Fir Audioの2022年ユニバーサルIEMイヤホンシリーズを一気に試聴する機会があったので、それらの感想などを書いておきます。前回に続いて高価で奇抜なイヤホンです。
Fir Audio |
Frontierシリーズといって、Neon 4・Krypton 5・Xenon 6の三種とも全てハイブリッド型で、最上位のみ静電ドライバーも搭載しているという、かなりハイエンドなラインナップです。既存モデルM4・M5・VxVとも合わせて試聴してみました。
Fir Audio
Fir Audioという新鋭メーカーの生い立ちに関しては、個人的にあまり深く追っていなかったので事情をいまいち理解できていません。
Frontierシリーズ |
2010年に米国で64Audioを発足した三兄弟のうちの一人が社長として残り、他の二人が2018年に離脱してFir Audioを設立したという流れなのですが、なにか意見の相違があったのか、それとも単純な起業家精神による決断なのか、よくわかりません。なんにせよ、64Audioに続く米国からの新進気鋭ハイエンドIEMイヤホンメーカーとして注目を浴びています。
ノズル掃除機のIEM VAC PRO |
IEMケーブルテスターというのも売ってます |
Fir Audio発足当時はイヤホンノズルクリーニング用の掃除機などのアクセサリー銘柄として、しかも多くの地域では64Audioと同じ代理店経由で販売していたので、CampfireとALOみたいな社内ブランディングなのかと思っていたところ、実際は全くの別会社のようです。
ちなみに現在もIEMイヤホン用の便利なアクセサリーを色々と販売しているので、米公式ストア(https://www.firaudio.com/store/)を一度覗いてみることをお勧めします(日本で購入できるか不明ですが)。
下の丸いパーツがAtomモジュール |
64AudioサイズのATOMモジュールも売ってます |
カスタムIEMでは64Audio APEXモジュールとそっくりなFir Audio ATOMモジュールを開発しており、64Audio APEX互換サイズのモジュールも別途販売するなど、今でも密接な関係にあるようなので、少なくとも喧嘩別れとかでは無さそうです。
そんなFir Audioのラインナップの中核にあるのはカスタムIEMで、これまでは一応ユニバーサルモデルも作っているけれど、デザインもずいぶん質素なので、「カスタムを検討している人への店頭デモ機用」という印象がありました。
VxV |
そんな中で、2021年には日本でもユニバーサルモデルが正式に販売されることとなり、そのタイミングで発売したVxV(FIVE x FIVE)はそこそこ注目を集めました。これまでの地味なデザインから脱却したポップなデザインとは裏腹に10万円超の高価なモデルで、名前の通り1DD+4BAの5ドライバーハイブリッド構成です。
これを機に、64Audioと同じように、ニッチなカスタムメーカーから量産ユニバーサルIEMメーカーへとステップアップを試みているのかと思っていた矢先に登場したのが、今回試聴したFrontierシリーズです。
Frontier Series
Frontierシリーズは現在Neon 4、Krypton 5、Xenon 6の三機種から構成されており、名前から想像できるような宇宙のフロンティア感がハイテクな金属デザインとマッチしています。
Krypton 5 |
Xenon 6 |
Neon 4は1DD + 3BA、Krypton 5は1DD + 4BAという典型的なハイブリッド型の構成なのに対して、最上位Xenon 6は1DD + 4BA + 高音用に静電ドライバーも搭載しているあたりがユニークです。価格はそれぞれUSD$2299・$2999・$3899ということなので、常人では手が出せませんね。
公式ショップのカスタムIEMデザイナー |
カスタムIEM版は米公式サイト(https://www.firaudio.com/designer)でデザインが色々選べるので、高くて買えなくても自分好みのデザインをあれこれ探していると楽しいです。
金属シェルが壮観です |
横から見ると重厚です |
一般的な2ピンケーブルです |
それにしても、これほどキラキラ輝いていると、並べただけでも壮観ですね。まるでアメリカのバイクや改造車のショーイベントに迷い込んだ気分です。
そこそこ重量のあるシェルなのですが、ベテラン開発陣だけあってフィット感は悪くないです。ツルツルした金属という事もあり、装着した感触はソニーIER-Z1Rと似ているように感じました。
