2026年10月1日木曜日

QDC Crave イヤホンの試聴レビュー

QDCの新作イヤホンCraveを試聴したので感想を書いておきます。1DD + 10BA + 4ESTの15ドライバーハイブリッド式で、QDCの十周年記念モデルということで気合が入っています。

QDC Crave

2026年2月発売、約55万円という非常に高価なモデルです。個人的にQDC Anole V14というモデルを愛用しているので、今回の最新モデルでどれくらい進化しているのか気になります。

QDC

QDCは中国のプロミュージシャン用カスタムIEMイヤホンの大手メーカーです。米国のUltimate Ears (UE)やドイツVision Earsのような存在に近いイメージがあります。

カスタムと平行してユニバーサルモデルも販売していますが、ステージ歌手やミュージシャンの特定の要望に答えるチューニングのモデルが多いため、知らずに値段だけ見て適当に選ぶと痛い目に遭うのは他のプロ用IEMメーカーと同じです。

そんなQDCラインナップの中でも我々コンシューマーの音楽鑑賞用を意識したモデルとして、4Proや8Proなど本体上部のスイッチでHifi / Studio / Liveと切り替えることができたり、私が使っているAnole V14では四つのスイッチで周波数バランスを自分好みに調整できるなど、プロ向けチューニングのシビアさを低減させる機能を持たせたモデルが用意されています。

QDC Anole V14 &Crave

今回試聴したCraveというモデルは、それら通常ラインナップから外れた特別なシリーズに位置づけられています。日本の公式サイトを見ても「ユニバーサル」の一覧とは別に「コンセプト」というカテゴリーに分類されています。

外観で一番わかりやすいのは、上の写真のAnole V14など通常モデルはQDCコネクターと呼ばれる特殊なケーブル着脱端子を採用しているのに対して、Craveなどのコンセプトシリーズは一般的な2ピンIEMケーブルです。

サウンドやデザインのコンセプトに関しても、通常モデルは中国のプロアーティスト現場からのフィードバックを中心に開発を進めているのに対して、コンセプトシリーズは日本の代理店の協力で世界的なハイエンドIEMユーザーに向けたモデルとして企画しているようです。コンシューマーで普及している2ピン端子を選んでいるのもその一環でしょう。

コンセプトシリーズといっても高価なモデルばかりではなく、一万円台で買えるSuperiorやFrontierもこのシリーズの一員です。Superiorの方は以前試聴しましたが、QDCらしいプロ目線の素直さと、カジュアル用途でも聴き疲れしない温厚さを兼ね備えた優れたイヤホンだと思いました。

QDC Emperor

高価なモデルでは、2025年にはコンセプトシリーズでEmperorというモデルが出ており、こちらはCraveと同じく55万円でした。公式サイトでは現在もCraveとEmperorの両方が掲載されているので、Craveは単純な後継機というわけではなく、コンセプトシリーズの名前の通り、それぞれ異なるコンセプトで生まれたのでしょう。私も以前Emperorを試聴する機会がありましたが、かなり強烈なサウンドに圧倒されました。

デザイン

Craveは15ドライバー搭載ということで、非常に大きなシェルハウジングが印象的です。残念ながらEmperorは手元にありませんが、あちらも同じくらい大きかった記憶があります。

結構好きなデザインです

シェルとフェイスプレートのデザインは個人的にかなり気に入っています。キラキラしたラメを散りばめて高級感はありますが、白黒のツートンはそこまで成金趣味っぽくないので、装着時の主張は控えめです。

前作Emperorはサウンドは凄かったのですが、さすがに黄金と玉虫色に輝くフェイスプレートは目立ちすぎてなかなか勇気がいるデザインだと思いました。Emperorという名前通り、それくらい自信と余裕がある人に向けたモデルとしては相応しいのかもしれません。

複雑な内部構造

フェイスプレートの曲線の輝き

光を通すとなお綺麗です

Craveのシェルデザインは複数の点でハイエンドIEMに相応しい美しさを演出しています。まずフェイスプレートだけでなく本体ノズル部分の奥の方まで銀ラメが入っているため、内部のドライバーユニットや銀色の配線と立体的に重なり合って魅了させてくれます。

フェイスプレートも丁寧に磨き上げており、ツルッとした湾曲が光の反射をアクセントとして加えてくれます。フェイスプレート周辺の縁取りも外面と側面で二重になっており、伝統的な螺鈿細工のように精巧です。

