2022年11月6日日曜日

Cayin N8ii DAPの試聴レビュー

 Cayinの新作DAP N8iiを試聴してみたので、感想を書いておきます。

Cayin N8ii

同社フラッグシップということで、価格はなんと44万円という超高級機ですが、ただのラグジュアリー品ではなく、ローム社製D/AチップやNutube真空管など話題の最新技術を投入した、オーディオマニア的にもかなり興味が湧く挑戦的なDAPです。

Cayin

今回試聴することになった「Cayin N8ii」は44万円とさすがに高価すぎるため、そもそも私は購入を検討しておらず、ネットのニュースを見て「また凄いDAPが出たな~」という程度に思っていたところ、熱心なイヤホンマニアの友人が購入しており、二週間貸してくれることになり、自宅でじっくりと楽しむ事ができました。

メーカーを通しての試聴機ではないので、何を試聴できるかはいつも運任せみたいなところがありますが、こういう機会は大変ありがたいです。やはりポータブルオーディオはポータブル故のフットワークの軽さというか、コミュニティ的な側面が良いですね。スピーカーとモノブロックパワーアンプとかでしたら、そうやすやすと貸し借りできません。

Cayin N8ii

さて、Cayinというメーカーは、有象無象の中華系DAPメーカーの中でも異色の存在です。

中華系メーカーというと、2000年代にiPodが流行りはじめたあたりから、その後Bluetoothスピーカーやスマホなどのハイテクガジェットが普及していく流れの中で、それらを影で支えてきた中国の開発製造拠点からのスピンオフとして生まれたメーカーが多いです。

たとえば欧米の大手ブランドのためにOEM開発製造を行っていた中国の企業から、オーディオが趣味のスタッフ数名が独立して起業するなんていうのがよくあるパターンで、アップルが製造拠点を持つ深センなどの大都市で、最先端のサプライチェーンが身近にアクセスできる事を活かして急成長してきました。

特にポータブルDAPとなると、Android OSやタッチスクリーンなど、一見してスマホからの技術転用がわかりやすいですが、それよりも内部の回路基板にて小型省電力で高音質を得るためのICやマイクロエレクトロニクス技術というのも、スマホやBluetoothオーディオが登場した事で飛躍的に進化したジャンルです。

ところが、巨大な据え置きアンプやCDプレーヤーなどを地道に作ってきた老舗ハイエンドオーディオメーカーでは、このマイクロエレクトロニクス化のペースについていけず、そんな中で中華系の新興メーカーが大きなシェアを獲得しました。

Cayinの本命はこういうのです

ところがCayinだけは異質です。1993年から据え置き型オーディオ機器を製造しており、現在でもCayinといえば真空管アンプのブランドとして世界的にもそこそこ知名度があります。ポータブルオーディオに着手した2013年にはすでに二十年ものオーディオ開発の経験を積んでいるわけで、つまり「据え置きハイエンドオーディオの音を知っている」という点において、多くのポータブルオーディオブランドとは根本的に違います。

ほとんどの新興メーカーがマイクロエレクトロニクス主体のDAPやポタアンの作り方しか知らない中で、Cayinはハイエンドオーディオのユーザーやショップと古くから関わってきた事で、ポータブルでは実現が難しい、さらに上の次元を経験してきたわけです。他に似たようなメーカーとしてはShanlingが思い浮かびます。

Cayin N6 & N5 DAP

そんな据え置き機の経験がDAP製品に役立つのかとなると、私としては、たしかに活かされていると感じます。それが良いか悪いかは別として、初期のCayion N5やN6といったDAPを聴いても、他のメーカーとは一味違った独特のサウンドチューニングの狙いが感じられ、それを気に入ったら、新型が出るたびに買い替えるほどのファンになってしまいます。

このような独自のサウンドシグネチャーやポリシーを明確にするのは、固定ファンの支持基盤を確立するためにはとても重要な事なのですが、意外と多くのメーカーは新型が出るたびにサウンドの方向性があやふやで、固定ファンを逃してしまいがちです。

N8ii

上の写真でCayinの初期モデルN5やN6を見て、どう感じたかは人それぞれだと思いますが、あくまで私の個人的な感想としては、どうもデザインがダサいというか、独創的すぎて、それで客を逃しているという印象がありました。90年代のエアコンのリモコンとか、ポータブルラジオみたいな不思議な美的センスで、今となってはレトロフューチャーとして注目を集めるかもしれませんが、とにかく変なのです。

初代Cayin N8

特にスマホ世代の人にとって、デザインというのは画面上のOSの見た目の事であって、本体は余計な事はせず、画面が大きい方が良いという考え方が一般的になっています。しかしCayinのDAPというと逆に、画面が比較的小さくて、N5のギザギザ、N6の丸画面、N8の黄金のVなど、画面サイズを削ってまで、不自然な物理的オブジェというかデザインアクセントがあるという点で、時代に逆行しているため不自然に見えるのでしょう。

Cayin N5ii、N6ii

そんなCayinのDAPも、最近の第二世代からはだいぶ普通のフォルムに戻ってきました。N5ii、N6ii、そして今回のN8iiと、段々と毒が抜けていくかのように、長方形に大画面、アクセントはボリュームダイヤルのみ、というシンプルで馴染みやすいデザインに変化していく過程が伺えます。Cayinの個性が失われてしまったと嘆くコアなファンもいるかもしれませんが、やはりAndroid OSを搭載している以上、スマホ的なデザインの方が扱いやすいです。

