2016年5月2日月曜日

ベイヤーダイナミック T1 90th Anniversary Edition 限定モデルについて

今回は、ちょっと古いモデルですが、ベイヤーダイナミック「T1 90th Anniversary Edition」ヘッドホンを紹介しようと思います。

Beyerdynamic T1 90th Anniversary

全世界で600台限定で、その名の通り1924年創業のベイヤーダイナミック社創立90周年記念を祝して2014年末に発売されたスペシャルモデルです。

一見してわかるようにカラーリングが特別仕様になっていますが、それだけではなくケーブルも特製バランス対応タイプが装備されており、サウンドも通常モデルとかなり違います。

なかなか中古品などでも見かける機会がありませんが、今回友人と物々交換で一ヶ月ほど借りて使っていたため、せっかくなので写真とかを載せようと思いました。



90周年のベイヤーダイナミック

ベイヤーダイナミックのセミオープン型フラッグシップヘッドホン「T1」は2009年にデビューしており、今回紹介するT1 90thが登場した2014年末には発売からすでに5年が経っていたことになります。

T1の発生モデルで密閉型ヘッドホンの「T5p」は2010年、そしてAstell & Kernと初のコラボレーションモデル「AK T5p」が2015年2月発売なので、T1 90thが登場したのはちょうどベイヤーがコラボなどでコンシューマ向けの色気を出し始めた過渡期と言えます。

とくに、これまでプロフェッショナル用スタジオヘッドホン一辺倒だったブランドイメージから、ハイエンドコンシューマが満足できるチューニングや「音作り」を模索し始めた時期です。

T1 90thはケーブルメーカーと、AK T5pはDAPメーカーと、といった感じにコラボレーションによって第三者の意見も貪欲に取り込こんでいます。

T1 90th Anniversary Edition

別名「T1 90 Years Edition」とも呼ばれていますが、どちらが正式名称かは不明です。Head-Fiの本スレは「T1 90th Anniversary Edition」というタイトルなので、そういうことにします。パッケージにはシンプルに「T1」と書いてあります。

世界限定600台ということで、もうちょっと話題になってもよさそうなものですが、日本ではあまり流通しなかったようで、このヘッドホンの存在はあまり知られていません。600台のうち多くは中国や香港などで販売されていたようで、現在ネットオークションなどで中古品が出ると、大抵その辺のアジア諸国のオーナーです。

専用のシリアルナンバーが刻印されています

このT1 90thモデル発売からちょうど一年後、2015年末には「T1 2nd Generation」が発売されたため、T1 90thは旧式扱いとなり、現在ひとまず中古価格の高騰は落ち着きましたが、それでもオークションなどでの相場は初代T1の倍くらいの価格のようです。

2016年現在、現行モデルのT1 2nd Generationが好評を得ているとはいえ、T1 90thのサウンドは似て非なるものなので、(私自身は90thのサウンドのほうが好みです)、今でも中古で探しまわっているベイヤーマニアは多いようです。

クロムメッキとマットブラックのハウジング

T1 90thのデザインで一番目を引くのはやはりハウジング外周のクロムメッキです。完璧な鏡面仕上のピカピカで、一見は派手なのですが、センターグリルはマットブラックに仕上げてあるため、全体のデザインセンスは意外と落ち着いており、そこまでゴージャス感を出してはいません。

グリル中心のBeyerdynamicロゴは白いので、通常モデルのT1と比べて目立ちます(あちらはグレーのグリルにブラックのロゴなので)。

ヘッドバンドもブラック

またヘッドバンドのハンガーアーム部分もブラックのアノダイズド処理なので、バランスのとれた美しい配色だと思います。

フロントから見るとT5pっぽくも見えますね

外観上での大きな変更点はカラーリングのみで、装着感やイヤーパッド素材などは初代T1と一緒です。

アニバーサリーだからといってむやみに奇抜なゴールドとかレッドを選ばず、クロムメッキでプレミア感を出しながらシックに仕上げているのは良いです。このカラーリングは、ベイヤーダイナミック社のヘッドホン第一号機DT48をオマージュしているということです。

今見てもオシャレな初代Beyerdynamic DT48

2014年に発売されたT90 Jubilee

ちなみに、T1 90thと同時期に、下位モデルの開放型ヘッドホン「T90」にも90周年記念モデル「T90 Jubilee」が発売されました。「T90」と「90周年」の語呂合わせをしたかったようで、残念ながら兄弟モデルの「T70」にはそのような記念モデルは出ませんでした。

