2015年10月11日日曜日

Beyerdynamic Astell&Kern AK T8iE イヤホンのレビュー

今回はベイヤーダイナミックとAstell&Kernによるコラボレーションモデル 「AK T8iE」を紹介します。

AK T8iE

2015年10月発売のシングルダイナミックドライバ型IEMイヤホンで、日本での価格が13万円という超高級モデルです。

Astell&Kernというと高音質デジタルオーディオプレーヤー(DAP)の「AK」シリーズがオーディオマニアに好評を得ており、最近では50万円の超高級DAP「AK380」などが話題を呼びましたが、自社製のイヤホン・ヘッドホンは製造していないため、これまでに何度か大手メーカーとのコラボレーションモデルをプロデュースしてきました。

今回のコラボーレション相手はドイツの名門スタジオ機器メーカー、ベイヤーダイナミックですが、一般的なコラボでよくあるような単なる色違いやチューニングでは済まさず、完全に新規開発のイヤホンを投入してきました。ベイヤーというと大型ヘッドホン専門の印象が強く、これまではIEMタイプのイヤホンについては消極的だったので、純粋に「ベイヤー初の本気イヤホン」というだけでも興味がわきます。

今回レビューで紹介するのは、いままでのレビューと同様に、自腹を切って購入した個人の所有物です。試供品やサンプルではないので、なるべく提灯記事っぽくならないよう努力します。


13万円というと、カスタムではないイヤホンにおいてはかなりハイエンドなモデルになります。

個人的に、先日レビューで取り上げたAKGのK3003という高価なイヤホンを購入したばかりなので、連続してこんなものを購入するのも資金的に気が引けるのですが、ベイヤーファンの私にとって今回ばかりは想定外のビッグニュースだったため、博打覚悟で予約購入しました。
↓K3003のレビュー
http://sandalaudio.blogspot.com/2015/08/akg-k3003.html

じつは1ヶ月ほど前に試聴会にてAK T8iEのサンプルを長時間試聴する機会があったのですが、その時になにか訴えかけるような魅力を感じたのが購入を決断した理由です。実際の製品版の音質については後述しますが、他のどのイヤホンにもない壮大なサウンドを持ったモデルだと思います。

ベイヤーダイナミックのイヤホン

ベイヤーダイナミックというと、録音スタジオや放送局で使われるような、質実剛健で信頼性の高いドイツ製大型ヘッドホンといったイメージが強いです。とくに、フラッグシップ機のテスラシリーズ「T1」や、「T90」「T70」、そしてロングセラーの「DT990」「DT880」「DT770」三兄弟などはヘッドホンマニアであれば必ず一つは所有しているであろう名門ブランドです。

ベストセラーのDT880

また、最近では、自宅での音楽鑑賞とDTMに兼用できるセミプロ向け、またはモバイル用途のポータブルモデルなど、カジュアルな製品ジャンルを拡大しているように思えます。

個人的には、従来のベイヤーに見られたスタジオチューンのシャープな音作りも好きですが、最近になってだんだんと低音が豊かなサウンドにシフトしてきたようで、そちらの方も悪く無いと思っています。とくにフラッグシップのヘッドホン「T1」以外では、ポータブル向けの「T51p」と、Custom Oneの高インピーダンス版「Custom Studio」なんかはとても好みのサウンドです。

そういったベイヤーのラインナップの中で、IEMイヤホンはあまり積極的にプッシュしていなかったように思えます。実はベイヤーのイヤホンはこれまでにいくつか存在しており、たとえば最近ではDX160、DX120、XP1、XP2、XP3などといった商品があります。

日本ではあまり見ない、ベイヤーのイヤホン

これらは日本ではあまり目にする機会が無いのですが、基本的に1万円程度の低価格モデルで、アジア圏の家電量販店をベースに展開されています。ようするにベイヤーのネームバリューを応用したOEM品のようです。私自身はマレーシア旅行中に初めてショップで見かけて驚いた記憶があります。(未聴のベイヤーイヤホンだったのでドキドキしたのですが、ネットで検索したら某ブランドのリネーム品だと分かりショックでした)。

ようするに、ベイヤーダイナミックが真剣に近年のハイエンドイヤホン設計・製造に取り組んだのは、今回のAK T8iEが初めてだということです。

AK T8iEの設計開発においては、一日一晩で完成できるような商品ではないため、かなり昔から着手していただろうことは想像できます。ベイヤー初めてのIEMということで、市場受けするサウンドチューンや装着感・デザインに対するユーザー視点からのアドバイスは必要不可欠です。(頑張って作ったのに、ちょっとしたクセがレビューで酷評されてしまった製品は多々あります)。

Astell&Kern AK120II、AK240、AK380

今回のコラボレーション企画で、Astell&Kernはどの時点で介入してきたのかは不明ですが、ユーザー視点のフィードバックという意味では、ポータブルオーディオ市場に根深く展開している同社のアドバイスは極めて有効だったと思います。

また、セールス面においても、Astell&Kernのファンや販売ネットワークによる売り上げアップは確実で、既存のベイヤーファンにも悪く思われないため、マイナス点の少ない、確実な相乗効果が期待できる素晴らしいコラボレーションだと思います。

実際、最近のハイレゾヘッドホンブームを見ていると、「雑誌でAstell&KernのAK240が最高だと書いてあったから買ったんだけど、イヤホン・ヘッドホンは種類が多すぎて何を買っていいかわからないから、とりあえずハイレゾマークがついてるMDR-1Rを使ってる」といった人が結構多いことに気が付きました。そういった人たちにとっても、Astell&Kernお墨付きの高級IEM、ということで興味を持ってくれる可能性があります。

