ベイヤーダイナミックの高級モニターヘッドホンがMKIIに更新されたので試聴してみました。密閉型のDT1770 PRO MKIIと開放型のDT1990 PRO MKII、どちらも2024年末の発売で約9万円です。
Beyerdynamic DT1990 PRO MKII & DT1770 PRO MKII |
DT1770 PROの方は個人的に作業用ヘッドホンとして長年愛用してきたので、この機会に買い替えるべきか気になっています。
ベイヤーダイナミック
ドイツのベイヤーダイナミックは放送やコンサートといった業務用の収録・再生機器の老舗メーカーで、とりわけ2万円程度で購入できるDT770・DT990ヘッドホンシリーズは1980年代から現在まで活躍しつづけている名機です。
ヘッドホンマニアなら、アーティストのレコーディングセッション風景ドキュメントやオフショットとかでスタッフがどんなヘッドホンを着用しているか気になってチェックしていると思いますが、ソニーCD900ST、オーテクM50、フォステクスT50RPなどと並んでプロの着用率が異常に高いヘッドホンです。(プロ用モニターヘッドホンというと、もっと高級なモデルを想像するかもしれませんが、実際に現場で使われるのは手に入りやすい安価なモデルであることが多いです)。
それらの進化型として2015年に登場したのがDT1770・DT1990で、どちらも単純な音質向上だけでなく堅牢な金属部品や着脱式ケーブルなど実用面でもアップグレードされた上級モデルでした。
私も発売当時に購入しており、とくに密閉型DT1770の方は仕事場の主力ヘッドホンとして活躍しています。ヘッドホンを聴き比べるのが好きなので、他のメーカーのモニターヘッドホンにも目移りしてきましたが、結局DT1770に戻ってきます。音質に満足しているのは当然として、とにかく堅牢で安心感があり、自分が8年以上使ってきた実機と今回の新型を並べてみても、ほとんど劣化していないことに驚きます(さすがにイヤーパッドは何回か買い替えましたが)。
自前のDT1770 PROと新型MKII |
唯一の注意点を挙げるとするなら、金属ハウジングと巨大なドライバーマグネットのため、270gのDT770・990と比べて377gということで100gほど重いので、動き回って使うのには向いていません。レコーディングセッションなどでアーティストが着用するのなら軽量なDT770の方が良く、DT1770は腰を据えてデスクで編集作業を行う時に向いています。
他にもAustrian Audio Hi-X60など音質面で優秀なモニターヘッドホンはいくつか思い浮かぶのですが、たとえばそのHi-X60の場合だと、使っているうちにヘッドバンドのヒンジが疲労破壊したり、パッドの接着剤が溶けてベタベタになったりなど、新興メーカーということもあってか、経年劣化における信頼性の面で不十分なところがあり常用を断念しました。このあたりを改善した後継機があれば再挑戦してみたいです。
その点ベイヤーはベロアパッドを水洗いでき、分解して部品単体を取り寄せることができたり、流通量も多いので楽器店などでも容易に手に入るため、長期的な信頼感が高く、出張のためバッグに放り込むとなると真っ先に手が出るヘッドホンとして活躍しています。
ちなみにもDT1770 PROなど「PRO」と書いてあるモデルは、ベイヤー公式の基準は不明ですが、私の感覚としては、発売から長期間作り続けて保守部品も購入できるモデルのようです。ベイヤーもカジュアルなBluetoothモデルなんかも展開していますが、そういうのはPROとは別系統です。
それと、一部高級機のみでなく二万円台のDT770/990に至るまで、主力のプロモデルはあいかわらず全部ドイツ本社工場製なのが凄いです。中国製だと音が悪いというわけではありませんが、品質管理に本社スタッフの目が行き届いているという安心感がありますし、ドイツというと高級車とかのカッチリしたイメージもあるので、意外と手頃な価格でドイツ製という点が購入の決めてになった人も多いと思います。
