2022年7月16日土曜日

高級ヘッドホンの饗宴 (2/2)

長くなったので二回に分けたものの続きです。

前半はAbyss AB-1266 PHI TCとHEDD HEDDphoneでしたが、後半の今回はDan Clark Audio StealthとSTAX SR-X9000を試聴してみた感想です。

Dan Clark Audio Stealth

このStealthというヘッドホンのサウンドについての感想を聞いてみると、多くの人が「密閉型なのに、ここまで完璧な鳴り方は初めてだ」と口を揃えて言います。2022年現在の密閉型ヘッドホンとしては最高峰に位置づけるヘッドホンマニアも多いだろうと思います。

軽量でスッキリしたデザイン

ドライバーの前にある音響部品

Dan Clark Audio (旧Mr. Speakers)の得意とする平面駆動型ドライバーの究極を突き詰めたフラッグシップモデルということですが、一見すると何の変哲もない中堅モデルのように見えるのに、実は内部には最新テクノロジーを凝縮しているそうです。

見た目で一番インパクトがあるのは、ドライバー前面に六角形の蜂の巣状の穴が空いた厚い部品が追加されている点です。これはAcoustic Metamaterial Tuning System (AMTS)という名前で、ドライバーからの出音を整えるような効果があるそうです。

確かにAudezeやHifimanなど他の平面駆動型ヘッドホンのメーカーを見ても、平面振動膜の前にあるマグネット棒の配置や形状で音を調整するという部分に力を入れているので、やはり音響面で大きな影響を与えるのでしょう。

革張りの箱

高級ではあるものの比較的カジュアルなパッケージ

こんな感じに折り畳めます

個人的に、このStealthのデザインで特に面白いと思ったのは、これまでの最上級機Ether・Ether Cのような大型ハウジングを使わずに、あえて中堅ポータブルモデルAeonシリーズと同じような半月型のコンパクトなフォルムを採用したことです。

つまり、Stealthは最高級機でありながら、折りたたみ可能で、コンパクトなポータブル用途でも性能を発揮できるという意思表示であり、しかも、ハウジングを小さくするほど内部の反射などの音響設計が難しくなるところ、それでも最高級機に相応しいサウンドを実現できるという技術力の高さを見せつけているかのようです。

Aeonシリーズとほぼ同じデザインです

小さな通気孔が伺えます

装着感はAeonシリーズよりも余裕があり、分厚い低反発イヤーパッドが耳周りをスッポリと包み込むので、頭のサイズの大小を問わず、ほとんどの人が満足感を得られると思います。

ヘッドバンドもAKGのような二本の柔軟な針金のバネ力で支えているため、非常に軽量で柔軟、イヤーパッドを適切にホールドしてくれて、頭に重い塊を載せているという感覚が無いため、長時間装着しても不快になりません。

密閉型ではあるものの、ハウジング上部に通気孔があるため、鼓膜を圧迫するようなピッタリ密閉する感覚ではありません。同じく密閉型のソニーMDR-Z1Rとかと同じようなゆったりとした印象です。

スッキリした丁寧なデザイン

カーボンファイバー

Stealthを手にとって観察してみると、全体的に非常に丁寧に作られており、「高品質」ではあるものの、必ずしも値段相応のラグジュアリー品という印象はありません。ケーブルもこれまで通りのシンプルな布巻きタイプです。

ヘッドバンドの赤いステッチ

スポーツカーみたいですね

付属ケーブル

着脱コネクターも従来通りです

このStealthくらい高価な商品になると、通常はもっとクロムメッキや漆塗り木材削り出しといったクラシックな調度品っぽいデザインを想像すると思いますが、Stealthの場合はマットブラックの塗装にカーボンファイバーなど、高級スポーツカーを連想するようなハイテク感があり、ヘッドバンドの黒いレザーに赤いステッチなども、まるでレーシングシートに座っているかのようです。

近頃どんな人がこういった高級ヘッドホンを買っているのか見ると、昔のような、メッキや木目調とかに魅力を感じる年配の富裕層ではなく、むしろパフォーマンスを追求するガジェット好きな若手ヘッドホンマニアが増えてきていると思うので、その点ではStealthのデザインは妥当だと思います。

Stealthのサウンド

今回Stealthを実際に試聴してみたところ、確かに密閉型にありがちなハウジングの余計な響きがほとんど感じられないため、開放型ヘッドホンに限りなく近いサウンドだと感じます。

