扱う備品として2万円以下の低価格モデルが使われることが多かったところ、昨今のヘッドホンブームにあやかって、近頃はもうちょっと高価なモデルが選ばれるようになってきました。
プロのレコーディングスタジオだけでなく、自宅で動画編集などの作業に使う人も増えましたし、そもそも大衆向けのワイヤレスノイズキャンセリングヘッドホンですら4万円くらいする時代ですから、クリエイターとして自分の作品の仕上がりに直接影響を与えるモニターヘッドホンもそれなりに良い物を買いたいという感覚は理解できます。
このあいだブログで紹介したベイヤーDT1770 PRO MK2なんかは格好の例で、2万円台のDT770 PROに対して10万円の上位互換モデルとして好評を得ています。
高級ヘッドホンといえば平面駆動型もありますが、そちらのモニターヘッドホンの例では、AudezeのMM-500というモデルが30万円弱が好評を得てから、続いてMM-100という7万円台のモデルも出ました。7万円というのはダイナミック型の定番モニターヘッドホンと対抗するための戦略的な価格設定だと思うので、そう考えるとやはり最近のモニターヘッドホンの売れ筋価格帯は5~10万円くらいが相場のようです。
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HD569・HD620S |
ゼンハイザーはすでに2万円弱で密閉型のHD569というモデルを出しており、今回のHD620Sはそれの上位モデルになるのですが、そもそも「HD620S」という名前に混乱している人も多いと思います。
というのも、ゼンハイザーは伝統的にHD500シリーズとHD600シリーズで外観デザインを分けていたところ、今作はHD500シリーズのハウジング形状なのに名前はHD600番台になっています。搭載ドライバーの性能がHD600シリーズ相当という意味なのでしょうか。
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HD620S・HD660S2 |
勝手な憶測ですが、もし現行HD660S2と同じクラスの密閉型を作るとなると、たぶんHD600系ハウジングに密閉蓋をつけても良い音はしないので、それなら密閉型としての実績もあるHD500系ハウジングを活用するのは理に適っています。
HD500シリーズはアマゾンのベストセラーHD599SEを筆頭に、テレビや映画鑑賞で長時間使用しても疲れないヘッドホンとして長らく重宝されてきた定番デザインですから、今回そのコンセプトをもとにサウンドを進化させたと考えれば自然な流れです。
HD600シリーズはドライバーが平面配置です |
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HD620Sは傾斜しています |
HD500シリーズとHD600シリーズの違いは、まずケーブルが片側か両側出しかというところが注目されがちですが、それ以上に、ドライバーが平行配置のHD600シリーズに対して、HD500シリーズはハウジング内で若干前寄りで傾斜しており、耳穴よりも前から音が鳴っている感覚が得られます。
さらにHD500シリーズの特徴として、ちょうど耳穴の後ろの位置に角張った部品があり、これは外側から見ればヘッドバンドアームの回転ヒンジ部分なのですが、音響的には耳よりも後ろのサウンドを目立たなくさせるような効果があるようです。
つまりHD600シリーズは耳穴に音を直接届けるイヤホン的なダイレクト感が得られ、一方HD500シリーズは外耳の反射を有効活用することで立体音響を錯覚させる聴こえ方です。この特徴のおかげで映画やゲームなどの立体音響を楽しみたい人はHD600シリーズよりもHD500シリーズが向いています。
そう考えると、HD620Sはモニターヘッドホンとして現代的なニーズに答えるために、あえてHD500シリーズのデザインを選んで正解なのではと思えてきます。つまり音楽作品を単純に左右のステレオトラックとして作り込むよりも、最近話題のAtmosワークフローを筆頭に、動画編集やサラウンド音響など空間的な音作りが求められる環境でHD620Sが活躍してくれそうです。
その点では、同じように最近発売されたソニーのMDR-MV1というモニターヘッドホンも、従来のステレオモニターヘッドホンの固定概念を覆す空間描写に特化したモニターでしたので、大手メーカーは最近のトレンドをしっかり見据えた製品開発をしているのでしょう。
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HD620S |
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意外と高級感があります |
全体的なデザインはHD500シリーズと同じ形状でありながら、実際に手にとって使ってみると、かなり高級感があって驚きます。HD599とかも安っぽく感じるわけではありませんが、HD620Sはさらにワンランク上の重厚感やしっかりした信頼感があり、HD660S2などと並べても遜色ない仕上がりです。
