2022年2月13日日曜日

Astell&Kern SP2000T DAP の試聴レビュー

 Astell&KernのSP2000Tを試聴してみたので、感想を書いておきます。

AK SP2000T

フラッグシップSP2000とは異なる路線の高級機として、2021年10月に発売した約30万円のDAPです。名前に「T」とあるように、通常のソリッドステート回路とは別に真空管を使ったアンプ回路も搭載し、好みに応じて自由に切り替えられるというユニークな仕組みを搭載しています。

SP2000T

Astell&Kernといえば、言わずとしれた高音質・高級DAPの代表格といったイメージがありますが、ここ数年はラインナップの主流から外れるようなユニークなモデルを出しています。2種類のDACを搭載したSE200、アンプモジュール交換式のSE180、そして今回SP2000Tではソリッドステートと真空管アンプを切り替えることができるというアイデアです。

それまでのAK DAPは開発者が熟考した上で理想のチューニングを提示する、いわゆるサウンドシグネチャーを持ったハイエンドオーディオ的なアプローチで、現行フラッグシップの「SP2000」もそういったモデルなのですが、それに対してSE200・SE180・SP2000Tなどではあえて複数のオーディオ回路から選べるようにして、好みの音色をユーザー側に委ねる、という感じなので、同じ高級機といっても正反対のコンセプトです。

さらに、このSP2000Tや、同時期に発売したSE180・SR25MK2からは、バランス出力を2.5mmと4.4mmの両対応にしているのも嬉しいです。AKといえば2.5mmコネクターの先駆者としてのプライドがあり、このまま2.5mmのみで押し通すのかと思っていたら、こうもアッサリと4.4mmを追加してくれたのはなんだか意外でした。従来のヘッドホンオーディオでは「IEMイヤホンは2.5mm、大型ヘッドホンは4ピンXLR」という棲み分けがありましたが、4.4mmはイヤホンとヘッドホンのどちらでも都合が良いサイズなので、採用するメーカーが増えてきています。

デザイン

SP2000Tはアルミシャーシに5インチ画面という、最近のDAPでは主流のフォームファクターで、AK独自のカスタムOSを搭載しています。Google Playには対応していませんが、サブスクリプションストリーミングアプリなど一部のAndroidアプリをXAPKでインストールして動かす事は可能です。どのアプリが動作確認できているかは公式サイトのFAQで調べてみてください。

D/A変換にはESSのES9068ASを4枚搭載しています。SP1000はAK4497EQ、SP2000はAK4499EQと、これまで旭化成のチップを採用してきたところ、今回はESSになったわけですが、これは旭化成チップの入手性が悪くなったせいなのか、それとも純粋に音質評価の上で決定したのかは不明です。どちらにせよ最終的な音質はD/Aチップだけでなく後続するアンプ回路の影響がとても大きいため、安直にAKMだから、ESSだからこういう音、と決めつけるものではありません。もちろん選択したD/Aチップによって要求される周辺回路の設計が変わってくる、という側面もあります。

OP・Hybrid・Tube

今回の注目点は、D/A変換後のアナログ回路が分岐して、一般的なトランジスター式と、真空管式、そしてそれらをブレンドするハイブリッド式という三種類の経路から選べるようになっています。さらにハイブリッド式はトランジスターと真空管の割合を5段階から切り替えられます。

トランジスター式は、システム上では「OP」つまりオペアンプ式と表示されています。公式サイトを見ても具体的にどのようなICを搭載しているのかは明記されていません。このあたりは昔からAKはあまり公表したがらず、あくまで音質で勝負するというスタンスのようです。

Korg Nutube 6P1

真空管式はKorg Nutube 6P1を搭載していると書いてあります。Nutubeは2017年に登場した最新設計の真空管で、長方形をしていますが駆動原理はれっきとした真空管です。現時点ではこの6P1という直熱式の双三極管タイプしか販売されていません、

真空管の最大の市場はギターアンプなどの楽器関連なので、このNutube 6P1もその小型省電力を生かして、コンパクトなスタジオ用アンプ、エフェクトペダル、シンセサイザーなどに搭載することで、太い真空管サウンドを実現するという用途が多いようです。

