Astell&Kernの新作DAP SP3000Tを聴いてみたので、感想を書いておきます。
2024年6月発売、55万円の超高級DAPです。2022年に登場したSP3000の兄弟機のような位置づけで、今作のユニークな点として真空管アンプ回路を搭載しています。
SP3000 & SP3000T
SP3000はAstell&Kern (AK)の現行最上級機で、私がこれまで試聴してきたDAPの中でもナンバーワンに掲げているモデルです(残念ながら高価すぎて購入できませんが・・・)。
他社からも50万円を超える高価なDAPが続々登場している中で、純粋にイヤホンを鳴らした時の音質でSP3000に敵うものはないと思っています。
そんなSP3000は2022年に発売したモデルなので、そろそろ後継機の噂でも流れるかと思っていたところに登場したのが今回のSP3000Tになります。
SP3000T |
真空管搭載のSP3000Tと、非搭載のSP3000 |
SP3000の発売価格は66万円、そして今作SP3000Tは55万円ということで、後継機やバージョンアップというよりも「フラッグシップ級の別解釈」という扱いが妥当だと思います。
値段が若干安いのは、廉価版というよりも、SP3000の基礎デザインを流用することで開発費がだいぶ抑えられたからだと思います。
AKは前作SP2000でも同じような戦略をとっており、ライフサイクルの中盤にて新たに真空管搭載のSP2000Tをリリースしています。こちらもSP2000より安価でした。
AKのフラッグシップDAPは、これまでにSP1000 (AK4497EQ) → SP2000 (AK4499EQ) → SP3000 (AK4499EX) といった具合に、旭化成のD/A変換チップの世代交代とともに更新されていることが伺えます。もちろん今後も同じ流れになるとは限りませんが、少なくともSP3000が採用している旭化成AK4499EXが現行最上級D/Aチップである以上、後継機はまだ時期尚早ということなのかもしれません。
それでは、SP3000Tは単なる穴埋めや時間稼ぎのための存在なのかというと、そうとも言えません。
AKのフラッグシップDAPというと、どの世代も繊細で高解像なレファレンス機を目指してきたわけですが、実際のところ全てのオーディオマニアがそういう真面目なサウンドを求めているわけではありません。
CayinやHibyなど他のDAPメーカーを見ると、最高級機こそキラキラした倍音の響きを強めたり、こってりと豊かな厚みを加えたりなど、独自の味付けや感覚的な部分で価格相応のメリットを提示しており、実際それらDAPに心を奪われるファンも多いです。
しかしAKとしては肝心のフラッグシップ機でそうそう奇抜な事もできません。そんなわけで、まず技術の粋を込めたSP3000というフラッグシップ機を作り上げた後に、すこし肩の力を抜いて、フラッグシップ級の品質を損なわずに趣味のオーディオとしての面白みを持たせた別解釈としてSP3000Tを生み出したのだと思います。
真空管アンプ
SP3000Tの一番のセールスポイントはやはり真空管アンプでしょう。通常のオペアンプモードと真空管モードを任意で切り替えできるので、楽曲やイヤホンとの相性に合わせて多彩なサウンドが選べて活用範囲が広がります。
6418サブミニチュア管 |
設定画面 |
背面で光っています |
6418は1960年代の小型ラジオや補聴器などで広く使われていた高耐久の汎用管なので、そこまでレアというわけでもなく、現在でも新古品が1000円程度で買えます。しかし双三極管のNutubeに対してこちらはシングル五極管ですからステレオの左右で二本必要になり、それらの特性がピッタリ合ったものを見つけるのは至難の技なので、そのあたりの労力が高コストにつながります。
真空管の出力特性は新古品でも普通に二割以上のばらつきがあったりするので、AKのようなメーカーは数百本、数千本という単位で買い集めて、一本づつ手作業で測定してマッチングペアを選定しています。このあたりがアマチュアの自作ではなかなか真似できない部分です。また、安価なメーカーはこの選別作業を怠っているため、同じ真空管を採用しても音が悪いというケースが多いです。単純に左右の音量の差だけではなく、管ごとに歪率や歪み特性、周波数特性などが変わってくるのが厄介です。
