2019年9月5日木曜日

ソニーMDR-M1STヘッドホンのレビュー

ソニーの新型ヘッドホン「MDR-M1ST」を買ったので、感想とかを書いておきます。

MDR-M1ST

2019年8月発売の密閉型スタジオモニターヘッドホンで、価格は31,500円です。ロングセラーMDR-CD900STの後継機というか現代版アレンジといった感じで、ネットでずいぶん話題になっていたので、どんなものかと興味をもって購入してみました。


MDR-M1ST

1989年発売のソニーMDR-CD900STは日本を代表するスタジオモニターヘッドホンとして、ヘッドホンマニアであれば誰でも「とりあえず持っている」というくらい当たり前の定番商品です。日本語Wikipediaエントリーがあるヘッドホンというのもこれくらいではないでしょうか。

もう発売から30周年というあまりにも古いモデルなので、最近の若い世代では、名前は知っているけど一度も音を聴いたことがない、という人もいるかもしれません。

MDR-M1STとMDR-CD900ST

MDR-CD900STの「for DIGITAL」

80年代後半というのは、それまでのアナログレコードとカセットテープに代わって、市場に「デジタル録音」と「CD」が普及しはじめた転換期だったので、CD900STの側面ステッカーに堂々と「for DIGITAL」と書いてあるように、当時は家庭用スピーカーでもアンプでも、買い替え促進のため「デジタル対応」なんていうのがキャッチフレーズになってました。もちろんそれ以前の製品ではCDの音が聴けないというわけではありませんが、メーカーごとに周波数帯域幅など独自のガイドラインがあったのだろうと思います。なんだか「ハイレゾ対応」とか、時代は繰り返しますね。

80年代当時の音楽の音質が悪かったわけではないように、CD900STも古いからといって音が悪いわけではなく、2019年に現役で使っても十分満足できます。ヘッドホン価格のインフレ化の中で、ちゃんと日本製で信頼性が高く1万円台で購入できるCD900STは、お買い得ですらあります。

80年代から2019年現在になって何が変わったかというと、まず高級ヘッドホン市場の拡大で競争が高まり、ユーザーに求められる設計ノウハウが確立されてきたという事、材料工学やコンピューターシミュレーションの進化で音響特性の優れたハードウェアが設計できる事、そしてそれらを量産できる品質管理の行き届いた工場設備の充実、といった、基本的な部分での底上げが体感できます。

ただし現実を見れば、いまだに合皮パッドと楕円ハウジング、コイル線に電気信号を流して永久磁石と反発させて、プラスチック製の振動板を前後に動かす、というダイナミック型ヘッドホンの基本概念そのものは一切変わっていないので、そういった意味では、30年のギャップはそこまで深くないのかもしれません。当時から想像したら、2019年にもなれば、なにか脳内に直接音楽が流れるような未来的デバイスが生まれているだろうと期待していたでしょう。

無難な密閉型ヘッドホンデザイン

薄いです

なんにせよ、デザインを見てわかるとおり、いわゆるヘッドホンとしてコアな部分は変わっていないので、それだけ当時のデザインが優れていたということでもあります。

MDR-M1STの基本スペックは、215gハウジングに40mm CCAWドライバーを搭載、24Ω・103dB/mWとなっています。MDR-CD900STが200gで同じく40mmドライバー、63Ω・106dB/mWだったので、単純計算だと100dBSPLを出すにはM1STは1.10Vrms、CD900STは1.26Vrmsくらい必要なので、アンプへの要求はほとんど変わらないようです。

回転ハウジング

ドライバー

MDR-CD900STのイヤーパッドと比較

YAXIのパッドと比較

ハウジングが90度回転してフラットにできるのはMDR-CD900STには無かった新たな機能です。携帯するには便利だと思います。

イヤーパッドはMDR-CD900STよりも厚くMDR-1Aよりも薄いといった感じで、最近流行りの三次元縫製とかではなく、前後の厚みは均一です。MDR-CD900STのパッドと互換性があるサイズなので、豊富な種類の社外品パッドが装着できます。MDR-1Aはパッドの構造が違うため(四方のツメでパチパチはめるタイプなので)互換性はありません。