二つのNutubeが点灯した状態

今回Cayin N8iiの外観アクセントとしては、Nutube真空管を二枚搭載しており、側面のガラスパネルで見えるようになっています。真空管モードをONにすると、ここが緑色に点灯するようになっており、これはLEDギミックとかではなく、実際にNutubeのフィラメントが点灯している色です。

Nutubeは45mm×17mmの長方形ICデバイスなので、これを本体側面に搭載することで、必然的に厚さ25mmというかなり重厚なシャーシサイズになっています。

Hiby RS6と比較

AK SP1000と比較

参考までに、身近にあったHiby RS6とAK SP1000 DAPと並べて比べてみたところ、N8iiはずいぶん大きいことがわかります。ただしシャーシはアルミ製で本体重量は442gということで、SP1000の386gやRS6の315gと比べてそこまで重いわけではありません。

付属ケース
Nutube窓

緑色のレザーケースが付属しています。さすが高級機だけあってしっかりしたもので、背面は放熱のため金属グリルになっており、さらに側面にはNutube用の窓があります。Nutube自体は熱くならないため、ただのデザイン要素でしょう。

このDAPはクラスAモードで使っていると実際かなり熱くなるので、ケース背面の放熱は必須だと思います。ケース無しでテーブルに置いて使っていて、いざアルミの本体を持ったら「熱っ!」と驚いたので、気をつけてください。もちろんこの程度の温度では壊れないように設計されているでしょうし、熱くなった方がちゃんとクラスA動作が実感できるため嬉しい人も多いだろうと思います。

バッテリー再生時間は通常モードのシングルエンドが11時間で、バランス、高出力P+モード、真空管モード、クラスAモードと、それぞれONにすることで一時間づつ再生時間が短くなるような感じで、最短で8時間ということです(P+モードとクラスAモードは同時不可)。

ボリュームノブ

本体側面

本体背面

本体デザインではやはり金メッキの謎の紋章があるボリュームエンコーダーが目立ちます(LotooのDAPとかを思い出します)。それ以外は側面に電源ボタンとトランスポートボタン、マイクロSDカードスロットはバネ式の一枚のみと、ごく一般的なデザインです。背面もずいぶん地味で、黒一色のガラス(?)にロゴが印刷してあるだけです。

個人的な感想としては、全体的に見て、スタイリングというか形状デザインに関しては無難で悪くないと思うのですが、質感は40万円超の価格に見合っていないように思いました。テカテカの金メッキや、ボタンの押し込みの感触、そしてアルミシャーシのブラスト処理と塗装も粗っぽいですし、もうちょっと安いグレードのDAPでもありうる質感です。

たとえばソニーWM-1ZM2・WM-1AM2の、まるで輪島漆器の乾漆塗りのような表面処理であったり、AK SP2000のヘアラインまでしっかり揃っている高級腕時計のような切削加工のように、高級機ともなると、それに見合う材料や加工技術を期待してしまいます。

もちろん、逆にそのあたりを妥協することで価格を抑える事ができる、というのも一理あると思いますが、それが10万円台のDAPであれば説得力がありますが、流石に40万円台となると、その価格は単なる原価計算ではなくて開発費の回収と販売台数予測で決めているのでしょうから、個人的にはワンランク上の材料や質感が欲しかったです。

CGイメージではラグジュアリーっぽさを演出できても、やはり最終的な組み立てや表面処理などの質感部分において、実機を触ってみた時の印象というのは大事です。その体験の高揚感で物欲を掻き立てて、購入に至るというのは、高級志向品には必要な要素だと思います。

高級腕時計とかも、ネットで写真を見ただけの人は、金の無駄だと思うかもしれませんが、いざ実物を手にとってみると、まるで催眠術のごとく「確かに、この質感なら・・」と思わせてくれる商品に遭遇する事が多々あります。N8iiでは残念ながらそういう感覚はありませんでした。

豊富な出力端子

底面の出力端子は4.4mmバランス、3.5mmヘッドホン、3.5mmライン出力、USB-Cと、さらに珍しいI2Sデジタルオーディオ出力を搭載しています。

このI2S出力の端子形状はMini HDMIなのですが、一般的な映像用のHDMIとは一切互換性がありません。PS Audioを中心に、いくつかのオーディオメーカーがHDMIケーブルをI2S送受信用に使いはじめて、成り行き的に普及していったような感じです。ちなみにHDMIケーブルが選ばれたのは、どこでも安価に手に入り、高速デジタル信号に特化した、信頼の置けるケーブルというだけの理由です。

N8iiの説明書には明記されていませんが、これまでのCayin製品では他社との互換性があったので、いわゆる標準的なI2S HDMIピンアサインだろうと思います(DATA 3/1、LRCLK 9/7、BCLK 4/6、MCLK 10/12)。身近に通信できるデバイスが無かったのでテストできませんでした。

余談になりますが、I2SはS/PDIFと同じようなデジタルオーディオの信号ですが、クロックとデータが別々の線を通っていくため音質的に有利だとされています。

デジタルオーディオ機器の内部で、D/Aチップでアナログ波形に変換されるまでの信号はほぼI2S信号でやりとりされているわけですが、そのまま他の機器に送るのには不便だということで、データと各クロックを一つに信号線にまとめたのがS/PDIFです。だからといってS/PDIFはデータが劣化するとか音が悪いというわけではありません。送受信でS/PDIFとI2Sを相互変換する手間が省けて、そこでの劣化の懸念(ジッターとか)が払拭されるというメリットはあるものの、I2SであってもUSBのような非同期ではありませんし、中継する送受信のインターフェース回路やケーブルの品質次第で劣化しやすいというリスクもあります。