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調整機構 |
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クッション |
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ヘッドバンド比較 |
少し前のモデルHD569と比べると、HD560S・HD620Sはどちらもヘッドバンド中央のくぼみで頭頂部の圧迫感が低減されるデザインになっていたり、HD620Sではヘッドバンドの調整機構もプラスチックではなく金属製になっていたり、定番デザインでも、こういった細かい点で進化が見られます。
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イヤーパッド |
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HD560S・HD620S・HD660S2 |
HD620Sは密閉型ということで遮音性が高い合皮製パッドが付属しています。ドライバーについてゼンハイザーはいつも公式情報が曖昧なので、具体的なセールスポイントがいまいち伝わってこないのですが、HD560Sは全体が黒いメッシュグリルに覆われていたところ、HD620Sではドライバーが視認できます。
ゼンハイザーの公式サイトを見ても、ユニットが42mmとか振動板が38mmなどモデルごとに色々な数字を使っているため、ラインナップの比較が難しいメーカーです。たとえば本体重量のスペックもHD560SやHD596は280gと書いてあるのにHD620Sは梱包重量の670gしか記載がなく参考になりません。(実際の重さはほぼ同じです)。
純正バランスケーブル |
ケーブルは片側出しなのですが、今回はバランス接続に対応しており、ゼンハイザー公式で4.4mmバランスケーブルも販売しています。(部品番号700403)。HD560SとHD620S専用で、それ以前のモデルでは使えません。
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MDR-M1 |
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ケーブル |
続いてソニーMDR-M1の方に移ると、こちらも片側出しでバランスケーブル対応になっているのは最近のトレンドらしいです。
付属ケーブルは1.2mと2.5mの3.5mm(6.35mmアダプター)タイプで、公式でケーブルのオプションは明記されていませんが、MDR-1A用のMUC-S12NB1という4.4mmバランスケーブルが出ており、それが使えそうです。
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MDR-M1・MDR-M1ST |
ところで、このソニーMDR-M1というヘッドホンはずいぶん不思議なモデルです。というのも、すでにそっくりのMDR-M1STというヘッドホンが2019年に発売されており、名前も似ています。
一応MDR-M1STの方は日本国内向けで、今回のMDR-M1は海外向けモデルという扱いになっているようです。それなら中身は同じなのかというと、実はサウンドと装着感が結構違うのが面白いところです。
そういえば大昔のMDR-CD900STでもMDR-7506という瓜二つの海外向けモデルがあり、どちらの音質が上かで論争になっていました。側面のステッカーも日本向けが赤で海外向けが青というのも同じです。
海外ではMDR-7506の隣に売っています |
プロ機器ということでサポートの面でテリトリーを分けるのはわかりますが、サウンドまで変えてしまう理由はいまいちよくわかりません。
昔から言われている説としては、MDR-CD900STは日本のレコーディングエンジニアの好みに合わせてチューニングされているため、海外のプロは馴染めないからなんて話もありますが、真偽は定かではありません。
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フラットにたためます |
私自身MDR-M1STを購入していたので、今回は並べて比較することができます。どうみてもステッカーの色が違うだけに見えますね。
どちらも基本的なデザインは2012年のMDR-1Rや2014年のMDR-1Aを発端とする、ソニーユーザーなら使い慣れた形状です。ゼンハイザーHD500シリーズもそうですが、基礎設計が優れているので、モデルごとに大きく変更する必要もないのでしょう。
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どちらか見分けがつきません |
