ゼンハイザーから久々の本格的な新作ヘッドホンHD660S2が登場したので、試聴してみました。
Sennheiser HD660S2 |
2023年2月発売で価格は約9万円弱です。ゼンハイザーを象徴する伝統的な開放型モデルの最新バージョンということで、ファンからの期待も大きく、一体どのように変わったのか非常に気になります。
HD660S2
このHD600番台は、HD25と並んでゼンハイザーが現在まで製造を続けている最古のヘッドホンシリーズということで、かなり歴史と伝統があるデザインです。
レコーディングスタジオから楽器店の試聴用まで、音の良し悪しを判断する現場で広く愛用されてきたシリーズなので、ヘッドホンマニアであれば必ずどれか一台は持っているでしょうし、無意識にでも一度は使ったことがある人は多いはずです。
1993年に登場したHD580にて基本的なフォルムが決定され、その後HD600(1997年)、HD650 (2003年)、HD660S (2017年)そして今回のHD660S2(2023年)といった具合に、五年に一度の周期で更新されている事がわかります。
HD600・HD650・HD660S・HD660S2 |
そんな中でも2017年のHD660Sは、それまでのサウンドと決別した全く新しい音響デザインを導入したモデルで(上の写真を見ても、グリル中心のドライバーが別物なのがわかります)、今作HD660S2はその後継機という位置づけになっています。同じゼンハイザーにおけるHD800とHD800Sの関係性に近いかもしれません。
ちなみに価格に関しては、2017年HD660Sの発売価格が約55,000円だったのに、今回HD660S2は一気に90,000円へと1.6倍も値上がりしたのは、近頃の円安のせいもありますが、ドイツでも400ユーロから600ユーロへと1.5倍の値上がりをしているので、仕方がないようです。ゼンハイザー的には生産数と需要を見越しての戦略的な価格設定なのでしょうけれど、ますます他のモデルとの価格差が開いてしまい、購入者には悩ましい事態となりました。
HD660SとHD660S2 |
HD660SとHD660S2のドライバー比較 |
公式スペックを見ると、HD660S2は「300Ω・104dB/V」の38mmダイナミックドライバーを搭載しており、HD660Sの「150Ω・104dB/V」と比べるとインピーダンスが倍になっています。
上の写真を見てもほとんど同じ設計のようですし、駆動能率はどちらも104dB/Vつまり1Vで104dBSPLの音圧が出せるので、同じ音量を出すためにアンプに求められる電圧は変わりません。
どちらもMade in Irelandです |
ちょっと興味深いのは、このHD660S2はゼンハイザーのコンシューマー部門が2021年Sonovaに買収されて別会社になって以来初のモデルチェンジだという点です。
製造工場は以前と同じアイルランド製ですし、品質に関して大きな変化は見受けられませんが、設計コンセプトに関しては、なにか新しい方向性を感じさせてくれるかもしれません。
もうひとつ面白い点として、公式サイトを見ても、HD600とHD650はまだ現行モデルとして販売されているのに対して、HD660S2の登場に合わせてHD660Sはカタログから消えています。
HD600とHD650はどちらも20年も昔のモデルでありながら、レコーディングスタジオなど業務用での需要が根強いため、なかなか生産終了にできないという事情があるようです。似たような状況にあるのは、同じくドイツのベイヤーDT770・880・990シリーズや、日本でいうとソニーMDR-CD900STでしょうか。
ポップスなどで、自身が顔出しするような著名クリエーターとかは、もっとトレンドに沿った派手な最新ヘッドホンを使いがちなので、そっちに注目が集まりますが、クラシックなど本物の生楽器録音の職人現場では、アルバムの収録現場の写真や動画を見ると、HD600・HD650の普及率が圧倒的に高いです。