派手なデザインとは裏腹に、イヤピースは一般的なシリコンタイプ、ケーブルは2ピン端子と、IEMとしては標準的な仕様なので、自己流にアレンジすることも容易です。
ノズルにクリップがついています |
ノズルをよく見ると、グリルがサークリップのようなもので固定されています。なぜこんな設計なのか気になっていたところ、ショップ店員によると、64 Audioはノズル内部のフィルターが圧入されているだけで、ユーザーがクリーニングしようとして押し込んでしまうと、二度と元に戻らず返品修理になってしまう、というトラブルが多いそうなので、このFir Audioのサークリップはその経験を経ての改善なのかもしれません。なんにせよ通常使っている分には気にする必要はありません。
Kinetic Bass
ハウジングの内側を見ると、Frontierシリーズ最大の特徴である「Kinetic Bass」ドライバーが確認できます。
Kinetic Bassドライバーが目立ちます |
見たままの通り、低音用のダイナミックドライバーがハウジングの外に向かって開放されており、低音の振動がそのまま骨伝導の要領で伝わってくるというギミックです。こういう奇抜なアイデアは実際に聴いてみないことには一体どんな効果を発揮してくれるのか想像すらできないので、手にとってもらえるという意味では良いアイデアだと思います。
個人的な感想としては、このKinetic Bassシステムはハウジングがどれだけ耳穴の側面に密着しているかで効果が変わってしまうため、イヤピースの選択が肝心になってきます。大きめのイヤピースとケーブルの耳掛けで本体を浮かせて釣るような装着方法をすると、Kinetic Bassの効果が薄くなります。
他のIEMイヤホンも同じですが、正しいイヤピースのサイズというのは、本体をグッと押し込んでシリコンが密閉した時点で、本体側面(今作ではKinetic Bassがある部分)が耳穴周辺にピッタリ密着してくれる事が理想的です。シリコンが大きすぎて本体が奥まで入らず宙に浮いてしまうと、本体が傾くことでノズルと耳穴の角度が変わってしまうため、メーカーが本来想定している音ではなくなってしまいます。
ATOMモジュール
Fir Audioイヤホンのユニークな点として、ATOMモジュールという通気ダクト部品があります。ハウジング内部を完全密閉にせず、特殊な通気ダクトを設ける事で、鼓膜への圧迫感や耳栓のような詰まる感覚を低減するという仕組みです。
もちろん適当な通気孔を開けるだけでは音がスカスカになってしまい、音漏れや遮音性の問題も出てくるので、Fir AudioはATOMモジュールによって特定の帯域や量を外に逃がす事で、イヤホンのサウンドチューニングの一環として圧迫感を低減することを実現しています。
ATOMモジュール |
基本的なコンセプトは64AudioのAPEXモジュール同じで、特性の異なるモジュールに交換することで好みのサウンドにチューニングできるという仕組みなのですが、今回Frontierシリーズに搭載されているのはAPEXよりもかなり小さい、米粒のようなサイズです。公式サイトには交換部品として3つのサイズが販売しており、64Audio用はXL、Fir AudioカスタムIEM用はX、Frontier用はXSというタイプらしいです。面倒なので全部統一してほしいですね。
個人的に今回このXSサイズのATOMモジュールに結構手を焼いたので、購入を検討している人は入念にチェックすることをお勧めします。
まずちょっと混乱したのは、M4・M5やVxVもATOMを搭載していると書いてあり、着脱工具もフィットするのですが、公式サイトによると着脱交換できないらしいです。今回それを知らず、VxVのモジュールを外せずに四苦八苦していたところ無理だと言われました。Frontierシリーズは三種類のモジュールが付属するのに対して、VxVはすでに取り付けてあるモジュール以外は付属していないので、そういうものだと理解すべきだったようです。
Frontierシリーズに付属している交換モジュール |
Frontierシリーズでモジュール交換を試みたところ、かなり厄介な構造になっており、他人事ながら「これのせいで、多くのユーザーからの不具合返品があるだろうな」と心配してしまいます。
モジュールは64AudioのAPEXと比べるとかなり小さく、APEXはOリングで圧入されて爪で引っ張り出せる仕組みなのに対して、ATOMモジュールは外側に小さなトルクスビットを挿してネジのように回転して着脱するという仕組みです。
