2022年7月4日月曜日

Ultrasone Signature Master ヘッドホンのレビュー

UltrasoneのヘッドホンSignature Masterを買ったので、感想とかを書いておきます。2021年10月発売の密閉型モニターヘッドホンで、価格は約12万円と、この手のモデルとしてはかなり高価な部類です。

Ultrasone Signature Master

2011年発売のSignature Proの後継機という扱いのようで、個人的にそのヘッドホンは稀代の傑作だと思っているため、今作も期待と心配が混ざったような気持ちで購入してみました。

Ultrasone Signature Master

実は今回このSignature Masterヘッドホンは発売直後にドイツから購入していたので、これを書いている時点ですでに6ヶ月以上経っています。

個人的に待望していたヘッドホンなのに、なぜすぐにレビューを書かなかったのかというと、まずUltrasoneというと総じてエージングとかバーンインが必須だというのが通説になっており、開封直後に感想なんて書いても「あいつは10000時間エージングしなかったから」なんて袋叩きに合うのが目に見えている、という理由が一つと、もっと真面目な話として、このヘッドホンが手元に届いて一通り聴いてみた結果、どうにもUltrasoneらしくない、コメントが難しいヘッドホンだと感じたので、ひとまず慣れるまで毎日使ってみようと思っていたら、ずいぶん時間が経ってしまいました。

なにか強いクセがあるとか、シンプルに音が悪いと感じたのなら、感想もすぐに書けるのですが、このSignature Masterはむしろ逆に「Ultrasoneのくせに」奇抜な特徴が無さすぎたせいで困惑しました。

特に旧作Signature Proと並べて交互に使ってみても、サウンドの傾向が明らかに違い、単なるマイナーチェンジに留まりません。そのあたりを探るのに時間がかかった、というわけです。

エージングとか

余談になりますが、エージングに関しては諸説あると思いますが、私の考えとしては、その辺に放置してピンクノイズとかを大音量で延々と鳴らしているのは意味が無いというか、むしろデメリットすらあると思っています。

確かにドライバー振動板のエッジなど可動部分の伸張を十分に慣らすという意味では有用なのかもしれませんが、私にとってエージングというのはイヤーパッドやハウジング内部の吸音材なども含めて、温度差や紫外線、汗で蒸れたり、頻繁に着脱したりで、普段活用する環境に馴染んでくる、という事も含めてエージングだと思っているので、そのへんに放置して音を流しているだけでは、総合的に使い込んだのとは違う結果になってしまうと思います。

私の場合、新しいヘッドホンを買ったら、真面目に音楽を聴いているだけではなかなかエージングも進まないので、たとえ高価なヘッドホンであっても、ゲームやYoutubeなどの雑用に使う事にしています。そうすれば一日中装着しつづけると痛くなるかチェックもできます。特に最近のゲームは合計プレイ時間が表示されるので良いですね。今回Signature Masterもちょうどエルデンリングをプレイしはじめた頃からずっとパソコンで使っていたので、実際に200時間以上装着して鳴らしていた事が確認できます。動画鑑賞とかを含めると500時間以上でしょうか。もうだいぶ慣れてきた気がします。

Signatureシリーズ

2011年発売のUltrasone Signature Proというのは、本当に凄いヘッドホンだと思います。オーテクATH-M50xのと同じようなDJヘッドホンっぽい回転ヒンジ構造なので、素人が見たら高級ヘッドホンだなんて思わないようなベーシックなデザインなのに、いざ鳴らしてみればサウンドはトップクラスに素晴らしいという隠れた傑作です。

Signature ProとSignature Master

こんな質素なデザインのくせに、発売当時の10万円という価格設定は不当に高価なように思えるかもしれませんが、実は当時から熱心なファンが多く、唯一無二のモデルとして君臨してきました。販売価格も過去10年間でほとんど値崩れしていない事からも、根強い人気があることがわかります。

今となっては音が良い密閉型ヘッドホンの選択肢も増えてきましたが、当時としては、本格的なヘッドホンといえば開放型がメインでしたし、高価な密閉型もあったとしても、高級木材削り出しの巨大なハウジングなど、響きの趣味性が強い嗜好品のような扱いのモデルばかりで、このSignature Proのように気軽に折り畳んでケーブルをグルグル巻いてバッグに放り込める、堅牢で実務に耐えうるハイエンドヘッドホンというのは、今でも意外と珍しい存在です。

