2019年11月14日木曜日

AK T9iE イヤホンの試聴レビュー

Astell&Kernとベイヤーダイナミックのコラボレーションイヤホン「AK T9iE」を試聴してみました。

AK T9iE

2019年10月発売、約135,000円のダイナミック型イヤホンで、2015年モデル「AK T8iE」の後継機です。AK T8iEは大好評を得たロングセラーイヤホンで、私自身も発売当時に購入して以来ずっと愛用しているため、今回の新作は気になる存在です。


AK T9iE

基本的なスペックだけを並べると、AK T9iEはずいぶん「普通」なイヤホンです。インピーダンスは16Ω、11mmダイナミックドライバー、耳掛けIEMハウジング、MMCX着脱式2.5mmバランスケーブル、といった基本スペックに目新しい点はありません。

右側はAstell&Kern、左側はベイヤーダイナミックのロゴ

AK T9iEとT8iE Mk 2

しかし2015年に旧モデル「AK T8iE」が発売した当時は、かなり革新的なイヤホンでした。それ以来、多くのメーカーが似たようなコンセプトを真似てきましたが、AK T8iEは4年経った今でもトップクラスに君臨する素晴らしいイヤホンです。

AK T8iEの発売当時はまだマルチBA型IEMイヤホンの全盛期で、ShureやWestoneなど3BA・5BAモデルが売れ筋でした。8BAのShure SE846が2013年に登場して、10万円という価格が度肝を抜いた時代です。

2014年頃になると、ハイエンドイヤホンの主流が、自分の耳型をもとに特注するカスタムIEMからシリコンイヤピースのユニバーサルIEMに切り替わってきた時期です。Astell&Kernを筆頭に高級ポータブルDAPが普及してきたことも関係していると思います。

この頃からJH Audio、Unique MelodyやNoble Audioなど、カスタムIEMメーカーによる超高級ユニバーサルIEMというスタイルが注目を浴びるようになり、そのほとんどがマルチBA型か、先見性のあるメーカーはダイナミック+BAのハイブリッド型IEMを作るようになってきます。

その当時T8iEのようなダイナミック型イヤホンが不人気だったというわけではないのですが、その前の世代のイヤホンはダイナミック型しか選択肢が無かったので、オーディオマニアであればすでに体験済み、せっかくハイエンドを買うなら目新しいBA型を選びたいという人が多かったと思います。

10万円に迫るダイナミック型イヤホンの先駆者というと、2010年のソニーMDR-EX1000や2012年のゼンハイザーIE800などがありました。どちらも世界規模の大手イヤホンメーカーで、ダイナミックドライバーの設計に卓越した技術と経験があり、それを量産できる設備体制が整っています。

一方マルチBA型IEMは、既製品BAドライバーを大量に仕入れてプラスチックハウジングに詰め込むというシンプルな製造方法が可能になったので、音作りのアレンジセンスがある中小メーカーの参入に広く貢献しましたが、やはり高性能ダイナミック型イヤホンの開発ノウハウは大手企業の独擅場でした。

AK T8iE Mk2

AK T8iEは韓国のポータブルDAPメーカーAstell&Kernとドイツのヘッドホンメーカー ベイヤーダイナミックのコラボレーションで生まれました。どちらもIEMイヤホンのベテランではありませんが、AKは自社DAPを通して各社イヤホンのサウンドや特性に精通しており、ベイヤーダイナミックはプロフェッショナル向け大型ヘッドホンの開発技術があり、それぞれ異なるノウハウが融合することで素晴らしい商品が完成しました。

AK T8iEは私も気に入って、発売当時に購入しました。初回ロットは初期不良があり何度か保証交換で悩まされたのですが、半年後くらいに対策品になってからは不具合も一切無く、ずっと好調に使えています。

2016年にはケーブルなどに若干のマイナーチェンジを施した「AK T8iE MkII」が登場し、2017年にはAKコラボとは異なるチューニングを施したベイヤーダイナミック「Xelento」というモデルが出ました。

私自身は初代AK T8iEの音を気に入っているので他のモデルに買い替えませんでしたが、モデルごとにサウンドが微妙に違うので、それぞれにファンがいます。AKの販売代理店で買えるAK T8iEと、ベイヤーダイナミックを扱うプロオーディオ・楽器店で買えるXelentoで、販売路線が異なるのも良いアイデアです。(日本のような、全部売ってる大手ヘッドホンショップがある国は稀なので)。