Korg Nu:Tekt HA-KIT

オーディオでもチラホラと搭載機が出ており、私も以前Korg純正のNu:Tekt HA-KITヘッドホンアンプキットを購入してみたところ、シンプルなわりに本格的な真空管の艶やかなサウンドが楽しめて、しかも省電力、低発熱というNutubeのポテンシャルの高さに驚かされました。

このNutube 6P1ですが、あくまでプリ管ですので、これ単体でヘッドホンを駆動できるようなパワーは発揮できません。6P1の公式データシートを見ればわかりますが各チャンネルの消費電力が12mWと非常に低く(ヒーターが0.7V・17mA)、アノード定格が1.7mWとかなり非力です。イヤホンやヘッドホンをしっかり駆動できるヘッドホンアンプというと100~1000mWくらいのパワーが求められるため、さすがにNutubeでは厳しいです。

今回SP2000Tでも、後述するパワー測定からもわかるように、Nutubeをパワーアンプとして使っているのではなくて、あくまでD/A変換後にNutubeを通すことで真空管らしい味付けが付与される、いわゆるプリアンプ的な役割で、そこからしっかりソリッドステートでドライブされるという感じのようです。

上のKorg Nu:Tektでも、Nutubeを通したあとにオペアンプでバッファーされていました。個人的には、そろそろどうにかNutubeでパワー管を開発してもらいたいのですが、まだ技術的に難しいのでしょうか。あとオーディオ用としては五極管も欲しいです。

Nutubeは12AU7など古典的な真空管と比べて単価が高く、周辺回路への要求も高いため、安価なオーディオ製品への導入はまだ難しいです。AKにとっては実験的なDAPであっても、あえてSR25などの低価格モデルではなく、いきなりSP2000クラスの高級機に投入したのも納得できます。

ボリュームノブ

本体デザインは一目見るだけでAKの上級機だとわかる、スッキリした鋭角なフォルムです。

AKといえばAK380などのマッシブに張り出すデザインも印象的でしたが、SP1000以降はこのような直角を基本とした、一つのブロックからナイフで切り出したようなデザインを採用しており、世代を重ねるごとに無駄が省かれて洗練されているように思います。

高級DAPだからといって豪華絢爛に装飾するのではなく、実際に本体を触ってみて質感や作りの良さを実感して購入する、という人をターゲットにしているのでしょう。ボリュームノブ部分のシャープなデザイン要素も段々とシンプルに、使いやすさ重視へと進化していっています。

USB-CとマイクロSD

マイクロSDカードスロットは今回は本体下面でバネ式になっています。私は「棒で押すトレイ式」が嫌いだと毎回文句を言っているので、今回もシンプルなバネ式なのが嬉しいです。

SP2000との比較

新たに4.4mm出力追加

Hiby RS6との比較

SP2000と並べて比較してみると、どちらも5インチサイズですがSP2000Tのほうが一回り大きく見えます。ところがSP2000の銅タイプが432gなのに対して、SP2000Tはアルミなので309gと結構軽くなっています。

私のHiby RS6も5インチ画面のはずですが、こうやって並べて比べてみるとRS6はずいぶん小さく見えますね。ちなみにRS6は銅シャーシでも315gなので、アルミのSP2000Tとほぼ同じ重さなのが面白いです。

SP2000からSP2000Tへの大きな変更点としては、まずバランスヘッドホン出力が2.5mmと4.4mmの両方が用意されているのが嬉しいです。あとは、SP2000ではボリュームノブと電源ボタンが一体式だったものがSP2000Tでは本体上部に独立した電源ボタンになっています。

意外と見落としがちですが、5インチ液晶もSP2000の720×1280ドットから1080×1920ドットに高解像化されています。今回それを知らずにSP2000と交互に使っていて、画面のフォントとかが妙にスムーズで綺麗だなと思えたので、確かに実感できる差があるようです。その点ではSP2000よりも後続なだけあって優位に立っています。

背面

光の加減で現れます

本体背面もさすがAKの高級機だけあって、ずいぶん気合が入ったデザインです。このさりげないデザインセンスと素材や組み上げの質感の高さは、他のどのDAPメーカーも到底AKに追いついていないと思います。加工工程が異なる複数のパーツが隙間無くピッタリと綺麗な直線で組み合わさっているのは、並大抵の製造技術では実現できません。