さらに実際に装着してみると、側面から光が入り込むことによってラメが乱反射して、黒い右側シェルの方もキラキラと内部から光って見えるのが印象的です。

実際に耳に触れる部分なので、三次元構造はもちろんのこと、組み立てや表面処理の品質はとても重要です。高価なイヤホンでも作りが悪いと中身も杜撰だろうと思えてしまいますが、QDCはむしろ逆に手触りのクオリティの高さで値段に納得させられてしまいます。

かなり厚いです

ノズル

側面から見るとかなりの厚さがありますが、さすがカスタムIEMに熟達したQDCだけあってフィット感は抜群に良いです。数あるハイエンドIEMの中でも個人的にQDC Anole V14をメインで使っているのもフィット感の良さという理由が大きいです。ノズルは金属製でイヤピースが外れにくく、グリルで保護されているのも嬉しいです。

耳周りの複雑な立体形状はもちろんのこと、ノズルの角度、本体の重量配分とケーブル端子位置の絶妙な設計のおかげで、ノズルと耳掛けケーブルのバランスが釣り合って安定してくれます。

似たようなIEMイヤホンでも、このあたりの三次元設計が下手だと(もしくは理解せず見た目だけ真似していると)、重心が外側すぎて傾いてしまったり、ケーブルで外に引っ張られる力が働いて外れやすく不安定になります。フィット感というのはただの快適さだけでなく、音鼓膜に届く音の正確さやステレオバランスの安定感に大きく貢献するので、イヤホンにとって一番大事な要素です。フィットが悪いからといって変な長いイヤピースとかで対策すると、それだけで音が悪くなってしまいます。

また、上の写真で側面に通気口が確認できます。これも位置が悪いと装着時に耳穴で塞がれるか個人差が出てしまい、音抜けや圧迫感に繋がります。他のIEMメーカーはシェルに穴を空けるだけが多い中で、Craveでは赤と青のフィルターのような部品を埋め込んであります。

Anole V14と比較

Craveはスイッチがありません

形状はよく似ています

参考までに、私のAnole V14と比べてみたところ、Craveの方が一周り大きいです。V14はダイナミックドライバーを搭載していないBA+ESTのみのハイブリッド式なので、やはりCraveはDD分だけ内部空間の余裕が必要なのでしょうか。

ちなみにV14は本体上部にクロスオーバー調整用スイッチがありますが、私は初期設定のままで満足して触っていないので、Craveにスイッチが無いのは気になりません。むしろ接触不良など不具合を低減できる方が好ましいので、もしV14もスイッチ無しで売っていたら、そちらを選んでいたと思います。

IE600、UE Live、Crave

身近にあった他のIEMイヤホンと比較してみました。コンパクトなシングルDDのゼンハイザーIE600と比べると親子ほどのサイズ差がありますが、私の手元にある中で一番大きい部類のUE Live (1DD + 7BA) と比べてもCraveの方がだいぶ大きいです。

さらに注目点としては、ゼンハイザーはノズルが浅く、耳穴にイヤピースを置く程度の装着感なのに対して、UEはノズルが真っ直ぐ耳穴奥までグッと入り込むタイプで、Craveはそれらの中間くらいで、シェル全体が耳穴周りをピッタリ塞いで安定してくれるため、イヤピースにそこまで圧迫感がありません。

どれくらい耳穴の奥まで入るかでイヤピースのサイズも変わるので、自分はいつもMサイズと決めず、色々と試してみる必要があります。肝心なのは、イヤホン本体が耳の側面にピッタリ接触する深さで耳穴内でイヤピースが密着するのがベストです。イヤピースが大きすぎてイヤホン本体が浮いて傾いてしまうと音が正しく伝わりません。

付属ケース

中身

ちなみに今回借りた試聴機にはハードケースも付属していました。本体とケーブルが問題なく入る大きさで、しっかりしていて高級感があります。イヤピースも一般的なシリコンタイプが付属しています。

Azla Max、Baroque

イヤピースは付属品に慣れてしまうと紛失したときに代用が効かないので、なるべく手に入りやすい社外品を使うようにしています。

今回Craveの試聴ではAzlaのSedna MaxとEletech Baroqueを主に使いましたが、他のイヤホンと比べるとそこまでマッチングはシビアではなく、どれもフィットは良好で、音質も大きく変わりませんでした。この安定感というか安心感もQDCの強みだと思います。

