2022年7月16日土曜日

高級ヘッドホンの饗宴 (1/2)

ここ数ヶ月でいくつかの高級ヘッドホンを試聴してきたのですが、それぞれ個別に感想を書いても毎回同じような内容ばかりが続いてしまうので、この際、全部並べて聴いてみようと思いました。

Abyss AB-1266 PHI TC、Dan Clark Audio Stealth、STAX SR-X9000、HEDD Heddphoneといった錚々たる顔ぶれです。どれも値段が高すぎて自分では購入できないヘッドホンなので、あくまで軽く試聴してみた感想のみに留まります。

高級ヘッドホン

大型ヘッドホン、特に開放型モデルの技術進歩はすでに究極の域に到達して久しく、10年前に買ったモデルがまだ現役で活躍しているという人も少なくありません。

私の勝手なイメージとしては、2009年にゼンハイザーHD800とベイヤーダイナミックT1が発売した時点ですでに満足できるレベルに達しており、同年には初代HifimanとAudeze LCDという平面駆動型のテンプレートとなる代表的なシリーズも誕生したわけで、この2009年あたりが開放型ヘッドホンにおける革命の時代だったと思います。

それ以来、様々なヘッドホンブランドが10万円超の高級市場に参入してきましたが、ハウジングやドライバーといった基本的なレイアウトの構想に目立った変化はありません。そもそも上記のHD800やT1、Hifiman、LCDといった先駆者モデルのその後を見ても、ユーザーフィードバックによるリファインやチューニングの見直しに留まり、ドライバー、イヤーパッド、ヘッドバンドといった根本的な部分において、なにか既存の概念を覆すような革新的アイデアは生まれていません。むしろIEMイヤホンのほうが飛躍的な進化の過程にあるように思えます。

これは別に悪い事ではなく、たとえばスピーカーとアンプの市場を見れば、コーン状のダイナミックドライバーを木製キャビネットに取り付けるデザインや、トランジスターのプッシュプルによるクラスABアンプが何十年も変わっていないのと同じように、ヘッドホンオーディオも成熟期を迎えたという事なのでしょう。もちろん、今後なにかとんでもない変化を迎える可能性も大いにあります。

また、スピーカーと同じように、各メーカーのハイエンド機の価格がどんどん上昇しており、いわゆるラグジュアリー化している事について懸念している人も多いと思いますが、これも実際のところ、昔と比べて同じ価格で買えるモデルの音質が悪くなっているわけではなく、むしろ低価格帯モデルのパフォーマンスは大幅に底上げされています。つまり、必ずしも最高級モデルばかり目指さなくても、たとえば「5万円以内」といった予算を決めて探せば、昔よりも今のほうが良い音のヘッドホンの選択肢が増えていると思います。

オーディオ製品というのは、値段が上がるにつれて、それ相応の費用対効果がだんだんと少なくなっていく、という現象が顕著なので、私の感覚では10万円くらいを境界線に、それ以上のモデルになると性能の良し悪しよりも、あくまで各自の好みで決める世界だと思っています。たとえば50万円のヘッドホンだからといって五倍の「音質」が感じられるわけではない、という事を頭に入れておかないと、無意味なコストパフォーマンス論争に陥ってしまいます。

そんなわけで、今回試聴したヘッドホンの話に入るわけですが、その中でも一番高価なのはAbyss AB-1266 PHI TCで、ベーシックモデルの米国標準価格は$5,995、上級ケーブルなどオプション全部込みのコンプリートパッケージで$12,195という、とんでもない価格です。現在の日本円に換算すると80~165万円という事になります。

また、日本を代表するSTAXの新型SR-X9000も約69万円とAbyssに負けじと高価ですが、STAXの場合はさらに別途STAX専用アンプ(ドライバーユニット)が必要となり、このSR-X9000と釣り合うグレードのアンプとなると、同社SRM-T8000を使う事になり、こちらも約60万円ということで、合計129万円のシステムになってしまいます。

