Noble Audio M3 |
2020年2月発売のIEMイヤホンで、価格は約9万円、BAでもダイナミック型でもない、全く新しい「アクティブ・バランスト・マグネティックドライバー」というのを搭載した新機軸モデルということで、一体どんな音がするのか気になって聴いてみました。
Noble Audio M3
M3は発売価格88,000円ということで、ハイエンド志向なNoble Audioブランドとしては比較的低価格な部類に入るのですが、内容はかなり奇抜です。ABM+10mmダイナミックドライバー |
低中域用10mmダイナミックドライバーの上に高域用アクティブ・バランスト・マグネティック(ABM)ドライバーというものを重ねて配置した2WAYタイプです。
Noble Audioといえば、近頃は上位モデルKhanやSultanで高域用ピエゾ素子ドライバーを採用するなど、面白い独自路線を目指しているのですが、このABMもその一環のようです。あえてフラッグシップではなく低価格機に入れてきたということは、市場の反響を伺う試作機のような扱いなのでしょうか。
Kaiser 10のカスタムとユニバーサルタイプ |
Noble Audioの歴史を簡単に振り返ってみると、2013年に10BAのKaiser 10というIEMを発表して一躍有名になったイヤホンメーカーです。現在に至るまでKaiser 10は殿堂入りの銘機として、多くのイヤホンメーカーの指標となっています。
10基以上のドライバーを搭載したイヤホンはもはや珍しくもなくなりましたが、単に数を増やすだけで音が良くなるわけではなく、未だにKaiser 10のサウンドを凌ぐモデルは稀です。
Noble Audioがハイエンド界隈でこれだけ人気になったのも、創業者でデザイナーのJohn Moulton氏が通称「The Wizard」として一躍有名になり、彼が手掛けた独創的なアイデアが広く共感を得たからです。
アメリカ出身で、本業は難聴治療や補聴器などを手掛ける聴覚技師だそうで、東南アジアをベースに多くの患者を見てきた経験を元に、趣味でイヤホンを作るようになり、それが口コミで広がり起業したようです。
そもそもBAドライバー自体が補聴器用に開発されたものですし、医療現場での経験が豊富な聴覚学のプロであれば、人間工学に基づいた設計に精通しているのでしょう。このあたりはミュージシャンや業務用オーディオを原点とするShureやJH Audioなどとは真逆の方向から参入しているのが面白いですね。
美しいカスタムIEM |
Kaiser 10を含む初期のモデルは耳型をベースに特注するカスタムIEMが主流で、以降量産型のユニバーサルタイプも発売されましたが、やはりNoble AudioといえばカスタムIEMの美しいデザインが有名です。Wizard Designと称して、ロット生産で美しいフェイスプレートデザインを生み出し、それをネット上で限定販売するという、アーティザン工房のようなビジネスモデルを長年続けてきました。誰でも買える大量生産品とは違い、世界に二つと無い自分だけの別注品として所有する満足感があります。
カスタムIEMでは好評を得てきたNoble Audioですが、さすがにすべて手作りなのでイヤホンブーム(とくに中国ファンの急増)の需要拡大に対応できなくなり、量産型のユニバーサルタイプにも力を入れるようになりました。
ユニバーサルタイプのKaiser 10 |
カラフルなアルミハウジングを採用した第二世代ユニバーサルモデルはとくに印象的で、2015年には最上位で約20万円のKaiser 10から、3BAで55,000円のTridentまで、6モデルのラインナップを展開していました。2016年には新たに独自開発のBAドライバーを搭載したKaiser 10 Encoreと9BAのKatanaを発売しています。
イベントやネットインタビューなどで何度か耳にしましたが、この頃からNoble AudioはマルチBA型の発展に行き詰まりを感じていたようで、現状をひとまず完成形として、むやみなモデルチェンジは保留したようです。
ちょうど当時BAドライバーの特許が切れて、中国で安価なドライバーやそれを搭載した新興ブランドが乱立し、とくに初心者を中心に、音質ではなく単純にドライバー搭載数だけを求めるようになったことで、Noble Audioのような小規模ガレージメーカーは不毛な戦いを強いられる事になります。