付属ケーブル

付属ケーブルはQDCコネクターではなく一般的な2ピンを採用しており、それ以外は私が使い慣れているV14のものと同じようです。3.5mm、2.5mm、4.4mmコネクター交換できるギミックは最近他社でもよく見ますが、QDCのものはかなり堅牢です。線材はかなり柔らかくサラッとした絡まりにくい質感なので、V14でも満足して使っています。

個人的な要望としては、別売でもいいので、できれば交換コネクターがL字だけでなくストレートタイプも用意してもらいたいです。

2ピンなので交換が容易です

2ピンコネクターなので他の高級ケーブルにアップグレードしたい気持ちもあると思いますが、付属ケーブルもかなり良い感じなので、ひとまずそのままで大丈夫だと思います。ためしに社外品ケーブルに交換してみたところ問題なく接続できました。

インピーダンス

いつもどおり再生周波数に対するインピーダンスの変化を確認してみます。

ハイブリッドマルチドライバーはやはりインピーダンスのアップダウンが激しいですね。このあたりは3WAYなどのスピーカーのクロスオーバーとよく似ています。

それとは正反対のイヤホンの例として平面振動板のMadoo Typ821もグラフに載せてみましたが、ピッタリ横一直線の定抵抗駆動なのがわかります。

マルチドライバーでもモデルやメーカーごとに特性が違い、その中でもQDC Craveは比較的落ち着いている部類だと思います。低域から中域にかけては前作QDC Emperorと似ていますが、高域の挙動はだいぶ落ち着いています。それらと比べてQDC Anole V14は肝心の中域がだいぶ駆動が難しそうです。

他社のマルチドライバーの例で、UE Liveは10Ω付近で比較的フラットですが、Vision Ears VE10は2-3Ωあたりまで落ち込むので、アンプにとってはかなり厳しい負荷になりますし、アンプの出力インピーダンス次第でサウンドも大きく変わってしまいそうです。それらと比べると、QDC Craveは最近のDAPであればそこまで相性を気にせず、これといって問題なく駆動できそうです。

同じグラフを電気的な位相変動で表示してみると、こんな感じになります。大量のドライバーを詰め込んでいればサウンドも平均的に収束するかと思いきや、やはりクロスオーバーの摺合せの具合がモデルごとに大きく変わるのが面白いです。これを見て音の良し悪しを判断することはできませんが、駆動に際して注意すべきポイントが見えてきそうです。

音質とか

今回の試聴では主にAK SP3000 DAPを使いました。QDCのイヤホンはこれまでいくつか試聴してきましたが、安価なSuperiorから最高級Emperorに至るまで駆動やフィットに関する変な不具合が無く、普段の環境のままでスムーズに移行できるのが楽で助かります。

AK SP3000

まず結論から言うと、Craveは個人的なトップ3に入るくらい素晴らしいサウンドのイヤホンだと思ったのですが、実は第一印象ではそこまで凄いという実感はありませんでした。もし簡単な店頭試聴だけで済ませていたら、そのまま見過ごしていたかもしれません。

Craveは一般的に想像するハイブリッドマルチ系と比べるとかなり丸く深みのある鳴り方で、これといって特出した派手さやインパクトに欠ける温厚な印象を受けます。良く言えば丁寧にまとまりのあるサウンドですが、正直「これほど高価なイヤホンとはどんなものか」と冷やかしに聴いてみた人にとっては、拍子抜けの肩透かしを食らうかもしれません。

とくに前作Emperorはだいぶ強烈だったので、その延長線上のサウンドを期待していると、まるで正反対なので驚かされます。価格は近くても好みは大きく分かれると思うので、Emperorの後継機ではなく、あえて二つを並行してラインナップに載せていることに納得できます。

Amazon

オランダのZenneZ RecordsレーベルからSjoerd van Eijck 「Pegasus」を聴いてみました。いわゆるピアノトリオなのですが、ベースの代わりにチェロが入っており、オーソドックスなジャズというよりも室内楽的な雰囲気の一枚です。

全曲オリジナルで、星座や宇宙をテーマにしたタイトル通り、ワールド、アンビエント系に寄っています。ECM風の聴きやすさもありながら、細部に違和感や緊張感を散りばめて、単なるBGMには収まらない室内楽の駆け引きが楽しめます。響き豊かな音質も作風の雰囲気に合って良いです。


Craveのサウンドは聴けば聴くほど素晴らしく、下手に個性的なクセもないので、私の身の回りのイヤホンマニアも例外無く「なんだか不思議と良い音だ」と受けが良い仕上がりなのですが、明確なアピールポイントが薄いため、具体的に何が凄いのか理解するのに時間がかかります。

