2018年7月25日水曜日

いろいろ試聴記 MrSpeakers Voce ヘッドホン

手短な試聴記の2つめはMrSpeakers Voceです。

平面駆動型ヘッドホンシリーズで最近勢いを増しているMr Speakersですが、今回は堂々のフラッグシップに静電型ヘッドホンを投入してきました。約45万円の「Voce」です。

MrSpeakers Voce

静電型ということで、一般的なヘッドホンアンプでは使えず専用駆動装置が必要になりますが、STAX PRO方式の580Vバイアスと互換性を持たせています。最近はあまり話題にならない静電型ヘッドホンですが、あらためて高級ヘッドホンとしての存在感を見せつけてくれます。


Voce

古くから高級品として知られている静電型(エレクトロスタティック)ヘッドホンが、近頃のヘッドホンブームの中でもあまり普及していないのは、単純に、技術的な難易度が高く、まともに作れるメーカーが少ないからです。さらに製造コストやアンプへの要求が高いため、なまじ中途半端な安物は作れないという難しさもあります。

最高級モデルです

一般的に広く知られている静電型ヘッドホンといえば、かれこれ20年以上STAX社の独占状態が続いており、とくに長方形のラムダシリーズを連想する人が多いと思います。参入が難しいジャンルということは、ヘッドホンメーカーとして一種のステータスにもなりうるので、たとえば最近だとSONOMA MODEL ONEやSHURE KSE1500、Hifiman Shangri-La、そしてゼンハイザーHE-1など、コスト度外視で一般人では試聴する機会も無いようなステートメントモデルが続々登場しています。静電型ヘッドホンを作れることが一流ブランドである証にもなるということで、今回MrSpeakersもVoceを開発したのだと思います。

Etherシリーズ

MrSpeakersというと、平面駆動ドライバー方式の大型ヘッドホンに特化したメーカーです。日本では2015年発売のEtherシリーズから正規販売が始まったので、まだ知名度は低いですが、ハイエンド志向で妥協しないアプローチが好評を得て、多くのファンを生んでいます。

Etherは約25万円で開放型と密閉型(Ether C)の両方を販売しており、2016年にはアップグレードパーツを追加したEther Flowというモデルも出しています。さらに2017年には10万円の小型モデルAeonを発売、これも開放型と密閉型を選べるというバリエーションの広さが魅力的です。

どれも平面駆動型ドライバーということでFostex、Audeze、Hifimanのライバル的存在です。Etherは明らかにAudeze LCDの後追いで意識したデザインですし、そもそもMrSpeakersの源流はフォステクスRPドライバーから始まっているので、数々の名作をもとに、ガレージメーカーならではのアレンジで独自のハイエンドに踏み出した印象です。

個人的な感想として、Ether、Aeonともに、デザインコンセプトや価格設定は好印象で、努力と試行錯誤が感じられる良いメーカーだと思います。ただしサウンド面では、たとえば放送局に納品するようなレファレンスモニター的スタンダードではないので、設計者の好みが色濃く出ている自由な音作りをしているという印象でした。

今回発売したVoceは、それら平面駆動型ヘッドホンとは一線を画する、新設計の静電型ドライバーを採用しており、それに伴い45万円という価格にふさわしいような芸術的デザインになっています。

平面駆動型のEtherと静電型のVoceはどちらも振動板が平面なので、一見同じもののように見えますが(少なくともハウジング形状は似てしまいますが)、駆動方式は大きく異なります。

EtherやFostex RP、Audeze LCDのような平面駆動型は、その名の通り「平面を駆動する」方式です。平面振動板に電気配線が仕込まれており、そこに音楽の電気信号を流して、隣接する永久磁石と反発することで振動させて音を出します。一方、静電型の場合、数百ボルトのDC電圧で振動膜を帯電状態にしておき、前後の金属メッシュに音楽信号を流す事で振動膜が震えるという仕組みです。

静電型は振動板に音楽信号を流す必要が無いため、軽量で薄い膜のみで済むことが大きなメリットです。さらに、永久磁石がいらないので、本体を軽くできますし、磁石を的確に配置する難しさも回避できます。