どのみち町工場程度の規模なので生産数には限りがありますし、普及価格帯を狙ったところでコスト面では中国の新興ブランドには敵わない、というジレンマで、なかなか次の一手が見つからなかったようです。
BAドライバー自体の性能に限界がある以上、物量投入以外でのイヤホンの価値の差別化も困難になってきています。(そのため、多くのメーカーはハイブリッド型などに移行しています)。幸いカスタムIEMや最上位Kaiser 10 Encoreなど主力商品は好評に売れ続けていたのがせめてもの救いです。
一番の問題は、Noble Audioのユニバーサルタイプは一見してわかるように、アルミ切削のデザインやクオリティへのこだわりが強すぎて、他社と比べて利益率が悪いという事だったらしいです。確かに3Dプリンターやプラスチックを流し込むだけの他社製イヤホンと比べると、数倍のコストがかかっていそうです。
Noble Audioに転換期が訪れたのは2018年で、「The Wizard」John Moulton氏の兄Jim Moulton氏が新たな共同経営者として迎え入れられました。Jim氏はそれまで同社やオーディオ業界とは全く無縁で、本職は企業法務専門の弁護士です。ハイテク系のプロジェクトマネージメント経験もあるということで、彼の参加でNoble Audioの経営プランに大きな変化をもたらしたようです。
この頃から着々と変化が見られており、まず従来のマルチBA型ユニバーサルシリーズが徐々に市場から消えていき、初期型Kaiser 10も低コスト化してMassdropに放出することで、フラッグシップKaiser 10 Encore・Katanaとの差別化を図ります。
さらに、カジュアルな低価格イヤホンEDCシリーズや、完全ワイヤレスイヤホンFalconを発表、特にこのFalconは異例のベストセラーになります。それまで完全ワイヤレスといえばファッションガジェットとして音質に期待できないという風潮の中で、FalconはハイエンドIEMメーカーが真剣に取り組んだモデルとして「とにかく音が良い」という事で口コミで人気になりました。
オーディオマニア向けユニバーサルイヤホンにおいては、ありきたりなマルチBAやダイナミック型の焼き直しではない全く新しいドライバーの開発に専念していたらしく、長らく音沙汰が無い時期を経て、2019年中盤以降Khan・Tux 5・M3・Sultanといった意欲作を続々発表しています。
現在これを書いている時点では、公式サイトを見ると、旧世代のユニバーサルモデルは残すところ最上位Kaiser 10 EncoreとKatanaのみとなっています。そもそもNoble Audioの場合、すべてのモデルがロット生産なので、販売終了という概念自体が無く、一定数量を一気に作って売り切ったら終わりで、需要があれば再度作り直す、という繰り返しです。カスタムIEMにおいては、今のところ従来のマルチBA型を継続しており、Khanのみカスタム版も販売しています。
新作ラインナップを見ると、基礎となる17万円のTux 5は1ダイナミックドライバー+4BAのハイブリッド型で、29万円のKhanはさらにその上にピエゾ素子ドライバーを搭載、そして近日発売の最上位Sultanはピエゾドライバーを2基搭載、という構成になっています。Khanのみ以前ブログで紹介しましたが、ピエゾドライバーの効果が実感できる次世代のサウンドです。
デザインやコンセプトを見る限りでは、安易にラインナップを広げるのではなく、カスタムIEMモデルと同じクオリティで、特別感のあるニッチなモデルを少量生産するという路線を目指しているようです。実際、多くのIEMブランドが急速な拡大路線で無難な大衆向けに成り下がり失敗するのを見てきたので、Noble Audioの選んだ道は正解かもしれません。
M3
今回紹介するM3は、これら新作ラインナップの中でも極めて異色の存在です。冒頭で紹介したように、10mmダイナミックドライバーの上にアクティブ・バランスト・マグネティック(ABM)ドライバーを導入しています。
このドライバーはNoble独自のアイデアだそうで、名称もNobleが決めたそうです。
公式の図解 |
公式サイトのイラストを見ると、二つの磁石の間に薄い振動板が挟まれており、前後のコイルに音楽信号を流す事で動くという感じです。確かにマグネットがアクティブにバランスされている、名前の通りの構造です。
メリットとしては、一般的なダイナミックドライバーのようなコーンの押し引きの特性差が無く、BAの様な棒で振動板を押し引きする間接駆動ではない事などが挙げられます。