トルクスビットというアイデア自体は良いのですが、問題はモジュールの素材がかなり柔らかく、ステンレスのビットに負けて舐めやすいのと、写真を見るとわかるように、ネジ山ではなくドリルビットのように荒いスパイラルで、本体側の穴はネジタップではなく突起があり、それにスパイラルを引っ掛けて回転するという感じになっています。
つまり、挿入時にネジの当たりと垂直が把握しにくく、最後まで入れた時点の感覚も掴みにくく、本体かモジュールの山が減りやすく、最後まで入る前に空転したり、一旦奥まで入ると、引き出すための山に引っかかってくれず空転したりなど、さんざん苦労しました。もっと力を入れて回したいのに、トルクスビット穴が貧弱なので、かなり気を使います。
モジュール自体がチタンやステンレスなら良いのですが、見た感じ真鍮やアルミのようで、ステンのビットに対してすぐに摩耗します。
そんなわけで、このATOMモジュールを扱う際は細心の注意が必要です。音質面では、標準で付属しているものが一番ニュートラルで、そこから高音寄り、低音寄りを選べるので、私自身は今回の試聴ではひとまず各モジュールのサウンドを聴き比べてからは、標準タイプに戻して使い続けました。試聴機の場合はどのモジュールが付いているか確認すべきです。
VxV & M5 |
今回Frontierシリーズと一緒にM4・M5・VxVも試聴してみました。全てハイブリッド型で、M4は1DD+3BA、VxVは1DD+4BA、M5のみ特殊で、M4と同じ1DD+3BAの上に最高音用の静電ドライバーを搭載しています。
シェルのサイズ比較 |
左がFir Audio M5、右が64Audio Nio |
側面や裏側から見ると64Audioにそっくりですね。64Audio Nioと並べて比べてみても、ノズル部分の角度の付け方など、本当によく似ています。個人的に64Audioのフィット感は満足しているので、Fir Audioの方も全く同じ感覚で、問題ありません。
3.5mmと2.5mm |
今回借りた試聴機はFrontierシリーズが2ピンでそれ以外はMMCXタイプだったのですが、M4とM5は公式ショップを見ると2PINもしくはFir Audio特製のRCXコネクターというのも選べるそうです。RCXというコネクターの実物は見たことがないのですが、写真で見る限りはMMCXっぽく、さらに外周に四角い枠があることで回転を防止するような仕組みのようです。
付属ケーブルがFrontierシリーズは4.4mm、VxVは2.5mm、M4・M5は3.5mmでした。最近のDAPはバランス出力端子が2.5mmと4.4mmの両方用意されているモデルが増えてきたので問題ないでしょうけれど、私が使っているHiby RS6は4.4mmのみなので、2.5mmはちょっと困ります。
インピーダンス
いつもどおりインピーダンス変動を測ってみました。今回ちょっと試聴機を借りたタイミングのせいでKrypton 5とM5を測定するのを忘れてしまいました。また機会があればグラフに追加しようと思います。
インピーダンス |
位相 |
マルチドライバーにしても、かなりワイルドに変動していますね。まずFrontierシリーズのNeon 4とXenon 6を比べてみると、Xenon 6は静電ドライバーのおかげか高音のインピーダンスが一気に上がりますが、それ以外はグラフ全体がほぼ平行しているのが面白いです。公式サイトのスペックでもNeon 4とKrypton 5は22ΩでXenon 6のみ28Ωと書いてあります。静電ドライバーとの整合性のためにクロスオーバー回路の設計定数を変えているのでしょうか。
M4は公式スペックの6.4Ωというとおり全体的にインピーダンスが低く、中域に向かって下がり、高音ドライバーで一気に上るので、電気的な位相も相応に1kHz付近を起点に急激なV字になっています。一方VxVは低音側はM4に近く、中高域からはFrontierシリーズに似てくるのは面白いです。ドライバーやクロスオーバーの設計もちょうど過渡期の中間設計なのかもしれません。
なんにせよ、Fir Audioは全体的にインピーダンスと位相変動がずいぶん急激なので、かなり個性的なサウンドになりそうです。
音質
今回は試聴したモデルが多かったので、一つ一つの音質評価というよりは、全体の傾向やモデル価格帯ごとの違いなどについて確認してみたいと思います。試聴には普段から聴き慣れているHiby RS6やiFi Audio micro iDSD Signatureなどを使いました。
Hiby RS6 |
試聴するモデルが多いです |