一例を挙げると、偶然出くわしたこのブログの記事に、クラシック大手BISレーベルの録音現場についての情報と写真が大量にあり(貴重な資料を含む素晴らしい記事です)、そこではスタッフがHD600とHD650の両方を使い分けており、スペアが山のように積んであるのが伺えます。同じく写真に写っているRMEのインターフェースと合わせて、我々でも手が届く価格帯の手軽なセットアップで、レコーディング現場と同じサウンドが体験できるというのが、プロ用ヘッドホンの人気の秘訣だと思います。
逆に言うと、HD660Sはそういったプロ用途ではなく、あくまでコンシューマー向けの音楽鑑賞用ヘッドホンという位置づけだったということでしょう。日頃のレファレンスモニターとして業務で使っているのなら、急に後継機登場でチューニングが変わってしまうと困ります。HD800がHD800Sに変わった時にも賛否両論ありました。
ところで、これらヘッドホンがゼンハイザーのプロ機器としてではなく、Sonova傘下のコンシューマーブランドから販売されているのは不思議に思うかもしれません。公式サイトの一番下を見ると「© 2023 Sonova Consumer Hearing GmbH」と書いてあります。経営分離が発表された際、コンシューマー側というと、もっとカジュアルなMomentumワイヤレス機などだけを想像していた人も多かったでしょう。
実際のところ、ゼンハイザーがコンシューマー部門を分離したのは、大量生産や流通の面での負担やリスクが大きく、経営陣が実際にやりたい本業に集中できないから、という理由が強かったと思います。HD650なども確かにプロ機として知名度を獲得したモデルですが、実際の売上を見れば、その大半はプロではないコンシューマーやアマチュアが購入しており、莫大な数が製造されているわけですから、業務用の顧客一人一人のニーズに対応するようなBtoB的な売り方とはずいぶんかけ離れた存在になっています。
職場にあったゼンハイザー |
余談になりますが、ゼンハイザーのプロ部門というと、レコーディングヘッドホンやマイクだけではなく、大規模な会議施設やコンサートホールなどのPAやステージ音響が中核にあります。私の職場にも、会議室の天井マイクにゼンハイザーのやつを導入したので、こういう意外なところで頑張っているのを見るのは嬉しいです。
デザイン
昔からのヘッドホンマニアなら、もう散々見飽きたというか、親の顔より見慣れたデザインだろうと思います。
外観上HD660Sから何も変わっていませんし、1993年のHD580の頃から何も変更する必要が無いくらい基礎設計が優れており、ほぼ全てのパーツの互換性があるというのは凄いです。
HD660S・HD660S2 |
HD660S・HD660S2 |
ロゴが銅色に |
プラスチックの色合いが若干変わったのと、ヘッドバンドやグリルのエンブレムが銀から銅色に変わったあたりで判別できます。
近頃のヘッドホンと比べると側圧の締め付けは強めですが、約260gと極めて軽量で、しかも開放感があるので、圧迫感や蒸れる感じは少なく、むしろフカフカしたパッドが耳周りを確実にホールドしてくれるため、長時間使っていると体の一部のように感じてきます。
ヘッドバンドのクッションも十分にあり、中心に切れ込みがあることで頭頂部を圧迫せず、負荷が頭上の左右に分散されるあたりも快適です。一見地味でもしっかり考え抜かれたデザインがロングセラーの証と言えそうです。
ドライバー |
イヤーパッド |
肝心のダイナミックドライバーは素人目ではHD660Sと同じように見えますが、新型だそうです。公式サイトによると、ボイスコイルのワイヤーを軽量化したことと、振動板素材の柔軟性を向上させたことで、低音と高音の両方で追従性が良くなったらしいです。
ハウジングの基礎設計はHD600の頃からほとんど変わらず、最近のダイナミック型ヘッドホンの中では比較的小さな38mmドライバーを中央に配置して、その周辺を特定の周波数だけ反射するバッフル(銀色のメッシュ素材)で囲む事で、パッシブラジエーター的な音響効果を発揮する仕組みです。
イヤーパッドはこれまで通りハウジングの爪にパチパチとはめていくタイプで、交換も簡単です。モコモコしたフリース素材っぽい感じなので、合皮のように経年劣化でボロボロにならないのは良いですし、ゼンハイザーは老舗だけあって交換パーツの入手性が良いのもありがたいです。
ケーブル
ケーブルはHD660Sと同様に6.35mmシングルエンドと4.4mmバランスケーブルが付属しているのが嬉しいです。ただし今回は3mではなく、どちらも1.8mになっているのは、ユーザーの需要に答えたのでしょうか。