他社のヘッドホンの説明を見ると、最先端の材料工学を用いたハイテクなドライバー技術とか、空気の流れをコンピューター解析したハウジング設計など、色々と熱心にやっているようですが、一方Signature Proの中身は一見なんてことない40mmダイナミックドライバーで、ハウジングの内部構造も大したことなさそうのに、たったこれだけで素直に「音が良い」と思えてしまうのは、本当に不思議なものです。

Signature ProとMasterのS-Logic板

唯一Ultrasone独自のギミックと呼べるのは、昔から定番のS-Logicというもので、これはドライバーの出音面の前に厚い金属板を配置して、音が出る穴を軸線からオフセットした位置に設けることで、ドライバーからの音がダイレクトに鼓膜に直撃するのではなく、ワンステップ置いて、別の方角から鳴っているように聴こえてくるという感じのアイデアです。

一見誰でもできそうな簡単そうなギミックで、コストもそこまでかかってなさそうですが、安易に真似ようとしても余計な響きばかりで変な音になってしまうため、Ultrasoneは長年この穴の形状や周囲の白いフィルターの位置などの細かい調整に試行錯誤しており、その結果Signature Proはとりわけ成功例になったようです。

今作Signature Masterでは新たにS-Logic 3というバージョンに進化しているそうで、パンフレットによると、出音穴の上あたりに変な赤いピラミッドみたいな部品が追加されています。たったこれだけで音が進化するのか、それとも他の部分も改良されているのか、謎に満ちているわけですが、そのあたりもUltrasoneの面白いところです。

Signature Master/Natural/Pulse

今回登場したSignatureシリーズの新作は、私が買ったMasterの他にもNaturalとPulseという三機種が用意されており、それぞれ金銀銅のエンブレムで見分けがつきます。ドイツ公式サイトでの価格は€949、649、549ということです。

Master、Natural、Pulse

Signature MasterとNaturalはどちらもチタンコーティング40mmドライバーを搭載しており、Masterは高価なだけあってヘッドバンドとイヤーパッドが本革で、ケーブルやケースなどの付属品も豪華になり、いわゆるデラックス版という扱いのようです。

価格差はずいぶん大きいので、普通ならNaturalの方を買っても良かったのかもしれませんが、私は長年Signature Proを愛用してきたこともあって、感謝の気持ちも込めて、せっかくなのでMasterを選びました。

一番安いSignature Pulseのみ異色な存在で、コーティング無しの50mmドライバーを搭載しています。2011年にSignature Proが出た時も、同じように50mmドライバーのSignature DJというモデルが用意されていたので、Pulseはそちらの後継機なのでしょう。ドライバー口径が大きくなることで低音がパワフルに鳴るので、騒音下のDJ用途には最適です。

パッケージ

一昔前のUltrasoneと比べて、今回のSignature Masterはずいぶんモダンなパッケージになっています。

これまでは、いかにもプロオーディオショップに陳列されているような白地の紙パッケージでしたが、今回はまるで高級革靴や洋服を買った時のようなしっかりした黒い紙箱で、上蓋との隙間の赤いラインもインパクトがあります。

カッコいいパッケージ

包装紙とステッカーも良い感じです

カタログ

蓋を開けてみるとシリーズのカラーパンフレットと、本体は包装紙に丁寧に包まれており、金色のステッカーなんかも、やはり高級紳士服店でシャツを買った時のようなプレゼンテーションです。

パンフレットには各モデルの紹介と、S-Logic 3についての解説などが書いてあります。

できればサイズを揃えてほしかった

なんとも中途半端です

どうでもいい事ですが、熱心なUltrasoneファンの私としては、今回の新作パッケージのサイズが中途半端に大きいため、本棚に横に並べた時に一つだけ揃わないのだけが残念でした。

いつものケース

サイン入りタグ

本体の下には付属品

紙箱の中にはSignatureシリーズのファンにはおなじみのハードケースがあります。ハウジングと同じ金色のエンブレムが貼ってあり主張が強いです。部品が余ったのでしょうか。

ヘッドホン本体には検品サインのタグがあり、ケーブルは三種類、イヤーパッドも本体の下にもう一つ付属しています。さすが高級機だけあって付属品も充実しています。

付属品

付属ケーブルは、3m (6.35mmプラグ)と1.5m (3.5mmプラグ)のどちらもストレートケーブルで、ノイトリックのしっかりしたコネクターなのが嬉しいです。

