ちょっと前にStaxやAbyssなどの高価なヘッドホンを一気に試聴する話を書いたのですが、今回はそれの第二弾ということで、Audeze LCD-5、Focal Utopia SG、Dan Clark Audio Expanseという三つの2022年新作ヘッドホンについて、まとめて感想を書いておきたいと思います。
どれも私では手が出せないくらい高価なヘッドホンばかりなので、こうやってじっくり聴き比べる事ができるだけでも光栄です。
高級ヘッドホンたち
普段このブログでは各モデルごとに紹介記事を書いているのですが、こういう超高級ヘッドホンというのは、とりわけ個別に書く内容も思い浮かびません。
ある程度の高級機になってくると、私のようにカジュアルな音楽鑑賞に使っている程度なら、明らかな欠点や不具合が見つからなくなるので、どれも「とてもいい音」という程度の感想になってしまいます。高級スポーツカーを一般車道の安全運転であれこれ評価しているようなものです。
そのため今回みたいに比較になるようなヘッドホンがいくつか揃ったほうが違いがわかりやすいということで、ここ数ヶ月で登場した高級ヘッドホンを一気にまとめて聴いてみることにしました。
前回はAbyss AB-1266 PHI TC、Dan Clark Audio Stealth、STAX SR-X9000、HEDD Heddphoneという四種類でしたが、今回は下記のヘッドホンを聴いてみました。
- Audeze LCD-5 平面駆動型
- Focal Utopia SG ダイナミック型
- Dan Clark Audio Expanse 平面駆動型
といったラインナップで、とりわけExpanseは前回取り上げた密閉型Stealthの開放型バージョンということで、両者の違いも気になるところです。
どれを鳴らすにも申し分無いアンプです |
試聴に関しては、基本的に、最近よく使う組み合わせのChord DAVE DACからiFi Audio Pro iCAN Signatureヘッドホンアンプというシステムで鳴らしてみました。
DAVEの繊細さとPro iCANのパワフルさが絶妙なコンビネーションを発揮してくれて、どんなヘッドホンでもしっかり鳴らしきってくれます。特にPro iCANの方はSignatureバージョンになってだいぶ音が良くなったように思えます。またDAVEにもヘッドホン出力端子があるので、Pro iCANとどちらから鳴らすかで気分転換もできます。
Audeze LCD-5
Audeze LCDシリーズというのは、日本ではそこまで主流ではないものの、米国のヘッドホンマニアにとっては誇り高き自由の象徴、理想郷のようなヘッドホンであって、最新フラッグシップLCD-5の登場は大きな話題になりました。発売価格は65万円くらいです。
2008年登場のLCD-2から着々と更新されているLCDシリーズの中でも、今作が特に注目された理由としては、ようやくデザインの全面的な作り直しが行われ、軽量コンパクト化に着手したという点が大きいと思います。
LCD-5とLCD-4Z |
HIFIMANと同じくらいのサイズになりました |
直近のLCD-4Zと並べて比較してみると一目瞭然、まるでジュニアサイズのように小さくなりました。これで装着感は大丈夫なのかと心配になるかもしれませんが、むしろ逆に、これまでのLCDシリーズを装着した事がある人ならご存知の通り、あまりにも巨大すぎる事で有名だったわけで、つまり新型LCD-5の方が一般的なヘッドホンのサイズに近いです。
旧型LCDシリーズは、音質の良し悪しを語る以前に、単純に大きく重すぎて首や肩がついていけず、購入を断念した人が多いという問題作だったことは確かです。
さすがアメリカのメーカーだけあって、大柄なアメリカ人なら問題ないでしょうけれど、私みたいな小柄な日本人だと、長時間首をまっすぐにしているだけでも辛くなってきます。しかも平面駆動型の極薄振動板を搭載しているため、ちょっとでも頭を左右に傾けるとドライバーがカサカサと音を立てて変な音になってしまうあたりも難点でした。
そんなLCDシリーズでしたが、新作LCD-5では大幅なダウンサイジングが行われており、しかも単なる縮小ではなく、ヘッドバンド、ハウジング、イヤーパッドなど、全ての部品が再設計されました。
プラスチック製ハウジング |
精悍なグリル |
まず従来機を知っているなら一番目につくのが、ハウジング外周が木材や金属ではなくプラスチックになっています。セルロイドのメガネフレームのような半透明のべっ甲柄は高級感があるのかないのか、いまいちよくわかりませんが、独特の個性がある事は確かです。
さらに、ドライバーグリルは昔のような鉄板の打抜きではなく、若干のカーブを描く精巧な仕上がりです。
新たなカーボンヘッドバンドと調整ロッド |
こういう部品のさりげない美しさが好きです |
ヘッドバンドを見ても、各パーツがスッキリと嵌め合う流線的なデザインになっており、もう昔のような手作り風ではなく、れっきとした大手メーカーに成長した事を見せつけてくれます。
特に、アーチ状のカーボンパーツと、ハンガーのスライダー部品、そして金属棒の丁寧な仕上がりなど、どれを見ても美しく組み上がっており、まるで高級車の内装を見ているかのようです。
新型イヤーパッド |
イヤーパッドも従来のような箱型に耳を覆うデザインではなく、内側が広く開いている立体的な構造になりました。ハウジングがコンパクトになっても耳のフィット感が狭くなることはなく、むしろ十分な余裕を与えながら、不用意に前後左右に動かない優秀なデザインだと思います。
ミニXLRコネクター |
ケーブル装着時 |