Astell&Kernのコラボモデル

韓国のAstell&Kern(iRiver)はこれまでに何度か一流イヤホン・ヘッドホンメーカーとのコラボレーションを行ってきました。

AKR01、AKR02

2013年には日本のFinal Audioとの「AKR01」
2014年には同じくFinal Audioと「AKR02」、そして米JH Audioの「AKR03」 (Roxanne)
2015年にはJH Audioの「Angie」と「Layla」
といったように、話題性が高く、時代を代表するような高級イヤホンとのコラボ販売を行っています。自社製イヤホン・ヘッドホンが無いAstell&Kernにとっては、高級DAPの性能を十分に発揮できるパートナー商品は必要不可欠の存在です。

AK T5pと、ベイヤーダイナミックT5p

ベイヤーダイナミックとも、既存の密閉型ヘッドホン「T5p」をカスタマイズしたスペシャルモデル、「AK T5p」を2015年に発売しました。現時点では、IEMではなく大型ヘッドホンとのコラボはこのAK T5pのみになります。

このようなコラボモデルの取り扱いは若干複雑で、たとえば日本の場合Astell&Kernの販売代理店は株式会社アユート、JH Audioはミックスウェーブ株式会社、ベイヤーダイナミックはティアック株式会社です。

つまりベイヤーダイナミックでも、AK T5p、AK T8iEはAstell&Kernの株式会社アユートが販売するので、ティアック株式会社の扱うベイヤーダイナミック商品とは扱いが異なります。ユーザーにとってはどうでもいいことなのですが、保証修理の対応先が違ったり、オーディオショウなどの展示ブースが異なるので若干混乱します。

今回のAK T8iEはコラボモデルといっても、そもそも本家のベイヤーダイナミックから「AKじゃないT8iE」というモデルは販売されていないため、音作りに関してはどの程度までAstell&Kernの意向が反映されているのかは不明です。しかし、前回のAK T5pにおいては、本家のベイヤーダイナミックT5pとは全く別物と断言できるほどサウンドを変えていたので、今回も相当の影響力があったと想像できます。

蛇足になりますが、ベイヤーダイナミックT5pについては「T1ゆずりのテスラドライバで、密閉型ポータブル」ということで個人的に興味があったのですが、いざ試聴してみると、非常にシャープで繊細、カミソリのような尖ったサウンドだったため、常用は厳しいと感じていました。しかし後発のコラボモデルAK T5pを聴いてみたところ、中低域が豊かになり、音場も広がり、音楽鑑賞に適したリスニング向けモデルに大変身していました。(残念ながら、高価なので買っていませんが)。

Astell&KernのAKシリーズDAPというと、2.5mmのバランス出力端子が有名なので、AK T5pでは通常の3.5mmプラグが2.5mmバランス端子に変更されていました。今回のAK T8iEはケーブルが取り外せるMMCXコネクタなので、3.5mmステレオと、2.5mmバランス用の二種類のケーブルが付属しています。

パッケージ

良い意味で、ベイヤーらしくない上質なパッケージ
マグネットで閉じるフラップ仕様です

ベイヤーダイナミックは高級モデルでも業務用らしく、質素な紙箱だけといったモデルが多いのですが(その代わり、内包の収納ケースが充実していたりします・・ たとえば:http://sandalaudio.blogspot.com/2015/04/beyerdynamic-t51p-dt1350.html)、今回はAstell&Kernプロデュースということで、高級腕時計かのごとくゴージャスなパッケージになっています。

イヤホン本体

説明書と保証書
3.5mmケーブルと、交換用2.5mmバランスケーブルが付属

ケースの上半分にはイヤホン本体と2.5mm交換ケーブル、保証書と説明書が入っているのですが、スペアのイヤピースなどが見つからず、イヤホンのスポンジの下にもう一段あるのかと試行錯誤していたのですが、実は箱のサイド部分に取っ手がついており、スライド式の引き出しになっていました。この演出は非常にお洒落でカッコいいと思います。

下段は引き出しになっています

下段にはイヤピース各種と専用ケースなどが入っています。

付属のケーブルクリップ裏側

ケーブルに取り付けるクリップも付属しているのですが、ベイヤーダイナミックのロゴが刻印されているステンレスの大振りなデザインで、一般的なワニ口クリップではありません。なんか景品で配られる粗品っぽい感じで、ステンレスの角も尖っており、あまり使いたくはありません。

付属のキャリーケース

マグネットで閉じるデザインです

付属のレザーハードケースはメガネケースのようにマグネットで開閉するタイプで、へんなギミックは無く、単純にイヤホンをぐるぐると手で巻き取って、ケースにぶち込むだけのシンプルなデザインです。これまで付属ケースというと、複雑になればなるほど使い勝手が悪いものが多かったため、今回のシンプルさは好印象です。たとえばゼンハイザーIE80、ソニーMDR-EX1000、AKG K3003など、どれもケースにコストをかけていながら、実用性は最悪でした。

ダイナミック型イヤホンの魅力

AK T8iE最大のセールスポイントは、これまでベイヤーダイナミックが培ってきた「テスラ・テクノロジー」を応用した小型ダイナミック型ドライパを搭載した潔いシングルドライバ設計です。

広報サイトより、展開図と内部写真

広報サイトに掲載されている内部の展開図などを見ると、至極シンプルな設計理念で、ベイヤーダイナミックT1などに搭載されているテスラドライバをミニチュア化した「大口径マグネット、コイル、振動板」といったドライバアセンブリが、小型のハウジングに詰め込まれているだけです。ハウジング自体には余計な音響ダクトや低域チューニングなどの小細工が見えず、単純にドライバが収まるだけのスペースしか無いようです。ここまでシンプルで大丈夫なのかと心配になるほど、ギミック要素が何もありません。

毎回ダイナミック型イヤホンのレビュー記事を書くたびに主張しているのですが、私は個人的にダイナミックドライバ搭載のイヤホンが非常に好きで、とくにここ数年での技術的進歩は眼を見張るものがあります。これまでにソニーMDR-EX1000、ゼンハイザー IE80、JVC HA-FX1100など、多くのダイナミック型イヤホンを使ってきました。

