2021年7月31日土曜日

Moondrop 水月雨 S8 & Chaconne のレビュー

 水月雨のイヤホンSolution S8とChaconneを買ったので感想とかを書いておきます。

Solution S8 & Chaconne

日本ではどちらも2020年4月頃に発売、S8は約8万円の8BA型IEMイヤホンで、一方Chaconneは3万円程度の今どき珍しい古典的なスタイルのダイナミック型イヤホンです。

水月雨

水月雨(Moondrop)はここ数年間で日本に怒涛のように押し寄せている中国イヤホンメーカーのひとつで、それらの中でも数千円~数万円程度のモデルを多数展開している中堅ブランドです。

このブログでは中国のイヤホンメーカーを紹介する機会があまりなく、今回は極めて珍しいです。あえて敬遠しているわけでもないのですが、いくつか理由はあります。

まず第一に、実際かなりの数の新作を試聴してはいるものの、それらの大半はサウンドが凡庸すぎて、とりわけ書くことが思い浮かばない、というケースがとても多いです。音が悪いというわけでもなく、そこそこ鳴ってくれるわけですが、あえて取り上げるほどの事でもありません。最強コスパのイヤホンを探せ、なんて企画なら面白いかもしれませんが、そういう記事はすでにネットや雑誌に沢山あります。

また、近頃のFiioとかiBassoなど大手を見てもわかるとおり、商品展開やモデルチェンジのペースが速すぎて、発売して数ヶ月もせず廃番で新型が登場ということが多々あるので、私みたいに何ヶ月もかけて試聴していると、感想を書いている時点でもう遅かったりします。日本のメーカーのように開発に数年かけて、一旦発売したら数年間は売り続けるという考え方とは真逆の、中国らしいフットワークの軽さがかえって仇となっています。こういった古臭いブログよりも、Youtubeやソーシャルメディアでの話題性や瞬間風速を狙っているのでしょう。

また、ここ数年でようやく日本でも輸入代理店による国内流通が増えてきましたが、それまではグレーな個人輸入に頼らざるを得ず、それこそ中国と海外で値段が数倍違ったり、転売で値段が釣り上がっていたり、注文したのとは違う仕様のモデルが届いたりなど、ギャンブル性が高かったです。

そして、これは一番の問題だと思うのですが、一部のメーカーはいわゆるステマというか「返送不要の試供品」などを見返りにレビューを依頼している例が多いため、私はそういうのを意図的に避けています。メーカーと連携をとって一時的に試聴機を借りるのであれば問題無いと思いますが、よくアマゾンなどで問題になっているキックバックを前提としたレビューなど、中国の新興ブランドから結構な頻度でオファーが来るので、そういうのは問題だと思います。

そういったステマレビューというのは、ごく一部の著名なレビュアーのみの話だと思っている人も多いかもしれませんが、私みたいなマイナーな個人ブログとか、中国や英語圏ではSNSや掲示板で書き込みが多い人とかにもDMでコンタクトをとって大量に試供品や商品券をバラ撒いているメーカーが多いです。

このブログはあくまで私が個人で買ったものか、借り物や店頭の試聴デモ機のみを扱っているので、どうしても大手ショップでいつでも買えるような有名ブランドに絞られてしまいます。

そんなわけで、私は以前からMoondropという英語名の方が慣れているのですが、最近日本で正式に流通するようになって水月雨という方の名前をプッシュしているようなので、そう呼びますが、この水月雨はイヤホンに特化したブランドで、数千円台からの比較的低価格なモデルを多数展開しています。

これまでも何度かDrop (Massdrop)やeBayなどで購入してみて、安いなりにそこそこ真面目に作っているな、という印象はあったのですが、だんだんと成長するにつれて独自性が際立ち、面白い会社になってきたように思います。ただし、他の中国メーカーと同様に、ラインナップ刷新のペースが速すぎるのは困ります。

Chaconne

とりわけChaconneというモデルは最近では珍しい古典的なイヤホン形状で、大口径液晶ポリマー・ポリウレタン複合振動板のダイナミックドライバーに、NC切削チタンハウジング、しかも値段は3万円程度ということで、個人的に興味が湧いて発売時に購入しました。

なぜ興味が湧くかというと、ハウジングのチタン加工だけをとっても、それなりの技術力と製造設備がないと安易に実現できるものではありません。(近場にハイテク加工業者とかでもいるのでしょうか)。

一般的な新興イヤホンメーカーの多くは、適当に出来合いのドライバーを業者から買い付けて、レジンキャストか家庭用3Dプリンターでシェルを作って組み込むだけで、あとは派手なフェイスプレートでも埋め込めば、数十万円のハイエンドモデルとして販売できます。ステマで釣って数人の上海の大富豪に売れれば、それだけで元が取れます。

そこをわざわざチタンNC加工などの労力をかけて、しかも古臭いイヤホン形状という明らかに売れ行きが望めないニッチ商品に、ここまで力を入れている企業精神が面白いです。しかもChaconneは単なる一発芸ではなく、真鍮製のLiebesliedという前身モデルがあって、それを踏まえた上で後継機としてこれを出しているというのも、謎の意気込みを感じさせます。