また、それだけでなく、どれだけ注意して聴いても、全帯域の周波数特性に特出したクセが見当たらず、多くの人に「完璧に近い鳴り方」だと言われるのも説得力があります。一見奇抜なステートメントモデルのように見えて、ここまで丁寧に作り込んだDan Clark Audioはさすがです。密閉型ヘッドホンもついにここまで来たかと私も関心しました。

Chord Daveで鳴らしました

そんなStealthですが、では「この値段を払ってでも買うべきか」と聞かれたら、もし開放型よりも密閉型の方が好ましい環境で、これ一台で全ての音楽を万能に鳴らしたいのなら、かなりお薦めできるヘッドホンだと思います。

逆に、色々なヘッドホンの音色の個性を楽しんでいて、そのコレクションの一つに迎えるというのであれば、ちょっと使い所が難しいヘッドホンかもしれません。

私自身はどちらかというと色々なヘッドホンで遊びたいタイプなので、もうちょっとクセが強くてでも、密閉型ならたとえばFocal SteliaやソニーZ1Rとかの方が独特の色艶の面白味を感じますし、あえて密閉型でなくとも良いのなら、同じDan Clark AudioでもEther 2の方が好きです。もし大富豪がどちらか一台くれるというのなら、私だったらStealthよりもEther 2を選ぶと思います。

Ether 2とStealth

Ether 2は特出したクセも無く、かなり無難でマイルドな仕上がりなので、「あえてこれでなくとも良いだろう」という感じで、そこまで人気なモデルではないと思うのですが、これはEther 2が開放型ヘッドホンだから、他にも優秀なライバルがたくさんあるから、そう思えてしまうのであって、一方Stealthの方は、Ether 2と同じくらいクセのない仕上がりを密閉型で実現できているという点で絶賛されており、その分コストもかかっているわけです。つまり私の場合、開放型のEther 2を満足に駆動できる環境があるので、Stealthの価値をそこまで見出だせないというわけです。

Stealthのサウンドについて、もうちょっと個人的な感想を言わせてもらうと、いくつか面白い点が挙げられます。まず第一に、周波数特性に関しては、確かに凹凸の無いフラットな特性だと感じるのですが、いわゆるハーマンカーブのような、中低域が豊かな心地よい傾向です。つまりポップスやロックなど、音圧が高く刺々しくなりがちな作風でも耳障りにならず、余裕を持ったサウンドで鳴ってくれるというスタイルなので、もっと硬派なDFカーブのモニターでクラシックなどを聴くのに慣れている人にはちょっと重たく感じるかと思います。

もう一つ、Stealthのサウンドが他のヘッドホンとは明らかに違うと感じた点があります。こちらの方が、実は個人的にStealthをあまり好きになれない理由になってしまいました。

Stealthで音楽を聴いていると、確かに非の打ち所が無いくらいスムーズでフラットなのですが、なんというか、常に楽器の音の手前で空気の層が響いているように聴こえるのです。

他のヘッドホンであれば、ドライバーから発せられる音色があり、その背後に響きがあることで、現実と同じような立体的な情景の奥行きや距離感を生み出しています。密閉型ヘッドホンの場合、ドライバーから発せられた直接音に、背後のハウジングによって拡散された響きが遅れて覆うように鳴ってくれます。ところがStealthでは常に音楽と自分の耳との間にうっすらと響きというか空気の層のような感触があり、そのせいで音楽のダイレクト感というか、楽器の出音を直接浴びているというような生っぽいリアルさに乏しく、ワンクッション置いた部屋で聴いているような印象があります。なんとなくUltrasoneのS-Logicに近い感覚です。

これはもしかすると、Stealthの独自技術として採用されている、ドライバーの前にある蜂の巣状のAMTS音響フィルターモジュールによる影響なのかもしれません。このフィルターのおかげで周波数特性や響きの管理がスムーズに仕上がっているのかもしれませんが、それがある影響で、ドライバーの前になにか一つ工程が挟まれているようで、直接的な音を妨げているような感触があります。

個人的には、このフィルターモジュールを取り外したらどんな鳴り方になるのか体験してみたいです。また私自身はEther 2の方が好きだと言った理由もここにあり、Ether 2とStealthはどちらもスムーズでクセのない周波数特性という点では似ているのですが、Ether 2の方がドライバー出音面から鼓膜までに妨げが無く、最短距離で届いているように感じる点が好ましいです。

