2022年11月24日木曜日

アナログレコードは音が良いのか(3/3)

前回はレコードプレーヤーについて紹介したので、三回目で最後の今回はレコードコレクターの泥沼、オリジナル盤レコードの魅力について、なぜオリジナル盤は高価なのか、実際に音質は違うのか、といった話です。

私自身はジャズとクラシックが好きなのですが、ロックなど他のジャンルのコレクターの話を聞いても大体似たような感覚のようです。あくまで初心者向けの簡単な話を思いつくままに書いただけなので、既存のレコードマニアにとっては薄っぺらい話になりそうです。

オリジナル盤

まずオリジナル盤やファーストプレスといっても色々な解釈があると思いますが、私の勝手な定義としては、音楽ジャンルを問わず「あるアルバムのリリース時に、レーベルの母国にて発売された初回生産盤」という事で話を進めます。

これの高音質デジタル盤が欲しいのに、探しても見つかりません

とりわけレアな限定版やブートレグとかの話ではないので、現地で当時アーティストのファンをしていれば普通に店頭で購入できていたでしょうし、もし売上が芳しくなければ再プレスされず、CDでもリリースされず、そもそもオリジナル盤レコードしか存在しないというアルバムも沢山あります。

ジャンル、年代、レーベルごとに様々な解釈があるため、もっと深堀りするなら色々な細かい定義があると思いますが、身も蓋もない言い方をするなら「ショップやオークションでオリジナル盤として一定の相場価格の範囲に収まるもの」というのも現実的な考え方だと思います。つまり同じアルバムが相場と比べて格安で売っていたら再プレスや復刻版である可能性が高いという意味です(掘り出し物はあるでしょうけど)。

有名盤はたしかに音が強烈に凄いです

高価で取引されている理由は希少価値やコレクター性ももちろんあるものの、「音質が良いから」という主張もあり、これは私も実際にそう感じた事が何度もあります。

オリジナル盤だからといって必ずしも高音質である保証はないのですが、何らかの事情でオリジナル盤の音質が良くないとされているアルバムは再販盤の方が中古市場で高値で取引されていることもあるので、やはり音質の良さが市場価格にも反映しているようです。

そんなわけで、今回はまずオリジナル盤の音が良いと言われている理由をいくつか挙げて、それから実際のオリジナル盤の例などを見ていこうと思います。

レコード盤の寿命と、マスターテープの劣化・消失

意外と忘れがちな事ですが、記録媒体としてアナログレコードの寿命はものすごく長いです。1950年代に生産されたレコードが、そこそこ適当に保管されていたとしても、今でも当時のままの状態で音楽が聴けるというのは驚異的な事です。今から70年後にCDやハードディスクはどうなっているでしょうか。

カビ自体はクリーニングできますが・・・

レコードの劣化の原因は、再生時の傷と摩耗、長期保存の荷重や熱による変形、そしてジャケットや紙スリーブに発生したカビが盤面に化学変化を起こすなどがありますが、ビニール素材そのものの自然な経年劣化というのは70年経った今でも発生していないのが凄いです。もし劣化しているのであれば、ここまで大きな中古コレクター市場は確立していないでしょう。

そんなレコードと比べると、たとえばコレクター価値があるスニーカーなんかを見ると、90年代のエアジョーダンとかでもウレタンが加水分解でボロボロに崩壊していますから、そう考えるとレコードの耐用年数の長さは驚異的です。

1/2インチ録音テープ

レコードと対照的なのが、録音の本来のソースであるはずのマスターテープの劣化や消失です。磁気テープは熱と湿気に弱く、時間とともに記録されている磁気信号が弱くなってしまう、何層にも巻き取られたテープがくっついて磁性体が剥がれてしまう、磁性体同士が影響して転写してしまう、といったトラブルが起こります。

ScotchやAGFAなど当時テープを作っていたメーカーは多数ありますが、70年後にどうなっているかなんて誰も想定できなかったでしょう。実際にテープのメーカーによって劣化度合いに差があるようで、一番有名なAmpexの劣化騒動のように、スタジオが特定のテープメーカーに統一していたせいでカタログが全滅したレーベルもあるようです。

大手レーベルであれば厳重な空調設備の管理下にテープを収蔵していると願いたいですが、現状では杜撰に散乱しているケースが多いです。レコード会社の興亡とともにテープの管理主が変わったり忘れ去られている事もあり、最近のユニバーサル社のマスターテープ倉庫焼失事件のように、超有名なポップスのミリオンセラーですら、この世から原本が消えてしまったアルバムも多いです。皮肉な例として、東ドイツやチェコスロバキアなど東側共産圏の方が音楽が国営事業だったのでテープの保管が丁重で、良いコンディションで現存しているなんて話もあります。

良い音のデジタル復刻が見つかりません

ようするに、デジタル録音以前の作品の場合、レコードとCDというメディア自体の性能差で比較するよりも、まず1980年代にCDを作るためにマスターテープからデジタル化した時点でテープがすでに劣化していた、という事もあるので、その場合はCD版よりもレコードの方が音が良いことはよくあります。

さらに、1980年代に初めてCD化した時点では現存していたテープでも、それから40年経った2020年代ではすでに紛失もしくは劣化しすぎて使い物にならないものもあります。つまり2022年の最新技術を駆使したハイレゾリマスター版ということで期待して聴いてみたら、テープが劣化しすぎて音がヘロヘロでノイズが目立ち、80年代のCDの方が断然音が良かったなんて事もあります。

テープの磁性体が弱くなってバックグラウンドノイズが目立つ程度であれば、最新のデジタルノイズリダクション技術でどうにかなるかもしれませんが、磁性体が転写してしまっていると修復が困難になり、とても耳障りです。長期間テープが同じ位置で重なりあっていることで一回転前(もしくは後)の音が写り込んでしまい、音が時間差で二重に聴こえるという現象で、特にシンバルやトランペットなど強烈な音では目立ちます。

また、近頃は「マスターテープの音から手を加えずに忠実にデジタル化したフラットトランスファー」なんて売り方のハイレゾリリースもあるのですが、よく考えてみると、それは録音当時の音に忠実というよりは、そこから何十年も蓄積されたテープの劣化によるノイズを含めて忠実という事になるので、必ずしも最善とは言えません。

そんなわけで、たとえば1960年代のアルバムを聴く場合には、1960年代のオリジナルレコード、70年代の復刻レコード、80年代のCD、90年代のハイビットリマスターCD、2000年代のSACDやハイレゾPCMダウンロード、といった具合に、10年周期で復刻されるたびにテープの劣化が実感できたりします。特定の箇所で歌声がビビる歪みが80年代のCD以降はすべての版で確認できるなどです。例外的に、倉庫で新たにコピーテープを発見したとかで格段に音が良くなった復刻盤なんかもあります。

テープの劣化が避けられない現状において、以降どれだけ最新技術を駆使して復刻されたとしても、オリジナル盤レコードというのは当時の音を鮮明に再現できる最良のドキュメントとして代えがたい存在だと思います。

私の個人的な感想としては、最近のハイレゾリPCMマスターはレコードを凌ぐほどのクリアさや繊細な解像感を実現できているものの、テープの劣化なのか、それ以外の理由なのかはわかりませんが、「ダイナミックな迫力」という一点においては、どうしてもオリジナル盤レコードのサウンドを再現できていないようです。最初の一音から手に汗を握るような迫力というのを一度でも体験してしまったからには、デジタル再生でも同じ体験を再現しようと努力するのですが、残念ながら未だにそれを達成できていません。

マスターテープの定義

後年にレコード盤を再販する際に、オリジナル盤をプレスする時に作られたポジティブ(マザー)やスタンパーが残っていて再利用できるのは稀で、マスターテープから再度カッティングするのが一般的です。

実はこのマスターテープの定義が曖昧で厄介です。レーベルごとに解釈が違ったり、時代によっても変わってきます。

たとえばマルチトラック録音の場合、2インチ24トラックなどのマスターテープが残っていれば、後年にスタジオで再度ミックスダウンして新たなステレオマスターを作るかもしれませんし、マルチトラックマスターが廃棄されていて1/2インチのステレオマスターテープしか残っていない場合もあります。

録音中には様々なテープが使われます

後ろにEMTのプレーヤーが見えます

マルチトラックのオーバーダビング編集をあまり使わないクラシックなどのジャンルでは、ステレオで複数のテイクを録音して、モンタージュのように良い部分のテープを物理的に切り貼りして編集していたので、そうやって完成した継ぎ接ぎだらけのテープがマスターテープと呼べるかもしれません。

そのままの状態で繰り返し再生するのは危ういので、一旦新鮮なテープにダビングして、物理的に継ぎ接ぎの無い状態のものをカッティング工程に送り、しかしテープは高価なので、カッティングが終わったら消去して次のアルバムで再利用するという事もあります。

同時に海外の提携レーベルに送るためにダビングを行ったかもしれませんし、放送局用など相手の都合にあわせてテープの幅や速度の規格を変えたコピーを作ったかもしれません。そうなってくると、どこからどこまでがオリジナルマスターで、どこからがコピーなのか定義が曖昧になってきます。

「母国の初回プレスのカッティングに使ったテープ」がオリジナルのカッティングマスターと呼べるかもしれませんが、では同時期にコピーして海外支部に送られたテープで作られたレコードはオリジナルではないのでしょうか。母国盤にこだわる理由としては、それのテストプレスをアーティスト本人が聴いてOKを出した「お墨付き」があるから、というのも説得力があります。