さらに1.2mのリモコンマイク付きケーブルもあり、こちらは他のモデルでも見たことがある銀色のタイプです。あくまで個人的な感想ですが、この銀色のケーブルは黒いケーブルと比べて音があまり良くないと思うので、どうしてもマイクが必要な時くらいしか積極的には使いません。

同じシリーズのSignature NaturalとSignature Pulseのスペックを見ると、価格差なりに付属品も変わってくるので、そのあたりも考慮する必要があります。

Signature Naturalは合皮パッドのみで、スペアパッドも合皮、ケーブルは1.2m、1.2mリモコンマイク付き、0.8mの三種類で、どれもノイトリックプラグとは書いてありません。

Signature Pulseは合皮パッドで、スペアパッドは無し、ケーブルは3mコイルケーブルと1.2mストレートケーブルで、こちらもノイトリックとは書いてありません。

Signature Naturalは短いケーブルでカジュアルなポータブル向け、Signature Pulseは50mmドライバー搭載ということもあり、コイルケーブルでDJ向けといった感じに、単なる廉価版ではなく、それぞれの想定する用途に配慮した構成になっているあたり好感が持てます。

もちろんケーブルもパッドも交換可能なので、あとでスペアパーツとして異なるタイプを入手することも可能です。

以前と同じコネクター

社外品ケーブルの選択肢も豊富です

本体側のコネクターは以前と同じように2.5mmツイストロック式で、オーテクM50x用やゼンハイザーHD599用などと書いてあるタイプなら互換性がありますので、社外品の高級アップグレードケーブルなどの種類も豊富です。

唯一注意すべきは、HD599の方がツイストロック部分が若干細いため、社外品の多くはそちらと互換性を保つために細い形状になっており、Ultrasoneに接続するとグラグラして心もとないです。曲げ荷重が加わるなど、ラフに扱う場合は、このスリーブ部分にテープを巻くなどで厚さを調整しておいたほうが良いかもしれません。

デザイン

本体デザインは基本的にこれまでのSignatureシリーズと全く同じです。回転ヒンジでフラットに折り畳めるギミックなどはオーテクATH-M50xなどと同じですが、流石に高価なだけあって、あれほどギシギシ音が鳴りません。

折り畳めるのが便利です

ヘッドバンドがかなり厚いです

前方から見るシルエットはいかにもDJ用モニターヘッドホンといった感じで、ハウジングはかなり薄手なのですが、ヘッドバンドのクッションが異常に厚いので、ポータブルで使うとなると、ヘッドバンドがかなり目立ってしまいカッコ悪いです。できれば他社並みにもうちょっと薄くしてもらいたかったです。

Signature ProとMasterのヘッドバンド

Signature Proはヘッドバンドのクッションが硬すぎて(というかクッションがほぼ無い硬い板なので)頭頂部が痛くなるという難点があったのですが、その点Signature Masterは一見同じように見えてもしっかりとクッションが追加されており、私の頭では一日中装着していても痛くなりませんでした。

スライダーを最大まで伸ばした状態

ヘッドバンドのスライダーもこれまでと同じで十分広い調整範囲があるため、ハウジングの回転ヒンジと合わせて、どんな頭形状でもピッタリとフィットしてくれると思います。

Made in Germany

金色のエンブレム

Signature Masterはシリーズ最上位モデルということで、ものすごく派手な金色の立体エンブレムが装着されています。個人的にはSignature Proの地味なデザインの方が好みなのですが、これはこれで奇抜でインパクトのあるデザインだと思います。Ultrasoneの社内会議で一体どのような経緯を経て黄金エンブレムに決定したのか気になります。

Signature Pro (左)とSignature Master(右)

イヤーパッドは本革(メリノレザー)で、それとは別に合皮タイプもスペアとして付属しています。

本革パッドは肌触りは良いのですが、ちょっと硬めなので、肌に馴染むまでは時間がかかると思います。合皮タイプは柔らかくフィット感も良好なので、個人的にはこちらを使いたいのですが、交換すると音が劇的に変わってしまい、あまり好ましくなかったので、悩んだ結果、本革タイプを使い続けることにしました。

ちなみに上の写真のSignature Proは10年間使い込んだせいで本革パッドが古い財布やブーツのように柔らかくなっています。購入当初はSignature Masterのと同じくらい硬かったと思うのですが、もはや思い出せません。

Adam SP-5とSignature Master

ところで、Signatureシリーズの兄弟機で、数年前にADAMから発売されたSP-5というヘッドホンがあるのですが、フィット感に関しては、個人的にはそちらの方が良いと思います。