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裏面 |
ヘッドバンドの調整機構なども両者そっくり同じなのですが、裏を返して見るとMDR-M1STはMADE IN JAPANと書いてあり、一方MDR-M1ではパッケージにタイ製と書いてあります。
日本人としては日本製が嬉しいかもしれませんが、こうやって見比べてみてもプラスチック素材や組付けの品質などで明確な差は見受けられません。海外展開モデルということで量産体制が整っているタイ工場で行うのは納得できます。
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パッドの厚み |
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これくらい違います |
唯一わかりやすい違いはイヤーパッドの厚みです。MDR-M1の方が断然厚くなっており、装着感がかなり変わります。
実はMDR-M1STを使っていて個人的に一番嫌だった点が、パッドが薄すぎて耳がドライバーにぶつかり痛くなることだったので、今回かなり厚くなったことは素直に嬉しいです。ただし日本ではMDR-CD900STのような極薄のパッドを使い慣れているプロも多いため、その正統後継機として日本向けのMDR-M1STのパッドが薄いのも理解できます。
ちなみに、MDR-M1用の厚いパッドをMDR-M1STに装着したらどうかと試してみたところ、音がものすごくボワボワ響いてしまい、MDR-M1とも似ていない悪い音になってしまいました。やはりMDR-M1STの薄いパッドも音響設計のためにそうしていたのだと実感します。
実際のところ、DekoniやYAXIなど社外品の厚いパッドも豊富に手に入りますし、MDR-CD900STの頃からそれらに交換する人も多かったのですが、総じて音質がだいぶ変わってしまうので注意が必要です。ソニーの意図した本来のサウンドを理解するには純正パッドを使う必要があります。
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通気口の有無が違います |
細かい点では、ハウジング上部にある通気口のような部品がMDR-M1では塞がれています。音響チューニングのための意図的な判断でしょう。MDR-M1STでもテープで穴を塞ぐことができますが、息が詰まったような変な音になってしまい、MDR-M1と同じ音にはなりません。
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ドライバー |
さらにドライバー自体が全くの別物のようです。MDR-M1は周囲のバッフル材や保護グリルが白く、振動板自体も透明なのに対して、MDR-M1STは黒く、振動板も黒い金属っぽい光沢があります。
どちらも40mm振動板だそうですが、MDR-M1は50Ω・102dB/mWで、MDR-M1STは24Ω・103dB/mWということで、そもそもの仕様が異なります。
ちなみにバッフル上部の四角くへこんでいる部分が外側の通気口につながる穴です。
インピーダンス
再生周波数に対するインピーダンスの変化を確認してみました。ちなみに装着していない状態で測ったので、実際に装着すると耳周りの密閉具合でグラフは若干変化します。
まずゼンハイザーとソニーの両者を比べてみると、公式インピーダンスがHD620Sは150Ω、MDR-M1は50Ωということで、同じグラフ上では差がありすぎて比較になりません。HD620Sの方がアップダウンが激しいですが、インピーダンス自体はかなり高いので、アンプの負荷変動として音質への影響は少ないでしょう。
電気的な位相で比較した方が参考になります。こちらもHD620Sの方が変動が激しく、典型的なダイナミック型らしく100Hz付近を起点に低音側に大きな回転があります。それに対してMDR-M1の方は音楽に重要な100Hz~3kHzの帯域で位相シフトがほとんど発生しないよう意図的に設計したように見えます。
ゼンハイザーの開放型HD560S・密閉型HD569と比較してみました。低価格な密閉型のHD569は公式スペックが23Ωなのがグラフでも現れています。一方HD560Sは開放型ですがHD620Sとインピーダンスグラフの特性が似ているので、同世代の設計ということが伺えます。どちらもプロ用に適したオーディオインターフェースやヘッドホンアンプでの高電圧駆動を前提とした高インピーダンス仕様です。
ソニーの方も、MDR-M1ST・MDR-CD900STと比べてみました。残念ながらMDR-7506は持っていません。
公式スペック50ΩのMDR-M1に対して24ΩのMDR-M1STという違いが確認できます。設計インピーダンスの違い以外では、双方のドライバーやハウジングの設計がよく似ていることがわかります。ただしMDR-M1には5kHz付近にちょっとしたピークがあり、MDR-M1STには無いのが面白いです。これはよく金属部品の共振などで発生する事が多いので、そのあたりが音質に影響してくるのかもしれません。