後年に復刻レコード盤を製造する場合も、1980年代以降でしたら「アナログマスターから新規カッティング」とでも明記していない限り、CD用のデジタルデータからカッティングしているのが一般的です。マルチトラックマスターからデジタル上で再度ステレオにミックスした音源を使っているかもしれません。(CDが登場した最初期にはそれらを見分けるためにAADとかADDなんて記号が使われていました)。

たとえばドイツ・グラモフォンは徹底していて、2000年代に一念発起でマスターテープをすべて192kHz・24bitでデジタル化したものを「マスターテープのフラットコピー」という扱いにしており、以降いかなる復刻企画でも、厳重に保管されているアナログテープに手を付けることを極力避けて192kHzデジタルデータから作業を始めています。

一方、ドイツ・グラモフォンと統合される前のデッカレーベルでは、テープを積極的に貸し出して、様々な復刻レーベルが最先端技術でリマスターを手掛けてきたおかげで、レコードもCDも素晴らしい再販盤が手に入り、聴き比べなんかも楽しいのですが、肝心のマスターテープが酷使されて劣化してしまい、もはや使い物にならないなんて事もあります。個人的な好きなアルバムが一向にハイレゾリマスターで登場しないので業界の人に聞いてみたら「あれはもうテープがダメになっちゃったから・・・」と言われたりします。

オリジナル盤レコードを原点として、復刻版に使われる「マスターテープ」の定義は無数のバリエーションに枝分かれしているような状態で、それが再販盤レコードやCDなどの音質にも影響を及ぼすというわけです。

カッティング時のマスタリング

マスターテープとレコードの関係はさらに面白いです。レコード盤というのはスタジオで仕上げたマスターテープの音からそのままカッティング装置が溝を刻んでいるわけではありません。一番わかりやすいのはRIAAイコライザー処理ですが、それ以外にもコンプレッサーやステレオバランスの調整、さらにはエコーやリバーブエフェクトなどを通すことで、レコードで聴いて良い音になるようにマスタリングを行っています。前回触れたように、針先のトラッキング向上のために低音をモノラル化するのも工程の一つです。

そのような処理を施した音源を新たにカッティング用マスターテープとして作成するのか、それともカッティング時にリアルタイムでマスタリング処理を行うのかの二通りに分かれます。カッティングを内製で行うか外注に委託するのかでも変わってきます。

ノイマンのカッティングアンプはRIAA EQ内蔵でした

ノイマンなどのカッティングマシンはヘッドのアンプ自体にRIAAイコライザーが組み込んであり、しかもこれが結構個性的なため、初期のノイマンカッティングマシンで製造されたレコードには独特のクセがあるなんて言われます。もちろん同じラックにコンプレッサーなどのエフェクトも積み込む事もできます。

ひとつ面白い考え方として、デッカなりコロンビアなり、様々なアーティストや録音現場のアルバムがある中で、なぜ「レーベルの音」と言えるようなサウンドシグネチャーを感じるのかというと、それらがカッティングエンジニアのセンス、コンプレッサーやリバーブエフェクトなどマスタリング工程、そしてカッティング装置の特性によって生まれる特徴である可能性も無視できません。

マスターテープのメモを見ると、後学のために「カッティング時にはリバーブを4、コンプレッサーを3に設定したよ」と書いてあったりします。もちろん当時使われた装置のノウハウが無ければ、それらが何を意味しているのかは不明ですので、設備の入れ替えや当時を知るエンジニアが引退したなどで、オリジナル盤からほんの数年後の再販盤であってもサウンドが全然違うという事がよくあります。

さらに、前回も触れましたが、高音質を目指すのであっても、カッティング時に溝の間隔を広めにとって大振幅を優先するか、間隔を詰めてなるべく外周寄り(円周が長いので高音が出る)にまとめるかといった判断もカッティングエンジニアの手腕で決まります。

ブルーノートを手掛けてきたエンジニアのヴァンゲルダー氏の場合、午前中にバンドのレコーディングセッション収録を終えたら、夕方までに全曲の編集を終えてアルバムに仕立てて、その日の夜には自分の手でレコード原盤をカッティングして、翌朝発送してしまうという驚異的なワンマンのワークスタイルでした。つまり海外盤や復刻盤などヴァンゲルダー氏以外の人がカッティングを行ったレコードでは、彼と同じセンスの音にはなりません。

同じレーベルのスタッフが復刻を手掛けても、スタジオ機材の変化はもちろんのこと、音楽自体に新たな解釈が加わるかもしれませんし、その当時の一般家庭の再生機器や流行っている音楽ジャンルの雰囲気を踏まえて再調整される事も多いです。

同じアルバムも再販されると音溝が変わります

たとえば上の写真のCannonball Adderley Quintet in Chicagoというアルバムを見ると、最初にMercuryレーベルで発売された盤と、数年後にLimelightレーベルで再販されたものではサウンドがかなり違います。同じ曲を収録しているのに内周の余白部分がずいぶん違うので、カッティングが異なる事がわかります。また初版当時は単なるサイドメンバーだったコルトレーンも再販する頃には有名なスターになっていたので、Limelight盤ではCannonball & Coltrane名義になっているなど、時代に合わせて売り方も変化していった事が伺えます。

つまり同じアルバムでも再リリースごとに全く違うサウンドになってしまうという面白さがあり、好きなアルバムならオリジナル盤の音をどうしても聴いてみたいと思えてくるわけです。

最近のハイレゾPCM復刻版などで「マスターテープからダイレクトにデジタル化」と書かれているものがありますが、それらはこのようなカッティング時のマスタリング工程を経ていないため、リバーブエフェクトとかが無くなって音がクリアになるというメリットがある反面、レコードと同じ音にはならずシビアで聴きづらい事もよくあります。

逆に、EMIのART処理やドイツグラモフォンOIBPなど、最先端デジタル技術でノイズ除去したり空間リバーブを加えたりなど、レコードを超える高音質化を狙った企画もありますが、デジタルエフェクトっぽく聴こえてしまうなど賛否両論があります。そんな事情から、過去の名盤をデジタルで聴いた音楽ファンは、どうしてもオリジナルレコードでの音を体験してみたくなるわけです。

オリジナル盤の衰退と逆転現象

60年代後半から、大手レーベルのカッティング工程の自動化と合理化が進んだことで、それまでのような熟練職人の手腕で最高の一枚を追求するというようなスタイルではなくなり、いつ誰がカッティングしても同じような仕上がりになるため、オリジナル盤を求める意味が薄れてしまったように思います。

もちろん最近のDSD256レーベルなどと同じように、当時も高音質重視のニッチなレーベルもいくつか存在していました。しかし音質ではなく音楽の中身を聴いているのであれば、そういうレーベルばかり聴いているわけにはいきません。

さらに同時期にポップミュージックの台頭でレコードの大量消費が始まり、製造コストを下げるためにレコード盤はどんどんペラペラで薄くなり、回収された古いレコードを粉々に砕いて原材料として再利用するリサイクルビニール素材が増えてきます。エコの観点からは良いことなのかもしれませんが、盤質に悪影響があり、薄さと材料の不均等のせいで反りやすく劣化しやすくなったようです。

近頃はレコード盤の重量が明記されるトレンドもあり、薄いペラペラなレコードなら120g、厚くて高級感のあるレコードなら180gといった感じで、高価なレコードほど厚い傾向にあります。

レコードは必ずしも厚い方が音質が良いとは限らないのですが、中古レコードを見る限り、薄いレコードは確かに歪みやすいと思います。収納時にピッタリと縦置きにせず寄りかかるように斜めになっていたり、横置きに重ねてあったりすると歪んでしまいます。外部の荷重だけでなく、薄いレコードはプレス時の残留応力に耐えきれず、時間をかけて徐々にストレスをリラックスする方向へと反ってしまいがちです。

一旦歪んでしまったレコードは、ガラス板に挟んで直射日光に当てるとかオーブンを使って反りを直す方法もあったり、レコードプレーヤーに重いパックを乗せるなどもできますが、盤面自体が平面に見えても音溝が歪んでしまっていると、明らかにわかるくらいフニャフニャした変な音になってしまいます。

盤が薄すぎてラベル付近で割れてしまいました

歪みやすいというだけでなく、プレス時のシャープな溝(ラベル外周とか)が薄すぎて、上の写真のように、レコードをちょっと曲げただけでパキッと割れてしまうような盤にも何度か遭遇しました。

1970年代にはレーベルの吸収合併が盛んになり、製造拠点が統合されるようになったので、これまで高品質を売りにしていたクラシックなどのレーベルも、大量生産のポピュラー盤と同じオートメーションの生産ラインで作られてしまうことも増えてきます。

ポリグラム社なんかがまさにその類です(1972年にドイツ・グラモフォンとフィリップスレーベルの製造拠点を統合するために発足、1980年にはデッカも併合)。ドイツとオランダなんて、生真面目な国民性なのだから、高品質・高音質を追求するかと思いきや、ポリグラム社はむしろ逆に「どれだけレコード盤の製造コストを削れるか」という方向に生真面目さが突き進んでしまったような印象です。

それらのペラペラなレコードと比べると、50~60年代のHMV Columbiaのオリジナル盤なんかは素人目でも明らかに精密で光沢があり、エッジの面取りまで丁寧に仕上がっているので、眺めるだけでも品質の高さが計り知れます。50年代のモノラル盤などは200gを超えるような重厚な作りなので、歪んでいる盤は見たことがありません。