公式サイトより、AK T8iEのTesla Technologyドライバー

ダイナミック型イヤホンの弱点としてよく指摘されるのは、単一ドライバーなので可聴帯域全体をフラットにカバーすることが難しく、高音寄り・低音寄りといった偏りが現れやすい事です。たとえば低価格モデルでは力強い重低音に寄せてアピールするモデルが多く、一方ソニーMDR-EX1000やゼンハイザーIE800など高級機では、高音の解像感を重視すると低音が薄くなるというトレードオフがあります。

一方ダイナミック型である大きな利点は、ドライバー間のクロスオーバーが無いため、位相特性が素直で、演奏の一体感や、録音された音場空間情報が正確に再現できる事です。つまり高音質録音を聴く音楽ファンほどダイナミックドライバーを求めるようになります。

他のダイナミック型イヤホンと比べてT8iE・Xelentoが優れている理由は、ベイヤーダイナミックが誇るTeslaテクノロジーの貢献が大きいです。同社の大型ヘッドホンT1やT5pで培ってきたダイナミックドライバー技術の名称なのですが、強力な大型磁石で硬い振動板を正確に駆動するというものです。上の写真を見ても、ハウジング内部には複雑な音響チャンバーなどは無く、大きなドライバーとMMCXコネクターだけの潔い構造です。

Teslaテクノロジーというのは奇抜なギミックではなく、材料工学や製造技術など、他社では容易に真似できないドライバーデザイン全体のコンセプトみたいなもので、その結果、小細工なしで高音から低音まで非常に広帯域で正確に駆動できるドライバーを実現しています。

デザイン

AK T9iEのデザインはAK T8iE・Xelentoとほぼ同じで、ハウジング本体の形状や質感はそっくりです。

T9iEとXelento

唯一わかりやすい変更点は、外面の円盤パーツが山のような立体形状になり、中心に大きな通気孔のようなものが追加されました。

先ほどの内部写真を見てわかるように、ドライバーの背圧がぶつかる部品なので、T8iE・Xelentoでは、このパネルが太鼓のように弾む役割を果たしていたのですが、T9iEでは通気孔で開放型っぽさを目指しているように思えます。

右ハウジングにはAstell&KernのAロゴ、左にはベイヤーダイナミックのロゴ(最近導入された「Y」ロゴ)がプリントしてあります。

T9iEとT8iE Mk 2のフィルター

独特のイヤピース

公式サイトによると、音導管のフィルターも新設計になったそうで、たしかに見た目も違います。たとえばShure SE846やAKG K3003といったチューニングノズル交換で音質を変えられるイヤホンがあることからもわかるように、たかがメッシュと侮れません。

標準シリコンイヤピースはこれまでと同じように独特のスカートのようなデザインで、複数サイズが同梱されています。耳穴への圧迫を低減するように、音導管自体が楕円形になっていますが、社外品でも一般的なソニーサイズのイヤピースなら装着できます。

このイヤホンに限らず、快適な装着感を得るためにはイヤピース選びが肝心だと思うので、付属品以外にもFinal、JVC、SpinFit、Azlaなど色々試してみるのが良いと思います。

MMCX

ケーブルとアダプター

T8iEから大きく変わった点で真っ先に目が行くのが、新たな極太ケーブルです。AK T5p 2ndのケーブルと同じ線材のようなのですが、IEMイヤホンとしては不釣り合いなほど太く硬いです。

AKコラボなので当然2.5mmバランス端子になっていますが、3.5mmアンバランス変換アダプターケーブルも付属しています。ちゃんと同じ線材を使った延長ケーブルなのが嬉しいですね。

ちなみに私の経験では、2.5→3.5mmや2.5→4.4mm変換アダプターは、小さな棒状アダプターを使うと音が悪くなるので、このような延長変換ケーブルの方が良いようです。バランス用棒状アダプターは、3.5→6.35mmアダプターのような金属直結ではなく、内部に髪の毛のように細いエナメル線などを使っている物が多いからでしょうか。

ところで、T8iE・Xelentoでは、MMCX端子に回転・ガタつき防止のための小さな皿ワッシャーが挟んであり、ケーブル着脱時にこのワッシャーを紛失してしまうと、ケーブルがガタガタ揺れて、センターピン穴が徐々に広がって、そのうち接触不良になる、というトラブルがありました。(多くの人はワッシャーの存在に気づかないまま紛失しています)。今回T9iEでは、もっと一般的なガッチリしたMMCXコネクターに変わったようで、ワッシャー無しでピッタリ密着します。