それにしてもMDR-CD900STは古い設計ということもあってか、かなりアップダウンのピークが多いですね。だから音が悪いというわけではありませんが、よくCD900STに制振ゴムを貼るなどで自己流にカスタムする人が多いのも納得できます。
音質とか
今回の試聴ではRME ADI-2DAC FSを使いました。プロ用モニターということで、こういうオーディオインターフェースで鳴らすことを想定していると思います。
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RME ADI-2DAC FS |
ゼンハイザーとソニーの比較に入る前に、まずソニーMDR-M1とMDR-M1STの違いを確認してみたところ、これらのサウンドは全くの別物と考えてよさそうです。
前述のとおり、イヤーパッドの厚みによる変化だけでなく、ドライバーも含めてチューニングが違うので、どちらもプロ用モニターとして提供されているということは、これらを使って作られた楽曲はだいぶ仕上がりが違ってしまうだろうと考えてしまいます。
どちらもソニーらしく低音と高音が派手で鮮やかなサウンドという点では共通しているのですが、MDR-M1STは至近距離で音が粗っぽく刺激的に鳴っているのに対して、M1は距離感があり中低音が豊かな落ち着いた鳴り方です。
CD900STやオーテクM50xなどのように中高音が刺激的に強調される、収録のアラ探しのための、いわゆる日本のモニターらしいサウンドを求めている人はM1STの方が親近感が湧くと思いますし、逆に最近のMDR-MV1のように、全体のバランス感覚を俯瞰で組み立てたい人はM1の方が適していると思います。
とくに動画音声などを長時間編集する際は、パッドの厚みや刺激の少なさといった点でM1の方が耳への負担が少ないと思います。逆にナレーションの滑舌の刺さりなどをシビアに確認する作業では、M1のボリュームを上げても他の音と緩く混じってしまい、明確に聴き取れません。
その点M1STの方がCD900STの後継機らしいシビアさを(CD900STほどではないものの)持っており、一方M1はモニターといっても古典的モニターらしいサウンドではなく、多目的に使えるモダンなサウンドを求めている人向けという印象を受けます。
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MDR-MV1・MDR-M1 |
色々な音源を聴いてみると、やはりMDR-M1はシビアなモニターヘッドホンというよりも、MDR-1RやMDR-1Aの後継機のような、モニター風にも使えるカジュアルヘッドホンという感覚が強いです。
とくにMDR-MV1の兄弟機として開放型と密閉型をセットで揃えることができるので、どちらも音楽鑑賞から動画編集までなんでもこなせる「パソコンの傍らに置くヘッドホン」として活躍してくれそうです。
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MDR-M1・MDR-Z7M2 |
ソニーの密閉型ヘッドホンというと、この上はMDR-Z7M2になり、価格は10万円弱でサイズがだいぶ大きくなるので、そう考えると、MDR-M1はカジュアルなユーザー層も踏まえているのかもしれません。
MDR-Z7M2の方が振動板もハウジングも大きいので、サウンドの迫力や立体感はだいぶ上に感じます。全体的なチューニングの方向性はどちらも最近のソニーらしい仕上がりになっているので、もしMDR-M1でソニーの音作りを気に入って、音楽鑑賞をメインに使いたいのならMDR-Z7M2を視野に入れるべきです。
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HD620S |
次にゼンハイザーHD620Sの方を聴いてみます。ゼンハイザーというと昔から開放型ヘッドホンがメインで、密閉型が下手なメーカーのイメージがあり、唯一の定番モデルHD25以外では、長らく他社と戦えるような密閉型モデルがありませんでした。
ゼンハイザーは密閉型が下手というのは具体的にどういう意味かというと、開放型として設計されたモデルのハウジンググリルに蓋をして密閉しただけのようなデザインが多く、「開放型さながらの音質」などと毎回主張するものの、いざ聴いてみると明らかにハウジング反射による閉鎖感や濁りが目立ち落胆することが多いです。密閉型を前提にゼロから開発されたモデルというとHD25以外に思い浮かびません。
今回のHD620Sも開放型HD500シリーズにフタをしたようなデザインなのですが、さすがに昨今のヘッドホン開発のトレンドやノウハウを存分に取り入れており、そこそこ良い感じに仕上がっています。とくに高音と低音の両端の音抜け感はだいぶ開放型に近づいており、密閉型特有のハウジング反射による濁りはだいぶ改善されました。HD820Sに落胆した人も、このHD620Sなら納得できると思います。