残りの二台、Dan Clark Audio StealthはUSD $3,999、HEDD HEDDphoneは€1,699ということで、AbyssやSTAXと比べると安く感じてしまいますが、現実的に考えると、どれも「たかがヘッドホン」としては相当高価な部類です。もちろん他にも様々なメーカーが存在する中で、今回はたまたま手元にこれらのヘッドホンがあったので比較試聴したわけですが、どれも、サウンドがツボにはまれば、その人にとっては生涯愛用できる唯一無二のヘッドホンになりうるトップクラス揃いです。

インピーダンス

普段のレビューと同じようにインピーダンスを測ってみましたが、今回はどれも平面型なので、ご覧の通り、周波数に対するインピーダンス特性は一直線です。

インピーダンス

要するに純抵抗として振る舞うため電気的な位相も一直線になるので、アンプの駆動力による音質への依存性はかなり少ないということになります。つまり、十分な音量が得られさえすれば、出力インピーダンスとかよりも歪み率やノイズ性能が良いアンプを選びたいです。

ちなみにSTAXは専用のアンプが必要なのでヘッドホンのインピーダンスを測る意味がありません。

Abyss AB-1266

まず一番高価なAbyss AB-1266からデザインを伺ってみます。このヘッドホンは薄膜振動板と永久磁石による平面型設計なので、基本的なコンセプトとしてはAudezeやHifimanなどと似ています。

Abyss AB-1266 PHI TC

今回試聴したのはPHI TCというタイプで、私は過去の遍歴について詳しくないのですが、これを書いている時点では現行最新モデルのようです。

このAbyssというアメリカのメーカーは、最近になって下位モデルDianaが登場するまでは、こちらのデザインのヘッドホンのみしか販売しておらず、細かなマイナーチェンジによる更新を繰り返しているため、AB-1266というモデル名よりも、単純にAbyssという名前での方が広く知られているかもしれません。

多くのヘッドホンマニアにとっては最終的に到達する終着点であると同時に、次のアップデートの事を常に意識しないといけない、心が休まらない存在です。

ハウジングとイヤーパッド

開放グリルとフィルターメッシュ

ネジ止めが多いです

平面ドライバー

高価なヘッドホンではあるものの、ボッタクリだとは思いません。ビス止めを多用したハウジングやパーフォレーション加工されたレザーイヤーパッドなど、細部にわたり手作り感にあふれており、一台ごとに製造するコストは決して安くはない事は想像できます。

もちろん大量生産したヘッドホンと比べて手作りの方が音が良いという保証はありませんが、一期一会の高級品を所有する満足感が存分に感じられます。

たとえばゼンハイザーやFocalなどのような複雑な三次元曲線は見当たらず、どのパーツも平らな板やブロックからの削り出しの組み合わせで作られている事からも、あまり生産設備が整っていないガレージメーカーっぽさが滲み出ており、そういった荒削りな部分に魅力を感じる人も多いだろうと思います。

イヤーパッドの可動範囲は皆無です

一つの金属の塊のようなイメージです

本体デザインは極めてユニークで、装着感もかなり独自色が強いため、好き嫌いが分かれます。実際に購入を検討している人の中でも、いざ装着してみて「これはダメだ」と瞬時に諦める人もいれば、最高の装着感だと感じる人もいます。

写真を見るとわかるように、アルミフレームとハウジングが一体型になっており、調整用のスライダーやヒンジが無いため、各自の骨格の違いによってアタリハズレが大きいのです。たとえばソニーやゼンハイザーなどの大手メーカーであれば、人間工学デザイン専門のスタッフを雇って、様々な人種や年齢性別の頭の形状を計測した上で、それら全てに対応できるようにヒンジやスライダーなどでドライバーと耳穴の相対角度が等しくなるよう十分な調整範囲を設けるのですが、Abyssの場合は開発者本人の頭の形状を前提に設計されているという印象が強いです。