DT1770 PRO MKII |
DT1990 PRO MKII |
そんなわけで、今回登場したMKIIは実に9年ぶりのモデルチェンジなので、サウンドがどれくらい変わったのか気になると同時に、長らく使ってきた初代DT1770が買えなくなるという不安もあります。
業務用ヘッドホンは、手元に馴染んだ包丁のように、自分が聴き慣れている音を何十年でも使い続けたいので、メーカー側にもそれが求められています。鳴り方が全然変わってしまったら自分の作品の音に影響してきます。逆に、毎年のようにモデルチェンジを繰り返すようなメーカーは、どれだけプロミュージシャン公認などと宣伝していも業務用機器としては失格です。
そんなわけで、旧型のユーザーがそのまま新型MKIIに移行することができるかは重要なポイントです。
レトロイメージを上手く取り込んでいます |
DT1770・1990のデザインはすでに完成の域にあるので、とりわけ変更すべき点も思い浮かばないのですが、MKIIのハウジングデザインはだいぶセンスが良いマイナーチェンジが加えられました。
中心ロゴに横一直線の凹んだアクセントが加えられ、グリルのパターンもさらにクラシックに、原点であるDT770・DT990 PROをオマージュしていることが伝わってきます。初代のデザインも悪くないので、それを大きく変えることはなく、僅かなタッチを加えることで伝統と新鮮さの両方を演出できている優秀なアイデアだと思います。
塗装やロゴの品質が高いです |
冷たい金属の表面にシボ加工のような凹凸のある塗装や、ホログラムのように輝くロゴなど、主張が強くないマットブラックでありながら、実際に手に取ってみるとクオリティの高さが実感できます。何年経っても古さを感じさせない素晴らしいデザインです。
あいかわらずドイツの本社工場製なのですが、初代のコネクター付近にあった250Ω・Made in Germanyというプリントはなくなりました。プロ用としてインピーダンス表記だけは残してもらいたかったです。
調整スライダー |
ヘッドバンド |
中央の窪み |
ケーブルコネクター |
装着感に新旧の違いは感じられず、ヘッドバンドも同じように見えますが、クッションの頂点に窪みが追加され、頭頂部の圧迫感が低減されました。旧型で不満に感じた事はありませんが、こういう細かい改善は嬉しいです。
ケーブルは左片側出しで3mストレートと5mコイルケーブルが付属、3ピンmini XLRコネクターで着脱できます。古くからAKGなどで定番のコネクタータイプなので社外品アップグレードケーブルも豊富ですし、自作も安価で済みます。
ネジが細いです(右は一般的なやつ) |
新型TESLA.45ドライバー |
初代からMKIIへ最大の変更点として、搭載ダイナミックドライバーが新設計のものになりました。初代は45mm TESLA 2.0という250Ωドライバーでしたが、MKIIではTESLA.45と名前が変わり、インピーダンスが250Ωから30Ωに下がっています。
個人的にはミキサーなどに挿すなら250Ωのままの方が使いやすかったのですが、スマホドングルDACなどで鳴らす人に配慮してか、プロ機でもインピーダンスを低く設計するのが最近のトレンドのようです。
メッシュには模様が追加されています |
ドライバー交換 |
DT1770 PRO MKII |
DT1990 PRO MKII |
このシリーズのドライバーユニットの交換しやすさは、まさに業務用設計だという実感が持てるポイントです。
外周クリップと保護メッシュを外してからグリル中央を指で摘んで引き出せば、コネクターでユニット全体が分離できるようになっており、交換修理に工具やハンダ作業が不要です。
ハウジング内部のスカスカ具合やチープな配線も含めて、ピュアオーディオマニアが見たら卒倒しそうなほど簡素な設計ですが、万が一のトラブルの際に原因箇所の切り分けや交換作業が容易になるのが嬉しいです。
初代DT1990・DT770 PRO X |