Solution S8

一方、Solution S8というモデルは一般的なマルチBA型イヤホンで、8BAで7万円台というのは他社と比べても良心的な価格設定だと思います。

こちらはまさに上で述べたような「出来合いのドライバーを買い付けて組み込むだけ」に該当するモデルと言えるかもしれませんが、私の身の回りでサウンドについて好意的な意見が多く、しかもBAドライバーの選定やシェルの品質などもこだわっているようなので、せっかくなのでChaconneのような突飛なモデルとは別に、正統派イヤホンの実力はどんなものかと気になって買ってみました。

S8は数年前にA8という前身モデルがあって、それの改良版というかバリエーションとして登場しています。一旦作ってみてから市場の評価をもとに改良版を出すというのは中国メーカーによくある手法ですが、今回ChaconneとS8のどちらもそういった二世代目のモデルにあてはまるようです。

Chaconne

Chaconneのチタン切削ハウジングは加工精度のクオリティが非常に高いです。表面処理や角の丸め方など、普段こういった加工については口うるさい私でも、Chaconneに関しては文句なしに高品質だと思います。イメージとしては昔のFinal Audioピアノフォルテとかを彷彿とさせます。

素晴らしいクオリティです

加工だけでなく、ステムの曲線の引き方や、黄銅のグリル部分の嵌め合い、質感の統一感など、デザインから素材選びに至るまで、とても上質です。デパートでハイブランドのアクセサリーとして販売しても違和感ありません。

ちなみに試聴時に多くの人が困惑する点として、左右の表記が無く、その代わりにケーブルステム部分にくびれがある方が左です。一度慣れてしまえばこの方が手触りで判別できるので便利です。

パッケージ

パッケージはオリジナルキャラのイラストが目立つので、ちょっと人を選ぶというか、店頭では買いづらいかもしれませんが、嫌味ではないので悪くないです。

中身

付属ケース

中身の紙箱は綺麗に仕切り分けされており、付属のマグネット式の収納ケースも大きすぎず小さすぎず絶妙なサイズで使いやすいです。

付属品

なぜか名刺みたいなのが大量に入っていて、ここでもアニメ風のイラストが主張していますが、イヤホン本体は至って硬派なので、その不思議なコントラストが面白いです。(日本だったら、アニメ路線だと必ず取ってつけたような変なタトゥープリントとかで安直な本体デザインになりがちです)。

他には、グリル用のスポンジが大量に入っています。90年代のイヤホンには必須アイテムだったので、当時は家電店とかでも色々なタイプの交換スポンジが購入できたのですが、最近ではなかなか見なくなりましたね。使っているうちに破れたり紛失しやすいので、多いに越したことはないですが、ここまで大盤振る舞いだと逆に笑ってしまいます。

いわゆるイヤホンです

肝心の装着感は、いわゆる古典的なイヤホンなので、各自の耳形状によって個人差は大きいと思います。Appleの初代白いイヤホンとかもこういう形でしたが、もはやそれすら使った経験がある人の方が少数派かもしれません。

このイヤホンはドライバーの背面に大きな通気孔がある開放型設計なので、装着時には耳穴の前にそっと置くような感じで、ぴったりと密閉させる必要はありませんし、そもそも遮音性は皆無です。

耳栓のような閉鎖感はありませんし、まるで何も装着していないかのような開放感が最大の売りです。実際に数十分音楽を聴いていると「あれ、今イヤホンを装着してたっけ?」と混乱することがあるくらい開放感があります。

スポンジを装着

ただし、残念ながら私の耳ではフィットはあまり良くありませんでした。本体がチタンで重いので、スポンジを装着した状態でも動くと自重で脱落しやすいです。グリルがもう一回り大きければよかったのですが、それだと耳が小さい人では困るでしょう。今更ながらIEMイヤホンのシリコンイヤピースの存在意義をつくづく実感します。

昔のソニーイヤホンとかだと、スポンジの代わりに外周にゴムのリングを装着して直径を調整するような方式もあったと思うので、できればChaconneにもそういうのがあれば良かったです。スポンジを重ねてみるのも良いかもしれません。

そこまで乱暴に頭を動かさなければ脱落する事はありませんが、出音面が耳穴に対して傾いてしまうとステレオイメージがおかしくなるので、ちゃんと音楽を聴くためには頭をまっすぐにして、なるべく動かないように努力することになります。あくまで私の耳での感想です。

そもそもChaconneを買ってみた理由の一つとして、比較的薄手で耳穴への圧迫感や密閉感が無いので、夜寝るときにBGMとして使えそうだと期待していました。ところが横になった瞬間にイヤホンが脱落するので、この目論見は失敗でした。そんなわけで、Chaconneはカジュアルではあるものの、実用上は使えるシーンが限られるようで、かなりニッチなモデルです。

直付けケーブル

Chaconneのケーブルは着脱不可の直付けで、購入時に3.5mm・2.5mm・4.4mmのどれかを選ぶ必要があります。私はどれでも良かったのですが、ちょうど在庫があった4.4mm版を購入しました。

このあとに登場したIlluminationというイヤホンではプラグ先端が交換できるタイプのケーブルを導入しているので、Chaconneもそうしてもらえれば在庫管理の面でも良かっただろうと思います。

線材自体はそこそこ上質な感じで、柔軟でツルツルしていて、絡まる心配はありません。スペックには「24AWG単結晶銅リッツ線&銀メッキOFC遮断層」と書いてあります。ちなみに単結晶銅というのはOCC銅の中国での名称で、その影響で最近では日本でもそう呼ばれることが多くなりました。それと、水月雨はSoftearsという兄弟ブランドと技術を共有しており、このChaconneのケーブルはそちらのイヤホンでも使われています。