MDR-CD900STでよく起こる現象

ちなみにMDR-CD900STはハウジングがハンガー軸で上下にぐるんと180度回転するのが装着時に毎回イライラさせられたのですが、M1STは必要以上に回転しません。手触りやサイズ感、側圧なども、MDR-CD900STよりはMDR-1Aに似たデザインです。

通気孔

ハウジング上部や側面にMDR-1Aと同じような通気孔が見られるので、バスレフっぽい特性になりそうです。改造マニアがよくいじったりする部分ですね。

MDR-Z1Rっぽいヘッドバンド

MDR-Z1Rとの比較

ヘッドバンド調整

ハウジングやハンガーデザインはMDR-1Aと似ているのですが、ヘッドバンドだけは上位モデルのMDR-Z1RやZ7M2に近い、厚手で幅広いデザインです。

ヘッドバンド調整に目盛り数字があるのはとても便利です。1~10のあいだで私の頭だと6くらいがちょうど良いです。覚えておけば毎回瞬時に6に合わせることができるのが良いです。

装着感についてですが、購入してから一週間ほど毎日使ってみて、長い日だと8時間くらいは装着していたところ、ヘッドバンドは高級機ゆずりの最新デザインだけあって頭頂部はかなり快適ですが、やはりこの手の密閉型ヘッドホンの宿命で、イヤーパッドは1-2時間でジワジワと耳が痛くなることもありました。

耳の形は個人差がありますが、装着した感覚はMDR-CD900STというよりは、どちらかというとMDR-1Aとそっくりです。側圧はそこまで強くなく、私の耳ではアラウンドイヤーになるのですが、イヤーパッドが薄く、ドライバーのバッフル面が傾斜しているため、パッドの内側でプラスチックの突き出している部分が耳にぶつかり、当たりが悪いと外耳が常に押されて痛くなってしまいます。うまい具合にハウジング装着位置が決まれば3-4時間でも問題ないのですが、一度痛くなると、一旦外して小休止が必要です。

MDR-CD900STの方がパッドは薄いのですが、ドライバーに傾斜が無くバッフル面にスポンジリングがあるため、むしろそっちの方が痛くなりにくかったです。

最近のヘッドホンはドライバーを傾斜させることが流行っていますが、耳に直接ぶつかってしまうと音響も乱れてしまうので困ります。パッドのスポンジをもっと厚くすればよいのですが、そうするとドライバーとの距離が離れてしまい、パッド内で音が反響して解像感が損なわれてしまうのが設計の難しいところです。また、それでも構わないからと厚手の社外品パッドを装着してしまうと、今度は側圧が強くなりすぎて蒸れて痛くなるのも困ります。

どうあがいてもコンパクト密閉型ヘッドホンですから、イヤーパッドは慣れるしかありません。巨大なハウジングで耳周りを優雅に包み込むMDR-Z1Rのような家庭用高級ヘッドホンに慣れている人だと、こういうコンパクト機で長時間聴き込むのは辛いかもしれません。

付属2.5m・6.35mmケーブル

ロックネジがかっこいいです

付属ケーブルは2.5mの長いタイプで、プロ仕様っぽく6.35mm端子のみです。ケーブルもソニー特有の縦に切り込みが入っている絡まりにくいデザインのものです。こういう部分に技術の進化が実感できます。

MDR-CD900STはケーブルの6.35mmコネクターが近所のホームセンターで売っているような簡素なものだったので、カジュアルに使いたい人は自分で分解して3.5mmなりに換装するのが一般的でした。しかし今回MDR-M1STでは6.35mmコネクターがソニーのロゴ入りの黒光りするカッコいいデザインなので、なんだか分解改造するのは気が引けてしまいます。

ポータブルで使いたいなら2.5mはちょっと長いと思いますが(コイルケーブルではないだけマシですが・・・)、ヘッドホン側が3.5mm端子で着脱可能になっているので、必要であれば社外品の短いケーブルなどに交換することも可能です。ねじ込み式でロックできるようになっていますが、普通の3.5mm端子でも問題なく接続できます。

なおソニーも気を利かせて3.5mmグラウンド分離四極タイプになっているので、バランスケーブルを使うことも可能です。すでにMDR-M1ST発売と同時にBrise Audioなどから高級バランスケーブルが発売されているので、試してみるのも良いかもしれません。ちなみに付属の純正ケーブルもかなり品質が良いので、そのまま使い続けても一切問題ありません。