旧型でもハンダ作業は不要でしたがケーブルコネクターがドライバーユニット側にあったので断線のリスクがありました。この心配を取り除いた新型コネクターに変更されたのはDT700PRO XなどのPRO Xシリーズになってからだと思います。
初代のドライバーは青色、新型は黒という点で判別できますが、実際に音質設計においてどれくらい進化したのかは不明です。どちらにせよ、DT700・DT770シリーズなどと比べると、TESLAテクノロジードライバーということで振動板の口径に対してマグネットが巨大なのがわかります。
勢揃い |
PRO X |
手近にあった最近のベイヤーモニターを並べてみました。興味が無い人からすればどれも同じに見えてしまうかもしれませんが、私には思い入れの深いモデルばかりです。
思い返すと、低価格なDT700/900 PRO Xや直近のDT770PRO Xまで、最近の新型は良作が多いです。
DT1770X GO |
ひとつだけ珍しいモデルとして、2019年にオンライン通販サイトDrop限定のDT177X GOというのがありました。32ΩでDT1770のカジュアル・ポータブル版のようなアイデアだったので、今回のMKIIはこちらをベースにしたのかと不安がありましたが、実際に比べてみるとデザインもサウンドも全くの別物だったので一安心です。
というのも、個人的にこのDT177X GOはあまり好きではなく、買ってからほとんど使っていません。ハウジングの回転ヒンジ部品が改悪されたせいで耳にフィットしなかったり、バランス対応4ピンMini XLRを採用したのは良いけれど既存の3ピンMini XLRと互換性が無いので業務用としては困るなど、あまり良いところも無く、お薦めできません。
その点今回のDT1770 PRO MKIIはあえて3ピンに戻るなど、業務用に忠実なデザインを保持しているのは嬉しいです。
標準付属パッド |
音が変わります |
ベイヤーのモニターヘッドホンはイヤーパッドによって音が大きく変わるので、昔から結構こだわる人が多いです。
定番モデルだけあって、社外品の高価な本革製や、格安の互換品パッドなんかも豊富に手に入りますが、ひとまず標準で付属しているパッドに聴き慣れてから手を出すべきです。
説明書での解説 |
DT1770PRO MKIIの方は密閉型ということで、合皮パッド(遮音性が高い)とベロアパッド(通気性が良い)の二種類が付属しているのに対して、開放型DT1990PRO MKIIはそもそも遮音性が不要なので、ベロアパッドが二種類付属しており、一見同じもののスペアのように見えても、実は裏面の穴が多いものが「Producing」、少ないものが「Mixing & Mastering」ということで、サウンド傾向が結構変わります。
基本的に、穴が多い方が開放感があり低音もスッキリとするのに対して、穴が少ない方がパンチやフォーカスが強化される傾向にあります。つまり細かい音を聴き分けるMixing & Mastering、全体を俯瞰で捉えるProducingというネーミングは筋が通っています。
ベイヤーに限らず、出先で用意されているヘッドホンを使ったら、想像以上に音が悪くて驚いて確認してみたらパッドがアリエクとかの模造品に変えられていたなんてことはよくあるので注意が必要です。
また、数年間使っているとスポンジが潰れてきて、出音面から耳穴への距離が狭くなるため、音質もだいぶ変わってきます(こういうのもエージングというのでしょうか)。そのためスポンジの弾力が損なわれてきたら交換を推奨します。店頭試聴機はパッドが潰れていることが多いので、いざ新品を買ったらなんだか鳴り方が違うというのもよくあります。
インピーダンス
再生周波数に対するインピーダンスの変動を確認してみました。
公式スペックが250Ωだった旧型に対して、新型は30Ωであることがグラフを見てもわかります。
ここまでインピーダンスに開きがあると、電気的な位相で見たほうが比較しやすいわけですが、あいかわらずベイヤーのダイナミックドライバーらしい位相特性なので、空間表現などの聴こえ方はそこまで大きく変更されていないと思います。