似たようなデザインの密閉型HD569と比較しても大幅な格差が感じられます。ドライバー性能が根本的に違うのか、HD569だと高音に向かうにつれて粒が粗くなり、最終的にこれ以上高い音は鳴らせないというような明確な天井が感じられるのですが、HD620SはHD660S2と同じくらい、録音された最高音までスッキリと伸びてくれます。
テレビなど映像作品を見る場合には、そこまで高音域の情報が収録されているわけではなく、むしろ音声圧縮によるアーティファクトの違和感が目立ってしまいがちなので、そういった用途にはHD569やHD599など旧世代のモデルが今でも推奨されているのは納得できます。そちらの方が帯域端の粗が目立たず、ダイナミクスも限定的で、小音量でも聴き取りやすいです。
しかし音源のクオリティが上がるにつれてHD569などでは力不足になり、たとえばMP3とロスレスハイレゾの違いなんかもそこまで実感できません。そこで活躍するのが開放型HD560Sと、今回の密閉型HD620Sだと思います。
ヘッドホン本体の装着感もHD500シリーズなので快適で、ソニーよりもしっかりとした、頭の全周をピッタリと包んでくれるようなホールド感が得られます。楽器演奏などアクティブに動き回る場面でも遮音性や音のバランスが損なわれたくない人はHD620Sが有効で、それよりも軽めのホールド感や回転ヒンジを活用して手軽に着脱したい人はMDR-M1の方が有利です。
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HD620S・MDR-M1 |
なぜ今回ゼンハイザーとソニーを合わせて紹介したのかというと、どちらも真面目なヘッドホンなので、これといって書く内容も思い浮かばなかったというのもありますが、それ以上に両者のサウンドがかなり対照的で、交互に比較することで違いが伝わりやすいと思ったからです。
HD620Sの方が高価だからといって全面的に有利という感じはしません。どちらも10万円付近のモニターヘッドホンと比べると具体的な弱点も感じられるため、予算に余裕があるならもうちょっと上のモデルを狙うメリットもあります。
そんなわけで、これらのヘッドホンが上位モデルと比べてどのような弱点が感じられたのか、それぞれの得意・不得意について、もうちょっと聴き比べてみようと思います。
価格的に見ても別に悪いヘッドホンというわけではないので、購入を踏みとどまらせるのではなく、もし検討しているなら注目すべき点という程度の話です。
ちなみにどちらもイヤーパッドが耳周りにピッタリと密着しているのが大前提で、隙間があると変な音になるので、特にメガネの人は試聴時には一旦メガネを外してみたほうがよいです。
メガネを付けて使う予定なら、フィットの個人差が大きいので実際に装着して確認するのが大事です。ヘッドホン作業用に極細のチタンフレームのメガネを使う人もいます。
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Prosperoレーベルから、バリトン歌手Alexandre Beuchatの「Songs of Travel」を聴いてみました。
ピアノ伴奏とのシンプルな歌曲集で、ヴォーン・ウィリアムズをはじめとする親しみやすいメロディにあふれているため、クラシックファンでなくとも純粋に歌声の魅力を楽しめると思います。
このアルバムはMDR-M1の方が得意で、HD620Sではどうしても上手く再生できません。両機種の違いを体験するのに最適なアルバムだと思います。
HD620は音抜けが良く、最低音から最高音までワイドレンジな優れたパフォーマンスを誇っているのですが、今作のような男性歌手の再現性はあまり良くないです。
声の帯域だけ描写が不得意なようで、まるでアクティブノイズキャンセリングで消されていような息詰まる感じがあるので、ハウジング内部にて逆相で打ち消し合うような効果があるのでしょうか。
声の中心部が抜け落ちて、滑舌や息継ぎなど耳障りな部分だけが目立ってしまうため、一見ディテールの解像力が高いと錯覚するのですが、声色の良さが出てこないため、むしろ弱点であることに気が付きます。歌曲のようなシンプルな作品ほど自然さの部分で違和感があります。
同じ楽曲でソニーMDR-M1と比べてみると、ヘッドホンによって鳴り方が大幅に変わることに驚くと思います。
HD620Sでは満足できなかったバリトンの歌声もMDR-M1では十分に堪能できます。力強い発声と滑舌など表面的なディテールに統一感があるため、一人の歌手としての立体的なイメージによる実在感が生まれ、浮かび上がってくるようなサウンドです。
強弱のニュアンスの付け方や、静かなパッセージの囁くような口の動きなども上手く再現できているので、やはりソニーというのは声の描写が得意なメーカーなのだと再確認できました。