良いレコードは美しいです

こうやって70年代になるとオリジナル盤のメリットが失われていくと同時に、面白いことに、その反動で海外盤が高い評価を得るようになってきます。たとえばアメリカのポップスなども、米国のペラペラなオリジナル盤よりも、日本で当時作られたレコード(日本人にとっての「国内盤」)の方が明らかに高品質だということで、現在の欧米の中古市場では結構な価値が出ており、わざわざ日本まで買い付けに来るコレクターもいるくらいです。

さらに日本以外の海外盤も、辺境の国の製造拠点の方がむしろオートメーション合理化の煽りを受けず、昔ながらの真空管カッティングマシンで熟練スタッフが手作業で高品質なレコードを作り続けていたおかげで、70年代のアルバムでも60年代のようなクオリティの高さを維持していた、なんて逆転現象も発生しています。

高音質レーベル

これら低品質なレコードへの反発から、70年代には版権元の大手レーベルから一時的にライセンスを得て、少量生産で高品質盤をプレスする会社も生まれました。1977年発足のMobile Fidelityのハーフスピードカッティングなんかが有名です。(ハーフスピードに関しては前回説明しました)。

Mobile Fidelityのサイト

70年代以降のロックやポップスが好きな人にとっては、オリジナル盤よりもむしろそれらの方が盤質が優れているので、現在の中古価格も高騰するという面白い逆転現象が起こっています。そういえば、つい最近Mobile Fidelityがアナログテープではなく一部デジタルソースを使っていたという事が判明してネットで炎上騒ぎになっていました。確かにそういうのにこだわる人は一定数いるとは思いますが、個人的には音が良ければソースはなんでも良いです。

レコードは無限に量産できるわけではなく、プレス機のスタンパーが摩耗するまでの数百枚~数千枚のロット製造になるため、必然的に数量限定生産で高価になりがちです。増産は在庫を抱えるリスクが高いですし、さらに版権元である大手レーベルの市場を脅かさないよう数百枚程度しか生産できない契約になっている事もあり、買い逃したから増産してくれという声があってもライセンス許可が降りないため再販できないなんてこともあるそうです。

Mobile Fidelity、Analogue ProductionsSpeakers Cornerなどの高音質レーベルが手掛けた高価な復刻盤がある一方で、明らかにレコードブームに便乗して作られた量販店向けのペラペラな復刻盤もあったりで、現状はまさに玉石混交です。

ただし最近は版権元の大手レーベルもそのあたりは理解してきたようで、名盤復刻専門のサブレーベルを設立して(ConcordのCraft Recordingsなど)、ジャケットからカッティングに至るまで高品質な付加価値を高める売り方で成功している例もあります。いくらレコードブームといっても、あくまでニッチな市場なので、大量生産でコストダウンするよりも単価を高める戦略なのでしょう。

今や大手レーベルが昔ほどの影響力が無くなったことで、ポップスによる大衆の扇動効果や使い捨ての音楽といった観念が薄れ、コアな音楽ファンに寄り添う形に向かっているのであれば、音楽業界の栄枯盛衰というのは皮肉なものです。

オリジナル盤と高音質復刻盤

では実際にこれら最新復刻盤の音質が良いかどうかは、やはりケースバイケースになってしまいます。

オリジナル盤があまりにも高価だから代用として購入する場合もあれば、ジャケット絵が好きだから飾りたいだけという場合もありますし、Analogue Productionsのようにオリジナルとは一味違った独特のサウンドの仕上げ方に共感して購入する事もあります。

Testamentの復刻(左)とオリジナル(右)

私自身も興味本位でオリジナル盤と高音質復刻盤を聴き比べたりすると、やはりアタリハズレがあります。たとえば上の写真のビーチャムのシェヘラザードはTestamentレーベルから復刻版が出ていたので買ってみたところ、ジャケットの「金ステ」ステッカーまでこだわっているくせに、センターラベルの世代が合っていないのはツメが甘いですね。サウンドもレンジが狭く、こもり具合がCD版とよく似ているので、同じデジタルマスターでカッティングしたのでしょうか。オリジナル盤の大迫力サウンドとは天地の差があり、代用品としてはそこまで有意義ではありませんでした。

その一方で、60年代のCBSなどMobile Fidelity復刻盤の方が好きなアルバムもありますし、RCA Living Stereoはオリジナル盤と比べてAnalogue Productions復刻盤はまるでDeccaみたいな重厚なサウンドで面白いなんて変化球もあります。

特にロックやポップスの名盤については海外の掲示板などで音質に関しての議論が盛んに行われているので、好きなアルバムなら高音質復刻盤を色々と集めて聴き比べてみるのも面白いと思います。

どこまでがオリジナル盤か

ここまでオリジナル盤について「母国での初回リリース時のレコード」という定義を使ってきたのですが、もっとマニアックに追求すると、さらに奥深いです。

ブルーノートとかは「完オリ」を主張するのも冷汗ものです

私の経験上、コレクター人口が多いジャンルほどオリジナル盤の定義が厳しくなる傾向があるようです。そのため、ある人にとってはオリジナル盤だと言い切れるレコードでも、もっとコアなマニアにとっては「完全オリジナル」ではないからと敬遠されたりします。

それが行き過ぎると「完全オリジナル」を求めるがあまり、印刷や刻印など細かい骨董趣味的なディテールにこだわりすぎて、音質の良さという本質を見失っている場合もあります。

有名なAscension ED1とED2

音楽自体が違います

たとえば「完全オリジナル」が5万円で、センターラベルのロゴマークが若干違う「セカンドプレス」が5千円で売っているとして、実はレコード盤自体は同じスタンパーで製造したので、サウンドはほぼ一緒、なんていう事もよくあります。もちろん私もコレクターとして完全オリジナルが欲しいですが、それが10倍の価格差ゆえに10倍の音質差がある保証は無いということです。

しかし、たまに例外的に、例えばコルトレーンのAscensionなんかが有名ですが、初回プレスでは間違えて別テイクを収録してしまったため、セカンドプレスからは全く異なる内容の音楽に差し替えられている、なんてこともあり、他にもステレオの左右が逆だったとか、変なノイズやエディットミスがあるなどの不具合をセカンド以降で修正していることもあり、そういうのは両方聴いてみたくなるわけです。小説の初版コレクターと同じような感覚かもしれません。

オリジナル盤の枚数と判別

レコードをプレスする凸スタンパーは消耗品なので、数千枚くらいプレスしたら破棄されます。1950年代のLPレコード初期はまだ一枚の凸スタンパーで数百枚しか作れなかったそうで、後年プレス技術が進化することで5,000枚以上プレスできるようになったそうです。

勘が鋭い人なら、これまでのオリジナル盤の話の盲点に気がつくと思います。プレスするたびにスタンパーがどんどん摩耗していくはずですし、ゴミの付着なども気になりますから、見た目が同じオリジナル盤でも、プレスの1枚目と3,000枚目では音が違うはずです。しかしレコード盤を見ても、それが何枚目にプレスされたのかは全く見当も付きません。(数百枚程度のニッチな高音質レーベルだとプレスされた一枚一枚にシリアルナンバーを書き入れることもありますが)。

つまりオリジナル盤の条件を完全に満たしていても、必ずしも音溝が新鮮だとか、音質が良いという保証は無いわけです。よく中古市場でも「風邪ひき盤」なんて言われる、見た目は新品同様なのに、実際に聴いてみるとゴソゴソとノイズが多くてダイナミクスが潰れたようなサウンドなんてこともあります。そのため高価な盤であるほど店頭で試聴してみる事が肝心ですし、ネットでの売買にもリスクが伴います。ワインのビンテージとかと違って、購入前に試聴して確認できるのがせめてもの救いでしょうか。そのため、中古レコードの場合、「新品未開封」でまだラップに包まれているものは、音楽を聴かないジャケットコレクター以外にはそこまで需要が無かったりします。

ただし、スタンパーが摩耗して音が悪くなっていくといっても、それはノイズや歪みの程度の問題であって、これまで述べてきたマスターテープやカッティングエンジニアの腕前によるところの音質の良さ(というか、作品の仕上げ方)については依然オリジナル盤をを聴く意義があるため、ちょっとくらいノイズが多くても我慢して聴いているという人が大半だと思います。もちろんノイズや歪みがほとんど無いオリジナル盤レコードを発見したときの嬉しさはひとしおです。

中古レコードがオリジナル盤かどうか判別する手がかりとして、レコードの製造過程について触れてみます。

裏面中心の枠取りの色で判別するとか

ネットオークションなどを見ると、ジャケットやセンターラベルのデザインによって「ファーストプレス」「セカンドプレス」と判断しているケースが多いです。その方が視覚的にわかりやすいという理由もあります。

特に、レコード盤のリリース年月がわかれば、その当時使っていたセンターラベルデザインと一致しているか確認できます。デッカならED1、ED2というふうに、中古市場でもデザイン変遷のキーワードが凡例化しています。ジャケット裏面の本社住所が移転前か移転後かで判別するなんてケースもあります。

もし一致しなければ後年の再プレス版だと考えられます。幸いほとんどのレーベルがセンターラベルデザインを数年間隔で(つまり再プレスされるよりも短い間隔で)変更しているので、手がかりになることが多いです。

一見同じでも

社名がABC ParamountかABC Recordsか

ただし、ラベルデザインといっても、リバーサイドの円の大きさやブルーノートの®マーク有無、DGGの外周文章の違いなど、遠目の写真では判別できない微妙なものもあります。もちろん全部自力で調べるのではなく、有名なアルバムなら「これらの条件が揃っていればオリジナル確定」という判断材料が定着しています。