インピーダンス

再生周波数に対するインピーダンス変動を測ってみました。

インピーダンス

位相

まずはソニーの四機種MDR-M1ST・MDR-Z1000・MDR-CD900ST・MDR-1Aの比較です。MDR-1Aは残念ながら1AM2は持っていないので古いバージョンの1Aですが、だいたいこんなものだという感じは伝わると思います。

MDR-M1STは公式スペックが24Ωですが、最近のソニーヘッドホンはどれもそれくらいのインピーダンスになるよう設計されていることがわかります。社内ルールとして決まっているのか、ドライバーの特性によるものか、どちらにせよ、1kHz以上はグラフがほぼ重なっています。低音のインピーダンス盛り上がりはモデルごとに若干異なるので、このへんがハウジング設計の肝心なポイントなのでしょう。

低音に関しては位相グラフを見たほうがわかりやすいです。どれも中域でゼロ位相を広くとるような設計で、低音の回転周波数がモデルごとに違います。MDR-Z1000が一番安定しており、MDR-1Aは非常に極端です。MDR-CD900STとMDR-M1STは100Hz以下がよく似ていますが、それ以上になるとMDR-M1STの方が安定しているようです。

インピーダンス

位相

せっかくなので、他のヘッドホンとも比較してみます。デザインがよく似ているJVCモニターヘッドホン HA-MX100と、ネタ的に面白いと思ったので、約30万円の超高級密閉型ヘッドホンFocal Stelliaです。

JVCはMDR-CD900STとインピーダンス曲線がよく似ているのは面白いですね。一方Focal Stelliaは全体的になだらかで、80Hzの盛り上がりも緩やかなので、可聴帯域全体が連続した位相シフトの谷で構成されています。これが音場展開など立体感に影響を与えるのでしょう。

これらと比べて、MDR-M1STはインピーダンスも位相も極めて安定しているので、平面駆動型ヘッドホン並というほどではないものの、さすがプロ機というか、この価格帯の密閉型ヘッドホンとしては非常に優秀です。ヘッドホンアンプなどのソースを選ばず、どんな環境でも安定したサウンドが得られるというのはスタジオモニターヘッドホンらしい優れた特性だと思います。

音質とか

購入してから一週間ほどじっくり聴いてみました。

音量はとりやすいので、DAPとかでも十分大丈夫だと思いますが、せっかくのモニターヘッドホンなので(ケーブルも長くて6.35mm端子ですし)、据え置きアンプをいくつか使ってみました。

Chord M-Scaler + Hugo TT2

Questyle CMA Twelve

iFi Audio Pro iDSD + Pro iCAN

モニターヘッドホンというだけあってヘッドホンそのもののクセが少なく、アンプの音質差はそこそこわかりやすかったです。相性とかを気にするほどでもありませんが、個人的にはQuestyleで鳴らすのが一番良かったので、試聴は主にこれで行いました。


DECCAからビシュコフ指揮チェコ・フィルのチャイコフスキー集が出たので、試聴に使ってみました。

合計8時間・CD7枚相当のリリースで、交響曲全集にマンフレッドやいくつかの管弦楽曲、そしてKirill Gerstein演奏のピアノ協奏曲1・2・3も収録されている、盛りだくさんのアルバムです。

6番とマンフレッドのみ既出ですが、それ以外は同じサイクルでのライブ収録の初出なので、よくあるコンピレーションのようなダブリが少ないのも嬉しいです。2016年に発売した6番が評論家筋で好評だったため今回のリリースに踏み切ったのでしょう。ピアノ協奏曲1番以外や、交響曲も有名な4・5・6番以外は聴いたことがある人も少ないと思うので、全集として買う良い機会です。音響の評価が高いルドルフィヌムでの2015~2019年の録音だけあって音質は良いですが、俯瞰でホール残響を多めにとっている感じなので、派手さは控えめです。


Sound Liaisonというレーベルから、Reiner Voet & Pigalle44 「Ballade pour la nuit」を試聴に使いました。ヴァイオリン+リード&リズムギター+ベースというバンドで、ジプシージャズというかホットクラブっぽい演奏をします。