演奏全体のイメージも、バリトン歌手の後ろでピアノが力強く響き、前後の奥行方向で分離しているため、歌手とピアノの対話をじっくり楽しめる感覚があります。先程の測定で見たとおり、歌声とピアノに重要な中域の位相変動が少ない事も貢献しているのかもしれません。
MDR-M1で聴いてからだと、HD620Sは帯域ごとの分散が結構気になります。低音の空間展開が密閉型としては驚くほど広いという点には関心するのですが、全体がピラミッドというか「鏡餅」のような感じに、低音が広く大きな面積を使い、その上にコンパクトな中域が乗って、さらにその上にもっとコンパクトな高域が乗っているような、3WAYスピーカーを間近で聴いた時のような帯域のバラバラ感があります。そのため歌曲の醍醐味である対話性みたいなものが損なわれて、一音ごとに目で追っているような目まぐるしい聴き方になってしまい、あまり楽しめませんでした。
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Smoke SessionsレーベルからRenee Rosnes 「Crossing Paths」を聴きました。
作曲・編曲者として有名なRosnesがピアノリーダーで、PatitucciやPotterなど錚々たるメンバーが参加する大編成アルバムです。ストレートアヘッドなジャズやビッグバンドではなく、ラテンフュージョン系の親しみやすい異色作です。
さきほどのクラシック歌曲とは正反対に、こちらのアルバムはHD620Sの方が断然楽しめて、MDR-M1ではどうも上手くいきませんでした。
まずHD620Sで聴いた場合ですが、帯域を広い空間に分散させるHD620Sの特徴が良い効果を発揮してくれます。演奏しているバンドメンバーが多く、ピアノ、ギター、ベースが同時進行で低音側を混雑させているので、HD620S特有の低音空間の広さが活躍します。ズンズン音圧だけでビートを刻むのではなく、楽器ごとのコードやメロディなど複雑な動きをきっちり分けて追ってくれるため、気になったところに注目して聴くことができます。
ボーカルが入っている曲もいくつかあるのですが、歌声だけを目立たせるのではなく、大きなアンサンブルの一要素として描かれます。メロディ、和声、リズムといった楽器ごとの役割分担がわかりやすく、並行する展開の流れを掴んで、作曲アレンジの面白さを堪能できるあたりは、まるで大画面でDAWのマルチトラック再生を追っているかのようです。
出音自体はそこまで刺激的ではないため、普通のオーディオインターフェースや卓上アンプでも問題なく楽しめるのもありがたいです。たとえばゼンハイザーHD660S2やHD800Sの方が解像力は高いかもしれませんが、それらのシビアさを緩和するために、あえて真空管アンプなどで暖かみを足したがるユーザーも多いところ、HD620Sではその必要を感じません。
それでは、同じアルバムをMDR-M1で聴くと上手くいかないというのはどういう事かというと、こちらはボーカル中心のドンシャリ系ヘッドホンという感じなので、音数が増えて複雑になってくると限界が見えてしまいます。
ソニーらしく、ボーカルやソロ楽器を美しくはっきりと鳴らしてくれるあたりは優秀なのですが、その帯域から外れると、低音は低音、高音は高音というアバウトな扱いになってしまい、HD620Sほど描き分けができていません。
ベースならベースっぽいリズムに合わせてハウジングがボンボン鳴り、ハイハットならハイハットっぽくシャンシャン鳴るといった具合に、ヘッドホン自体の特徴的な響きが強調されるあたり、MDR-M1STと比べても悪目立ちしている印象です。
低音側の量は多いものの、スピーカーで部屋や車内が反響しているような体感的な低音なので、タイミングがワンテンポ遅れてぶつかってくるような違和感があります。これはソニーのヘッドホンでよく感じる特徴なので、不具合というよりはソニーらしいサウンドを特徴づける音作りなのでしょう。家庭用スピーカー的な低音の鳴り方です。
シンプルなロックバンドやEDM打ち込みのように、それぞれの楽器パートが任される帯域がミックスの時点で分別されている音楽であれば、そこまで違和感はありません。むしろベースやキックドラムの低音がライブPAや家庭用スピーカーのような「箱鳴り」感があり、肝心の歌手やソロ楽器の邪魔をせず引き立ててくれます。
ところが、試聴に使ったジャズアルバムでは、ベースがハイポジションのメロディラインを演奏するファンク系の曲が多いです。そうなると、ベースメロディの高い方はドライバーから直接聴こえて、低い方はワンテンポ遅れて耳元のハウジングの箱鳴り感で鳴といった具合に、ひとつの楽器としての統一感や、バンド全体のノリの良さが損なわれてしまいます。
高音と低音の響き以外はMDR-M1STと同じく比較的コンパクトなセンター寄りの音像なので、モニター用途に役立つというのも納得できます。四方八方に飛び散らず、ノートパソコンの小さな画面で作業しているようなプレゼンテーションなので、集中力が求められるというか、あえて集中する環境を生み出してくれます。