ダイナミック型とは対象的な「バランスド・アーマチュア(BA)型」のイヤホンは、新製品が出るたびに一応試聴してはいるのですが、実際に購入に至ったのはごくわずかで、現在プライベートで常用しているのは、BA/ダイナミックハイブリッド型のAKG K3003を除いては、WestoneのUM-Pro30のみです。(フィット感が良好で音質も悪くないため、ベッドで寝る前のいわゆる「寝ホン」として活用しています)。また、BA型は2~3年前くらいから技術的にも頭打ち状態のような気もします。

ハイエンドなBA型IEMは、JH Audio各種やシュアーSE846など、解像感は評価できると思うのですが、やはりBA型特有の音像定位の悪さと単音の響きの不自然さが気になってしまい、試聴後に毎回、「そこまで高額は払えない」という結論に至ります。(Nobler Audio K10は良いと思いましたが、23万円もします・・)。

また、カスタムIEMになると、今回のAK T8iEの13万円なんて、ほんの入門クラスの価格にあたるのですが、個人的にカスタムには手を出していないため、コメントはできません。一つは作ってみたいと思っているのですが、やはり新製品ラッシュが続く今日このごろ、実際に数十万円のカスタムを作っても、それを長期間目移りせず使っていられるか自信がありません。

BA型と比較して、ダイナミック型の一番のメリットは、一つのドライバで低音から高音までの全音域を再生するため、インピーダンスや位相が安定していることです。マルチドライバBA型は、どんなに高性能なモデルでも、各帯域を任されたBAドライバごとが交差する「クロスオーバー」周波数にて位相シフト(もしくは逆転)などが発生することが避けられない問題があります。

たとえば低域ドライバと中域ドライバが交差するポイントがちょうとボーカル帯域と重なってしまったりして、特定の音域の響きにこもりや穴、もしくは共振のような違和感が発生します。Innerfidelityなどのグラフを見ても、1000Hz付近だけインピーダンスが40Ωほど一気に上昇したり、位相も40度前後もズレてしまうことがよくあります。

例:http://www.innerfidelity.com/
http://www.innerfidelity.com/images/ShureSE215.pdf
http://www.innerfidelity.com/images/ShureSE535.pdf
http://www.innerfidelity.com/images/ShureSE846WhiteFilterSample2.pdf

つまり、マルチBAドライバは、ピンポイントで細部のディテールを聴き分ける部分に関しては非常に忠実なのですが、一つの楽器や歌手が低域から高域までワイドレンジな音色の響きを発している場合、位相乱れのせいで周波数ごとに空間定位置がズレたり、音像の大小が異なったりする違和感が発生します。

実際、上記リンクで見られるように、シュアーでいうとSE215のようなシングルダイナミックドライバモデルは10Hzから20,000Hzまでインピーダンスが一切変化せず、位相乱れも皆無というスペックを誇っているのが皮肉なものです。(音楽的に高評価で大人気なのも納得できます)。

もちろん解像感や高音の立ち上がりはSE535などマルチBA型の上位機種のほうが優れていますので、どちらの音色が好みかはユーザーごとに意見が別れますが、実際にBA型は高級モデルになるにつれて帯域や解像度重視で、位相安定は悪化してしまうという部分もあります。

そういった意味合いでも、ダイナミック型ドライバの高級モデルというのは設計や製造が難しい反面、スムーズで繋がりの良好な特性を出しやすいという素直なメリットがあります。たとえば、いつかシュアーにも、SE215を基礎としたハイエンドなダイナミック型IEMを開発してほしいです。

装着感

AK T8iEのハウジングは、これまでの典型的なダイナミック型やマルチBA型イヤホンとは異なり、非常に独特な形状をしています。ダイナミック型というと、IE800やJVCウッドシリーズなどのように、長い音導管と背面通気口を備えたデザインが一般的ですが、AK T8iEはそういった音響調整のような機構は一切見当たりません。

左右のデザインが違います
サイズ的にはこんな感じです

キャンディのようなティアドロップ型というか、耳孔にピッタリとハマる、補聴器のような人間工学に基づいたデザインになっています。普段マルチドライバBAイヤホンに慣れている人にとっては、かなりコンパクトで軽量に感じるのではないでしょうか。

ハウジング表面は、若干ブラウンがかった鈍く光るメタリックで、つるつるとした手触りです。ドライバの背面になる部分には丸いエンブレムがあしらわれており、左側にはAstell&Kernのロゴとシリアルナンバー、右側には「Made in Germany Beyerdynamic Since 1924」などと書いてあります。ベイヤーの大型ヘッドホンと同様にドイツ製というのは嬉しいですね。

遮音性は、標準イヤピース使用時はあまり良くなく、シュアーなど耳孔深くに挿入するタイプのIEMと比べると環境騒音をカットしてくれません。バスや電車などでの遮音性においては、シュアーやWestoneはもちろんのこと、AKG K3003などのほうが優秀です。逆に、耳栓のような圧迫感は皆無なので、ほぼ何も装着していないくらいストレスを感じさせません。シュアーなどのカナル型では耳孔が痛くなるという人にはおすすめです。

個人的には、このイヤホンは移動中アクティブに使うものというよりは、静かな環境でじっくりと音楽を楽しむ、大型ヘッドホンのような用途に適していると思います。もちろん電車通勤中などでも問題なく使えますが、騒音環境で使うには勿体無いと言えるだけのポテンシャルを秘めています。

イヤーピース問題

AK T8iEのシリコンイヤピースは一見奇妙な形状をしており、ソニーなどで慣れ親しんだマッシュルーム状のドームではなく、傘の部分が広がっています。以前eイヤホンの紹介動画で「ベイダーのヘルメット」と言ってましたが、まさしくそんな感じです。

流線型のイヤピース

この傘部分はとても薄く、よく見るとハウジングと一体になる流線型を描くようなデザインになっています。実際に装着してみると、傘と耳孔が面接触になるため、一般的なマッシュルーム型のシリコンイヤピースよりも耳孔への圧迫感が低減されます。