NativeDSDサイトで販売しているDXD録音で、ワンポイントステレオマイクでの生録です。マルチマイクと比べてセッティングが大変そうですが、全域の空間情報が正しく取り込めるため、まさに上質なライブの感触を再現できていて、このアルバムの音質は本当に素晴らしいです。小難しくない肩の力を抜いた演奏なので、試聴レファレンスとしてもおすすめです。



MDR-M1STでこれらのアルバムを聴いてみた第一印象としては、「モニターらしくコントロールが効いた音」「最近のソニーヘッドホンらしい音」だと感じました。特定の帯域ごとの鳴り方や、アタック部分の質感なんかはまさに近頃のソニーっぽいです。MDR-Z1RやZ7M2を聴いたことがある人なら、「ああ、こういう系の音か」と納得すると思います。モニターヘッドホンだからといって刺々しい解像感丸出しの刺激的なサウンドを期待していると、「思っていたのと違う」とがっかりするでしょう。

最近のソニーヘッドホンらしいというのは、まず高音はあまり派手に飛び散らからず、暗めで落ち着いたサウンドです。良く言えばコントロールが効いていて、上から下までどの音も整然と揃っています。悪く言えば、出る釘は打たれるといった感じに抑え込まれてもどかしく、もうちょっと自由でも良いのにとも思えます。MDR-M1STを聴いてからオーテクやフォステクスなどを聴くと、それらはずいぶんシャカシャカと高音が派手に鳴っているなと違いに驚くほどです。(とはいえオーテクも最新作ATH-M60xとかでずいぶん音が丸く重くなったので、最近のトレンドなのかもしれません)。

もうひとつソニーらしいと思えるのは、中域に明確な境界線があり、それより上はメリハリがしっかりしていて、下はそれほどでもない、という感覚です。具体的には、だいたい800Hzくらいから上の、たとえばヴァイオリンとかトランペット、女性ボーカルなどはかなりクッキリと再現されて聴き応えがあります。一方400-800Hzくらいの帯域の、たとえばチェロやホルン、男性ボーカルなどは、音量は十分に出ているのですが、ここだけ音が鈍いというか、躍動感やスピード感みたいなものが欲しくなります。音がスッと消えてくれないので、ダイナミックレンジが狭いとも言えます。これはMDR-M1STのみでなく、最近のソニーでよく感じる共通点です。


モニターヘッドホンとして優秀だと思える点も二つあります。まず、すべての音が耳からの距離感が一定で、聴き取りやすいです。ただしコンサートホールみたいな臨場感・立体感みたいなものはほとんど出ません。

こういうところが家庭用のMDR-Z1R・Z7M2などとは違うところです。それらは前方遠くに広く展開してくれますが、MDR-M1STは同じ量の情報が、より間近の狭い面積にすべて敷き詰められています。絵画を眺めるのではなく新聞を読むような感覚で、必要な情報が目前に突きつけられるという感じがモニターヘッドホンらしいです。

モニターヘッドホンらしい思える二つ目のポイントは、音量の変化で音が暴れないことです。これは実験してみればすぐにわかる事ですが、MDR-M1STはアンプのボリュームノブを小音量から大音量までグイグイ回しても、鳴っている音がぴったり同じ位置で、ぴったり同じ音色で鳴ってくれます。当然の事に思えるかもしれませんが、悪いヘッドホンでこれを試すと、音量が変わることで、ハウジング反響でエコーやピークが生まれたり、ドライバーが歪んでコンプレッションっぽくなったりします。

MDR-M1STでは、かなりの大音量まで上げても全然普通に聴けます。つまり、周波数特性が十分にフラットで、特定の帯域だけピーキーに盛り上がるようなことが起こらず、そして歪んだり潰れたりするまでの性能限界が非常に高いということを意味します。まさにモニターヘッドホンらしい特徴です。

フルオーケストラのライブ録音とかで、個々の楽器をずっと追っていれば気づきます。弦セクションがどんどんクレッシェンドするとか、ピアノのソフトなパッセージから急にフォルテシモがズドンと鳴るときとかでも、音源位置がピタッと定まり微動だにしません。

つまり展開に惑わされず、ずっと楽器を耳で追えるという事です。フルートやオーボエのソロなどでも、音階が上がるにつれて演奏者の位置が徐々に動いてしまう(もしくはある音階で急にハウジング反響が入ってくる)などというトラブルがありがちですが、M1STはそういったことが起こりにくいです。

