三者三様の素晴らしいヘッドホンです |
↓ ゼンハイザー HD800のレビューはこちら
http://sandalaudio.blogspot.com/2015/08/hd800.html
↓ ベイヤーダイナミックT1のレビューはこちら
http://sandalaudio.blogspot.com/2015/08/t1.html
↓ AKG K812のレビューはこちら
http://sandalaudio.blogspot.com/2015/08/akg-k812.html
それぞれの記事で音質に関してのインプレッションを個別に書き留めても良かったのですが、どのヘッドホンも非常に高音質で褒め言葉しか見つからなかったため、それだけではあまり参考にならないと思いました。
というわけで、これら三機種を同環境・同音源で交互に試聴して、各モデルの特徴などを探っていきたいと思います。
ヘッドホンについて
今回試聴に使ったヘッドホンはどれも個人的に長期間所有してきたもので、十分に鳴らしこんできました。具体的な使用時間は記憶していませんが、どれも百時間以上は使っているため、エージングの影響などについては無視できると思います。各モデルのシリアル番号はHD800が13,000番台、T1が1,000番台、K812が4,000番台なので、どれも現行品よりも若干古いロットです。
HD800は先日現行モデルと比較した際に、これといって音質差は感じられませんでしたが、T1は私のものと現行品で若干違って聴こえました(後述します)。K812については新しめのモデルなので最新ロットとの比較はまだ出来ていません。
試聴に使った環境は2012年のMac MiniにてJRiver Media Center 20を使っています。USB接続でiFi Audio micro iDSDをDACとして使い、そのRCAライン出力からヘッドホンアンプのGrace Design m903に接続しています。
今回試聴に使ったiFi micro iDSDとGrace Design m903 |
Grace Design m903にも一応USB DAC機能が備わっているのですが、音質面でmicro iDSDの方が格段に優れています。m903はDAC部分を無視してアナログ入力でヘッドホンアンプとして活用すると素晴らしいです。m903の後継機m920ではこのDAC部分が改善されているようですので、今購入するならばm920がオススメです。
m903の後継機「m920」ではDACが強化されています |
micro iDSDをそのままヘッドホンアンプとして使っても良かったのですが、このアンプは高域がかなりエッジが効いており聴き疲れするタイプなので、長時間の比較試聴には適さないと思いました。m903のほうがどっしりとした音作りで音楽性が高いと思います。
また、AKG K812は能率が高いため、micro iDSDを使うとボリュームノブをかなり低めに設定する必要があり、左右のギャングエラーが気になりました。そして各ヘッドホンごとの適正音量に合わせる際に、Grace Design m903は音量がデジタル表示されるため正確に合わせられるといったポイントもあります。
装着感
どのヘッドホンも長時間使用に耐えうる良好な装着感でしたが、私自身はAKG K812が一番好みでした。側圧や重量なども僅差というか、そもそも開放型であるため密閉型のような強烈な側圧ではありません。お辞儀をすればヘッドホンが外れる程度の緩い装着感です。HD800、T1、K812を正面から見ると、どれも個性的です |
K812は大口径のレザーパッドということで、耳の周りにピタッと吸着する感触があり、一旦装着すると勝手に動き回りません。イヤーパッドの開口部が非常に広いため、耳への圧迫感は皆無です。ヘッドバンドもメッシュ素材なので痛くなることはありませんでした。一旦自分好みにヘッドバンドを調整するとロックされるため、以降は気軽に装着するだけで絶妙なフィット感が得られる、非常に優秀な構造だと思います。
K812で問題に感じたのは左ハウジング下部のケーブルです。着脱式のプラグがかなり長く飛び出しているため、姿勢によっては肩に接触します。実用上問題ないレベルだと思いますが、何度も繰り返しているとケーブルが断線しそうで心配になります。その点はHD800のケーブル端子のほうが優秀です。
HD800は同じように大口径のイヤーパッドで、フィット感はK812と似ているのですが、唯一気になったポイントは装着位置の自由度が高すぎることです。イヤーパッドの大きさゆえに、耳に対してハウジングが前後左右に自由に移動できるのですが、このためドライバと耳穴の位置関係でかなり音色が変わります。また、左右のハウジング位置が微妙にズレるとステレオイメージが狂ってしまうため、定位感や音場表現に悪影響を与えます。
T1はHD800とK812と比較すると非常にオーソドックスな装着感で、これといって可もなく不可もなしといった印象です。基本的にベイヤーダイナミックDT880と変わらない装着感であり、ベロア素材の肌触りも同様です。シンプルなドーナツ型イヤーパッドは三次元的に顔にフィットするような形状ではないので、私の場合は装着時に注意しないと耳から下の部分に空間が開いてしまい、低域が失われてしまいます。
どのヘッドホンにおいても、アラウンドイヤー型のため、メガネを装着すると顔とイヤーパッドの間に空間ができてしまい低域がかなり落ちてしまうため、真面目にリスニングする際にはメガネを外すことが重要です。以前Inner Fidelityかなにかで、メガネ装着時にどれだけ音質が変わるかを測定した記事がありましたが、ヘッドホンの種類によっては中低域が-6dB以上低減するようなモデルもありました。
音量
今回使用したGrace Design m903ヘッドホンアンプは十分に高出力と言える設計なので、どのヘッドホンでも適切な音量が得られました。
音量のとりやすさでは、K812が定格インピーダンスが36Ωということで、特筆して高能率で、アンプのボリューム位置が約60%で適正音量でした。(楽曲によって若干調整しています)。
HD800は定格300Ωで、K812よりも+4dB程度音量を上げる必要があります。T1は600Ωと一番駆動が難しく、K812から+6dBほど上げる必要があるため、アンプによっては駆動力不足で苦しむことになります。
とくにT1は、電流供給が不足するポータブルアンプなどでは、いくらボリュームノブを上げて音量を稼げても、電流不足でスカスカでパンチの無い音色になってしまいます。据置型アンプでも駆動力が不足していると十分な音質が得られないため、ヘッドホンアンプの性能に一番敏感なのはT1だと思います。もしT1を使う予定ならば最低限コンセント電源で駆動する大型ヘッドホンアンプが必要になります。
ベイヤーダイナミックA2ヘッドホンアンプ |
ゼンハイザーHDVD800ヘッドホンアンプ |
ベイヤーダイナミック社はT1と合わせて使えるA2というアンプを販売していますし、ゼンハイザーもHD800用のHDVD800といったアンプがあります。
色々なアンプと組み合わせて楽しむのはヘッドホンの醍醐味の一つですが、T1、HD800を購入する際にはとりあえずこれらのアンプとの組み合わせを基準点として検討するのが手軽で確実かもしれません。
逆に、「小型アンプながらHD800が駆動できる」といった謳い文句の商品の多くは、音量は十分に確保できても低域を押し出すだけの電流の余裕が無いため、音質面で残念なことが多いと思います。
Lehmann Linear Proヘッドホンアンプ |
見にくいですが、右下にLehmannアンプがあります |
Lehmannは私も大好きなアンプなのでレファレンスとして日常的に愛用していますが、残念ながら日本では手に入りにくいようです。
(レビュー → http://sandalaudio.blogspot.com/2015/05/lehmann-audio-black-cube-linear-bcl.html)
K812の場合は一部ヘッドホンアンプでは音量が出すぎてしまうため、かなりボリュームノブを絞る必要があります。実際iFi Audio micro iDSDを使用した際には、最低ゲイン設定でも左右のギャングエラーが発生するほどにボリュームを絞らなければならなかったため、実用的ではありませんでした。携帯用DAPやポータブルアンプなどで高音質を楽しむのであればK812が唯一の選択肢になるかもしれません。
とはいっても、インピーダンスが低いということはアンプの瞬発力に影響されやすいため、可能であれば上質な据置型アンプを利用したほうが音質面でのメリットがあると思います。
音漏れについて
今回の三機種の中ではK812が群を抜いて盛大な音漏れをします。HD800も同じレベルかとおもいきや、K812ほどではありませんでした。T1はセミオープンということもあり、それほどの騒音は発生しません。音漏れに関して面白いテストがあるのですが、音楽を再生中にハウジングの外側(音漏れ側)に耳を当てて音楽を聴いてみると、そのヘッドホンの設計概念がなんとなく把握できます。