印象としては静電型に近い感じでしょうか。平面駆動型のように振動板自体に信号を流すのとは異なります。構造自体はBAドライバー内部のアーマチュアを振動板に見立てたような、確かに面白いアイデアですが、これでバイアス無しで大振幅を得るのは困難なようにも思えます。
上位モデルのピエゾドライバーと同様に、M3ではABMドライバーは高域のみに使われているので、あくまでサポート役という感じのようです。
パッケージ |
ちなみにこのあいだNoble Sageについて紹介した際に、M3をぜひ聴いてみたいと書いていたのですが、奇遇にも店頭でパッケージが若干潰れて損傷したものを格安で手に入れることができました。
内箱 |
パッケージは相変わらずNoble Audioらしいこだわりを感じます。スリップケースを外すと、黒い厚紙箱は複雑な模様になっています。相変わらずフタが開けづらいので、それだけは改良してもらいたいです。
付属ケース |
中身 |
付属ケースが本物のペリカン1010なのが嬉しいです。銃火器から極地探検まで重用される米国の一流ハードケースメーカーなので、このケースも単品3000円くらいで、イヤホンケースとしては大振りですが一番安心できます。余談になりますが、同じペリカンケースでもフタがクリアなタイプは内側にスポンジが貼ってありませんので、アウトドア用品店などで購入の際は注意してください。
前回紹介したSageではもう一つ円筒形のプラスチックケースが付属していましたが、M3はペリカンのみです。個人的にあれは別に無くても困りません。
アクセサリー |
ケース以外では、イヤピース各種とクリーニングブラシと収納ポーチ、そしてオマケとしてロゴ入りゴムストラップとステッカーが入ってました。
ところで、いつも思うのですが、オマケのステッカーがペリカンケースに貼るには大きすぎます。イヤホンをたくさん持っていると、それぞれのケースの中身を判別するために貼れるシールが付属していれば嬉しいのですが。
M3 |
裏面 |
M3本体はこれまで以上にカスタムIEMを意識したデザインになっています。半月型のコンパクトなプラスチックハウジングで、フェイスプレートは大理石のような模様の綺麗な素材が埋め込まれています。本体下面にはWizard Designを表すサインが印刷されています。
これまでのユニバーサルタイプであれば、通常版はアルミハウジングで、それとは別に、奇抜なフェイスプレートのWizard Designは限定ロットとしてリリースしていたのですが、M3の場合は全体の生産数自体がそこまで多くないので、すべて手作りのWizard Design仕様にしたそうです。
M3の特殊バリエーション |
普通に店頭で流通しているM3は私のと同じような茶色い大理石のようなデザインになりますが、米公式サイトを見ると、通常モデルよりも割高な別デザイン版も数量限定で販売されているようです。
KhanとKhan Prestige |
ちなみにKhanの場合は、通常モデルはWizard Designと呼ばれておらず、Wizard DesignのものはKhan Prestigeという名称で販売されています。
本体とケーブル |
それにしても、このWizard Designというのは賛否両論が大きく分かれるのが面白いです。誰もが見てすぐに気がつくような既製品の高級イヤホンを見せびらかしたい人もいれば、マニアでも判別できないような一点物に密かなこだわりを感じる人もいます。とくにM3は一見ただの川辺で拾った茶色い石みたいな感じなので、クオリティのわりに地味で目立たない存在です。
もちろん音質とは無関係の単なるデザインの話なのですが、高価な嗜好品として見た目は重要ですし、外観がショボいメーカーは、きっと中身の組み立ても杜撰だろうというのも一理あると思います。
2ピン端子 |
付属ケーブル |
ケーブルは新設計の編み込みタイプで、かなり良い感じです。太いですがロープのように柔軟で、クセが無いので、非常に扱いやすいです。
3.5mm端子も高級感があって良いですし、Y分岐部品にそこそこの重量があるので、装着時にケーブルが自重で垂れ下がってホールド感が安定するのも良いです。
イヤホンへの接続は2ピン端子です。このように2ピン端子が露出しているデザインはアクシデントで曲げてしまいそうで心配になるので、個人的にはUnique Melodyなどのようにコネクターが奥までしっかり挿入できる設計にしてもらいたかったです。