なんにせよ、高価なDAPなだけあって、こういうハイエンドオーディオ機器と接続できるニッチな出力を用意してくれているのは面白いですね。

ちなみにN8iiでS/PDIFを出したい場合は、USB-C端子から専用の変換アダプターを介して出力するということです。私が使っているHiby RS6も同じスタイルなのですが、普段この専用変換ケーブルを持ち歩くのも不便です。

私の場合、S/PDIFを使うのはショップや友人宅で急に相手方の据え置きDACに接続しなければならない時が多いので、結局はどこにでもある光ケーブルが使えるAK SP1000とかが一番重宝します。

N8iiのスペック

画面は5インチ1280×720ということで、ごく一般的なサイズというか、この値段ならもうちょっと解像度が高い物が欲しかったです(Hiby RS6ですら5インチ1920×1080なので)。あえてこの画面を搭載した理由があるのでしょうか。

OSはAndroid 9で、標準的なインターフェースに、Google Play対応なので、任意のストリーミングアプリをインストールするか、Cayin音楽再生アプリで音楽を聴きます。

Cayinアプリ

ホームメニュー

オーディオ設定

Cayin純正のアプリがインストールされているのですが、デザインや操作性などHibyのやつと全く同じなので親近感が湧きます。下手に中途半端な自社製アプリとかを搭載するよりも、すでに完成されているHibyアプリのアレンジ版を採用してくれたのは嬉しいです。

Tシャツが目立ちます

細かい点ですが、Cayinアプリで一つだけ気に入らない点があるとするなら、ジャケット絵の左下にあるTシャツのアイコンが目立つのが嫌です。これを押すと下のトランスポートボタンのシークバーが直線と円形で切り替えられるというだけです。

ちなみになぜかCayinアプリとは別にHiby Musicアプリもプリインストールされてあったので、なぜわざわざ両方入っているのか不思議に思ったのですが、公式サイトを見るとHiby Link対応と書いてあるので、そのためでしょうか。

スワイプダウンメニュー

画面上端スワイプダウンのショートカットを見ると、オーディオ関連の設定がずいぶん沢山あります。Audio Settings画面でも個別に設定できますが、こういうのはリスニング中に交互に聴き比べしたいので、ショートカットで気軽に切り替えられるのはありがたいです。

Gain SettingsはHigh/Medium/Lowの三段階、そしてそれとは別にPower Modeというのがあり、これはP/P+の二種類で、P+を選ぶと駆動電流がブーストされるようです。つまり低インピーダンスのヘッドホンなどで効きそうです。Solid-state/Tube切り替えは、Tubeに切り替える時だけ5秒ほどのウォームアップタイムが発生します。Amplifier TypeはClass AB/Class Aで、BALというのは4.4mmバランス出力をヘッドホンとラインレベル出力で切り替えるためのボタンです。

これだけ色々と音質に関する選択項目があると、楽曲に合わせて好みのサウンドを見つけるのも楽しそうです。もちろんたとえばSolid-stateモードを選べば真空管は一切使わないため、せっかく搭載しているのにもったいないと思うかもしれませんが、こういうところの自由度も含めてハイエンドDAPの醍醐味なのでしょう。

DACと真空管

N8iiのユニークな点として、D/A変換チップにRohm BD34301EKV、ラインバッファーにKorg NUTUBE真空管を搭載している事がオーディオマニア的にかなり興味を惹きます。

現在ほとんどのオーディオメーカーが旭化成のAKM4497やESSのES9038PROを採用している中で、あえて最上位フラッグシップモデルにて別のメーカーのチップを選択したのは、かなり勇気がある決断です。このBD34301EKVというのは2021年登場の最新チップで、しかもローム社初のハイエンドD/AコンバーターICです。

ローム社というと京都に本社がある世界的な電子部品メーカーで、私としてはパッシブ部品やパワー系ICを得意としているイメージがあったので、ハイエンドオーディオ用のD/Aチップに参入するというのは驚きがありました。社内に熱心なオーディオマニアがいるのでしょうか。

このBD34301というチップはD/A変換方式や実装面で特別奇抜なことをやっているというわけではなく、かなり堅実にしっかり作ったI/Cといった印象があります。

最近のオーディオD/Aチップのトレンドとしては、小型省電力で、豊富なインターフェース、単電源、アンプ内蔵と、色々と多機能に詰め込んだチップが主流になっており、ようするにBluetoothヘッドホンやUSBドングルDACなどに搭載して、ワンチップでヘッドホンドを鳴らせるようなソリューションが求められています。

その点BD34301はトレンドに逆行しており、デルタシグマからカレントセグメントをスイッチングして2ch電流出力のみという潔い設計になっています。ロームといえば高精度抵抗やセンサー用ICで有名なので、それらの技術が活かされているのでしょうか。電圧出力のAK4497や4ch電流出力のAK4499と単純には比較できませんが、消費電力もそこまで違わないため、ポータブルでもN8iiくらい大きなデバイスであれば問題なく活用できそうです。

私もこのチップが登場した頃に評価ボードで色々と遊んでみたのですが、評価ボードの設計からしてメーカーの意図が感じ取れるというか、まさに古典的で王道な、たとえばラックスマンとかを連想させるような艶やかで新鮮な個性のある音色でした。