K812はハウジングの外側から聴いても音楽がまともに聴こえます(もちろん音質は悪いですが)、つまり特定の周波数帯が強調されているわけではありません。ということは、ハウジング設計がほぼ完全開放型で、忠実にドライバの特性を尊重した設計とも考えられます。
T1はハウジング外側に耳を当てても高域のシャリシャリした音しか聴こえませんし、リスニング中に両手でハウジングをカバーしても、さほど音質に変化はありません。つまり特定の一部の周波数帯だけ外に逃しており、それ以外は密閉型と同じようにハウジング内部で反響なり吸収させていることになります。
HD800はこれらの中間で、ハウジングの外から聴こえる音は不思議なフィルタを通したような音色です。リスニング中にハウジングをカバーすると急激に音色が変わり、全くまともに聴こえる状態ではありません。つまりハウジングの構造を上手に活用して一種の音色調整を行なっている設計のため、それが破綻するとバランスが崩れてしまいます。
音漏れという観点では、K812の場合は音楽そのものがスピーカーの如く外部に放出されるため、包み隠さず漏れてしまいます。HD800ではフィルタがかかったシャリシャリな、いわゆるヘッドホンらしい音漏れのため、同じ音量でもK812ほどは気になりません。家庭利用でも家族に自分の聴いている音楽を聴かれるのが気になる人にはK812はあまりオススメできません。
試聴音源について
今回試聴に使った音源は、個人的によく聴くジャズやクラシックが多いですが、44.1kHzやハイレゾPCM、DSDなど気に入った楽曲を10曲程度まとめてプレイリストにしました。合計で5時間以上にわたり試聴を繰り返したので、最後の方では疲れきってしまいましたが、おおよその結論は出たと思います。ヘッドホンにおける「高音質」の意味は各自それぞれの解釈があると思いますが、私自身のスタンスは「どれだけ実体験の生の演奏に近づけるか」がポイントになります。
家庭でこんな体験をしてみたいです |
つまり実際に自分自身が有名なジャズのクラブやクラシックコンサート会場などで体験した「あの音の空間」をどれだけ再現できるかが重要だと思っています。良質なヘッドホンであれば奏者の生々しさや演奏環境、聴衆の位置などが手に取るように体感できるため、限りなく生演奏に近くなります。
もちろん録音というものは幾度の編集やミキシング・マスタリングを重ねているため、生演奏とはかけ離れた創作芸術なのですが、そこは録音エンジニアの技量が発揮される部分です。美しい絵画を見て、大自然を感じるような感覚かもしれません。
スタジオのボーカル録音ルーム |
DTMやスタジオ録音のポピュラー音源では、一般的に無数の撮り溜めた個別録音テイクを切り貼りする手法のため、「正解」というものが存在しいなので、モニターヘッドホンの試聴において音場や空間の評価にはあまり参考になりません。(アニメーション作品を鑑賞して、どのテレビ画面が一番人肌の質感がリアルか評価するのと同じくらい無意味です)。
ポピュラー音源は声が美しく聴こえるか、リズムのタイミングは表現できているか、などの音楽的な要素を評価する際に重要になります。
参考までに、視聴したアルバムのアマゾンリンクを添付してありますが、同じアルバムで何種類かのバリエーションが多く、DSDやハイレゾPCM盤はe-Onkyoなどのダウンロードサイトから購入する必要があります。
試聴グループ1:クラシック・オーケストラ
タワーレコード限定なので、↓のリンクから買えます |
http://tower.jp/item/3218733/
Brahms: Violin Concerto (44.1kHz PCM)
Leonid Kogan with Kyril Kondrashin & Philharmonia Orchestra (EMI)
Lully: Phaeton (88.2kHz PCM)
Christophe Rousset & Les Talens Lyriques (Aparte)
Strauss: Eine Alpensinfonie (96kHz PCM)
Daniel Harding & Saito Kinen Orchestra (Decca)
Saint-Saëns: Symphony No.3 (DSD)
Charles Munch & Boston Symphony orchestra (Living Stereo)
Brahms: Symphony No.2 (DSD)
Ivan Fischer & Budapest Festival Orchestra (Channel Classics)
Bruckner: Symphony No.8 (DSD)
Simone Young & Philharmoniker Hamburg (Oehms)
大編成のオーケストラ録音は、今回のようなスタジオモニターヘッドホンが真価を発揮するジャンルです。単純なバンド録音を聴くぶんには十分楽めるヘッドホンでも、50人以上の演奏者が広大なステージで繰り広げる音楽を満足に表現することは困難だったりします。とくにフルオーケストラというのは、各周波数帯を任される楽器が複数存在しているため、ヘッドホンごとに目立つ部分や、逆に消極的な部分など、比較試聴する際にとても分かりやすいです
コーガンのブラームス協奏曲はLPレコードの愛聴盤ですが、最近タワーレコード限定でリマスターCD化されました。古い録音なりのアラがあり、鋭い切れ味のコーガンのヴァイオリンが恩とも仇ともなるので、ヘッドホンの単純スペックだけではなく音楽性が追求されます。
リュリのファエトンはギリシャ神話を原作としたフランスのバロック・オペラです。ルセ指揮によるリュリ録音はどれも演出が美しく、オーディオ的にも納得の仕上がりです。オペラ録音は交響曲と違い、ソロのスター歌手とオーケストラが競い合わないような役割分担が肝心です。
ミュンシュのサン・サーンス3番は50年代のLiving Stereo録音ですが、当時かなりの高水準でステレオ録音が行われていたことに感心します。現代と違い主要楽器をグイグイと前へ出すシアター的効果が印象的で、DSDリマスターによりオルガンの重低音が楽しめます。
残り2つのDSD録音は、DSDネイティブ録音の大御所、チャンネル・クラシックによるフィッシャーのブラームス2番と、エームス・レーベルのシモーネ・ヤングによるブルックナー8番です。どちらのアルバムもコンサート会場でのリアル体験を重視した録音のため、派手な過剰演出は控えられており、高スペックなヘッドホンでダイナミックレンジを引き出さないと最大限に楽しめない音作りです。とくにチャンネル・クラシックは、リスナーの座席位置の再現に非常にこだわっているマニアックなレーベルです。
ロックバンドなどは、コンサートアリーナの音割れするPAスピーカーで聴くよりもアルバムをヘッドホンで楽しんだ方が(雰囲気や臨場感は別として)高音質を望めますが、オーケストラ演奏の場合は、どのような高級オーディオシステムよりも一流のコンサート会場で聴くほうが良いと思います。そこで今回のヘッドホンでどこまでリアルなコンサート体験に近接できるかの挑戦となります。
ゼンハイザー HD800
第一印象
- 空間表現はもはや他のヘッドホンとは別格で、宇宙的な広がりを見せつけてくれます。音の粒が歯切れよく澄んでおり、遠くまで奥行きのある音色はまさにコンサートホールです。
- 交響曲などの大編成であればHD800に勝るヘッドホンは存在しないと思います。ただし、オペラや協奏曲など、オケが一歩引いた役割の演奏では、逆にこの広大な空間表現のせいでソリストの主張が弱く、音楽的に不利に働くケースもありました。
音場・定位感についての感想
- 三機種の中で一番コンサートホール観客席に似た距離感だと思います。たとえばシュトラウスのように金管が爆発的な存在感を発する演奏では、K812では別働隊のようにステージ上の変な位置から発声されるのですが、HD800はちゃんと左奥のパーカッション奏者付近から正しく鳴っているように聴こえます。つまりHD800は奥行きがあるため表現力が増していることを再確認しました。
- とくにサン・サーンスではちゃんとコンサートのような距離でヴァイオリンが鳴っているのが実感でき、肝心のオルガンが遠く、その前にオケが配置されているように感じ取れることに驚きました。左右のステレオだけでこれだけサラウンドのようなオーケストラ空間演出ができるのはすごいです。位相が悪さをしていないため全音域で破綻をしておらず、録音の悪さを感じさせません。
- 極端な表現かもしれませんが、HD800は前方に向かって三角形のようなステレオ感というか、左右の音源とくらべてセンターが異様に遠いため、奏者の遠さがメリットになる大編成オーケストラに限って言えば、このステレオ感が有利に働きます。