ケーブルはこれまでと同じミニXLRタイプで互換性があります。高価なヘッドホンなのに、一番安いREANのバラ売りコネクターをそのまま使っているのは、無頓着というか、ちょっとデザインの整合性が悪い気がします。自作ケーブルを作る人としては、気兼ねなく安価なREANを使えるというのは良い事かもしれません。
付属ケーブルも全然悪くありませんが、Audeze LCDシリーズといえば大量の社外品ケーブルが手に入るというのも、マニアが選ぶヘッドホンとしてのメリットがあります。
Focal Utopia SG
次に、フランスFocalの代表作Utopia SGは初代と同じくベリリウム40mmダイナミックドライバーを搭載しています。具体的になにか革新的な技術を導入したというよりは、初代Utopia以降に登場したモデル開発やユーザーフィードバックをもとに、細かなリファインをしたマイナーチェンジモデルという感覚のようです。ゼンハイザーHD800とHD800Sの違いみたいなものでしょうか。
相変わらずフランス製で、発売価格は60万円だそうです。高価なだけあって、標準で3mの4ピンXLRバランスケーブルが付属しているのはありがたいです。ちなみに短い1.5mの3.5mmケーブルも付属しています。
Utopia SG |
初代Focal Utopiaが日本で発売されたのは2016年の事なので、このSecond Generation (SG) を待ち望んでいた人も多いだろうと思います。
途中2020年にはバランスケーブルを同梱したUtopia NP (ニューパッケージ)というのも出ましたが、ヘッドホン本体に変更はありませんでした。日本ではSKUの関係でNPやSGといった名前がついていますが、海外ではどれも同じくUtopiaと呼ばれており、海外レビューなどを見ても今回の新作は「Utopia (2022 model)」といった具合に、わかりにくい状況になっています。
初代Utopiaの方は、発売からずいぶん時間が経っていることで、だいぶ安く買えるようになりましたし、世界的に人気モデルだったので中古品もたくさん流通しています。
ただし、2016年発売当時の初期型は、内部配線の断線で音が出なくなるなどの不具合が多かったようなので、中古品を検討する場合は要注意です。初期版以降は早急に対策されたらしく、私の身の回りでもここ数年は不具合をほとんど目にしていません。
スピーカー老舗メーカーFocalによる高級ヘッドホン第一弾として登場したのが初代Utopiaだったわけで、長期的な信頼性のノウハウに未知数な部分があったのかもしれません。(Utopiaというのも、同社スピーカーの最上級クラスと同じ名前にあやかっています)。
そんな初代Utopiaの発売以降、現行シリーズのStellia、Celestee、Clear Mgといったモデルあたりから明確な進化が実感できたので、そうなるとUtopiaもこれらヘッドホンで培った技術を投入して進化してほしい、と思っていたところに登場したのが、今回のUtopia SGでした。
公式の情報によると、初代Utopiaとの違いは、ハウジングの音響設計を微調整した以外では、ドライバーのボイスコイルが更新され、軽量かつ信頼性が向上したと明示しているので、初代初期型のコイル断線については対策済みだから心配するなと言っているように思えます。
最近登場したワイヤレスモデルBathysと比較 |
あいかわらずフランスらしいデザイン |
エンブレムがカッコいいです |
Utopia SGはハウジング中心にエンブレムが追加され、初代のギラギラ、テカテカ感が軽減されたあたりで見分けられるようになりましたが、全体的なサイズ感やフォルムはほぼ同じなので、旧型のオーナーならすんなりと移行できるだろうと思います。
旧型はまだ手探りの手作り感というか、各パーツの統一感という点では難ありだったところ、今作はStelliaなどと同じように素材や色使いに一貫性を持っているあたりが好印象です。
フィット感もだいぶ良くなったように思います。下位モデルはヘッドバンドのハンガー部品にアルミを使っているのに対して、Utopiaはカーボン製なのが売りでもあるのですが、カーボンというと硬いイメージがあるものの、初代Utopiaはこのあたりがプラスチックのようにグニャグニャして、ハウジングのホールド感が悪い感じがありました。むしろ下位モデルのアルミの方が耳周りをしっかりとホールドする安心感があり、そっちの方が好みでした。
Utopia SGは同じくカーボンですが、もうちょっとしっかりしており、アルミほどではないものの、以前のようなグニャグニャした感じではなくなり、ホールド感も申し分ないです。ただし、このあたりはUtopia SGになっての変更なのか、初代Utopiaも後期ロットでは同じくらい硬くなっているのかは不明です。
ハンガーはカーボンです |
イヤーパッド |
イヤーパッドも旧型同様に通気穴のあるレザーで、肌触りが良いですし、内部空間にも十分な余裕があります。ちなみに純正の交換パッドはペアで33,000円と高価なので、中古品を買ってパッドだけ交換しようと検討している人は、そのあたりも気をつけてください。
パッドといえば、Clear Mgなどはマイクロファイバーのフェルトっぽい素材で、経年劣化で汚れて毛羽立ってボロボロになってしまうため、店頭デモ機とかでそれを見てしまい、購入意欲が失せるという人が結構いるのですが、Utopiaはレザーなので寿命がそこそこ長いのは嬉しいです。
ケーブル接続 |
付属ケーブル |
ようやくカッコいい留具が |
ケーブルも旧型から続投でLEMO端子です。HD800Sのものよりも一回り大きいFGG 0BサイズなのでHD800S用ケーブルは使えません。LEMO端子は信頼性が高くて高品質なのは良いのですが、いかんせんコネクターの価格が高いため自作マニア泣かせです(LEMO純正だとペアで一万円くらい)。とはいえUtopiaは人気モデルなので、多くのケーブルメーカーからアップグレードケーブルが出ています。