着脱交換ができないので、ケーブルによる音質への影響はなんとも言えませんが、柔軟でタッチノイズも少なく、扱いやすいケーブルです。ただしイヤホンのステムにはゴムのグロメットなどが無くて直角に曲がってしまうので、この部分の断線がちょっと心配です。上下を逆転して耳掛け式で装着することも可能ですが、ケーブルが直角に曲がるので止めたほうがよさそうです。

Solution S8

Chaconneとは対象的に、Solution S8はマルチBA型イヤホンとして見慣れたカスタムIEMっぽいシェルデザインです。

写真で伝わると良いのですが、シェルと内部構造の作り込みが大変美しいというのが購入した理由の一つです。

透明感が凄いです

まるでクリスタルのようにプラスチックの透明感が非常に高く、ドライバー配置や内部配線の取り回し、出音ダクトのレイアウトなどが丁寧に組み上がっており、しかもシェルの曲線によるレンズ効果で内部が拡大して映し出されるのはとても新鮮で魅力的です。

他のメーカーではBAドライバーを輪ゴムで束ねて接着剤で固めたような雑なモデルも多い中で、Solution S8は私がこれまで見てきたハイエンドイヤホンの中でも、仕上がりの美しさという点では一番優れています。

レンズのような効果が美しいです

もちろん音質さえ良ければ外観なんてどうでもいい、という人もいると思いますが、ここまで丁寧な作り込みを量産体制で維持するためには、適当な組み立て工場では到底不可能ですから、それだけ品質管理に自信を持っているメーカーだというのは良いことだと思います。

さきほどのChaconneのチタン削り出しとは全く異なる製造技術なのに、どちらも製造品質が異常に高く、しかも他社と比べて値段がそこまで高くないという点に好感が持てます。

近頃は掃き捨てるほど多くのマルチBA型イヤホンがある中で、ネットで写真を見て購入する人も多いでしょうから、こういった品質の高さというのは他社を一歩リードするためにも大事な要素だと思います。

クロスオーバー回路が見えます

中身のBAドライバーはLow×2、Mid×4、High×2の8基で、3WAYクロスオーバー回路基板も確認できます。各帯域ドライバーごとに異なるメーカーから吟味してチューニングしているのが売りのようです。

他社のマルチBA型と比べてユニークな点として、中域ドライバーはSoftears製の特注品を採用しているそうです。水月雨とSoftearsはどちらも中国成都にあり、経営は異なるものの、開発スタッフや製造ラインをある程度共有している兄弟ブランドみたいなものなので、こういった横のつながりがあるようです。Softearsの方がもうちょっと高級な価格帯なので棲み分けしているのでしょう。

パッケージ

中身

パッケージはChaconneと同様にオリジナルキャラのイラストが目立ちます。こちらの方が高価なのにパッケージが小さいのが面白いです。

付属品

中身は意外と簡素で、収納ケース、ケーブルとイヤピース各種、そして最近あまり見なくなった機内アダプターです。

UE-RRと比較

シェルのサイズは一般的な部類で、似たようなデザインのUltimate Earsと並べてみると若干小さいくらいです。ただし厚みが結構あるので、枕で横になって使おうと思ったら耳が押されてダメでした。

装着感に関しては、これといって問題はありませんが、かなり密閉感があり遮音性が高いので、耳が詰まる感じがするかもしれません。外部騒音の遮音性はUltimate Earsと同等くらいに良好なので、外出時に使うには良さそうです。

同じようなIEMイヤホンでも、たとえばUnique Melodyや64Audioなどのように通気孔があるデザインの方が挿入時の圧迫感が少なく、イヤピースの密閉具合による音の変化も少ないので、私としてはそちらの方が好みです。ただし遮音性優先ならS8の方が有利です。

付属イヤピース

Finalと比べるとかなり太いです

S8のデザインで一つだけ不満点があるとするなら、付属イヤピースを見てもわかるとおり、ノズル部分が他社よりもかなり太く、しかもイヤピースを固定するための引っ掛かりが無いため、着脱時にイヤピースが滑って脱落しやすいのには困りました。Ultimate Earsのような段差や切れ込みが欲しかったです。

Finalだと滑って外れてしまいます

密閉型デザインなので、とくに低音の量感や鳴り方がイヤピースによって大きく左右されます。付属イヤピースはあまり好みではなかったので、色々と試してみた結果、Finalのやつがフィット感と低音の小気味よい弾力とでベストだったのですが、イヤホンを外す際に、毎回イヤピースがスルッと抜けて耳穴に残ってしまいます。そもそもFinalのをノズルに装着して置いておくだけで、シリコンの反発で勝手にツルッと外れてしまうくらいです。

FinalよりもAZLA Sednaの方が外れにくいようで、さらに私のUltimate EarsではSedna Xelastecタイプを愛用しているため、そちらも試してみたところ、音質面でS8との相性が悪いようでした。Sednaは内径が広く、出音ノズルが鼓膜間近に迫るため、中高音がうるさく低音が出てくれない印象です。同じく内径が広いJVCスパイラルドットなども同様です。

やはりS8は付属イヤピースやFinalのように内径が狭いタイプのイヤピースの方がバランスよく鳴ってくれるようで、特に低音の質感はイヤピースの素材、長さ、内径でかなり敏感に変わります。試聴時に低音が多い・少ないと感じたなら、色々なメーカーのイヤピースを試して、自分の好みにあったサウンドにチューニングできるのはメリットとも言えます。