評価ボードで使ってました

昨今のD/Aチップというと、THDやS/Nのスペック数値で競争しているような側面もありますが、実際のところチップ単体でどれだけ高スペックを掲げたとしても、それ以外のオーディオ回路自体がそこまで追いついていないため、その恩恵を受けられるかは疑問に思います。

D/Aチップというのは、それ単体で音質の評価をできるわけではありませんから、優れたD/Aチップというのは、そのチップを動作させるための周辺回路の作りやすさや、作り込みによってデザイナーが求めるサウンドを実現しやすいように考えられているか、電源や電磁ノイズへの耐性など、必ずしもデータシート数値を並べただけではわからない点が多いです。このBD34301も、どちらかというと古典的なTI PCM1792とかを彷彿とさせる構成で、それらの進化系として歓迎できそうです。

N8iiではDB34301を左右差動のデュアルで搭載しており、そこからI/V変換とLPFを経てからNutube 6P1に送られます。

Nutube 6P1

Nutubeに関しては、最近ではAstell&Kernの高級機SP2000Tに搭載されるなどして、ようやく知名度が上がってきたのは嬉しいです。Cayinはすでに初代N8、N3PRO、ヘッドホンアンプC9といったモデルで採用済みなので、実装に関するノウハウはお手の物でしょう。

実際の真空管を長方形パッケージに再構築して、しかも一般的なプリ管と比べて十分の一程度のヒーター電流(17mAくらい)で駆動できるという、かなり画期的なデバイスなのですが、オペアンプの代用として考えるとサイズも大きくそこそこ高価なため、未だに珍しい存在です。

Nutubeの難しい点は、直熱三極管ですが結局はプリ管なので、実際にヘッドホンを駆動するほどのパワーが無く、ライン信号に味付けを加える程度にしか活用できない事と、省電力とはいえプレート電圧はそこそこ高く取らないとS/Nが稼げないため、ポータブルとしては扱いづらく、ところが据え置き機になると、デザイン要素として電球型の真空管を入れたがる傾向があるため、あえてNutubeでなくても安価な12AU7とかで良いだろうという事になるわけで、ようするに「ポータブルだけどそこそこ大型なデバイス」にしか使い道が思い浮かばない、というのが個人的な印象です。

逆に言うと、N8iiはまさに「ポータブルだけどそこそこ大型なデバイス」ですので、Nutubeの魅力を最大限に引き出せるプラットフォームという事になります。

N8iiでは、このNutube回路(もしくはバイパス)を通った信号がライン出力として取り出され、そこからNJW1195Aデジタル制御アナログ(抵抗ラダー)ボリュームコントロールICを通ってフルディスクリートのヘッドホンアンプ回路に送られます。

このディスクリートヘッドホンアンプ回路の初段バイアスをクラスAB・クラスAで切り替える事ができます。さらに、公式サイトのブロック図を見ると、パワーアンプなのにデカップリングのDCサーボがあるのも良いですね。ヘッドホンアンプでディスクリートというと、プッシュプルで変なバイアスを保持しているアンプもたまにあり、音が詰まったような感じになったりするので、そうではないのは嬉しいです。

総合的に見て、初代N8ではNutube搭載という点以外では、AK4497 DACチップにヘッドホンアンプはオペアンプという極めて無難なデザインだっただけに、今回N8iiではさらにこだわりを見せてくれたのは嬉しいです。

特にアンプ回路に関しては、ディスクリートが必ずしもオペアンプよりも優れているとは限りませんが、高価なフラッグシップモデルに相応しい高音質設計ができることを証明するためには重要なポイントです。

出力とか

いつもどおり、0dBFSの1kHzサイン波信号を再生して、負荷を与えた状態でボリュームを上げていって歪み始める(THD > 1%)最大出力電圧(Vpp)を測ってみました。

N8iiはアンプのモード設定がやたら多いので、それぞれのモードで出力特性を測るのも一苦労です。

パワーP+モードON/OFF、真空管モードON/OFF、クラスAモードON/OFFで、2×2×2で8パターンあるわけですが、クラスAとパワーモードP+は同時に選べないため実際は6パターンで、そこにHigh/Medium/Lowと、さらにバランスとシングルエンドで、合計32パターンということになり、そこにライン出力モードも加えると、とんでもない数になります。

上のグラフを見てわかるとおり、これでもずいぶん減らしたのですが、モードが多すぎて大変です。

実線はバランス、破線はシングルエンドで、同じ色でそれぞれHigh/Medium/Lowの三段階あるような感じということで、なんとなく傾向は掴めると思います。

まず最初にわかるのは、ライン出力モードはちゃんとした高インピーダンス信号であるのは嬉しいです。つまりヘッドホンアンプ回路に送られる前の、DACからの純粋なライン出力信号を取り出しているわけです。

特に驚いたのは、4.4mmバランスのライン出力もちゃんと高インピーダンス信号である事です。本体の出力端子を見ると、ライン出力は3.5mmのみ用意されており、4.4mmはソフト上で切り替える仕様になっているため、どうせヘッドホン出力をボリューム固定にするだけのギミックかと思っていたところ、内部的に何らかのスイッチが作動して、ちゃんと4.4mmからライン信号が出力されます。

ちなみにライン出力はHigh/Medium/Lowのゲイン切り替えが可能なので、バランスでは3.3、2.5、1.7Vrms、シングルエンドは1.9、1.4、0.94Vrmsの出力電圧です。真空管モードでも同じ電圧が得られますが、P+モードやクラスAモードは選べません(どちらもヘッドホンアンプの機能なので)。ライン出力のインピーダンスはバランスとシングルエンドで170Ω、90Ωくらいです。