このAK T8iEのユニークな点は、カナル部分が短いため、耳の奥までグッと押し込むような設計ではないことです。たとえばシュアーなどと比べると装着感にユルさがあります。耳孔付近に「置くだけ」の感触で、「まるで装着していないかのような」フィーリングなのですが、普段コンプライや三段フランジなどを奥深く挿入するユーザーであれば不安と違和感を感じると思います。

K3003やIE800などはハウジング自体がイヤピースよりも小さいため、本体をグッと押し込むことで耳孔深くに入れることができるのですが、AK T8iEはハウジングの形状のせいで奥深くへの挿入は不可能です。

楕円形のカナル

また、カナル部分が楕円形をしているのもデザインのアクセントになっています。フィット感や音質面でのメリットがあるのかもしれません。はっきりいうと、装着感はBOSEのイヤホンに似ています。あちらも楕円形のカナルに、傘の広いイヤピースを装着するので、コンセプト的には同様です。

意外と知られていないことですが、BOSEイヤホンの装着感は革命的に快適で、かつ外れにくい、非常に優秀なデザインです。


BOSEのイヤピース形状と似ています

AK T8iEもたしかにBOSE同様、装着時は全く不快感がなく、これまで所有してきたどのイヤホンよりも「なにも装着していない」感があるのですが、実はこのカナル長さと独特なシリコンイヤピースがAK T8iEの一番の問題点でもあると思います。具体的には、シリコンイヤピースのフィット具合によって音色がものすごく変わります。

XS、S、M、L、XLサイズ

シリコンイヤピースは「XS、S、M、L、XL」の5種類が同梱されているため、自分にピッタリ合ったサイズを選択するのがこのイヤホン最大のポイントです。ちなみに手触りではサイズの違いがよくわからないのですが、裏側をよく見てみるとちゃんと「XS」などと文字が刻印されています。

背面にサイズが刻印されています(これはXL)

私自身の場合は、普段ソニーやコンプライなどではMサイズのイヤピースを使っており、Lサイズは耳に収まらないことが多いのですが、このAK T8iE同梱イヤピースに限っては、Lサイズがベストでした。Mサイズは小さすぎて密閉具合が悪いため、装着時に明らかにスカスカに感じました。

密閉されない、小さすぎるサイズを使うと、音楽の低域もスカスカになってしまいます。たとえば「アップルの白いイヤホン」レベルにまでスカスカに聴こえます。

Lサイズを装着することで適度な低音バランスになったのですが、それより大きなXLサイズではイヤピースが耳奥までしっかりと入らなかったので、左右のバランスが崩れてしまいました。

面白かったのは、Mサイズのイヤピースを装着した状態で5人の友人に試聴してもらった際に、「低音がスゴイね」という人と、「低音が全然無いね」という人にはっきりとわかれてしまいました。

つまりどういうことかというと、AK T8iEを店頭などで試聴する際には、まず低域の量感や全体的なトーンバランスはあてにならない、ということです。入念に自分にフィットするイヤピースを選定した上で初めてバランスが良好になるため、一聴しただけで「低域がスカスカ」などといった印象を持つのは極めてもったいないと思います。

他のイヤホンではここまでイヤピースによる音質変化を感じたことはなかったため、戸惑いました。過去同じような経験をしたのは、ALO Campfire AudioのIEMを試聴した際です。あのときは結局イヤピースによる音色変化が激しすぎてまともな評価ができませんでした。

そもそもAK T8iEのハウジングには一切の小細工が無く、単純に大型のダイナミックドライバが搭載してあるだけなので、カナルから出音されるのは極めてダイレクトな音色のみで、低域の味付けはイヤピースに依存するようなデザインなんだと思います。

コンプライ

ちなみに、AK T8iEにはコンプライの低反発ウレタンも同梱されています。説明書ではTX-400サイズが推薦されているのですが、なぜか同梱品はコンプライ純正のTX-200でした。TXなので耳垢ガード付きのもので、SMLの三サイズが一セットづつ入っています。

付属のコンプライはTX-200

AK T8iEのカナル部分は独特な楕円形状なので、コンプライではソニー系の200番とゼンハイザー系の400番のどちらでもフィットします。もちろんシュアー系の100番は使えません。

コンプライ装着時

個人的にはAK T8iEにはコンプライの使用はおすすめできません。まず低域がブーミーになり、かなり低音過多になります。そして中高域もそれに連られて重心が下るため、若干こもったような息苦しい音色になります。空気感が吸収されて爽快感が無くなってしまうような感じです。

どうしても標準シリコンイヤピースがフィットしないという場合の最終手段としてコンプライは有効だと思いますが、音質的にAK T8iEの意図していたものとかけ離れてしまう心配があります。

社外シリコンイヤピース

特殊な楕円形のカナルですが、一般的なシリコンイヤピースも問題なく装着できます。いろいろと試してみたところ、シリコンであればコンプライほどの音質変化は感じられなかったため、自分の好みに合ったものに交換するのも良いかもしれません。個人的にはよくソニーのハイブリッドイヤピースと、JVCのスパイラルドットイヤピースを使うのですが、どちらもAK T8iEへの装着感は良好です。

純正イヤピース装着時

JVCスパイラルドットイヤピース装着時

ソニーのハイブリッドイヤピースは穴径が小さいです

今回は、ソニーよりJVCのほうが相性が良かったです。イヤピースの長さや穴の広さはJVCがAK T8iE純正に一番近いですが、若干耳への圧迫感が強いため、詰まったように聴こえるかもしれません。その反面、純正よりも格段に外れにくくなり、遮音性も向上します。ソニーのハイブリッドイヤピースは音孔が小さいせいか、音色のメリハリが少し失われて「ふわっと」する印象です、標準イヤピースでは音がシャープすぎるという場合にはソニーを使ってみるのもよいかもしれません。どちらも千円程度の投資ですので、自分用のサイズを常備しておけば店頭試聴の際などに役に立ちます。

どちらにせよ、音質的には、ピッタリとサイズの合った純正イヤピースが一番良いと感じたため、あの特殊な傘形状のイヤピースはそれなりの理由があっての決断だということが実感できました。