今回はRadiusのが一番良かったです

結局、着脱時に外れにくく、フィット感が良く、サウンドにも満足できるイヤピースとして自分にとってベストだったのはRadiusのディープマウントイヤーピースでした。Finalほど弾力のある低音ではありませんが、こちらのほうが深みや厚みがあります。

このRadiusのやつは独特の樽型形状が耳穴に面接触してくれるらしく、実際確かにホールド感が高いわりに圧迫感が少ないです。最近は色々なアイデアやギミックを主張するシリコンイヤピースが出ている中で、ちゃんと宣伝通りの効果が実感できるというのは珍しいですし、値段も安いので、もうちょっとストックしておこうと思います。

他にも、Acoustuneの白いやつも外れにくくて良かったです。こちらのほうが低音は軽めで中高域がうるさくなる感じなので、Radiusの方がバランスが良く感じました。

付属ケーブル

こんな感じです

ケーブルは一般的な2ピンタイプで、4N-OFCのリッツ線だそうです。Y分岐にオリジナルのパーツを使っているのは良いですが、分岐後の調整スライダーが無いのはちょっと使いづらいです。

柔らかく細めで、音質面でも社外品ケーブルと比べても遜色無く、よく高級イヤホンにありがちな「どうせケーブルアップグレードするんだろう」と言わんばかりの粗悪な付属ケーブルと比べればずいぶんマシだと思います。

Effect Audioを装着

Effect Audioのケーブルに交換した方が高音のディテールは良くなりましたが、そもそもS8自体のサウンドが個性的なので、ケーブルによる音質差はそこまで目立ちません。そのあたりは、以前試聴したゼンハイザーIE900とかとは対照的です。

ところで、余談になりますが、水月雨に限らず中国のイヤホンメーカーというのは総じてケーブルの線材が金だ銀だ単結晶だという話にはこだわっているのに、なぜか絶縁体の素材に関しては全然こだわりが無いのがいつも不思議に思っています。

今回のS8とChaconneも、本体がとても美しいのと比べると付属ケーブルはそこまで高級感が無いビニールっぽい質感なので、商品としてのバランスが悪く感じます。

日本でも90年代くらいに7N OFCだPCOCCだ金だ銀だと盛り上がりましたが、実際は金属導体だけでケーブルの性能が決まるわけではないという事がオーディオマニアの間で広く認知されるようになってからは下火になりました。特にイヤホンの場合は微小信号ですので外乱やクロストーク耐性など導体とは無関係な部分が重要です。

実際に一流ケーブルメーカーを見ると、独自のレイアウトや、発泡コアやFEPなど異なる特性を持つ半導体や絶縁体を何層にも重ねるなどの設計を重要視しています。逆に、導体に高価な貴金属を使う程度しかできないケーブルメーカーだと、高価なケーブルになるほどむしろエキゾチックな素材の音でクセがついてしまいがちです。

どんなに高級そうな新作イヤホンを手渡されても、S8やChaconneのようなビニールっぽいケーブルを一目見ただけで「またいつもの中国の工場のやつか」とすぐにわかってしまうので、その点は中国のイヤホン業界全体がかなり損をしていると思います。

インピーダンス

ChaconneとS8のインピーダンスを測ってみました。

参考までに、Chaconneに対するダイナミック型イヤホンの一例としてFiio FD5を、そしてS8に対してマルチBAの一例として64Audio U18tのグラフを重ねてみました。

ダイナミックドライバーのChaconneはインピーダンスが全帯域でほぼ一定で、マルチドライバーのS8はドライバー間のクロスオーバーのために上下しているのはセオリー通りですが、思ったほど変動が激しくありません。

Chaconneはチタンハウジングなので、もうちょっと共振などがあると思ったら、Fiio FD5と比べても意外なほどにフラットです。出音ノズルが無いためでしょうか。公式スペックの24Ωでぴったりです。

一方S8のスペックは16Ωで、22kHz付近で10Ωにまで下がっていますが、可聴帯域全体で急激なアップダウンが無いのでアンプへの要求はそこまで高くなさそうです。それと比べるとU18tはかなり強烈ですね。18BAで多くのドライバーを並列化しているのでインピーダンスが極端に低くなってしまいます。

同じグラフを位相で見ると、もっとわかりやすいです。±45°ではU18tは見切れてしまいました。

高価なイヤホンでドライバー数が増えるごとに正確な駆動が困難になり、アンプによる音質差が顕著になって、高価なアンプを求めるようになる、というイヤホンマニアの沼というか、負のスパイラルが予見できるようなグラフです。その点S8は価格設定もインピーダンス特性も良心的です。

音質とか

公式サイトによるとChaconneは24Ω・124dB/mWと書いてありますが、実際そこまで感度は高くないはずなので、dB/Vrmsの間違いでしょうか。(それなら108dB/mWくらいになります)。S8の方は16Ω・122dB/Vrmsと書いてあります。

S8は一般的なマルチBA型イヤホンと同程度に鳴らしやすいので、普段使っているHiby R6PRO DAPで問題なく鳴らせましたが、Chaconneは意外と音量がとりにくく、特にクラシックのピアノなどではR6PROのバランス出力では瞬間的な大音量時にチリチリと音割れが発生していまい、満足に鳴らせませんでした。遮音性が無いためIEMイヤホンで想定する能率以上に音量を大きめにしないといけないのも原因だと思います。