- 低域の弱さも定位感のおかげで補っているようにも思えます。ブルックナー録音で大事なティンパニはHD800ではドンドンという重低音が出しきれないのですが、奥行きでティンパニ専用の空間を確保することにより、騒音に埋もれずに確固として存在している事を表現出来ています。
- ルセのバロックオペラでは、コンティヌオとして中核をなすチェンバロが存在感を出しすぎている感じもします。チェンバロの響きはとても良く、それだけの演奏なら楽しめるのですが、オペラの一部としては特出しすぎています。このオペラはHD800にとって鬼門だったようで、いくつかの不満がありました。とくにオケの定位感は良いのですが、音像が広々と展開しすぎていてオケピットらしくないため、現実離れしています。自分の目の前にオケが展開して、歌手がチェンバロやオケの後ろのステージにいる感じは空間の順序としては正しいのですが、聴衆の客席からといったイメージではありません。
- つまり、このオペラの場合は録音がオケピット・指揮者視点で行われているため、一般的な客席からの音響とは異なっているのだと思います。そこまで録音のディテールを見出だせるHD800のパフォーマンスを逆にスゴイとも言えますが、では楽しめるかというと、色々なところで色々鳴っている感じで違和感がありました。
- コーガンのブラームスは60年台の録音ですが、最新のDSD録音と同等に上質なオーケストラの音像を描いてくれました。ステージが広いためK812のような落ち着いて鑑賞する音色ではないですが、古いテープの奥底からHMV録音の長所を引きずり出しているように感じました。
音色についての感想
- 思った以上に弦楽器が綺麗に発せられており、とくに各ヴァイオリンのセクションごとの活躍が手に取るようにわかります。ルセのバロックオペラやフィッシャーのブラームスを聴くと、弦のアンサンブルが固まらずに奏者全員が一人ひとり存在していることに気が付きます。とくに最新DSD録音のフィッシャーのブラームスではHD800が驚くほどの性能を発揮しました。弦はとてもリアルです。ふと思ったのは、同じ録音でもK812を使うとウィーンフィルのような響きになるのですが、HD800ではちゃんと録音通りブダペスト祝祭管弦楽団らしい鳴らし方に聴こえます。この差はヘッドホンを評価する上でとても大事だと思いました。
- HD800の中低域はやはり薄いため、もしかすると弦のアンサンブルが把握しやすいのは、通奏に使われる低音楽器が弱いためかもしれません。とくにルセのバロックオペラ録音では、歌手の破綻は一切感じられない反面、インパクトが無く、そこにいるだけのようです。中域の薄さは本来そうであるべきなのかもしれませんが、悪く言えば、オケが「おもちゃのような」繊細すぎる鳴り方をしていると思いました。分析派には最高だと思います。欲を言えば、弦楽器などの表現はこのまま維持した上で、K812の持つ低域の量感が欲しくなります。
- ミュンシュ録音は50年台と古いこともありHD800ではアラが目立つと思いきや、群を抜いて素晴らしいリアリズムを発揮してくれました。「HD800ではどうせオルガンの重低音は聴こえないだろう」という思い込みを裏切り、ちゃんと体で感じるような重低音を発揮出来ています。
- 金管楽器は存在感はあるのですが、T1のような質感豊かな美音は感じられず、ただ単純にエッジがキツいように思いました。その反面、木管のオーボエなどはT1以上にリアルで明瞭に聴こえるので、オーケストラの一員という感じが伝わります。コーガンのヴァイオリンも明瞭ですが、T1のほうが美しかったです。古い録音ではオケのトゥッティ部分がドライになりすぎて厳しい(悲鳴のような)場面が幾度かありました。
ベイヤーダイナミック T1
第一印象
- 大編成オーケストラ録音はT1には不得意なジャンルだと思いました。ワンポイントで歌手やソリストがいる録音であれば、T1特有のメリハリのある高音が活かせるのですが、HD800やK812と比べるとオケ全体のバランスを上手に再現しきれないようでした。
- 目当ての楽曲がオペラや協奏曲など、オケが背景になっても良いのであれば、T1を選択するメリットはあると思います。
- 金管の咆哮はスゴイです。それだけでも100点満点を付けたいくらいです。
音場、定位感についての感想
- 音場は非常に近く、前後感や奥行きはあまりありません。普通のヘッドホンらしい定位感ですが、こもっているわけではないので、楽器が近くにあり、残響が遠くに抜けていくといった感じです。
- 定位感は耳より若干上寄りで、平面的に展開されています。K812ほど上下の展開は無いため、オーケストラの配置としては常識的です。位相の違和感がとても少なく、ある程度決まった定位から楽器が動き回りません。
- ルセのバロックオペラではHD800を使うとチェンバロが近すぎて不自然だったのですが、T1では明らかに遠いです。弦楽器に埋もれており聴きとるのが難しいですが、注意して音を拾うと質感は全く潰れていないため、そういった意味での解像感はさすがベイヤーダイナミックらしい、見せつけない奥ゆかしさがあります。
- オペラでは弦楽器がふわっとしており、HD800ほど明瞭ではないかわりに雰囲気が良いと思いました。これは多分上下の定位感が狭いためかもしれません。たとえば歌手が登場する際に、HD800では「右上」に聴き取れるのですが、T1では「右」といった感じです。そのせいで自然なエントリーをしてくれ、ステージ上での歌手とオケの一体感が良いです。悪く言えば、テレビ番組的なステレオバランスなので、録音スタジオでセッションを観覧しているような感じです。
音色についての感想
- シュトラウスのアルプス交響曲ではトランペットのインパクトは圧巻で、それだけのためにT1を買う価値があると思うのですが、弦楽器のセクションは若干詰まっているように聴こえます。金管楽器以外のセクションはどの録音でも自己主張が弱く、ヴァイオリン、オーボエ、フルート、チェロ、どれをとってもHD800、K812と比較すると薄くてかすれており特徴がありません。金管とそれ以外でかなりの差が出ます。
- 極端な言い方をすると、金管以外はすべて金管セクションを包み込んでいる背景のようなもので、複雑なパッセージでも金管位置に穴が開いて浮かび上がるような印象です。弦楽器全般がふわっとしており雰囲気は良いのですが、場面によってはBGMになってしまいます。
- コーガンのブラームスではT1の美的センスが上手に生かされました。60年台のHMV・コロムビア録音は金属的でゴージャスな特徴があるため、ヴァイオリンの響きがオケとソリストの双方ともに美しいです。HMVは弦楽器をオーバードライブ気味で金属的に録音しているようなので、こういった録音の手法次第でT1も威力を発揮できることに感心しました。ただし、ここで賞賛しているのは弦楽器の響きのみなので、オーケストラ全体としては薄味で優良とはいえません。T1らしく、ヴァイオリンの美しさだけに一喜一憂しながら楽しむだけのイベントになってしまいます。あえてそこがT1の美点として主張したいです。
- ヤング指揮のブルックナーではポイントマイクをあまり多用せず、ホール全体の響きを活かしているため、ブルックナーらしい複雑な進行では、弦のアンサンブルにHD800ほどの解像感が無いため、音が塊になり、わけがわからなくなることがあります。
- フィッシャーのブラームスでも、ブルックナーと同じように破綻が少ないかわりに響きが活かされておらず、安全運転です。響きが薄いということは反響やこもりが少ないのですが、なんというか録音セッションに立ち会ったようで、コンサート会場の印象は薄いです。ホール感が希薄で、ブースで生音を試聴している感じです。
- T1はコントラバスがとくに不得意なようで、フォンフォンとアタック感が無くキレが悪いです。同じくティンパニもフワフワなので、K812のような低音のインパクトが無いです。オーケストラの編成が大きいと、T1は常に低域のフワフワで薄いヴェールがかかっているような印象があり、この低域のせいで音楽のキレの良い部分が隠れて、損をしているように思えます。
AKG K812
第一印象
- 大編成オーケストラ録音においては、K812は極上のコンサートホールが体験できます。
- リラックスできる落ち着いた表現はK812ならでは。解像感があるのに、まとまりがよくて不快感が無いため、純粋にメロディに浸れます。
音場、定位感についての感想
- K812は自分が思っていたよりも定位が近く、まるでヘルメットのように頭の周りに展開されます。ルセのバロックオペラではHD800やT1よりもステージ上の歌手に力強い存在感があるのですが、周囲の楽器もそこそこ近いため、歌手だけが目立つような演出ではないです。
- シュトラウスでも、前方に展開される音場はパノラマ的ですが、HD800ほどの細部の分離は無いため、奏者がまとまって聴こえます。各楽器が重なりあっているため、若干もやっぽい重なり気味の音場ですが、そのせいでボリュームを大音量にすると壁画のような音色空間に浸れます。アンサンブルが重厚になり、アラが目立たないため、オケ全体が上手になったように聴こえます。