ところで、初代Utopiaはケーブルを止めておくバンドがホームセンターで売っているようなベルクロのテープを切ったバリバリだったのが気になっていたのですが、今回はロゴ入りレザーのカッコいいバンドに変わったのが嬉しかったです。
Dan Clark Audio Expanse
Dan Clark AudioのExpanseは前回聴いてみた密閉型ヘッドホン「Stealth」の開放型バージョンということで、ハウジング側面がメッシュになったくらいで、デザインはほぼ同じです。
「赤のStealth、青のExpanse」という風に、ステッチの色で区別しているのはセンスが良いですね。
Audeze LCD-5と比較 |
Stealthとの比較 |
イヤーパッドは同じもののようで、中にAMTSが見えます |
ドライバーはどちらも76×51mmの平面駆動型で、振動板の前にアコースティック・メタマテリアル・チューニング・システム(AMTS)という蜂の巣状の立体グリル部品を搭載しているのが特徴です。
このAMTSというパーツは、振動板から発せられた音波を調整する効果があり、一種の音響フィルターのような役目があるらしいです。
平面型ドライバーというと、振動板の前に磁石棒が並べてあり、それらの配列や断面形状で音の拡散が変わるという事が昔から言われてきたので、このAMTSというのはそれを一歩先に進めたアイデアなのでしょう。
立体的なグリル |
ExpanseとStealthの比較 |
ハウジングのグリルは一般的なパンチングやワイヤーメッシュではなく、3Dプリンターによる複雑な立体構造になっています。
開放型ヘッドホンといっても、ドライバーから外に発せられた音の一部がグリルで反射して耳に戻ってくるため、どの周波数をどれくらい反射するかを調整するのが重要なので、最近はこういった複雑なグリル素材や形状を採用しているメーカーが増えてきました。
ヘッドバンドのステッチが青 |
細いワイヤーです |
ハンガーのヒンジ部分 |
折りたたみできます |
ヘッドバンドのステッチがStealthは赤でExpanseは青という違いがあり、それと開放グリルである以外のデザインはStealthと全く同じです。高級ヘッドホンとしては珍しくヘッドバンドのアームで折りたたみできるのが面白いです。
ヘッドバンドは弾力のある二本の金属ワイヤーとハンモッククッションによるAKGのようなデザインなので、ハウジング以外はかなりグニャグニャしており、イヤーパッドが耳周りにバネでピッタリと押さえつけられるような感じの装着感です。
ところで、StealthやExpanseを試聴している際に、たまに「ブーン」という音が薄っすらと聴こえるので、原因を探ってみたら、ヘッドバンドのワイヤーが共振していました。装着中にワイヤーを手で叩くと、まるで「お寺の鐘」のように盛大に鳴り響くので、聴いている音楽との共振かなにかで、これと同じ現象がわずかに発生しているようです。
同じワイヤーデザインでもAeonの場合はゴム製の調整スライダーがワイヤーを挟むようなデザインなので、それが振動を吸収するのか、StealthやExpanseほど響きません。簡単な対応策として、ワイヤーに輪ゴムを巻いておきました。
付属ケーブル |
コネクター |
ケーブルもStealthと同じもので、太く柔軟なロープのような質感です。コネクターは他のDan Clark Audioヘッドホンにも使われているヒロセHR10タイプで、Dan Clark Audio公式ショップからもバラ売りされています。そこそこ安価で、カチッとしっかりロックしてくれて、太いケーブルも扱える優秀なコネクターなので、自作ファンに喜ばれています。
インピーダンス
再生周波数に対するインピーダンスの変化を確認してみました。
今回はUtopia SGのみがダイナミック型で、LCD-5とExpanseは平面駆動型なので、インピーダンスグラフにもそれらの違いが明確に現れています。
一昔前は、250Ωとかの高インピーダンスヘッドホンが「鳴らしにくい」とされていたわけですが、近頃とくに平面駆動型においてはインピーダンスが非常に低いのに感度が低いため「鳴らしにくい」ということで、アンプ設計において新しい課題が生まれています。
つまり、昔の高インピーダンスヘッドホンはアンプの電圧の振れ幅が足りないと音量が頭打ちになってしまう(ボリュームを上げても音量が足りない)のが問題になるわけですが、これら平面駆動型では、アンプの電流供給が足りず定電圧駆動が維持できなくなる(ボリュームを上げていくと信号が歪んでいく)という問題が起こります。そのため、音量が十分であっても歪みやノイズなどの音質面で優れたアンプが必要になるわけです。
ところで、電気的な位相変動で見る方がわかりやすいのですが、平面型の中でも、LCD-5は完璧な横一直線、つまりアンプからは純粋なDC抵抗のように見えるのに対して、Expanseは200Hzあたりを起点に若干回転しています。密閉型のStealthでは横一直線だったので、Expanseは開放ハウジングによる何らかの影響があるのでしょう。
問題はUtopia SGの方です。今回インピーダンスを測るにあたって、ここまで面倒だったヘッドホンも珍しいです。
まず、約300Hzにあるインピーダンスの山ですが、Utopia SGのベリリウム40mm振動板はとにかく敏感で、そよ風が吹いただけでも動くくらいなので、振動板と耳の間の密閉具合によって共振帯域のインピーダンスが大きく変わります。