装着感

AK T9iEのハウジング形状はT8iE・Xelentoと同じなので、装着感は賛否両論ありあそうです。格別悪いというわけではありませんが、人によっては試行錯誤が必要な場合があります。さらに、今回は新型ケーブルの太さに悩まされる人も多いと思います。

純正ケーブルのT8iE Mk 2と、私のT8iE

私は長年AK T8iEを使ってきましたが、装着感に関しては他のイヤホンと比べてかなり独特というか、クセがあります。

私の場合、純正ケーブルとイヤピースではフィットが悪かったため、色々と試行錯誤してきた結果、個人的にたどり着いた終着点は、Effect AudioケーブルとAZLAイヤピースでした。この組み合わせにしてから、ずっと満足に使えています。


まず、T8iEのデザインが他社IEMと比べて優秀だと思えるポイントは、ハウジングが非常にコンパクトで、耳の窪みにすっぽり収まり、しかも音導管が短いので、あまり耳穴の奥深くまで挿入されないという点です。

このコンパクトなデザインのおかげで、たとえば横になって枕やクッションに耳を当てても、ハウジングが押されないため快適です。夜寝る時に聴くイヤホンとしては理想に近いです。個人的にWestone各種やゼンハイザーIE60なんかと同類の快適な装着感だと思います。

逆に、T8iEの欠点は、ハウジングが薄く、音導管が短く、MMCXコネクターが邪魔するので、グッと押し込んでもイヤピースが耳奥深くまで挿入してくれず、容易に外れてしまうことです。正しいフィットが得られないと低音も出ません。とくに付属イヤピースは私の耳との相性が悪く、すぐ外れてしまいがちです。

最近はT8iEにもAZLAを使う事が多いです

イヤピースについては、社外品で挿入深さを調整できるので、私の場合はAZLAイヤピースがちょうどよい長さで相性が良いです。ただし硬いゴム素材なので耳穴の圧迫感は強まります。ソニーやFinalのイヤピースでは長さが足りずダメでした。

他には、音導管が斜めになってもフィットするようSpinFitイヤピースを使う手もあります。私も最初はこの方法だったのですが、SpinFitはゴム素材が独特で、使っているうちに経年劣化で穴が広がってきて、しかもツルツル滑るようになってくるので、音導管から外れやすく、着脱時に耳穴にイヤピースだけ残ってしまいピンセットで抜き出すというトラブルが何度かありました。

ケーブルとMMCXコネクターが太くなりました

ケーブルについても、かなり悩まされます。音質で選ぶよりも、まず良好な装着感を得るのが先決です。

ハウジングが軽量コンパクトで薄いため、MMCXコネクターと耳掛け部分が障害になって耳奥に挿入できなかったり、変な方向に引張る角度になったり、すぐに外れてしまいがちです。こればかりは、たとえばJH Audioなどのようにハウジングが大きく重い方が、ケーブルに左右されない安定感があるため、どちらが良いかは難しいところです。

T8iEやXelentoのケーブルは、上の写真にあるようにMMCXコネクターがコンパクトで、しかも耳掛けしやすいように若干曲がっています。ケーブル自体も細いので、一見取り回しが良さそうに思えるのですが、実際は悪いクセがつきやすく、しかも耳周りにワイヤーなどが無いため、思うように留まってくれません。対策として、Y分岐に重い金属などを取り付けて重力で引っ張るという手段を使う人もいます。

私の場合、Effect Audioのケーブルが(一番安いAres IIというやつですが)、MMCXコネクターはコンパクトで、耳掛けフックが安定していて、ケーブルの柔軟性が高いため、満足できています。Campfire Audioのケーブルとかも良いかもしれません。


このような理由から、私はT9iEの付属ケーブルもあまり好きではありません。たしかに以前と比べると圧倒的に高級そうなケーブルなのですが、コンパクトなハウジングとは不釣り合いなほど太く硬く、さらにMMCXコネクターが不必要に太く長いため、常にケーブルに翻弄されて、軽快なフィットが得るのが難しいです。