この部分が前後に回転します

こんな感じです

唯一の調整箇所として、頭頂部にある蝶番(ちょうつがい)のような部分で前後の傾斜角のみ変更できるというギミックがあります。つまりフィット感のためではなく、サウンドが発せられる方向を自分の耳の前方から真横まで好みの角度に調整できるわけです。

左右ハウジングの広がりが固定されているので、装着感に関しては本当に人それぞれです。頭が大きい人はキツイと感じると思いますし、頭が小さければ全重量を頭上に乗せているように感じるでしょう。

ヘッドバンドはAKGのようなハンモックタイプで、レザーも柔らかく快適ですが、上下の伸縮は限定的なので(ゴムがOリングのように固くてあまり伸縮しないので)、耳に対してイヤーパッドの上下位置も融通が効きません。つまり耳の位置が高い人と低い人では聴こえ方は結構変わってくると思います。(ヘッドバンドにタオルなどで嵩上げしてみれば違いがわかります)。

回転できます

イヤーパッドのデザインは意外とユニークで、良いアイデアだと思いました。左右非対称のレザーパッドはマグネットで保持されているのですが、取り付ける際に回転してピンの固定位置を変更できるため、自分の顔の輪郭に合わせる事ができます。着脱の際にはちゃんと左右のパッドが同じ角度を向いているか確認する必要があります。

さて、ここからが肝心なのですが、Abyss AB-1266の試聴を始めた時、イヤーパッドの角度をどれだけ調整しても、そもそもハウジングに回転ヒンジが無いため耳との間に大きな隙間ができてしまい、どうしてもぴったりと密着してくれず困りました。しかし、諦めてそのまま試聴してみた結果、AB-1266のみでなく、Abyssのもう一つのヘッドホン「Diana」も含めて、装着感に関しては、フィット感についての先入観を一旦捨ててしまう事が肝心だと感じました。

Abyssのヘッドホンは「耳の間近に置いてあるスピーカー」として考えるべきで、他のヘッドホンのようにイヤーパッドが耳の周りにピッタリと密着する必要は無いようです。そもそも完全開放型で、イヤーパッド空間による音響効果を必要としていないため、隙間がある状態でも正しいサウンドが得られます。アイデアとしては、AKG K1000やMysphere、ソニーF1やMA900と同じような感覚でしょうか、イヤーパッドは耳からドライバーまでの適切な距離を置くためだけに用意されていると考えれば良いと思います。

付属ケーブル

ケーブルはミニXLRなので、Audezeなどと互換性があるように見えますが、Audezeが4pinなのに対して、こちらは3pinタイプのコネクターなので、物理的に入りません。自作するならAKGやベイヤーの片出しタイプと同じコネクターなので、そちらを流用できます。(ケーブル自体は左右両出しなので互換性はありませんが)。

付属ケーブルはかなりゴツいラインケーブルみたいなもので、左右別々のケーブルをアンプ側のXLRコネクターでまとめているだけの強引なデザインです。このあたりの粗削りな部分もAbyssのアーティザン的なイメージを補強しているように思います。何にせよ、取り回しが面倒な事以外では、悪くないケーブルだと思います。

AB-1266 PHI TCのサウンド

AB-1266の鳴り方は、ダイナミック、派手、解像感、刺激的、といった単語が思い浮かびます。同じ平面駆動型でもAudeze LCDシリーズのような濃厚で重い感じでも、Hifimanのような軽い感じでもなく、かなり独自色が強いサウンドです。

音の歯切れがよく、エッジが効いているものの、それが高音だけでなく最低音まで鈍ることなく維持されているので、音楽全体が勢いに乗って怒涛のように押し寄せてきます。フワフワした感じが一切ありません。ドライバーが耳の真横にあると音圧がかなり強く感じるので、ヘッドバンドのヒンジで前方傾斜を自分の好みに合わせて調整するのは必須だと思います。