このT90 JubileeもデザインはT1 90thと同じブラックとクロムメッキ仕上げで、世界限定1,000台というリミテッドモデルなのですが、サウンドそのものはT90と変わらないため、(しかも高価で通常版T90ほどの値引きが少ないため)、いまだに新品在庫が手に入りやすいです。そういえば、おまけで高音質バイノーラル録音のCDが付属していました。

Cardasケーブル

このT1 90thヘッドホンが発売された2014年末にはまだ「T1 2nd Generation」は発表されていないので、ベースになるモデルは初代「T1」です。初代T1同様に、ケーブルはハウジングに固定されており、「2nd Generation」のような着脱交換ギミックは採用されていません。AK T5pもそうでしたね。

この当時は、自力でケーブルを切断交換しているコアなユーザー以外には、T1はリケーブルできないということが一種のネックになっていました。ちょうど当時ライバルモデルのゼンハイザーHD800が社外品高級ケーブルによる「アップグレード」で盛り上がっていたため、それが容易にできないT1ユーザーは羨ましく思っていたことでしょう。

このT1 90th最大のセールスポイントは、アメリカの高級オーディオケーブルメーカーCardas(カルダス)による特製ケーブルが搭載されていることです。しかも、なんとバランス接続仕様です。

ケーブルは着脱不可の直付けです

Cardas製ケーブル
標準モデルのT1(左)と90th(右)の比較

Cardas社はアメリカ・オレゴン州にあるオーディオケーブル専門メーカーで、コンシューマ向けのRCAラインケーブルやスピーカーケーブルはもちろんのこと、市販スピーカーなどの内部配線材の供給メーカーとして有名です。それとレコードプレイヤーのトーンアーム配線(極細で非常に弱い電圧を扱う繊細なワイヤー)で長年定評があるブランドで、メーカーと自作マニアともに慕われています。

手広くマニアックな商品展開のCardas

オーディオケーブル以外でも、音質に効果がある(らしい)音響ハンダや、なかなか手に入りにくいHD650用コネクタなど、通好みの商品を多数扱っているマニアックなメーカーです。

Cardasの製品は総じてかなり高価なので、(しかも公式サイトのデザインがとても怪しいので)、どうにも胡散臭い感じがするのですが、この業界で1980年代からずっと大衆向けに媚びずマニアック路線で商品が売れ続けているのは稀に見る成功例だと思います。ハッタリのオカルトだけではなくちゃんとした音質が伴っていないと、ここまで長続きはしません。

左から順にCardas Clear、Clear Light、Headphone (Cross)

ところでCardasのヘッドホンケーブルは価格グレードによって三種類販売されています。一番高価なものがCardas Clear、その下にCardas Clear Light、そしてCardas Headphone (Cross) Cableというラインナップです。基本的に同社のスピーカーケーブルをベースにした設計で、当初はHD650用交換ケーブルという名目で製造を始めたそうです。現在ではHD800やAudezeなど幅広いメーカーのヘッドホンコネクタに対応したラインナップを展開しています。一番高いCardas Clearは1メートルで8万円と非常に高価です。K712用ケーブルとか、ヘッドホン本体よりもCardasケーブルのほうが高価、なんてこともあります。

今回T1 90thに搭載されているケーブルは、見た目で判断するかぎりでは、この三種類の中では明らかに「Cardas Clear Light」のようですね。

このCardas Clear Lightケーブルですが、使い勝手は「最悪」です。まずご覧のとおり非常に細くて貧弱だということはわかると思いますが、それよりもさらに困るのは、とてもクセがつきやすいのです。

クセがつきやすいというレベルではなく、たとえばケーブルをまとめて束ねる時に使うビニール針金のやつみたいに、曲げたら曲がったままの状態をキープします。しかも、布巻きでねじれやすいため、収納の際などにクルクルと巻いて、ちょっとした手違いでねじれてしまうと、ケーブルが断線しそうになります。

ベイヤーダイナミックT5pも細いケーブルを採用していますが、あちらはクセがつきにくいスルッとした一般的なビニール線なので、これほど不満は感じません。

正式名称は知りませんが、こういう奴くらいクセがつきます

もしケーブルがハウジング部分で着脱可能であれば、一旦ケーブルを外してねじれを修正できるのですが、それが出来ないため常にケーブルがねじれて団子になっていないか細心の注意をしなければなりません。

音質のためとはいえ、本当にヒドいケーブルだと思います。

4ピンXLRのバランス接続です

ところで、このT1 90thのケーブルは、なんとバランス接続仕様です。しかも最近では一番ポピュラーであろう4ピンXLRタイプのコネクタです。それまで乱立していたバランス接続端子の中から、ゼンハイザーがHD800・HDVD800に制式採用したため一気に支持率アップしたコネクタですが、ベイヤーダイナミックはそもそもバランス接続対応のヘッドホンアンプを販売していないため、この思い切った決断には驚かされます。