せっかくハウジングがコンパクトなのに、頭を動かすと太いMMCXコネクターが押されてテコの原理でイヤホンが外れます。

正直、ここまで太いケーブルは不必要なのではと思います。色々なメーカーのイヤホンケーブルを使ってきましたが、細くて柔軟性が高くても音が良いケーブルは沢山あります。

素人相手なら、太いケーブルの方が音が良いと思われがちなので、低価格メーカーがハッタリで箔をつける意味合いでケーブルを太くするのは理解できます。もしくは相当なハイエンドマニアが色々聴き比べて最終的に極太ケーブルに行き着くなら、それは個人の勝手です。しかし、あくまでイヤホンの付属ケーブルとしては、もっと柔軟性・取り回しやすさを考慮したケーブルの方が良いと思いました。

どうせマニアならば社外品ケーブルアップグレードを買いたがるものですから、付属品はもっと使いやすくシンプルなもので、本体価格を下げてくれた方が良いと思います。もちろん、T9iEの音作りの一環として、どうしても譲れないというなら仕方がありませんので、まずは試聴が肝心です。

インピーダンス

周波数に対するインピーダンスと位相を測ってみました。すべて純正付属ケーブルです。




比較対象としてT8iEとXelento、さらに同価格帯でインピーダンスも近いイヤホンの例として、ソニーIER-M9も重ねてみました。

まずT9iE・T8iE・Xelentoのインピーダンスカーブはほぼピッタリ重なっているので、ドライバーやハウジングの設計概念は共通しているという事がわかります。細かい点を挙げれば、Xelentoだけ中低域の盛り上がりが高めの周波数で発生しており、さらにT9iEは4kHzの山がおとなしい、という感じですが、わずかな差です。

どれもダイナミックドライバー型イヤホンらしい特徴として、最低音から最高音まで可聴帯域全体のインピーダンスが横一直線で、位相乱れが少ないのが素晴らしいです。まるで平面駆動型ドライバーのようですね。

たとえダイナミック型であっても、ドライバーの性能が悪いイヤホンだと、全帯域をカバーしきれず、低音や高音をハウジングやダクト共振などで補うようなデザインになってしまい、インピーダンスと位相が狂ってしまいがちですが、さすがベイヤーダイナミックが誇るTeslaドライバーだけあって、素晴らしい設計です。

グラフで比較に使ったIER-M9は、BAドライバーを五基搭載するマルチBA型イヤホンです。可聴帯域を五つに分割して、それぞれ別のドライバーで鳴らしている設計だということが、インピーダンスの山と谷でもわかります。

べつにIER-M9のようなマルチBA型イヤホンが悪いと言いたいわけではなく、ドライバーごとのレベルやタイミング調整のために、このような複雑なインピーダンスカーブになってしまうということで、ダイナミック型との違いを表したかっただけです。インピーダンス変動が激しくても、優れたアンプで鳴らせば問題ありません。ただし位相変動は音質に直結します。

音質とか

Astell&Kernのイヤホンですから、試聴では2.5mmバランス接続でAK SP2000 DAPを使いました。

さらに、ドイツ製なので、同じドイツのメーカーRME ADI-2 DAC FSも使ってみました。IEM専用出力もあり、高解像・低ノイズで優れたヘッドホンアンプです。音は良いので、いつかレビューしようかと思っているのですが、設定メニューとかが面倒くさすぎて放置しています。

AK T9iE自体は非常に音量が取りやすく鳴らしやすいので、スマホやDAPでも問題なく鳴らせます。しかも能率が高いわりにインピーダンスが16Ωを下らないため、ヘッドホンアンプの出力インピーダンスにはさほどこだわらなくても良い、とても優秀な設計です。実際に鳴らしてみても、SP2000とADI-2のどちらでも良好なサウンドが得られました。高価なイヤホンにありがちな、「据え置きアンプで化ける」というような性格ではないようです。

カジュアルからマニアユーザーまで幅広く対応できるイヤホンを作るなら、まさにこのT9iEのような特性を目指すのが正解だと思います。

AK SP2000

RME ADI-2 DAC FS

まずT9iEのおおまかな感想ですが、まさにダイナミック型らしいサウンドというか、ダイナミック型イヤホンの理想形の一つだと思います。

一番わかりやすい特徴は、最低音から最高音までスムーズに繋がっており、神経質にならず、落ち着いていて聴きやすいサウンドです。性格が一貫していて、イヤホンにありがちな山や谷が無いので、特定の楽器だけ急に刺激的になったり、モコモコと聴こえにくくなったりしません。まず思い浮かぶのは、音楽を「余すこと無く」再生している、という感覚です。