音像が近く、アタックの分離がよく、響きも長引かず、一音一音のメリハリが強く、解像感が高いため、複雑な楽曲でも三次元的な前後関係がしっかりと実感でき、高音のハイハットから低音のキックドラムまでリアルに肌で感じられるサウンドが得られます。

不満点を挙げるとするなら、ハウジングに上下の回転機構が無いため、ドライバーと耳との上下の並行を合わせる事ができないので、ユーザーの頭の形状によってサウンドの印象が変わってしまうのが厄介です。多くの日本人の骨格では、耳穴に対してドライバーが斜め上から鳴っている相対位置になってしまうため、演奏が自分の耳や目線と同じ高さではなく「上の方から降っている」ように聴こえます。そのためオーケストラなどの立体的な録音を聴いても、音場が前方遠くへと広がっていく感覚が希薄になってしまうのが残念です。

AB-1266は、向いている音楽と、そうでないものとの違いが結構明確に分かれてしまうようなサウンドだと思います。とりわけ得意なのは、よくSACDとかで売っているマイナー高音質レーベルにありがちな艶っぽい録音です。リンスタンリーとかジャシンタとかパトリシアバーバーとか、いわゆるオーディオショップのショールームやイベントで新製品の性能を披露するために使うような曲です。

そういうアルバムは大衆向けオーディオで聴いても甘く重すぎるので、超弩級のハイエンドオーディオで聴くとエッジや迫力が出てくれて、その違いに驚かされるというのが常套手段なのですが、AB-1266もまさにそんな感じで、一見リラックスしたスムーズな楽曲でもドライブ感やメリハリが強調されて、「今までとは全然違う!」と驚くような感じです。

逆に、私が普段聴くような1950年代のクラシックとかだと、ノイズも音楽も分け隔てなく強調されてしまうので聴きづらく感じます。そのあたりをもうちょっと上手に仕上げてくれるヘッドホンの方が個人的な好みに合います。

こういう使い方も良いです

色々試してみた結果、そういう古い音楽を聴くには、あまり高解像をギラギラと押し出す感じのアンプではなく、例えばBartok内蔵のヘッドホン出力のように、そこそこ落ち着いた緩いアンプと合わせるのが良かったです。

ようするにAB-1266は完璧なサウンドではあるものの、アメリカンなオーディオファイル的に完璧なサウンド、と言った方が良いかもしれません。アメリカの高級オーディオショップやオーディオショーイベントに参加した事がある人ならわかると思いますが、あちらのハイエンドというと、大きな部屋を大迫力で圧倒するような、かなり力強いサウンドが求められており、特にスピーカーにはその傾向が強いです。

そして、そんな大迫力なスピーカーを駆動する事を前提に、アンプには真空管を使ったり、DACはNOSにしたり、試聴アルバムもオーディオファイルレーベルが録音したオープンリールテープと真空管を通した高音質SACDを使う、といった具合に、上流に厚く濃い倍音を含んだリッチなソースを揃える事で、スピーカーとのバランスを取るようなシステム構成を好んでいるようです。そして、ヘッドホンでも同様に、AB-1266というのは、たとえばNOS DACだったり300BやEL34とか真空管でドライブするアンプなど、上流にあれこれ工夫をすることで、自分好みのサウンドを実現するための、ある種の叩き台としてのヘッドホンとして最適なのだと思います。ヘッドホン自体に濃い響きが無いため、それら上流の変化が鮮明に現れます。

私の場合は、多くのヘッドホンを試聴している事もあって、アンプなどはできるだけ実直で平凡なものを使って、ヘッドホンの方に音色や響きの味付けを期待しているため、その点ではAB-1266はちょっと相性が合わないと思いました。