上のグラフは全く装着していない状態(Free)、普通に装着した状態(Worn)そして装着してパッドに若干隙間がある状態(Gap)で同じ周波数スウィープを行った結果です。
装着していないと、振動板の動きを妨げるものが無いので、電流をほとんど消費せず勝手に振動を続けるような感じで、インピーダンスのピークは700Ωにまで上昇します。そして、メガネやマスクなどでパッドと耳の間に空気が逃げる隙間があると、インピーダンスの山がFreeとWornの中間になります。つまり、装着具合がドライバーの動きやすさに影響を与えるということです。
さらにUtopiaの難点は、テストに使った電圧、つまり音楽の音量によって、この低域側の特性がかなり変化する点です。
私は今回100mVの定電圧テスト波形を使っており、これは一般的なリスニング音量で聴いている状況を想定して選びました。
上のグラフはテスト信号を100mVから200、500、1000mVと変化させた結果です。1000mV(1V)ともなると、うるさすぎて測定するのも厳しいような状態ですが、これくらいの爆音で聴いている人も結構見かけます。信号が大きくなるにつれ共振点のインピーンダンスと周波数が若干低くなっていき、さらに3kHz付近のアクセントも若干変化しているようです。
ちなみにテスト電圧が高いとグラフ線がちょっとカクカクしているのは、大音量で頭をちょっとでも動かすと、振動板の慣性力か、パッドの隙間が変化するせいなのか、何度測っても落ち着きませんでした。
このような装着具合やリスニング音量による変化は他のヘッドホンでも若干は発生するものの、無視できる程度なのに対して、Utopiaはダイナミック型の中でも特に極端な例でした。
ではこれが実際どのように音質に影響するのかというと、まず耳周りに隙間無くピッタリと装着できている事を前提として、出力インピーダンスが低い一般的な定電圧駆動のヘッドホンアンプで鳴らすのなら、ほぼ問題ないだろうと思います。
しかし、変なフィードバック制御で定電流駆動など独創的なアイデアを盛り込んでいるアンプで鳴らすと、低音の表現力、特に位相差による前後の奥行き感が結構変わってしまうと思います。
さらに、リスニング音量によってサウンドの印象が変わってしまう可能性もあるので、小音量でゆったり聴く人と、難聴になるくらいの爆音で聴く人では、同じアンプ環境でも感想が変わるかもしれません。
Focal自身がどんなアンプで鳴らすのを想定しているのかわからないので、必ずしも正解はありません。これがプロ用のモニターヘッドホンでしたら、駆動条件で鳴り方が変わってしまっては問題なので、その場合は300Ωとかの高インピーダンス設計にするのが一般的になっていますが、Utopiaはむしろ逆にアンプで音の変化を楽しむというのがマニアにとってはメリットになるのかもしれませんし、そのあたりの設計思想も家庭用スピーカーと似ているのがFocalらしいです。
LCD-5の音質について
今回試聴したヘッドホンの中で、LCD-5が一番意外な鳴り方でした。これまでのLCDシリーズやAudeze全般のイメージとは根本的に違うアプローチです。
LCD-5 |
具体的には、とても高解像でレスポンスが素早く、響き要素が少ない、とにかく「ドライ」な鳴り方で、どちらかというとプロ用スタジオモニターヘッドホンを連想させます。
これまでのAudezeというと、中低域の迫力があり、イヤーパッドの反響で響きを強めた、音楽鑑賞に適した鳴り方で、とくにLCDシリーズはLCD-2、3、4と世代を重ねるたびに厚みや押し出しが強調される道を辿っており、明らかにロックを大音量で鳴らすアメリカのおじさんを想定した音作りといった感じでした。アメリカでは最高峰のヘッドホンなのに、日本ではそこまで覇権を握っていないのは、このあたりの音楽感の違いによるものかもしれません。
今作LCD-5は、とくに新ハウジングとイヤーパッドの変更が大きな変化をもたらしているようです。従来機では、レザーパッドが耳周りを小箱のように囲うことで、開放型ではあるものの、まるで密閉型のように至近距離での反響が目立つような鳴り方でした。振動板と鼓膜がピッタリと密閉され、ハウジングを手でグッと押せば鼓膜が圧迫されるのが実感できますし、音楽の低音が空気ポンプのように鼓膜への音圧を生み出すような感覚がありました。
つまり、これまでのAudezeは、アメリカンなリビングルームの巨大フロアスピーカーやイベントのPAスピーカーのような、力強い音圧とエネルギーを体感することを目指しており、ロックなど「スピーカー越し」の体験を求めている人に最適のヘッドホンです。そんな風に言うと、安直なクラブサウンド系ヘッドホンを想像するかもしれませんが、LCDシリーズはそうではなく、もっとボーカルやエレキギターなどが際立つ中域の押し出しが魅力でした。
ところが、今回登場したLCD-5はずいぶんスッキリした抜けの良い音なので、想定外で驚いたわけです。いわゆる開放型といった感じの鳴り方なのですが、高音寄りの軽い音というわけではなく、周波数特性が最低音から最高音まで全部しっかり聴こえるあたりは、さすがAudezeらしいです。
高解像ではあっても金属っぽい響きや硬さは一切感じられないので、あくまで録音に含まれる高音のディテールが細部まで描かれています。ただし、開放型ヘッドホンの中でも、たとえば旧AKGとかオーテクのように中高域に艶っぽい輝きを与える美音系ではなく、むしろ立ち上がりも引き際もカッチリとした、かなりシビアな鳴り方で、ボリュームを上げていくと中高域のエネルギーが目立ってくるので、どちらかというとゼンハイザーとかシュアーのようなモニターヘッドホンっぽい系統の鳴り方です。
LCD-4Z & LCD-5 |