先程のグラフを、ゲインモードHighのみ現してみました。実線がバランス、破線がシングルエンドです。

こうやって見るとアンプの傾向がわかりやすいと思います。まずP+モードは確かに効果があります。無負荷時の最大電圧はP+モードのON/OFFを問わず約14.2Vppで同じなのですが、P+モードの方が電流に余裕があり、特に50Ω以下くらいの低インピーダンス負荷では粘り強さを見せてくれます。

バランスでの最大出力としては、10Ω付近で約1100mW、P+モードONで1650mWくらいになる計算です。公式スペックではもうちょっと低めの数値ですが(16Ωで1200mWとか)、私がTHD < 1%という相当歪んだレベルで測ったのに対して、もっと厳格なスペックなのかもしれません。

P+モードONで真空管をONにすると最大電圧が若干落ちるのに、P+モードOFFの状態では真空管モードやクラスAモードのON/OFFは出力特性に影響しないというのも面白いです。

公式サイトのブロック図を見ても、真空管やクラスAモードは最終的なドライブアンプ回路以前の機能ですので、あくまで音質の好みで選ぶべきで、アンプの出力特性に関してはどれを使っても大丈夫そうです。

もう一つ面白い点として、シングルエンド出力で使う場合は、P+モードON/OFFで最大出力電圧に1Vほどの差があります。とはいえ、これらのグラフはボリュームを上げていって音が歪み始める時点を測っているわけですから、実際に使う場合は十分な音量が得られるならそこまで気にしなくても良い話です。

同じくテスト信号を再生しながら、無負荷時にボリュームノブを1Vppに合わせて、負荷を与えていったグラフです。

破線はシングルエンドなので、こちらのほうが1Vppの定電圧を維持できているのはセオリー通りです。出力インピーダンスはシングルエンドで0.7Ω、バランスで1.2Ωくらいになります。どちらにしても優秀なので問題ないでしょう。

真空管、P+、クラスAモードを選んでも出力インピーダンスが悪化しないため、イヤホンとの相性をあまり気にせずに、純粋に音質の好みでモードを選べるのはありがたいです。

いくつかのDAPのバランス接続での最高出力モードのみを比較してみました。

N8iiは本体が巨大なため、Fiio M17のようなハイゲイン志向のアンプかと思いきや、こうやって見ると、そこそこ標準的なゲインで設計しているようで、AK SP2000Tとぴったり重なるのは面白いです。しかしSP2000Tよりも低インピーダンス側の電流の粘りがあるあたりは、流石に高価なだけあります。私が普段使っているHiby RS6は最大ゲインでは勝りますが、100Ω以下くらいからは定電圧を維持できなくなります。

これらが音質に直結するとは断言できませんが、各メーカーごとにポリシーが違うのが面白いですね。

音質とか

今回の試聴では、まず普段から愛用している64Audio NioとUE Liveイヤホンを使ってみました。

64Audio Nio

クラスAや真空管モードなど、サウンドに関する設定項目が沢山あるわけですが、それらについて個別の感想を語る前に、まず言っておきたいのは、どのモードを選んでも、第一印象の時点からこのN8ii DAPのサウンドはかなり特殊です。

一音一音が濃く深みがあり、雰囲気や余韻をとても多く含んでいながら、それらに埋もれることなく、まさにゴージャスなラグジュアリーの極地を体感させるような印象を受けました。これまでに沢山のハイエンドDAPを聴いてきた中でも、ここまで特別感のあるDAPはそうそうありません。その点においても高価なハイエンドモデルとして十分な説得力があります。


ECMの新譜でArild Andersen Group 「Affirmation」を聴いてみました。リーダーはベースで、Marius Nesetのサックスが全面的に活躍しているオーソドックスな一管+ピアノトリオバンドです。

ECMにありがちな、自作の壮大な組曲みたいな構成で、最初の方はスローペースなフリー系なので、またいつものムーディーなやつかと思ったら、段々と激しく盛り上がっていき、比較的メロディアスで普通に楽しめるアルバムです。


N8iiの試聴であえてECMを選んだのは、こういうフワフワ系のレーベルサウンドは味付けが濃いオーディオ機器で鳴らすと響きが喧嘩してしまい、相性が悪かったりするからです。その点N8iiは合格です。特に二曲目の後半など、ピアノのキラキラ、ドラムのシャカシャカの上でベースとサックスの白熱したソロが交差する、みたいなやかましいシーンでも、お互いの響きの領域がしっかりと確保されており、滲んだり重なりあったりせず、各パートがクリアに味わえます。ピアノのキラキラした打鍵音と、そこから四方に広がっていく残響のコントラストが絶妙に美しいです。

試聴する前の先入観としては、真空管OFFは真面目でドライなサウンドで、真空管ONで音色が豊かになる、というような演出を想像していたのですが、実際は真空管OFFでもかなり音が濃いので驚きました。ひとまず「パワーP+OFF、クラスAOFF、真空管OFF」という一番標準的なモードで聴いてみても、かなり彫りの深いサウンドが体感できるので、つまり追加ギミックによる上乗せ効果ではなく、D/A変換やディスクリートアンプ回路などの基礎設計によってそういう音に仕上がっているというわけで、これはかなり個性的です。

私が普段から信頼を置いているAK SP1000 DAPと交互に聴き比べてみたところ、N8iiの色艶の濃いサウンドを体感したあとでは、SP1000がまるでおもちゃのようにスカスカで味気ないサウンドに思えてしまいます。このギャップは衝撃的でした。