これまではバランス接続のメリットに対して消極的(というか批判的)だったベイヤーダイナミックですが、ヘッドホンマニア市場はバランス対応で盛り上がっているため、良い判断だとおもいます。

付属の変換アダプタ

ちなみに、通常の6.35mm端子でも利用できるように、カルダス製の変換アダプタケーブルも付属しています。これはなにかと便利そうなので嬉しいですね。

余談ですが、日本でのベイヤーダイナミック正規輸入代理店はティアック株式会社なのですが、ティアックのヘッドホンアンプUD-503のバランス接続端子は4ピンXLRではなく6.35mm ×2タイプなのは皮肉なものです。

イヤーパッドとドライバ部分は初代T1と同じです

ところで、ケーブル以外の部分には音質に影響するような改変はあるのかどうか気になって、細部を調べてみましたが、やはり初代T1と中身は同じようです。イヤーパッドやドライバフレームなど、どれも違いはありません。というか600台の限定モデルのためにわざわざ金型や新規ドライバを開発するとは考えにくいので、単純に「ケーブルアップグレードモデル」なのでしょう。

Cardasケーブルがそのままドライバ基板にハンダ付けされています

中を覗いてみると、初代T1と全く同じドライバとハウジングに、Cardasケーブルがそのままハンダ付けされています。

通常版T1との音質の違い

このT1 90th Anniversaryモデルは、デビュー当時にオーディオショウで試聴した時から、そのサウンドに惚れ込んでしまいました。しかし当時は新品で買うにも高価でしたし、すでに通常版のT1は持っていたため、結局購入には至りませんでした。

通常版T1との明確な違いはケーブルのみだと考えると、このT1 90thの飛躍的な音質向上は驚くものがあります。それだけCardasのケーブルが優れているのか、もしくはT1の標準ケーブルがショボいのかもしれません。標準ケーブルがそこまで悪いとは思えないのですが、こういうのは実際に聴いてみるまで、見た目やスペックの憶測だけでは予想できないのが面白いです。

今回一ヶ月ほど借りるにあたって、試聴にはViolectric V281ヘッドホンアンプを使いました。このアンプを使えば6.35mmと4ピンXLRバランスの両方が使えるので比較が容易です。

まずは通常版T1と比較のため6.35mmアンバランス接続で、と言いたいところですが、実は私のT1はすでに4ピンXLRのバランス端子に交換してあるため、どちらもバランス接続でリスニングしました。

実際にはバランス・アンバランスの音質差よりも、通常版T1とT1 90thの音質差のほうが極端に大きかったです。付属のXLR→6.35mm変換アダプタを介しても、両者の差は明確でした。

ちなみに、T1においてよく指摘されている低音のフォーカスの甘さ(フワフワ感)は、バランス接続にすることでそこそこ改善されます。もちろんパンチの効いたクラブミュージックみたいな低音は相変わらず不得意ですし、空間定位は曖昧なままなので、HD800のようなホログラフィック3D音像が得られるわけではないですが、それでもバランス接続で人並みにレスポンスの良い低音が得られます。

この部分は、あえてT1 90thでなくとも通常版T1をバランス端子化することでメリットが得られるため、事前に書いておこうと思いました。もちろん効果のほどはアンプにもよります。

そんなバランス接続での低音改善とは別に、T1 90thが通常版T1に対して具体的に優れているポイントは、とても高い高音域における「クリーン」具合です。通常版T1では、中~高音の周波数帯によってアップダウンが激しいことが気になります。特定の帯域によって強調されやすい音や、そうでない音があるということです。

個人的には、このT1特有の高域の個性が、シャリシャリを抑えている割に、たとえばトランペットなどの金管楽器に華やかな金属的響きを加えてくれるため、結構気に入っているのですが、一方でEDMのシンセなど倍音が不自然なサウンドでは刺激が強くなることもあり、万能とはいえない仕上がりでもありました。

後継機の「T1 2nd Generation」では、この高域の乱れが上手に抑えこまれて、マイルドで聴きやすいリスニング向けに整ったサウンドに仕上げることで、総合的な高評価を得ることに成功したようです。

その一方で、T1 90thはそういった「抑えこむ」タイプの解決策ではなく、より自然で平坦に高域が鳴る方向で仕上がっています。これは音響チューニングというよりは、T1本体とケーブルの特性が上手にマッチした結果でしょうか。

たとえばオーケストラの高解像録音のように、高音域で楽器の編成が大きく、混雑しがちなレコーディングを聴くと、通常版T1ではソロでフィーチャーされるトランペットやホルンなどがグッと前に出てきて、それらの強烈な響きが全体バランスを崩してしまう程の存在感を発揮します。