密閉型DT1770系と比べて開放型DT1990系の方が50Hz付近のインピーダンスの山が大きいため、位相変動も深いです。
他社のモニターヘッドホンも最近は30-60Ω付近が多いため、これが近年の設計におけるスタンダードなのでしょう。もちろん同じインピーダンスでも駆動能率によって音量の鳴らしやすさは変わります。
フォステクスT50RP MK4のみ平面駆動型なので可聴帯域全体でインピーダンスが平坦で、他はどれもダイナミックドライバーらしい傾向が伺えます。DT1770 PRO MKIIとDT1990 PRO MKIIは1kHz以上でのデータがピッタリ重なっているので、ドライバー自体は同じものでしょうか。
ところで、初代とMKIIの音量に関してですが、交互に比べてみると、確かにMKIIの方が一割増くらいに音量が大きいです。
MKIIの公式スペックは30Ωで95dB/mWで、初代は250Ωで102dB/mWなのでで、実はMKIIの方が能率が低く、アンプへの負荷が高いです。ただし電圧換算だとMKIIは110dB/V、初代は108dB/Vとなり、つまり一般的な定電圧のヘッドホンアンプで駆動した場合、MKIIの方が2dB程度音量が高いことになり、実際の感覚にも合っています。
ようするに、ヘッドホンのインピーダンスが下がると「鳴らしやすく」なるというのは語弊があり、実際は低い電圧で高い電流を流すというトレードオフで成立しています。MKIIの方がアンプに高い出力を要求するため、むしろ「鳴らしにくく」なっており、ここからも、MKII開発の意図として単純に鳴らしやすさを優先したわけではないことが伺えます。
音質について
まず新旧を問わず漠然とした話ですが、ベイヤーダイナミックのPRO系ヘッドホンというのは、いわゆる趣味の音楽鑑賞用ヘッドホンを聴き慣れている人には異質に感じるであろう、独特なサウンドです。これはたとえばリビングに置くフロアスピーカーとスタジオのニアフィールドモニターの違いのようなものです。
逆に音楽や動画編集などの作業場ではベイヤー特有のメリットを実感でき重宝すると思います。
RME ADI-2DAC FS |
Ferrum Audio |
モニターヘッドホンということで、プロ用オーディオインターフェースで有名なRMEのADI-2DAC FSで鳴らしてみました。さらに音楽鑑賞用としてのポテンシャルを引き出すためにFerrum Audioのシステムも使ってみました。
ヘッドホン自体の素の特性が良好なおかげで、優れたアンプで鳴らせば相応に答えてくれます。つまりヘッドホンがボトルネックになっている感じはありません。
ポータブルDAPやドングルDACでも十分な音量は確保できると思いますが、やはりこの手のダイナミック型ヘッドホンは強力な据え置きアンプで鳴らすのを一度は体験してみるべきです。
ベイヤー特有のサウンドを説明するのは難しいのですが、イメージとしては、カジュアルな音楽鑑賞に求められるのとは正反対を想像してみるとよいかもしれません。
カジュアルさというのは、劣悪な録音作品でもそこそこ良い音で楽しめ、主役の歌手やソロ楽器がセンターで太く浮き上がる実在感を生み出し、時間軸に艶やかな響きを付加することで、本来録音されている以上に美しく奏でるサウンドの事です。それが悪いというわけではなく、音楽体験の充実を望むのなら、むしろ好ましいです。
ベイヤーがそれらとは真逆というのは、つまり録音そのものが優れている事が必須であり、そうでないと不具合や過剰演出が一目でバレてしまうようなシビアな鳴り方です。音響についても、主役を意図的に強調しないため、音場展開はセンターが遠く、まるで洞窟や空洞のようだという人もいるくらいです。
これがクリエイターにとって有用なのは理解できるとして、一般ユーザーにも使い道はあるのかと疑問に思うかもしれませんが、私の感想としては、普段使いの汎用ヘッドホンとしても、これくらいシビアでクリティカルな方が良いと思っています。
たとえば映画やゲームなどの音響をリアルに再現するのなら過剰な美音効果はむしろ逆効果ですし、音楽鑑賞においても、優秀な高音質録音を聴くのであれば、ヘッドホンの味付けで塗りつぶしてしまうのはもったいないです。