付属ケーブル |
300Ωの開放型ヘッドホンということで、あえて3.5mmではなく6.35mmプラグにしているのは本格派っぽいです。もちろん最近の強力なDAPとかなら十分な音量は出せると思うので、6.35→3.5mm変換アダプターも付属しているのはありがたいです。
4.4mmバランスはDAPで有利です |
大抵のDAPなら4.4mmバランス接続を使うことで二倍の電圧ゲインが得られるはずなので、ポータブルならそっちを使った方が良いかもしれません。人気シリースだけあって社外品ケーブルにも豊富な種類があるのも嬉しいです。
ピンの太さが違います |
ちなみに、このタイプのヘッドホンについて書くたびに何度も言っている事ですが、ヘッドホン側端子の二つのピンは同じ直径ではなく、太いのと細いので、一方向にしか刺さらないようになっているので注意してください。
知らずに逆向きに無理やり押し込んで壊してしまうトラブルを未だに何度も見るので、聞き飽きたと思いますが、一応注意喚起しておきたいです。
HD560SとHD660S
一つ面白い状況になっているのが、HD560Sの存在です。このHD560Sというヘッドホンは、HD500番台(HD599など)と同じハウジングに、HD660Sと同じ世代の高性能ドライバーを搭載した異色の存在で、HD660Sの弟分として2021年に登場して、一躍大ヒットになりました。
HD560S |
当時米国などのレビューで、約25,000円でという低価格で、その倍以上の値段のHD660Sと同じレベルのサウンドが体験できる高コスパ機という風に持ち上げられて、一時は売り切れ続出で入手困難だった時期もあったくらいです。
そんなHD560Sなのですが、今回HD660SがHD660S2に世代交代したタイミングで新型に更新されなかったので(今後出るかもしれませんが)、サウンド面では(詳細は後述しますが)HD660Sに近いままで、HD660S2とは明らかに異なるモデルになっています。
インピーダンス
いつもどおり周波数に対するインピーダンスの変化を測ってみました。
ただし装着時の密着具合はメガネやマスクで隙間ができるなど個人差があるので、あくまで参考程度に考えてください。
ちなみにUtopiaでは信号電圧つまり音量でもインピーダンスが大きく変わり、普段どれくらいの音量で音楽を聴くかでドライバーの挙動が変わったのですが、あれはかなり例外的な傾向で、ゼンハイザーの場合は音量による電気的な変化はほとんどありませんでした。
なんにせよ、グラフを見ると、HD660S2の公式スペックの300Ωというのは1kHz付近での話で、100Hz付近では800Ω程度まで上昇しているのがわかります。
HD660Sと比べて約二倍のインピーダンスで、中高域だけを見ればHD600・HD650と同じくらいだという事がわかります。ちなみにHD650の公式スペックでは103dB/Vと書いてあるので、HD660S2の104dB/Vとほとんど変わりませんので、音量もだいたい同じくらいです。
ちなみにゼンハイザーはdB/V(つまりdB/1Vrms)でスペック数値を表示しているので、他社のdB/mWとはそのまま比較できないので注意が必要です。公式スペックの300Ωで計算すると、104dB/Vは98.7dB/mWくらいになります。
ところでゼンハイザー公式サイトを見ると、HD650は103dBなのにHD600は97dBと書いてあります。dB/VかdB/mWなのか明記していないので混乱するのですが、どちらもほぼ同じドライバーで、音量もほとんど変わらないので、HD650が103dB/Vで、HD600が97dB/mW(300Ωで計算するとほぼ103dB/V)という事かもしれません。1997~2004年の間に社内での表示規格が変わったのでしょうか。ユーザーを混乱させるのであまり好きではありません。
なんにせよ、今回の新作HD660S2はインピーダンスや駆動能率の面ではHD600・HD650に近くなったという事です。
音質とか
今回の試聴では、いつもどおりiFi Audio Pro iCAN Signatureを使って鳴らしてみました。DACはChord DAVEです。