写真ではなかなか伝わりにくいのですが、背面は磨りガラスのような手触りで、その下地のミラーフィニッシュからロゴが立体的に浮かび上がるような感じになっており(写真だとピントが合ってないように見えてしまいます)、さらに上部のLEDバーの部分も一見黒いプレートのようで、光の加減で立体的な矢じり模様がキラキラと輝きます。LEDバーの発光が奥からフワッと滲み出る感じも簡単には真似できません。

レザーケース

折り込みで全体を包む感じです

専用レザーケースも値段相応に高級感があり、DAPをしっかりと保護してくれる安心感がありますし、実際に使ってみてボリュームノブなどの操作の邪魔にもなりませんでした。

個人的にはマイクロSDカードに気軽にアクセスできないという点だけが不満です。特に試聴時にカードを入れ替えるのに毎回きついケースを外すのに四苦八苦しました。実用上はカードは入れっぱなしで本体のUSBケーブル経由で書き換えするでしょうから問題ないだろうと思います。

トランスポート画面

SE180とSP2000Tは画面解像度が1920×1080になったおかげで、一つ前の世代の1280×720と比べてずいぶん見やすくなりました。情報が細かくなったというよりは、フォントやアイコンなどがなめらかで視認しやすくなったという感じです。

インターフェース自体は従来機からあまり手を加えておらず、使い慣れていれば違和感はありません。SP1000・SP2000と比べて一つだけ戸惑ったのは、アイコン列の一番左にあった「戻る」ボタンが無くなり「ショートカット」ボタンに変更されて挙動が変わっています。

その代わりに写真では画面右下の丸い「戻る」ボタン(長押しで画面上の好きなところに配置できる)を使えば良いのですが、従来の位置の戻るボタンに慣れていたので無意識に押して戸惑うことが何度かありました。

アルバムブラウザーやスワイプダウンのショートカットにも変化は無く、細かな新機能が追加されたといった感じです。肝心のアンプモード切り替えがショートカットから手軽に行えるのは便利です。

設定画面でも目立った変化は無く、最近のAKらしくD/Aコンバーターのオーバーサンプリングフィルターモードを選択できるようになっています。デフォルトでどれを使うべきか指定してあるのは音質チューニングに自信があるAKらしくて良いですね。

LED Indicatorという項目があり、そこでは背面のLEDバーの挙動を再生中のサンプルレートかアンプモードによって色が変わるよう選べます。単なるギミックなので、不要ならもちろん消灯できるようになっています。

Bluetoothもコーデックを手動で選べるようになっているのはありがたいです。(もちろん相手側が対応していることが前提ですが)。さらに新機能のBluetooth SinkモードといってSP2000TをBluetooth受信側として使うこともできるようになりました。お気に入りのスマホアプリから音楽を飛ばすような気軽な使い方には便利です。

出力とか

いつもどおり0dBFSの1kHzサイン波信号を再生しながら負荷を与えて、歪み始める(THD > 1%)最大電圧(Vpp)を測ってみました。

まず意外だったのは、アンプモードをTube・Opamp・Hybridと切り替えても、出力電圧がほとんど変わりません。わざわざグラフにラベルするまでもありませんでした。高い方がバランス、低い方がシングルエンド出力です。

それでも若干の差はあるので、なにか起こっていることは確かですが、聴いていて音量の変化が感じられるほどではありません。

バランスでの最大電圧はカタログスペック通りに約17.5Vpp (6.2Vrms)で、100Ω程度から落ち込むので、最大出力は350mW程度のようです。シングルエンドだと50Ωくらいまで粘るので200mWくらいです。

無負荷時にボリュームを1Vppに合わせて負荷を与えていったグラフです。バランスとシングルエンドでボリューム位置に若干の誤差がある以外では、最大出力グラフで見たのと同じように、Tube・Op・Hybridの出力特性はピッタリ同じです。

つまり真空管といっても出力インピーダンスが悪くなるわけではなく、あくまで味付けのみで、最終的なバッファー経路は同じだということでしょう。真空管モードを選んだとしてもヘッドホンとのインピーダンスの相性とかを気にしなくてよいということです。

参考までに他のDAPとも比較してみました。SP2000Tのアンプ特性はSE180とほぼピッタリ一致しているのは面白いですね。どちらもAKの最新アンプ回路を搭載しているのでしょう。もちろんパワーが同じだからといって音質も同じというわけではありません。