ところで、オーディオマニアでも「高音質録音」というものにそこまで興味がない人も結構いるわけですが、使用している再生機器が妨げになっている可能性もあります。つまり普段使っているヘッドホンの味付けがあまりにも濃すぎるため、高音質録音でも、そこそこの録音でも、全部同じようにヘッドホンのサウンドに脚色されて、違いが現れないというわけです。
Amazon |
高音質録音の一例として、最近の新譜でChandosからJames Ehnesのシベリウス・ヴァイオリン協奏曲を紹介します。
Gardner指揮ベルゲンフィルなので演奏面のクオリティも世界最高峰ですし、カップリングされている小曲も素晴らしいです。シベリウスは独自の雰囲気が大事なので、別の作曲家の協奏曲と二本立てにするよりも、このようにアルバムを通して世界観を味わえる方が良いです。
ところで、このアルバムの音質は大変素晴らしいのですが、ソリストをグッと押し出すような一般的なミックスバランスではなく、ソリストを空間の中心に置いて、そこから円周上にオケが広がっていくような、意外と珍しい構成になっています。ソリスト・指揮者目線でしょうか。そのため、空間描写に乏しい(帯域ごとの定位バランスが不均等な)ヘッドホンで聴くと、このアルバムの本来の体験が得られず、ソリストのヴァイオリンが消極的に埋もれている感じがしてしまいます。
やはりこれくらい優秀な録音では、下手に美音系のヘッドホンを使うよりもベイヤーくらいシビアな方が素晴らしい立体音響を余すことなく味わえます。生演奏に近いというか、むしろ実際の生演奏でもこれくらい立体的な良い音で楽しめたらと思えてしまうほどです。
密閉型各種 |
まずは個人的に使う機会が多い密閉型の方から、DT770 PRO X・DT1700X GO・DT1770 PRO・DT1770 PRO MKIIを聴き比べてみます。
DT1770の初代とMKIIで交互に聴き比べてみると、ドライバー技術が更新されただけあって、サウンドに大きな変化が感じられます。
第一印象では高音のシャープさがだいぶ緩和されたようにも感じるのですが、じっくり聴いてみると、単純に頂点を削って丸めただけのシンプルな修正ではありません。
むしろ録音の優劣の差が強調されるようになり、金属弦や金管楽器など、飛び抜けて不具合を起こしている部分だけが目立つようになりました。
上で紹介したクラシックのアルバムは良好でも、別のアルバムでは高音のアタックが耳障りに感じるといった具合に、ヘッドホン自体の特徴ではなく楽曲ごとの差を意識させるようです。
さらに、ボーカルのプレゼンス域がだいぶ聴き取りやすくなりました。これはMKIIでの進化が明らかに実感できるポイントです。
これまでも十分優れていると思えていたところ、MKIIを聴いたあとで初代に戻ると、この帯域のフォーカスがぼやけて最小単位まで解像できておらず、もどかしく感じます。こちらも単純に中高域を持ち上げたのではなく、音の立ち上がりから伸び方まで滲まずクッキリと聴き取れるようになっており、まるでドライバーが筋トレしたアスリートのように、ワンランク上の瞬発力や力強さを発揮できています。初代をEQで同じように補正しても解像感が低いまま音量だけ大きくなり不快になります。
低音側もだいぶバランスが良くなっており、ステレオ配置と距離感を正確に描写する能力が向上しているようです。空間位相が正しい録音を聴くとコントラバスなど低音楽器が容易に把握できる反面、低域位相が逆転しているような下手な楽曲ではこれまで以上に違和感が明確になります。
密閉型ヘッドホンはスピーカーキャビネットのようにハウジング反射によって中低音を盛れる一方で、時間差で濁りやすい性質があり、自然な過渡特性や空間定位を再現するのが難しいのですが、そんな中でDT1770 PRO MKIIはかなり優秀な部類に入ります。
そもそも私がDT1770を愛用している最大の理由はなんだろうと、あらためて考えてみると、他のヘッドホンと比べて過渡特性のリニア具合というか、ステップのコントロールが優秀なのだと思います。