デザインに頼るのには注意点が二つあります。まずジャケットに関しては「ニコイチ」のリスクがあるので基本的に信用できません。つまりジャケットと中身のレコード盤の世代が一致しないケースです。中古ディーラーが悪意をもってやっている事もあれば、当時まだ無頓着だったレコード店の不手際で発生した場合もあります。

当時は新品で買ったレコードに傷やノイズがあった場合、店舗やレーベルに返品すれば交換品に差し替えてくれるということがよくあったようです。この場合ジャケットはそのままで中身のディスクだけ交換してくれる事が多く、そうなると中身だけ再販盤に差し替えられた可能性もあります。

廉価版レーベルの方が鮮度が良かったり

もう一つの注意点は、センターラベルやジャケットといった印刷物の在庫管理はレコード盤とは別に行っていたケースが多いという点です。

プレス工場から5,000枚のレコード盤が届いたけれど、そのうちの2,000枚だけセンターラベルを貼ってジャケットに入れて出荷して、残りの3,000枚は数カ月後に出荷したので、ラベルデザインやジャケット表記が変わったりなどです。つまりラベルのデザインはセカンドでも、実際のレコード盤はオリジナルと全く同じ製造ロットという事もあります。

さらに、カタログ番号の順番通りに発売されたとは限らないので、○○番までは青丸デザインで、それ以降は紫レーベル、なんてルールにも必ず例外があります。デッカなど廉価盤はセンターラベルを別デザインにしていたレーベルもあれば、ドイツグラモフォンは当時の販売価格を分けてSLPEM136とSLPM138などカタログ番号を複数用意していたり、HMVは高額盤(つまりギャラが高いアーティスト)はAngel Seriesというレーベル名義で売っていてもカタログ番号は一貫しているなど、各レーベルごとに事情が異なります。

こういった事情があるので、明確なルールではなく感覚で知っていないと混乱することが多々あり、コレクター的な観点での「完全オリジナル」を追求するのと音質面で楽しむのでは意見の相違が生まれやすいです。

もし自分が売る側の立場であるなら、むやみにオリジナル盤だと主張してしまうと買い手との認識の違いでトラブルになりやすいので注意が必要です。

マトリクス刻印と鮮度

ラベルデザインよりも正確に判別する方法として、レコード盤上の刻印を頼りにする方法もよく使われています。

YAX546-7

ZAL-4260-1E

レコードはカッティングされたラッカー盤をもとに、凸マスター、凹マザー(ポジティブ)、凸スタンパーという順番に作られ、この凸スタンパーでビニールをプレスすることでレコードが量産されます。

よくあるイラスト

ちなみにラッカー盤(アセテート盤)は普通のレコードと同じように聴く事ができるので(すぐ摩耗して使い物にならなくなりますが)、それが現存しているならばそれで聴くのが最高峰だという人は多いです。オーディオショーのイベントなどでそういったラッカー盤を聴く機会も結構あり、まさに「新鮮」「鮮烈」という印象を受けます。一度でもそのイメージを植え付けられた人は、できるだけ鮮度が高いオリジナル盤レコードを追い求めるようになるのかもしれません。

デッカやEMIのように自社工場でカッティングからプレスまで全て内製する場合は管理がしっかりしており、それぞれの工程の通し番号などの刻印(マトリクス記号)がレコード盤で確認できるため、それが頼りになります。

NorgranからVerveへ

マトリクス刻印

たとえば、このWest Coast JazzというアルバムはレーベルがNorgranからVerveに社名変更した際にセンターラベルも変更されました。しかしサウンドは同じに聴こえますし、盤の音溝を見てもピッタリ一致するので、新たに再カッティングしたようには見えません。(曲間や終わりの無音部分の大きさなども同じです)。

そこでマトリクス刻印を見ると、MGN-1032Aという刻印の見た目が全く同じです(特にAが上にズレている感じとか)、Verve盤になると、その左側に新たにMGV-8028AというVerveカタログナンバーが刻印されています。つまりラッカー盤かマザー自体は同じものを利用して、Verve盤を作る際に新たなスタンパーを作ったという事でしょうか。

ZAL-4811-3D

デッカやEMIなどの大手レーベルでは、マトリクスに刻印するのはレコードのカタログナンバーではなく、凸マスター(ラッカー盤)の音源番号、カッティング番号、カッティングエンジニアのIDなど、もっと多くの情報を含んでいます。たとえばデッカのZAL-4811-3Dなら、ZALは30cm LP ステレオ、4811はマーク指揮メンデルスゾーン3番のA面で、カッティング番号は3、エンジニアコードDはJack Law、といった具合です。

ただし、カッティング番号に関しては、ファーストプレスは必ずしも1番とは限らず、量産にOKが出るまで何度か破棄して再試行したことで、実際にファーストプレスに使われたのは3番なんて事もあります。

この凸マスターから作られた凹マザーに、デッカやEMIなら9時方向にマザー通し番号が刻印されます。売上が好調なので増産するとなったら凸マスターから再度凹マザーを作る事もあり、そのたびに刻印番号が2、3、となっていきます。

この凹マザーから実際にレコード盤をプレスするための凸スタンパーが作られて、3時方向にアルファベットコードが刻印されます。デッカならBが初回で、BUCKINGHAM(Mの次はBB、BU・・)の順番になります。ちなみにデッカの場合は新たなマザーでもスタンパー番号はBにリセットされないため、マザー4のスタンパーCC(32番)とかとんでもなく高い番号になっていきます。他のレーベルでは必ずしもそうではありません。

大抵はプレス機を並列で稼働して量産するため、デッカならアルバムの初回プレス時には最低でも二台のプレス機(つまり二枚のスタンパー)を使っていたらしく、マザー1でスタンパーBかUであれば初回プレスであるという認識が浸透しています。

同じ盤のB面

先程のメンデルスゾーンを見ると、A面はZAL-4811-3Dでマザー1、スタンパーBですが、B面はZAL-4812-1Eでマザー2/B(このBについては諸説あります)、スタンパーMです。つまり、同じ交響曲の前半と後半なのに、A面とB面は必ずしも世代は一致していませんし、今回のようにカッティングエンジニアすら違う事もあります。B面だけに何らかの不具合があったせいで、別のエンジニアが作り直したのでしょうか。

さらに、凹コピーマザーもしくはコピーシェルというものもあります。急遽増産する必要に迫られた時など、凸マスターから凹マザーを複製するのではなく、凸スタンパーにメッキして、凹マザーの複製を作ってしまうという手法です。

盤面の刻印は凸スタンパーと同じでも、それから作られた複製凹マザーから作られた複製凸スタンパーということになりますので、音質は一世代悪くなるはずです。デッカなら盤面左にCA、CBと追加で刻印されています。

技術の進歩のおかげか、レコード後期になると一枚のマザーで数十枚のスタンパーを作ってしまう事がよく見られるようになり、コピーシェルの出番が少なくなります。


例えばこのデッカのファン・ベイヌムのブラームス一番を見ると、音源番号はARL-1006で、カッティング番号は4Aですが、さらにCAという刻印があるのでコピーシェルだという事がわかります。さらに左側9時方向のマザー番号が1と2と二重に刻印されているので、オリジナルの番号と、さらにコピーシェルに刻印したマザー番号ということでしょう。3時方向のスタンパー番号はKなので4番目ということです。

ジャケットやセンターラベルデザインはオリジナルを示していますので、中古市場での価値は同じかもしれませんが、マザーやスタンパーの鮮度という点ではベストなプレスとは言い切れないことがわかります。

どこまで追求するかは各自の判断によるので、たとえばローリング・ストーンズのデッカ初期盤の中古市場を見ると、カッティング番号1、エンジニアがA(Guy Fletcher)の両面1Aであれば「オリジナル盤」として扱われているようで(オークションタイトルでも「1A/1A」などと表記してあり)、マザーやスタンパー刻印については価格に影響しないようです。

この際、最良を求めてマザーが1でスタンパーがBやUを見つけるのは地道な作業になるかもしれませんし、そもそも量産に使われておらず存在しないかもしれません。皮肉なことに、当時マイナーだったアルバムほど生産量が少ないため、1Bや1Uが見つけやすい(というか、そもそもそれしか存在しない)ということもあります。

このVOXレーベルのクラシックも

ヴァンゲルダーのカッティングです

デッカは単なる一例で、EMIなら「1G・1R」、RCAなら「1S-A1」が望ましいなど、他のカッティング・プレス工場でもそれぞれのルールで通し番号が刻印されており、ジャンルやレーベルごとに詳しいサイトがあります。

カッティングも含めて外注委託に丸投げという事もよくあるので、マイナーレーベルのアルバムでも大手工場で委託プレスされたものは同じ法則の刻印がされているため参考になります。

ボロボロでも音が良い盤を買うべきか

マザーやスタンパーに関しては、個人的に好きなアルバムは何度か買って聴き比べたりしてみると、やはりマザーやスタンパーが初回に近いほど音質が良いと感じるような気がするものの、結局のところ中古品ですので、スタンパー1Bが見つかったとしても、傷だらけで溝が劣化していたらどうしようもありません。もちろん逆に、傷だらけでジャケットもカビだらけなのに何故か音が良い、という場合もあるのが面白いところです。

私自身はクラシックだと主にデッカLXTやHMV ALPなどを集めているため、好きなアルバムならマザーやスタンパー刻印が手持ちより初回に近い物だったら買いなおしてみるとか、ダブってしまったら初回に近い方を手元に残す、という感じです。私の身の回りの他のジャンルのコレクターも大体同じような感覚だと思います。