- ブルックナーを聴いていて気がついたのは、K812は三機種の中で一番「前方定位」っぽい音作りだと感じました。HD800ではステレオ効果が広いため、たとえば第一、第二ヴァイオリンがリスナーの真横に来てしまうのですが、K812ではちゃんと前方やや左寄りになります。つまり一階ステージ前というよりは二階奥の座席にいるようなサラウンド感です。
- コーガンのブラームスでも同様に、オケが前方にまとまり左右の壁が狭く感じます。これはじっくりと聴くと、実は低音の音像が近いせいだと気が付きました。オケの低域部分が左右から迫ってくるため、音像がレンズのように絞られて前方定位を演出します。これは長方形型コンサートホールの後方座席で観覧している時と同じ効果です。(ベタな表現ですが、AKGらしくウィーン楽友協会っぽいサウンドです)。
- 低域があまりない録音の場合はこれが感じられないので広々とした空間になるのですが、その半面、中低域が太い録音のほうが音楽的に有利なので、悩ましいです。HD800よりもメロディアスで良い部分も多い反面、低域のため破綻する場合も多いと思いました。たとえばミュンシュのサン・サーンスではオルガンが非常に重厚で圧倒するのですが、そのせいでオーケストラの定位感が悪く感じました。低音に限って言うと、左右の変な位置で鳴ることがあり、音場が理想的なコンサートホールから逸脱するケースがあります。
音色についての感想
- シュトラウスのアルプス交響曲では、T1であれだけ燦々と強調されていた金管楽器が、まるでウソのように静かになっています。本当に同じ録音なのが疑問に思うくらいに焦点が当てられるセクションが違って聴こえます。
- ブラームスでは弦楽器のまとまりが良く、響きに勢いがあります。ヴァイオリンなど高音のヌケが良いのに、充実した中音のおかげで重厚さがあり、キンキンするような感じがまるでありません。K812では主に丸い音色の響きが優秀であり、高音楽器でも金管よりもフルートやオーボエなどが非常に美しいです。木管楽器がかすれておらず、太く前に出てきますので、弦楽器の優秀さと合わさって、楽曲のメロディ、主旋律がよくわかります。これが音楽性の良さにつながるのかもしれません。とくにT1ではオーボエは静かで奥まっていたのに、K812では前に出てきています。
- 丸い音色というのは、アタックの先端部分が硬質ではなく若干の丸みを帯びているようなので、明朗に聴こえるのに不快感が無くリラックスできるという不思議な体験です。ブルックナーのように遠くから録音されている場合は、アタック感が若干羽毛に包まれるような雰囲気ですが、ヌケが良いため、それがこもらず美しく感じます。
- ルセ指揮のバロックオペラでは、定番の開幕のファンファーレ部分のインパクトが十分で、ストーリー性を期待させます。この録音では指揮者のチェンバロがHD800では前に出過ぎ、T1では奥まっていましたが、K812ではT1並か、それよりも静かで聞き取りにくいです。チェンバロのかわりにチェロが目立つため、コンティヌオの役割を受け持っているように聴こえます。
- サン・サーンスの録音では特にチェロとコントラバスの勢いが良く、メロディ感が強調されるためHD800とは対照的にディープな芳醇さがあります。悪く捉えれば、大時代的で「ハイレゾっぽくない」とも言えます。
- フィッシャーのブラームスでは、普段かっちりとした統率力を見せるブダペスト祝祭管弦楽団が、流麗なウィーンフィルのように聴こえます。コーガンのブラームスも同様に、オケがすごく濃厚で充実しているため、三機種の中で一番バランスが良く楽しめます。音楽の世界を体験するといった意味ではK812が最適だと思いますが、T1のヴァイオリンの高音も捨てがたいです。
試聴グループ2:クラシック・室内楽・ソロ
Eroica Quartet (Resonus Classics)
Debussy: Piano Works (96kHz PCM)
Jean-Efflam Bavouzet (Chandos)
Liszt: Années de pèlerinage (DSD)
ピアノソロや室内楽は、オーケストラのような音場の広大さはあまり重要視されず、演奏の生々しさや心に響く美しさが追求されます。とくに主旋律や和声が埋もれないことが大事なので、そういった部分が上手に料理できるかが腕の見せどころです。
エロイカ・カルテットのラヴェル・ドビュッシー四重奏は最近96kHz配信で購入したものです。一般的な金属弦ではなくガット弦を使っているユニークなユニットのため、印象派の楽曲では珍しいガットの表情豊かな音色が楽しめます。
バヴゼのドビュッシー・ピアノ全集はシャンドスから全5巻のCDで発売されており、お気に入りの愛聴盤なのですが、最近それらの一部が96kHzでデジタル配信されたので改めて買い直しました。演奏は端正で丁寧な仕上がりで、 シャンドスの録音は打鍵一音一音の粒立ちの良い、澄んだトーンです。
ケンプのリストは最近ペンタトーン・レーベルから発売されたDSDリマスター盤です。原盤は1974年のドイツ・グラモフォン録音ですが、ペンタトーンの手により驚異的な高音質リマスターが施されました。ケンプというとベートーヴェンなどの形式美の名手ですが、リストの奔放な作曲もベテランの解釈でどっしりとした仕上がりになっています。
ケンプのリストは最近ペンタトーン・レーベルから発売されたDSDリマスター盤です。原盤は1974年のドイツ・グラモフォン録音ですが、ペンタトーンの手により驚異的な高音質リマスターが施されました。ケンプというとベートーヴェンなどの形式美の名手ですが、リストの奔放な作曲もベテランの解釈でどっしりとした仕上がりになっています。
ゼンハイザー HD800の感想メモ:
第一印象
- クラシック室内楽やソロリサイタルでは、三機種の中でHD800がやはり最善の選択のようです。
- このヘッドホンが得意とする空間表現が十分に生かされており、録音自体の音質が高水準なため、耳障りな破綻が少なかったことも良い結果につながりました。
音場、定位感についての感想
- HD800はとにかく「空間表現がすごい」ということは事前に承知していましたが、ここまで広大な、舞台効果のごとく空を舞う音色の広がりは、まさに感動的です。
- その反面、演奏者が地に足がついていない、宙を浮いている状態とも言えるため、リスナーによってはこれほどまでの空間表現はリアリズムに欠けて不自然に感じるかもしれません。
- 弦楽四重奏の録音はそのように奔放なため、演奏中に意識を集中していないと、進行状況を把握しきれなくなってしまいます。とくに高域の空間表現が特徴的なため、四重奏のはずが主にヴァイオリン重視になってしまい、後方のヴィオラやチェロは実際の位置よりも遠く感じます。
- ピアノ・ソロの録音では、空間演出がリサイタルホールのようで、二階中央などのA指定席で聴いている臨場感がよく出ていると思います。
音色についての感想
- 弦の響きが限りなく高域まで伸びているため、ヘッドホンのパフォーマンスに素直に感心します。
- 全体的なバランスが高音寄りなため、ヴァイオリンのキュッキュッといった弦と弓の擦れる感じが強調されます。今回のラヴェル四重奏は非常に高音質な録音のため、この質感が上手にマイクで捕捉されており、リスナーの快感に繋がります。
- 音色の響きがここまで上質だと、なんというか音楽にストーリー性が感じられる気配がしました。抽象的な表現ですが、たとえば楽譜の音色だけではなく、周囲の空間も含めた音響体験が脳に何かを訴えているのかもしれません。
- ケンプ演奏のリスト・ピアノ集では、70年代の録音ということもあり、ホール残響が豊かに作られており、そのことが多少気になります。マイクで拾った空間残響が耳に残るため、対照的にピアノそのものの本質的なメロディの表現が希薄です。つまり空気感が主体のリスニングになり、一体何を聴いているのかわからない不思議な気持ちになりました。
- 同じくピアノ・ソロでも、バヴゼのような最新録音では、じっくりと聴けば色々な情報が拾えるため、ピアノ録音としての完成度を味わうには最適のヘッドホンです
- しかし不思議なことに、弦楽器と違いピアノの場合はあまり美音といった印象がしません。ピアノ自体はキンキンとした響きが強すぎるため、要するに音楽が「美しいコンサートホールの音色」であって、「美しいピアノの音色」という感じでないのが残念に思えました。
ベイヤーダイナミック T1の感想メモ:
第一印象
- HD800とK812といった、それぞれの対極的なヘッドホンの個性に挟まれて、T1はあまり良い点が見つからなかったのが残念です。
- これといって秀でた飾り気が無いというか、比較的素直な室内楽録音においては、T1のドライでモニターヘッドホン的な部分が際立ってしまったようです。
- 言い過ぎだとは思うのですが、試聴時の自分用のメモで「ピアノを聴くには意味が無いヘッドホン」と無意識に書きこんでいました・・。