プロ用で定評のあるQDCらしく、ドラムパーカッションやピアノ打鍵など高音の解像力や伸びやかさは健在なのですが、Craveはそこから中・低域に向かう導線がとてもしっかりしており、ピアノのコードやチェロの低音も解像力や空間定位を損なわずに、どんどん太く力強くなっていく味わい深さが特徴的です。

中低域の太さや味わい深さはあっても、美音の演出に傾倒しないのもQDCらしいです。ウッドや真鍮などの部品で華美に響かせるのではなく、あくまで録音に忠実なので、悪い録音を飾り立てる効果は無く、優れた高音質録音を聴くメリットがあります。

空間展開も無駄に発散せず、楽器の演奏自体はコンパクトにまとまってフォーカスが効いているのに、全体を覆う音響空間は広く限界を感じさせない余裕があり、かなり自然でリラックスして楽しめるタイプのサウンドです。

このアルバムではチェロがコントラバスさながらの重低音でリズムを取ったり、クラシック風のソロを披露するなど活躍の幅が広いため、とくにハイブリッドマルチ型にありがちな繋がりの悪さが露見しやすいです。ところがCraveは中低域クロスオーバーの詰まりや不自然さが目立たず、深みのある立体的なチェロの音像を描いてくれます。

ハイブリッドマルチ型というと、EST・DD・骨伝導などのセールスポイントをアピールすることで両極端が強調されすぎて、リアルな演奏の限度を超えてしまうモデルが多い中で、Craveは「ここからDDに切り替わったな」とわかるようなサブウーファー感が無く、可聴帯域全体の音作りに統一感があり、純粋に親しみやすく引き込まれるサウンドを目指していることが伝わってきます。

統一感があるといっても、シングルダイナミック型とも雰囲気がだいぶ違うのが面白いです。シングルダイナミック型の弱点として、低音から高音まで、小音量から大音量まで、全ての信号に正確に応答できるドライバーというのは実現が難しいため、どうしても高音寄りか低音寄り、繊細か大味のどちらかに傾倒したサウンドになってしまいがちです。

たとえばゼンハイザーIE900とIE600はわかりやすい例になります。IE900の高音の繊細さや空気感描写は抜群に良くても、ボーカルなど中域の充実感はIE600の方が良かったりして、優劣を決められません。その点Craveはどの帯域も厚くカバーしきれているため、IE900に慣れた耳でCraveを聴くと低音が太すぎる、IE600からCraveを聴くと高音が目立ちすぎるといった具合に、他のイヤホンから乗り換えた時にまず不思議な感覚があり、最初は慣れるまで時間がかかります。

Craveの繋がりの良さや音色の深みはやはり15ドライバーの積み重ねで生み出しているため、その複雑な濃い味わいが魅力的なわけですが、逆にシングルドライバーの軽快さや線の細さは出せないので、その点は弱点と言えるかもしれません。

たとえば私はCraveとは対照的なイヤホンとして、平面型シングルドライバーのMadoo Typ821にも同じくらい魅力を感じています。双方がそれぞれ異なる欠点を持っているというわけではなく、Craveが厚い油絵でTyp821が精密な線画のような、根本的な表現の違いがあるだけです。

V14と比較

Craveは前作Emperorと比較してもだいぶ性格が異なります。私の当時の感想だと、EmperorはV14を拡張したモデルという印象がありました。V14は10BA+4ESTなので重低音の迫力が不足していたところ、そこにダイナミックドライバーを搭載することでワイドレンジ化したのがEmperorという感じです。もちろんただ1DDを付け加えたわけではなく、DDで低音をカバーすることで10BAの役割を再分配することができ、よりスケールの大きなサウンドを実現しています。

CraveもEmperorと同じく1DD+10BA-4ESTという立て付けなのですが、V14を起点として、Emperorがワイドレンジなスケール感という方向で拡張したのに対して、Craveは音色の中心部分を充実させるために全ての材料を絶妙に重ね合わせてブレンドさせている印象を受けます。私が普段聴いているような生楽器中心の音楽だとEmperorは持て余し気味で、むしろV14のシンプルさを好んでいたわけですが、CraveであればV14から乗り換えたいと思えてきます。

このCrave特有の厚さと解像感を両立するサウンドは具体的にはどうやって実現しているのか、じっくり聴き込むとなんとなく掴めてきます。

まずQDCらしく空間と時間のコントロールが良好で、響きが長引く感じや妙な3Dサラウンド効果みたいなものが無く、タイミングがピッタリ揃った音像が中心にあります。その音楽再生に加えて、さらに上と下に空気を広く拡散しているような気配が感じられます。