音量を上げても鳴り方が変わらない、というのは、実用上かなり役に立ちます。Youtube動画のナレーション編集とかでも、ちょっと気になった箇所に戻って、グッとボリュームを上げて滑舌やノイズをチェックするといった作業を不快感無くスムーズに行なえますし、それがヘッドホン由来の歪みやノイズではないという安心感は大きいです。他にもマイクセッティングやアウトボード機材のノイズ確認とか、インサートのバランス調整など、目視に頼らず耳だけで追い込めるというのは大事で、リアルタイムで素早く正しさを導くことは、下手なヘッドホンでは苦労します。

ではリスニング用ヘッドホンとしてはどうかというと、音そのものの魅力、空間展開の臨場感といった、優雅な音楽鑑賞に必要不可欠な部分はかなり貧弱です。

空間展開が狭く、前後の奥行きが上手く出せないのは致命的です。ピアノ協奏曲を聴いても、ソリストとオケが全く同じ距離に居て、ホールの奥行きが再現しきれていません。常にすべての楽器音が周囲3mくらい離れた場所にある壁に投影されているような、ベタッとした鳴り方です。

すべての楽器が狭い空間に詰め込まれて余裕がないのが、リスニングヘッドホンとして良くないです。沢山の情報を同時瞬時に分析する必要があるなら最小スペースに詰め込むことが良いのでしょうけれど、小説を楽しむのに国語辞典の文字サイズだと辛いということです。情報量は多い方が優れていると思われがちですが、同じ情報量であっても、より遠く広いスペースに分散されたほうが、意識を圧倒されないので、肩の力を抜いて聴きやすくなります。

こればっかりは、このサイズの密閉型ヘッドホンの宿命なので、どうしようもないでしょう。もっと上を望むなら、それこそ開放型ヘッドホンか、密閉型でも高級な音響素材をふんだんに投入した大型ハウジングの高級モデルになってしまいます。

モニターヘッドホンといっても、HD800などのようなマスタリング向けのレファレンスモニターとは用途が違うので、もしコンサートホール的な広々とした音場展開を体験したいのなら、そういった別のヘッドホンを使うべきです。MDR-M1STになにか格別お買い得なリスニング用ヘッドホンを期待していると期待はずれかもしれません。

MDR-M1STとMDR-CD900ST

ドライバーの比較

まずはMDR-CD900STと比較してみました。

先程MDR-M1STがスタジオモニターらしいとして挙げた、音像が一定距離にピタッと安定している点と、大音量でも崩れない点は、MDR-CD900STでも健在です。

それ以外では、MDR-M1STの方が新設計だけあって優れていると思える点がいくつかありました。

まず、MDR-M1STはMDR-CD900STと比べて高音楽器がクッキリと正しい質感で鳴るようになったので、まさにハイレゾ世代という話に説得力があります。MDR-CD900STはヴァイオリンくらいの高音楽器がかすれ気味で乾いた感じになりがちです。とくに高音の生楽器が多い音楽はMDR-CD900STでは対応しきれなくなり、ドライバーが無理をしているように聴こえてしまいます。高音がキツいとよく言われがちなのは、量が多いというよりも鳴り方の問題だと思います。

低音の表現もずいぶん変わりました。MDR-M1STで400-800Hzの中低域にメリハリが足りないと言いましたが、MDR-CD900STではそれがさらに悪く、音がボワッと拡散して、ランダムに響いてきます。MDR-M1STではダイナミックさがもうちょっと欲しいというだけで、音像自体はちゃんと定位置を維持していて乱れません。

それより下の低音、特に100Hz以下は、MDR-M1STは最近の設計らしく、バスレフやサブウーファーっぽく空気を動かしているように感じられますが、MDR-CD900STでは低音楽器がハウジング内でアバウトに拡散され、まるでモノラルかのようにステレオイメージが欠落しています。たとえばコントラバスが100Hzの音を鳴らしたら、その基調音ピークがズシンと決まるのではなく、50-200Hzくらいのなだらかな山でモコッと表現される感じです。ティンパニのロールがゴロゴロと鳴ると、ハウジングのせいか、多方面に拡散している感覚が伝わります。