音場、定位感についての感想
- T1はK812よりもこじんまりして、若干こもった感じがします。T1は開放的な印象なので、「こもった」という表現は不適切なのですが、単純に弦の響きが浅いために空間が閉塞的に聴こえるのかもしれません。
- 閉塞的というのは具体的には、たとえばHD800のようなリサイタルホール体験ではなく、まるで吸音材で調整されたレコーディングルームでセッションを聴いているかのような狭苦しい音像です。
- とくに弦やピアノの響きがもうちょっとのびのびと期待できると思ったのですが、あまり演奏に主体性が感じられません。音量の問題かもしれないと思ったのですが、音量が低いと貧素になり、逆に音量を上げるとうるさいというジレンマにはまってしまいました。
音色についての感想
- 弦楽四重奏は、HD800やK812と比較すると響きが枯れた感じで、活き活きとしていません。バランスや見通しは悪くないのですが、どうにも安全運転のようです。
- ピアノ録音においては、主旋律が残響に埋もれて、フワフワしています。T1らしく金属的な高域の響きは良いのですが、ちょっとでも太いアタックがあると音色がふわっとしてしまうため、たとえば打鍵音の表現がやわらかすぎるのが気になりました。
- このようなT1の問題点と比較すると、やはりK812はエネルギッシュで音楽性がよく考慮されている音作りだと再確認しました。
- T1のどこがいけないのか色々と悩んだ末に気がついたのは、T1が力を発揮するのはパーカッシブなリズムや、パワーで押し切るビート重視の録音が多いということです。今回のような室内楽録音ではバンドにおけるドラムのような打楽器が無く、それに代替する内声楽器ではリズミカルな音楽感覚をT1から引き出せないのかもしれません。
- とくにK812と比較して、チェロの質感にメリハリがないため、全体の流れが流暢に進行しません。たとえばチェロのピチカート奏法の場面では、それすらもおとなしすぎて、四重奏全体がマイルドでダークに聴こえてしまいます。
AKG K812の感想メモ:
第一印象
- 簡単にまとめると、リラックスして音色の響きを楽しめるヘッドホンでした。弦楽四重奏では奏者が意図しているような演奏に聴こえますし、ピアノリサイタルでもメロディが重視されます。
- リラックスした響きなので、シャープなエッジを求めて音量を上げてしまいがちですが、上げすぎると音圧が高く暑苦しい感じになります。一番高級スピーカー的な演出とも言えるかもしれません。
音場・定位感についての感想
- やはりHD800と比較すると空間的な伸びが悪く感じます。音場は上下左右にのみ展開され、前後に奥深い空間とはいえず、一枚のパノラマ写真のような平面的な演出です。こういった部分でも、リアルよりも高級スピーカー的なのかもしれません。
- しかしそれ自体は決して悪いことではなく、特に弦楽四重奏のように四人の息の合った演奏を体感したい場合には、HD800では奏者たちのあいだの空間が広すぎるように思えました。その点K812は四人の立ち位置がコンパクトにまとまっているため、音楽への没入感があります。
- ピアノリサイタルでは奏者がグイグイで前に出てこないため、あまり音量を下げると単なるBGMと化してしまいます。ほどほどに音量の調整すると、K812は一変してピアノに最適なヘッドホンになります。奏者の息吹を感じる生々しい存在感というよりも、一歩引いたスタンスで奏でられる美音を味わえる絶妙なチューニングだと思いました。
音色についての感想
- 高域はとても綺麗ですが、伸びやかさはHD800のほうが優れています。HD800で特筆される弦の擦れる感じなんかは、K812では生っぽいリアルさはあまり無いのですが、なぜか不思議と美しく響きます。
- 弦楽四重奏においては、HD800とT1のどちらでも満足に表現しきれなかったチェロのピチカート奏法がK812では立派に演出されています。アタック感と暖かみを両立できており、ふわっとしていながらゴージャスな響きが印象的です。
- 暖かみというと、たとえばソニーのMDR-Z7やフィリップスX2などを想像しますが、K812のほうが断然モニターヘッドホンらしい細部までの解像感があり、濁るようなタイミングの遅さは一切感じさせません。そこにK812の底力と余裕を感じさせます。
- ピアノ演奏を聴いて、K812の本領が発揮されたような嬉しさを覚えました。トーンの美しさとヌケの良さを両立して維持できており、なおかつK712などよりもアタックの力強さがあります。リラックスしていながら退屈にさせず、一聴してうっとりとさせる音色です。
- HD800ではコンサートホールの残響音などが印象的で、空間的なリアリズムがありましたが、K812ではピアノ本体の音色以外の部分がヴェールで包まれたような感じで、上手にリスナーの前から除外されています。T1では気になった残響成分も、K812では演奏者の手を離れるとミュートがかかったかのようにスッと自然にステージから消えていきます。
- つまり、ピアノの打鍵音から発せられるトーンが主体で、他の付帯音は重視されません。若干そういった主成分が強調されすぎて、演奏が熱っぽくオーバードライブ気味に感じることもありました。
- とくにバヴゼの最新録音と、ケンプの70年台録音を比較すると感じるのですが、K812を使うことによりバヴゼのような透明感のある最新録音でも6〜70年台のドイツ・グラモフォンのような美しくも熱っぽい演奏に生まれ変わる気がします。あの時代のリヒテルやギレリスなど名演の数々を聞き慣れているリスナーであれば、最新録音でもそういった体験ができるため興奮します。
- 私のように、そういう系統の音作りが好きならばピッタリはまるヘッドホンなのですが、そうでない場合は、もうすこしだけ空間的な表現が欲しくなるかもしれません。
試聴グループ3:ジャズバンド
Sonny's Crib (192kHz PCM)
Sonny Clark (Blue Note)
Mosaic (96kHz PCM)
Mosaic (96kHz PCM)
Art Blakey & The Jazz Messengers (Blue Note)
Nefertiti (DSD)
Miles Davis (Columbia Mobile Fidelity)Nefertiti (DSD)
Now This (96kHz PCM)
Gary Peacock Trio (ECM)
ソニー・クラーク(モノラル)とブレイキー(ステレオ)のアルバムはどちらもブルーノートで、ヴァン・ゲルダースタジオの定番サウンドが楽しめます。ソニー・クラークはバード/コルトレーン/フラーとのクインテットで、ブレイキーはハバード/ショーター/フラーで同じくクインテットです。各音域のソロ楽器の際立ちと、アンサンブルの統一感が注目されます。
マイルスのネフェルティティはMobile Fidelity社の高音質DSDリマスター盤で、トニー・ウィリアムスのドラムが上手に空間を描いているか気になります。
ギャリー・ピーコックのアルバムはECMの新譜で、ベース・ソロとピアノの息を呑むインタープレイが楽しめます。ECMとしては比較的クリアで鮮烈な録音です。
ゼンハイザー HD800の感想メモ:
第一印象
- クラシックではとても好印象だったHD800ですが、ジャズのバンド録音では残念ながらどのアルバムを聴いても不満が多く現れました。
- 一言で表すと、鳴り方に余裕が無いため、聴き疲れしやすいです。
音場、定位感についての感想
- 空間表現が得意なHD800なので、ジャズバンド録音でもこの特徴を発揮できると思ったのですが、逆効果となってしまう場面が多かったです。
- ブレイキーのモザイクでは六人の演奏者のステレオ空間位置が曖昧で、雰囲気が崩れてしまいます。これはHD800のせいではなく、ポイントマイクを多用したスタジオ録音であるため、いわゆる「合成写真」的なミキシング手法を使っているので、各マイクに混入した別の演奏者の音が重なりあい混同され、実空間を破綻させています。こういったスタジオ録音でも馬鹿正直に問題点ばかり浮き彫りにしてしまい、上手に聴かせることができないのがHD800の短所です。
- ソニー・クラークの録音はモノラルであるためブレイキーほどは破綻していないのですが、同じく空間のミスマッチが気になります。ギャリー・ピーコックの録音はさすがにハイレゾ新譜なので、目立った破綻は無いです。
音色についての感想
- HD800で一番問題に感じたのは高音の響きの悪さです。「シャンシャン、キンキン」といった擬音が当てはまるくらい、味わいの無い攻撃的な音色です。とくにマイルスのアルバムでは普段はドラムの技巧や響きに聴き入ってしまうのですが、HD800ではブラシワークがシャカシャカとうるさく、楽器としての魅力が薄いです。
- HD800の低域不足は何度も指摘されているのですが、ウッドベースの響きが軽く、ピアノやサックスなどもうわついており全然ダメでした。聴こえないというわけではないのですが、生演奏と比較して実在感や質感が薄いため、演奏者の意図が自然と脳内に入ってきません。