ケーブルについて

ケーブル接続はMMCXコネクタで、「シュアーがけ」を想定した形状になっています。同梱されているケーブルは3.5mmステレオミニとAK用2.5mmバランス端子の二種類が付属しています。どちらもシュアーがけのための形状記憶ワイヤーは入っておらず、細く柔らかいゴム表皮ケーブルです。


ケーブルはMMCXコネクタ

このケーブルのMMCXコネクタ部分は、発売前の試聴機では非常に貧弱でいまにも断線しそうで心配だったのですが、製品版は十分な厚みを持っており、安心できそうです。万が一断線しても、MMCXなので別のケーブルに交換することが可能です。

ケーブル分岐点とスライダー

同梱ケーブルは1.3mということで一般的な1mケーブルより若干長く、DAPをズボンのポケットに入れる場合ではケーブルを持て余してしまいます。ケーブルのY字分岐はシルバーのメタルで、調整スライダーはK3003同様に片方のケーブルが取り外せるような形状をしています。

L字コネクタは高品質です
コネクタのデザインがDT660っぽく見えます

3.5mmコネクタはコンパクトなL字タイプで、ベイヤーダイナミックのロゴがあしらわています。ちなみに2.5mmのほうのコネクタにはAstell&Kernのロゴがついているのがコラボ感を演出しています。ところでこのコネクタのデザインは、初めて見た時から「なんかベイヤーっぽい」と思ったのですが、よく考えてみると、T90やDT660のハウジングを連想するのはベイヤーマニアだけでしょうか。

ケーブル自体は布巻きではなく、ただのゴムなのでベタベタしており、絡まりやすいです。シュアーやゼンハイザーのようにスルッと絡みを解けないので装着時に手間取りますが、その分タッチノイズはとても低いです。IE800なんかはケーブルがスルッとしている分タッチノイズが酷いことが不評です。

MMCXコネクタなので、自分好みのケーブルに交換することができるのは非常に嬉しいです。たとえばIE800やK3003の購入を躊躇している人の多くは、ケーブルが交換不可能ということがネックになっているだろうと思います。

WestoneはMMCX端子が飛び出しているのが見えます

このMMCXコネクタですが、注意点が一つあります。写真で見るとわかるのですが、AK T8iEはMMCX端子がハウジングから飛び出しておらず、フラットになっているため、一部のケーブルでは奥まで差し込めずカチッと接続できません。

Westoneケーブル(下)は端子外周のゴムが出っ張っており、使えません

具体的には、たとえばWestoneはハウジング側の端子が飛び出しており、ケーブルもそれに合わせて設計されているため、AK T8iEにWestoneのケーブルを使おうと思っても装着できませんでした。また、Fiio/オヤイデのWestone用MMCXケーブルも、同じように装着不可能でした。Shure用であれば問題ありませんでしたので、その辺は注意が必要です。確認するポイントは、ケーブル側のMMCXコネクタ周囲のゴムが、コネクタ周りに飛び出しているかどうかです。

音質に関しては、標準の同梱ケーブルにこれといって不満が無いため、リケーブルによる「味付け」は個人の趣味に合わせて行う程度で良いと思います。たとえば手元にあったFiio/オヤイデのShure用PCOCCケーブルを使ってみたところ、音色がより明るく発散するようになりましたが、コントロール感は悪くなりました。

不格好ですが、JVCのケーブルを接続した例

バランス接続について

Astell&Kernとのコラボレーションということで、同社定番の2.5mmバランスケーブルも付属しています。私自身はAKなどの2.5mmバランス端子を備えたDAPを持っていないのですが、今回は友人の好意にてLotoo PAW 5000とCayin N5という2.5mmバランス端子装備のDAPを使うことが出来ました。残念ながらAKはありませんでしたが、バランスケーブルを使うという目的は達成できました。

Cayin N5とバランス接続

Lotoo PAW 5000とバランス接続

AK T8iEそのものの音質については後述しますが、はっきりと言えるのは、バランス接続を行うことによって確かな音質向上が確認できました。これについてはDAPの内部回路に依存する部分が大きいため(完全バランス設計かどうか、など)、一般論として語ることは不可能なのですが、Lotoo PAW 5000とCayin N5の両方において、バランス接続にすることで中域のコアになる部分が、より太く、力強く、メリハリが増して、実在感が向上しました。バランス接続を使うことでデメリットといえる点は無かったです。

たとえば周囲の騒音が大きい場合、歌手などの主旋律を聴きとるためにボリュームを上げ過ぎると、それ以外のバックのドラムやギターなどが耳触りになってくるのですが、バランス接続にすることで歌手の自己主張が強くなり、さほどボリュームを上げなくても音楽が活き活きとします。

これは個人的な感想なのですが、たとえば今回AK T8iEにて28万円のLotoo PAW Gold(バランス端子無し)と、6万円のLotoo PAW 5000(バランス端子あり)を同じ音楽で比較してみた際、私自身は廉価モデルのPAW 5000でバランス接続した音質が一番好みでした。それに続いてPAW GoldとPAW 5000のアンバランス接続(3.5mm)といった順列になりました。AKでも同様の結果になるかはわかりませんが、少なくともバランス接続を活用するメリットは大いにあると思います。

AK T8iEの音質について

まず、発売前の試聴機と実際の販売モデルでは、気になる程の音質差は感じませんでした。

今回、AK T8iEとの比較試聴に使ったのは、私のAKG K3003以外では、友人のシュアーSE846とゼンハイザーIE800が揃いました。まさにハイエンドIEM大集結ですね。楽しい試聴会となりました。

高級IEMが全員集合です

AK T8iEは開封後30時間ほど音楽を流しておきましたが、これからさらにエージングが進むに連れて音質に変化が現れるかもしれません。開封直後とくらべて、30時間後のほうが低域が落ち着いてきたように感じられますが、いわゆる典型的な「エージング不足」にありがちな高域のシャリシャリ感などは開封当初から一切ありませんでした。