ちなみに6418はレイセオン社のメーカーコードがCK6418、米軍コードでJAN6418と呼ばれている管ですが、元々ポータブル用途のサブミニチュア管なだけあって、ヒーター電流は10mA、プレートは10Vというかなり手軽な省電力設計なおかげでDAPとの相性が良いです(最近ではCayinなども採用しています)。ただし管の出力も数mW程度と非力なので、これでイヤホンを駆動しているわけではありません。
実際にイヤホンにエネルギーを与えるアンプ回路は別にあって、真空管はあくまで音色の味付けのために挿入されるギミックのようなものです。これは悪いことではなく、真空管らしいサウンドを味わいながら、イヤホンをしっかりと駆動できるパワフルさを両立するために必要な技術です。後述する出力グラフを見ても、真空管モードとオペアンプモードで駆動力の差はほとんどありません。
Nutube & 6418 |
余談になりますが、SP2000Tが採用していたNutubeもれっきとした真空管なので、回路の意図としてはSP3000Tとそこまで大きな違いや優劣の差はありません。SP3000Tのニュース記事で「リアル真空管」搭載と書かれているのを見てNutubeが不憫に思えました。
Nutubeは楽器用途でしっかり歪ませて使うなどでは優秀だと思いますが、今回SP3000Tのように、古風な真空管の味わいを意図的に加えたいという場面では、6418のようなビンテージ管の方が好ましいのは納得できます。
設定画面 |
設定画面では、オペアンプ回路と真空管回路の中間でハイブリッドというものがあり、五段階でオペアンプと真空管回路をブレンドできるようになっています。
さらにその下の「Tube Current」にて真空管に流す電流を三段階で変更することができます。これは音量ゲインではなく純粋な音質の変化のみの機能です。
デザイン
真空管以外の部分ではSP3000の設計を踏襲しており、どちらもD/A変換回路には旭化成の最上級チップAKM4191EQ+AK4499EXを搭載しています。
一昔前であれば、このようなD/Aチップは一握りの最上級モデルのみが採用しており、それ以外はチップのグレードも適切に落としていたのですが、最近では6万円台のFiio Q15も率先してAK4499EXを搭載しているなど、昔と比べてD/Aチップの品番はそこまで有効な評価基準ではなくなりました。
実際のところ、D/Aチップそのものよりも、電源やクロック、基板レイアウトなど、周辺の実装の作り込みが音質に大きな影響を与えるわけですが、そのあたりは単純明快に説明できるものでもないので、とくに初心者にとってはICチップの型番というのは覚えやすい判断材料なのだと思います。
実際に試聴してみると、同じAK4499EX搭載DAPでもモデルごとにサウンドに大きな違いがあります。もちろんそれが良い音なのかは個人の主観による部分が大きいです。
そんなわけで、SP3000Tは最先端のD/A変換から真空管プリを通ってヘッドホンアンプ回路を駆動するような流れになっているわけですが、肝心のヘッドホンアンプ回路については公式サイトを見てもあまり言及されていません。このあたりはたぶんSP3000と同世代の設計だと思うので、実際に測って比較してみます。
SP3000T & SP3000 |
ケース |
背面の穴 |
真空管が見えます |
画面サイズはSP3000と同じ1920 × 1080の5.5インチで、本体重量もSP3000Tが483g、SP3000が493gとほぼ同じなのですが、シャーシを並べて比べてみるとSP3000Tの方が若干大きいため、ケースは共用できません。
SP3000Tのレザーケースは背面に真空管を見せるための穴が空いており、黄色でゴツゴツした質感はL&P P6のケースと似ています。黄色がちょっと派手すぎるなら、別売で黒と茶色っぽいレザーケースも購入できるそうです。
銀メッキだそうです |