スライダー部品 |
Y分岐部品にA0001と書いてありますが、ケーブルの型番でしょうか。シリアルナンバーではありません。
ケーブルについて唯一不満を挙げるとすれば、Y分岐のスライダーが丸い金属部品なのですが、ケーブルを通す穴のエッジが結構尖っており、ケーブル外皮が引っかかって破損しそうです。できればエッジに面取りを施すとか、テフロンなどのブッシュを入れてもらいたかったです。
ケーブルについては、前回「IEMケーブルの音質」にてNoble Sageのケーブルの問題について取り上げましたが、今回のケーブルは太いOCC線材でインピーダンスが往復0.2Ω程度なので、わざわざアップグレードする必要が無いくらい優秀です。
ノズル角度 |
Noble Audio Sageと比較 |
とても薄いです |
M3のデザインは従来のユニバーサルモデルと比べてコンパクトになり、とくにハウジングが非常に薄いのが良いです。装着時にほぼ耳穴をピッタリ埋める形になり、外へ張り出しません。
個人的に、イヤホンの分類として「ソファやベッドで耳をクッションに当てても大丈夫なモデル」というのを重宝しているのですが、このM3も合格点をあげる事ができます。他の候補としてはWestone/Shureや、ゼンハイザーIE60なんかが良い例です。
装着感は比較的良好ですが、イヤピースを装着するノズルが一般的なIEMイヤホンと比べて短いため、正しいフィットを得るためにはイヤピースの選択が重要です。
上の写真のUltimate Earsくらい奥の方まで挿入できればフィットや遮音性は高まりますが、慣れないと耳栓のような不快感は増すので、その絶妙なバランスをとるのがイヤホン設計の難しいところです。
イヤピース |
M3の場合、もしイヤピースが小さすぎて、耳穴に密着するよりも先にハウジングが外耳に当たってしまうようでは、低音がスカスカになってしまいますし、逆にイヤピースが大きすぎて、グッと押し込んでもハウジングが浮いてしまうようでは、中域のクセが増大します。装着感よりも音質面で小さすぎず大きすぎず理想的なフィットを得るのが結構難しいです。
M3に限った話ではありませんが、このように面積の広いイヤホンは外耳が歪むことでハウジングが外に押し出されやすいです。装着時に眉間を動かしてみて(そうすると外耳が変形するので)、それでイヤピースが簡単に外れないか確認してみてください。少しでも隙間があると低音が逃げてしまいます。
ちなみにイヤピースはFinalやSpinFitも良かったのですが、M3のノズル部分が短くツルツルしているため、着脱時に外れて何個か無くしてしまったので、私の手持ちではAZLAやAcoustuneのような芯が硬いタイプが外れにくくて相性が良かったです。
インピーダンス
インピーダンスを測ってみました。Noble Audioといえば、かなり無茶な(アンプに負担がかかる)設計をする印象がありますが、M3も例にもれず極端な結果になりました。低域から中域にかけてのダイナミックドライバーは16Ωで安定していますが、1kHzから上はABMドライバーとのクロスオーバーになり、最終的に25kHzで3.1Ωにまで低下しています。
つまりABMドライバー単体のインピーダンスが極端に低いため、そのままイヤホンで使うにはちょっと無理があるようです。ちなみにKhanはインピーダンスの下限が8.5Ω (10kHz)だったので、そっちの方が実用的です。
先日「IEMケーブルの音質」で紹介したように、インピーダンスが低すぎるとアンプの性能次第で音が変わりやすくなってしまいます。逆に、アンプの性能に依存せず、どのアンプを使っても同じように良い音で鳴ってくれるのが優れた設計と言えます。
前回AK SR25のレビューでも見たとおり、最近のアンプ設計を見る限りでは、25~50Ω程度が定電圧が維持できる下限なので、それくらいのインピーダンスで感度が高い(dB/Vが高い)イヤホンを設計できればベストなのですが、それを実現するのは難しいようです。
ようするにM3は高域に向かってケーブルやアンプの性能に音が左右されやすい、という点に注意すべきです。
音質とか
今回の試聴では、いつもどおりHiby R6PROを使いました。M3の能率はイヤホンとしては一般的な部類で、DAPでも十分な音量が得られます。静かなクラシック音楽でもR6PROのボリュームは40%程度で十分です。
R6PRO |