あくまで個人的な感想になりますが、近頃はネットのブログや掲示板などのレビューにおいて、とくに米国を中心に、特定の測定条件で(たとえばハーマンカーブにどれだけ近いかなどで)、新作ヘッドホンの優劣をランキングするような傾向があります。つまり実際に楽曲を聴いて音質の好みを語る以前に、測定での優劣の話題で盛り上がり、高価なのに上位に食い込まないと駄作だと言われるような世界です。

そして今回Stealthを聴いてみて思ったのは、そのようなネットレビューの現場で求められている測定条件にて高評価を得るための設計を行ったような気がしてなりません。

測定で完璧なのが何が悪いのか、と思う人もいるかもしれませんが、測定というのは明確な不具合や問題点を洗い出すのには向いていますが、楽器演奏の感覚的な聴こえ方を完璧に評価できるものではありません。たとえば精巧なダミーヘッド測定を用いても、前方定位の音像のサイズや距離感といった立体像を人間の脳がどのように描くかは計り知れませんし、個人差も大きいです。そういうのはできるだけ多くの音楽関係者(楽器演奏者、録音エンジニア、マイク開発者など)に試聴してもらって、評価を仰ぎ、統計を取る必要があります。

Abyssのところでも触れたように、Dan Clark Audioはヘッドホンマニアの期待する完璧なサウンドを目指しているという印象が強く、それを求めている人にとっては素晴らしいヘッドホンです。しかし私の場合は決して測定上は完璧でなくとも、もっと新鮮で勢いのある生楽器を描いてくれるサウンドを求めており、その点ではStealthは音の仕上げ方の方向性が私には向いていないように思いました。

Stealthのサウンドは、スピーカーに例えるなら、測定マイクとDSPで完璧にフラットに追い込んだAVアンプやモニタースピーカーの聴こえ方に似ているかもしれません。つまりそのような環境に慣れており、そういったサウンドを求めている人なら、Stealthは見事な代用になると思います。そういった意味でも、様々なヘッドホンのクセや個性を楽しんでいるヘッドホンコレクターには使い所が難しいヘッドホンです。

STAX SR-X9000

最後に残るはSTAX SR-X9000です。私自身は過去にSTAXを一台も所有しておらず、そこまで熱狂的なファンというわけでもありません。いつかは買ってみたいなと思いながらも、なかなか思い切りがつかない高嶺の花です。

また、これまでのSTAXというと、長方形のラムダシリーズと円形のオメガシリーズでサウンドの傾向が大幅に異なり、オメガシリーズの方が高価な上級モデルとはいうものの、ラムダシリーズの象徴的なサウンドも捨てがたく、なかなか悩ましくも思っていました。

SR-X9000 &SRM-T8000

また、STAXというと専用アンプ(ドライバー)が必要となるわけですが、実は私はSTAXユーザーからの修理の依頼でこれらのアンプに触れる事が多く、特に有名な727シリーズなど、最初期のモデルから最新機まで何度も開けて見る機会があり、中身の設計が古臭いままであまり積極的な進化が見受けられないという点でも購入を躊躇していました。

その一方で、最近登場したSRM-D10やD50といったハイテクな新世代アンプは個人的に結構気に入っているのですが、STAXマニアに言わせると、古典的な727や353などでないと本来のサウンドは得られない、なんて主張もあり、なかなか保守的で近寄りがたい存在です。そんなわけで、今回使ったSRM-T8000は新しめなアンプでありながら古典的な設計も残しており、新旧STAXファンの融和がとれる優秀なデザインだと思います。

SR-X9000

意外とモダンなデザインです

そんなわけで、SR-X9000ですが、モダンとレトロが融合したような、ずいぶんカッコいいデザインだと思います。広報写真ではもうちょっと古臭く見えたものの、実物を手にしてみて印象が変わりました。

さすがに先程試聴したDan Clark Audio Stealthのようなハイテクな近未来感はありませんが、これまでのSTAXらしさを再解釈したようなフォルムは秀逸ですし、薄い鉄板や曲線を多用することで従来の007や009と比べて軽量で開放的なイメージがあります。特に写真ではわかりにくいのですがハウジングのグリル部品がビス止めのライザーの高さによって後方の隙間が広くなるように傾斜しており、実際に音響への効果はあるのかは不明ですが、がっしりしたデザインの中でも空気が通り抜けるような流線型を描いているのが良い感じです。