それらと比べるとSP2000とKANN ALPHAは低インピーダンス負荷側を見ると似たような出力曲線のようなので、こちらも同じ世代のアンプ設計になるのでしょう。相変わらず高インピーダンスヘッドホンでの最大電圧はKANN ALPHAが圧倒的に高いですが、150Ω以下くらいからはSP2000Tと立場が逆転するので、用途に応じて様々なDAPが用意されているのも納得できます。

ライバルHiby R8やiBasso DX300と比べると、AKは総じて低インピーダンス負荷での出力が弱めですが、こういうアンプ設計というのは高音質と高出力が必ずしも両立できないため、各メーカーごとに目指す設計思想が異なります。余裕があるに越したことはありませんが、普段使うイヤホンでボリュームノブを最大まで上げても音量が足りないとかでなければ、音質優先で比較すべきです。

出力インピーダンスに関しては、どれもほぼ横一直線で似たりよったりなので、比較するまでもないですね。Hiby R8のみ10Ω以下でも破綻せず出力を維持できています。

音質とか

今回の試聴では普段から使い慣れているイヤホンのUE Liveと64Audio Nio、ヘッドホンはFocal Clear MgやSennheiser HD660Sなどを使ってみました。

とくにバランスケーブルならパワーは十分にあるので、それこそ平面駆動型みたいに極端に音量がとりにくいヘッドホンとかでなければ問題なく使えると思います。

UE Live
64 Audio Nio



Criss Cross Jazzからの新譜Misha Tsiganov 「Misha's Wishes」を聴いてみました。96/24ハイレゾPCMです。

長らく停滞していたCriss Crossレーベルもようやくレギュラーセッションが再開したようで、今作もジャケット背景のブロック模様からわかるようにニューヨークSamurai Studioでのセッションで、Systems TwoのMike Marcianoが手掛けているという、私にとっては近代のジャズ録音における頂点のサウンドです。

Tsiganovも相変わらず爽快に飛翔するピアノで、特に2曲目「Strike Up the Band」にてエレピと生ピアノの器用な切り替えや、SipiaginとBlakeのアンサンブル導入から一気にソロに突入する部分なんてまさにジャズの醍醐味です。

AccentusからHans-Christoph Rademannのマニフィカトです。有名なJSバッハの傑作と合わせて息子CPEのものも収録されています。ライプツィヒのトーマス教会でJSバッハの後任候補として招致された時、父が昔そうしたように、自身のマニフィカトを持参したという、ずいぶん度胸がある人だったようです。とはいえ父のパクリではなく、ヘンデルの影響は、ハイドンを予想させるような華やかなCPEらしい作品に仕上がっています。

RademannはこれまでHMやCarusなどレーベルを転々としてバロックミサ作品をリリースしてきましたが、今回は自身が監督を務めるシュトゥットガルト・バッハアカデミーのゲッヒンガー・カントライとの演奏ということで、とても息の合った綺麗な演奏です。最近はコンパクトな室内楽っぽいスタイルの方が本物志向だという風潮もありますが(その方が制作が安上がりだという側面もありますが)、今作のようにスケールの大きい演奏のほうがミサの荘厳さが体感できます。コロナ中の無観客ストリーミングコンサートでの収録です。


SP2000Tを聴きはじめて、まず最初に感じたのは、SP1000やSP2000とは全く違うサウンド傾向だという印象です。それらはスケールの大きな広がりや、楽器と楽器の隙間の空間余裕みたいなものが印象的だったのですが、SP2000Tはもっと全体の構成がコンパクトに収まって、基本フラットでありながら比較的厚みのある豊かな雰囲気があります。

ジャズを聴いてみると、サックスやフリューゲルホルンの音色がふくよかで、中高音の金属的な刺激よりもベルから発せられる音色が際立ち、ピアノも中低音側の表現力が良いなど、音色のコアの部分がしっかりと出ています。ドラムもパシャパシャと刺さらずに小気味良く鳴ってくれるため、全体的にセッションの親密な雰囲気に統一感があって、変に音が飛び出したりせず、安心して聴いていられる大人っぽいサウンドという印象です