余談になりますが、CD全盛期の80年代メタルやヒップホップのコレクターも、同じようにCDの内周に刻印されているマトリクス番号を参照してオリジナルか判別しているのを見たことがあるので、アナログレコードだけの話ではなさそうです。CDの場合はそれで音質が変わるのかまでは不明ですが・・・。

委託プレス

レーベルの大小に関わらず、自社で製造せずに提携しているプレス工場に委託しているケースも結構あります。工場のスケジュールにあわせて一つのアルバムを複数の委託先で製造している場合もあるので複雑になってきます。

Atlanticレーベルは複雑です

たとえばAtlanticレーベルならプレス工場のマトリクス刻印は二文字でCSならコロムビア・サンタマリア、MGならMGMといった具合に、様々な工場にて製造されていました。

ブルーノートによくある「耳」マーク

Blue Noteも、録音エンジニアのヴァンゲルダー氏がカッティングした後に、委託されたプレス工場に送られて、筆記体のP(俗に言う耳マーク)ならPlastylite、ABならAbbey Manufacturingといった工場の刻印と、さらにそれらの工場でのマザーやスタンパーの追加情報が刻印されています。

特にブルーノートの場合、1966年にLiberty社に買収された後は同社のAll-Disc工場に製造が移転したにもかかわらず、それ以前のセンターラベルの在庫が大量に残っていたため、それらを再利用しているケースが多く、ラベルデザインの住所を見ただけではオリジナルか後年の再販か判別できないため、この耳マークの有無が重要な役割を果たしています。(現物なら盤の厚さですぐに違いがわかるのですが)。

このようなケースでは、先程デッカで紹介したようなマザーやスタンパーの定義が困難になってくるものの、今度はどの工場で生産されたものが高音質かで白熱の議論がなされる事もよくあります。

よくある例

ひとつわかりやすい例として、Impulseレーベル1965年コルトレーン「A Love Supreme」について、Ashley Kahnの2007年Impulse伝記本が参考になります。

ステレオオリジナルと2002年復刻

まず1965年のオリジナル盤はヴァンゲルダーがカッティングしたステレオ盤とモノ盤が存在します。

ステレオのオリジナル盤はカッティング時に不具合があったようで、結構な音量のハムノイズが聴こえるため、そのノイズが無いモノ盤の方を好む人が多いです。ただし、この頃のヴァンゲルダーはモノとステレオのマスターテープを別々に作っておらず、モノはステレオからの合成(フォールドダウン)でカッティングしているので、それ以前のブルーノートのようなモノ盤ならではの音質価値はそこまでありません。

この当時のImpulseレーベルは初回カッティングのみヴァンゲルダーが行い、それ以降はBell Sound社など外注に委託することが多く、このアルバムも初回生産以降にマスターテープがBell Soundに送られました。

Bell Sound社はまず受け取ったマスターテープを自社規格のテープにダビングして、オリジナルのテープは版元に返却するか保管しておき、カッティング作業には使いません。

ちなみにヴァンゲルダーは片面終わりのフェードアウトをカッティング時に手作業で行っていたところ、Bell Soundはダビング時に(つまりテープに)このフェードを追加したので、後年のCDでも、このフェードアウト具合を比較することで、どのマスターテープを使ってデジタル化したか違いがわかるという人もいます。

Bell Soundがカッティングした盤はステレオ盤でもオリジナル盤にあったハムノイズが無く、さらにヴァンゲルダーとは一味違った(もっと洗練された、荒っぽくない)サウンドなので、Bell Sound刻印のあるステレオ盤が最善だという意見の人も多いです。

その後Impulseレーベルの版権がDunhillに引き継がれるタイミングでオリジナルのマスターテープが破棄されて現存していないようです。残ったのはすでにカッティング用のEQやコンプレッサーを通した1971年のダビングテープのみで、これ以降の復刻盤はすべてこのテープを使っており、初CD化の際にもこれを元に作成したので、同じ場所にノイズが確認できます。

ところが、2000年台に入って、幸いイギリスで保管されていた60年代のコピーテープが見つかり、これは71年テープに施されたEQや不具合が無いため、2002年にはこの新たな発掘テープをデジタル化したものがデラックス版CDとして発売され、それ以降ハイレゾPCMや再販レコード盤もこのテープから再度マスタリングしたものが使われるようになりました。

といった具合に、A Love Supremeという一枚のアルバムだけを見ても、これだけ複雑な歴史があります。もちろん日本の国内盤など海外リリースも含めればもっと奥深いエピソードがあるでしょう。結局コレクター価値としてはヴァンゲルダー刻印のオリジナルモノ盤が良いのでしょうけれど、音質ではセカンドのBell Soundステレオ盤が良いかもしれませんし、最新技術を駆使したハイレゾPCMやSACD版がベストと感じる人もいます。

他の手がかり

他にもコレクターがよく使う手がかりとしては、ブリティッシュロックファンのあいだでは税率コードというのがよく話題に上がります。1973年に英国の消費税(VAT)が一本化されるまでは、贅沢品の商品ジャンルごとに税率が異なり、しかも販売時ではなく仕入れ時(つまりほぼ製造時)の税率が課税されるというややこしいシステムでした。

戦後から1973年まで数年ごとにたびたび税率が変わり、そのたびに税率コード(1961年7月26日~1962年4月10日がOT、同年11月26日までは ZT、など)が主にセンタースピンドル周辺や12時の位置に刻印されているので、それがオリジナル盤かどうかの判別に役に立ちます。

他には、レコード盤自体のプレス形状が手がかりになることもあります。有名な例としては、「溝有り」といって、ある時期までのレコードはセンターレーベル付近に深い溝(当時のプレス機で、剥離しやすいように必要だった)があるとか、もっと目立つ違いではフラットディスクというのもあります。

後年(左)と最初期(右)のHMV

初期(右)はエッジが盛り上がっていません

フラットディスクはその名の通り端の方まで平面の形状です。これではレコードを素のままで重ねたりジャケットに収納した際に盤面が擦れてしまうため、1954年にグルーヴガードというレコードの末端が若干盛り上がっている形状が登場しました。

こういった形状の違いは製造時期を見分けるヒントになりますが、同時に、古いレコードは後年よりも厚みがあって丁寧に作られており音質が良い事が多いため、そこから逆に「溝有り、フラットディスクだから音が良い」といった通説も生まれています。

赤いクリアーディスク

クリアーディスクやカラーディスク、後年にはピクチャーディスクというのもあります。単なるノベルティとしてだけでなく、初回生産のみの限定版で、それがオリジナル盤の証明になる場合もあります。

特に60年代以降はクリアーディスク・カラーディスクは「低品質なリサイクルビニールを使っていません」という証明の意味も兼ねていました。通常の黒ビニールとクリアーディスクで音質差があるかは諸説ありますが、私の経験ではなんとなくクリアーディスクのほうが硬く、傷やノイズが目立つような印象があります。ビニールに混ぜる軟化剤などの科学配合が違うからでしょうか。

プロモ・デモ盤

プロモ盤というのもたまに見かけます。リリース当時に関係者やラジオ局に配布されたレコードで、ジャケットにNOT FOR SALEとハンコが押されていて、センターラベルが手書きや白黒印刷の特殊デザインやハンコ入りである事が多いです。CDでも中古品でそういうのをたまに見かけます。何か特別な試作品というよりは、贈呈用として単なる転売防止処置みたいなものです。

プロモーションという性質上、リリース当時の初回プレスである確率が高いので、オリジナル盤のサウンド目当てなら探してみるのも良いかもしれません。

ただし枚数が少ないので明確な相場価値が定まっていない場合が多く、私の場合はリサイクルショップで偶然見つけたとか、ラジオ局の放出品が流れてきたというケースがほとんどです。

ところで、どうでもいい話ですが、プロモ盤のセンターラベルは一般的な製造ラインの熱プレスで圧着したラベルではなく、手で貼った紙シールである事が多いようで、普段の要領でレコード盤を水洗いや液体スプレーでクリーニングすると、みるみるうちにインクが溶け出してしまう、なんて事があるので注意が必要です。

海外盤

海外で発売されたレコードはオリジナル盤と同じ音がするのか、というのも面白い話題です。こちらも何通りかのパターンがあるので、明確な答えはありません。

母国レーベルが海外支部へマスターテープのコピーを郵送して、各国の拠点がそこに書いてある指示に従って独自にカッティングする、という流れが一般的です。大手レーベル直営の子会社ならば母国と同じカッティング機材を導入しているかもしれません。

もしくは、母国でカッティングして作った凹ポジティブ(マザー)から複数の凸スタンパーを製造して、それらを海外支部へ送るスタイルもあります。この場合は、盤上に刻まれている音溝は母国のオリジナル盤と同じになるので、海外支部でのプレス機材やビニール素材によって音質が変わるかもしれません。

大手レーベルでよくあるパターンとしては、スタンパーとコピーマスターテープの両方が海外支部に送られ、初回プレスは母国と同じスタンパーを使い、増産プレスはテープから独自にカッティングするという流れです。そうすれば初回発売のタイミングをあわせる事ができますし、以降の増産は各国の売上に基づいて独自に判断できます。

レーベルが国内生産拠点を持たず輸入に頼っていたような国(シンガポールなど)では、レコード盤そのものを本社から何百枚も輸入して、ジャケットやセンターラベルのみ現地版に挿し替えるという場合もあります。そうなると音質はオリジナル盤と同じということになります。