- 解像感は十分にあるため、聴きこめば色々と演奏が繰り広げられていることが解るのですが、つまり自分から自主的に耳を澄まして必要な音を拾っていかないとダメなので、それでは「音」の中の「音楽」としての表現力が失われているのと同意義だと思います。
- 楽器の音色よりも、演奏者の息遣いや背後の環境音などを聴き分ける能力は素晴らしいため、どこまで微細なディテールを拾い出せるかといった評価では最高のヘッドホンです。演奏を楽しもうというよりは、頑張って演奏の主旋律を追いかけていく努力が必要なため、とくにマイルスなど60年代の高密度なジャズでは聴き疲れします。
- 逆に、ちょっとした演奏者の息継ぎや、録音に混入した地下鉄の音などを聴き分けて満足するような、解像度マニアにはたまらないヘッドホンだと思います。
- あまり良い点が見つかりませんでしたが、実際に試聴中に書きとめたメモでも上記のような内容しか書いていなかったため、ジャズ演奏においては私の音楽鑑賞の楽しみ方とは方向性が合わないヘッドホンらしいです。
ベイヤーダイナミック T1の感想メモ:
第一印象
- ジャズバンドを試聴中に数ページにわたり書きとめたメモの中で、T1に対して一番多用した言葉は「リアル」でした。生楽器の音色のリアルさは三機種のながで特筆して素晴らしいです。
- サックスなどの爆発的なエネルギーを音楽として表現してくれる、T1はまさにジャズの醍醐味を味わうのに理想のヘッドホンかもしれません。
- 演奏そのものを楽しんでいると時間が過ぎていく感じで、試聴時もT1のみ唯一、無意識に曲終わりまで聴き続けることが多かったです。
音場、定位感についての感想
- 音場はHD800よりもかなり狭く、奥行き感もあまりありません。ただし実際に演奏に使われるジャズ・バーに体感的に一番近い演出のように感じました。まとまりが良いためバンド全体の空間の共有感が好印象です。
- まず音場空間がHD800やK812とくらべて上下方向に狭いので、不自然さを感じさせない実在するステージのような位置関係になります。
- ブレイキーのステレオ録音では若干響きが近く、肝心のドラムが一番センター寄りで前に出てくる感じなのでアンサンブルはごちゃごちゃしているのですが、それがエネルギッシュな統一感を演出します。
- マイルスのアルバムのようにスタジオで丁寧に作られたアルバムは、録音ブースで試聴しているかのような鳴り方で驚きました。
- 唯一気になったのは、ブレイキーやマイルスのアルバムでドラムのハイハットの定位のみが特出して変な位置(耳より下の頬の部分)から聴こえて違和感を感じました。これはドライバ配置が原因かもしれません。
音色についての感想
- まずT1らしくハイハットの金属質感が物凄くリアルです。また、ドラムロールのハリが素晴らしく、ブラシワークも不快に感じません。ドラムキットが一番理想的な前方定位を体現しているヘッドホンでした。
- トランペットやサックスなど、金属系の音色はすべて美しく、リスナーに訴えるインパクトがあります。特にサックスはショーター特有のブリブリした厚みが良く出ており、帯域全体の位相が安定しているため、破綻せずにどっしりとした存在感があります。
- ソニー・クラーク盤でのコルトレーンの演奏は、三機種中やはりT1が最高だと思うのですが、あまりにもリアルすぎて、逆にテープ録音特有ののっぺりした表面がたびたび現れることが気がかりでした。とはいってもコルトレーンらしいキレキレのブロウが体感できます。
- ベースは相変わらずフワフワ、トントンといった感じでインパクトが薄いのですが、量感はHD800とK812の中間くらいです。しかし肝心な部分でアタックのハリがあるため、HD800より音楽性は数段優れていると思いました。ソフトな演奏ながら、さりげなくアンサンブルのインタープレイに参加している雰囲気があります。ギャリー・ピーコックのアルバムはベースとピアノの掛け合いが見どころなのですが、HD800では体感できなかった二人のハーモニーがT1では十分に発揮できています。
- 試聴時にトランペットやベースなどの特徴はある程度事前に予想していたのですが、今回一番想定外で驚いたのはピアノの表現力です。定位感が狭いこともありますが、ピアノもドラム並に本物のような存在感があり、三機種の中で一番バンドとしてのアンサンブルバランスが安定しているように思えます。
- つまり、ピアノとベースの両方でメロディを楽しめるため、リズム隊のノリが良いと感じられるのかもしれません。楽しさという観点ではK812よりも楽しめると思います。K812は楽しいというよりは「浸る」感じです。
AKG K812の感想メモ:
第一印象
- 総合バランスが良く、ジャズバンドを楽しむには合格点以上です。しかしスタジオモニターとしては失格だと思いました。響きが強調されて文句なしに美音に聴こえるので、コンプレッサで持ち上げたような量感と満足感があります。音量を下げてもBGM的なリラックス感があるため、音楽を味わう音作りとしては非常に納得できます。
- 過剰に分析的な鳴り方ではないので、HD800とは対照的なリスニング・ヘッドホンとしてジャズを堪能できます。
音場、定位感についての感想
- HD800と比較するとK812の音場は狭いのですが、それよりも低音が近く、高音が遠いという不思議な奥行きを感じます。
- T1は音場が狭いなりに上手にまとまりを持っており、ライブ演奏の実体験に近似していると思ったのですが、K812の場合は音の上下への分散が気になります。楽器ごとの配置が現実とかけ離れているため、不必要に定位が分散しているように思えます。
- ポピュラー音源のように、このようなサラウンド的分散がポジティブな効果を見せるケースもありますが、ジャズバンドの場合はジャズバーの小さなステージ上で演奏するようなこじんまりした環境なので、リスナーの頭上を駆け巡るサックスや、足元で踊るドラムなどは逆効果です。そういった意味では、録音を分析できるHD800と、生っぽいライブ体験のT1と、それぞれメリットがある中、K812は音場や定位感について特筆すべき利点は無いようです。
音色についての感想
- K812の低音はジャズで力を発揮します。ベース・ソロがメインの楽曲ではすごく楽しめました。なぜK812の低域が素晴らしいかというと、ベースが過度に膨らまずに増強されているからです。つまり一般的な低音過多なヘッドホンとは違い、低音が余計な空間や時間を占拠しすぎないのにドンドンと力強く鳴っているため、存在感はあっても邪魔になることがありません。
- K812ほどベースの存在感があると、ジャズバンドの根本にあるのはベースのメロディなんだと痛感します。アバンギャルドで一見つかみどころがないような演奏でも、ベース奏者のメロディラインを聴くと音楽としての説得力が生まれます。K812ではそれが可能なのですが、HD800では無理でした。
- ベースのことばかり書いているのですが、それ以外の音域は落ち着いており、若干激しさが不足しているようにも思えます。とくに普段はパワフルなコルトレーンのサックスがK812では「聴きやすい」と感じてしまったため、それはそれで問題かもしれません。全体的にウォームで重厚な演奏表現です。
- ドラムもトムやキックに力強さがあり、ハイハットは綺麗なのですが、T1ほど心躍る演奏にはなりませんでした。
- ジャズを聴いていると痛感するのですが、K812の特徴はコンプレッサ気味のホットな演出なのかもしれません。ギャリー・ピーコック盤などレンジの広い録音を聴くと、K812ではダイナミクスがあまり無いような、つねに弱音が持ち上がった印象を受けます。これは楽曲によって良し悪しなのですが、気になる人には過剰演出と捉えられそうです。
試聴グループ4:ジャズボーカル
Ella and Louis (DSD)
Ella Fitzgerald & Louis Armstrong (Verve Analogue Productions)
Songs for Distingue Lovers (DSD)
Billie Holiday (Verve Analogue Productions)
The Great American Songbook (DSD)
Carmen McRae (Atlantic)
ジャズボーカルのアルバムは古い録音ばかり選んでしまったのですが、その理由は、最新録音盤はどれも高音質すぎるものが多くて、どんなヘッドホンを使っても美しく聴こえてしまうため、逆に60年代などの荒っぽい録音のほうが比較試聴には良いと思ったからです。
エラはモノラル、ビリー・ホリデイはステレオのスタジオ盤で、どちらもヴァーヴの音源をAnalogue ProductionsがDSDリマスターしたものです。この会社のDSDアルバムは、最近流行の高音質リマスターの類でも比較的温かみがあり音色を重視しているため、いろいろと愛聴しています。