薄膜全体が前後に動くため、与えられた信号に対して、低音から高音までピッタリと正しい位相で再生でき、とくにクラシック音楽のように、録音自体にコンサートホールの複雑な音響情報が記録されているような音楽では、静電型を使う事でとてもリアルな音像や、生演奏の質感が味わえるというのが長年のメリットでした。

しかし、なぜ静電型が現在あまり普及していないかというと、まず理想的な特性を持った薄膜素材が現実にはなかなかありません。薄く軽く、厚さが均一で、帯電できて、さらに経年劣化で伸びたり破れたりしない、扱いやすい素材が必要です。

それを扱う製造工程も大変です。簡単に破れてしまいそうな薄膜を、外枠に沿ってピッタリと歪みなく丁寧に接着して、金属メッシュと隣接させます。たとえば薄膜にちょっとでもシワがあったり、たるんだり張りすぎても音が歪んでしまいますし、ゴミや欠陥があったら、使っているうちに破れる心配もあります。振動膜と金属メッシュのギャップは狭いほうが音質的には有利ですが、あまり狭すぎてメッシュと接触したらアウトです。組み立てには高精度なラボと熟練工が必要で、大量生産には向いていないため、大手メーカーとしてはメリットが無いから参入しないという事でしょう。

さらに静電型の不利な点は、あまり大きな振幅が望めないという事です。とくに中低域で力強い大音量を発するために、振動膜を大きく前後に動かすことが難しいです。家庭用の静電型スピーカーの場合、高音だけが静電型で、低音はダイナミックドライバーを使うハイブリッド方式なんかもあります。もちろん理想的には微小情報から大音量まで、全帯域、全ダイナミックレンジを余すこと無く再現できる静電ドライバーがあることが望ましいです。

静電型というのは原理的に非常にシンプルだからこそ小細工が効かず、材料工学や品質管理、製造技術の良し悪しがそのまま音に現れてしまうため、メーカーの技術力の高さを披露するには最高の題材になります。

その一方で、最近では平面振動板に電気配線を貼り付ける(もしくは蒸着や印刷する)技術が進歩して、平面駆動型でも十分に正確な位相と軽快なレスポンスが実現できるようになってきたので、わざわざ手間がかかる静電型のメリットが薄れてきました。それでも静電型というのはスピーカーやヘッドホンにおける終着点として多くのマニアの憧れでもあります。

サイズ感はEtherと似ています

保護グリルがカッコいいです

ヘッドバンドはEtherと同じデザインです

VoceのデザインはEtherシリーズとよく似ており、装着感も近いです。グリルがまるで鋳造のアンティーク家具みたいな美しさがあります。ヘッドバンドはEtherシリーズ同様、2つの細い針金で作られており、ぐにゃぐにゃと柔軟性がありますが、ハウジングが軽量なため、一旦装着すれば十分なホールド感があります。

専用ケース

中はこんな感じです

高価なだけあって、豪華なボックスに入っていました。木箱にクリアープラスチックのドアが開き、中心にヘッドホンを収める枠組みがあります。ゴム足が見えるので、本来は仏壇のように立てて観音開きにするデザインのようです。かなり巨大で場所を取りますが、ヘッドホンをしっかり保護してくれそうです。

ケーブル端子はネジ留めされてます

STAX PRO互換コネクターです

静電型ということでケーブルは他のヘッドホンとは互換性が無く、六角ネジで外せるようになっていますが、基本的にセットで使うように作られています。580Vという高圧を扱うケーブルなので、安易に社外品などを使うことはおすすめできません。コネクターはSTAX PRO規格の5ピンプラグです。XLRではありません。

ヘッドホン本体は非常に軽量なのですが、分厚いレザーイヤーパッドがかなり重く、存在感を放っています。前後非対称に縫製されており、柔らかく高級な質感です。着脱はベイヤーのように引っ張って外周に引っ掛けるタイプで結構手こずります。

イヤーパッドを外した状態

付属のスポンジ

和紙のような追加フィルター

このイヤーパッドを外すと、中にドライバー本体が見えるのですが、付属品でいくつか追加スポンジが同梱してあります。何もつけない状態でも使えますが、自分の好みに合わせて異なるスポンジを装着するように書いてあります。Etherではイヤーパッドの上からスポンジを押し込む方式でしたが、Voceではイヤーパッドを外す必要があります。