London盤はジャケがダサい事でも有名です

有名な例では、英国Deccaレーベルは米国ではLondonレーベルという名前で流通しており、それらはどちらも英国の製造拠点でプレスされ、米国市場向けにジャケットが変更され、レコードのセンターラベルもLondon用に貼り分けていました。

当時のDecca社員によると両者は同時に製造されたのだから音質の違いは絶対無いと主張しますが、やはり一部マニアはDeccaは音が豊かでLondonはシャープだ、きっと異なる製造工程なのだろう、ビニール素材がアメリカ向けに違うのだろう、などと持論を持っているようです。もちろん並行した製造ラインのプレス機械が違っていた可能性もありますし、同じ機械でLondonを1000枚プレスしてからDeccaをプレスしたなら、音溝の摩耗具合も違うかもしれません。時代や特定のアルバムによっても様々な差があるだろうと思います。

また、時代によって現地の契約レーベルが変わったり(有名なところだと国内版ブルーノートの東芝とキングレコードの違いなど)、海外生産拠点や市場規模が変わることで、母国からどのような形式のマスターが送られてくるかが変わる事もあります。

オーストラリア盤のレスターヤング

たとえば、イギリス原盤で、オーストラリアとニュージーランドだと、オーストラリアは市場規模が大きいのでコピーテープを送り自由にスタンパーを作れるようにして、一方ニュージーランドは規模が小さいのでスタンパーを送って一回きり2000枚をプレスするだけで済ませる、といった違いもあります。つまりオーストラリアは独自の感覚でカッティングしているため、イギリスのオリジナル盤の鳴り方に近いのはニュージーランド盤の方かもしれません。

また、変わり種としては、Deccaオーストラリア支部は一時期EMIオーストラリアの製造拠点にプレスを委託していたので、EMI仕様のプレス機材でDeccaのアルバムを作っていたなどのクロスオーバーもあり、レーベルごとの盤質やマトリクス刻印を見慣れているマニアほど「あれっ」と驚く楽しみがあります。

コロムビアのマイルスはイギリス盤の方が丁寧な音がします

HMV白金と同じ時代にVerveも作ってました

提携レーベルによる海外盤というのもコレクターにとっては面白い存在です。たとえば、イギリスEMIによってライセンス生産された米Verveのジャズとか、Decca・Vogue製のContemporaryなど、それぞれオリジナル盤とはカッティングのセンスというかサウンドの雰囲気が全然違います。

たとえばクラシックファンなら誰でも知っているHMVの白・金やコロンビア青・銀レーベルと同じ時代に、全く同じ設備で作られたVerveジャズ盤もあり、本場アメリカ盤とは一味違ったクラシックっぽい風格と丁寧な音質で楽しめます。

ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチ7番

ソ連のメロディヤなど、母国盤と西側諸国(EMIなど)のライセンス盤でサウンドの感触が極端に違うレーベルも悩みどころです。ショスタコーヴィチなどソ連盤の過激で鋭角なサウンドと相性が良い作品もあれば、プロコフィエフのバレエなどEMI盤の優雅な雰囲気が合っている場合もあります。

英HMVのメロディヤ

露メロディヤのPrestigeマイルス

EMIなど西側レーベルが「チャイコフスキーやショスタコーヴィチは本場ソ連の演奏に限る」ということで、わざわざ提携して販売していたのと同じように、ソ連のメロディヤからもマイルス・デイヴィスのジャズアルバムがライセンス製造されていたりしました。ソ連のクールなサウンドで作られたクールなジャズ名盤を聴くのも乙なものです。

オリジナル盤が非常に高価だから海外盤でひとまず手を打つ、という手もあります。上の写真のコーガンのブラームスはオリジナルが高すぎるため、復刻版や海外版を色々買いましたが、結局どれも鳴り方が違います。オリジナルに近いスケールの大きな鳴り方のWorld Record Club(通販専門レーベル)盤、2000年代に復刻されたTestament盤などありますが、個人的にはフランスSonopresse盤が独自の流麗な解釈で一番気に入っています。ただしジャケ絵がオリジナルと違うので敬遠する人もいるでしょう。

このように、海外盤に関してはあまりにも複雑な状況なので、オリジナル盤と比べて市場価値は低くなりがちですが、好きなアルバムなら色々入手して聴いてみる事で意外な発見があるかもしれません。

実際はもっと複雑です

これまでの様々なケースをまとめると大体こんなイラストになります。ようするにオリジナル盤の初回プレスという明確な道筋(赤矢印)がある一方で、他の用途の予備(緑矢印)や、初回以降にレコードを再度製造する場合の手段(青矢印)など、いくつも分岐点があります。

肝心なのは、セカンドプレスとか復刻盤と呼ばれているものは、青矢印のうちのどれから生まれているかによって音質が大きく変わってしまう可能性があるという事です。

オリジナル盤が最良ではない場合

私は50年代モノラル盤を主に集めているので、その頃のアルバムでは必ずしもオリジナル盤が音質面で最良とは限らない、というケースがよくあります。

12インチ盤独自のジャケットも魅力的です

悩ましい例としては、たとえば40年代に78回転盤、シングル盤、10インチ盤などでリリースされた曲が、50年代に12インチLP盤として再編されてリリースされた場合は、そちらもオリジナル盤として扱うべきか曖昧です。

ちょうど12インチLP盤が主流になってきた頃に音溝のマイクログルーヴ溝幅やRIAAイコライザーなどの業界基準が確立してきたので、近代のレコードプレーヤーで聴く場合はオリジナルの10インチ盤よりもその後の12インチ盤の方が聴きやすい、なんて事もあります。また、後年のCDリリースでは12インチ盤のジャケット絵を採用している事が多いので、そちらの方に親しみがあり魅力を感じる人も多いです。

まずは音溝についてです。オルトフォンのサイトなどに詳細がありますが、音溝は1958年に底の半径が7.5ミクロン(ステレオは4ミクロン)と統一されるまでレーベルごとにバラバラで、15ミクロンにもなるレコードもありました。

そういった古いモノラルレコードを最新のステレオ用の針(先端が6ミクロンの楕円形とか)で再生すると、針先が底をついてしまう事があります。そのため太いモノラル針でないとまともに再生できません。

普通のステレオ針をモノ配線にしただけでモノ専用カートリッジとして売っているメーカーも多いのですが、個人的にはオルトフォンやグラドなど、その点に考慮して、あえて鈍った針形状のモノラル盤専用カートリッジを作っているメーカーに信頼を置いています。

デンオンなど放送局用途の実績があるメーカーは、たとえば有名なDL-102やDL-103といった現在でも好評なカートリッジにも、あえて針先が17ミクロンの丸針を採用しつづけており、古いモノ盤でも底を突かずにしっかりトレースする能力があります。これが万人に定評のあるロングセラーの理由の一つかもしれません。

次に、フォノイコライザーの問題があります。RIAAカーブが業界標準に決まったのは1954年ですが、それ以前はレーベルごとにバラバラなカーブだったので、近代のフォノイコライザーを通すと本来の音になりません。

マトリクス末尾にRの追加刻印があります

デッカはそれ以前はFFRRカーブを使っていましたが、RIAA制定とともに旧作品をRIAAで再度カッティングし直しており、マトリクス刻印の末尾に「R」でRIAAリマスターである事を示しています。

もちろん全てのレコードが1954年に一斉にRIAAに切り替わったわけではなく、統一後でも古いEQカーブやマスター原盤を使い続けていたレーベルも多いです。

1955年くらいまでに世界中でほとんどのレーベルがRIAAに移行しましたが、ドイツ(TELDEC、DGGなど)はDIN規格が定着していたため(さらにノイマンのモノラルカッティングシステムはRIAAとDIN両対応を長らく続けていたため)、モノラル盤は末期までRIAAではなくDINを使っていたという説もあります。

各カーブごとに高音と低音で数dBの差があるので、たとえばFFRRやDINのレコードをRIAA EQでで聴くと高音がシャリシャリして薄く感じてしまいます。

最近はフォノイコライザーにデッカFFRR、DIN、コロムビアNABカーブなど複数切り替えられるのもありますが、肝心なのは、これは1950年代頃に作られたモノ盤のみに該当する機能であって、ステレオ盤に移行する頃にはRIAAに統一されていますし、後年に復刻されたモノ盤もRIAAでカッティングされています。

そのため、後年のステレオ盤やモノ復刻盤を再生しながら、やっぱりレーベルごとに正しいイコライザーカーブを使うと「本当の音」がする、なんて言うのは本来の意図とは違います。

ステレオとモノ

ステレオとモノラルの話が出てきましたが、中古市場を見ると、一般的にジャズはモノ盤、クラシックは逆にステレオ盤の方が市場価値が高いのが面白いです。ビートルズなどはステレオとモノがほぼ同等か、モノの方が若干高価です。

ジャズはステレオ盤の方が安いです

ジャズやロックは各演奏者の前にマイクを置いてマルチトラックで録音したものをスタジオミキサーで電気信号としてミックスしているので、当時の稚拙なステレオの仕上がりが作為的で違和感が拭えないため、モノの方が良いと感じる人が多いようで、私もその点については同感です。

クラシックのオーケストラでは指揮者の頭上にステレオマイク(XY Blumleinやデッカツリーなど)を設置して全体の音を収録したものを基本とした、生のコンサートホールと同じ聴こえ方を目指しているので、ステレオ版のほうが好まれます。

露メロディヤの10インチでステレオ盤なんてのもあります

ステレオ録音が始まった頃、デッカやRCAなどの大手レーベルは、モノラルはベテランエンジニアが手掛けて、ステレオはまだ実験的ということで若手にやらせて、マイクのセッティングからレコード盤のカッティングまで全く別工程、なんて事もあったようです。