特に今回LCD-4ZとLCD-5を交互に聴いてみると、どちらが良いのか悩ましいです。原音を届けるという意味で完璧に近いヘッドホンは明らかにLCD-5の方なのですが、音色の派手さや勢いの良さではLCD-4Zの方が「楽しめる」ヘッドホンです。
LCD-5は凡庸で退屈というわけではなく、解像感も帯域の広さも十分すぎるほど備わっているのですが、むしろカッチリしすぎていて、古い楽曲は録音の不備が目立ってしまい、とりわけ音圧の強い楽曲はザラザラ、ギラギラするような、ちょっと聴き疲れするというか、耳障りになりがちです。
空間表現は、Audezeらしくイヤーパッドが若干傾斜しているのみで、ドライバーは耳に対してかなり至近距離で直角に鳴っているため、高級ヘッドホンにありがちな擬似的な前方定位の立体感や一歩引いた空間余裕が希薄なあたりも、ますます精密なモニターっぽさを強調します。一張羅のレファレンスモニターとして買うなら断然LCD-5を選びますが、では実際に毎日楽しく音楽鑑賞ができるかとなると、厳しい場面も出てくるかもしれません。
MM-500 & LCD-5 |
LCD-5と比べればMM-500はそこまでエッジがシビアではなく、LCD-5とLCD-Xの中間くらいの厚みのある鳴り方なので、個人的に結構気に入って、これは買いたいと思えたものの、たとえばシュアーSRH1840やゼンハイザーHD660Sのように、カジュアルに使うには真面目すぎるかもしれません。プロモニター用途に開発されたそうなので、これくらいが正解なのでしょう。
そんなLCD-5とMM-500を散々試聴してみた結論として、Chord DAVEとiFi Audio Pro iCANで鳴らすのでは物足りないと思えてきました。あくまで娯楽としての音楽鑑賞では、WooやAurisなどの真空管アンプを使った方が断然楽しいです。
これはあくまで私の勝手な推測なのですが、LCD-2などが流行っていた2010年頃というと、まだヘッドホンそのもののクセが強かったですし、ハイエンドなアンプの種類も限られていたので、比較的実直なアンプで駆動するのが一般的だったように思います。それが現在のヘッドホンマニアを見ると、D/A変換からアンプに至るまで、ありとあらゆる選択肢があり、つまりヘッドホンをレファレンスとして、それを鳴らす機器で味付けを加えるような感じに立場が逆転したように感じます。
つまり、LCD-5の音作りは、現代のヘッドホンマニアにとっては正しい進化なのかもしれません。ヘッドホン自体は完璧を誇るような鋭角な鳴り方で、そこからはDACやアンプで自分好みの音色の表現に調整するといった感じです。
一昔前のヘッドホンでは、真空管アンプなどで鳴らすと、ヘッドホンとアンプのクセがそれぞれ喧嘩して変な音になってしまいがちだったのですが、その点LCD-5であれば、高性能なヘッドホンをデチューンするような感じで、ヘッドホンに絶対的な信頼を置いて、アンプ選びに専念できるという趣味の発展へと繋がります。たとえばビンテージEL34や300Bの聴き比べとかが好きな人にとっては、LCD-5が最高のパートナーになりそうです。
新型ドライバーは電磁ノイズに敏感なようです |
余談になりますが、今回LCD-5を使っていて、一つだけ問題点というか注意点を発見しました。新型の平面振動板の磁石回路がかなり敏感なのかもしれませんが、特にシングルエンド接続の場合、駆動するアンプの接地状況によってはノイズが混入するトラブルに何度か遭遇しました。
具体的には、Chord Hugo TT2やiFi Pro iDSDなど、スイッチング電源のACアダプターで給電しているアンプで、他に接地を確保していない場合、アンプがアースから浮いているため、ヘッドホンがアンテナ化してノイズを拾いやすいです。
他のヘッドホンでは問題ではなくとも、LCD-5を装着すると、いわゆるアースループの「ブーン」というノイズが聴こえて、自分の手をハウジング付近に持っていくとノイズが増して、さらに反対の手でアース(他のアンプのシャーシとか)に触れると、盛大にノイズが発生するので、自分の体を伝わって誘導でアースループが発生していて、それが振動板を動かしているようです。
特に最近はHugo TT2のようにパソコンからのノイズを遮断するためにUSB端子が電気的に絶縁されているDACが増えており、そうなるとUSBケーブルのシールド経由で接地できないため、背面のRCAやXLR出力端子を他の据え置きアンプなど、ちゃんと接地されている機器に接続するなどの対策が必要です。このあたりは昔のレコードプレーヤーを使ったことがある人ならなんとなく想像がつくだろうと思います。
色々実験してみればノイズの対応策は見つかるものの、突き詰めると僅かなノイズが発生している可能性が捨てきれず、音楽鑑賞のノイズフロアが接地状況に左右されかねませんし、もしデスクトップサイズのDACアンプとLCD-5のみでシンプルなヘッドホンシステムを検討しているなら、思いがけないノイズに悩まされる可能性もあります。こういうトラブルに遭遇すると、オカルトっぽい謎のアース対策ガジェットとかも馬鹿にできないのが、ハイエンドオーディオらしいところかもしれません。
Utopia SGの音質について
次に、Focal Utopiaを試聴してみたわけですが、実は初代Utopiaは個人的にそこまで好きなヘッドホンではありませんでした。私の感想としては、外観デザインから音作りに至るまで、ハイエンド市場へのデビュー作としてのインパクトを追求しすぎていて、使い所が難しい、暴れ馬のような存在だったように思います。
明瞭で爽快、ダイナミックな鳴り方は、確かにすごいヘッドホンである事に疑いないのですが、実際に音楽を聴いていると、これはハウジング後方メッシュの反射、これは振動板の金属倍音、といった具合に、録音よりもヘッドホン自体による物理的な音響効果が目立ち、むしろそれらをプラスアルファとして楽しむような仕上がりでした。正しい例えかはわかりませんが、ドライバーに対して、ハウジングがスピーカーにおけるキャビネットのような効果があり、それがかなり過剰だった印象です。