もちろんハイエンドDAPなだけあって、単に温厚で鈍いというわけではなくて、解像感もステレオ音場の正しさも非常に優秀です。まるでプロのスタジオミキサーとかのアナログ機器を彷彿とさせるような、真面目でいて聴き応えがある、絶妙な仕上がりです。

下手に解像感を強調しているDAPだと、どうしても音が細くなってしまいがちで、逆に豪華なオーディオパーツを投入して味わい深くしようとすれば、かえって余計な響きが目立ってしまいがちですが、SP2000Tはそのような中途半端なレベルは超越して、もっと高次元な形で、まとまりの良い鳴り方を実現できています。こういった生楽器メインの作品、もしくはボーカルなどで、あまり空間定位や位相などにシビアにならずに、良い意味でカジュアルにじっくりと音楽を楽しめます。

クラシックの大規模なコンサートを聴いてみると、歌手の歌声や楽器ソロなど単体は綺麗で豊かに描かれており、フルオーケストラと合唱が加わっても混乱せずに全体のバランスが取れているのはさすがです。ただしコンサートホール全体のスケール感や、空調から床や天井の反響までリアルに立体情景を再現するのは、やはりSP1000やSP2000の方が一枚上手だと思います。

試聴に使ったイヤホンでは、UE Liveのように完全密閉で情報量が多いタイプだと、ちょっと重苦しく感じる事があったので、そういうのはSP1000・SP2000やmicro iDSDのような軽めで広がりのあるアンプで鳴らす方が良いと思いました。SP2000TはどちらかというとHD660Sなどスッキリした開放型ヘッドホンの方が相性が良い感じです。64Audio NioもApexモジュールのおかげで音抜けが良いため、SP2000Tとの組み合わせても濃厚すぎずに楽しめました。最近のイヤホンだとIE900との相性も抜群です。IE900くらい高性能なイヤホンでもDAP由来の不具合を意識させないという点で、さすがAKの高級機だという実感がわきました。

これまでのAK DAPを振り返ってみると、SP2000Tはメインストリームとは一味違うSR25、SA700、KANN Alphaなどのサウンドがようやく最高級機相当に昇華したような印象もあります。どれも悪くないものの、最上級機と比べれば、たとえばSR25は若干荒っぽく、SA700は音抜けが悪く、Kann Alphaは単調でと、それぞれに惜しいと思える点もあり、しかしSP1000やSP2000になると全く異なる系統の鳴り方なので素直に上位互換とは呼べないので、私みたいに「SA700の音が好きだけど、それの上位版を聴いてみたい」なんて思っていた人にとってSP2000Tは嬉しい存在です。つまりSP2000Tの鳴り方は意外であったと同時に、なるほどと納得できる部分もあります。

また別の考え方でいうと、AK DAPは2015年のAK380から2017年のSP1000でサウンドが大幅な方向転換をしており、SE200やSE180は新しい方向に分類されるので、もしAK380がそのまま順当に進化していたらSP2000Tのような感じなのかも、とも思えてきます。そういった意味で、SP2000とSP2000Tはあまり共通点が無い全く別物のDAPだと思います。


ところで、これまでSP2000Tの音について書いてきて、肝心のオペアンプと真空管モードについて一切触れてこなかったので、一体どっちで聴いた時の話なんだ、と気になっていた人もいるかもしれません。

私もそこが一番気になっていたので、今回いろいろな楽曲やイヤホンで聴き比べてみたのですが、正直なところ、そこまで大きな違いが感じられないというか、意外なほどに変化が少ないです。

もちろん私よりももっと耳が敏感な人なら明確な差が感じられるとは思いますが、今回真空管モードで聴いてみても、大音量で歪んだりノイズフロアが高かったりというような問題も無く、私ならオペアンプと真空管のどちらでもいいや、と思えてしまいました。

それでも交互に切り替えてみれば確かに違いはあるようで、オペアンプモードでは楽器の音像が細くスッキリとして、一音ごとの残響が背後に広がる感覚が聴き取りやすく、音場の奥行き方向の情報が正確になることで、立体感が出るようです。特にクラシックのコンサート演奏では効果が実感できます。