さすが老舗だけあってイヤーパッドもヘッドバンドもフィット感が良好で、最適なリスニングポジションが得られるのですが、やはり過去のSTAXど同様に、繊細で壊れやすい雰囲気があります。その点はベイヤーやソニーのようにそのへんに適当に放り投げても大丈夫といった感じではなく、毎回使うたびにダストカバーを外してうやうやしくスタンドから拝借するような扱いになってしまいます。

スポンジすらも高級そうです

日本らしい包装

パッケージも仰々しい桐箱に収められているあたりなど、日本製の高級品らしいところも海外でも人気の理由だと思います。今回試聴した他のメーカーではここまで丁寧なプレゼンテーションはありません。私だったら木箱は収納の邪魔になるので不要なのですが、こういうヘッドホンを買える人は、自宅の収納スペースも十分な余裕があるような人なのでしょう。

SR-X9000の音質

今回色々と聴いた中でSR-X9000のサウンドが一番自分の好みに合います。一番良いかは個人差があると思いますが、参考までに私自身は普段フォステクスのTH909を愛用しているので、そういう系統のサウンドが好きな人ならSR-X9000も気に入るかもしれません。

音像の奥行き、ステレオの広さ、響きの開放感など、この手の高級ヘッドホンに求められている特性はすべて兼ね備えていると思いますが、SR-X9000が特に優れているのは、音色の質感の表現がとても丁寧に作り込まれているという点です。具体的には、声や生楽器を聴いた時に、その中核にある音と、それ以外の付帯音との区別や優先順位がしっかりしており、余計な音が音色の邪魔をしないという意味です。実は今回試聴してみたヘッドホンでそれが上手くできていると感じたモデルはSR-X9000以外にはありませんでした。

ヴァイオリンやトランペットなどの描き方が美しく、ソロや室内楽からフルオーケストラまで、歌手であれば独唱から合唱まで、音源の規模を問わず、美しい音色で描いてくれるように熟考されていることが伺えます。アタック部分の過渡特性が優れているのだろうと思いますふぁ、たとえばトランペットなら、吹き出しの破裂するような音と、そこから続く黄金の音色が、どちら過度に強調されすぎるでもなく、背後にある他の演奏を覆い隠すでもなく、一連の流れるような動作で我々が期待している通りに耳を楽しまてくれる、という感じです。最新のハイレゾ録音から1950年代のモノラル録音まで無理無く演奏の魅力を引き出してくれて、音楽鑑賞が楽めるという点で突出していると思います。

こういうのは測定数値とかではなく、あくまで感覚的なもので、たとえば女性ボーカルなど特定の能力に特化しているヘッドホンは他にもあるものの、別のジャンルでは上手くいかなかったりなど、相性や好みの差が出やすいわけですが、SR-X9000はジャンルや作風を問わず美しく鳴ってくれるという点において、かなり高水準な仕上がりだと思います。

さらに、これまで私を長年悩ませてきたオメガとラムダシリーズの優劣について、ようやく納得できる回答が現れたように思えます。実は私はSR-009・009Sのサウンドはそこまで好みではないというか、派手に空気を動かすプレゼンテーションが「普通に良いダイナミック型ヘッドホン」とさほど大差無いと思えてしまい、一方SR-L700MK2などのSTAXらしいサラッとした鳴り方は、もう一息、色艶の質感表現が物足りないと思っていました。

ようするに、ダイナミクスの抑揚を求めると大味になってしまい、逆に繊細さを求めると物足りないジレンマがあったわけです。SR-X9000では振動膜などに新技術を導入しているのだと思いますが、それが何であれ、STAXらしい細かな空気の粒子まで感じ取れるほどの繊細さを保ったまま、非常に多くの空気を動かす事に成功しており、たとえばピアノのコードなど、重みと勢いが必要な場面でもリアルに描いてくれます。

最近はダイナミック型や平面駆動型ヘッドホンの進化が急速に進んでいるため、昔ほど静電型の優位性や特別感は薄れてしまったように思います。必ずしも静電型がヘッドホンマニアの終着点ではなく、ダイナミック型や平面型とは違うスタイルの鳴り方を提供する珍品といった扱われ方になったような感じです。そんな中で、今回登場したSR-X9000は再度ヘッドホンの頂点を狙うにふさわしいヘッドホンだと思いますし、現在のダイナミック型や平面型でこれと同じレベルのサウンドを実現しているモデルは私の知る限りでは存在しません。