シャーシはステンレスに銀メッキされているそうです。遠目ではこれまでのステンレスシャーシと同じように見えるものの、じっくり眺めてみると確かにステンレスとは一味違うギラギラした光沢があります。
銀メッキというと、クリストフルのカトラリーのように、経年で焦げたような茶色に変色するイメージがありますが、今作は銀メッキの上にクリアコート処理することで対策しているようです。
ちなみに側面のトランスポートボタンは通常の三つの上に一つ追加されており、これを押すと真空管モード切り替え画面に飛ぶようになっています。実際そこまで常用するわけではありませんが、SP3000Tのセールスポイントということで強調したいのでしょうか。
AKらしいデザインです |
AKのDAPらしく、相変わらずシャーシの立体的なデザインセンスは素晴らしいです。ボリュームノブを保護するバンパー部分の角度による陰影などはまさに芸術的です。
個人的にこれら現行世代AK DAPのデザインはとても気に入っているのですが、私のまわりでSP3000Tを手にとってみた人の全員が「エッジがかなり尖っている」と驚いていました。
レザーケースに入れていれば問題ありませんが、写真で見てもわかるように、角がかなり鋭いので、直に持つと痛いです。これまでSP3000などではそこまで尖っている感じはしなかったので、なにか製造工程が変わったのでしょうか。だからといってエッジを丸くしたらカッコ悪いと思うので、デザインの芸術性を追求すると実用性から離れてしまうという良い例です。
下面 |
上面 |
本体下面はUSB CとマイクロSDカードスロットのみのシンプルな構成です。上面には3.5mmと4.4mm、そして2.5mmも用意されているのは嬉しいです。直近のKANN ULTRAでは2.5mmが廃止されてバランス出力が4.4mmに一本化されていたので、今後は全てそうなるのかと思っていました。
ちなみに上面に電源ボタンがあるのも面白いです。SP1000、SP2000、SP3000はどれもボリュームノブを押し込むと電源ボタンを兼ねていましたが、そういえばSP2000Tは今回のように電源ボタンが上面にありました。なにか真空管モデルはそうする理由でもあるのか、もしくはボリューム押し込みボタンは最上級モデルのみの特権として差別化させているのでしょうか。
今回SP3000とSP3000Tを交互に聴き比べていると、この電源ボタンの違いにかなり混乱させられました。
インターフェース
OSインターフェースはSP3000と同世代なので、もうずいぶん使い慣れてきました。
Android部分を極力見せないように配慮しているため、他社DAPにありがちな低価格スマホを使っているような感覚が無く、音楽再生に特化したプレーヤーとしての品位は最上級です。
あいかわらずAPKによるアプリインストールが面倒だという声もありますが、そちらを優先するなら、もっとスマホっぽい別のDAPを選んだ方が良いと思います。
Hiby RS6と比較 |
SP3000Tは1080×1920の5.5インチ画面だそうです。私が普段使っているHiby RS6が5インチ画面なので、並べてみると結構な差があります。もちろん普通の音楽再生用途ならどちらでも十分に実用的です。
VUメーター |
新たなギミックとして、音楽と連動して動くVUメーターが何種類か用意されています。画面の一番下を見ると「ホーム、VUメーター、アプリ、戻る」と、わざわざこのためだけのアイコンを用意しているのが面白いです。
単なるスクリーンセーバー的なギミックなので、据え置き用途では良いかもしれません。ただし、これを表示しているとアルバムアートやトランスポートが見えないのは不便です。
大画面を活かして、昔のPlenueみたいにアルバムアートとトランスポートとVUメーターもしくはスペアナ的なビジュアル効果を上手に一画面に収まるレイアウトも提供してもらいたいです。
ストリーミングアプリ使用中でもVUメーターを楽しめるように、わざわざ独立画面にしたのも理解できますが、せっかくここまで優れた再生アプリを開発したのだから、あえて使いたくさせるような付加価値を高めるのも良いと思います。
設定画面 |
ショートカット |