まず全てのモデルを一通り試聴してみたところ、従来のラインナップと新作Frontierシリーズではサウンドの傾向が根本的に異なります。正当進化とかリファインなどではなく、全く別物として捉えた方が良さそうです。つまりエントリーモデルのVxVが好きだったからFrontierシリーズにアップグレードしようと考えている人は、ひとまず試聴してみることをお勧めします。
Frontierシリーズのみ性格がガラッと変わります |
M4・M5・VxVはどれもまさに正統派IEMといった感じで、特にM4とM5は初期の64Audioのサウンドにかなり近いと感じました。ダイナミックドライバーを搭載していても軽めでスッキリした鳴り方なので、プロフェッショナルな用途にはピッタリだと思いますが、ゆったりした音楽鑑賞には向いていないかもしれません。
特に個人的に昔の64Audio U5というイヤホンがかなり好きで、今でも使っているので、M4・M5のサウンドはすんなりと受け入れられました。近頃の64AudioはTiaモジュールの導入で刺激的なサウンドに変わってしまったので、それらと比べるとM4・M5はTia導入以前の軽めな(良い意味で無難な)64Audioっぽいサウンドを求めている人にはちょうど良いイヤホンです。特に圧迫感を低減させるATOMの効果は64AudioのAPEXと同じくらい優秀なので、長時間イヤホンを装着する必要がある人には最適です。
M4とM5の主な違いは、M5は最高音用の静電ドライバーが追加されているらしいのですが、そこまで奇抜な鳴り方ではなく、M4と比べてもうちょっと高音がしっかり出ているという印象に留まります。キンキンせずにクッキリと鋭利なディテールを表してくれるため、モニター用途には良さそうですが、全体のバランスの良さではM4の方が無難そうです。
これらM4・M5はかなり標準的なチューニングなので、汎用性の高いモニターイヤホンとして購入するなら最適なのですが、そうなると、わざわざ64AudioではなくFir Audioを選ぶメリットはあるのか、と言われると、そこまで大差ないようにも思えてしまうので、これ以降のモデルでは、もうちょっとFir Audioというブランドの独自性を持たせるサウンドチューニングを目指しているような印象を受けます。
VxV |
2.5mmケーブルなのでAKの方が良いです |
VxVはまさにそんな感じで、M4やM5よりも中高域のスムーズな質感や低音の豊かさを狙ったような、ソニーとかの若干のドンシャリと似た、音楽鑑賞用に適したサウンドです。繊細な音の広がりよりも、もうちょっとセンターフォーカスが効いた、メインの楽器を「聴かせる」傾向なので、第一印象ではM4・M5と比べるとレンジが狭くこもったようにも感じるのですが、長らく聴いていると、こちらのほうがじっくりと音色を堪能できるように思えてきます。
後述するFrontierシリーズがかなり奇抜なサウンドになっているのと比べると、そこに到達するまでの中間的なモデルといった印象もあり、Fir Audioの独自性が垣間見えるものの、そこまで振り切れていない、という感じです。それを中途半端と感じるか、バランスが良いと捉えるか、意見が分かれるところですが、今回試聴してみた中で、一番カジュアルな音楽鑑賞に向いている、万人受けしそうな仕上がりです。Fir Audioというメーカーの腕前を見せつけるエントリーモデルとしては最適ではないでしょうか。
そんなM4・M5・VxVと比べると、今回の新作Frontierシリーズはかなり奇抜です。他社のハイエンドイヤホンと比べても性格が全く違うため、高価なイヤホンだからといって万能な優等生を期待していると痛い目に遭います。Neon 4、Krypton 5、Xenon 6の三種類がありますが、Neon 4が一番クセが強く、最上位のXenon 6はそこそこバランスが取れてくるものの、それでもたとえばゼンハイザーやShureのようなスタンダードな鳴り方とは全然違います。
まず第一印象では、かなり低音寄りのこもった鳴り方です。低音が過剰に膨れ上がって響き過多になっているわけではなく、逆に高音側がEQで絞られているような感じに近いです。つまり余計な響きは少なく、素の特性は良好なので、EQでバランス補正を行う分には問題ないと思います。
この低音寄りの傾向はFrontierシリーズの特徴であるKinetic Bassがしっかり効いているという事なのでしょうけれど、ここまで強調されるとは意外でした。この価格帯のイヤホンで、こういうチューニングに仕上げているモデルは極めて珍しいので、ツボにはまる人も結構多いかもしれません。