使用したソースは個人的に愛用しているOPPO HA-2とiFi Audio micro iDSD以外では、ソニーNW-ZX2と、バランス接続用にLotoo PAW 5000とCayin N5がありましたが、基本的に普段聴き慣れたOPPOの3.5mmアンバランス接続で行いました。

音質について

まず最初に触れておきたいのは、AK T8iEには明確な問題は感じられず、たとえば他のイヤホンなどでよく言われる「特定の帯域がこもる」とか「サ行が刺さる」「低音が乱れる」といった、単純な不満点は一切ありませんでした。

ドライバの設計やハウジング反響に依存するような乱れが無く、どの帯域もクリーンで見通しがよく、上から下まで素直に鳴ってくれます。

もちろんIE800やK3003なども、この価格帯のIEMやヘッドホンになると明確な「悪い癖」が無いため、なかなか具体的な評価が難しいと思います。

そういった意味で、試聴レビューでの印象というのは誇張や過大解釈が必要で、あえて知恵を振り絞ってクセや問題点を探し当てるようなゲームになってしまいます。

別の言い方をすれば、ハイエンドなIEMになるにつれて、IEM自体のクセや存在感が消え去り、純粋に音楽そのものを楽しめるようになります。AK T8iEは、まさにそのような体験ができるIEMだと思いました。

能率もごく一般的なIEMと同等で、シュアーやWestoneなどのBA型よりも二割ほどボリュームを上げる必要がありますが、たとえばスマホやNW-ZX1などパワーが弱いソースでも十分に音量が取れます。

AK T8iEの音質について、特徴的だったポイントは2つあります。それらは:

① 太い音像と、柔らかく繊細なアタック感
② 大型ヘッドホンのような壮大な音場感

です。

柔らかいアタック

まず①についてですが、AK T8iEを他のIEMと交互に聴き比べてみると、耳当たりがとてもソフトだということに気付きます。

ソフトといっても音像がふわふわしていたり、こもっているわけでは無いのに、なぜそう聴こえるのか不思議に思っていたのですが、注意してリスニングしてみると、他のIEMと比べて一音一音のアタック部分が潰れておらず、尖った部分の質感が聴き取れているからだと確信しました。

インパクト重視というよりは一歩下がったような出音表現で、ドラムなどの激しいアタックでも、古傷に触れるかのように丁寧な鳴り方です。一般的なIEMであれば「カン!」とか「ドン!」という一瞬の破裂音で済んでしまうようなアタック音、たとえばベースを指で弾く音や、ハイハット、シンバルの「シャーン」という響きも、AK T8iEで聴くと、まるでスローモーションになっているかのように、アタックの開始部分の「音色」が聴き取れます。

リズムの基礎となるアタックがバシバシと耳を攻撃しないため、丁寧すぎて逆効果かと思うこともあります。たとえば、モバイル用途で環境騒音下でリスニングしている場合などは、もうちょっとエッジの効いた押し出しの強さが欲しくなったりもします。

高域の伸びは良好なのですが、さすがにベイヤーらしく、作為的な美音というよりは録音に忠実な「正しさ」のように感じられます。

全体的にクリアでありながら硬質な刺激が少なく、限りなくモニター調に近いのに、鑑賞に耐えうる音楽性をあわせ持った音色はさすがといえます。たとえばシビアなモニターイヤホンにありがちな「アラ探し」で終わらせないところが立派です。

中低域の量感は、先ほど触れたイヤピース問題でいくらでも調整可能なのですが、自分に合ったイヤピースを使った場合には、中低音を基礎としたどっしりとした三角形のような音色です。イメージが一定の距離を保ってブレないため、どれだけ高音の解像感が高く、伸びが良くても、それがシャリシャリとせずに安定を保っています。また、大型ヘッドホンかのごとく、一音一音の線が太いです。

似たような傾向のIEMというのは思い当たらないのですが、ヘッドホンでいうとT1やK712、HD650、Fidelio X2なんかの大口径開放型と似た、エッジがきつすぎない自然な余裕が近いかもしれません。リラックス系の音色とでも言えるかもしれませんが、たとえばゼンハイザーIE80やJVC HA-FX1100のような増強した低音でウォームに仕上げているのではなく、全体域がヒステリーを起こさないだけの十分な余裕を感じさせます。

壮大な音場感

次に、②の「大型ヘッドホンのような壮大な音場感」について、私自身がいままでずっと気になっていたことなのですが、これまでの「IEM」と「大型ヘッドホン」というのは、それぞれが真逆の方向に進化しているように思えていました。

IEMの場合は「ディテール、解像度、分析力、脳内で全てが聴き取れる顕微鏡的なスペック」がセールスポイントとなりますが、大型ヘッドホンにおいては「空間定位、音像の距離、コンサートホールのリアリズム」といったマクロなリアリズムが重宝されます。

そういった中で、AK T8iEは、IEMというよりはむしろ大型ヘッドホンに通ずる音作りだと感じました。

空間が広く、各演奏者の定位や距離感がパノラマ的に安定しており、限界の壁を感じさせず、どこまでも透き通るような音場感があります。つまり、一音一音の残響を綺麗に鳴らしきることができるだけの空間的余裕があります。これはHD800やT1などと同レベルの空間再現性で、余裕がある大型ドライバのヘッドホンでよく感じられる特性です。

空間が広いということは、響きの伸びが長く聴きとれるため、弦楽器やフルートなどのレガートが詰まることなく「スーッ」と消えていくまで安定して鳴り響いています。

悪く言えば、たとえばBA型などの「音場が近めで歯切れがよい」IEMとくらべると、AK T8iEは一音一音がなかなか消えてくれないため、演奏に間延びすら感じさせます。

ごく一般的なイヤホンにはどれも共振ポイントがあり、音の定位が急にぐっと前に出てくる部分があるのですが、AK T8iEではそれが皆無で、頭外定位が一定の距離をキープしています。つまりどんなに派手な録音でも一定の距離感があるようなので、もうちょっと脳内にズンズン響くほうが好みの人もいると思います。