インピーダンスが300Ωとかなり高めのヘッドホンなので、十分な電圧が確保できる据え置きヘッドホンアンプを使うのがお薦めです。
iFi Audio Pro iCAN Signature |
今回のHD660S2も例に漏れず、ボリュームノブをそこそこ上げる必要がありますが、ただし150ΩのHD660Sと比べて300Ωだからボリュームを二倍に上げないといけない、というわけではなく、駆動能率はどちらも104dB/Vと書いてあるとおり、出力インピーダンスが低いアンプでしっかり定電圧駆動できているなら同じ音量になるはずで、実際に聴いてみてもそのような感じです。
LINNレーベルからCristian Măcelaru指揮WDRのバルトークを聴いてみました。「かかし王子」と「舞踏組曲」のどちらも一級品の演目なのに「管弦楽の」「弦チェレ」「中国の」などの影に隠れて意外と録音数が少ないので嬉しいです。
ルーマニア出身のマチェラルは現在ケルンWDRとフランス国立でトップを兼任している非常に勢いのある指揮者で、新譜でも名前を見る頻度が高くなってきました。今作バルトークを聴いてみても、WDRとの息の合った演奏は、定番ショルティの熱さとブーレーズの間のとり方の両方を感じさせる迫力があり、実に聴き応えがあります。特に舞踏組曲の方はつい最近同じ指揮者がバイエルンとのアルバムも出したばかりだったので聴き比べも面白いです。(私はこちらWDRの方が好きです)。
HD660Sは、今は無きHD700ゆずりの金属的で派手な高音が奔放に飛び交うあたりが自分の好みに合わなかったので、今回それが落ち着いたのが嬉しいです。ここでいう金属的というのは金管楽器が映えるような美音系ではなく、もっと鉄とかアルミみたいな硬い感じで、特にバルトークのようなパーカッシブな作品を聴くと不必要な派手さを痛感します。おかげで従来のHD650などと比べて高解像っぽく思われがちですが、聴き疲れしやすいので、カジュアルな使い方には向いていないヘッドホンでした。
HD660S2では、硬い金属感のあるアタックはまだ残っており、丸くロールオフしているわけではないものの、響きの減衰が速くなり、あまりキンキンせず、カチッとした鳴り方に変化しています。ドライバーの改良によりレスポンスが向上したのでしょうか。アルバム7曲目(第四舞曲)の終盤などを聴いてみても、HD660Sだったらベルやシンバルがジャンジャン目立って辛くなってくるのですが、HD660S2であれば一音ごとに歯切れよく分離してくれて良好です。
また、それ以上に大きな変化として、中域以下が持ち上がっており、高音ばかりが強調されるような鳴り方ではなくなりました。一般的に低音を増強するためにハウジングの響きに手を加えてしまうと、特定の帯域だけが山のように盛り上がる鳴り方になり、方角や位相タイミングの整合性が悪く、楽器としての体裁を保てず、変な方向からボンボンと遅れて響くだけの低音になってしまいがちです。しかし、このあたりがさすがゼンハイザーと言えるところで、HD660S2の場合はドライバー自体を改良したことで、かなり均一な鳴り方に仕上がっています。周波数グラフを想像すると、これまで右肩上がりだった傾斜が、全体的に回転してフラットな平行に近づいたような感覚で、低音側の解像感が損なわれておらず、度々入るティンパニなど低音楽器の鳴り方もリアルです。
特に5曲目(波の踊り)なんかは、下手なヘッドホンだと中低音が霧のように濁ってしまい、スケールの大きさが描ききれないのですが、とくに2:30あたりの神秘的な雰囲気から一気に盛り上がっていくあたりも、HD660S2ではバルトークらしい迫力のあるオーケストレーションが再現できています。
このように、HD660Sでの不満点を克服して見事に進化したHD660S2ですが、完璧というわけではなく、弱点も思い浮かびます。私自身、良いヘッドホンかと聞かれたら、たしかにそうだと答えますが、では日頃の音楽鑑賞に使いたいかと聞かれたら、そうとも言えません。
個人的にHD660S2がそこまで好きになれない理由として、特性の完璧さを追求するのが優先されすぎて、音楽を聴いていると、細かい調整で抑え込まれているような感覚があります。