カルメン・マクレーのアルバムはワーナーのDSDリマスターで、ディナーショウ風のライブ盤なので、聴衆のテーブルでの雑音も雰囲気の一部になっています。
ゼンハイザー HD800の感想メモ:
第一印象
- HD800は三機種の中で前後の距離感が最高に上手で、歌手が一番近く、バンドが一番遠く、リアルな奥行き感じられます。
- 低域が弱いのは相変わらずですが、コントラバスは薄いながら背景を緩やかな低音で包み込むような鳴り方をするため、ボンボンというインパクトは無いのですが、空間的に上手な演出だと思いました。
音場、定位感についての感想
- HD800だけが演奏の定位感が異質で、非常にリアルな場合もあれば、不自然すぎることもありました。それだけ録音の出来不出来に過敏に反応するということかもしれません。とくに奥行きの再現性がよく、歌手が前にいて、リズム隊がその後ろにいるのが実際に感じ取れるのが好印象でした。
- 全体的に、歌手の歌声以外に色々なことが起こっているような鳴り方です。
- ピアノ伴奏の場合は奥行き感が有効に発揮できており、ボーカルの後ろでグランドピアノを演奏しているリアルなイメージが再現できていました。
- 試聴中に不自然だと思ったのは、とくにステレオ録音の場合、ボーカルに集中できないほど過度な左右のサラウンド効果が感じられる場合があることです。音楽のコアな部分を尊重しない過剰演出とも言えます。これが効果的な場合もあれば、不快感が出ることもあります。
- たとえばドラムの場合、一般的なドラムキットでの演奏なのにステレオ効果が強調されすぎて、ハイハットやスネア、トムなどがそれぞれ遠く離れた空間で個別の楽器のように鳴っており、リズムの統一感が悪くなります。
音色についての感想
- トランペットやサックスの質感が悪く、アームストロングの明瞭な演奏も「プープー、ピーピー」と聴こえます。なんというか、聴いていて面白くない音色でした。
- ドラムはエッジが効きすぎており、シャンシャンとうるさく刺さり不快でした。ボーカルも高音域ではキンキンに響く場合があります。
- マクレーのライブ盤では録音全体にノイズ除去のためのサプレッサエフェクトが感じられ、副作用の位相乱れや音痩せ、コンプレッサの過度なポンピング効果などが手に取るようにわかり非常に不快でした。他のヘッドホンではここまで悪く聴こえませんでした。「分析的」と言えるかもしれませんが、リスニングとしての音楽性は最悪です。
- エラのスタジオ盤は好条件で録音されたようで、非常に綺麗な歌声です。彼女の声が空間に浮かび上がる演出がとても良いですが、声の質感自体は若干かすれて聴こえます。アームストロングの歌声は一歩下がった距離感が良かったです。
- マクレーやビリー・ホリデイでは録音マイクの存在感が拭いきれず、マイクそのものの過渡特性や音割れ、歌手とマイクの距離感による音圧の揺れなどが気になってしまいます。HD800とは本来そういった情報を分析する用途のヘッドホンだと再確認しました。
ベイヤーダイナミック T1の感想メモ:
第一印象
- 古い楽曲でもアタックの質感が良好で、手応えを感じる響きなのに、開放的でヌケが良いためクセや不快感が少ないです。
- 金属的な出音のおかげでスピード感というか、リズムのタイミング感が小気味よく絶妙です。
- 全体的な楽曲のプレゼンテーションは三機種の中で一番シンプルで質素に感じます。ごく一般的な高音寄りのモニターヘッドホンに一番近い音作りなのですが、それ以上のなにかを感じる不思議な魅力を感じます。
音場、定位感についての感想
- ボーカル位置が前方より上(自分の目の高さくらい)に聴こえるので、リアルなステージ位置を想定すると違和感を感じます。
- 例えばエラのアルバムの場合、ボーカルがリスナーの頭上に聴こえて、彼女の声の残響(エコー)がそれより下(ほぼ前方)に聴こえるため、生声以上にエコーが聞き取りやすくて気が散ります。音場感は出ているのに位置が間違っているといった場面がいくつかありました。
- 全体的にステレオイメージが近すぎて狭いため、たとえばマクレーのライブ盤では彼女のボーカルに客席の騒音がかぶってしまうことがあります。
- ビリー・ホリデイのスタジオ盤ではボーカルの存在感が大きく、バックバンドを押しのけて圧倒してしまうため、ボーカル主体でそれ以外のメンバーはほぼBGMといった演出になってしまいました。
- ドラムは距離感が近いけれど聴きやすいので絶妙に良かったです。その反面、コントラバスは定位が前に寄りすぎて邪魔に感じることがありました。多分これは低域部分が出し切れていないため、低音楽器そのものがボーカルと被ってしまうせいかもしれません。
音色についての感想
- T1は三機種の中でハイハットが一番綺麗に鳴ってくれます。金属的ながらまったく刺さったりキンキンせず、聞き取りやすくて美しいです。
- ドラムのリズム感が最高に良いです。スネアとキックのタイミングや歯切れ良さが特筆され、楽曲全体のリズムを体現するのに貢献しています。音楽というのは音色やメロディだけではなくリズムを聴かせることがとても重要なのだと再確認できました。
- バックの演奏がビッグバンドだと瑞々しさが非常に良いです。やはり金管の演奏はT1が得意としている分野だと感じました。
- 低音全般があいかわらずフワフワしており、あまり良くないです。しかしキックドラムなどアタック感があるものは、ドスンドスンといった表現が小気味いいです。低音楽器といえども立ち上がりで肝心なのは倍音成分だということです。
- トランペットなどの高音楽器や金属的な響きの質感が非常に良く、空間上での存在感がすばらしいです。
- ボーカルも、エラ・フィッツジェラルドのように高音が得意な歌手であれば金管楽器と同じくらい印象的で美しい響き方をします。
- サックスはトランペットと同じくらい良いけれど、イメージングはぼやけており曖昧に思えました。同様にルイ・アームストロングの男性ボーカルも、女性ほどの響きが無く、素朴に感じます。
- ピアノなど、中低域を任される楽器は聞き取りにくく、伴奏で使われている場合はあまり主旋律が体感できなかったです。
AKG K812の感想メモ:
第一印象
- K812は中低域が豊富というのはすでに述べましたが、こういった古いジャズボーカル盤ではこの特徴が生かされます。人間の声の部分が芳醇に発せられ、不必要なノイズやシャリシャリ感が無いため、一番リラックスして音楽の世界に浸れるヘッドホンだと思います。
- リラックスしすぎて若干BGMっぽく鳴ってしまうこともあり、逆に音量を上げすぎると荒っぽく暴れるため、リスナーによってはあとちょっと歌手のエッジ感が欲しいと思うかもしれません。とくにエラのような高音が独特な歌手はT1の方が個性を活かせていました。
音場、定位感についての感想
- 相変わらず音場表現が平面的でリアリズムに欠けるのですが、ジャズボーカル盤の場合は逆にこれがメリットと化しているように感じました。
- 具体的には、K812にはHD800ほどの前後の距離感が無いため、自分の周囲に同じ距離で色々な楽器が鳴っているようなイメージです。分離が悪いというわけではなく、「前後左右」ではなく「上下左右」といった感じの空間配置なので、映画館の巨大スクリーンを見ている感じといえば伝わるでしょうか。
- ビリー・ホリデイのステレオ盤においては、ドラムなど左右振り分け楽器が自分の耳の近くに配置され、センターのボーカルが実際よりも若干距離を離している印象です。つまりピアノやベースなどがボーカルと同じくらい存在感を持っています。
- ボーカル一点のみを聴くのではなく、バンドのアンサンブル全体を近い距離感で押し出してくる感じなので、たとえばビリーやエラのアルバムのようにバンドメンバーも超一流のミュージシャンの場合は、音楽の楽しみ方がアンサンブル主体になります。
- HD800やT1と一番違うと感じたのは、K812ではそれぞれの演奏者のソロパートの出番が回ってくると、スポットライトを当てたかのように派手に前に出て演奏されるため、「音場が無限に広い」というよりは「目の前で繰り広げられるミニチュア」的な楽しさがあります。逆に言うと、整然としているというよりは若干はっちゃけた演出にもなります。
音色についての感想
- K812は三機種のなかで一番中低域の量感が充実していることはすでに述べましたが、これは単純にキックドラムやコントラバスのような低音楽器だけではなく、ボーカルアルバムの伴奏では欠かせないギターやピアノなどにも深みやボディを与えるメリットがあります。
- もちろんベースやドラムの低域表現もHD800やT1以上に素晴らしく、単純に低音がブーストされているというよりは、パワーがあり明朗に鳴っているため、閉鎖感やこもりなどは一切感じさせません。結果K812が一番生演奏に近いドラム・ベースの迫力を発揮出来ていると思います。HD800やT1では気にも留めていなかったコントラバスのメロディラインがはっきりと音色として聴き取れるので、曲全体の音楽性を高めています。