まずはじめにM3の第一印象ですが、このイヤホンはかなり強烈で、個性的なサウンドです。決して万人受けする無難なモデルではなく、音楽ごとに相性の良し悪しが激しく現れます。
具体的には、高域と低域が目立ち、中低域が控えめな、V字ドンシャリです。音抜けや開放感がとても良いのですが、周波数バランスが独特です。
エージングでもうちょっとバランスが良くなるかと思い、一週間ほど鳴らしっぱなしで、毎日二時間程度は装着して使ってみたのですが、目立った変化は見られませんでした。
先程のインピーダンスグラフを見て想像できるように、低域用ダイナミックドライバーと高域用ABMドライバーがそれぞれが個別に頑張っており、その中間に大きな穴があるようなサウンドです。
Khanを試聴した際も、高域用ピエゾドライバーが他のドライバーの上にポン付けされたような「別物」感があったのですが、M3のABMドライバーはそれ以上に目立ちます。
KhanとM3の根本的な違いは中域用BAドライバーの有無です。KhanはBAドライバーがダイナミックドライバーとピエゾドライバーの橋渡しのような、穴を埋める役割を果たしていたのですが、M3ではそれが不在のため、ここに大きなギャップを感じます。
ただし、音色自体はハイエンド相当に優秀ですし、クリアな爽快感は独自の魅力があるので、完全に悪いとも言えず、肝心のチューニングの部分で実に「惜しい」イヤホンだと思いました。
ACTレーベルから、Matthieu Saglio 「El camino de los vientos」を聴いてみました。リーダーはチェロとボーカル担当で、彼を中心にNguyên LêやNils Petter MolværなどACTスターが活躍する、ジャズというよりも親しみやすいワールドミュージックっぽいアルバムです。
リーダー自身はフランス・スペイン・北アフリカ音楽の流れに影響を受けていますが、今作では他ジャンルのゲストを迎える事でスタイルの幅を広めています。全曲オリジナルですが、それぞれバンドやアレンジが全く違うので、聴き応えがあります。
このアルバムは曲ごとに楽器や作風の幅が広いので、イヤホンとの相性を調べるテストアルバムとしては最適です。
まずM3の派手な高音についてですが、明確なピークが感じられるのは3kHz付近の中高域のみで、それよりも上のプレゼンスやドラム・パーカッションの金属音などは、たしかに目立つものの、不快というよりもむしろ魅力に貢献しています。
低音はイヤピースの密着度で量が変わるので注意が必要ですが、奥までしっかり装着できていれば、とても力強く重みのある低音が楽しめます。ハウジングが完全密閉型で通気孔が無いため、ふわっと広がるような柔らかい低音ではなく、彫りが深く躍動感のある密閉型らしい鳴り方です。このあたりはさすがにベテランメーカーらしく、上位モデルKhanと比べても遜色無いクオリティを保っています。どちらも同じドライバー設計なのかもしれません。
これらの特性のおかげで、このアルバムでも特にドラムとベースのコンビネーションにおいて、他のイヤホンでは味わえないような凄い鳴り方をしてくれます。しっかりと体感できるウッドベースの重厚な音色を中心に、高域が前後・上下に扇状に広がっていくような三次元の浮遊感があり、ドラムや効果音が頭上周囲の広大な空間に描かれるイメージです。
高音・低音ともに、耳への音圧の圧迫感や、空気の詰まりがほとんど無く、しかも耳穴への装着が浅く軽快なこともあって、音抜けの良さが格別に良いです。楽器ごとの分離や解像感は素晴らしく、空間エフェクトが効果的に現れるため、楽曲によっては、まるで何も耳に装着していないような開放感が体験できます。ただし、密閉型なので、開放ポートのあるT9iEやIE800Sのように現実の騒音や環境音に音楽が溶け込むのではなく、外部からしっかり遮音されて音楽のみで独自の音響空間を生み出す感じです。
ABMドライバーの特徴だと思いますが、ドラムのシンバルやハイハットなどの高音はBAっぽい尖りや金属ハウジングのような響きではなく、もっとザラッとした質感です。つまり美音というよりはリアルな表面の質感が現れるため、コンプレッサーを多用してアタックが潰れているような楽曲では耳障りに聴こえます。上質な録音であれば、ドラムのアタックと、その周囲の爽快な空気感が上手なコントラストを生み出してくれて、かなり楽しいです。
M3の弱点として特に気になったのは、やはり中高域のピークと、中低域の物足りなさです。ヴァイオリンやトランペットなどの帯域だけがかなり目立つので、それらのソロパートになると、耳を突き刺すような「やかましい」鳴り方になってしまいます。