オーディオに関する多くの機能は画面上部スワイプダウンからのショートカットで呼び出せます(長押しすることで各設定に飛べます)。
先ほどのオペアンプ・真空管切り替えの他にも、DARやクロスフィードといった独自の機能が充実しているのもAK DAPの魅力の一つです。
DAR設定 |
クロスフィード設定 |
クロスフィード設定の保存 |
DARはDigital Audio Remasterの略で、再生中の楽曲をリアルタイムでDXD (PCM352.8/384 kHz) またはDSD256にアップスケールする機能です。96kHzや192kHzハイレゾ音源ではそこまで目立った効果は感じられないと思いますが、44.1kHz CD音源とかなら結構わかりやすい変化が実感できます。個人的にはDXDモードの方が好きですが、楽曲によって使い分けられるのは良いです。
ステレオクロスフィードも設定項目が豊富で、プロファイルも保存できるので、かなり実用的です。とくにスライダーでリアルタイムに効果を体感できるのは直感的で良いです。とりわけ60年代ステレオ初期の古いアルバムは極端に左右に振っていてイヤホンでは聴きづらいので、そんな場面でクロスフィードが活躍してくれます。
出力
いつもどおり0dBFSの1kHzサイン波を再生しながら負荷を与えて歪み始める(THD > 1%)最大出力電圧(Vpp)を測ってみました。
まずバランスとシングルエンドにて、OP/Hybrid/Tube、さらにTube CurrentのHigh/Mid/Lowで比較してみたところ、わざわざグラフにラベルするまでもないくらい、出力特性がピッタリ重なりました。若干の上下は真空管の個体差によるものでしょうか。ボリュームを最大 (150) まで上げると無負荷時にバランスで18Vppつまり6.4Vrms得られます。
こちらもオペアンプと真空管で出力の落ち込みはほぼ変わらず、出力インピーダンスはどちらも十分低いため、IEMイヤホンなども安心して鳴らせます。
ただし、ちょっと不思議なのは、グラフを見てもわかるように、バランスよりもシングルエンドの方が出力インピーダンスが高い結果になります。通常のアンプ設計であれば、バランスはホットとコールドの二回路合計で出力インピーダンスが二倍になり、SP3000もそれがあてはまる設計だったのですが、今回SP3000TではバランスがSP3000とほぼ同じ1.4Ω程度なのに、シングルエンドが2.4Ω程度でした。念のためSP3000を再度測ってみたらシングルエンドで0.7Ω程度と想定通りの結果でしたので、測定機材の不具合というわけでもなさそうです。アンプ設計が根本的に違うということでしょうか。
なんにせよ、これらのグラフを見てわかるとおり、真空管はあくまで味付けとして信号経路に挿入してあるだけで、最終的なヘッドホンアンプ回路の駆動力はオペアンプと真空管モードで変わらないので、純粋に音色の好みで切り替えるべきです。
ちなみにライン出力モードというのも用意されており、前回紹介したKANN ULTRAでは高インピーダンスのライン信号出力に切り替わる仕組みでしたが、今回はこれまでのAK DAPと同様に、ヘッドホン出力のまま2Vrmsなど特定のレベルにボリュームが固定されるだけの仕組みです。このあたりも、フラッグシップ級といえど、KANN ULTRAとの棲み分けが明確にされています。
他のDAPのバランス接続時の最大出力電圧と比較してみたグラフです。まずSP3000TとSP3000のアンプ挙動はピッタリ重なっており、SE300もほとんど同じなので、これらが同世代のアンプ設計だという事がわかります。
AKの中でもKANN ULTRAが異色な存在なのが明らかですが、SP3000Tと比べると、KANN ULTRAの高出力が活かせるのは150Ω以上の高インピーダンスヘッドホン(HD800Sなど)に限定される事もわかります。IEMイヤホンや最近主流の低インピーダンスヘッドホンではSP3000Tの方が高出力が得られます。
低インピーダンスでの高出力という点では、私が個人的に愛用しているAK PA10はさすが単独のヘッドホンアンプなだけあって、かなり高負荷までしっかり駆動できています。