言葉で表現するのが難しいので、抽象的なイラストにしてみると、こんな感じです。
Aが私にとってDT1770のイメージで、たとえば無音からヴァイオリンの音が発せられると、立ち上がりから継続して正確な再現が維持できている感覚があります。一方Bのようにゆったり上がるヘッドホンの方が刺激が抑えられて温厚に感じられますし、Cのようにアタックを強調すると、見かけ上は解像度が高くても派手に聴こえます。
たとえばDrop限定品のDT1770X GOはそのあたりの悪い例として、私はあまり好きではありません。中低域をかなり厚く盛って、DT1770本来のシャープさを緩和する狙いがあったようですが、イコライザーを過剰にかけた時のようなコームフィルター的な息苦しさがあり、ベイヤーの長所である時間軸のレスポンスの良さや位相の落ち着きが大幅に損なわれています。
カジュアルなヘッドホン市場においては周波数ドメインしか求めない初心者ユーザーも多いので、特定の周波数カーブに近づけたほうが売上につながるのなら、それ以外の特性が破綻することがわかったうえで出している印象があります。
私にとって、もし今回MKIIがDT177X GOの設計コンセプトを継承していたら、というのが一番の不安だったのですが、幸いMKIIのサウンドはプロ用途への忠実さを保っており、音作りに共通点の片鱗も感じられません。それが確認できただけでも一安心です。
DT177X GOとは正反対に、DT770PRO Xは個人的にかなり気にっている最近のモデルです。こちらはDT700 PRO X世代の新型ドライバーとDT770 PROのサウンドデザインを融合させたコンセプトモデルとして、私も購入してからずっと雑用に重宝しています。
本体が安価なプラスチックというのが逆にメリットとして働いているのか、DT1770ほど高音の硬さが感じられず良い感じにまとまっています。ただしドライバーの格差は拭えないようで、過渡特性を最小単位まで見極めることができていない感じがあり、どの楽器の音もアタック部分の質感が同じように思えてきます。つまりドライバーの瞬発力がボトルネックになっているのでしょうか。
DT1770よりも100gほど軽いですし、アグレッシブでメリハリの効いたサウンドなので、パソコンの傍らでなんでもこなせる密閉型ヘッドホンを探しているなら、こちらの方が良いかもしれません。Ferrumなどの高級アンプを使って高音質録音を楽しむ場合は、DT770 PRO Xではどうしてもポテンシャルの上限が感じられるので、その場合はDT1770の方を選びたいです。
密閉型モニター系ヘッドホンで他社からのライバルというと、個人的に思い浮かぶのはShure SRH1540くらいでしょうか。こちらも2013年発売とずいぶん息が長いモデルなので、プロ機として信頼が置けるのはよいとして、今更購入するのも気が引けるので、そろそそ後継機を期待したいところです。
Ultrasoneも密閉型に強いメーカーで、ここは最上級のSignature Masterと言いたいところ、こちらはどちらかというと美音テイストが強いため、モニターよりも音楽鑑賞用に向いています。
私としては同系列のUltrasone/ADAM SP-5を挙げたいのですが、すでにADAMとUltrasoneのコラボは終了して、現在はADAM H-200という独自モデルに変わっており、こちらは未聴なのでコメントできません。ADAM SP-5はかなり良かったのですが、そもそもUltrasoneはS-Logic技術でスピーカー的な前方定位空間を生み出すのを得意としているため、ベイヤーとは対称的な存在です。
あとはゼンハイザーの新型HD620Sも真面目にまとめた感じで、音楽鑑賞には地味過ぎて退屈だと思いますが、純粋な作業用として5万円で悪くないと思います。(レビューしようと思いながら、あまりにも地味すぎて書くことが思い浮かびません)。音質面ではどちらかというとDT770 PRO Xのライバル候補といった感じで、DT1770ほどの細かな解像感は引き出せず、ゼンハイザーらしいザラッとしたエッジの強さが印象的です。