Neon 4からKrypton 5、Xenon 6と高音ドライバーが追加されるごとに、高音も出てくるのですが、最上位のXenon 6の静電ドライバーを持ってしても高音が派手というまでには行かず、むしろNeon 4の低音寄りの音色を基準として、そこに空気感や臨場感のような雰囲気が追加されていくような感じです。よく低音寄りのイヤホンというとモコモコして音の抜けが悪い、スッキリしないサウンドを想像しますが、その点Frontierシリーズはさすが高級機だけあって、低音寄りなのに閉鎖感が無く、むしろ空気感が豊かで開放的な情景を描いてくれます。
さて、冒頭でFrontierシリーズが奇抜なサウンドだと言ったのは、ただ低音寄りだからというわけではありません。個人的に一番気になったのは、中低域の捻じれです。個人的に、ここがどうしても理解できず、試聴時にずいぶん悩まされました。
歌手は低めのテノールで、前回のVR1イヤホンでは素晴らしく豊かな歌声を堪能することができました。このアルバムに限らずHyperionレーベルの録音品質は間違いありません。
ところが、このアルバムをFrontierシリーズで聴いてみると、男性歌手の歌声がどうもおかしいです。ちょうど彼の声域の中間に急激な谷間があるというか、上と下で鳴り方が変わる境界線があり、主役としてしっかり描かれるべき歌声の音像が捻じれてしまっています。
これは多分ドライバー間のクロスオーバーや、ハウジング共振の悪いポイントに偶然重なってしまったという事なのでしょうけれど、一般的なイヤホン設計では、こういった人間の声の帯域は最重要として、こういうことが起こらないように極めて丁寧に調整するはずなので、あえてそうしなかったFrontierシリーズのチューニングには驚き困惑しました。
一旦この捻れのクセを意識してしまうと、それ以降はどんな楽曲を聴いても気になってしまい、特にオーケストラやピアノなど、帯域全体の位相がピッタリ整っていないと音像が狂ってしまうような録音では、Frontierシリーズは全然上手くいきませんでした。
ATOMモジュールの交換も試してみたのですが、この問題を解消できるものは無く、標準で装着されている中間タイプが一番良かったです。そもそも低音が強めのイヤホンなので、低音寄りのモジュールは過剰に感じましたし、逆に高音寄りのモジュールは、全体のバランスが軽くなるというよりは、中高域が派手になり、暴れ気味になるので、第一印象のインパクトはあるのですが、長時間使うのは厳しいと感じました。
そんなわけで、モジュールを変え、曲を変え、アンプを変え、何度繰り返し挑戦しても同じ結論に至るので、一旦は試聴をギブアップしてしまったのですが、それでも多くの人がこのイヤホンのサウンドを気に入って購入しているわけで、その魅力に私自身が気がついていないだけだと思うと、気になって仕方がありませんでした。
色々な人の意見を聴いたところ、やはり私の聴き方が悪かったようです。このFrontierシリーズはクラシックのような生楽器の直録とかではなく、打ち込みのポピュラー楽曲を聴くと、凄いサウンドを発揮してくれます。
特にハウスやトランスなどを聴いてみると、これまでどのイヤホンでも体感したことがない圧倒的な鳴り方に感動すら覚えました。
2022年の新譜でJohn Digweed Live in London (Recorded at Fabric)なんか、まさにFrontierシリーズの真価が最大限に発揮される一枚です。
超ベテランが未だに現役で定期的に新作ミックスを出しているというのも、当時のファンとしても嬉しいですし、古典的なトランスでもサウンドが現代風にアップデートされているので、モダンなハイエンドイヤホンでも十分聴き応えがあります。(昔のミックスはアナログ起こしだったりでシングル盤と比べて音が悪かったので)。
これまで挙げてきたFrontierシリーズ特有のKinetic Bassと、さらにXenon 6の静電ドライバーの相乗効果が凄まじいです。まず打ち込みのキックドラムに対してKinetic Bassの効果は絶大で、「低音なんてEQで持ち上げれば良いだろう」なんて安直に考えている人も、このKinetic Bassで低音の「質」の違いを体感すれば、きっと考えを変えてくれるでしょう。本当に骨伝導なのかは不明ですが、確かにノズルから出音される音色の邪魔をすることなく、自分の体に直結するような力強い低音が体感できます。しかもスピードとタイミングが極めて優秀です。
こういう低音増強ギミックの多くは、ハウジングなどの反響に頼る仕組みが多く、そういうのを聴き慣れてくると「タイミングの遅れ」というのが明確に感じられるようになります。音楽に対して低音のビートが僅かに遅れるため、リズムのノリが悪いと感じられるわけです。