SP-5はヘッドバンドとイヤーパッドのどちらも合皮で、その方が本革よりも柔軟性があり、肌に吸い付くようなピッタリしたフィット感が得られ、しかもヘッドバンドは薄手でありながらクッションも良好です。

また、Ultrasoneユーザーにありがちな悩みとして、本革パッドが高価すぎて、古くなってきて交換したいのに高くて買えない、という問題もあります。

ちなみにSignature MasterではなくNaturalの方を買えばヘッドバンドとパッドはSP-5と同じく合皮になるので、そちらを買えば良かったのかもしれません。しかしSignature Masterに合皮パッドを装着すればADAM SP-5やSignature Naturalと同じサウンドになるのか、というと、実際そうはならず、各モデルごとに個別にチューニングされているため、なかなか悩ましいです。できればヘッドバンドだけでも合皮タイプに交換できれば良かったと思います。

インピーダンス

いつもどおり周波数に対するインピーダンス特性を測ってみました。

インピーダンス

位相

比較のためにSignature ProとADAM SP-5、そして似たような密閉型スタジオモニターのライバル機としてAustrian Audio Hi-X55とSony MDR-M1STを重ねてみました。ベイヤーダイナミックDT1770PROも入れたかったのですが、あれは250Ωなのでグラフ縦軸がむしろ見にくくなるため止めました。

こうやって見ると、Signature ProとMasterのグラフはピッタリ重なっており、その差は誤差程度なので、同じヘッドホンだと言われたら信じてしまいそうです。それでも実際に聴いてみるとサウンドは明らかに違うので、こういう測定はあまり参考にならないという良い例です。どちらも公式スペックには32Ωと書いてあります。

ADAM SP-5は外観は同じでも専用ドライバーを搭載しているため、インピーダンスがかなり高めです。

Austrian Audio Hi-X55とSony MDR-M1STは似たようなインピーダンスですが、それぞれ山になっている周波数帯域が違うので、ドライバーやハウジングの設計コンセプトが違うのでしょう。それにしても、高域に変な尖りのあるSignatureシリーズと比べてソニーは本当に優等生ですね。どんなアンプで鳴らしても同じ音になるようにという執念が感じられます。

音質とか

今回の試聴では、プロ用モニターヘッドホンということで、自宅のViolectric V281ヘッドホンアンプを通して鳴らしてみました。DACはChord Qutestです。Signature Proもこの構成で普段鳴らす事が多かったので、慣れ親しんだサウンドです。

Ultrasoneのヘッドホンは総じてインピーダンスが低く能率も高いため、ポータブルでも十分な音量を発揮できるのですが、DAPなどで鳴らすとダイナミクスが損なわれてモコモコした音になってしまう印象があるので、音質面ではしっかりした据え置きアンプで鳴らすメリットはあると思います。

Violectric V281

Signature Masterを聴いてみて真っ先に感じたのは、これまでのSignature ProやAdam SP-5などとは根本的に違う、全く新しいサウンドだという印象です。単なるマイナーチェンジではなく、この10年間でUltrasoneというブランド自体の方向性が大きく変わったという印象を受けます。

古典的なUltrasoneらしいサウンドというと、Edition 8やEdition 12のようなキンキンのドンシャリをイメージしますが、実はここ数年の新作を振り返ってみると、たとえばEdition 11なんかは、かなりバランスよく中低域も豊かに鳴るように仕上がっています。

このSignature Masterも同様に、これはFostexかAudezeだと言われても納得してしまいそうなくらい、厚みがあって、耳障りな尖りが無い、バランスの良い鳴り方です。つまり過去のUltrasoneっぽい刺激を求めている人にとっては期待外れの音作りと言えるかもしれませんが、私はかなり気に入りました。


ACTレーベルから新譜Jazz at Berlin Philharmonic XIII 「Celebrating Mingus 100」を聴いてみました。

定番シリーズ13作目の今回はMagnus Lindgren率いるビッグバンドでミンガスのトリビュートということです。ミンガスのソウルフルな泥臭さを残しながらドイツらしくモダンでスッキリしたアレンジで、大編成でソロを巡回するあたりもカッコいいですし、楽器の種類が多いので、ヘッドホンのポテンシャルを評価するにも最適です。

Signature Masterの周波数特性は、そこそこ広い中域全体が充実していて、最低音や最高音がそこまで目立たない、いわゆる「カマボコ型」という印象です。一般的な感覚ではフラットなのでしょうけれど、従来のSignature Proなどのチューニングと比較してしまうと、かなり「丸くなった」印象を受けます。