一方真空管モードにすると音像が太くなるのと同時に響きも手前に寄ってきて、もうちょっと平面的でメリハリが減って、淡い響きの壁があるような感覚です。ロックやジャズのスタジオ録音など音圧のメリハリが強調されすぎている楽曲ならこちらの方が良いと思います。なんにせよ効果はかなり薄味で、たとえばiFi Pro iDSDの真空管モードほどわかりやすい演出ではありませんので、そういうのを期待しているとガッカリするかもしれません。

Korg Nu:Tekt HA-KITで体験したような真空管特有の弱点、たとえば本体を叩くとキーンというワイングラスを弾いたような音がヘッドホンから聴こえるとか、スマホを隣接させると電波でプツプツとノイズが乗るといった不具合はSP2000Tでは問題ありませんでした。

Nu:Tektは安価な自作キットだったので、Nutubeを単なるスポンジのクッションの上に両面テープで固定してあるだけでしたが、SP2000Tはさすが高級機だけあって、シリコンゴムで挟んだ上で磁力で浮かせるという入念な振動対策を行っています。CampfireやEmpire Earsなど異常に感度が高いイヤホンで、本体を思い切り叩いて耳を澄ませばうっすらと聴こえるくらいで、実用上そこまで強い衝撃を与える事は無いでしょう。

また、真空管なのでバッテリー消費も心配になりますし、約9時間という公式スペックもオペアンプモードでと明記してありますが、実際に真空管モードだからといって急激にバッテリーが減るとか発熱が増えるという感じはしませんでした(どちらにせよ使っていれば暖かくなります)。真空管は無音時でもヒーターが点灯しているため、一般的なオペアンプと比べて四倍くらい静止時電流を消費していますが、画面やOS、D/A変換、出力バッファーアンプなど、DAP全体の電力消費と比べれば僅かなものです。

オペアンプと真空管モードを交互に聴き比べてみて、なんとなく傾向は掴めてきたところで、個人的に一つだけ不満を言うとするなら、ハイブリッドモードはあまり好きではありませんでした。

試聴する前は、オペアンプと真空管の両方をブレンドできるなら、それに越したことはないじゃないか、常時ハイブリッドモードで使えば良いだろう、なんて想像していたのですが、いざ長期間の試聴を終えてから思い返してみると、むしろ逆に、オペアンプか真空管のどちらかを選んでいる事が大半で、ハイブリッドモードを好んで選んだ事はほとんどありませんでした。

私の勝手な印象ですが、ハイブリッドモードはオペアンプと真空管の両方の音が単純に重なっているようで、それぞれの弱点も同時に現れている気がします。つまりオペアンプモードの音像の細さに、真空管モードの響きが手前に平面的に出る感覚が重なっているようで、双方のメリットが潰されている気分です。結局、ちょっと響きが緩いなと思ってオペアンプモードに行ったり、もうちょっとリラックスさせたいなと思って真空管モードに行ったりで、ハイブリッドモードは一切使わなくなってしまいました。

もちろんアイデア自体は悪くないですし、ハイブリッドモード特有のサウンドが好きな人もいるでしょうから、無いよりもあったほうが良い事は確かです。しかし一般的にオーディオマニアが想像するような、オール真空管とオールトランジスターの中間の、真空管プリとトランジスターパワーアンプの組み合わせという意味でのハイブリッドモードを想像しているなら、それとはちょっと違うという印象でした。

なんにせよ、気兼ねなく手軽にオペアンプと真空管モードを切り替えて楽しめるというAKのアイデアは十分に満たしている、優秀なデザインだと思います。

おわりに

今回SP2000Tをじっくりと試聴してみて、特にオペアンプと真空管モードの違いを交互に聴き比べてみたりわけですが、ユニークな試みではあるものの、あくまでAKのクオリティが保証できる範囲での冒険といった感じで、良くも悪くも「DAPは音楽鑑賞のためのツールで、原音忠実であるべき」というスタンスからは逸脱していないようでした。

つまり、わざと歪ませて「真空管らしい」サウンドを演出するような小細工は行っておらず、注意して聴かないとどちらか区別がつかないくらい微妙な差ですので、真空管になにか魔法のような効果を期待しているような人には向かないと思います。