スピーカーのような音色

個人的に、このAK T8iEの音作りは、大型ヘッドホンや、さらにはニアフィールドモニターのそれに近いと思いました。録音スタジオに配備されているADAM、EVENT、GENELECなどの大型ニアフィールドを使った時の確実性と見通しの良さが、このAK T8iEでも感じられます。

とくに低音の量感が十分あるのに、タイミングが一切ズレない、こもらない、反響しない、という一見矛盾するような表現力は、IEMとしてはとてもユニークです。

たとえば安価なイヤホンやヘッドホン、デスクトップ用スピーカーなどでは、ドライバそのものに低音を押し出すだけの能力が不足しているため、ハウジングのダクトやバスレフのような空気チャンバーを応用して増強するのが一般的です。(ゼンハイザーIE80なんかはこの手法を上手に使っています)。

このような低音ダクトに頼り過ぎると位相が一周ほど遅れてしまい、なおかつハウジング内部で延々と共鳴してしまうため、低音はボンボン出ているけど、定位が正しくなく、音楽と位置やタイミングが一致していない、という致命的な問題が発生します。

スピーカーの性能が高く、ドライバそのもので中低音を十分に出音できれば、このような位相や時間乱れのような問題が回避できます。AK T8iEからはそういった低音の正しさを感じられました。


AK T8iEを使ってMilestoneレーベルのジョー・ヘンダーソン「Tetragon」を試聴してみたところ、ジャズで定番のウッドベースによるウォーキング奏法が、一音一音、重低音に負けずに「音色」として存在していました。一般的なイヤホンでは、低音不足で満足に聴き取れないか、もしくはバスレフ効果で「ボン、ボン」と鼓膜を振動するだけの効果音だったのですが、AK T8iEを使うとそれがメロディになります。

トゥッティの音圧で押し切るようなパッセージも、普段一般的なイヤホンの場合は脳内に押し寄せるような音圧を感じるのですが、AK T8iEの場合、目の前にある音像がダイナミックに広がった、という感じで、パノラマ空間が破綻しない普遍的な安定感があります。

今回、AKG K3003、ゼンハイザー IE800、シュアー SE846と比較試聴することで、AK T8iEの良い部分と、また悪い部分もなんとなく見えてきました。

AKG K3003との比較

AK T8iEとAKG K3003は対照的な個性を持っているようです。

AK T8iEの得意分野が空間表現とスケール感だとしたら、K3003は一音一音の美しさ、そして「ツヤ」です。たとえば録音が劣悪で、空間要素が皆無な曲の場合は、AK T8iEはそのポテンシャルを発揮できず、かえって録音の悪さを見透かしてしまいます。それと比べて、K3003を使うと、たとえ音楽がチープでシンプルであっても、演奏者の楽器や、歌手の歌声が非常に美しく仕立てあげられて惚れ惚れとしてしまいます。

若干作られた演出とも感じられますが、それ自体は悪くありません。奥まった空間要素はあえて表に出さず、音楽の主要なパッセージを明朗に、スポットライトを当てて、ツヤツヤに描いてくれるのがK3003です。


アルヒーフ録音のカール・リヒター指揮1961年のバッハ・ロ短調ミサは、バロックの金字塔的名盤ですが、今回K3003で全曲通して聴いた際には、歌手ソリスト、コーラス隊、そしてオーケストラ楽器の美しさが際立った、オペラ的なエンターテイメント性を強く感じました。

それに対して、AK T8iEの場合では、ソリストやコーラスそのものはあまり自己主張が強くなく、音楽の一環として淡々と繰り広げられるのですが、その粛々としたミサ曲の中で、稀に大音量の一斉合唱が奏でられるようなシーンでは、残響が形成する荘厳な教会の空間表現にドキッとしました。実際に復活祭やクリスマスなどで教会聖堂で行われる演奏会に立ち会ったような体験に近いです。

ゼンハイザー IE800との比較

IE800は個人的に所有していないのですが、その理由はシュアーがけ出来ない交換不可能なケーブルや、特殊形状のイヤピースなど、物理的なデザイン面での問題点もありますが、音質的にもあまり好みではありません。

AK T8iEと比較してみると、IE800の大きなメリットは、まず奥行きの深さがあります。空間表現がAK T8iEのような前面に広がるパノラマ演出ではなく、IE800は細い針穴のような一点集中型で、センターの音像が奥へと無限に広がっていくブラックホールのような魅力があります。つまり音楽の望遠鏡というか、覗き穴的な魅力があります。

また、低音も同様に、腰が座っているAK T8iEの豊かな低音とは対照的に、IE800では低音楽器そのものよりも、その周囲の空間のほうが抽象的に描かれています。AK T8iE以上に、ドスンというインパクトよりも付帯音を重視した鳴らし方です。


ウェイン・ショーターのブルーノート録音「The Soothsayer」は60年代ジャズの愛聴盤ですが、IE800を使うことで、トニー・ウィリアムスのドラムや、フレディ・ハバードのトランペットが、遠く異次元空間で鳴っているような距離感があります。キックドラムやベースは鼓膜からドンドンと体感するのではなく、ポツンとそこにある、こじんまりした音がはっきりと聴こえるような演出です。

箱庭的というか、普段なら耳を強打するようなインパクトのある響きでも、IE800ではそれすら冷静に観察できる剥離感があり、「あれ、キックドラムってこんなふうに鳴り響いてるんだ」と冷静に感心するようなリスニング体験ができます。

IE800の問題点は、主要奏者の音像が細すぎて、掠れることです。響きのツヤが奏者の輪郭を肉付けするのではなく、上記のドラムのように独立してきめ細やかに鳴っています。とくにAK T8iEと比較すると、女性ボーカルなどで豊満な肉声を期待しているのに、IE800を使うことで喉が渇いているかのような、か細い擦れた歌声に聴こえてしまいます。これはディテールという面では優秀なのかもしれませんが、音楽そのもののエネルギーを楽しむ「ノリの良さ」が不足しているように思えます。その点、AK T8iEはIE800ほどの奥深い洞察力は持っていませんが、ヘッドホンらしい音像の太さとバランスの良さがあります。