しかし、ここがSignature Masterの凄いところで、単純に高音や低音を抑え込んだだけのようには聴こえません。艷やかで金属的な高音や、立体的で力強い低音の描き方はあいかわらずUltrasoneらしさを維持しながら、従来機では不足していた中域部分が明らかに改善されたことで、音量バランス的には派手さが抑えられたものの、音色に物足りなさを感じさせません。

さらに、Ultrasoneの代名詞S-Logicの効果が存分に感じられ、音楽全体が耳元から一歩前に移動して、響きが乱雑にならず綺麗に整った前方定位が体感できます。感覚的には「周囲に音楽が展開する」ではなくて、「目前にある音楽を観察する」といった聴き方になります。

中域全般が厚い鳴り方と、音像が前方に寄せられることで、ジャズのビッグバンドのような複雑な演奏では音数が多すぎて混雑するかと思いきや、プレゼンテーションが絶妙に上手いため問題になりません。特に前方の奥行き方向の解像感が高いため、ドラムやサックスなど各楽器がしっかり前後の位置関係で分離できています。

また、たとえばベースの演奏に注目してみると、かなり太い低音なのに、しっかりと定位置にとどまってくれて、響きの広がりもコンパクトにまとまっているため、響きが他の楽器を覆い隠すような問題もありません。

ようするにハウジングやドライバーの響きが上手く抑えられていて、過度に長引いたり、乱雑に広がったりしないため、音色自体が丸く厚くても、音楽が濁っているようには聴こえないのでしょう。

ハウジングの響きが多すぎて管理できていないヘッドホンの場合、あえて高音を派手に仕上げることで、見かけ上のクリア感や解像感を演出しがちですが、Signature Masterはそういった小細工の領域を超えた、もっとレベルの高い音作りだと感じました。

特にチタンコーティングドライバーというだけあって、ハイハットなども金属感がちゃんと出ており、ロールオフされているとか天井を感じるという印象はありません。金属コーティングにありがちな、特定の帯域が強調されるようなクセがなく、中域とのバランスが上手くとれているため、音量を上げても耳障りになりません。

このジャズアルバムはミンガスをオマージュしたアルバムということで、やはりベースが一番肝心なわけですが、色々な密閉型ヘッドホンで聴き比べてみたところ、個人的にSignature Masterの表現が一番リアルだと思いました。ボンボンと力強く鳴るけれど飽和せず、しっかりと音色が聴き取れますし、サックスなどがソロを取っていても、その後ろに注目すれば常にベースのメロディーが楽しめます。

しかも、Signature Masterがさらに凄いのは、そんな「音色が厚くて、メロディが聴き取りやすい」という特徴が、ベースだけでなく、ドラムもサックスもトランペットも、どの帯域の、どの楽器でも言えるので、並大抵の密閉型ヘッドホンではないと確信できました。

一つだけ注意点を挙げるとするなら、たとえば3曲目「Goodbye Pork Pie Hat」の冒頭のベースなど、付属ケーブル(黒いタイプ)は1.5mと3mのどちらも低音が結構主張が強く前に出る感じがするので、アンプとの相性次第で、もしウッドベースがボンボンとうるさいと感じるようであれば、社外品ケーブルに変えることをお勧めします。私は昔のオヤイデHPC-35/62というやつを長年使っていて丁度良い具合ですが、最近は他にも良いケーブルは色々あると思います。フルオーケストラの交響曲とかでも、このような社外品ケーブルの方が低音が整って良い感じです。


DGGからMatthias Goerneが歌うドイツ歌曲集を聴いてみました。DGGだけあってピアノはDaniil Trifonovという豪華な組み合わせです。

Signature Masterは中低音の表現力が優秀なので、ゆったりしたピアノのコードがズシーンと響くところなどがとても気持ち良く再現できており、さらにバリトン歌手というのはヘッドホンで満足に鳴らすのは難しいのですが、そちらも見事に描ききれています。

バリトン歌手の歌声は、柔らかさと力強さ、はっきりした発声と体全体を使った響き、といった、オーディオ的には矛盾した要素を両立せねばならず、多くのヘッドホンでは、とりわけこの帯域にハウジングの響きが被ってしまいがちで、特定の周波数だけ共鳴してしまう事がよくあるのですが、Signature Masterではそれがほとんど感じられません。