また、ヘッドホンマニアであれば、すでに他社の真空管式ヘッドホンアンプを試した事がある人もいるかもしれませんが、それらを作っているニッチなガレージブランドの多くは、コンシューマー製品としての意識が低く、電源が入った状態でモードを切り替えると物凄いノイズでイヤホンが壊れるとか、特定のヘッドホンを挿すとノイズが発振するとか、特定の角度で置かないと電磁ノイズを拾いまくるなど「いかにも」な製品が多いので、その点SP2000Tはあまりにも完成されているため、むしろ真空管はハードルが高いという先入観を持っていると拍子抜けするくらい「普通」なのが唯一の欠点かもしれません。

真空管アンプというと、意外と多くの人が、電磁ハムノイズ、コンプレッサーのようなダイナミクスの圧縮感、高調波倍音歪み、クロストークの悪さ、高音のロールオフ、といった、安価な真空管アンプにありがちな不具合によって生まれたサウンドを無意識に求めていて、逆にそういうのが一切感じられないクリーンなサウンドだと、「これは本物の真空管サウンドではない」と不満を言い出すので、メーカーとしては、どの程度脚色すべきかの判断が難しいところです。

実際にスピーカー用真空管オーディオの世界でも、最先端の優れた回路設計を用いて、トランジスターと比べても遜色無いくらいのクリーンでダイナミックな性能を実現するメーカーがある一方で、わざと古典的な設計を模写して当時の弱点を含めての味わいを演出するメーカーもあります。逆に言うと、ある程度の味わいが残っていなければ、わざわざ真空管を選ぶ意味が無い、という風にも考えられます。

では結論として、SP2000Tは30万円の価値があるのか、買うべきなのか、という事になると、私の率直な意見としては「真空管サウンドを味わいたい」という目的では、買うべきではないと思います。

しかし、あくまで「現行DAPの最高峰を味わいたい」という目的なら、その価値は十分にあると思います。30万円が安いか高いかは人それぞれですが、現在手に入るDAPの中でも、ジャンルや音源を問わずに高水準を保ってくれて、高音質録音のポテンシャルを引き出してくれる製品となると、SP2000Tはトップクラスの存在です。

たとえば私が今使っているHiby RS6は約16万円で独自のD/A変換を搭載しているというコンセプトには共感が持てますし、かなりの美音を演出してくれますが、音源に含まれた情報量を全て引き出すという点ではSP2000Tには一歩及びません。価格は無視して、音源レファレンスとしてのDAPを一台選ぶとしたら、SP2000Tは最有力の候補かもしれません。

これまで低価格DAPを作っていたメーカーからも、最近は一気に高級モデルが出揃ってきましたが、それらはまだチューニング技術が未熟な印象があります。チップ銘柄やスペックが先行して、サウンドにまとまりが無く、本当に音楽を聴いた上で構成を決めているのか疑問に思える製品も多いです。

その点AKはハイエンドDAPの先駆者としてこれまでに数々のオーディオマニアや技術者からのフィードバックを得てきた事で、具体的にどのようなサウンドに仕上げるべきか、この価格設定なら何ができるのか、という高級機ならではのデザイン思想が確立している、希少なメーカーだと思います。

オーディオはスマホではないので、最先端チップを搭載しているからといって高音質になる保証はありませんし、測定スペックと人間の耳は別なので、実際に何百回も試作機の試聴を繰り返して回路と音質の傾向を吟味する必要があります。ときには全体のバランスを考慮して意図的に高級パーツを外してグレードを落としたりする必要もあります。老舗オーディオブランドを見ると、搭載チップやスペック数値なんかは最新DAPと比べて10年遅れているように見えても、音質は圧倒的に優れていたりします。

そんなわけで、SP2000Tの30万円という価格設定は、真空管という奇抜さよりも、むしろ安心して購入できるAKの高級DAPとしての側面を強調したいです。

これで気になるのは、今後のAK DAPはどのように展開してくのでしょうか。SP2000は2019年発売なので、これまでのペースで行くと、そろそろ後継機を期待していい頃合いですし、高級DAP市場を見てもソニーから40万円のウォークマン新作が出るなど、まだまだ活気があるようです。

SP2000も発売価格の43万円から現在は33万円くらいに徐々に下がってきたので、そうなるとまた次期フラッグシップが40万円超で登場して、SP2000Tは30万円の中堅機として存続する事になるのでしょうか。私ではちょっと手が届かない価格帯ですが、世の中にはこういう凄いDAPがあるんだという事を実感するためにも、機会があればぜひ試聴してみてください。