シュアー SE846との比較

SE846は、下位モデルSE535などと比較すると、マルチBA型IEMの多くの問題点を上手に解消し、さらに超高域までワイドレンジ化を実現したハイスペックな機種です。空間の広さはAK T8iEに譲りますが、金属的でハードなアタックと、ドンドンと体感できる低音のパンチはさすがBA型フラッグシップ機だと関心します。


例えば、MDGレーベルによるバヴゼのラヴェル楽曲集は、演奏と録音のどちらも素晴らしい推薦盤なのですが、AK T8iEで聴くと相性が悪いようで、角が立たずピアノ一音一音のインパクトが弱く、無難に演奏が進行してしまいます。

AK T8iEでは付帯音が聴き取りやすいため、主旋律の連続した音色が被ってしまうように感じました。ピアノそのものよりも、付帯する残響音のほうが強調されて、つねにホールの音響を聴かされている感じです。これは「こもっている」というのとは若干意味合いが違い、なんというか広大で響きが豊かなコンサートホールで聴いているような印象を受けます。

交響曲などの場合は響き要素の重なりあいが絶妙なハーモニーを発揮するのですが、ピアノソロの場合は基本的にホール残響に依存するため、手数が多い曲になればなるほど、過剰な空間要素が邪魔になってきます。

それとくらべて、SE846を使って同じピアノ曲を聴くと、メリハリのあるシャープなアタックで、打鍵に生き生きとした躍動感があります。演奏者の主張が強く、ギラギラと輝くようなパフォーマンスに圧倒されます。響きやホールの音場といったリアリズムにおいてはAK T8iEに負けるのですが、それ以前に、SE846では演奏そのもののメロディに集中できます。余計な響きはスッと抑えこみ、繰り出される音色を的確にシャープに打ち出す、このSE846のサウンドこそが、いわゆる高解像という音なのかもしれません。


Smoke Sessionsレーベルから今年発売された、ハロルド・メイバーンの「Afro Blue」は、地味なジャケットの見かけによらず、カート・エリングやノラ・ジョーンズら一流シンガーがゲスト出演している、近年稀なジャズボーカルの名盤です。曲ごとに色々な歌手が歌っているので、サンプラーとしてもおすすめです。

ジェーン・モンハイトが歌う6曲目など、SE846は歌手をフロントに持ってきて、ピアノやベース、ドラムなどは体感リズムが強烈に曲を牽引するようなインパクトがあります。

こういったジャズボーカルの曲ではSE846はシャープで鮮明な像を描いてくれるのですが、その半面、SE846の欠点である中高域の響きの乱れも顕著になります。女性ボーカルの特定の帯域だけ音像が膨らんでしまい、一人の歌手のはずなのに、声の一部だけが定位がズレるという現象が発生します。

AK T8iEの場合は、歌手はバンドの一員に徹しており、あまり自己主張せず、たまにピアノなどの影に隠れてしまうことすらあります。しかし歌手の全音域が安定して同じ量感と定位を持っているため、急に膨れ上がったり、ふらふらと動きまわらないという安心感があります。録音の再現性という意味ではAK T8iEのほうが優れていると思うのですが、硬質でパンチのあるSE846の演出にも魅力を感じてしまいます。

まとめ

ベイヤー初のテスラテクノロジー搭載イヤホンということで、期待と同時に不安も大きかったのですが、実際に出来上がった商品は、満点をつけられるほど素晴らしいイヤホンでした。とくに、フラッグシップヘッドホン「T1」ゆずりの繊細さと大胆さを兼ね持つ「ベイヤーらしさ」を継承しており、これまでのハイエンドIEMとは一線を画する、大型ヘッドホンのようなスケールの大きな音色を奏でてくれます。とくに、ホールや教会などのライブ録音の音場効果は圧巻です。

出先で手軽に活用するというよりは、大型ヘッドホンの代わりに静かな環境で正座して真剣に音楽鑑賞を楽しむ、といったイメージです。大型ヘッドホンは首が疲れる、蒸れる、メガネに当たる、などという人には非常におすすめです。

出音が若干ソフトタッチなので万人受けする音色では無いかもしれませんが、こんな小さなIEMから、これだけ壮大な音が出せるんだ、と関心してしまうような、少なくともT1、HD800、K812などと同列で語れるだけのポテンシャルを秘めた逸材だと思います。

IEMに何を求めているかにもよると思いますが、高解像で分析的なマルチBA型や、響きやムード重視な従来のダイナミック型などのどれとも違うユニークな音作りは不思議な体験ですので、一聴の価値があります。個人的には、同価格帯のAKG K3003との優劣がつけがたいほどの名勝負だと思いますが、K3003は単音のツヤ、AK T8iEは空間の再現性がポイントです。

装着感に若干の難があり、イヤピースのフィット次第で低域の量感が極端に変化してしまうため、試聴の際には入念の注意が必要です。コンプライを使うとせっかくのAK T8iEの良さを殺してしまうと感じたので、可能であれば付属シリコンイヤピースの各サイズを試してみる価値はあると思います。また、一般的なカナル型よりも耳孔への圧迫感は少ないため、シュアー等は痛くて辛いという人にもおすすめです。

今後将来的に、ベイヤーは今回のモデルで得た経験を元に、同じテスラテクノロジーを応用した廉価モデルなどを続々開発してくれることを期待しています。当面はこのAK T8iEがベイヤーダイナミックの象徴的フラッグシップとして君臨するに値する、すばらしいイヤホンとして仕上げてくれたことに感謝します。

また、高品質DAPの性能を十二分に引き出せる性能を持っており、バランス接続による音質向上も目を見張るものがあるため、Astell&KernのDAPとのマッチングも良好な最高のコラボレーション企画だと思いました。