単なるモニターヘッドホンのような実直で真面目な描写ではなく、S-Logicの効果なのか、楽器の一音が発せられるごとに、その周辺を取り巻く空気みたいなものがフワッと付帯するため、音色自体が輝いているように聴こえて、情景を描くのが上手いのが魅力的です。

たとえばシューマンの冒頭を聴くと、まずピアノがゆっくりと主題を演奏することで、その曲が目指す情景や感情を提示して、そこに歌手が歌詞を乗せていくといった流れがあります。そういった歌曲をSignature Masterで聴いてみると、「柔らかく、芯がある」という表現があてはまるような、直感的に良い音だと感じられます。

どういう意味かというと、まずピアノと歌手の音像が明確に独立して描かれており、それぞれにしっかりとした芯があるため、質感や距離感など、二人のコントラストが鮮明に表現されています。しかし、二人から発せられた音の響きとなると、それらは独立した存在ではなく、一つの空間に綺麗に混ざり合って聴こえるので、二人で一つの音楽の流れを生み出していることが感じられます。

つまり、ピアノのタッチや歌手の息使いなどの細部まで聴き取れる性能を持っていながら、音楽的にはバラバラにならず雰囲気豊かな情景を描いてくれるため、良い音だと感じるわけです。

この歌曲アルバムでもケーブルは社外品に変えたほうが良い結果が得られました。付属ケーブルだと低音が前に出すぎるのと同時に、ピアノのアタック部分も飽和するようなアグレッシブな感覚があります。全体的に主張が強いといった感じでしょうか。別のケーブルに変えるとスムーズで綺麗なバランスが得られます。

Signature Proと比較

同じジャズとクラシックのアルバムを使って、Signature Proと聴き比べてみました。

結論から言うと、私の頭の中にあるUltrasoneらしさという点ではSignature Proの方が馴染み深いのですが、では音楽鑑賞においてどちらが優れているか、様々な楽曲やジャンルで満足できるかとなると、Signature Masterの方が好みです。

まず周波数特性では、Signature Proは高音寄りでスッキリとした鳴り方です。逆に言うと中低域の再現性が不足していて、最低音だけグッと持ち上がるような、いわゆるドンシャリ型なので、EDMなどを聴くと迫力のある重低音が発揮できるものの、クラシックだと軽く聴こえる、という特徴を持っています。

クラシックの歌曲では、歌手の発声部分はSignature ProとMasterで同じような描写なのですが、ピアノを聴いてみると、音色自体は聴こえるけれど、そこから広がっていく響きはProではあまり感じ取れません。その響きをMasterと同じレベルまで聴き取ろうと思って音量を上げてしまうと、今度は打鍵がうるさくなってしまいます。

つまりProの方が全体の響きが高音寄りでスッキリしていて、中高域のソロ楽器や歌手の音色だけに専念して、音色の艷やかな美しさをだけ堪能するような聴き方が得意です。こういう聴かせ方ができるヘッドホンは稀なので、特にヴァイオリンや女性ボーカルなどが好きな人にとっては未だにSignature Proが最高峰だと思います。

しかし、歌手の響きとピアノの響きが歌曲の情景を共有して描くという点では、Masterの方が優れています。Proではそれぞれが交互に演奏する対話のような聴かせ方になります。

ジャズを聴いてみると、Signature Proではキックドラムのビートやハイハットのアタックが鮮明に描かれ、これぞUltrasoneと言える派手なリズム感の上で、アルトサックスやトランペットの爽快なソロが輝いています。一方中低域がかなり軽く仕上げられているため、ベースが演奏するメロディを聴き取るのが難しいです。

また、このアルバムはライブ録音なので観客の拍手が入っているのですが、拍手というのはヘッドホンやスピーカーの性能を評価する上で意外と役に立ちます。いわゆる広帯域なホワイトノイズのようなものなのですが、我々はスピーカー越しではない現実のコンサートやイベントなどで「生の拍手の鳴り方」に慣れ親しんでいるため、ヘッドホンで聴いた時にちょっとでも違和感や不自然さがあると、なにか変だと無意識に気が付きます。

Signature Proで拍手を聴いてみると、中低域のある帯域だけフィルターでカットされているかのようなシュワーッと聴こえる違和感があるのですが、Masterでは極めて自然な拍手として聴こえるので、やはり帯域に穴や捻じれが無く優秀だという説得力があります。