- メインボーカルも、ピアノやギターなどと同じく、声の芯の部分に重みがあります。マイクの音割れやスタジオエフェクトの悪い要素がHD800ほどは過敏に目立たず、ボーカルを純粋に楽しむには最適なヘッドホンのようです。ただしボーカルと同じくらい伴奏のギター・ピアノも主張してくるので、ビリー・ホリデイの録音などでは、歌手と伴奏が対等の楽器としての扱いになってしまう印象を受けました。
- ビッグバンド的に演奏が大編成で煩雑になってくると、主旋律のメロディにあまり貢献していない遠くで鳴っている楽器は(とくにステレオで左右に振り分けられていると)HD800やT1とくらべて聞き取りづらいです。バックバンドはバックバンドに徹するかのごとく存在感があやふやです。
- K812で驚いたことは、マクレーのライブ盤で聴こえる聴衆の騒音(テーブルのグラスや食器の音など)ですら艶っぽくリアルで美しいことです。これらがただの邪魔なノイズではなく、音楽体験の一部として味わいを増す効果を発揮出来ているのは、K812の音楽性の高さの象徴だと思いました。
- エラとルイ・アームストロングの録音を聴くと、エラの美しい歌声は高音が得意なT1の方が実在感があるようでした。K812では若干角が丸くなっています。アームストロングも同様に、楽曲内に溶けこむような歌声になっているため、音楽としての統一感は良好なのですが、歌手そのものが飛び抜けて印象的とはいえません。その点T1はセンター歌手の存在感が強調されるようです。
- アームストロングのトランペットなども生々しいリアルというよりは自然に録音という型にはまったような演出なので、ジャズアルバムが一番しっとりとポピュラーアルバムのような味わいになる印象です。
まとめ
どのヘッドホンにおいても、同じメーカーの下位モデルと比較すると再現性のクオリティに天地の差があるため、たとえばHD650、K712、DT880などからアップグレードすることによって失われるものは少ないと思います。特にフィット感や駆動能率においても、他のハイエンドヘッドホン(Audez'e LCDやHiFiMANなど)のようなシビアなものではないので、ある程度のアンプさえあれば十分に性能を発揮できます。価格については為替相場や代理店の在庫などによって常に万単位で変動しているため、安い時期を見計らう必要があります。人気商品なので中古市場も臨機応変で、なかなかバーゲンは見つからないと思います。
たまに海外の並行輸入品がマーケットプレイスなどで出品されていることがありますが、国内での保証が受けられないことが多く(故障修理などは海外扱いで時間がかかります)、さらに万が一手放す際も中古品として引き取ってもらえない場合がありますので注意が必要です。
そういったことを踏まえた上で、価格差を無視して、これら三機種のヘッドホンを比較すると、それぞれに特徴的な個性があることがわかりました。
ゼンハイザー HD800
HD800はフルオーケストラや、高音質録音のディテールを骨の髄まで聴き尽くすために作られたヘッドホンだと思いました。私の意見としては、残念ながら鑑賞用としては役に立つ場面が少なく、音楽制作用の粗探しのツールのような気がします。とくに録音に使われた空間エフェクトや残響の処理、ノイズフィルタやコンプレッサなどの効き具合がダイナミクスや空間面から本当によくわかり、かえってリスニングを音楽から遠ざけてしまいます。試聴に使った10種類以上のアルバムの中で、HD800が最高の音楽体験を発揮してくれたのは、ほんの2〜3枚のみでした。
このヘッドホンの代用になる製品は無いと思いますし、ハマる録音では驚異的な空間情報を発揮できるため、多くのヘッドホンマニアが「とりあえず」所有して、なかなか手放したくないのが納得いきます。私もめったに使わないのですが、手放すのは惜しい超高性能ヘッドホンだと思っています。
高域のシャリシャリ感や、響きの暖かみが不足しているなど、リスニングにおいて問題点が多いです。バランス化や社外品ケーブルに交換することで幾分か軽減することができますが、ヘッドホンそのものの傾向までは変えることはできないため、無駄なあがきはせずに素直にHD800の良さを引き出すような上質な録音を楽しむのが最善かと思います。
意地悪な言い方ですが、HD800が「音の悪いヘッドホン」のように聴こえたとしたら、それはきっと試聴に使っている音楽が「音の悪い録音」なんだと思います。
HD650とは全く違った音作りなので、あのようなディープな音色を求めているのでしたらK812のほうが良いかもしれません。
ベイヤーダイナミック T1
T1は単純に、高域のみの一発勝負です。金管楽器や澄んだ女性ボーカルを聴いた時の美しさは、この世のものとは思えません。HD800やK812では到底かなわない魅力があります。中高域から上の音色では金属的な響きが特出するのですが、それが一切不快感につながらない唯一のヘッドホンかもしれません。とにかく素直で自己主張が強く、擦れた感じがせず、美しいのです。
この響きのおかげでドラムのリズム感やタイミングも絶妙で、ハイハットやシンバルの生々しい表現は音楽全体を牽引してくれるエネルギーに変わります。しかし、ポピュラー録音でありがちな電子ドラムを多用していると、高音の倍音成分が存在しないため、ただうるさく耳障りに感じます。完全にアコースティックなボーカルとバンドを起用している音楽ではT1の実力が発揮されます。
空間表現や、中低域の再現性はほぼ一般的なモニターヘッドホンとあまり変わらず、実は高域以外はDT880と似ているなと試聴時にずっと思っていました。とくに低音がふわふわしており、インパクトが感じられないため、ベースラインを追ったりするEDMやファンク系のような音楽には適していません。
2015年発売の新型T1(マイナーチェンジ版)ではこの低域が改善されるらしいので、ぜひ試聴してみたいです。(http://sandalaudio.blogspot.com/2015/08/new-t1-2015.html)
また、私の所有しているT1(初期型)と最近のシリアル番号10,000番台では音色が多少違っていました。エージングによる差なのかもしれませんが、私のT1の方が全体的に低域がふわっとしており、柔らかさを感じました。最近のT1(50時間ほどのエージング済み)のほうがもうちょっとエッジが効いており金属的、そして低音が引き締まっていたので、好みがわかれます。といっても低音の量感が増えているわけではないので、相変わらず高音重視の音色というセールスポイントは変わりません。
AKG K812
K812が一番音楽の世界に浸れるヘッドホンでした。モニターヘッドホンというよりは、もはや「リラックス没入型ヘッドホン」とでも命名できるほど、オールジャンルで音楽性が高いです。解像感や定位の正確さなどはHD800やT1とくらべると乱雑な感じがするのですが、音色のバランスが絶妙に好ましく、モニターヘッドホンにありがちな「フラット」特性というよりは、超ハイエンドなスピーカーシステムで音楽を聴いている時の、あの「フラット」特性を再現しています。もし意味が伝わらなければ、ぜひ高級オーディオショップに自分の好きな音源を持参して、500万円くらいのステレオシステムを試聴してみてください。K812にはそういった味わい深さがあります。
リアルな音楽体験というよりは、演出が上手なプロの職人技といった感じでしょうか。さすがAKG、と納得させるだけの技術があります。
このような表現もかなり誇張して書いているので、実際はたとえばオーディオテクニカのATH-Z1000やAD2000X、ソニーMDR-Z7、Grado GS1000、Ultrasone Editionシリーズなど音楽鑑賞用ヘッドホンと比較すると、K812は高性能なモニターヘッドホンとして十分通用する正確さを持っています。
AKGファンとしては、K712と比較するとかなり音像の線が太くなり、力強さが増したため、もうすこしサラっとした聴こえ方でも良かったのではとも想像します。K712のような繊細な鳴り方でさらに解像度が欲しい場合は、K812よりもHD800のほうが良いかもしれません。
最後に
総合的に考えると、何を求めているかで選択肢がわかれます。理想的にはHD800の空間表現とT1の高域、そしてK812の音楽性がひとつのヘッドホンにまとめて存在すれば良いのですが、現実的にそんな商品はありません。たとえ50万円のヘッドホンを購入しても、これらすべてを満たすことは無いと思うので、(先日試聴したHiFiMAN HE1000は素晴らしかったですが、モニター調とはかけ離れています)、そういった意味では三機種とも、それぞれ頂点に立つヘッドホンなのかもしれません。
もしこれらを超えるヘッドホンがあるとすれば、それは将来的に同社から後継機が発売されるときのみでしょう。たとえばAKGはK1000、ゼンハイザーはOrpheusといった超弩級の変態ヘッドホンを過去に販売していたので、また更に上を目指す目標はあるのかもしれません。
今後もいったいどんな素晴らしいヘッドホンを送り出してくるのか、とても楽しみです。