前奏でボリュームを合わせたら、ソロでいきなりトランペットのうるさい音に驚いてしまい、そこで音量を落とすと、今度は他の楽器が全然聴こえなくてスカスカなサウンドになってしまう、という具合です。
とくに致命的なのは、中低域とのバランスが悪い事です。チェロやヴァイオリン、ギターなどの弦楽器でよくわかるのですが、弦を擦ったり爪弾いた音はとても鮮明で、金属の弦が響いている質感は明確に伝わるのですが、その一方で、木製のボディの響きが全く聴こえないため、楽器が持つ豊かな厚みや太さが伝わってきません。
演奏は鮮明に聴こえるのに、楽器が全然「鳴らない」、つまり安っぽい楽器の音になってしまうのが残念です。ピアノも同様に、重厚なグランドピアノの響板の箱鳴り音ではなく、打鍵と弦の音だけが目立つ、安物のホンキートンクみたいな音になってしまいます。
逆に、ウッドベースとパーカッションであったり、ボーカルでも非常に高い声や低い声など、M3の中域の山と谷に入らない音色であれば、とても良い音で鳴ってくれます。楽器や演奏者の組み合わせによってアタリハズレの差が大きすぎて、一概に音が悪いとは言えないのが悩ましいイヤホンです。
Delphianレーベルからラフマニノフ歌曲集を聴いてみました。ピアニストIain Burnsideが企画して7人の歌手と共に73曲を収録した大作です。
ラフマニノフの歌曲というと、オペラ歌手のリサイタルアルバムで数曲取り上げられるくらいで、ロシア語ということもあり、まともに歌える歌手が希少なので、ここまでまとまった形で収録されているアルバムは貴重です。しかもDelphianレーベルなので音質は極上です。姉妹盤のメトネル歌曲集も同様に素晴らしいです。
2014年リリースなので新譜ではありませんが、今回M3の試聴において重要なポイントを明確に表してくれたため、あえて紹介しました。
このアルバムではピアノ伴奏とともにソプラノ、アルト、テノール、バリトン、バスと、声質が異なる歌手がそれぞれ曲ごとに独唱しています。
M3はソプラノ歌手との相性が絶妙に良いです。高域の空間表現や爽快感は圧倒的で、歌声とともに周囲の空気感が肌で感じられ、歌曲にこもった情景を描く表現力は十分にあります。
一方、バリトン歌手とは相性が最悪です。バリトンは音色の帯域が300Hz~1kHz程度にあり、滑舌や発音のフォルマントが3kHz付近にあるのですが、M3で聴くと、肝心の男性的な太い音色がほとんど無くなり、フォルマント帯域のみが強調されて聴こえるため、歌声が耳障りなシュワシュワした音のみになってしまいます。まるで喉が潰れて、口と息だけで喋っているような感じです。
このアルバムでは七人の歌手それぞれ声質や帯域の範囲が違うので、バスやテノールだったら意外と大丈夫だったり、相性がかなりピンポイントで変わり、しかもなかなか予想がつきません。
つまり、M3はマルチドライバー型の欠点が極端に現れたような結果になりました。シングルドライバー型イヤホンはこの問題が起こらないのが、生音の再現に重宝されている最大の理由でしょう。
ちなみに、この「帯域の穴」というのは、たとえばシンセやフォルマントをいじった音声エフェクトなどはそもそも「正解」が無い音ですので、生声や生楽器での様な違和感は感じません。そういった作風の音楽ではM3も良好に楽しめたりします。
M3は相性が良ければ他のイヤホンでは味わえない貴重なサウンドを披露してくれます。ただし、その「相性が良い」の定義が非常に狭いのが問題です。
いくつか相性が良かった例を挙げてみます。
まずはラトルのワルキューレです。広大なコンサートホールにて、大編成オーケストラの生演奏なので、M3の空間展開の広さが効果を発揮します。
ヴァイオリンなどが確かに目立ちますが、遠く離れて情景を描くような感じで、ソロで前に出てくる事が無いので不快感はありません。
ソプラノのブリュンヒルデもスタジオ録音のようなオンマイクではないため好印象です。M3が派手になる3kHzよりも下の帯域で歌うので、耳障りにはなりません。幸いM3の中低域の穴に当てはまる楽器や歌手が少ない作品なので、バスバリトンのヴォータンや、地鳴りのような低音楽器は力強く鳴ってくれて、映画のようにスケールの大きいスリリングな体験が得られます。
最近ハイレゾリマスターで出たペーター・レーゼルのベートーヴェンピアノソナタ集です。
ヴァイオリンなどと比べて、ピアノというのは意外なほどに高域成分が少なく、とくに古い録音だとノイズ削減のためにかなりロールオフされている事が多いです。