ADAM SP-5とSignature Master

ADAM SP-5とでは、プレゼンテーションの性格が全然違い、どちらも良いので、どちらが好みか悩みます。SP-5の方がサウンドが軽く、前方定位が明確で、モニターヘッドホンらしい仕上がりです。特に他のモニターヘッドホンと比べて、ニアフィールドモニタースピーカーの鳴り方を一番忠実に再現できているヘッドホンだと思います。そのあたりはさすがADAMらしいです。つまり普段からニアフィールドで作業している人にとっては、SP-5を使えばスピーカーとヘッドホンの切り替えをスムーズに行えると思います。

しかしSP-5ではSignature Masterほどの音色の質感の美しさを味わうみたいな楽しさは得られないので、やはり業務用という印象を受けます。また、SP-5の合皮パッドの方が遮音性が良いと思いますし、本革ほど使い込んで馴染ませる必要も無いので、即戦力になるという点でも業務用に有利です。

ちなみにSignature Masterにも似たような合皮パッドがスペアで付属していたので、そっちに交換すればSP-5と同じようなサウンドになるかもと一石二鳥を期待していたのですが、残念ながらそう上手くはいきませんでした。Signature Masterに合皮パッドを装着すると、耳周りの響きが増して、ドライバーとの距離も遠くなるため、全体的に響きが多すぎてモコモコした鳴り方になってしまいます。SP-5では同じ距離感なのにそうならないので、実に不思議です。この本革パッドでの鳴り方だけでも、Signature Masterとの価格差に納得できてしまいます。

Signature Master、Hi-X55、MDR-M1ST、DT1770PRO

せっかくなので、他のメーカーの密閉型モニターヘッドホンと呼ばれるようなモデルと簡単に比較してみました。

まずソニーMDR-M1STですが、中高域の出音が非常にダイレクトに耳に届くので、マイクで録った電気信号がそのまま無濾過で出されている感覚があります。この鼓膜に直接訴えるダイレクト感が足りないのがUltrasoneのS-Logicの弱点かもしれません。

そんなソニーは一音一音が非常に明瞭ですが、ヘッドホンとしてプレゼンテーションの管理が上手くできていないため、すべての音が鮨詰めのように、ベースの上にキックドラムが、トランペットが、サックスがと、無秩序に重なり合っているような感じになってしまい、このあたりが音楽鑑賞には向いていないように思います。

つまり、まるで聖徳太子のように、同時に発せられている6人の演奏を意識を集中させて聞き分けるという感じになってしまいます。Signature Masterでは前方定位と奥行方向でこのあたりを無理なく分離しているため混雑しません。

クラシック歌曲では、ソニーは歌手の歌唱の再現性は優秀だけれど、ピアノの響きとの空間分離ができておらず両者が被ってしまいます。つまり歌手が低音域を歌うと、ピアノの響きと同じ空間に混ざり濁る感覚です。ただし、ピアノ無しで歌手だけが歌っている部分に限定すると、発声の響きがどのような帯域でどれくらい響くのか、といった分析をするならソニーの方が優秀です。

つまり、ソニーMDR-M1STは、すでにミックスされた音楽というよりも、放送局やナレーションなど、単一のソースの調整をして、良し悪しを判断するモニター用途に向いているのだと思います。まさに適材適所といった感じで、これを持ってして、プロ用だから普段のカジュアルな音楽鑑賞にも最高だと思い込むのは注意が必要です。

私にとって、音楽制作において最もおすすめできる密閉型モニターヘッドホンとなると、いまだにベイヤーダイナミックのDT1770PROを挙げています。

今回Signature Masterとの比較で改めてじっくり聴き比べてみたところ、やはりDT1770PROは凄いなと再確認できました(ちなみにベロアパッドを使っています)。Signature Masterは、以前のSignature Proでもそうだったのですが、プロ用とは言うものの、中高音の音色があまりにも美しく聴こえてしまうため、録音の良し悪しを評価するには、ちょっと難ありだと思います。

そこそこな録音でも、Signature Masterを通して聴くと、なんだか凄い美音のように聴こえてしまうのです。これは開放型におけるAKGなんかにも当てはまるかもしれません。一方DT1770PROは音がもっと硬く、クッキリしていて、まさに高レスポンスと呼べるような、まるで石版に刻まれた真実のような鳴り方をしてくれます。しかもそれが高音のみでなく、最低音まで全帯域で同じような特性を持っていますし、空間分離や奥行きも十分にあるので混雑しません。インピーダンスが高いというのも影響しているのかもしれません。美しくはなくとも、とにかく安定しています。