ボーカルは中央に置いて、ギターは左下で、パーカッションはそのちょっと上、といった具合に、例えるなら、弁当箱にどうやって食材を詰めていくか、パズル的なミックス手法に役立つだろうと想像できます。実際に私の身の回りでCD900STやMDR-M1STを使っている人はそのような使い方に重宝しているようですし、音楽鑑賞用に活用している人も、そのような聴き方を求めている人が多いようです。
そんなわけで、ソニーMDR-M1とゼンハイザーHD620Sは同じ密閉型ヘッドホンというジャンルでもアプローチが全然違うので、ひとつのヘッドホンで全てに対応できるわけではなく、私を含めて、あれこれ何種類も買ってしまう人の気持ちも理解でき、さらに特定のメーカーのファンというのも、こういった部分から生まれるのだと思います。
おわりに
今回の試聴で体験したような「ヘッドホンと音楽の相性」というのは、結局どのヘッドホンでも起こりうる事です。
一番安いヘッドホンだと、どんな曲を聴いても不具合が目立ってしまうのは仕方がないとして、今回のHD620SやMDR-M1のような中堅価格帯モデルになると楽曲ごとに得意・不得意が感じられ、さらにゼンハイザーならHD660S2やHD800S、ソニーならMDR-Z7M2やMDR-Z1Rといった、ある程度高価な上級モデルに向かうにつれて解消されていきます。
そのあたりで、メーカーごとに具体的な価格は違ったとしても、なんとなくミドルクラスやハイエンドといったグループ分けができるのだろうと思います。
得意・不得意というのは、肝心の歌手や楽器がヘッドホンの不得意な帯域に偶然重なってしまう、一種の運みたいなものです。
ロックバンドやソロピアノなど、ジャンルごとに肝心な帯域はある程度決まっているため、ロック向きのヘッドホン、ソロピアノ向きのヘッドホンといった分け方ができるのも納得できます。
ヘッドホンを試聴するにあたり、様々なスタイルの楽曲でテストするべきですし、自分が普段聴く音楽ジャンルと相性が良いモデルを見つけるのも重要です。
スピーカーの世界でもよくある話なのですが、高級オーディオ店で試聴した際には、ショップが厳選したデモ曲で聴いて感動したのに、いざ家に納入して自分の好きな曲を聴いたら、いまいちパッとしないなんてこともあります。
私は個人的にベイヤーダイナミックやフォステクスのヘッドホンを愛用しているのですが、私自身が普段聴いている音楽との相性が良くて不具合が目立たないというだけなのかもしれません。つまり、あれこれ書いたところで、レビューの音質評価というのはあまりアテにならないわけですが、いざ試聴する際に注目すべきポイントのヒント程度にはなるかもしれません。
ゼンハイザーHD620SとソニーMDR-M1の話に戻ると、まずHD620Sは帯域と空間の余裕が良い感じに仕上がっているので、「ゼンハイザーは開放型だけのメーカー」というイメージを払拭してくれる第一歩になったと思います。それでもあいかわらず開放型と比べて密閉型の方が割高なイメージのあるメーカーであることは確かなので(HD800SとHD820とか)、ゼンハイザーらしいサウンドというと、まずは開放型を抑えておくべきなのかもしれません。
ソニーMDR-M1は海外向けモデルなので、日本でも気になっている人もいるかもしれませんが、モニター用としてすでにMDR-M1STを持っているなら、あえて買い足す必要は無いと思います。ただし最近のソニーは5万円以下のリスニング向け有線ヘッドホンを出していないので(ワイヤレスの需要が大きいのでしょう)、その点MDR-M1は面白い存在かもしれません。
どちらにせよ、モニターではなく音楽鑑賞用の密閉型ヘッドホンなら他にも色々な選択肢がありますし、もうちょっと高価なモデルも視野に入れる価値は十分あると思います。その際にはレビューを読むのも良いですが、自分がよく聴く音楽であれこれ試聴してみることが肝心です。
アマゾンアフィリンク
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ゼンハイザー HD620S |
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ゼンハイザー 4.4mm バランスケーブル 1.8m |
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ゼンハイザー HD560S |
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ゼンハイザー HD599SE |
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ゼンハイザー HD660S2 |
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SONY MDR-M1 |
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SONY MDR-Z7M2 |