さらに具体的に感じるのは、ハウジングや音導管による変な味付けが無く、すべての音がドライバー振動板という一点から鳴っているという感覚です。このおかげで余計な余韻が無いため、音色がクリアで、さらに、音像に前後感があるとすれば、それは録音された音響によるもので、イヤホン本体による後付けの音響ではない、という事がわかります。当たり前のように思えるかもしれませんが、意外とこれができるイヤホンは稀です。

つまり、金属管でアタックを加えたり、バスレフ空間で低音を倍増させたり、といったギミックが感じられないので、どんな音楽でも相性を気にせず、素直で安心して聴けます。この安心感というのは結構重要で、クセのあるイヤホンを沢山所有していても「今日はどのイヤホンを使おう」と考えた時に、スッと手が出るのがAK T9iEだと思います。あのアルバムにはこのイヤホン、あのジャンルにはこのイヤホン、という使い分けを考えなくて済むので、とりあえず一本だけ万能に使えるイヤホンを買うなら良い候補です。

スムーズで扱いやすいというのは、ダイナミック型イヤホンらしい特徴ですが、T9iEは他のダイナミック型と比べて、とくに中域の力強さに魅力があります。

派手というわけではなく、明確で輪郭がしっかりしているという意味です。大型ヘッドホンの鳴り方に近いかもしれません。しかも、高音の方まで綺麗に鳴るのに、絶妙なポイントで徐々にロールオフするので、刺激や不快感が少ないのが良いです。つまりボーカルや楽器はしっかり上まで聴こえるけれど、他のイヤホンで耳障りになりがちなホワイトノイズやアタックの硬さなどが不快にならないよう処理されています。これは音導管フィルターによる効果でしょうか、単に高性能なだけでなく、リスニング向けのチューニングが絶妙に上手いです。


AK T9iEよりも安い価格帯で私がよく絶賛しているダイナミック型イヤホンでFinal E5000というのがあります。E5000の方が安いから劣っているという事はありませんが、音楽の聴き方というか、向き合い方はずいぶん違います。

同じダイナミック型でも、E5000は超小型ダイナミックドライバーに細いダクトハウジングという、AK T9iEとは真逆のような設計です。サウンドの特徴はT9iEと同じように全帯域に山谷が無く、スムーズでフラットという点は共通しており、とりわけ音場空間の再現性の高さはE5000の方が優れているかもしれません。しかしE5000は音色の輪郭や迫力は弱めで、演奏も背景もサラサラと流れていくような鳴り方なので、音響全体を自分から聴きに行くような、分析的な聴き方が求められます。レファレンスモニターっぽいと言えるかもしれません。

カジュアルに聴くには退屈ですし、鳴らしにくくアンプへの要求も高いので、下手なアンプでは音量は出せても薄っぺらくなってしまい、しかも空間情報が乏しい音源ではなおさら退屈です。

これはゼンハイザーIE800Sも似たような感想です。E5000よりももう少し繊細でキレイに鳴るイヤホンですが、構造が似ているせいか、前方の音楽を眺めるといった聴こえ方は共通しています。悪いイヤホンではありませんが、T9iEと比べるともう少し迫力や厚さが欲しくなります。

つまりこれらは優れたアンプと音源が揃ってようやく本領発揮するような気質のイヤホンなのですが、その点T9iEは許容範囲がとても広いです。E5000のようなダイナミック型イヤホンと比べてT9iEが高価なのは、音質差というよりも、良い音が得られる許容範囲の広さという点で見れば納得できます。


他のダイナミック型イヤホンというと、個人的にはJVCやCampfire Audioが好きなので色々聴いてきましたが、JVCは音色の美音・艶っぽさは極上ですが、その一点に特化しており、広帯域な素直さというのは一歩譲ると思います。Campfireも、廃番になったLyraが性格は近かったのですが、レンジの狭さ、とくに高音に制限を感じました。次に出たAtlasは逆にハリウッド映画のような自由奔放で派手な鳴り方になったので、個性が強すぎてブランドに一貫性がありません。