しかし、長年SP1000を使ってきて、他のDAPや据え置きヘッドホンアンプと比較してきた中で、SP1000の音が変だと思った事は一度も無いわけで、念のためRME ADI-2DAC FSやChord Hugo TT2などの信頼できるヘッドホンアンプとも聴き比べてみたところ、やはりN8iiだけが特殊なのであって、SP1000はADI-2DAC FSやHugo TT2と同じ部類のサウンドだったので、「やはりこれが普通なんだ」と、なんだか一安心しました。

つまりN8iiのサウンドは、原音忠実という観点で考えると、「これは本来そうあるべきなのか、それとも付加されたエフェクト効果なのか」という疑問が生じるわけですが、たとえそれがエフェクト効果だったとしても、それがどんなシーンでも破綻せず良い音に仕立ててくれるため、まさにハイエンドオーディオらしい極上の仕上がりです。

似たような部類のDAPとしては、先日Hiby RS2というモデルを試聴したのですが、そちらもN8iiとは異なる方向でサウンドに魅力的な味わいを付加する効果があり、コンパクトDAPでありながら凄いことをするなと関心しました。しかしRS2の場合は音色を充実させる反面、音が平面的で、立体感やスケール感といった臨場感は犠牲になっている印象でした。その点N8iiは聴いていて不満に思う部分が思い当たりません。

もうちょっと入念に聴いてみると、N8iiのサウンドの特徴がだんだんと掴めてきます。たとえば三曲目冒頭のサックスのように、アタック部分の質感が把握しやすい楽器に注目してみるとわかりやすいのですが、音色そのものが太く描かれている上で、最初の一音が発せられる前から予兆のような空気の動きが感じられ、常に流動的に何かが起こっているような感覚があります。スタジオに広がっていく残響も、演奏とは一歩離れた空間で鳴り響いているように感じられ、立体感の演出が上手です。

よく、空気感があるアンプというと、延々と響きのヴェールが音楽を包んで、演奏そのものをフワッと流してしまうような、芯の無い「雰囲気重視」のサウンドになりがちです。

たとえばオーディオグレードのコンデンサーなどを使う事で美しい音色に仕上げるような手法であれば、比較的安価なアンプでも実現可能なのですが、そういうのは全帯域で均一な効能が得られず、低音の膨らみや高音の捻じれといった時間軸や位相の不都合が必ず発生してしまいます。つまり、写真や動画にフィルター効果を加えたように、どんな音楽を聴いても、同じようなクセが感じられ、ある程度慣れてくると飽きてしまうのと、優れた音源の限界を狭めてしまう問題も起こります。

ところが、N8iiの場合はもうちょっとアタック部分とその前後の短い期間のみに特別感があり、それが気になるほど長引きません。しかもパーカッションもピアノもベースも、どの帯域でも同じような演出が施されているため、全体のまとまりが良く破綻しないのが凄いです。


LSO LiveからSimon Rattle指揮ブルックナー4番を聴いてみました。最近のLSO Liveレーベルは昔と比べてだいぶ音が良くなっていると思います。特にこのような大規模な演奏でも音が痩せておらず、一番遠くの楽器まで自然に録音されています。サイモンも67歳のマエストロになり、貫禄のある演奏を見せてくれます。

昨年のAccentusのフルシャの同曲のように、版違いがボーナストラックとして収録されており、その分値段が高くなっているので、個人的にはそういうのはいらないので、指揮者がベストだと思う版だけにして値段を安くしてもらいたいです。


N8iiは音色や響きが濃いといっても、音源のポテンシャルを制限せずに、DXDやDSD128ネイティブ録音のメリットがしっかりと実感できるあたりは、さすがハイエンドらしさを見せつけてくれます。

音楽鑑賞向けのDACというとR2Rなどの古典的な方式が今でも人気だったりしますが、そういうのの多くは44.1kHz/16bitのCD音源であれば効果的でも、高レートな音源になると限界を感じる事が多いです(実装にお金がかかるためハイエンド相当の価格になってしまいがちですが)。

その点N8iiはDSDクラシック特有の空気感を描けており、同じアルバムのフォーマット違いを聴き比べても臨場感や空気の雰囲気が明らかに違います。ロームBD34301 D/Aチップが優秀で、後続するアンプがボトルネックになっていないのでしょう。特にDSDは楽器音がフワフワして空気が捻じれたようになってしまうDACも結構多い中で、N8iiはそうではなく広い空間を描いてくれます。

LSO Liveレーベルは近頃録音がだいぶ自然になったとはいえ、場所が悪いせいか相変わらず弱音や低音が風呂場みたいにこもった響きなので、たとえば第四楽章冒頭のざわめきなど、前述のフルシャの録音とかと比べると、あまりパッとしません。楽器自体もドライで事務的というか、往年のヨッフムやベームといった名盤を聴き慣れている人には退屈だろうと思います。

冒頭で言ったようなAK SP1000やRMEといった、繊細にホール音響を描写するアンプで聴いてみても、かえって録音に含まれる音響の不備や地味さが露見してしまうだけで、そこまで魅力的な名演とまで言えません。ラトルの解釈やオケの腕前は良いのですが、色艶や高揚感が足りないのです。そんな楽曲もN8iiで聴いてみると、金管の咆哮には張りが出て、弦のトレモロもホールの空気全体を震わせるような豊かさで聴き応えが増します。