ではSR-X9000に弱点はあるかというと、まずサウンドがかなり丁寧に仕上げてあるので、突発的な刺激や、想像を超えるような表現は得られないという印象はあります。これはラックスマンやアキュフェーズなど日本のメーカーにありがちな特徴です。何を聴いても一辺倒な鳴り方になる、というほどではないのですが、なんとなく次に聴く曲の鳴り方も想像できるような感じがします。その点たとえばAbyssとかの方が予測不能なワイルドさがスリリングに感じます。ガレージメーカーのスポーツカーと、伝統と格式高い高級セダンの違いみたいなものでしょうか。

また、周波数特性や空間定位、音場の広がり方などのプレゼンテーションが我々が想像する開放型ヘッドホンの鳴り方に準じているため、たとえばHD800SやATH-AD5000Xなどのサウンドを知り尽くした人がSR-X9000に乗り換えるのであれば、総合的な質の向上を実感できると思うのですが、一方で、そういった既存の優れたヘッドホンを使い慣れていない人や、静電型だからといってなにか奇抜なサウンドを期待している人がSR-X9000を手に入れても、HD800Sなどと交互に聴き比べても何が凄いのか実感できないかもしれません。つまり様々なヘッドホンの音を聴いてきた人ほど魅力を感じる仕上がりだと思います。

Chord DAVE

余談になりますが、個人的に今回の試聴にて音質に一番大きな影響を与えたのが、T8000アンプのボリュームノブでした。

冒頭の写真にあるように、今回はDACにChord DAVEを使ったのですが、DAVEを固定ライン出力にして、T8000のボリュームノブで音量調整すると、全体的に丸くマイルドでフワッとした鳴り方になります。雰囲気は良いですが、ステレオ定位の解像感などが甘い感じです。一方DAVEを可変ボリュームに、T8000を固定に設定して聴いてみると、一皮剥ける、というか、音の鮮度みたいなものがだいぶ向上します。

実はT8000が発売した当初から生粋のSTAXマニアの間ではボリューム部分をバイパスするのは必須だと言われていることは知っていたのですが、以前SR-009SやL700Mk2などを聴いていた時は、若干変わるけど、そこまでいうほど優劣は決められない、という印象だったところ、今回SR-X9000ではバイパスした方が明らかに良いです。ヘッドホンの性能が向上したからでしょうか。

ヘッドホンアンプの業界にはスピーカーアンプのようなプリアンプとパワーアンプを分けて考えるという概念が浸透していませんが、ヘッドホンアンプはスピーカーアンプと比べて出力はそこまで高くなくてもよい一方で、歪やノイズ性能は優秀であることが求められるため、プリ部に相当するボリューム回路をバイパスして別のものを使う事で音質が変わるのは理に適っています。

では今回使ったChord DAVEがベストなのかというと、そのあたりを追求するのもオーディオ趣味の醍醐味です。もちろんレコードプレーヤーなどのアナログラインソースを使いたいなら、DACプリではなく、入力系統の多いアナログプリを用意する方が良いでしょう。

その点では、ヘッドホンのみに没頭している人よりもむしろスピーカーのハイエンドオーディオの経験が豊かな人の方がSR-X9000を使いこなせるだろうと思います。たとえばリスニングルームのメインシステムのプリに出力が二系統あるなら、片方をT8000に接続しておくというのが理想かもしれません。

T8000に限らず、別のメーカーから出ているSTAX用アンプというのも色々ありますし、SR-X9000は究極のヘッドホンの終着点というよりは、新世代のSTAXファンのためのスタート地点となり、これをレファレンスとして、プリ・パワーアンプや上流ソースなど、ありとあらゆる部分を吟味してSR-X9000のポテンシャルを引き出していくという、まるで険しい登山道の始まりです。

おわりに

今回は四種類の高級ヘッドホンを一気に聴いてみたわけですが、その理由は、別々に書くのがめんどくさかったというのもありますが、それぞれ個別に聴いても「さすが高いだけあって、凄いサウンドだ」みたいな安直な感想しか思い浮かばないだろうと思ったので、その点、それぞれ交互に聴き比べる事ができたのは幸いでしたし、実際に各モデルごとに音作りやチューニングの目指すところが大幅に異なるという事が実感できました。