双方を聴き比べてみて感じるのは、どちらも音楽全体というよりは声の帯域が正しく鳴ることを第一に置いて設計されている事です。MDR-CD900STは有効に使える帯域が800Hz-2kHzくらいに限定されており、そこから外れるとかなり使いづらいというか、古さを感じさせるのですが、MDR-M1STでは有効帯域がもっと広く拡大され、そこそこ低音や高音楽器までカバー出来ています。

MDR-CD900STからMDR-M1STに乗り換えると、はじめのうちは音声やソロ楽器以外の周辺音が増えて、狭い空間内に密集するような感覚に戸惑いますが、慣れてくればちゃんと脳内で分離してくれるので、新たな情報量が増えたことにありがたみを感じます。

MDR-M1STに唯一不満があるとすれば、低音の力強さを出すためにサブウーファー的にドスンと空気が動いてしまう点です。モニターヘッドホンとしてはちょっと違和感があります。

もっと上級な大型ヘッドホンになれば、こういった低音楽器のリアリズムが音色・空間配置ともに改善されるので、やはりそういった意味では価格相応のヘッドホンデザインだということです。


MDR-M1STとMDR-Z1000
ドライバー比較

次に、2010年発売のソニーMDR-Z1000です。ソニーいわく「レファレンススタジオモニター」と呼んでいる、定価5万円の上級ヘッドホンです。

こちらは50mmドライバーを搭載しているので、40mmのMDR-M1STと比べて一回り大きいです。マグネシウム合金ハウジングや、バッフル面のデザインなどもかなり丁寧に仕上げてあるので、質感だけでもワンランク上のモデルだという事が感じ取れます。

ハイレゾオーディオを促進するためにコンシューマー機のMDR-1Rと同時に発売したソニー渾身のプロ用ヘッドホンなのですが、マイナーな存在で、意外と知らない人も多いかもしれません。

ソニーがどういう経緯で開発したのか知りませんが、私の勝手な想像では、MDR-CD900STがラジオ・テレビ放送やライブハウスなど、リアルタイム音声に特化したヘッドホンで、一方MDR-Z1000は制作会社や録音スタジオでのミキシング用途など、じっくり腰を据えたポストプロセスに向いているように思います。

やはりこのMDR-Z1000もソニーのモニターヘッドホンらしく、中高域がクリアで、中低域の400-800Hzくらいが鈍い印象です。

MDR-M1STのような低音のサブウーファー感はMDR-Z1000ではほとんど感じられないので、さすが大口径ドライバーと、堅牢で響きにくいマグネシウムハウジングのおかげかと思います。100Hz以下の低音はMDR-M1STよりもかなり自然で、ハウジングの存在が目立たず、前方に楽器のイメージが正しく形成されているように感じられます。

そのかわり、中低域のホルンやチェロといった楽器がどうも歯切れが悪く、響きがずっと後を引くようなので、多分このあたりがハウジングで響いているのかと思います。メリハリがはっきりしておらず、常になんらかの音が延々と響いているような環境に包み込まれます。

高音も柔らかい弦楽器やザワザワした空気の感じとかがよく出ており、たくさんの個別音像が詰め込まれているというよりは、たくさんの音響で溢れかえっているような、音響メインのヘッドホンです。

つまりMDR-CD900STやMDR-M1STが声の帯域のクリアさに集中しているのに対して、MDR-Z1000はもっと広帯域な音楽全体の雰囲気や空気感みたいものを再現することが得意なようです。

MDR-M1STとMDR-1A

ドライバー比較

MDR-M1STとMDR-1Aを聴き比べてみました。どちらも40mmドライバーですが、MDR-1Aは振動板がアルミコートされているため、高音のレスポンスが向上しているはずです。ただし振動板をコーティングすると独特のクセみたいなものも生まれるので、スタジオモニターヘッドホンとしてはそれを嫌って、MDR-M1STはあえてコーティングしなかったのだと思います。

MDR-1AとMDR-M1STはデザインがよく似ているものの、サウンドはやはりMDR-1Aの方が家庭用っぽさが目立ちます。全体的に表現が緩く、MDR-M1STよりも前方の立体的な奥行きが出せているものの、奥に行くほど解像感が失われるので、映画的というか、背景は遠くへ追いやるような、主役とBGMをしっかり分けるタイプです。低音も映画の爆発音とかがズシーンと響く感じなので、臨場感がありますが、音楽で使うにはちょっと過剰演出気味です。