DAPでは音割れが

micro iDSD Signature

結局iFi Audio micro iDSD Signatureを使って鳴らす事にしました。カジュアルなイヤホンのように見えて、あまり手軽ではありません。

Chaconneのサウンドを簡単に言うと、楽曲との相性がものすごく極端に出るイヤホンなので、ある曲ではダメすぎて失格、と思ったら、また別の曲では素晴らしい音色を奏でてくれます。そのため試聴の際は色々なジャンルの音楽で試してみる事が肝心です。

端的にまとめると、Chaconneはまず低音が全然出ません。そして同時に発せられる音源が多いと濁って破綻します。チタンハウジングの響きに大きく依存しているため、原音忠実とかレファレンスといった期待は捨てて、イヤホンをひとつの芸術作品として捉える必要があります。

Chaconneと特に相性が良いと思えたアルバムを紹介します

フランスのArtalinnaレーベルからMarcos Madrigalのプロコフィエフ・ピアノソナタ5 & 7番と「束の間の幻影」です。

マイナーレーベルですが録音はEratoやAlphaなどを手掛けてきたフリーランスの超ベテランの手によるものなので音質は最高です。奏者も神秘的で透明感のあるスタイルで、よくあるガシガシ弾くプロコフィエフと一味違って良い感じです。

Harmonia Mundiを代表するFaustとMelnikovによるモーツァルトのヴァイオリンソナタ集Vol.3です。

あいかわらずファウストのストラディバリウスは美しい音色ですし、ピアノオタクのメルニコフは自身のコレクションから厳選したフォルテピアノを演奏しています。録音も同レーベルでトップクラスの待遇のTeldex Studio/Sauer/Möllerチームなので完璧です。


Chaconneはこういったピアノやヴァイオリンなど生楽器のソロ演奏との相性が極めて良いです。というか、それ以外では全く役に立ちません。モデル名にあるような無伴奏パルティータみたいな演目か、多くてもピアノ伴奏が付くソナタくらいが限界で、三重・四重奏になってくると、もう破綻するので、クラシック以外では、たとえば弾き語りは良くても四人編成のバンドとかはアウトです。

低音はそもそも鳴っていないので、イコライザーでブーストしてどうにかなるレベルではありません。ピアノの右手やヴァイオリンあたりがメインの音域で、チェロや男性ボーカルでは音が軽すぎる感じがして、それよりも低い音は無理です。

完全開放設計なので、シリコンイヤピースのように密着具合で低音の量感を調整することはできません。一般的なイヤホンの鳴り方を目指してイコライザーなどで調整しても無駄なあがきなので、耳にそっと置くイヤースピーカーのような感じで、綺麗な高音のみを楽しむ聴き方に専念した方が良いです。

90年代のソニーイヤホンや、AKG K500みたいな旧世代の開放型ヘッドホンの鳴り方を覚えている人なら「久しく聴いていない、懐かしい鳴り方だな」と感じると思います。しかし、ここ数年のイヤホン・ヘッドホンの音しか知らない人にとっては未体験の感覚かもしれません。昔のカセットやCDウォークマンとかでは必ず低音ブースト機能を搭載していた理由に納得できるでしょう。

もうちょっとじっくり聴き込むと、Chaconneは単純に高音寄りで低音をカットしただけではなく、ずいぶん複雑な鳴り方をしている事に気がつきます。ここで水月雨のチューニング技術や、音作りにおける方向性やポリシーみたいなものが伝わってきます。

まず第一に、高音寄りと言っても、いわゆる最高音のプレゼンス帯域はあまり鳴っていません。それよりも、ヴァイオリンなど生楽器が発する最高音から五次くらいまでの構成倍音成分、つまり3~4kHzまでくらいが明確に鳴っており、チタンハウジング(もしくはドライバー自体)によってそのあたりの響きが拡張、強調されているようです。

このおかげで、ピアノやヴァイオリン本来の音色が普段以上にブーストされ、より鮮明に美しく鳴っているように聴こえます。試聴に使ったプロコフィエフのピアノの艷やかな粒立ちの良さは圧巻です。録音から楽器の音色だけが水を得た魚のように飛び出してくる感覚です。一方たとえば演奏者の打鍵タッチ音やヴァイオリンの指板を擦る音、鼻息や服が擦れる音など、プレゼンス帯にある雑音は意外なほどに目立ちません。

このChaconneの作為的な鳴り方は賛否両論に分かれるだろうと思います。高音楽器がとても魅力的に聴こえる演出効果を発揮してくれるのですが、逆に、録音された全ての情報を余すことなく再現しているとは言い難いです。空間の空気感、いわゆるアンビエンスみたいなものが伝わってこないので、そういった環境雑音を含めたリアルな情景を求めているなら物足りないです。

もう一つ、Chaconneの音色で特徴的なのは、300Hz付近、つまりヴァイオリンの低音もしくはチェロの高音あたりの帯域で、響きが広く分散するようなポイントがあり、そこを境目に、それよりも上の帯域は美しく、それより下の帯域はほぼ鳴っていない、という明確な境界線があります。

特にピアノやチェロ独奏だと、この帯域が常に響いているような感覚があり、出音全体が濁るというか、ヴェールがかかるような現象が起こるので、一度それに気がつくと、常に意識するようになってしまいます。ヴァイオリンやフォルテピアノ、ハイピッチな女性ボーカルとかなら、基調音がこの帯域にかぶる事がほぼ無いので、わずかな響きがカーテンのように背景を補ってくれて、良い雰囲気を演出してくれます。