高出力が最優先ならFiio M15SのUltra Highモードはさすが凄いです。一方、同世代のハイエンドDAPの中でもHiby R8IIやCayin N8IIなどは低インピーダンスのIEMイヤホンなどに特化していると言えるかもしれません。
高出力が必ずしも高音質とは限りませんし、むしろ両方を得るのは難しいトレードオフの関係にもなります(ゲインを上げすぎるとノイズが目立つなど)。ハイエンドDAPといえど、メーカーごとにアンプ設計の考え方が異なり、それらが多少なりともグラフに反映されているのは面白いです。
THD+Nは負荷やゲインによって挙動が変わりますし、24 bitの絶対値を測れるほど優れた測定機材を持っていないので、普段は深読みしないようにしているのですが、今回はオペアンプと真空管モードで面白い差があったので紹介します。
サイン波テスト信号を再生しながらボリュームを上げていくと、モードごとに歪み率が悪化していくボリューム位置が違います。これはボリューム調整回路がプリ部にあるため、真空管回路に密接に関わってくるからでしょうか。
上のグラフは、青がオペアンプ、緑がハイブリッド、赤が真空管モードで、それぞれ歪みが最低になるボリューム位置(135、114、106)で表示したものです。とくに真空管モードはボリュームが106(最大は150)を上回ると歪みが急激に増すので、ヘッドホンとの相性によってサウンドの印象が変わってくると思います。
各モードやボリュームで変化しているのは低音の雑音と高調波歪みです。歪みの方はTube CurrentのH/M/Lでも若干変わります。一番クリーンなのはオペアンプモードかと思いきや、高調波が10kHz以上にも延々と続いており(デジタルフィルターにもよりますが)、真空管モードではそれらが無くなる反面、低周波ノイズフロアの上昇が目立ってきます。
真空管モードでは1kHz信号に対して2kHzの二次高調波歪みが目立つのは納得できますが、ハイブリッドモードではなぜか3kHzの三次高調波が突出しており、THD+Nの数値も一番悪かったのが面白いです。
叩くと音が鳴ります |
さらに真空管アンプらしく、本体に衝撃を与えるとノイズが発生します。それでも、過去のNutube系アンプと比べればだいぶ低いので、普段使いでは気にならない程度だと思いますが、車載など振動が多い場所で使うのであれば、真空管モードは注意が必要です。
音質とか
SP3000は私が普段からずいぶん聴き慣れたDAPなので、今回SP3000Tとの聴き比べには結構な期待と自信があります。
もしSP3000TのサウンドがSP3000と同じで、さらに真空管モードも付いていて、しかも値段が安いとなれば、私にとってずいぶん魅力的なモデルになります(それでも高すぎますが・・・)。
そんなわけで、まずSP3000とSP3000Tに同じ楽曲を入れて交互に聴き比べてみました。
SP3000 & SP3000T |
結論から言うと、SP3000Tをオペアンプモードで鳴らしてもSP3000と全く同じサウンドというわけではありません。
音量や全体的なサウンドの傾向は同系統なのですが、ボリューム数値を合わせて聴き比べてみても、ブラインドでどちらか判別できる程度の違いは感じられます。
SP2000とSP2000Tの時もそうだったので薄々予想していたものの、やはりSP3000TはSP3000に真空管を付け足しただけではなく、別のモデルとして扱ったほうが良いと思います。優劣というよりも、同クラスの品質の水準を保ちながら、プレゼンテーションの優先順位が変更されたような感覚です。
Amazon |
Coppeyは現役チェリストの中でも個人的に一番好きなアーティストなので、新譜が出るたびに喜んで買っています。前作フランスチェロ作品集で肝心のフォーレが少なかったのを不思議に思っていたら今回単独で出してくれたのは嬉しいです。白熱した荒々しいタイプではなく、流れるような美しい演奏で、Dumontのピアノも上手く噛み合っている素晴らしいアルバムです。
SP3000TとSP3000を聴き比べて具体的に目立つ違いとしては、SP3000の方が整然として透明感があり、優れた録音であれば最深部まで自然と見通せるような解像力があります。チェロとピアノの一音ごとの間隔に、残響が空気に消えていく時間が堪能できるような聴き方ができます。