音色の傾向は似ていますが、MDR-M1STほど狭い面積に多くの音を詰め込んでいないため、ソースの良し悪しに左右されにくく、聴きやすいです。とくにストリーミング動画とかを気楽に見るなら、MDR-M1STだと音声の粗さとかにシビアになってしまいがちなので、MDR-1Aの方が向いていますが、もうちょっとじっくり細かい部分まで集中して聴き取ろうと努力すると、MDR-1Aでは滲んで解像の限界にぶつかってしまい、もどかしく感じることもあります。

M1STとHA-MX100

ドライバー比較

JVC HA-MX100はビクタースタジオのプロフェッショナルモニターヘッドホンで、デザインはMDR-M1STやMDR-CD900STとそっくりなのですが、サウンドはかなりの美音系でほんわかした、非常に聴きやすいヘッドホンです。

今回のソニー四機種とは鳴り方が明らかに違ったので、やっぱりメーカーが違うとここまで音楽性の解釈が違うのかと驚かされました。

とくに今回、ピアノの音が艷やかでキレイだと感じたのは、このヘッドホンのみでした。手頃な価格とサイズ感で、音楽鑑賞メインで使いたい人は、HA-MX100はかなりおすすめです。

硬派を気取ってソニーのモニターを買っても、リスニングメインならかえって逆効果だと思います。一方このJVCはあまりにも色艶が濃すぎて、全てが良く聴こえてしまうため、モニターヘッドホンとしてシビアな使い方をするには向いていないように思えます。

正確に鳴っている方が「良い音」ではないのか、と疑問に思うかもしれませんが、音が美しい、美しくない、というのとは別問題なので、なかなか実際聴いてみるまで理解してもらえないかもしれません。たとえば優雅な緩徐楽章とかをJVCで聴くと、ピアノのキラキラした音色や、ふわーっと広がるオーケストラなんか「キレイだな~」と染み渡る感覚が得られます。あまりにも優秀なリスニングヘッドホンなので、JVCは売り方がつくづく下手だなとすら思えてしまいます。

ちなみにHA-MX100の低音は、バスレフっぽくズシンと響くので、これを買った当時はずいぶんモニターヘッドホンらしくないなと思ったのですが、MDR-M1STも似たような鳴り方になったので、きっと最近はこういう音が求められているのでしょう。

おわりに

今回MDR-M1STを聴いてみて感じた肝心な点は、このヘッドホンがプロっぽいからといって、なにか魔法のような完璧さや、音質向上効果を期待したりしても、それは違う、という事です。

STUDIO MONITORと書いてあります

20年前のMDR-CD900STがそうだったように、今回のMDR-M1STというのも、あくまで「スタジオモニターヘッドホンとして」割り切って使う分には非常に優秀なヘッドホンです。3万円台という値段で、ここまでの完成度を引き出せたことは絶賛したいです。

私にとってスタジオモニターヘッドホンの用途というと:
  • ラジオプレゼンター、ナレーターなど、自身のリアルタイムモニター
  • オーケストラやバンドなどミュージシャンのセッション中フォールドバック
  • イベント会場マイクセッティングなどロケーション作業
  • ライブ演奏のフィールドレコーディング中モニターフィード
・・・といった状況が思い浮かびます

具体的には、音声をメインに安定した駆動が得られ、幅広いシチュエーションで破綻しづらく、コストパフォーマンスが高く、堅牢で、無難で、買い替えが容易、という事です。30人のロケーションスタッフ全員に経費で揃えて、作業が終わったらまとめてダンボールに放り込む、という用途に、下手な高級ヘッドホンは選べません。つまり商業用ミニバンや軽トラであって、高級セダンの乗り心地ではありません。

ところで、「スタジオモニターヘッドホン」というカテゴリーは定義が曖昧なので、そこに何を求めるかは人それぞれ解釈が異なります。こういったモニターヘッドホンが、音楽鑑賞においても、なにか伝説的で、完璧な、最高のものである、という誤解もよく耳にします。

ことの発端は、多分自宅のパソコン上で、少ない投資で音楽や動画制作を一人でやってしまう人が増えてきたせいだと思います。いわゆるプロデューサー兼アーティストというものですが、場合によっては生楽器やマイクに一度も触れずにパソコンの中だけで音が完結してしまう人もいます。