Dianaの存在

今回Abyss AB-1266を試聴してみて、凄いヘッドホンだという確証は持てたのですが、では実際に欲しいかというと、そうとも言い切れない複雑な気持ちになりました。実はその最大の理由が、同社の下位モデルDiana V2の存在です。

Diana V2

現在DianaはV2とTCという二種類が出ており、それぞれ$3495・$4495です。高価なTCはその名の通りAB-1266 PHI TCの開発で得た技術を応用しているということです。

Diana V2とTC

色が違うだけでデザインは一緒です

ドライバーの色が違います

グリルがかっこいいです

iFi Audio Pro iCANと相性が良かったです

DianaはAbyssの下位モデルといっても決して安くはなく、どちらも一般的なヘッドホンと比べて非常に高価ですし、見た目もまるでB&Oとかのスタイリッシュな小型ヘッドホンのように見えるので、本当にそこまでの価値があるのか懐疑的になってしまいます。

ドライバー

ヘッドバンドは上下調整できます

カーボンステッカー

ケーブル

四方で回転できるイヤーパッド

低価格モデルということで、ケーブルがシンプルなものになったりなど、幾分かコストダウンしているのかもしれませんが、私の個人的な感想としては、AB-1266のゴツい荒削りなデザインと比べて、むしろDianaの洗練されたフォルムの方が好みです。

シンプルな革張りヘッドバンドや、四角いハウジングに渦を巻くような開放グリルなど、エレガントなセンスを意識した設計だと思いますし、ハウジングをスライダーで上下調整できるなど改善されている点もあります。唯一不満があるとするなら、ケーブルが着脱可能ではあるものの、市販のコネクターが入りづらい奥まったデザインになっている事くらいでしょうか。

DianaもAB-1266と同様にイヤーパッドはピッタリとフィットせず、隙間ができてしまいますが、10分も聴いていれば、それで問題無いと感じてきます。しかも柔らかいレザーパッドは徐々に自分の肌に馴染んでくるので、頬に添えているようなソフトな感触が良好です。

通常モデルのDiana V2と、上位ドライバーを搭載するDiana TC、両方とも聴いてみたところ、個人的には普通のDiana V2のサウンドが一番好みに合いました。AB-1266よりも素朴で単純、レンジも空間の広がりも狭いのかもしれませんが、そのおかげで中域の音色部分に専念することができて、古い音楽でも気兼ねなく楽しめます。なんとなくスモールGradoのようなはつらつとした鳴り方で、余計な横槍の入らないパーソナルな音楽鑑賞といった感じで、誰になんと言われようと、自分はこれで十分、と思えるような満足感があります。

他社のヘッドホンとくらべて値段相応かというと難しいですが、クリアで解像感も高く、分析的に聴くことも可能ですし、特にハウジングやイヤーパッドで余計な演出を加えていない、純粋な開放型ヘッドホンだと感じられる点は好印象です。私の耳が単純なのだと思いますが、V2の鳴り方で十分で、TCバージョンは第一印象では解像感が高くて明らかに高性能な感じがするものの、高音が派手に鳴りすぎて、バランスが崩れてしまい、リラックスした音楽鑑賞には向いていないように思えます。その点では、本来の開発意図の通り、AB-1266 PHI TCの特徴をしっかりと継承することに成功しているようです。

今回Abyssというヘッドホンブランドをじっくりと聴いてみた結果、これはまさにアメリカンHi-Fiの文化を体現したヘッドホンだな、という印象を強く受けました。同じアメリカのメーカーでも、後述するDan Clark Audioはヘッドホンマニアに向けたサウンドを目指していて、Abyssはスピーカーオーディオ的な傾向が強い、全く別の方向性を感じさせます。

HEDD HEDDphone

今回試聴してみたヘッドホンの中では、このHEDDphoneが一番安いモデルなのですが、それでも仲間に入れてみたかった理由は、ヘッドホンとしては珍しいリボン型ドライバーを採用している点と、プロ用スピーカーを作っているメーカーなので、価格もプロ機器の相場基準でリーズナブルに設定しているだろうという期待からです。