一方SP3000Tはメイン音像そのものがもう少し太く前に膨らんで現れるため、音と音の隙間まで見通す機会が少ないという印象です。ピアノで埋め尽くされた背景に、チェロが勢いよく音を鳴らしている情景が浮かんできます。同じ絵を描いたとしても、鉛筆の芯の太さが違うような感覚でしょうか。
同じ楽曲を交互に聴くと、SP3000の方がスッと落ち着くような、翻弄されずに音源の細部まで自然に見つめるような聴き方になります。逆に言うと、派手さが無く地味に聴こえるかもしれません。SP3000Tに切り替えると、そのような落ち着く余裕を与えないほど音楽に満ちあふれて、常に何かが起こっている、ハイテンションと言えるような感覚があります。左右のステレオ展開、空間の広さなどは両者でほとんど同じで、奥行き方向の見通しのみ違いが目立ちます。
超精密なハイレゾ音源の情景を静かに味わう場合はあいかわらずSP3000の方が優秀ですが、演奏の流れに飲み込まれるスリルを味わいたいのであればSP3000Tが良いです。どちらにせよ再現の忠実さという点では最高のレベルを保っているので、好みが分かれると思います。私自身の普段の聴き方としてはSP3000の方が好きです。
ハイブリッドマルチドライバー系などの高音が派手なイヤホンはSP3000Tだと刺激が強すぎて相性が悪いこともあります。どちらかというとDita Perpetuaや先日試聴したMadoo Typ821のような、シングルドライバーで空間の再現性が高いけれど面白みが足りないようなイヤホンの方が、SP3000Tとの組み合わせが上手くいきます。マルチドライバーでは64Audio Nioや先日試聴したEmpire Ears Ravenのような太いサウンドのモデルであれば、SP3000Tのメリハリの効いた鳴り方との相乗効果が得られそうです。
高インピーダンスのヘッドホンを鳴らす場合はやはりKANN ULTRAの方が良いと思いますが、低インピーダンスの平面駆動型ヘッドホンとかでしたら、SP3000よりもSP3000Tを使った方がエネルギッシュに飛び出す勢いが実感できます。
どちらにせよ、低インピーダンスの平面駆動型ヘッドホンをDAPで鳴らしたいのならFiioなどの強力なモデルの方が向いているので、SP3000Tのメリットを最大限に引き出したいならIEMイヤホンと合わせるのが最善です。
真空管モードについての話に入る前に、試聴中にちょっと不思議に思った点があります。オペアンプと真空管モードのどちらで聴いていても、シングルエンドとバランス接続での鳴り方が結構違うようです。
私は最初バランス接続のみで聴いていたので気が付かなかったのですが、耳の良い友人が試聴して「シングルエンドの方が良い」と言ったので、改めてシングルエンドで試してみたところ確かに違います。SP3000の方を確認してみると、そちらはバランスとシングルエンドでそこまでサウンドの傾向が変わらないので、SP3000T特有の現象のようです。アンプの設計が違うのでしょうか。
Ditaのケーブルは3.5mmと4.4mm端子が交換できます。 |
ケーブルによる音質差を除外するために、QDCやDitaなどコネクター末端のみを交換できるタイプのイヤホンを使ってみました。
バランス接続ではメイン音像の主張が強くハイテンション気味なサウンドなのに対して、シングルエンドでは若干落ち着いて、全体的に鈍くおとなしくなる印象です。ダイナミクスがそこまで強調されず、時間軸方向の厚みが増します。
シングルエンドの方が良い場合もあります |
私の手元にあるものだとUE-RRやWestone Mach80など、線が細くて硬質もしくは腰高になりやすいマルチBA型IEMは、SP3000Tではシングルエンドで鳴らした方が温厚で魅力的に聴こえます。
これが良いか悪いかは別として、オペアンプと真空管、そしてさらにシングルエンドとバランス接続と、一つのDAPで様々なサウンドの表情が得られるというのはむしろメリットと捉えられるかもしれません。試聴の際にはぜひ試してみてください。