個人的に、この部分のデザインはあまり好きではありません。試聴する場合、どのスポンジを使っているかで音がガラッと変わってしまいますが、交互に交換して聴き比べられるほど便利に作られてもいません。

まずイヤーパッドがとても柔らかく繊細な素材なので、毎回パッドを着脱する際に無理に引っ張って破ってしまわないか心配ですし、ドライバーグリルも開口が大きいのでアクシデントが心配です。たとえば店頭試聴機などでは、手慣れていないお客さんにやらせるのはかなりリスクが高いです。

すべてのスポンジを聴き比べてみたところ、確かにかなり音が変わります。まずスポンジ無しの状態だと高域がシャリシャリと目立ってしまい、一見高解像ですが耳障りです。個人的には中型の黒スポンジが一番バランスが良いと思いました。サウンドの変化はほぼ見た目どおりで、一番密度が高い黒スポンジではモコモコしすぎです。和紙のようなパッドもあり、これは最初悪くないと思えたのですが、じっくり聴いてみると、常にカサカサした変な響きが上乗せされるようでした。まるでこれ自体が第二の振動板になっているかのようです。もちろん好みの差はあると思いますが、店頭やイベントで試聴する際にはどのパッドを装着しているか確認する必要があります。

ここからは、一番好印象だった中型の黒スポンジを装着した状態での感想です。

STAX SRM-007tA

アンプはSTAXの真空管モデルSRM-007tAを使いました。トランジスターのSRM-727Aも使ってみましたが音質的には007tAの方が好みでした。ソースはChord Qutestです。

Qutestのライン出力は2Vrms設定で、クラシック音楽などはSRM-007tAのボリュームノブが50%くらいで適音量でした。SRM-252などベーシックなアンプだと駆動が辛いかもしれません。


Voceの第一印象は、ものすごい艷やかな美音です。透明感があり、水が滴るようなツルッとした自然な響きで、とくにピアノやヴァイオリンなど、楽器の「音」そのものが感動的なまで美しいです。

当然のことながら完全開放で、密閉感や遮音性は一切ありません。装着して音楽を聴きながら、周りの会話もそのまま聞こえますし、会話に参加することすらできます。変な言い方ですが、ヘッドホンを装着していると感じさせない、最高の環境音システムとも言えます。

ハイレゾのソロピアノリサイタルとかは圧倒的です。録音が自然で高音質であるほどVoceとの相性が良いです。音の粒立ちと呼ばれるような、一音ごとの存在感がとても高く、ピアノの音色がキラキラと輝きます。意識せずともディテールに満ちているので、一つの楽器だけであっても、演奏による表現が自然に伝わってきます。ただし、低音の広がりは限定的で、かなりコンパクトにまとまります。完全開放ということはハウジングによる音響効果も期待できません。

大きな静電振動板が耳元に置かれているので、空間や音場の表現は「前後に狭く横に広い」印象です。これはEtherやAudeze LCDなど平面駆動ヘッドホンの鳴り方に近いので、それらのファンであればスムーズに移行できると思います。平面駆動と同じような展開の広さを見せながら、より一層細やかな音色の情報が引き立てられ、ワンランク上の質感を手に入れたようなイメージです。

STAX愛好家なら共感してくれると思いますが、静電型ヘッドホンというのは、ダイナミック型(平面駆動型を含めた)とは根本的に異なる、独特の鳴り方をします。音楽だけではなく録音に含まれる空気全体が細かく震えるようなイメージで、明確な無音と出音のオンオフではなく、常に何か繊細な音に包まれているような雰囲気が感じられます。

そんな静電型ヘッドホンVoceと比べると、ダイナミック型ヘッドホンでは、まるで細かい音の表現がバッサリとカットされているというか、実際に音が鳴るまでの引っかかりや「ためらい」みたいなものがあります。もちろん普段からそんなふうにダイナミック型に不満を持っているわけではなく、Voceと比べると、そう思えてしまいます。