こういった音響特性というのは、ハウジングの形状や素材選び次第でいくらでも調整できるものですし、意図的に狙わなければここまで綺麗に仕上がらないので、(無作為なハウジング反響なら、もっと全体的に音が濁るはずなので)、やはりChaconneは特定の鳴り方を想定して、それに特化したチューニングに仕上げているように感じます。

もちろんハウジングにバスレフを設けるなどで、もっとフルレンジで低音まで鳴るような設計にもできたと思います。しかし、そうすることで今度はかえって肝心の高音の美しい音色の邪魔になってしまいがちです。

個人的にChaconneの音色に関しては「そういうものだ」と割り切ればむしろ魅力的に感じたのですが、その一方で、空間表現のリアルさが物足りないのは明らかな不満点です。これは古典的なイヤホン形状という構造上しかたがないのかもしれません。

Chaconneはダイナミックドライバーを耳穴に対して直角に配置しています。こういったドライバーは周波数帯によって指向性が異なり、しかもIEMとは違って耳穴の外から音が鳴っているので、空間表現が録音本来のものではなく、周波数依存になりがちです。特定の帯域が特定の空間から鳴っているように聴こえるという事です。

これは各自の耳形状で個人差があると思いますが、私の場合だと、上で述べた300Hz付近の響きが自分の目線よりも若干上の眉毛辺りで聴こえて、それよりも高い帯域は頭上付近で鳴っているように聴こえます。

つまり、自分の前方に対して、目線よりも下は全く無音で、音楽全体が目線よりも上の狭い空間に凝縮されているように聴こえます。これはリアルな情景とは大分違うので違和感があります。

リアルな音場展開を期待せずに、純粋に音色を楽しむという点では、目の前に音のヴェールがあり、頭上から美しい音色が浮かび立つような幻想的で直感的な鳴り方は、むしろ効果的な演出だと思います。

もうひとつ、装着感に由来する問題ですが、やはり耳穴の外に置くような装着方法だと、どうしても左右に誤差が生じて、ちょっとした動きで耳穴に対する角度が変わってしまうため、左右の結像、つまりステレオの立体音響、特に音像の距離感や奥行きが乱れやすいです。

双眼鏡に例えるなら、まるで左右のアイピースの視度差フォーカスが定まらないような感じでしょうか。こればかりは設計上どうしようもないので、この手の古典的イヤホンデザインが現在の主流ではなくなってしまったのは仕方がない事だと実感できます。

例えば、大型ヘッドホンであれば、ドライバーの位置を耳穴から遠ざけて、軸線上から外すことで実際に遠くから鳴っているように設計できますし、IEMイヤホンであれば、イヤピースを耳穴奥まで挿入して、できるだけ鼓膜に近い位置で鳴らす事で、耳穴内の反射や指向性をイヤホンのシェル内部の音響設計で置き換えることで、立体的な鳴り方を実現できます。それらと比べると、耳穴の手前に置く古典的イヤホンというのは、どっちつかずでデメリットが多いです。

このChaconneのような古典的形状のイヤホンというと、他にも最近の有名なところではオーディオテクニカATH-CM2000TIがありますし、中国AliExpressなどを見ても、意外と根強い支持者がいるようで、いくつか面白そうなモデルが見つかります。

しかし、こういったデザインである以上、ヘッドホンやIEMイヤホンのようなフルレンジ再生や空間描写は困難ですから、Chaconneのようにある程度帯域を絞って、なにかひとつの長所を伸ばす手法が正解だと思います。その点たとえばCM2000TIはChaconneよりも確かに広帯域でハイレゾっぽく聴かせる努力をしていますが、反射や拡散がかなり顕著で、煩雑な鳴り方なので、それならシリコンイヤピースのIEMイヤホンを使った方が良いのではないか、という中途半端な印象がありました。

ソニーMDR-E888 & EX90

そういった意味では、Chaconneは90年代ソニーのMDR-E888などから音色の艶やかさをさらに追求した、遠い年月を超えた後継者のように思えます。一方その後のソニーを見ると、次のMDR-EX90ではシリコンイヤピースを採用したカナル型になり、その流れでMDR-EX1000などの傑作が生まれているので、Chaconneはそれとは別の進化の系譜と言えます。

AKG K12p

余談になりますが、こういった古典的なタイプのイヤホンでは、十年以上前に売っていたAKG K12Pというイヤホンが個人的に大好きでした。格別に高音質というわけでもなく、二千円台くらいの安価なモデルだったのですが、とにかく薄型軽量で装着感が良く、サウンドも中域重視で空気感豊かに、ちゃんと限界を知りながら心地良く聴こえるように上手にチューニングされていました。もちろん当時は他にも似たようなイヤホンは沢山あったでしょうし、これもAKG製ではなく安価なOEM品なのかもしれませんが、とにかく気に入っていて、ケーブルが断線しては買い替えを繰り返していました。

私としては、もし現代の設計と製造技術で、コスト度外視でK12Pと同じコンセプトを作り直したら、一体どれくらい音質が向上するだろうか、なんて考えることもあるので、それについてはChaconneはいい線を行っていると思います。

S8とmicro iDSD Signature

次にS8の方を聴いてみました。ダイナミック型のChaconneとマルチBA型のS8では動作原理も設計手法も全く違うのに、それでもサウンドの共通点が少なからず感じられるので、メーカーのチューニングポリシーに一貫性があり、それを実現する技術力を持っていることが伺えます。