とくにUE-RRは高解像なモニターIEMとして普段から愛用しているイヤホンなのですが、SP3000と組み合わせると録音の不具合が目立ってしまい音楽鑑賞には使いづらいです。ところがSP3000Tのシングルエンド接続で鳴らせば不快感をだいぶ低減してくれます。このようなシビアめなイヤホンで聴き比べることで、SP3000とSP3000Tの方向性の差が垣間見えてきます。
真空管モード |
次は真空管モードに切り替えて聴き比べてみました。4.4mmバランス接続でオペアンプと真空管モードの違いを観察してみました。
まず、感度の高いイヤホンでは、オペアンプから真空管(もしくはハイブリッド)モードに切り替えた瞬間にDCオフセットのような「ボンッ」という音と、「キーン」というガラスを叩いたような高周波が聴こえてきます。この高周波は五秒ほどで自然に消えますが、気になる人もいるかもしれません。
どちらも大音量ではないので、イヤホンでも聴こえない場合がほとんどです。スピーカーアンプ用のラインソースとして使う場合は注意が必要かもしれません。たしかCayinのDAPでは真空管モードに切り替えると数秒ミュートされるタイマーがありましたが、これらノイズ対策のためでしょうか。
肝心のサウンドにおいては、たしかに真空管らしさが実感できます。イヤホンごとに、明らかに違いが出るものと、切り替えても違いがわからないものに分かれるようです。イヤホンそのものの個性の強さによるかもしれません。
Amazon |
真空管モードはやはりジャズの復刻版などちょっと古めの音源で活躍してくれます。ステレオ盤ならクロスフィード機能と合わせて使うとなお良いです。
最近はConcordレーベルが版権を持っているPrestige、Riverside、Contemporaryなどを傘下のCraft Recordingsから192kHzリマスター版を毎週一枚のペースで出しています。特にContemporaryは当時の録音品質が非常に良くオーディオマニアにも人気のレーベルですから、こうやって公式でハイレゾPCM化してくれるのは嬉しいです。
とはいえ、当時のセッションはマイクのアイソレーションも適当でしたし、DAWでトラックことに波形を合わせるとかもできない時代ですから、手探りの丼勘定な録音が多いです。日本のリマスター復刻とかでしたら、現代の最近オーディオ機器で楽しめるように聴きやすく補正したりするのですが、Craft Recordingsの復刻は当時のままのダイレクト感が強いので、最先端DAPで鳴らすと違和感が目立ってしまい、演奏の楽しみを損ないがちです。そこで真空管モードが役に立ちます。
SP3000Tを真空管モードに切り替えると、まずホワイトノイズはそこそこ増します。これは真空管の宿命なので仕方がないでしょう。とくに先ほどのチェロ作品のようなハイレゾクラシックで背景の空気感も録音されている作品では、それらがアンプのノイズに埋もれてしまう感じです。楽器の音色そのものよりも演奏の背景の奥行きや臨場感に注目してみると、オペアンプと真空管モードの違いがわかりやすいと思います。
このノイズの多さがデメリットになるわけですが、逆にメリットも多いです。まず中低域の主張が強くなります。単純にEQで持ち上げたのとはちょっと違う、もっと空間的な効果です。たとえば中域1kHzを目線の中心、水平線だと仮定すると、真空管モードにすることで、この水平線が目線より上に移動して、1kHz以下のサウンドが空間を占める割合が増える、みたいな感じです。つまりベースやドラムが大きく描かれ、逆に高音のキンキン、パシャパシャした感じは低減されます。
もう一点のメリットは、演奏全体の統一感の良さです。キックドラムを例に挙げると、ドスンという重低音の音圧と、空間に広がる高音の倍音成分がうまく整合していなかったり、ピアノの左手と右手、ベースの弦と胴体など、マルチマイクが干渉しあって空間のうねりや居心地の悪さのある録音でも、真空管モードにすることで空間成分が素朴に単純化されて、だいぶ聴きやすくなります。