押し止めるような思い切りの悪さというか、全員が一列に並んで、同じタイミングでスタートさせるようなもどかしさというのでしょうか、どうも音が固く詰まって、生楽器の優雅さを表現しきれていない気がしてきます。いわゆる「エージング前の音」なんて言われそうな感覚なのですが、かなり使い倒された店頭試聴機でも、なかなか解消される気配がありません。
対照的に極端な例を挙げるなら、オーテクやGradoなどのように、ヘッドホンを楽器のような音響素材として扱う事で、まるで目の前の生楽器を聴いているような感触を与えてくれるヘッドホンもあるわけで、HD660S2はそれらとは真逆の存在です。
もちろんゼンハイザーがGradoのように鳴ったら、それはそれで困りますが、音楽鑑賞用としては、測定上の完璧さは多少犠牲にしてでも、もうちょっと自由に音を響かせる感覚が欲しいと思いました。
空間表現に関しては、これまでのHD600シリーズと同様に、ドライバーが耳の間近にあることからも想像できるように、音像がイヤホンのように頭内に流れ込むので、アーティストが目の前に浮き上がるスピーカーのような前方音場を描くのが不得意なのも、音楽鑑賞用として使うには不利かもしれません。
ただし、EDMトラックなど、そもそもステージの概念や前方定位を想定していない作風であれば、自分の周囲を360°取り巻くような鳴り方が効果的に働くケースもあり、さらにゲームのサラウンド音源や空間オーディオなど、音源自体が背後も含む立体音響を構築する意図がある場合、ヘッドホンはできるだけ無個性であるべきです。
せっかくDSP演算で三次元のサラウンド空間定位を生み出そうとしているのに、ヘッドホンが前方傾斜配置で前から音が鳴ってるように作られていたら、本末転倒で台無しになってしまいます。その点ではHD660S2は有利に作られており、HD800Sとしっかり棲み分けがされているわけです。
また、先程言ったように、低音をハウジングに依存しすぎて特定の低音だけがドライバーとは違う変な方角から聴こえてくるような設計のヘッドホンでも、空間オーディオは上手く表現できません。そういった意味で、HD660S2というのはVRやDSP空間処理など現代の最先端を体験するのに最適のヘッドホンだと思います。
ケーブル交換 |
ケーブルに関しては、愛好家ともなるとヘッドホン本体よりも値段が高いブランドケーブルを必須アイテムとしている人もいるくらいです。
幸いHD600の頃からずっと同じ着脱端子を使っているため、当時からのファンならそこそこ高品質なアップグレードケーブルの一つや二つは持っているでしょう。特にケーブルというのは新しいほど音が良いというわけでもなく、むしろ同じ品質のケーブルでも昔の方が良心的な価格だったような気もします。
ゼンハイザー純正のケーブルは、太いゴムの外皮とは裏腹に、中身の線材はかなり細いので(昔はリッツ線だったと思いますが、現在もそうなのかは不明です)、一般的な社外品ケーブルと比べると安定志向の「整った」サウンドの印象があります。
私がHD650用にずいぶん昔買ったPCOCCの短いケーブルに交換してみたところ、純正と比べて中域の滑らかさが良くなった気もしますが、音圧や力強さは損なわれるようで、上手くいきませんでした。
ヘッドホン自体が比較的素直で、ケーブル変更に敏感に反応する傾向なので、もっとゲージが太いOFC銅や銀線など色々と試してみるのも面白いですが、迷ったら純正に一旦戻すのも良いと思います。
HyperionレーベルからGarrick Ohlssonのシューベルトを聴いてみました。D537と959という選曲です。
HyperionといえばHoughやOsborneもいるので、Ohlssonは影の薄い存在です。しかもHewittのような長期プロジェクト中心ではないので、なんとなく「その他色々」のアーティストみたいな印象があります。あまりドラマチックに没頭しすぎないクールな奏法も、悪目立ちしない反面、影が薄い理由かもしれません。
そんなOhlssonですが、このシューベルトは大当たりで、カチッとした演奏が上手くマッチしており、洗練された透明感のある世界観が味わえます。シューベルトは冗長で執拗な感じが苦手という人でも楽しめると思います。
RME ADI-2DAC |
今回HD660S2を試聴してみた上で、普段以上に悩まされた点が一つあります。