同じく初期のLSO Liveデイヴィスのベルリオーズとか、演奏は良いけどサウンドがパッとしないシリーズでも、N8iiで聴くと往年のフィリップス版のような厚みのある音色で楽しめるため、2000年頃のハイレゾ初期録音とかを改めて聴き直す面白さがあります。

逆に言うと、N8iiで聴いて音が良いなと思ったアルバムは、改めて別のシステムで聴くとそうでもないという事が結構多かったので、そのあたりは注意が必要です。良い録音はそのまま良い音で鳴ってくれますが、そうでもない録音もそこそこ良い感じの演出で仕上げてくれるため、場合によっては余計なお世話というか、たとえばAKが言うような「マスタリング級のレファレンス」といった聴き方には向いていないようです。

モード切り替えが多いです

今回せっかく二週間も借りることができたため、各種モードについて、第一印象だけでなく、じっくりアルバムを何枚も聴いて比べることができました。

こういうモードは最初のうちはそこまで違いがわからなくとも、30分くらい通して聴いていると、なんとなく直感的な雰囲気で好き嫌いが伝わってくることが多いです。そして、だんたんと音楽ジャンルとの相性の傾向や自分の好みに収束していくような感じです。

結論から言うと、私自身は真空管とクラスAモードのどちらもOFFの状態で使うことが一番多かったです。二週間のうち、八割くらいはそれで使っていました。たまにモードを切り替えて、ちょっと使ってみては「やっぱりさっきのモードに戻そう」といった感じに、無意識にそうなってしまいます。

冒頭で言ったように、実際に聴いてみるまでは「真空管OFFはドライで真面目、真空管ONは華やかな美音」というような演出を想像していたので、これはちょっと意外でした。

真空管というと、倍音(つまり高調波歪み)が多めで、ホットにドライブする印象を持っている人も多いと思いますが、それはギターアンプや据え置きオーディオアンプのように、真空管をスピーカーやヘッドホンを駆動するためのパワーアンプとして活用している場合にありがちな傾向です。

一方N8iiのように、ラインレベルのバッファー(つまりプリアンプの一部)として真空管を通して、ヘッドホンの駆動は後続するトランジスターアンプに任せている設計の場合、真空管はどちらかというとDSPと同じようなフィルターの役割が強く、たとえばオーバーサンプリングD/A変換上で生じる高周波ノイズをデジタルフィルターで取り除くよりも、アナログ信号で真空管を通した方が自然なフィルター効果が得られるというメリットで活用しているメーカーも多いです。

Cayinの場合、どういった意図でNutube真空管を組み込んでいるのかは不明ですが、実際に音楽を聴いていて感じるのは、真空管ONの状態ではまさにフィルターっぽく、音楽全体がスッキリして、情報量が減ったように聴こえます。

メインの楽器やボーカルが艶っぽく浮かび上がって、それ以外の伴奏や雑音が控えめになり、特に低音や高音がスリムになり、主役の音色そのものに集中できるようになります。

しかしその反面、音色をサポートする空間音響が乏しくなり、臨場感の再現が弱く、ツルッとした音像が宙に浮いているような若干不安定な描き方になります。真空管に厚みや豊かさを期待していると、その真逆の効果に驚くかもしれません。私も聴いていて、音色は確かに艶っぽくなったけれど、足場が揺らぐような落ち着きの無さを感じました。パート数が多くて複雑なDAW打ち込み曲とかで、メインの部分だけを浮かび上がらせたい場合には効果的かと思います。

クラスAモードは、ONにした直後ではそこまで大きな差は感じられないのですが、楽器のタッチやディテール部分が強調されて、弱音部分が持ち上がるような、ちょっと息苦しいというか押しが強い感じがするので、私はあまり好きな鳴り方ではありませんでした。コンプレッサーを強めにかけた時と同じような感じです。

QuestyleのアンプなどでもクラスAモードがあり、それを使った時も同じような押しが強いテンションの高さが好ましくなかったので、そういう傾向があるのでしょう。クラシックロックが好きで、迫力の無いイヤホン・ヘッドホンで聴いている人なら、クラスAモードをONにすることで、もっとガッツのある、ドライブ感が強い鳴り方になるため、それはそれで楽しいと思います。

モニターヘッドホンとの相性が良いです

古典的な開放型ヘッドホンとも

今回N8iiを使っていて、イヤホンを鳴らすのも当然良いのですが、個人的には大型ヘッドホンとの相性が抜群に良いと思いました。

N8iiはそこまでアンプのゲインが高いわけではないので、もっとガンガン鳴らしたいならFiio M17とかの方が良いと思いますが、それとは別に、N8ii特有のサウンドがヘッドホンとの相乗効果を発揮してくれます。

こういったヘッドホンを鳴らす時にはパワーモードP+が効果的です。音量自体はP+をOFFでも十分な余裕がありますが、P+ ONにすることで低音の安定感が増して、もうちょっと地に足がついた立体的な音像になります。コンサートホールの床の位置が明確になる感じでしょうか。

特に、上の写真のADAM SP-5なんかは、近年トップクラスの密閉型スタジオモニターヘッドホンで、特にクラシックで必要な前方音場の形成がとても上手だと思うのですが、同シリーズのUltrasoneと比べると音色の美しさをそこまで強調せず、まさに業務用っぽい仕上がりです。それをN8iiで鳴らす事で、モニターサウンドとは一味違った緩さと甘美な音色の魅力が加わり、良い感じの観賞用ヘッドホンに変身します。