Abyss AB-1266 PHI TCは真空管アンプなどをあれこれ聴き比べるためのレファレンス的ヘッドホンが欲しい人にお勧めです。ダイナミックでレスポンスが速い、圧倒的なサウンドなので、アンプによる違いが鮮明に現れますし、ヘッドホン自体のクセが邪魔になることもありません。DACやアンプの自作をしている人とかにも最高の評価基準になると思います。同メーカーのDianaも結構良いので聴いてみてください。

HEDD HEDDphoneはゆったりと音楽鑑賞に没頭したい人にお勧めです。特にスピーカーリスニングに慣れていて、ヘッドホンでも同じように、ソファーに深く座って毎晩の楽しみとしてクラシックなどの音響に包まれたいなら最適です。装着感は要確認なのと、付属ケーブルはアップグレードしたほうが良さそうです。

Dan Clark Audio Stealthは2022年における密閉型ヘッドホンの最高峰です。ハウジングの響きがほぼ皆無で、密閉型とは思えないバランスの良い鳴り方、しかもポータブルでも鳴らせるという、近代のヘッドホン設計の理想を描いたようなモデルです。自宅の音楽鑑賞でも密閉型の方が好ましいという人は多いと思いますので、そういう場合にはお勧めです。開放型を検討している人でも、侮らずに是非試聴してみてください。値段相応の価値は十分あると思います。

STAX SR-X9000は日本メーカーらしい丁寧な美音の仕上がりで、以前の009Sと比べて明らかに進化しているので、ここまで伸びしろがあることに驚いたと同時に、STAXの開発陣が健在なのが嬉しく思いました。アンプ(ドライバーユニット)を合わせると相当な値段になってしまいますが、現時点で最高峰のヘッドホンリスニングを追求するなら、これは絶対に避けて通れない道です。特にDACやプリなどはスピーカーオーディオ用最高峰クラスを投入するメリットがあるので、上を目指すととキリがないポテンシャルが伺えます。

そんなわけで、メーカーごとにずいぶん異なる結論に至りました。もうひとつ、今回色々と試聴してみて思いついた意見としては、ヘッドホンメーカーはドライバー技術ばかりに注力するのではなく、ここまで高価なら、装着感に関してもうちょっと頑張ってもらいたいと思いました。長時間快適に装着できるのはもちろんのこと、性別や年齢、人種による骨格や耳形状の違いなどについて、もっと注目すべきです。近頃IEMイヤホンが劇的な進化を遂げているのも、そのあたりをちゃんと設計に取り入れているからという理由もあるのかもしれません。

デザイナーなら、様々な人の頭や頭蓋骨を実際に模写してみると、耳の形状や位置の差に驚かされます。フィット感は多少我慢できたとしても、開発者自身にとっては良い音質でも、別の人が装着したら全然違って聴こえてしまうような設計では、そもそも音質レビューの評価が参考になりません。自分の頭は標準的だと思っていても、別の国に行けば全然違う事がわかります。

ヘッドホンは頭に装着するものですから、ランニングシューズのメーカーくらい人間工学に基づく最良の音響設計を検討してもらいたいです。そのあたりは現状最高級のヘッドホンメーカーであってもまだまだ未熟な点がいくつか伺えました。

では今回色々と聴いてきて、個人的にどれか欲しいか、となると、自腹で買うとなると、どれも高価なので、そこまで乗り気になれません。私は相変わらずViolectric V281のような無難で安定したヘッドホンアンプを使っていて、新作ヘッドホンが出るたびにあれこれ聴き比べて、モデルごとの音色の魅力を楽しんでいるような感じなので、どれか一つに絞るのも嫌ですし、多分すぐに浮気するだろうと思います。

しかしヘッドホンマニアの多くは、あれこれヘッドホンを吟味するのはもう疲れてきたので、そろそろベストな一台に絞って、それを長年愛用しようと考えているだろうと思います。特にスピーカーなど別の趣味との二刀流だと、時間と予算的にも厳しいです。

私ももうちょっとスピーカー環境に本格的に力を入れたいと思っていながら、なかなか実現できていないのですが、もしそうなったらSTAXなんかを買うのかな、なんて思っていますし、実際長年のヘッドホンマニアの友人でもそっちに落ち着いた人は何人かいます。一旦ものすごい高いやつを買ってしまえば、他の新作モデルに目移りする気も薄れますし、そう考えると、そこまで高い買い物でもないのかもしれません。私自身にはまだちょっと早いです。