たとえばハイハット自体の打撃が鋭くフォーカスしているのに対して、さり気なくその背後でシュワーと広がる空気感だけの高音が存在するため、相対的にハイハットがフォーカスされて浮かび上がってきます。

低音も同様に、チェロそのものは音程を拾いやすい軽めの音色で鳴っているのに、その背後の床に響く可聴帯域ギリギリの重低音が補強している気配があり、そのおかげでクリアかつ重厚感のあるサウンドを両立しています。

つまり、楽器は本来の描き方に忠実なのに対して、それらを大きく超える空気や気配が周辺空間を満たすことで、無意識にその中心に置かれた音楽演奏の定位を明確にする役目を果たしているようです。スピーカーと部屋の関係に近いかもしれません。

こうやって文章にすると、他のイヤホンでも普通にやってそうな事のように思えるのですが、Craveはタイミングの揃い方が抜群に良く、低音がワンテンポ遅れたり、高音が耳穴内に飛び出したりせず、良い感じにコントロールされているおかげで自然な表現を損ないません。このあたりは技術的なギミックというよりは熟達した音作りの上手さによるのでしょう。

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Crave特有のサウンドを実感するのに最適の一枚を探していたところ、このドイツグラモフォンのMatthias Goerneシューマン新譜がかなり良かったです。

このアルバムのメインは一番有名な39番リーダークライスなので、Goerneならすでに出しているだろうと思ったら、前回やったのはデッカ1998年ということで驚きました。その当時のジャケットのキラキラした好青年と比べて、四半世紀越しの今作はベテランの渋味と独自解釈の説得力でストーリーに引き込まれます。Hinterhäuserのピアノも情景構築が上手く、ただ伴奏で寄り添うだけでなく、ストーリーを補完するような役割を感じます。DGG名義ですがHarmonia Mundiと同じくベルリンTeldex Studioなので音質も最高です。


このシューマンはかなり鳴らしがいがあるアルバムです。相性の悪いイヤホンだと最悪で、録音本来の響きが強すぎて、まるで風呂場で歌っているように聴こえてしまうのですが、Craveを使って聴くことで、複雑に渋滞している音源の要素をまるでジグソーパズルのように順序立てて正しく再構築してくれます。

Craveはこういった複雑な情報をコントロールして自然な鳴り方に整えてくれる能力に長けており、一見重厚でも実は見通しが良いというギャップに慣れるまで不思議な感覚です。

たとえばリーダークライスの二曲目では、バリトン歌手がコンサートステージの薄明かりで浮かび上がり、息を呑むような美しさに引き込まれます。ピアノも地に足がついた深みがあり、一音ごとに楽器の存在感と周囲に広がる残響がしっかり聴き分けられます。

さらに五曲目、まさに月明かりの下で輝くような歌声が味わえるわけですが、Craveはこれを実現するために、歌手そのものの音色や輪郭を強調するのではなく、その周辺に吸い込まれるような暗闇の雰囲気も生み出していることを実感できます。ハイエンドイヤホンの多くが眩しいフルカラーLED発光だとすれば、Craveはまるでゆらゆら揺れるロウソクの炎を眺めている感じです。

このアルバムのような男性バリトン歌手というのはオーディオ機器にとって極めて難しい課題なので、Craveの見事な描き方は、個人的にこれまでのイヤホンの常識を超える新たなレベルに到達している実感が湧きます。

バリトンが鬼門なのはスピーカーでも同様で、腹から響く男性の低い声と、滑舌や息継ぎの高音成分がドライバー間クロスオーバーに挟まれやすく、捻れるような息苦しさや歪みっぽい違和感が発生します。中低音楽器のチェロなども同じで、本物のチェロの音に聴き慣れている奏者であれば違和感が気になると思いますが、やはり多くの人にとっては人間の声の方がちょっとした不自然さに気づきやすいです。

このシューマン以降、他にも歌曲集やチェロソナタなどのアルバムを沢山聴いてみたところ、やはりCraveは声や楽器を厚く立体的に描く力が抜群に良いです。コンパクトな室内楽に限らず大規模なオーケストラでも楽器の描き方が優秀なままなので、ジャンルを問わず対応できる範囲の広さもハイエンドイヤホンにふさわしいです。