HEDDphone

リボン型ドライバー

リボンドライバーというとELACやADAMなどドイツのスピーカーメーカーにおいて高音用ツイーターとして広く普及しており、そのうちヘッドホンにも転用されるだろうと期待していたところ、今回ようやくHEDDがやってくれたわけです。

リボンドライバーと一概にいっても、見た目が似ているだけでメーカーごとにそれぞれ独自技術を用いているわけですが、HEDDの場合はプロスピーカー大手ADAMの創業者が2015年に独立して新たに発足した新興メーカーということで注目を集めています。成功を収めて大きくなりすぎたブランドを手放して、小規模な開発の原点に戻るというのはオーディオ起業家によくあるパターンですね。ADAM同様、HEDDの主力はヘッドホンではなくスピーカーです。

リボンドライバーは平面駆動型と同じような原理なのですが、振動板が平面ではなく蛇腹のようになっているため比較的安定した大振幅が得られ、より多くの空気を押し出す事ができるので、最大音量やダイナミクスの点で有利だと言われています。しかし振動板自体が重くなってしまうため、アンプへの要求が高いです。また、低音まで鳴らせる大きなリボンともなると歪みやレスポンスの点で一般的なコーン型と比べて難しくなってくるので、スピーカーではツイーターにのみ採用される事が多いです。

そんなリボン型ドライバーですが、ヘッドホン程度の音量であればそこまでの大振幅は必要ではないため、一般的なヘッドホンアンプでも低音まで十分に鳴らせるだろう、なんて想像していたので、今回HEDDphoneでそれが実証されるわけです。

HEDDphone

まず装着感については、見ればわかるとおり、かなりゆったりとしたソファのような付け心地です。開放型ですし、ハウジングとイヤーパッドを合わせて尋常でないほど厚みがあるので、これを屋外でポータブル用として使う人はいないでしょう。写真で見るよりも実物を手に取った時の厚さは衝撃的です。

しかし、残念なことに、ヘッドバンドの伸縮がかなり短く設計されているため、日本人の頭だと一番長く調整してもイヤーパッドが耳の位置まで届かない人が何人かいました。購入を検討しているなら試着してみる事は必須です。私の頭ではギリギリで、長時間装着していると頭頂部が痛くなってきます。これはHEDDのみでなく欧米人向けのメーカーではよくある問題です。以前フィリップスがそうしたように、この部分だけでもマイナーチェンジしてもらいたいですね。

ケーブル

ケーブルはAudezeと同じ4pinミニXLRで着脱可能です。左右両出しですが、プロオーディオを意識してか、付属ケーブルはずいぶん地味な感じがします。

ちなみにAudezeのケーブルとは互換性があるものの、配線の位相が逆なので、そういうのを気にする人は覚えておいてください。

XLRとMini XLR

どうでもいい余談ですが、XLR・ミニXLRの規格上、一番ピンをグラウンドに使うべきなので(コネクターを見ると、一番ピンが最初に接触するよう突き出しているので)、その点ではAudezeの配線(1・4が信号で3・2がGND)は厳密には間違っていて、それとは逆配線のHEDDの方がむしろ正しいです。どちらでも音は鳴りますが。

HEDDphoneのサウンド

HEDDphoneの音質の第一印象は、かなりの前方定位が強く、音楽全体のイメージが自分の目前に投影される感覚です。

普段から音楽をスピーカーで聴くのに慣れていて、いわゆるイヤホン的な、左右の耳の間近で音が鳴っているような聴こえ方が嫌いだという人はきっと気に入るだろうと思います。

リボンドライバーは耳とほぼ平行に配置されており、HD800のようにドライバーが斜め前方に配置されているわけではないのに、ここまで前方に音像が投写されるのは不思議な感覚です。左右ドライバーの特性がピッタリ揃っているからでしょうか。