そういう世界中のプロデューサー志望の人に大好評で売れているのが、MDR-CD900STや、オーディオテクニカATH-M50xであったり、ベイヤーダイナミックDT770だったりします。相当古いモデルになっても、未だに口コミで売れる販売数が尋常ではありません。DTM専門誌などで取り上げれれるのも大体これらばかりです。

つまりそれらが本来のリアルタイムなモニター用途から拡大解釈されて、単体で作品の完成まで見届けるまでの使い方に変わってしまい、その連鎖として、他人の作品もそういったヘッドホンで聴くのが正しい、という誤解に繋がった、というのが私の勝手な解釈です。

そういった環境で作られ、聴かれる音楽は、音が壁のように平面的で空間展開が乏しく、とくに低音のリアリズムが欠けている作品になりがちです。

これはスタジオにおけるニアフィールドとメインモニタースピーカーの役割分担にも似ています。趣味の延長で自宅でレコーディングしたいという人が、いきなりプロ用300万円のメインモニタースピーカーを買う余裕はありませんし、組み込むための部屋の改修も大変です。それなら、まず卓上ニアフィールドスピーカーのみで作業を行う、というのは納得できますが、それだけでは結果的に限られた視点での評価しかできません。

静かなポストプロダクション環境であれば、本来は大型メインスピーカーも合わせて使うべきで、どうしてもヘッドホンが必要なら、ATH-R70x・SRH-1840・HD660S・HD800なり、帯域が広く、空間定位が優秀な開放型ヘッドホンも必要不可欠です。実際に大手レーベルのスタジオを見ても、最終的にはスピーカーもしくはそういう開放型ヘッドホンを使っているので、使い分けが大事というのがわかります。

音楽を聴く側としても、MDR-M1STは3万円台としてはかなり優秀ですが、リスニングのためのヘッドホンならソニー自身からもMDR-Z1R・MDR-Z7M2があるように、上を目指せば他にも良い候補はいくらでもあります。

たとえばMDR-M1STの延長線で、5万円くらいの密閉型モニターっぽいヘッドホンということなら、個人的にはベイヤーダイナミックDT1770PROを職場でずっと愛用しています。Shure SRH1540とかも悪くないです。

MDR-M1STよりも優れているとは断言できませんし、何がそんなに良いのかと説明するのは難しいですが、ようするに「たまには他のヘッドホンでも試そうか」と気分転換に交換しても、一日経ったら必ずDT1770PROに戻ってしまう、というのをかれこれ4年ほど繰り返しています。

同じ密閉型ヘッドホンでも、たとえば8万円くらいで、自宅でじっくり腰を据えて音楽を楽しむとなると、私はフォステクスTH610を使う事が多いです。20万円あればソニーMDR-Z1Rとかも買えますが、私は8万円のTH610に純正ケーブルのままでずっと落ち着いているので、それが自分なりの満足な水準のようです。

最近ではFocal Stelliaなんかを試聴してみて、密閉型ヘッドホンもここまで来たかと関心しました。35万円なのでMDR-M1STの10倍もするヘッドホンです。

ではそれらはスタジオモニターヘッドホンなのかというと、ではスタジオモニターヘッドホンとは何か?という禅問答みたいな話になってしまうので、結論にはたどり着けません。

何を言いたいかというと、用途がなんであれ、良いヘッドホンを探し求めると、どんどん上を見てしまいがちですが、試聴を繰り返せば、自分の予算とニーズの範囲で必ず満足できるモデルが見つかるという事です。

1万円台の密閉型でもMDR-CD900ST・HD569・ATH-M50xなど優れたヘッドホンがあるように、5万円くらいまでならMDR-M1STが作り込みの完成度や不満の少なさという点ではとても優秀で、これ以上はなかなか望めません。

ヘッドホンマニアにとって、とりあえずこれが一台手元にあるだけで、モニターとしての役割は十分で、もっと上の価格帯モデルは思い切り派手に自分の趣味に走れるという免罪符のようなヘッドホンだと思います。自分の愛用ハイエンドヘッドホンがどれだけ非難中傷されようと、「いや、真面目な用途にはMDR-M1STを持ってるし」と言えば済んでしまいます。