他に現役世代で個人的に気に入ったハイブリッドマルチ系というとVision Ears VE10・EXT2、Canpur CP622B、Forte Ears Macbethなんかが思い浮かび(どれも非常に高価なのが恐ろしいですね)、その中でもオペラやオケに強いMacbethがCraveに近いかと思ったのですが、実際に聴き比べてみるとだいぶ性格が違います。ちなみにそれ以外はもっとモニター寄りで精密な性格を気に入っているので、どちらかというとV14に近い傾向です。

CraveよりもMacbethの方が表現が明るく、軽さと柔らかさが目立ちます。美声の艶っぽさや流れるような音色の風合いもMacbethの方が優秀で、オペラのように歌手陣とオケと合唱を複雑に入り組んでいる楽曲でも、ソプラノやテノールを明朗に描いてくれるあたりが魅力的です。

Craveはそこまでの軽快さはありませんが、逆に歌手や楽器の一音ごとの力強さや深みという方向ではMacbethよりも聴き応えがありますし、オペラやオケでもMacbethと比べて混雑して不透明という感じはありません。ホルンの咆哮から弦セクションの繊細さ、ティンパニーのロールに至るまで、オケの安定したステージ展開と、その周囲を包む空気や気配という二重構造のおかげで、立体的で奥行きのあるコンサートホール体験が得られます。

私も普段ならこういうジャンルはシングルダイナミックや平面型の方が良いと言うところですが、この厚みとコントラストで得られる力強さはシングルドライバーでは実現できないため、ここでようやくハイブリッドマルチドライバーがシングルドライバーの得意領域に踏み込んできた、新しい世代の到来を実感します。

おわりに

QDC Craveはここ最近で個人的に一番欲しいイヤホンになりました。イヤホンにここまで高価な価格設定はいかがなものか、またすぐに次の新型が出るのではないか、など心に葛藤がありますが、結局は高すぎて買えないというだけの話なので、もし財布事情が潤沢だったら購入していたと思います。

ところで、ここ数年のIEMイヤホンの発展を追っていると、ようやくハイブリッドマルチドライバーの役割が落ち着いてきたように感じます。

以前はDDやEST、骨伝導やMEMSなど、新たなギミックを強調する作り方が多かったですし、買う側もすでに持っているイヤホンと比べて明らかな違いを感じたいという欲求があったと思います。

それらがある程度落ち着いた今、適材適所で吟味調整できる腕前のあるメーカーが活躍する時代が訪れており、Craveはまさに象徴的な存在です。15ドライバーの重ね合わせと帯域クロスオーバーを意識させない統一感は、ついにここまで来たかと驚かされました。

私は今のところハイブリッドマルチのV14と平面型シングルドライバーのMadoo Typ821を併用して使い分けているわけですが、将来的にシングルとマルチは共存するのか、それともどちらかが圧倒的な勝者になるのか、気になるところです。

スピーカーの世界では、大昔から3WAYやそれ以上のマルチドライバー方式が王道になっており、QUAD静電型などのシングルドライバー方式は極めてニッチな存在です。そう考えると、イヤホンでも物理的な詰め込み方やクロスオーバーの設計が難しいというだけで、Craveで得た回答をそのまま進めていけば、マルチドライバーが覇権を握るかもしれません。

ただし、現実を振り返ってみると、やはりこのレベルのサウンドを実現するには安価では済まされず、15ドライバーハイブリッドという物量の力技になってしまうという現状を突きつけられた事の方が痛いです。

イヤホンに詰め込むドライバー数を増やすのは、値段を釣り上げるための一種のパフォーマンスという見方もありますが、Craveのサウンドを体験すると、これは15ドライバーハイブリッドでないと難しいという確信が持ててしまうのが恐ろしいところです。

最後にひとつだけ残念な点があるとするなら、今回のQDCに限った話ではありませんが、現在は膨大な数のイヤホンが店頭に並んでおり、どれも公式情報を読んだだけでは違いがわかりづらいため、実際に手にとってじっくり聴いてもらうこと自体が難しくなっています。冒頭でも言ったように、EmperorとCraveという二つの試聴機があったら、ちょっと聴いた程度だと地味目なCraveをスルーしてしまいそうです。

新作イヤホンはどんどん進化しており、数年前のフラッグシップも今聴くとだいぶショボく感じる事も多々あるので、昔のハイエンドイヤホンを大事に使っている人は現在の最新作を試聴してみれば世代交代を実感できると思いますし、Craveのような最新最上級機には、まだ低価格帯の高コスパモデルにはトリクルダウン効果が届いていない、業界最先端のサウンドが確かに存在しているので、それを知るためにも試聴してみる価値があります。


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