ただし、三次元的な立体音響が得られるかというとそうでもなく、奥行きはそこそこ平面的です。録音の奥底まで見通せる顕微鏡のようなサウンドという感じではなく、一定の距離に音が投影されるスクリーンのようなものがあり、そこを起点として、ふわふわした響きが漂うような感じです。

全体的にソフトな傾向なので、ヴァイオリンのソロなどを聴いてみると、アタックの切れ味は強調されず、コンサートホールの上階の席で聴いているような、一歩離れた鳴り方というか、楽器からの直接音とホールの響きが上手く調和が取れているような感覚です。

Chord DaveやQuestyle CMA Fifteenなどで試聴

そんなわけで、派手さや迫力よりも、繊細で綺麗なサウンドを描く方が得意だと思ったので、Chord DaveやQuestyleのような質感重視のアンプで鳴らすと相性が良かったです。

アタックの部分に注意して聴いてみると、楽器の構成音が普段なら鋭角な刺激音になるところ、細部まで淡く分解されている感じがします。これはリボンドライバーの特徴なのか、他のヘッドホンとは一味違ったHEDDphone特有の鳴り方だと思います。一つ一つの音色自体は「線が細い」のに、多くの音が同時に細かく描写されているため、音楽全体は薄くは感じられず、霧のようにフワッとした厚みのある雰囲気を生み出します。

特に交響曲などでは、オケ全体が水彩画のように繊細に溶け合うため、個々の楽器パートの役割をじっくり聴き取ろうとすると、若干もどかしく感じます。しかしその一方で、周波数特性や響きの臨場感は正確に管理されているため、音楽全体の流れが伝わってきます。もっとオンマイクなギラギラしたサウンドをイヤホンなどで聴き慣れている人には物足りないかもしれませんが、スピーカーに慣れている人ならこれくらいがちょうど良いでしょう。

たとえばシュトラウスやショスタコーヴィチなど大編成の複雑な演目を聴く場合、多くのヘッドホンでは音像のエッジを強調することに専念しすぎて個々のパートが独立して聴こえてしまうため、奔放すぎて手に負えなくなってしまうのに対して、HEDDphoneで聴くと、作曲家が意図しているオーケストレーションの色彩やムードの変化など、心に訴えかけるストーリーのようなものが伝わってくるようになります。

これはたとえば、映画を見る際に、各シーンごとにセットやプロップの時代考証といった細かい点を指摘するような見方をする人がいる一方で、全体のストーリーの流れや色調と光源の扱いによる感情表現なんかを感じたい人もいるわけで、HEDDphoneというのは、むしろ後者側のヘッドホンだと思います。

ジャズを聴いてみると、HEDDphoneはアタックが「鈍い」のではなく「淡い」という点が長所となり、たとえばトランペットやサックスなどの金属的な破裂音が目立たず聴きやすいです。ただしベースやピアノのビートやリズム感が乏しいため、客観的にボーッと眺めるような聴き方になってしまいます。ポップスやR&Bなども、雰囲気を描き出すのは得意ですが、タイトなビートが下手なので、まったりしたバラード向けといった印象に留まります。

個人的にHEDDphoneと一番相性が良いと思った音楽ジャンルはソロピアノでした。打鍵の刺激や奏者の鼻息、椅子のギシギシなどが気にならず、一音一音が細かくしっかりと描かれ、響きが厚くならず、繊細かつ華やかに広がる感じが大変美しいです。またソロピアノならオーケストラなどと比べて奥行きの相対的な距離感はそこまで求められませんし、ベースやキックドラムのような強いビートとも無縁なので、HEDDphoneの弱点があまり目立ちません。

HEDDphoneを聴いていて思ったのは、リアルな楽器演奏のディテールを拾う事と、そこから発せられる音楽を聴く事は、似ていて違うものであり、HEDDphoneは後者に寄せたヘッドホンだと思えてきます。