M3は中低域が弱いため、せっかくのグランドピアノが軽く聴こえてしまうのが残念ですが、打鍵や倍音の響きがキラキラと輝くので、これはこれで別の魅力があります。
ベートーヴェン時代の鍵盤の最高音は現代の4.2kHz(C8)ではなく2.8kHz(C7)程度ですし、実際そこまで高い音はめったに使われません。つまりピアノ演奏の基調音がM3の3kHzピークにかぶる事は無く、この付近はキラキラした倍音成分のみが存在するため、特定の音色ではなく演奏全体を輝かせるような効果があります。
同様の理由から、往年のリマスター盤、たとえばエソテリックやAnalogue productionsのSACDや、K2 XRCDなど、まったりした豊かさを重視して、高域は意図的にロールオフしているようなアルバムでは、M3との相性が良いです。逆に、音圧が強いモダンなプロダクションや、無駄に高域を強調しているアルバムの場合、M3では聴きづらくなります。
ところで、余談になりますが、M3の「3kHz付近が異常に目立つ」という特徴は、ヘッドホン・イヤホン設計におけるディフューズフィールド(DF)やフリーフィールド(FF)聴感補正カーブと傾向は似ており、それが行き過ぎた例のようにも聴こえます。
古典的なヘッドホン設計に使われていたDF補正カーブを見れば、同じように3kHzで+10~15dB程度持ち上げることで、聴感上は、遠くに配置されたスピーカーから鳴っているフラットなレスポンスと同じように聴こえるはず、という考えかたです。ただしM3の場合はそれがちょっと過剰すぎるのが問題です。Stereophile紙の古い記事にグラドやベイヤーなどいくつか古いヘッドホンの測定が載っていますが、どれも3kHzで+10dB程度上げているのに対して、M3はもっと極端に多いように感じます。
確かにM3の鳴り方と似ているイヤホン・ヘッドホンというと、Etymotic ER4やAKG K601、K240DF、ベイヤーDT880など、古典的なDF補正カーブに忠実なモデルが連想されます。特にK601なんかは、今になって改めて聴いてみると、中域がかなりスカスカで奇抜なサウンドのように思えてしまいますが、これが当時は当たり前でした。
現在はどのメーカーもDF補正よりも中低音を大幅に盛ったサウンド設計が一般的になっています。その点、M3の場合は意図的かどうかは不明ですが、奇しくも古典的なサウンドに近いです。
また、ER4やDT880など古いモデルの場合、当時の技術ではダイナミクスやレスポンスがそこまで高くなかったので、なんとなくサラッとした軽い雰囲気で誤魔化せていたのですが、M3はABMドライバーのおかげで細部の質感が詳細に伝わってくるため、録音の粗さや圧縮歪みなどが余計に目立ってしまう結果となります。とくに女性ボーカルは安いマイクや下手な録音だとバレてしまい、表面のザラつきが気になりすぎて集中できない事があります。
対策
ところで、M3のインピーダンスグラフを見ると、ABMドライバーのせいで高音のインピーダンスが一気に下がっています。25kHzで3.1Ωというのは、他のイヤホンと比べても非常に低いです。25kHzというと可聴帯域外なので問題ないと思うかもしれませんが、1kHzから徐々にインピーダンスが下がっていく傾向なので、高音全体に影響を与える事は確かです。
前回「IEMケーブルの音質」で見たように、3Ωをまともに駆動できない貧弱なアンプや、抵抗値が高いケーブルを使う事で、M3の高域の印象が変わってくるだろうと想像します。
1kHzで音量を合わせています |
ちょっと余興として、M3でスウィープ信号を再生しながらマイクで簡単に録音してみました。
DAPはR6PROとAK240、ケーブルはM3付属とSage付属を使って、音割れしない常識的な音量でのテストです。前回見たように、R6PROは3Ωでもそこそこ駆動できますが、AK240は大幅なパワーダウンが発生します。ケーブルはM3付属は往復0.2Ω程度で、Sage付属は往復3.7Ωです。つまりR6PRO+M3付属ケーブルが一番理想(定電圧駆動)に近く、AK240+Sage付属ケーブルは一番危うい(パワー不足+分圧)組み合わせです。
グラフには四つの線があるのですが、上から「赤=R6PRO+0.2Ωケーブル」「緑=AK240+0.2Ωケーブル」「黄=R6PRO+3.7Ωケーブル」「青=AK240+3.7Ωケーブル」の順番です。もちろんケーブルを替えると全体の音量も変わってしまうので、1kHzで同じ音量になるよう調整してからテストしています。