他には、私にとって最高のダイナミック型イヤホンはDita Dreamですが、あれは非常に鋭く尖った特性なので、万人受けするものではありませんし、とくにE5000以上に音源の良し悪しに対してシビアです。とりあえず何でも不満無く聴けるイヤホンということなら、私でもT9iEを選ぶと思います。

T8iEとT9iE

次に、AK T8iEと聴き比べてみました。これは私物で2015年発売当時に買ったものなので、ずいぶん使い古していますが、今でも現役で活用しています。

2016年にはT8iE MkIIというマイナーチェンジ版が出ましたが、私は初代で不満が無かったのでずっと使い続けています。音質の違いはそこまで大きくありません。

ちなみに私のT8iEはEffect Audioの一番安いAres IIというケーブルを使っています。標準付属ケーブルは使いづらいのと、音があまりパッとしなかったので、これくらいのケーブルにアップグレードする価値は十分あると思います。

余談になりますが、Effect Audioのイヤホンケーブルはほぼ全種試聴しましたが、Ares IIが無難で良くて、これ以上高価なケーブルになると音のクセがどんどん強くなり、相当ハイエンドになるまで満足できなかったため、個人的にはとりあえずAresで落ち着いています。


AK T8iEとT9iEは一瞬同じイヤホンかと思えるくらい、やっぱりよく似ており、一方Xelentoとでは一瞬で全く別物だと感じたので、あくまでT8iEの後継だということがはっきりと伝わってきます。

Xelentoは音楽の重心が高音寄りで腰高な音作りなので、私の好みには合いませんでした。たとえば低音のリズムがドスドス鳴るような録音だとT8iEでは重苦しすぎるのでXelentoで聴いたほうがバランスが良いですが、自然なアコースティック録音の場合はT8iEの温厚さとの相性が良いです。そしてT9iEもそれと同じ傾向です。もしかしたら今後T9iEをもとにXelento 2みたいなのが出るのかもしれませんね。


そんなわけで、T9iEとT8iEを比較してみると、中域より上はほとんど同じように聴こえます。音導管フィルターが違うせいか、T9iEのほうが若干柔らかくふわっとした感覚ですが、そもそもT8iE自体が刺激的ではなかったため、どちらもスムーズで聴きやすいという点は変わりません。

両者の違いは主に低音に現れるのですが、その差はイヤピースで結構変わってしまいます。

まず、標準付属イヤピースを使うと、私の場合はちゃんとした密閉が得られないため、低音の音圧が外に逃げてしまい、どちらも同じようにフワフワした鳴り方になって、違いはそこまでわかりません。これならどっちを使ってもいいや、という程度です。

私の耳にピッタリ密着するAZLAやSpinFitイヤピースを使った場合、違いがもっとハッキリとわかります。

T8iEの方が低音楽器が身近でズシンと迫力を持って鳴ります。いわゆるダイナミック型ヘッドホンに期待するような、弾力のある太鼓のような低音で、ドライバーから耳元へクッキリと音圧が押し出されているような感覚です。

これが私が普段T8iEで慣れ親しんだサウンドです。とくに、下手な重低音イヤホンにありがちな演奏のリズム感を損なうようなタイミングのズレが無く、ティンパニやコントラバスなど低音楽器はもちろんのこと、チェロやギターの低音弦とかも実在感・質量が間近で体験できるので、聴いていて気持ちいいです。たとえばアコースティックやクラシックギターのソロ演奏では、低音弦を弾く音が太く迫力があるのが良いです。

一方T9iEの低音は、間近ではなく前方遠くの空間で鳴っています。聴き始めは、低音が一体どこに行ったのかと探してしまうくらい「聴こえかた」が違うことに驚きます。量が少なくなったわけではなく、全体のバランスは変わらないので、Xelentoっぽいわけでもありません。

T8iEが密閉型ならT9iEは開放型のように、音圧がドライバーから鼓膜にではなく、他の楽器と一緒に前方遠くに配置されている印象です。そのため低音の空間が広く、スケール感とか立体感が目立ちますが、逆にインパクトは弱くなります。T8iEを聴き慣れていると、もうちょっと弾力とか切れ味みたいなものも欲しくなります。

抽象的ですが、T8iEはドライバーと鼓膜が一対一のポンプのような関係なのですが、T9iEは遠くで鳴った低音が全方向に拡散される中のその一部が聴こえている、といった感覚になります。もっと言えば、T8iEはマイクで拾った音をイヤホンで聴いている感じで、T9iEはステージ上の生楽器を聴いている感覚に近いです。