同じくゼンハイザー系列のノイマンNDH-20は開放型NDH-30の方が断然良いと思ったので、あえて密閉型NDH-20に手が出しにくいです。あくまで個人的な感覚ですが、Shureは開放型SRH1840よりも密閉型SRH1540が良いと思えたのにノイマンは逆なのは謎です。基礎設計の違いでしょうか。
ソニーとオーテクは開放型ならMDR-MV1やATH-R70xがそれぞれ独自の魅力があっても、密閉型でDT1770のレベルで健闘できるモデルが思い浮かびません。フォステクスはT50RP MK4はセミオープンのみですね。
とくにオーテクはATH-M50xがあれだけロングセラーで売れていて、高級木材のハイエンド密閉型も続々と出しているのに、しかも優秀なレコーディングマイクもたくさん作っているのに、それらと釣り合うようなレファレンス密閉型ヘッドホンが無いのが残念です。ソニーの新型MDR-M1は聴きやすくまとまっていますが、ソニーのコンシューマー向けヘッドホンの傾向が強く感じられるため、M1STやMV1と比べてもカジュアルな音楽鑑賞に向いているMDR-Z1RやZ7M2の系列で売った方が良い気がします。
そんなわけで、あくまで私の感想ですが、DT1770は2015年の発売から現在に至るまで密閉型モニターとしてトップクラスの地位を維持しており、今回MKIIの登場でさらにその地位が強固になった印象を受けます。
開放型 |
続いて開放型DT1990PRO MKIIの方ですが、こちらは新旧で性格がだいぶ変わったので、DT1770以上に好みが分かれそうです。
MKIIになって、DT1990の鳴り方をDT1770に近づけている感じがあります。どちらも新型ドライバーになったことがそう思わせているのかもしれませんが、DT1770の方は順当な進化と思えるのに対して、DT1990は方向性が変わった気がします。
初代DT1990は前後の奥行きがあまり無く、自分の間近で横一直線に広がる感覚があるため、ミックスのステレオ展開を左右に拡大して、個々のパートの見通しをよくする効果があり、たとえばバンドの編集などで効果を発揮してくれました。
MKIIではDT1770と同様にプレゼンス帯の情報量が増して、ダイナミクスのメリハリが充実するようになったわけですが、前後の押し引きも強調されるようになり、初代のような横一直線の平坦さに慣れていると、むしろ翻弄されて扱いづらく感じます。イメージとしては、映像のHDR化みたいな、基準点を見極めづらい扱いにくさでしょうか。強弱の幅が広がり聴き応えのあるサウンドになったので、ヘッドホンの進化としては順当なのかもしれません。たとえばHD600からHD660Sへの進化と似たような感覚もあり、慣れればMKIIの方が出来ることは増えると思いますが、買い替えた直後は戸惑うと思います。
高音側はDT1770でも閉鎖感はあまり感じないので、音の抜けのよさや空気感といった部分ではそこまでDT1990の優位性は感じません。両者の違いは主に低域側の空間表現に見られます。DT1770は左右の耳から前方周囲に扇状に展開するのに対して、DT1990では左右音像が耳元から離れた水平線のような直線上で鳴ってくれます。
開放型ヘッドホンは単純に通気性があるだけでなく、このように左右両端での低音の音圧が緩和され、鼓膜への疲労感の低減につながるメリットもあるので、長時間使用するならDT1990の方が良いかもしれません。
ただし遮音性は犠牲になるので、私の場合は外部騒音に影響されずに活用できる密閉型の方を好んで使っています。耳が蒸れるのもベロアパッドならそこまで気になりませんし、最近はエアコンが無い環境というのもなかなか稀です。
意外と忘れがちな開放型の最大の弱点として、周囲に騒音がある場合は、それを上回るため密閉型以上に音量を上げることになり、逆に耳への負担や疲労感が増すという本末転倒になってしまいがちです。つまり状況に応じて使い分けるものなので、一概にどちらが良いと断言できません。