ただし、さすがマルチBA型IEMだけあってChaconneのような金属っぽい艶出し効果は無く、どの帯域もドライバーが直接鳴っているようなスッキリした性格です。

S8のサウンドの特徴は、中域の音色の力強さと安定感が非常に高く、それ以外は控えめに抑えているような傾向です。広帯域な万能レファレンスというよりは、音色重視で、自分が求めているサウンドをしっかり理解している大人向けのイヤホンだと言えます。

個性的であるゆえに弱点もいくつか思い浮かびますが、かなり楽しめるイヤホンであることは事実なので、まずはそれら弱点について書いておきたいと思います。

一番わかりやすい弱点は、最高音のプレゼンス帯域が出ておらず、空気感のようなものが乏しい事です。これはChaconneでも感じたので、意図的なチューニングなのでしょう。

悪い録音を聴いた時にシャリシャリしたノイズや息苦しい圧縮感が目立たないのは、むしろ長所とも言えるかもしれませんが、生楽器演奏の優秀録音を聴く場合には、演奏者の周囲を取り巻く臨場感や空気感がほとんど感じられないのが難点です。まるでデッドなスタジオで演奏しているかのように聴こえてしまいます。

高音がこもっているという感じはしないので、一般的な声や楽器に含まれる帯域までをスムーズに鳴らして、その上で急激にカットしているような感覚です。そこに至るまでは安定していて、変な捩じれや息詰まりは感じさせません。

もう一つ気になる弱点は、全体的に空間の奥行きや、広く遠方に立体的に抜けていくような感覚が希薄で、まるでテレビ画面や映画館のスクリーンに投射されたような平面的な鳴り方です。

プレゼンスの空気感が控えめなのと合わせて、低音側も間近にまとまっている感じで立体感に乏しいです。前述したとおりイヤピース次第で低音の量感を大きく変えられるので、EDMでも満足できるくらいの力強さも実現できますが、音像が間近なせいで、あまり強めるとかえって邪魔に感じてしまいます。

全体的に、音色の余韻が広範囲に展開して空気に溶け込むような感覚や、太鼓の打撃が四方の空気を振動させるような、録音に含まれる自然な臨場感を再現できず、全てが同じ距離で鳴っています。

これらの弱点を総合的に捉えると、つまりS8は音楽のスケール感を出すのが不得意で、帯域と空間のどちらも常に一定の限界の範囲内で音楽が進行するので、ダイナミックレンジが狭いように感じます。通気孔が無い密閉型デザインで、しかも派手さを嫌ってチューニングした結果なのだと思いますが、音色は良好でも、何か物足りないというか、録音のポテンシャルを引き出せていないような、「自分が今聴いている音楽は、本当にこれで全てなのか」という不安がよぎる事もあります。

イヤピースの選択次第でどうにかなるかと実験してみたところ、これらの弱点を解消できるほどの効果はありませんでした。イヤピースを変える事で、あくまで上記の制限の中で、周波数バランスが上寄りか下寄りかに移動するような感覚です。立体感を生み出したりといった効果は望めません。

そんなS8の個性的なサウンドと相性が良いアルバムを紹介します。

StradivariusレーベルからDuilio Meucciが演奏するカステルヌオーヴォ=テデスコのギター作品集です。1930年代に活躍した、特にギター界では有名な作曲家で、ソリストのギターを中心に、弦楽四重奏、フルート、ピアノと合わせた室内楽作品集です。

奇遇にも同時期にNaxosからも別のアーティストで同じ演目のアルバムが出たので(楽譜の著作権でも切れたのでしょうか)聴き比べてみるのも面白いです。

ギター繋がりでもう一枚、Christine Tassan 「Entre Félix & Django」です。2016年のアルバムですが、最近ハイレゾダウンロードで見かけて気に入りました。

タイトルどおりフェリクス・レクレルとジャンゴ・ラインハルトという二人の巨匠の名曲をオマージュした作品で、一曲ごとに、前半がレクレルのシャンソンで後半がジャンゴ風ホットクラブというような粋な展開が多く、歌唱も演奏も素晴らしく上手いです。

先程のChaconneイヤホンでは、ソロ独奏くらいが限界だと言いましたが、S8ではこのように弦楽アンサンブルを入れた室内楽や小規模なバンドでも全く問題ありません。ただしフルオーケストラの規模になると厳しいので、これくらいの作品がちょうどよいです。

S8はオケを鳴らすための解像感が足りないというわけではなく、音楽のスタイルの違いによるもので、これらのアルバムのような室内楽やバンドでは各楽器が緻密に交差するアンサンブルを楽しむものなので、平面的なプレゼンテーションでも問題ありませんが、一方オケ作品になると、もっと立体的な迫力やスケール感といったものが求められるため、S8で聴いても抑揚が無さすぎて面白くありません。

S8の最大の魅力は、ギターやボーカルのような中高域の音色の描写がとても明確で、しかも派手に響くのではなく、丁寧で力強く、安定して引き締まった鳴り方をしてくれることです。他社のマルチBAで慣れ親しんだ音とは一味違い、むしろダイナミック型の魅力に近いような独特の印象があります。

安定感というのは、なかなか言葉で表現するのが難しいのですが、単純に言うと、一つの楽器や歌手を構成する全ての音が同じ位置で同じ広がりに収まっているため、ひとつの音像として輪郭が明確に現れる、という意味です。特にマルチBAにありがちなクロスオーバー付近の位相の捩じれや二重に鳴るような擦り合せの悪さがほとんど感じられないため、音像が滲んで不明瞭になったりしません。