そのため、Utopiaの鳴り方が好きな人にとっては唯一無二の存在になりますし、すでに他の凡庸なモニターヘッドホンを持っているマニアにとっても、新しく買い足すだけの説得力がある個性的なヘッドホンであったことは確かです。
そんな初代Utopiaと比べて、この第二世代Utopia SGは、初代の良い部分だけを継承しつつ、個人的に感じていた不満や弱点を全面的に改善した、かなり優秀なアップデートだと思います。
値段は別として、初代Utopiaはそこまで欲しいと思わかなったものの、Utopia SGであれば普段のメインヘッドホンとして使っても不満は起きないかな、と思えるくらいの大きな変化です。ただし、逆に言うと、初代Utopia特有の派手さみたいなものは軽減されたので、一部のコアなファンによると、Utopia SGは退屈になった、暗くなった、という感想もあるようです。
まず一番最初に感じたのは、金属的な尖りがだいぶ軽減されている点です。これはFocalのセールスポイントであるベリリウム振動板の特徴として、仕方がないものだと思っていたところ、Utopia SGではアタックのキンキンした部分が取り除かれた事で、実際の楽器のアタック成分がより明確に把握できるようになったと思います。実はこれは、Focalの最上級密閉型ヘッドホンStelliaで、こちらもベリリウム振動板なのに、Utopiaと比べて断然スムーズで澄んだ鳴り方なので、どうしてここまで違うのかと疑問に思っていたところ、今回Utopia SGがついにStelliaに匹敵する高音表現になったのがとても嬉しいです。
さらに、耳周り、特に耳の後ろ側の反射がだいぶ少なくなったことで、演奏の前方定位がスッキリと明確になり、そのおかげで目前の一歩離れた距離感で音像が浮かび上がるようなイメージが強くなりました。
ハウジング自体に目立った変更点は見えないので、なぜここまで定位感が改善したのかわかりませんが、先程の高音の尖りと同じで、ドライバーからの余計な響きが軽減されたことで、ハウジング内部で乱反射するような音が減ったのかもしれません。もしくは吸音素材とかが変更されているのでしょうか。こちらも初代UtopiaよりもStelliaの方が反響が綺麗に対処されており、密閉型なのになぜかと疑問に思っていたものが、今回Utopia SGで見事に反映されたようです。
これらの改善点は、Stelliaの例のように、初代Utopia以降に登場したFocalヘッドホンで実感したメリットが継承されているように思えるので、ますます「第二世代」らしさに説得力を感じます。初代Utopiaと同時期に登場したElearやElegiaなどはどれも余計な響きが非常に強く、Utopiaと同様に、音楽よりもヘッドホンの個性を楽しむような傾向が強かったので、どうにも好きになれなかったのですが、その後登場した第二世代機のStellia、Clear Mg、Celesteeといったモデルは、開放型、密閉型を問わず、音響がスッキリして、音楽に集中できるような仕上がりに進化しています。
このUtopia SGも同じように、ヘッドホンの響きに邪魔されず、音楽そのものに集中できるようになったのと同時に、Utopia特有の彫りの深い立体感や力強さがしっかり継承されている、まさに正当進化だと言えます。
今回Utopia SGを使っていて、これといって問題やトラブルには遭遇しなかったのですが、一つだけ言っておくなら、LCD-5やExpanseと比べて、Utopia SGは良い意味でアンプによる音質の変化が一番顕著に現れるヘッドホンだと思いました。
LCD-5の場合は、ヘッドホンそのものの鳴り方がシビアなので、癖の強いアンプで響きの味付けを加えるためにアンプ選びが有効だったわけですが、Utopia SGはそうではなく、ヘッドホン自体がアンプの特徴を引き出して、アンプの性格の違いを増幅するような役割を果たしてくれるような感じです。
特に平面駆動型ヘッドホンと比べて、Utopia SGの最大のメリットは、音量の強弱の振れ幅、つまりダイナミクスがかなり強調される点です。平面駆動型が正しいとするなら、Utopia SGはむしろオーバーな演出と言えるかもしれませんが、音楽鑑賞において、それがかなり効果的です。音楽が一定の音量で淡々と流れていくのではなく、ドッスン、ガッシャンと派手な場面と、繊細な透明感のある場面でのコントラストがはっきりと描かれて、音楽が心に響く感情表現を増幅してくれるのがUtopia SGの利点だと思います。
そして、そのあたりの表現がアンプによって大きく変化するため、高音の倍音が得意なアンプなら美しさが際立ちますし、低音の豊かなアンプなら心温まるといった具合です。
個人的には、上の写真のパスラボみたいなMOSFETアンプで、ゆったりとした立体的なサウンドを引き出すのが最高でした。こういうFET系のアンプで他のヘッドホンを鳴らすと重くて眠くなりがちなので、そこまでメジャーな存在ではありませんが、Utopia SGではそうはならないので、たとえばスピーカーとアンプの組み合わせの傾向や選び方を経験則で理解している人であれば、それと同じような感覚で、Utopia SGに対するヘッドホンアンプ選びを楽しむ事ができそうです。
Expanseの音質
最後はDan Clark Audio Expanseです。密閉型のStealthがマニアを騒然とさせた数カ月後に開放型Expanseが登場したわけで、必然的にどんな音がするのか気になる存在です。