せっかくゼンハイザーだから同じくドイツのRME ADI-2DACで鳴らすのが良いだろうと予想していたところ、どうにも硬くて地味なわりに中域がスカッとせず、本領発揮できない感じがありました。
具体的な原因はわからないのですが、駆動するアンプによって、良く鳴ってくれるアンプとそうでないアンプに明確な境界線みたいなものが感じられるのです。
特にソロピアノのようなシンプルな楽曲の方がわかりやすいのですが、相性が悪いアンプだと、中域全体が塊のように分離の悪い濁った鳴り方になってしまいます。高音や低音はどのアンプでも普段どおりの良い鳴り方のままなのが不思議です。そして、いざ別のアンプで鳴らすと、中域の濁りが一気に晴れて、良い感じの鳴り方に変身します。
DAPや据え置きアンプなど色々と試した結果、多分アンプのパワーに起因するような気もするのですが、いまいち理解できません。
たとえば、私が普段使っているHiby RS6 DAPでは、シングルエンドとバランスのどちらもダメで、Fiio Q7やiBasso DX320でも同様です。据え置きでも、RME ADI-2DAC、Chord DAVE、iFi Pro iDSDではパッとせず、Pro iCANやHugo TT2などでは急に良くなるので、大きな据え置きアンプの方が良いということでしょうか。
もちろんわずかな差なので、気にならない人なら問題ないと思いますが、もし試聴するなら、色々なアンプで鳴らしてみる事をおすすめします。特に中域のヌケの良さに注目すると、そこそこ違いが感じられると思います。
Hiby RS6をDACに |
そんなわけで、HD660S2を音楽鑑賞用に使うなら、一体どのような構成が自分にとってベストなのかと色々と模索してみたところ、意外なところで良い組み合わせを見つけました。
ちょうどHibyのDAP用ドックモジュールをテストしているところだったので(単なるパススルーの便利アイテムです)、RS6 DAPのライン出力をiFi Pro iCAN Signatureに送ったら、RS6の温厚な音色がグランドピアノの質感を引き出し、Pro iCANの広帯域な力強さがホール音響を展開してくれて、上手く相乗効果を発揮してくれるようで、中域の詰まりも少なく、かなりいい感じです。
ようするに、HD660S2は高スペックなモニター系機材でカッチリと固めるよりは、上流機器の個性を用いて、可能性を広げるような使い方の方が向いているようで、そういったあたりも最近のヘッドホンのトレンドに沿っている印象です。
このようにヘッドホンそのものには過度な美音を求めず、スペック的にフラットなものが好まれ、アンプもシンプルで強力なものを使い、音色に関してはソフト上のDSPなりレトロなDACなりで好みに調整するというような手法が近頃のトレンドになっています。
一方日本のメーカー的には、ヘッドホン自体に色艶や芸術性を求める傾向があるので、それとは真逆の考え方です。ヘッドホンの性能がボトルネックになっていた時代なら、それでも良かったのかもしれませんが、近頃は技術的に大幅な進化を遂げて、上流の変化にしっかり対応できるようになってきたので、なまじ個性的な美音系ヘッドホンを買って、一辺倒で毎日付き合わされるよりも、ヘッドホンはできるだけ無個性で、ソフトウェアやデジタルの領域で色々と遊べる方が好まれるのかもしれません。
HD6XX・HD660S2 |
大昔からヘッドホンマニアをやっていた人なら、HD600・HD650を散々使ってきたので、今更感がありますが、新しく興味を持った人にとっては一見同じに見えるHD660S2との違いが気になるところだと思います。
ちなみにこれらも軒並み値上げしており、さっき価格コムを見たら現行HD650で6万円以上するので驚きました。
私としては、あの20年前の古典的なサウンドを今になって味わいたいのなら、米通販限定の廉価版HD6XXで必要十分ということで一段落ついています。
HD6XXはHD650と同じサウンドをUS$200という破格の値段で実現しており、2016年に登場して以来、新品も中古も広く流通しています。アイルランドではなくルーマニアの別工場産で、未塗装プラスチックが極めてチープなのを除けば、私も聴き比べても違いがわからないくらいの優秀なヘッドホンです。