グランドピアノや演奏者という存在が消えて、音色がどこからか湧き上がってくる感じがします。オーケストラでも、たとえばブルックナーとかを目をつぶって聴いていると、リスナーを完璧に包み込んで周囲の現実を覆い隠すような、まるで南国のビーチでゴムボートに乗って緩やかな波に揺られているような心地良さがあります。筆跡を徹底的に排除したスフマートのような描き方なので、ゆったりとリクライニングして音楽を堪能する、一種のセラピー的な使い方には最適だと思います。

そんなわけで、HEDDphoneの鳴り方には概ね好印象ですが、個人的に一つだけ気になる点があるとすれば、この分厚いイヤーパッドは本当に必要なのか、という疑問は湧きます。

多分、リボンドライバー単体ではSTAXのラムダシリーズのような軽い音になってしまい、近頃のヘッドホンユーザーの求めているような低音の量感が得られないため、あえて厚いパッドの密閉空間の反射を利用して低音を増強しているのだと思います。Audezeなども同様の手法を使っています。

個人的にはここまで緩い低音の響きは不要ですし、能率が問題なら、もっと強力なアンプを用意できるので、もうちょっとリボンドライバーの素の特性を追求したヘッドホンの音を味わってみたかったです。

できればAKG K1000のような完全開放デザインでリボンドライバー鳴らしたらどうなるのか聴いてみたいですし、HEDDphoneの高音の淡い鳴り方は大昔のAKG K340の静電ドライバーと似ているため、変わり種としては、そんなK340と同じような2WAY設計とかパッシブラジエーターによる低音増強なんかも面白そうです。なんにせよ、今後まだまだヘッドホンにおけるポテンシャルを秘めたドライバーだと思います。

Nordostケーブル

こっちの方が断然良いです

ところで、あくまで個人的な感想になりますが、HEDDphoneの付属ケーブルはどうも好きになれませんでした。高音の伸びがかなり制約されて詰まったような鳴り方なので、対象的に低音の緩さが強調されすぎてモコモコした眠くなるサウンドです。

実はHEDDphoneを発売当時に試聴した際の第一印象はあまり良くなく、レビューする気も起きなかったのですが、しかし後日複数のオーナーから「ケーブルは絶対に変えた方が良い」と勧められて、今回借りた試聴機のオーナーはNordostの赤いHeimdall 2というケーブルを使っていたので、それも合わせて借りてみたところ、鳴り方が明らかに変貌しました。XLRバランスだからという理由もあるかもしれませんが、Nordostに付属している6.35mmシングルエンド変換アダプターを通した時でも、純正ケーブルとの違いは明らかです。私は普段ケーブルに関しては無頓着でそこまで気にしていないので、ここまで大きく変わるのは珍しいです。今回の音質についての感想も、このケーブルで鳴らした時のものです。

他にもKimber Axiosなど色々なケーブルを試してみた結果、どれが良いというよりは、付属ケーブル以外に変えたほうが良いという感想は変わりません。高音の澄み具合が断然違い、低音もスッキリと締まり、全ての面で良くなります。Heimdall 2は細いOFCリッツ線で、インピーダンスもかなり高めなので、HEDDphoneには極太系ではなくて、こういった細いものの方が相性が良いのかもしれません。

さらに余談ですが、AudezeとHEDDphoneはコネクターが同じでも配線が逆相なので、実は今回オーナーがAudeze用のHeimdall 2をHEDDphone用に配線しなおしてくれと依頼してくれたおかげで、じっくり試聴する機会が生まれたわけです。逆配線にしても私はそこまで違いは感じられませんでしたが、オーナーはなんとなく音が良くなったと言っていたので、そういう事もあるのかと有意義な体験でした。

つづく

長くなってきたので、残りの二つは後半に続きます・・・。