補正カーブ無しの安いマイクの生FFTなので、絶対的な周波数特性は参考にならないので無視してください。肝心なのは、6kHz以上くらいからアンプやケーブルによる差が顕著になってきます。10kHzで2dB程度でしょうか。
感のいい人ならすでに予想していただろうと思いますが、M3のインピーダンスが極端に下るのは6kHz以上のプレゼンス帯域の話で、一方M3でうるさく感じる3kHzではインピーダンスがまだ13Ω程度なので、ケーブルやアンプによる音量差はほぼ発生しません。
たとえば「AK240 + 3.7Ωケーブル」の組み合わせだと、実際に聴いてみても明らかにプレゼンス帯の空気感や臨場感が低減していて音が詰まったように感じるのですが、3kHz付近のうるささは健在です。つまりせっかくのABMドライバーのメリットを台無しにして、3kHzだけが目立つという逆効果になりました。
必要に応じて |
ここまでバランスが特殊なイヤホンだと、邪道ですがイコライザーに頼るのも一つの手段です。
あくまで私の耳でちょうどよいバランスに調整した場合、やはり3kHz付近で-6dB程度下げるのが良い感じです。付近の音色は細くなりますが、全体的なバランスがとれて、とくにポップスなどだと聴きやすい雰囲気になります。
もちろんイコライザーを多用すると位相シフトは避けられないため、とくにピアノソロなど、自然音響が大事な楽曲の場合、イコライザーのせいで捻じ曲がったサウンドになってしまいます。
そもそもこれがイヤホンメーカーが過度なクロスオーバー回路を導入したくない理由です。もしM3の周波数をフラットにすることに執着して変なフィルターを搭載していたら、魅力が台無しになっていたでしょう。やはり素のドライバー特性がピッタリ揃っている事には敵わないのがマルチドライバーの難しいところです。もっとドライバー数を増やせば誤魔化せるのですが。
SU-AX01 |
プレゼンス帯はM3の魅力でもあるので、過剰にカットするよりも、むしろ美しく鳴るように努力してみるというのも一つの手段です。
真空管アンプなど、高音に独特の特徴があるアンプを使うのも良いかもしれませんし、私の場合は高音の音作りが上手いJVC SU-AX01で鳴らす事で魅力が倍増しました。
とくに大編成オーケストラや古いピアノ曲なんかはJVCとの相性が良く、R6PRO単体で聴くよりもスケールの大きい感動が得られます。3kHzはあいかわらず目立つので、このあたりをイコライザーなどで抑えることと、プレゼンス帯を壊さない事の両立がなかなか困難で、試行錯誤が必要になります。
おわりに
Noble Audio M3はかなり個性的で奇抜なイヤホンです。美しいデザインや品質の高さ、そして耳周りの軽快なフィット感や、新作ケーブルの柔軟な扱いやすさは大変優れています。サウンドもチューニングが特殊なだけで、ドライバーの性能やハウジング音響設計などはNoble Audioらしく優秀で、下手なイヤホンにありがちな余計な反響や箱鳴り感が無い、高級イヤホンに相応しい鳴り方です。
3kHz付近の中高域の派手さのみに注意が行ってしまい、せっかくの立体的な低音や臨場感の広さといったM3特有のメリットが上手く伝わらない事が残念です。
価格以上の高級感があります |
個人的な感想としては、9万円という価格帯ではIE800SやXelentoなどもっと汎用性の高いイヤホンが色々あるので、M3を万人向けのベストバイとして勧める事はできません。しかしアイデアのポテンシャル自体は高いので、このまま終わるのは惜しいモデルです。
今後、Khanのピエゾドライバーの代わりにABMドライバーを搭載したモデルなんかがあったら面白いと思いますし、デュアル構成のままでも、ダイナミックドライバーの特性を変えたり、クロスオーバーの位相管理やCR回路を組むなどで、もうちょっとバランス良く鳴らす事ができれば、一気に良くなる可能性が感じられます。
ただ、もし今後サウンドが調整されたM3 Ver.2なんかが出たら、私のM3は無用の長物になるので、それもなんだか悔しい気もします。
凡庸なIEMイヤホンがありふれて飽食気味な世の中で、あえて奇抜な事をやってくれる努力は称賛したいですし、さらなる発展を期待したいです。レビューなので色々誇張気味に書いていますが、独特の魅力があることは確かなので、ぜひ機会があれば試聴してみてください。一目惚れするかもしれません。