もちろんHD650も長年大量に製造されているので、中古で探せばHD6XXと同じくらいの値段で見つかります。現行のマットなデザインよりも、あえて冒頭の写真にあるような初期型HD650のグレーのラメ入りや、HD600の大理石パターンのを欲しがっている人もいます。
HD650はロングセラーなだけあって、ネットのレビューなども山ほどあるわけですが、注意点として、いつごろ書かれたレビューなのかは考慮すべきです。HD650が流行っていたのは、まだスマホすら生まれていない大昔で、当時はヘッドホンの選択肢も少なく、その中で最高峰であったのは事実であっても、音色や音響の凄さに関する感想については、現代のモデルと比較しても当てはまるかというと、そうでもありません。
たとえば、レトロなビデオゲームが好きな人もいますが、当時のレビューを読んで「圧倒的なグラフィックス」なんて書いてあるのを真に受けて、最新作と同レベルを期待するのと同じようなものです。
ではHD650はもはや無価値なのかというと、そうでもありません。特性はとても素直ですし、帯域や周波数特性、ダイナミクスなどに限定的な部分があるからこそ、サウンドに一貫した表現のまとまりが感じられ、そこから逸脱しないという安心感があります。
新世代のHD660SやHD660S2の鳴り方に慣れてしまってからHD650に戻ってみると、メリハリが弱い凡庸な鳴り方に驚かされます。解像感や抑揚の強弱は新型の方が遥かに上で、さすが技術力に20年のギャップを実感します。
しかしHD600・HD650が多くのレコーディングスタジオで愛用され続けているという事はつまり、このヘッドホンで最終的な音決めが行われた楽曲も多々あるわけで、それに限りなく近づけるという考え方も理解できます。
実際のところ、HD650で聴くくらいが丸く豊かでちょうど良いと思えることが多く、逆にHD660SやHD660S2だと楽曲そのものの限界を超えてしまって、録音の不備が目立ったり耳障りな部分が現れてしまう事も多々あります。それも含めて高性能なオーディオ機器と言えるわけですが、必要であるとは限りません。
HD650というのは、20年前から居間に置いてあるホームスピーカーの音みたいなもので、多くの人にとって共感が持てる、期待通りのサウンドを奏でてくれるあたりが人気の秘訣のようです。
逆にHD660S2のポテンシャルの高さを活かして、DSPなどデジタル領域でサウンドを望み通りに整える方が好きな人もいるので、必ずしも正解は一つではありません。
HD560Sとの比較 |
HD660S・HD660S2の購入を検討している人にとっては、HD560Sとの比較というのも気になるところです。値段が倍くらい違うわけですから、もし音質差がそこまで大きくないのならHD560Sの方がお買い得であることは確かです。
実際に聴き比べてみると、HD560SはHD660Sの兄弟機であって、HD660S2とは鳴り方が全然違う事がわかります。
HD599などのカジュアルなモデルを聴き慣れていた人にとって、HD660Sゆずりのシャープな高音は明らかに高解像な印象を与えます。特にHD599はテレビ鑑賞などのマイルドな用途に向けて作られていたのに対して、HD560Sは音楽以外でもゲームや動画編集など、情報をシビアに分析する現代の若者の用途に適した、次世代のサウンドを目指しているように伺えます。
HD700以降、HD660S、HD560Sと継承されてきたシャープなサウンドは、現在ではHD560Sのみがカタログに残されたことになるので、ゼンハイザーの全ラインナップの中でもかなり異色の存在になっています。
HD560S |
HD660S2とHD560S |
余談になりますが、以前HD560Sについて書いた時も触れましたが、HD660SとHD560Sの鳴り方の違いは、ハウジング内のドライバー位置と反射部品の有無が決定的な差をつけています。
HD600からHD660S2まで、HD600番シリーズは、どのモデルも振動板がハウジングの中心に耳と並行して配置されています。一方HD560SなどHD500番シリーズでは、ドライバーとバッフルの見た目はほぼ同じでも、耳に対して前方から音が鳴るよう傾斜配置されており、さらに耳穴の後ろにあたる部分に四角いプラスチックの突起があります。