多分ハウジングの通気孔のおかげなのだと思いますが、IE800やE5000ほどの抜け具合ではなく、例えるなら、64Audio APEXモジュールのような感触に近いです。サウンド全体がスカスカになるのではなく、明確に低音だけ音抜けを向上させて空間を広げているのは凄いと思いました。

実験してみると違いがよくわかります。T8iEやXelentoはほぼ密閉構造なので、リスニング中に本体をグッと耳に押し付けると、耳穴の空気圧でドライバー振動板が押されて、音が出なくなります。ほとんどのイヤホンがこのような構造で、これが音圧に繋がります。一方T9iEで同じことをやると、最初は音が出なくなるのですが、数秒間そのまま押していると、徐々に音が鳴り始めます。ようするに、空気圧の逃げ場があるということです。さらに、IE800やE5000などでは本体を押しても全く鳴り方が変わらないので、振動板が常に開放状態にあるのですが、T9iEは徐々に回復するので、いわばセミオープンみたいな感じなのかもしれません。


ケーブルについてですが、色々聴いてみたところ、T9iEのサウンドは付属ケーブルありきでチューニングしているようなので、他のケーブルに交換する場合は注意が必要です。

たとえば私がT8iEで使っていたEffect Audioケーブルに交換してみたところ、そもそもパンチが控えめだった低音がさらにインパクトが薄くなり、まるで霧に包まれたようです。音量が減るのではなく、より分散してフォーカスが甘くなる感覚です。

太いケーブルのほうが低音の迫力出るなんてよく言われますが、T9iEのケーブルを聴いた限りでは確かにそう思えてきます。とくにT8iEを軽めなケーブルでサウンドを調整していた人でしたら、同じケーブルをT9iEに再利用しようとしても上手く行かないと思います。個人的にはT9iEはもっとドンシャリで派手なケーブルのほうが相性が良いようです。

付属ケーブルは太く硬く扱いづらいので、できれば使いたくないのですが、残念ながらサウンドの事を考えると結局これでないといけないと思えてしまいそうです。

おわりに

今回はAK T8iEのオーナーという目線でAK T9iEを試聴してみたのですが、これはなかなか結論を出すのが難しいイヤホンです。

サウンドの、とくに低音のプレゼンテーションがかなり変わってしまったので、直接的なアップグレードだとは思えません。どちらかというとベイヤーDT1770PROに対するDT1990PROのような、方向性の違う兄弟機みたいな印象が強いので、T8iEを愛聴している人は是非とも買い換えるべき、とは言い切れません。

しかし、また別の観点から見ると、今回AK T9iEが実現した「高音まで輪郭がハッキリしていて厚みがあるけれど、低音の空間展開が広く、開放感があって聴きやすい」というサウンドは、前例の無いユニークな仕上がりだと思うので、IEMイヤホンというジャンル全体において次なるステップに進んだ、歓迎すべき素晴らしい新作だと思います。

とくに、今回さらにAstell&Kernによるデザインやチューニングが加わったわけですが、それでも余計な小細工っぽい演出は無く、あくまでシンプルにTeslaテクノロジードライバーから新たな魅力を引き出すことに成功しています。

よくハイエンドIEMイヤホンを使うとき、音響チャンバーやクロスオーバー回路、共振ディスクやら制振リングと、あまりにも複雑な内部構造で、聴いていて「この帯域はダクトっぽいな」「ここでズレるな」なんて、実際に音楽よりもイヤホンの個々パーツの方に集中して聴いてしまいがちです。その点AK T9iEは、日々の実用品として「とりあえずこれで、どんな曲でも大丈夫だろう」と思える安心感が強いです。

ダイナミック型イヤホンは、カジュアルにリラックスできるサウンドとしての需要が高いと思いますが、売れ筋というと5万円以下くらいで一長一短のクセが強いモデルが多いです。それらも個性豊かで傑作も多いのですが、何かひとつだけ、飛び抜けて優秀な、欠点が少なく、ダイナミック型らしさが実感できるイヤホンはあるか、と聞かれたら、私ならまずT9iEを勧めたいです。

とくに、過去にダイナミック型を「卒業」して、ハイエンドマルチドライバー型イヤホンに乗り換えた人でしたら、これを期にダイナミック型の魅力や懐の深さを再考してみるのも有意義だと思います。