これは先ほど言ったノイズ成分に由来するのかもしれません。各音像の空間情報の位相の「収まりの悪さ」が、真空管を通すことで一旦リセットして再構築される感じです。絵画に例えるなら、写実風だと整合性の悪さが目立ってしまうのが、イラスト風にすることで目立たなくなるというのと似ているかもしれません。
さらに、五段階のTube Current設定を変更することで、この効果が少しずつ変わってくるのが面白いです。微妙な差なので、普段はそこまで気にするほどでもありませんが、じっくり集中して聴くと、Tube Currentを上げるにつれて音像が単純化というか抽象化されるようなイメージです。楽器を演奏している情景を収録しているという感覚から、楽器の音色が鳴っているという感覚に変化する感じです。
そんなわけで、私の場合、普段はオペアンプモードを使い、ちょっと聴きづらい楽曲では真空管モードに切り替えるという使い方に落ち着きました。
そうやって色々と聴いていると、往年の復刻版や最新のポップスなどでも、真空管モードでもあまり変化が感じられない楽曲もいくつかありました。これはたぶん楽曲のマスタリングの段階で、録音に含まれる空間の違和感を取り除くために、真空管モードと似たような単純化、たとえば完全にドライでミックスして全体に平面的なコンプレッションとリバーブをかけるなどの処理を行っているからでしょうか。
最後にハイブリッドモードについてですが、今回あまり活用する機会はありませんでした。オペアンプモードと真空管モードの中間というよりも、両方の信号が同時にブレンドしているような聴こえ方なので、双方のメリットよりもデメリットが目立ってしまいます。
さらに、全く別のメーカーのDAPで聴くのと比べれば、オペアンプと真空管モードのどちらもSP3000Tらしいサウンドの範疇に収まっており、そこまで劇的な変化ではないので、わざわざハイブリッドモードでブレンドするほど細やかな設定を行う必要性は感じませんでした。実際に所有して何ヶ月も使っていれば使い道も見えてくるのかもしれません。
おわりに
わざわざSP3000とSP3000Tという二種類のフラッグシップ機を発売する意味はあるのか疑問に思ったわけですが、実際に聴いてみると、それぞれ頂点にふさわしく、棲み分けができているあたりがAKの凄いところです。
「SP3000と同じサウンドで、真空管モードが付いていて、しかも値段がちょっと安い」という私の思惑は外れてしまいましたが、逆に「SP3000は視野に入っているけれど、もうちょっとサウンドにメリハリや面白みが欲しい」と思っていた人や「高価なDAPなのだから様々なアンプモードのバリエーションを楽しみたい」という人には最適なモデルです。
SP3000の後継機ではなく、あくまで同世代の派生モデルですので、どちらが優れているか競い合うのではなく、「得るものがあれば、失うものもある」という考え方で接するべきです。
唯一の不満点を挙げるとするなら、シャーシがかなり尖っていてレザーケースが必須なのが難点です。AKの鋭角なデザインはオブジェとして鑑賞するなら大好きなので、そのイメージを崩さすに、今後は手触りや使い勝手への配慮を期待したいです。個人的にAK DAPで一番好きなデザインはSA700で、そちらはケース無しでも問題なく使えます。
ともかく、50万円を超える高級DAPというのは並大抵の人が買えるものではなく、本来正気の沙汰ではないのですが、それでも各モデルごとに個性があり、低価格モデルと比べても音質面での説得力があるあたり、ポータブルオーディオにはまだまだ伸びしろがあることを実感させてくれます。
SP3000の発売から二年近く経っており、当時購入したユーザーもそろそろ目移りしている頃合いかもしれません。生真面目なSP3000を使っていると、ソニーNW-WM1ZM2、Hiby RS8、Cayin N8iiなど個性派が魅力的に見えてくるわけで、そんな中でSP3000Tは良きライバルになりそうです。
私はどちらかというとSP3000が好みなのですが、SP3000Tの方が断然良いという人も多いだろうと思うので、むしろこの機会に買い替えてSP3000を手放す人が格安で譲ってくれないかな、なんて密かに期待しています。
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