Stealthを買った人の中には、Expanseが出るのを知っていれば、そっちを買うべきだったと悔やんでいる人もいるかもしれません。それとも、ここまでくると両方買った勇者もいるでしょうか。
私のStealthに対する感想は、近年のヘッドホン開発に求められている設計思想を極めたハイテクモデルという印象で、密閉型というジャンル自体が遮音性のための妥協の産物とか、開放型と比べて音質が一歩劣る、といった従来のイメージを根本的に覆すモデルでした。開放型はドライバーの素の特性に依存するのに対して、密閉型ではハウジングという設計パラメーターが一つ増えた事がメリットになりうるというわけです。
そんな風に思ったStealthに対して、開放型のExpanseはハウジングのパネルがグリルになった以外は全く同じに見えるため、そんな安直な変更で大丈夫なのかと心配になります。もちろんDan Clark AudioはこれまでもEtherやAeonにて同じような手法で密閉型と開放型の両方を出しているので、技術的なノウハウは熟知しているでしょうし、珍しいことではありません。
そんなわけでExpanseを聴いてみたところ、まず第一印象として、そこまで開放型っぽい感じがしません。完全開放というよりはセミオープンのような、明らかにハウジングの存在を意識する鳴り方です。
Stealthは密閉型なのにハウジングの響きが少ないのが凄かったわけで、それと比べてExpanseはもっと開放型らしいのかというと、そこまででもない、というわけです。ハウジングの存在を一切感じさせないHIFIMANとかSTAXみたいな完全開放型を期待しているなら、そういうタイプではありません。第一印象ではベイヤーのDT880とかの雰囲気に近いです。
もうちょっと開放感を求めているなら、Ether 2というモデルもあり、私は結構気に入っているのですが、Expanseの広帯域な描写と比較すると、Ether 2は山あり谷ありで、かなり軽くレンジが狭い鳴り方のように思えてしまいます。
Expanseは音色の傾向もStealthと似ているものの、Stealthの方が高音と低音の両端がダイレクトに鳴るというか、明確な輪郭が感じられるのに対して、Expanseは空気に混じってふわっと消えていくような優しい鳴り方です。そのへんは開放型らしいとも言えるので、自宅でゆったりストレスフリーな音楽鑑賞を楽しみたい人ならExpanseの方が良いです。
今回試聴した三機種の中では一番マイルドというかスムーズなので、ハイエンドヘッドホンは総じてギラギラしすぎていると思っている人にオススメできます。ただし、私がStealthとExpanseのどちらが欲しいかとなると、Stealthは「密閉型なのに凄い音」というセールスポイントがあるのに対して、Expanseだと「開放型なら他にも色々あるよね」と思えてしまうのが、唯一の弱点かもしれません。
Expanseを試聴していて、個人的に気になるポイントは二つあります。まず、周波数特性の山や谷の調整がかなり入念に行われており、それが平坦でスムーズに繋がりすぎていて、音の出どころも、全て同じ平面に整列している感覚があります。例えるなら、完璧に調整されたマルチBA型イヤホンのような感じに近いかもしれません。
もう一つは、空間表現について、これはStealthでも感じた事なのですが、演奏の空気感や残響音みたいなものが楽器の音よりも前で聴こえていて、ドライバーよりも後ろの空間の空気感が希薄です。つまりハウジングよりも外への残響の広がりがあまり感じられません。これが開放型っぽくないと思える理由かもしれません。
振動板の前にあるAMTSパネルは、たしかに音波を平坦化するのに効果的だとは思うのですが、それ自体が響いているのか、音波が並行だと回折が強調されるとか、原因はわかりませんが、とにかく空気のざわめきみたいなものが鼓膜と直接音との間に入ってくるのがかなり気になります。
Utopia SGやHD800Sなどを見ると、ヘッドホンで空気感や響きが音像よりも外に広がるような立体音響を演出するためには、ドライバーはある程度距離や角度をつけたポイントソースっぽくして、周辺のメッシュパネルやパッドの立体形状によって、帯域ごとの音波の指向性やコヒーレンスの調整を三次元的に作り上げているタイプが多いです。つまりこれは完璧な平面駆動を目指すExpanseとは真逆の考え方だと思います。
これは思想的な話になってしまうのですが、録音された音源というのは、部屋のスピーカーなりの立体空間を一旦通して聴く事を想定して作られていると考えられます。録音の際に、ヴァイオリンの間近にマイクを配置するとしても、我々はその位置でヴァイオリンを聴きたいのではなく、むしろ上質な観客席での体験を期待しているわけで、スピーカーと部屋がその演出に一役買ってくれるわけです。完全に打ち込みのみの楽曲では話は変わってくるかもしれませんが、それでも、製作者も音波データを直接鼓膜で体験しているわけではなく、何らかの部屋の空間音響が関与してきます。そして多くのヘッドホンは、スピーカーと同じように、できるだけ多くの楽曲作品で、生演奏の臨場感を再現できるように音響設計に努力しているわけです。
その点、耳の伝達関数などを基準に音源の情報を正確に届けるというExpanseのサウンドは、カナル型イヤホンで聴いている感覚と似ている部分もあります。
ようするに、耳に届く音波の平坦化といった設計思想が私がヘッドホンに求めているものとちょっと違うわけで、もっと具体的に言うなら、私のようにGradoとかUltrasoneみたいなクセが強い音響が好きな人にとって、Expanseは蒸留水のようでインパクトに欠けるのが難点です。逆にいうと、近ごろのヘッドホンユーザーは、生まれた時からイヤホンとヘッドホンのみで音楽を聴いている人が多く、生楽器のホールの臨場感とかスピーカーの体験というのをそもそも求めていないため、そういうのを意図的に生み出す(つまり原音の伝達が不正確な)ヘッドホンには魅力を感じないのかもしれません。