またAKGの名機K702シリーズ(写真はQ702)も、最近のハイエンド開放型ヘッドホンと比べると高音がキンキンして低音も足りず、完璧なヘッドホンとは言い難いのですが、N8iiで全体的な音響を補強してあげることで、AKG特有の弦楽器の美しさが際立ちます。

他にもHD600とか、優れたヘッドホンを持っているけど、最近はイヤホンばかりで、あまり使う機会が減ったなと思っている人なら、N8iiがそれらを押し入れから出してみる機会を生み出してくれます。

おわりに

さすが据え置き真空管アンプのメーカーであるCayinだけあって、娯楽としての音楽鑑賞に求めているサウンドというのを熟知しており、N8iiはそれをDAPで実現する事にかなり近づけていると感じました。いわゆるモニターやレファレンスといった考えとは真逆の性格なのですが、サウンド全体が作り込まれているため嫌味を感じません。

ただし、やはり「音楽を聴いている」というよりも「N8iiを聴いている」という感覚が強くなってしまうため、そういった意味でも、普遍的な「レファレンス」というよりは、Cayinというメーカーが現時点ですべてを出し切った「ステートメント」モデルという印象が強いです。

金に糸目をつけないオーディオマニアでしたら、すでにAKなどの高級DAPを持っているとしても、それらとは競合せず、つまりどちらが高音質かという優劣を気にせずに、全く異なるサウンドの頂点世界を提供してくれる、新たに買い足す価値があるDAPだと思います。

私みたいに予算が厳しいオーディオマニアの場合は、今回二週間借りた間、Nutube真空管モードやクラスAモードはそこまで必要とは思わず、ほとんどの場合真空管もクラスAもOFFで使っていたので、今後もしCayinがN8iiのNutube非搭載コストダウン版とかを出してくれたら、それはそれで面白いかと思います。

N8iiの注目点として、ローム社のD/AチップとNutube真空管を搭載している事が挙げられますが、個人的にはロームのチップがサウンドの中核として良い効果を発揮していると思います。もちろんN8iiは入念に作り込まれたディスクリートアンプ回路による貢献も大きいと思いますが、ライン出力で使ってもN8ii特有の濃いサウンドが体感できるので、やはりD/Aからラインバッファーまでの回路にN8iiの魅力が含まれているようです。今後もっと安価なDAPにて、同じロームDACを一般的なオペアンプやチップアンプで駆動したサウンドというのも体験してみたいです。

Nutube真空管に関しては、比較的カッチリした真面目なDACにちょっとした色艶の遊びを加えるためのラインバッファーとしては効果的なようですが、N8iiのように濃い目に音を作り込んでいるサウンドだと、お互いの個性がぶつかり合って、そこまでのメリットが見いだせないようです。AK SP2000TやiBasso AMP13といったモデルでも同様の感想でした。

心理的にトランジスターやオペアンプよりも真空管の方が音質が優れているという先入観があるかもしれませんが、現状でNutubeをDAPに搭載するというのは、その労力やサイズに見合った投資なのか疑問に思いますし、まだギミックの域にあると思います。

個人的にはNutubeというと、安価なKORGのNu:Tekt HA-S/HA-Kは結構効果的で楽しい製品だと思うので、これを更に深掘りしたような製品を聴いてみたいです。特にCayinは据え置き機では真空管アンプ設計のベテランメーカーですし、このN8ii DAP以外では、C9というNutube搭載ポータブルヘッドホンアンプを出しており、こちらも個人的にとても気になっているのですが、残念ながら身の回りに無く、試聴できていません。もしC9がKORG HA-Sの純粋な上位互換のようなサウンドでしたら、それはそれでかなり面白いモデルになりそうです。

今回N8iiを聴いていて、ふと気がついたのですが、ロームDAC、Nutube、ディスクリートクラスAアンプと、あまりにも色々と詰め込みすぎて、もはや一つのオーディオ機器として扱えるレベルを超えてしまっているように思います。

たとえば、スピーカーのオーディオシステムであれば、DAC、プリアンプ、パワーアンプがすべてセパレートで販売しており、自分の好みに合わせてシステムを構築するのが趣味の一環となっていますし、自身のシステムの中で、部分ごとにアップグレードしていく事で、それぞれのもたらす変化が実感しやすいです。

最近では、据え置きヘッドホンオーディオも同じように、iFi Zenシリーズを筆頭に、dCS LinaやEarmenなどのセパレートシステムが続々と登場する時代になってきました。ようするに、DAPもハイエンドになるともはやオールインワンで済まされるレベルではなくなってきており、その結果、ユーザーの好みやイヤホンとの相性に合わせて、NutubeやクラスAモードなどモード切り替えやアンプモジュール交換式などで選択肢を与えるスタイルが増えてきたように思います。

最終的には据え置きシステムと同じように、DAPというオールインワン製品自体が解体され、スマホがトランスポートとなり、ポータブルDACにはライン出力のみで、そこからヘッドホンアンプは別途用意する、たとえばNutubeが欲しければCayin C9やKORG HA-Sを通す、みたいな流れになるような予感がします。なんだか大昔に9V電池のポタアンをスタックしていた時代に先祖返りするみたいで面白いですね。

なんにせよ、N8iiは堅実なレファレンスDAPとは一味違う、趣味のオーディオとしては圧倒的な存在です。このような凄い製品を作れるメーカーというのは極めて希少ですので、Cayinというメーカーの歴史を象徴するようなステートメントモデルにふさわしいDAPだと思いました。