それでもDT1770とDT1990のどちらかを選ぶとなると、私の感想として、やはりベイヤーは密閉型が強いメーカーなので、DT1770にメリットがあると思います。
逆に言うと、遮音性を捨てて完全開放型ヘッドホンで良いのなら、DT1990の他にも優秀なライバルが多数思い浮かびます。
たとえばオーテクならATH-R70xや新作ATH-ADX3000など非常に優秀ですし、ゼンハイザーの定番HD660S2やNeumann NDH-30はもちろんのこと、平面駆動型ならAudeze LCD-XやMM-500など、予算次第で色々と選択肢に入ってきます。
とくにゼンハイザー・NeumannやAudezeは開放型モデルのサウンドに定評があるメーカーで、同型の密閉型バージョンとなると、どれもハウジングの響きが目立ち、密閉型であることが弱点のように感じます。
一方DT1990は完全開放というよりもDT1770の密閉ハウジングにいくつかの通気口を設けたようなデザインで、基礎設計が密閉型中心であることがわかりますし、サウンド面でも、大昔のDT990のシャリシャリ感よりも、どちらかというとDT880のセミオープン型を連想するバランスの良い仕上がりです。(DT1880というモデルが無いのもそのためでしょうか)。
密閉型と開放型で共通のサウンド傾向を維持するという意味でDT1770とDT1990を両方揃えるのも良いのですが、密閉型の最高峰としてDT1770を選ぶのに異論は無いものの、音抜けや空気感といった開放型らしさを求めるのならDT1990以外のヘッドホンを検討するメリットがあると思います。
ではDT1990 PRO MKIIは中途半端で無意味なモデルなのかというと、そうでもありません。開放型モニターとしてはR70xやHD600など安価で優秀なモデルが多いのですが、音楽鑑賞用の開放型ヘッドホンとなると、それらでは薄味で物足りなく感じますし、最近の相場を見るとATH-ADX3000やFocal Clear Mgなど、リスニング向け開放型はどれも15万円以上するモデルばかりです。
そう考えると、10万円以下で、据え置きアンプや高音質録音のポテンシャルを存分に引き出せて、密閉型的な厚みも兼ね備えているDT1990 PRO MKIIは意外と悪くない選択肢かもしれません。とくにMKIIでメリハリやプレゼンスの鮮やかさが増したことで、音楽鑑賞用としてもだいぶ良い感じに進化しました。
おわりに
今回MKIIになって、両機とも単なるチューニングの微調整ではなく、新設計ドライバーを導入することで、肝心の音質が明らかな進化を遂げていることにベイヤーダイナミックの底力を感じました。単なる古典的な定番メーカーに収まらず、モニターヘッドホンの最先端を歩んでいると思います。
ランキングやレビュー動画のオススメ入門機としてDT770・DT990を購入して使い続けている人は世界中でたくさんいると思いますが、そこからアップグレードすれば、いわゆる「今まで聴こえなかった音が聴こえる」という感覚が実際に体験できると思います。
私自身、様々なハイエンドヘッドホンをあれこれ買ったり試聴している中でも、DT1770は信頼の置けるレファレンスとして常に手元においてきました。2015年の発売以来ずっと飽きずに使えているのは相当凄いヘッドホンである証です。最近はDT770 PRO Xの方が手軽なので代用する機会が多かったものの、音質面ではDT1770の優位性はゆらぎないままです。
今回はとりあえずDT1770 PRO MKIIの方を購入することにしました。使い倒した初代モデルのリフレッシュという気持ちもありますし、現行流通モデルを常用したいという個人的なポリシーみたいなものもあります。
初代モデルと同じくらい愛着を持って使い続けることができるのか、その結果は数年待たないとわかりませんが、少なくとも現時点ではスムーズに移行できて、音質向上に満足できています。
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