Chord Qutest + Anni |
今回Expanseを試聴していて、「とても高性能なのに、いまいちグッと来ない」という感じが常に脳裏にあったので、LCD-5やUtopia SGと同様に色々なアンプを試してみたところ、最終的に、Chord Qutest + Anniでの鳴り方が私にとってのベストでした。
DAVE + AnniやQutest + Pro iCANではパッとしなかったので、つまりQutest DACとAnniヘッドホンアンプの相乗効果が良い具合に働いてくれるのでしょう。
具体的に何が違うのか表現するのが難しいのですが、Qutest + AnniでExpanseを鳴らすと、スムーズな印象は変わらないものの、音が一斉に平面から発せられるのではなく、大事な音色が粒のように飛び出してきて、それ以外の臨場感を形成する音は平面に留まってくれるため、差別化されるような感じです。立体的な空間展開とも一味違う、聴くべきところを新鮮に届けてくれるようなセンスの良さをQutest + Anniからは感じられます。
それがFPGAのWTAフィルターだ、Ultimaアンプの正帰還回路だと、技術的な憶測はいくらでもできますが、具体的な理由はわからなくとも、結果的に良い音を生み出してくれるのが、優れたオーディオ機器メーカーなのだと思います。また、LCD-5やUtopia SGではQuetst + Anniの組み合わせはExpanseで体験したほどのメリットが感じられなかったのも、やはりオーディオ趣味の面白さだと思います。
おわりに
今回は非常に高価なヘッドホンを三種類試聴してみたわけですが、それぞれ個性的な魅力があるものの、私自身の好みとしてはFocal Utopia SGの鳴り方に一番共感できました。もちろん値段を見ると手が出せません。
初代Utopiaはそこまで好きなサウンドではなかったので、これはちょっと意外でした。自分の耳が変わったのかと思い、改めて初代を聴きなおしてみたところ、やっぱりギラギラ派手すぎてダメだったので、Utopia SGが進化したことは確かなようです。平面駆動型の二機種と比べて、さすがダイナミック型と言うだけあってか、ダイナミックな明暗のコントラストや、スピーカー的な音響設計も、主にジャズやクラシックを聴く私の音楽趣味に合っているようです。特にスピーカーオーディオからヘッドホンに移行する人、そして相性の良いアンプ探しの道を楽しみたい人にオススメしたいヘッドホンです。
Audeze LCD-5は、従来のLCDシリーズからあまりにもかけ離れているので、まだ考えがまとまりません。買い替えを検討している人も、旧型に合わせて揃えた上流システムでは上手くポテンシャルを引き出せないかもしれません。
それでも本質的に悪いヘッドホンではありませんし、小型軽量化のおかげでようやく購入候補の視野に入ったという人もいるでしょう。音楽鑑賞のための厚化粧ではなく、音源の全てをさらけ出すような音作りで、特に中高域の張り出しが目立つため、あえてアンプ側でブレーキをかけるというか、マヨネーズソースをかけるようなアプローチも検討したほうが良いかもしれません。今回の中でフル真空管アンプと一番相性が良いのはLCD-5だと思います。幸い音量も取りやすいため、たまにはDAPで鳴らしてみて変化を楽しむなんて遊び方もできます。
私は密閉型Stealthの方が好きなのですが、思い返してみれば、同じDan Clark AudioのEtherとAeonのどちらも密閉型と開放型の両方が用意されており、両方とも私は密閉型の方の鳴り方が好きです。特にAeon Noirという密閉型モデルは稀に見る傑作だと思っています。
ようするに、Dan Clark Audioは密閉型と開放型のそれぞれに明確な音作りの設計思想があり、私の場合は密閉型の方に共感を覚えるということでしょう。StealthとExpanseとで悩んでいる人も、どちらも完璧すぎて優劣つけがたいので、一旦EtherやAeonの密閉型と開放型を聴き比べてみることで、双方の特徴や自分の好みが明確になってくるかもしれません。
また、よくある話ですが、店頭で数分間試聴した時点では、派手でインパクトがあるサウンドの方が好印象になりやすく、しかし、いざ自宅でじっくりと何時間も音楽を楽しむとなると、もうちょっとソフトでスムーズな鳴り方の方が良かったりします。
ヘッドホンに限った話ではなく、せっかく高性能な高級オーディオを買ったのに、ちょっと鳴らしたら、もう満足して電源を落とす、というような人は、もう少し聴き疲れしないようなマイルドなシステムを検討すべきです。自分がそれに当てはまるようなら、Expanseを選んだ方が、もっと音楽を楽しむ時間が増えると思います。
そんなわけで、現行最高峰クラスの最高級ヘッドホンであっても、三者三様で、明確な勝敗はつけにくいという結論に至りました。普段聴いている音楽ジャンルはもちろんのこと、自分がどの道筋でヘッドホン趣味に入っていったのか、つまりイヤホンとDAPの鳴り方が当たり前の人もいれば、家庭用スピーカーシステム、DTM製作者のアクティブモニターといった具合に、音源をどのように耳に届けるスタイルに慣れ親しんできたのかで、好みのヘッドホンも変わってくると思います。
前回の四機種も含めて、たとえ高価すぎて手が出せなくとも(私も含めて)、豊富な選択肢の中で自分の好みが見つかれば、価格帯を問わずメーカーごとの音作りの傾向などがだんだんとわかってきて、単純な優劣の順位だけではない、末永く付き合えるヘッドホンが見つかると思います。