逆に、これが満足にできていないイヤホンだと、帯域ごとにバラバラの距離感や響き方をするため、ひとつの楽器のはずが、高域は耳周りに広く分散、中域は前方遠く、低域は喉元に響く、といった感じに、一点に集中できず散漫になり、演奏を楽しめません。特にギターのように指板、弦、ボディといった異なる構成音がある楽器では、リアルに再現するためにもこれらの統一感が極めて重要です。ギターに限った話ではなく、ボーカルやバンドメンバーそれぞれがピッタリと定位置に居座って、常にそこにある安心感があります。

ステレオ音像も極めて良好で、Chaconneのように空間の上半分だけで鳴っているのではなく、目前に広く展開しており、楽器音が重なって濁ることもありません。

さらに個人的にS8の最大の魅力だと思うのは、これだけ音像が明確であっても、線が細くならず、ほどよく聴きやすい太さや温厚さを持ち合わせている事です。音像自体が太く描かれ、前方の平面で描かれる感覚は、他のイヤホンとは一味違います。

S8のセールスポイントとして、中域用のBAドライバーにほとんどのメーカーが使っているSonionやKnowles製ではなくSoftears製のカスタムドライバーを搭載しているということなので、実際これが優れた効果を発揮しているのかもしれません。

S8 & Westone UM Pro50

S8の落ち着いた親しみやすいサウンド傾向は、なんとなくWestoneと似ており、Westoneがもうちょっとクッキリして美音系に発展したような印象を受けました。

クロスオーバーの不具合が目立たないよう、そして低音や高音が極端に暴れないように丸く収めている点は共通しており、多くのメーカーのように高音用・低音用ドライバーの特殊な取り付けや空間チャンバーなどのギミックで派手な演出を行っていない点がよく似ています。

ただしWestoneでは中域の音色が奥に引っ込みすぎて主張が弱いのに対して、S8ではここが主役として張り出してくれるおかげで音楽鑑賞用としての魅力が大幅に向上しています。

もちろんWestoneはハウジングの薄さやノズルの細さのおかげで装着感の軽快さはS8よりも優れているため、実用上はそれぞれにメリットがあります。私自身がShureよりもあえてWestoneを好んで使っているので、それに共感できる人ならS8もきっと気に入るだろうと思います。

おわりに

今回試聴したChaconneとS8はどちらもかなり個性的で魅力にあふれるイヤホンでした。

Chaconneは高音の開放的な美音のみに特化した奇抜なサウンドなので、万人に勧められるものではありませんが、チタンハウジングの美しい仕上がりも含めて、3万円台という価格も考えれば「一発芸」として買ってみても損は無いモデルだと思います。一見カジュアル路線かと思いきや、若干鳴らしにくく、優れたアンプの恩恵を受けやすい点もマニア好みです。

S8の方はもうちょっと万能に使えるサウンドですが、こちらもある程度他社の高級イヤホンを知り尽くしたマニアが、それらのギラギラしたサウンドとは一味違った落ち着きを求めて手にするイヤホンだと思います。遮音性も非常に高いので、騒音下でもじっくりと歌手や楽器の音色に没頭したい人にお勧めしたいです。

水月雨の他のモデルについてはわかりませんが、これらのイヤホンのサウンドチューニングは、極端な言い方をするなら、いわゆる型にはまったスタジオミックスのソングチャート楽曲、つまりメインストリームなポップスを想定して仕上げているように感じました。ボーカル帯域を美しく引き立たせて、リズムトラックの耳障りな刺激やコンプレッション感を控えめに抑え、あくまでメロディラインを追う事に専念するためのイヤホンです。

クラシックなど、マイクで空間全体の空気感を含めて収録しているような作品は不得意なようで、たとえばJHやUEといったレファレンスモニター傾向のIEMイヤホン(最近だとIE900とか)を聴き慣れていると、S8では空気感が物足りなく感じます。楽器を演奏している人なんかは特に気になるかもしれません。

ただし、S8の約8万円という価格設定も考慮すると、他の中国メーカーを含めて、この価格帯でここまで完成度が高いイヤホンはなかなかありませんし、たとえ10万円超の最高級機であっても、派手なインパクト重視で音色の本質を見失っているイヤホンはたくさんあります。

そもそも今回S8を紹介しようと思い立ったのも、それが主な理由でした。これまで数多くの新作マルチBA型IEMイヤホンを聴いてきて、それらがどれも同じような「広帯域ながら帯域間の統一感の無い」「つぎはぎ」サウンドばかりで飽きてきたところに、S8は真逆のポリシーを明確に打ち出して、ちゃんと実現できている事に魅力を感じました。

水月雨はS8よりも高価なSolisやIlluminationといったモデルがありますが、残念ながら未聴なので、S8と同じようなポリシーで作られているのかは不明です。マルチBAのS8に対して、ハイブリッドのSolisとダイナミック型のIlluminationと、それぞれコンセプトが違うので、新興メーカーらしく、色々と手広く市場の反応を伺っているのでしょう。(どちらもS8とは真逆の黄金ピカピカなデザインが個人的にちょっと抵抗がありますが)。もちろんもっと安いBlessing2やStarfieldといったイヤホンも好評のようなので、見かけたら試聴してみてください。