そうなると同じ演奏でもサウンドの印象が全然変わってくるので、両方聴いてみたくなります。ジャズでもAtlanticレーベルなどモノとステレオで別々にミックスしており、採用テイクが違う事すらあります。

最近のハイレゾ復刻で、あえてステレオ版とモノ版を別々にリリースしている事があるのも、そういった理由があります。たとえばシナトラのOnly the LonelyハイレゾPCM版はステレオとモノを両方収録してあるので、聴き比べてみればサウンドの違いが一目瞭然で、モノラル需要が根強い事にも納得してもらえると思います。

60年代にステレオ録音が標準になってくると、どのレーベルもマスターテープはステレオのみで、モノ盤は単純にステレオの左右を合成(フォールドダウン)したものになり、最終的にモノ盤自体がカタログから消えてしまいます。デッカだとモノ盤の最後は1962年頃だと思います。

ブルーノートは1500番台ではステレオとモノが別ミックスで、1958年の4000番台からはステレオマスターからフォールドダウンでモノ盤を作っていると言われており、当時ヴァンゲルダーが手掛けた他のレーベルでも同様のようです。

ステレオ盤初期はステレオ技術についての説明がありました

ところで、モノラル針でもステレオレコードを再生できるのだから、なぜわざわざモノとステレオという二種類のレコードを販売していたのでしょうか。

3Dテレビが一時期流行って消えたように、当時はステレオという新しいギミックが普及するかどうかはまだ未知数でしたし、設備投資の面でもモノ版の方が安く量産できたので、とりあえずモノ版も作っておこうというレーベルが多かったです。

ステレオはモノの二倍の音を収録しているのだから、ギャラも二倍払え(つまり、その分ステレオ盤の値段を上げろ)と主張するアーティストもいたという逸話もあります。(実際は最初期以降はほぼ同額に落ち着きました)。

技術的な面では、まだ多くの家庭がモノラル再生のみのレコードプレーヤーを使っており、それらでステレオ盤を再生する場合のトラブルを懸念していたレーベルも多いです。

つまり、ステレオ盤の左右信号の溝の組み合わせによっては、モノラルの業界規格で想定している以上に急激な大振幅が発生する可能性があり、当時のモノラル用カートリッジやアームの性能では正確にトラッキングできず、本来意図した音になる保証がありませんし、最悪、針が溝から弾き出されてしまうこともあります。

初期のドイツ・グラモフォンはモノに限るという人も多いです

ステレオレコードを本格的に売り出したデッカやRCAなどと比べて、たとえばドイツグラモフォンの当時の回想録(50 Years of Stereo)によると、ステレオレコードの導入時には一般家庭のモノラルプレーヤーでの互換性配慮と、カッティング機材の限界から、ステレオミックスのEQやダイナミックレンジに制限をかける社内ルールを決めた事で、他社と比べてステレオ効果が見劣りする結果になってしまい、今となっては後悔しているといった話があります。

さらにカッティングエンジニアにとってもステレオ盤の作成は困難だったらしく、デッカの初代ステレオカッティングエンジニアのインタビュー(The Decca Sound)によると、モノと同じ感覚でカッティングするとカッターが共振して溝が乱れてしまうか、最悪カッティングヘッドを焼き切ってしまうため、十分なダイナミクス(溝振幅)を確保するためには、初期は全てハーフスピードでカッティングするなどの工夫が必要だったようです。

ようするに、デッカのFFSSやRCAのLiving Stereoなど、ステレオ初期に音質の良さで定評があった一握りのレーベルを除いて、多くのレーベルは等速でカッティングするためにモノ盤と比べてダイナミクスをかなり落としていたようなので、そうなるとモノ盤の方が抑揚がありエキサイティングに聴こえるという通説にも納得できます。

後年にカッティングマシンの性能が上がり、自動化技術が確立されていくことで、ハーフスピードというとMobile Fidelityなど高音質復刻レーベルのプレミアム扱いになってしまいましたが、初期には色々な試行錯誤があったようで、ステレオに関する入念な研究を行ってきたレーベルと急遽対応に迫られたレーベルでは、かなりの音質の格差があったようです。

ただし、これもまた単純な優劣ではなく「両方聴いてみたい」そして「モノ盤ならモノ専用針で聴いてみたい」というコレクター精神に火をつけてしまう、というだけの話です。

ジャケットの魅力

オリジナル盤レコードのコレクターの中には、ジャケット絵に魅了されて買い集めているという人も結構多いです。音楽には興味が無いけれど、まるで絵画のように、動物や風景など、特定のテーマのジャケットばかりを集めている、なんて人もいるくらいです。

蓄音機の78回転盤や、45回転ドーナツ盤シングル、そして最初期のLP盤の多くはジャケット絵という概念が無く、全て共通もしくは無地のジャケットで、センターラベルのみで判別していた時代がありました。これらが現在までコレクター価値が低いのはそういったビジュアルの乏しさも理由としてあるかもしれません。

ウォーホルのデザイン

私にとって、オリジナル盤のジャケットに魅力を感じる理由はいくつかあります。

まず、当時のジャズレーベルなどではイラストレーターや写真家に依頼している事が多く、「レーベルの顔」として、その時代を象徴するアイコンになっているケースがあります。ジャンルを問わず、アンディ・ウォーホルが手掛けたジャケットなんて有名です。

やっぱりブルーノートはカッコいいです

有名なところでは、ブルーノートのReid MilesとFrancis Wolffのコンビによる大胆なスタイルが広く知られていますが、私自身は長年Verve系のジャケットを担当していたDavid Stone Martinの粋な芸術性や、Roostなどで見られるBurt Goldblattの活き活きとした表情が大好きです。

Goldblattのイラストは迫力があります

David Stone Martinのイラスト

特にVerveのDavid Stone Martinは、本当に当時のジャズ文化と密接に関わっていた事が伝わってきます。アルバム一枚一枚、リーダーやバンドメンバーの個性的な性格や雰囲気がとても鮮明に表現されており、音楽の情景というものを見事に描いています。

デッカのモノラルは凄いです

もう一つ個人的に大好きなのは、デッカのモノラルクラシックのジャケットです。オールカラーや写真印刷といった技術を使わず、二色や三色の限られたベタ塗りのみを駆使した版画のような作風が印象的です。

これらが好きな理由は、ただアーティストのアップ写真を貼り付けるだけではなく、たとえば上の写真にある弦楽四重奏やシューマンの歌曲集など、各アルバムの内容を芸術的に表している事です。これを何百枚も新譜を出すたびにやっているわけですから、そのデザインセンスが凄いです。

バカっぽい遊び心がContemporaryらしいです

厳選されたジャズレーベルを目指すImpulseらしい風格です

薄暗い写真と空色と白黒の告知のようなタイトルが複雑な感情を生みます

ピアノでのフレーミング、右手ベタのアクセント、弾むようなレタリング

他にも、特にジャズはパッと見ただけでどのレーベルかすぐに判別できる、一貫したデザインのおかげで、内容を問わずシリーズを通して集めるコレクターが多いです。

レコードというのは店頭のラックでパタパタと倒しながら物色するものですから、大抵はジャケットの一番上の見やすい部分にタイトルを置くのですが(ドイツ・グラモフォンの黄色い枠とか)、ジャズの場合はデザイン勝負で、買う側がわかってくれるのを期待しているようなアプローチなのが面白いです。

東海岸Contemporaryのスカッとした遊びのあるデザイン、Impulseのゲートフォールドで重厚な高品質イメージ、Prestigeの侘び寂びの哀愁、Verve/Clefの熱のこもった本物っぽさなど、見ただけでどんな音楽が流れてくるか想像できそうです。

そんなレコードジャケットの芸術性は理解できるけれど、再販盤で良いのではないのか、それがオリジナル盤となんの関係があるのかと疑問に思う人もいるかもしれません。

当時はこういった画像をデジタルデータで保管してあったわけではありませんから、デザインの原本は破棄されて、写真に収めたネガフィルムが残っているだけの場合が多いです。特に海外盤や復刻盤でよくあるパターンとして、レーベルから送られてきた小さなフィルムを拡大鏡で撮影してジャケット印刷に使っており、レンズの歪みや、ぼやけていたり、色が潰れていたりなど、パッとしない結果になりがちで、再販盤ともなると低価格になるので紙質も悪かったりします。

普段見慣れているアルバムジャケットでも、オリジナル盤を手にすると、色合いの鮮やかさやエッジの解像感、グラデーションなど、全体的にカッチリとしていて風格があるというか、全く別物のように思える事もあります。浮世絵版画のコレクターと同じ感覚なのかもしれません。

最近のCDやストリーミングでも、大手レーベルですらオリジナルのジャケット絵が現存しておらず、適当なレコードやCDジャケットを写真撮影しただけの画像を利用しているケースが結構多いです。私も手持ちのレコードジャケットをスキャナーでデジタル化したいと思っているのですが、ジャケットはA3用紙サイズよりも若干大きいため手軽にスキャンできません。

タバコの汚れでしょうか

値札は本当に困ります

ジャケットのコンディションというのも、中古盤コレクターの悩みのタネです。

私の場合はディスクの状態さえ良ければジャケットがボロボロでも渋々買うのですが、新品同様のコンディションしか許さないような人もいたりして、一般的な査定グレード(NM Near Mint、EX Excellentなど)も曖昧なので、中古で売買する時などはトラブルの原因になりやすいです。長年コレクターをやっていると、大体これくらいのダメージは想定内だという感覚が掴めてくるのですが、初心者ほどそういった知識が無いため、角が若干潰れているだけで敬遠したりします。