その原理がわかってくると、単純に低音の量だけではなく、良い低音と悪い低音の区別がつくようになってきます。そしてFrontierシリーズの低音は、このタイミングの遅れが少ないため、ダンスミュージックのリズム感がとても良いです。立ち上がりが素早く、しかも引き際もスッキリしていて、耳の中で無駄に響いているようにも感じないので、直接ダイナミックドライバーを骨伝導で伝えているというKinetic Bassのアイデアに納得せざるを得ません。
さらに、その上の中域が比較的軽めで、高音もシャリシャリと耳障りに刺さるのではなく、空間に広がっていく傾向なので、打ち込みで多用されるTR-808/909のスネアやハイハットなども、鼓膜に刺さるのではなく、広い空間に広がっていくような感覚です。つまり、この低音と高音の組み合わせは、単純に派手なドンシャリというわけではなく、クラブのPAスピーカーのような、本物のパワーと広がりが体感できます。
もちろんここまでコアなダンスミュージックではなくても、ポップス楽曲の多くが打ち込みリズムを使っていますし、ロックバンドなども明確にパートを分けたミックスをしており、歌手や楽器が帯域を広く跨がないような作風が一般的なので、そういう楽曲はFrontierシリーズとの相性が抜群に良いです。
皮肉にも、ちょうど前回紹介したSimphonio VR1が得意とする音楽とまるで真逆なのが面白いです。これだからイヤホンの世界は奥が深く、一つのイヤホンに万能を求めるのは難しいということを実感します。
Effect Audioの銀ケーブル |
ここまで付属ケーブルのままで試聴してきたので、社外品ケーブルに交換するとどうなるかチェックしてみました。幸いFrontierシリーズは2ピン端子なので、選択肢はいくらでもあります。
色々と試してみたところ、Frontierシリーズの低音寄りの傾向は付属ケーブルの特性でも助長されているようです。もうちょっと高音も伸ばしたい人は銀線などに変えてみるのも良いかもしれません。男性ボーカル域の捻じれみたいなものはケーブルでは改善しませんでしたが、もうちょっと高音寄りで軽めのケーブルを使う事で目立たないように仕上げる事も可能です。
特に付属ケーブルでは、Neon 4は重心が低すぎて、静電ドライバー搭載の最上位Xenon 6くらいが個人的にちょうど良いバランスだと思えたので、そのあたりもケーブル次第でどうにか調整できそうです。こういうイヤホンの購入を検討している人は、性格が異なるケーブルをいくつか持っているでしょうから、自分の好みの組み合わせを見つける楽しみもあると思います。
おわりに
今回はFir Audioのユニバーサルイヤホンを一気に試聴してみたのですが、特に新作Frontierシリーズのパワーと迫力に圧倒されました。
同じ1DD+3BAでも性格が全く違います |
Kinetic Bassの低音と、最上位Xenon 6の静電ドライバーによる高音の組み合わせは、まさにダンスアリーナのPAを彷彿とさせるスケールの大きなサウンドを表現できており、他のイヤホンでどれだけEQをいじったりしても、これと同じサウンドは出せません。そういった意味ではハイエンドに相応しい作品です。
とくにダンスミュージックでここまで迫力を感じたイヤホンは初めてなので、普段打ち込み楽曲を聴く人はぜひ体感してもらいたいです。大型ヘッドホンであれば低音重視のモデルも色々ありますが、これまでイヤホンでは得難かった快感です。
逆に生声や生楽器重視の作品では中域の位相管理が結構気になるので、そういうジャンルには向いていないかもしれません。もちろんそのためにFrontierシリーズ以外のM4・M5・VxVといったモデルが存在しているので、そちらの方をお勧めします。
では私自身がどれを選ぶかというと、もしまともなイヤホンを一つも持っておらず、音楽鑑賞のための初めての高音質イヤホンを購入するとなったら、多分VxVを購入すると思います。しかし、もしすでに標準的な高級イヤホンをいくつか所有しているのであれば、それらでは味わえない独自性という点でFrontierシリーズが欲しくなります。そういった意味では、Fir Audioの思惑通りなのでしょう。
しかし、いざFrontierシリーズを買うとなると、今回ブラインドで三種を交互に試聴した結果、やっぱり最上位のXenon 6が一番欲しくなって、しかし値札を見てビックリしてしまう、というジレンマがあります。Neon 4・Krypton 5にケーブルやアンプの組み合わせで好みのバランスに調整するという手もあるので、その点ではベテランのマニアほど使いこなせる潜在能力を秘めたシリーズだと思います。