誤解を招くかもしれませんが、個人的に、静電型特有の、繊細な空気の集まりで音楽が形成されるような鳴り方は、なんとなくマルチBA型IEMにも似ているような気がしました。イヤホンの世界でも、ダイナミック型とマルチBA型で根本的に鳴り方が違うなんて言われますが、それに近いものがあります。もちろん技術的な共通性はほとんど無い二つの方式ですが、ダイナミック型でも優れたイヤホン・ヘッドホンが数多くある中で、それらではない別の音楽の楽しみ方を実現できるという共通性はあるかもしれません。

Voceは音色の色艶に関しては敵無しと思えるのですが、他の一般的なヘッドホンと比べて弱点に思えたのが、音量に対する許容範囲の低さと、音量で音色が変わる事です。これは試聴中に常に気になり、注意する必要がありました。

STAXでも、たとえば15年くらい前のSR-4040とかは同じような傾向が強かったですし、静電型スピーカーでも同様な印象がありがちなので、静電型らしい特徴とも言えます。

ボリュームが小音量の時にはとても美しく艷やかなのですが、音量を上げるにつれてだんだんと音色が硬質になってきて、さらに上げると倍音成分が飽和してクリア感が損なわれていきます。最終的に、楽器音と響きの区別が無くなり、ベタッと平面的に張り付いたような感じになってしまいます。

とくに、大編成オーケストラのハイレゾ最新録音のように、ダイナミックレンジが非常に広い録音では、その音量の起伏についていけないように思いました。静かなパッセージではキラキラと輝くような美音ですが、勢いが増してくると音が飽和して明確さや解像感が失われ、空気が詰まってしまうようです。

逆に考えると、Voceはリスニング環境にかなりこだわる必要があります。イベントや店頭試聴では、少なからず空調や行き交う自動車などの環境騒音があるため、音量設定も若干高めになってしまい弱点が現れやすいです。もし自宅に完璧なリスニングルームを整えており、吸音材などで外来ノイズを遮断している環境であれば、Voceを少音量で楽しめるので、十分なダイナミックレンジで味わえます。つまりそれだけリスナー側への要求が高く、カジュアルには扱えないヘッドホンです。

もしかすると、ヘッドホンではなくアンプの問題なのかもしれません。しかし今回使ったSTAX SRM-007tA・727Aともに上等なモデルですし、どちらもスペック的に不備は無いと思います。

少なくともVoceを鳴らすには最低限このクラスのアンプは必要だという事でしょう。できればSTAXの最新モデルSRM-T8000や、HeadAmp Blue Hawaii、iFi Audio Pro iESLなど、もっと高価な静電型用アンプも使ってみたかったですが、残念ながら身近にありませんでした。Voceを購入できる人なら、そのレベルのアンプをすでに持っていても不思議ではありません。

ともかく言えることは、近年のSTAX SRM-009や009S、もしくはL700などと比べると、Voceはより古き良き「静電型らしい」美点と欠点を兼ね揃えたヘッドホンだと思いました。

STAXの最新モデルを聴いてみると、そんな「静電型らしい」印象が薄れて、汎用性が高まっている印象があります。現行モデルは低価格のL300から最上位SRM-009Sまで、どれも低音の力強さや音量の迫力など、ダイナミック型ヘッドホンと比べても遜色なく、そのため以前のような扱いづらさを意識させなくなり、マニアックさが薄れたようにも思います。その点Voceは扱いづらいからこそ静電型らしい特別な美しさが際立っているのかもしれません。

普段から大型の平面駆動ヘッドホンを使っていて、ボーカルジャズやピアノ、アコースティックギターなど自然な生演奏を楽しんでいるような人であれば、Voceのサウンドには感動を受けると思います。逆に、一般的なダイナミック型ヘッドホンで壮大なスケール感や力強い迫力を楽しむような人、もしくは豊かな低音を求める人にはVoceは合わないかもしれません。

前回Campfire Atlasイヤホンで思ったことと全く一緒になるのですが、Voceヘッドホンは、もうすでに万能な汎用機はいくつも持っているような飽食気味なマニアが、一点だけの特別な魅力を感じて購入するようなヘッドホンだと思います。Voceの真髄を引き出すためだけに専用のシステム構成やリスニング環境、極端に言えばVoceが良く鳴るような音楽だけを楽しむような、究極の贅沢品だと思いました。その見返りは十分大きいと思います。