また、購入後はまず一旦カビ対策をしないと、収納後に他のジャケットにカビが伝染る事があるので(昔それでレコード一箱台無しになりました)、そこまで大切でないアルバムでもクリーニングは大事です。

ラミネート加工だと、一見みすぼらしくてもタバコの汚れを除去したら新品同様の綺麗なジャケットが蘇ったりして嬉しくなることもあります。その逆で、値札シールのせいで破れてしまったり、前のオーナーが良かれと思ってエッジに貼ったセロテープが経年劣化でボロボロになっていたりなどがよくあります。

ちなみにどうしてもテープを貼り直すなどで修正したい場合は、図書館などで使われる、長期保存用の高価なクリアテープが手に入るので、そういうのを使うべきですが、できれば底抜けでもそのままの状態で保存したいです。私の場合、盤はジャケットの外に別のスリーブに入れて保管しています。

Mercury/EmArcyはこれが起こります

レコード盤は良好なのに

Mercury/EmArcyレーベルは当時ラミネートに使った接着剤が悪かったらしく、ほとんどの場合、上の写真のように散々な状態になっています。

すばらしいジャズの名盤が沢山あるのに、中古市場であまり見ないのは、こういった事情もあります。今なら我慢できるコレクターが多くても、当時はこんな状態だと売れないからと破棄されただろうと思います。

ちなみにこのラミネートの浮きを綺麗に修正するテクニックというのをいくつか教えてもらったのですが、どれを試しても上手く行きませんでした。誰か良い方法を知っている人がいたら、ぜひ教えてください。

通販レーベルの注文シート

もう一つ、オリジナル盤コレクターの隠れた余興として、中身のチラシというのがあります。

インナースリーブに当時の売れ筋アルバムの広告を印刷してあったりなど、それも含めてオリジナル盤の必要条件として固執しているコレクターも多いです。

他にも、たとえば上の写真のConnoisseur Societyは通販レーベルで、個人的に大好きなのですが、なかなか全貌がわからず苦労していたところ、とある一枚に通販カタログのオーダー表が封入してあったおかげで、他にどんなアルバムが出ていたのか把握できました。

他にも、オーナーが裏面にボールペンで「Very Good」とか独自の批評コメントを書いていたり、熱心なマニアが一曲ごとの時間を測って書き込んでいたり、クラシックだとよくあるのが、当時の新聞のレビュー切り抜きだとか、オペラの公演パンフレットが入っていたり(レコードを買った人が思い出として入れていたのでしょう)、他にも、ナショジオのイルカの声のソノシートが入っていたり、スカとかレゲエのアルバムに謎の乾物のビニール小袋が入っていて焦ったりなど、当時の情景が伺えるのが面白いです。

オリジナル盤の意味

今回は、レコードマニアがそこまでオリジナル盤にこだわっている理由が、単なる骨董品収集ではなく、特別なサウンドを求めているという事はなんとなく理解してもらえたら幸いです。

肝心なのは、これは1960年代の古いアルバムに限った話ではなく、2022年のアーティストの新譜でも全く同じ事が当てはまるという点は意外と見落としがちです。

現代のアーティストのアルバムでも、優れたカッティングエンジニアが手掛けたレコードであれば、将来の復刻では決して真似できないような一期一会の特別なサウンドが体験できるかもしれませんし、一枚プレスするたびにスタンパーが摩耗するため、無限に量産することは不可能です。

しかも、2022年に新譜をレコード盤で出すとなると、全盛期の頃ほどオートメーションや大量生産のコストダウンを目指していないため、むしろ1960年代のような職人技に先祖返りしています。数千枚の初回ロット売り切り限定盤という手法も、まさに「オリジナル盤」を手にしているのと同意義です。もしかしたら近年のレコードブームで発売された作品も、数十年後には復刻盤と比べて断然音が良いとマニアで議論されるようになるのかもしれません。(もうすでにそういう兆候があります)。

一昔前のレコードコレクターであれば、手に入れたアルバムが凄いサウンドだったので、調べてみたら偶然オリジナル盤だった、というところから興味を持った人が多かったでしょうけれど、現在はネットの情報が先行して、多くの人が聴き比べる前に頭の知識の方が先行して価値を決めつけるような逆転現象が起こっているような気がします。

結局のところ、私にとってオリジナル盤の価値というのは、プロデューサーやアーティストが意図した通りの「当時のファンが聴いたサウンド」を体験してみたいという欲求が一番強いです。

こういうのも復刻してもらいたいです

また、音質の話とはちょっと違いますが、売れ行きが芳しくなく、初回プレスのオリジナル盤以降忘れ去られてCD化すらされていないアルバムも意外と多いです。

近年のサブスクリプションストリーミングサービスを使っていて、世界中の全ての音楽が手中にあるような気がしても、実際はそれらでは聴くこともできない音楽もまだ沢山あります。

手元にあるレコードやCDを今買い直そうと思っても、ストリーミングやダウンロードショップでは一切見つからないということがよくあります。マスターテープやデジタルデータはどこかにあるとしても、需要が無いから再販されないか、アーティストの親族や版権元のOKが出ないから死蔵されているというケースです。

ヨーロッパでは、1950年代の多くの作品がようやくパブリックドメイン化に差し掛かった事で、そういったマイナー盤が非正規でデジタル化されることも増えてきました。しかし、それらの音源の出処はバラバラで、音質も芳しくないものが多いです。パブリックドメイン化しても、版権元がマスターテープを厳重な倉庫の中に死蔵していたら手も足も出せません。そうなるとオリジナルレコードを入手して、それで聴くのが最良の手段になります。このあたりが、小説の青空文庫との大きな違いです。

ところで、オリジナル盤の音がそんなに良いのなら、そのレコードを再生してデジタル化すれば良いのでは、と思うかもしれません。ソニーのDSD録音対応レコードプレーヤーなどで独自に行う人もいれば、Naxosのクラシカルアーカイブシリーズのようにレーベルがデジタル化して販売しているものもあります。

残念ながら、前回ブログで書いたように、レコードというのは再生する時(つまり音溝を電気信号に変える工程)が音質への影響が一番大きいので、なかなか皆が満足できるような工程に一本化できないのが難点です。

たとえば今、自分のレコードプレーヤーを使ってDSDとかでデジタル化したとしても、数年後にもっと優秀なプレーヤーやカートリッジ、フォノアンプなどにアップグレードしたら、もう一度デジタル化したくなり、キリがありません。

フランスの国立図書館(BNF)は実際に版権切れのレコードを有志がデジタル化することでアーカイブ化する試みを行っており、Qobuzなどでそれらの多くが公開されています。日本でもやってくれればマニアが喜んで貢献すると思うのですが、利権団体が許さないでしょう。しかし実際のところ、下手なレコード再生環境でデジタル化したファイルを提出しようものならマニア勢から非難の集中砲火を食らうので、それこそLyraや光悦とかの100万円もするような高級カートリッジを使わないとお話にならない、といったギスギス感もあります。

前回も話したように、レコード盤の音溝の情報量を超えるほどの高解像3Dスキャナーでも生まれない限り、誰もが納得する形でデジタルアーカイブ化するのは困難だと思います。複製不可能な希少性というのもレコードの魅力なのでしょう。

おわりに

これまでアナログレコードについて三回にわたって適当に思いついたことを書いてきましたが、多少でも参考になる内容でも見つかれば幸いです。

結局何が言いたかったのかというと、レコードというのは、技術的には大きな問題を抱えながらも、そこから生まれるサウンドは人々を魅了しつづけている、という話です。

アーティストがマイクで録音して、それを我々がスピーカーやヘッドホンで再生するという一連の工程自体が不確定要素で溢れているわけですから、レコード再生もその工程の一つにすぎず、測定スペックやセオリーだけでレコード再生を敬遠しているのであれば、もったいないです。

レコードからCDに移行した事で、歪み率などの測定スペックが飛躍的に進歩したことは事実ですが、それと逆行するように、現在のレコーディングスタジオを見れば、ビンテージの真空管マイクや真空管コンプレッサーなどの録音機器が多用されるようになりました。そして音楽を聴く我々オーディオマニアも真空管アンプなどを欲しがるようになりました。

つまり、人々は潜在的に、測定の完璧さよりもむしろ歪みや響きによる音色の演出や美音効果に魅了されており、優れた録音作品というのは、実物に近づけるのではなく、リスナーにそれ以上の感動を与えるような、作品としての味わい深さを引き出してくれます。正確な写真よりも抽象的な絵画を眺めたほうが感性に響くというのと共通しているのかもしれません。

もちろん高画素の写真作品に感銘を受けるのと同じように、オーケストラの超ハイレゾDXD録音なんかも解像感や空間展開の精巧さなどで圧倒的な体験が得られますが、60年代のレコードの鮮烈な美しさや演奏者の魂が感じ取れるような気迫も代えがたい体験です。

では、レコードのデメリットはあるのかというと、やはりコスト面でのハードルの高さが一番の障害です。デジタルデータであればスマホやパソコンに数万円のUSB DACアンプを接続するだけで最高の音楽を楽しめます。

ほとんどの人にとっては、それで十分だと思いますし、初めて買うオーディオ機器なら、私もまずはそちらを勧めます。しかし一旦オーディオマニアに足を踏み入れて、謎のケーブルやオーディオグレードの電源タップとかに何万円も払う余裕がある人ならば、一度はレコード再生に興味を持って聴いてみることをお勧めしたいです。