HD560Sはこのようなデザインのおかげで、ステレオの広がりが狭く、音楽全体が自分の目前にぼんやりと浮かび上がるような鳴り方で、さらにもっと肝心なのは、自分の耳の後ろ側からは全く音が鳴っていない感覚があります。プラスチックの突起があることを意識しながら聴くと、その効果がわかりやすいと思います。
一方HD600シリーズは音が鼓膜にストレートに入ってくるため、自分の耳の後ろからも含めて、前後左右上下全ての方向から音が聴こえてくるような感じで、HD560Sのように自分の前方に音像が浮かび上がるのではなく、脳内で鳴っている感覚があるのですが、おかげでステレオイメージが広く分離してくれて、個々の音源を聴き分けるのが得意です。
ようするに、周波数特性とかは別として、音響設計において、HD500シリーズはカジュアルな音楽鑑賞に、HD600シリーズは分析的なモニター用途に適したデザインであることがわかります。
また、HD500シリーズは、DSPの空間エフェクトみたいな事をヘッドホン自体が物理的に行っているわけですから、そういったソフト依存の空間エフェクトを使いたい場合は、HD600シリーズのストレートな鳴り方の方が相性が良いです。
なんにせよ、今後HD660S2相当のHD560S2みたいなモデルが出るのかは不明ですが、現時点でのHD560SはHD660S寄りの周波数特性とHD599寄りの空間特性をかけ合わせたようなモデルなので、HD660S2とは根本的に違うため、どちらか悩んでいるならしっかり試聴することをおすすめします。
単純な価格差以上に、想定する用途によって適切なヘッドホンが変わってくるため、高価な方が必ずしも優れているというわけではありません。
おわりに
一見そこまで大きく変わったようには見えないHD660S2ですが、新たな音作りの方向性や価格設定から想定するに、ゼンハイザーがそこそこ大きな路線変更を狙っていることが伺えます。
とりわけサウンド面では、これまで「ゼンハイザーというのは、こういう音だ」という確たるイメージみたいな物があり、それが賛否両論あったわけですが、今作HD660S2ではだいぶ現代のヘッドホン市場に求められている平均的なサウンドに寄せてきた印象があります。
もちろんゼンハイザーらしい真面目で合理的な設計は健在でありながら、これまではゼンハイザーを敬遠してきたような人達でも納得できるような、幅広い客層に対応するサウンドに仕上がっていると思います。
価格面では、すぐ下のHD560Sとの差が大きく開いてしまったので、これまでのような兄弟機といった感じではなくなり、全く異なる価格帯の客層に分かれてしまいました。
そのあいだにHD600とHD650があるわけですが、それらは古典的なモデルなのでサウンドが全く別ジャンルですし、同様に値上がりしているので今更感はあります。これらのサウンドが好きなら、どうしても業務用途とかで必要でない限り、正直HD6XXで十分だと思います。
私の勝手な想像になりますが、大昔には、HD650がヘッドホンの頂点にあった時代が確かにあったわけで、今回のHD660S2は、どんどん陳腐化していくHD600シリーズをもう一度トップへと引き上げて、HD800Sとの二頭体制を確立するような意図が感じられます。
同じ開放型でも、大型ドライバーを耳から離して傾斜配置したHD800と、小型ドライバーを耳の真横に並行配置したHD660S2では、ヘッドホン設計の対極にあるので、これまでHD800・HD800Sと比べて下に見られがちだったHD600シリーズの再評価を促すために、今回のアップデートは適切だったと思います。
また、HD660S2はこれまで以上に優れたアンプで鳴らすことによる音質へのメリットが強く感じられたので、価格相応にハイエンドな機種としての使いこなしが求められ、このあたりでHD560Sなどと大きな差をつけています。正直、十分な音量が得られても、DAPで鳴らしたサウンドはそこまでパッとしなかったです。試聴の際には強力な据え置きアンプで鳴らすことをおすすめします。
ゼンハイザーは古臭いブランドで、最近はやっぱりDan ClarkとかZMFだろう、なんて言っている時流に敏感なヘッドホンマニアも、HD660S2を改めて試聴してみると、老舗メーカーはやはり凄いという事を再認識できるだろうと思います。