つまりDT1770PROで音楽を聴いた時に、音が刺さるとかバランスが悪いと感じたなら、それは多分録音側に不備があるのだと確信が持てます。つまり、音楽鑑賞に使うとなると、好きなアルバムを聴いていても、録音の不備が気になってしまいがちです。

Austrian Audio Hi-X55もそんなベイヤーダイナミックと似たような傾向を持っていますが、こちらの方がDJヘッドホンっぽいコンパクトなハウジングなので、特定の帯域でハウジング響きが目立ちます。Signature Masterと比べるとHi-X55はイヤーパッドが厚く、低反発スポンジが耳周りをピッタリと覆うため、低音の反射が強めで暴れがちです。

個人的には、もうちょっと軽めに、昔のK271くらいのバランスで仕上げてくれたほうが好みに合うのですが、最近はこういう低音が強いサウンドの方が求められているのでしょう。そのあたりは開放型Hi-X65で実現できています(Hi-X60は未聴です)。

Hi-X55は低音が強く遮音性が高いということで、屋外の騒音下で収録するなどでは優秀だと思います。つまりSignature Pulseに近いかもしれません。どうせ最終的な仕上げは静かなスタジオで開放型ヘッドホンかスピーカーを使うんだろう、という割り切りが感じられるので、そういった意味ではよく考えられた優秀なヘッドホンだと思います。

そんな感じで、密閉型スタジオモニターヘッドホンといっても千差万別ですので、用途に応じて選ぶべきですし、すでにモニタースピーカー環境がある人は、色々と試聴する際には、スピーカーの鳴り方の感覚に合わせて選ぶのが良いと思います。

おわりに

Signature Masterは、Ultrasoneファンの私の期待を裏切らない素晴らしいヘッドホンだったので一安心しました。高価でしたが、買って良かったと思えます。

スペックだけ見ると十年前のSignature Proと全く同じように思えるのですが、実際に聴いてみると明らかに違います。例のS-Logic 3の赤いピラミッド部品の効果なのでしょうか・・・。

Signature ProやEdition 8などのような古典的な「Ultrasoneらしい」鋭くキラキラしたサウンドも魅力的だとは思いますが、流石に2022年の高級ヘッドホン市場であのままでは通用しないと思うので、十年来のアップデートが必要だった事は確かです。そして今回それを見事に達成できたと思います。

Ultrasoneに限らず、どのメーカーも、このように往年の名機をベースに後継機を開発するというのは、なかなか難しいだろうと思います。単純に市場調査やPRコンサルを信じてチューニングしてしまうと、結局はカジュアルなコンシューマーに寄せた、モコモコした重低音とサラウンド感の強い乱雑なサウンドになってしまいがちですし、メーカー独自の個性が失われてしまいます。

逆に、新型とは名ばかりで、従来機からチューニングの微調整を行っただけで、明確な進化とは言えない、単なる味付けのバリエーションにとどまるようなモデルを連発するメーカーも結構多いです。

その点Signature MasterはUltrasoneらしい音色や残響の美しさを維持しながら、より帯域バランスを充実させる事に成功しており、2022年の市場でこの価格帯で売っても十分通用する優秀なモデルに進化しています。

個人的に不満をいくつか挙げるとするなら、まず付属ケーブル(黒いやつ)は低音を含めて全体の主張が強く前に出る感じがするので、社外品ケーブルを色々試してみることをお勧めします。あとは、ヘッドバンドをもうちょっと軽く薄くしてほしかったくらいでしょうか。

音質面では、プロ用モニターという位置付けで販売しているけれど、私の印象としては、どちらかというと音楽鑑賞向けで、音色が艶っぽすぎるため、シビアなモニター用途には向いていないという印象はあります。どうしてもプロ用として使うなら、録音モニターではなく、音楽作品を仕上げる最後のマスタリング判断材料として、ミックスの三次元的な奥行き、ステレオの帯域配分などの全体像の評価基準として使うのが正しいと思います。そう考えると、モデル名のSignature Masterというのも腑に落ちる気がします。

では私自身はどういった用途に使うかというと、どこか出張旅行に行く時など、一つだけしかヘッドホンを持っていけないとなると、密閉型で、堅牢で、収納が楽で、能率が良くて、クセが少なく、飽きが来なくて、ホテルなどで空き時間にゆったりとした音楽鑑賞が楽しめるヘッドホン、と考えると、現時点ではこのSignature Masterが最有力候補です。