一方T1 90thでは、金管は同様にシャープな響きなのですが、他のパートを邪魔しない程度に響きが締まっており、より一層高い周波数までまっすぐに伸びていき、聴けば聴くほど全パートのディテールが引き出せるような深い解像感があります。自分の耳の可聴限界を遥かに超えた領域まで一切の濁りも感じさせないと思える凄さがあります。

実際にバロックオケなどを聴いていると、弦セクションの一音一音がよく伸び、よく響き、「これは一体どこまで解像していくんだ!」ど驚きワクワクさせられます。

つまり録音さえ優秀であれば、その中に秘められた情報を極限まで引き出せるような見通しのよさがあります。しかもシャリシャリせひたり刺さったりせず、もしくはHD800的な過度の繊細さや、遠くに配置する空間の距離感とも無縁で、本来T1そのものが持っていた響きの魅力が詰まっているため、音色重視の高解像録音を聴く上では、まさに向かうところ敵なしといった印象を受けました。

ずっと聴いていたい、録音の美しさを味わっていたいと純粋に思わせるヘッドホンなので、スタジオモニターとしても、リスニング用としても両立できる絶妙な仕上がりです。また本来T1はこうあるべきだというポテンシャルの高さを示してくれました。

高域に関してはベタ褒めできるT1 90thですが、その一方で中低域の空間表現が上手に定まらない感覚は通常版T1とあまり変わらないため(バランス接続でだいぶマシになりますが)、そこはたとえばHD800のように「線が細くとも明確に音場を提示する」スタイルや、AKG K812のように「まろやかで音楽性高く、音色の繋がりを重要視」するのか、といった仕上げ方と比べて、T1は「ただ鳴ってるから聴こえる」というレベルに留まっているように思います。

ところで、2016年になって発売された「T5p 2nd Generation」とどちらが好みのサウンドか非常に悩みます。このヘッドホンも個人的に大好きなサウンドで、近年ベイヤーダイナミックはものすごいペースで進化しているなと感心させられる仕上がりでした。(レビュー→http://sandalaudio.blogspot.com/2016/03/beyerdynamic-t5p-2nd-generation.html

T5p 2nd Generationの魅力は、ベイヤーダイナミックとしては異質とも思える中低域の力強さを備えていることと、高音はT1よりもT70などと似通ったシャープで整っていることです。全体域のレスポンスが良くスピード感にあふれている(でも聴き疲れしない)という高次元の仕上がりです。

T1 90thとT5p 2ndのそれぞれどちらもベイヤーダイナミックの音を突き進めた進化系なので、それらと比べると初代T1はまだ対処すべき問題を抱えている試作機のような印象を受けました。

まとめ

限定600台ということで、なかなか手に入れるチャンスが少ないT1 90th Anniversaryモデルですが、そのサウンドはベイヤーダイナミック屈指の高域の見通しの良さを誇っています。

この異次元サウンドはCardasケーブルに由来する部分が大きいのだと思いますので、ベイヤーダイナミックは見事に相性の良いパートナーを見つけたものだと関心します。また、これを期に、ベイヤーダイナミックも今後下位モデルでもケーブルにもうちょっとこだわって欲しいなとも望んでいます。

後継機のT1 2nd Generationはケーブル交換が可能になったので、同様にCardasケーブルを装着することでこのT1 90thのサウンドを真似することも可能かもしれません。しかし初代T1から2nd Generationになるにあたってハウジングやドライバそのものにも音響の変化があるので、全く同じサウンドとはいかないでしょう。(試してないのでわかりませんが、もしかすると、さらに素晴らしいリケーブル効果が得られるかもしれません)。

T1 90thのクロムメッキとマットブラックのデザインは、アニバーサリーモデルに相応しい上品な仕上がりだと思います。これが発売された2014年以降、ベイヤーダイナミックはAstell & Kernとのコラボレーションなどでコンシューマの意見を取り込んだ商品展開に励んでいるため、今後もこのような意表をついたスペシャルモデルやコラボモデルが登場することを待望しています。

ちなみにこのヘッドホンは創業90周年記念で登場したわけで、つまり来るべき2024年にはベイヤーダイナミックは創業100周年を迎えることになります。そのころの高音質ヘッドホンは一体どんな風になっているのか想像もつきませんが、今のうちからスペシャルアニバーサリーモデルを期待しているのは気が早いでしょうか。

ともかく、ベイヤーダイナミックの頂点とも言える素晴らしいヘッドホンなので、機会があれば一聴する価値があります。