2022年5月19日木曜日

ゼンハイザーIE600イヤホンのレビュー

 ゼンハイザーの新作イヤホンIE600を買ったので、感想とかを書いておきます。

IE900 & IE600

最上級機IE900の弟分として2022年3月に発売したモデルで、価格もIE900の約半分の10万円弱くらいです。サウンド面では単なる廉価版ではなく独自の魅力もあり、そのあたりを気に入って購入しました。

IE900とIE600

2021年にはゼンハイザーのコンシューマー部門が分離して別会社に移譲されるというニュースがあり、今後ヘッドホン関連製品の行く末が不安になった人や、多方面で色々な噂を耳にした人も多いでしょう。

そんな心配を払拭するように登場したIE900は、これまでの最上級機IE800Sを遥かに超える約20万円という価格に見合う圧倒的な性能と高音質を誇り、これからのゼンハイザーの健在ぶりを堂々と見せつけてくれました。

IE900は凄いイヤホンです

私自身も当時IE900を試聴してみて、これまでのハイエンドイヤホンの常識を覆すサウンドに、イヤホン技術が次なる世代へと進化を遂げたような衝撃を受けました。

近頃は3Dプリンターなどの到来で少量生産が容易になってきたおかげで、様々な中小メーカーが自己流で超高級イヤホンを続々リリースしているような状況です。何十万円もするような豪華絢爛デザインのイヤホンが市場に溢れかえっている中で、では実際に音質となると一長一短に留まるような印象がありました。

そこへ来てIE900の20万円という価格設定は、確かに高価ではありますが、その全体的な完成度の高さから、これまで聴いてきた高級イヤホン勢と比べると、むしろコストパフォーマンスが高いように思えてしまいます。

単純に音が良い悪いという話ではなく、ここまでシンプルな「金属ハウジングと単発ダイナミックドライバーだけ」のイヤホンで、これだけのサウンドが生み出せているのが驚異的です。

ダイナミック型ヘッドホンにおけるHD800がそうだったように、今後どのように奇抜なドライバー技術やレア素材を導入した高級イヤホンが登場したとしても、まず20万円のIE900がレファレンスとして存在する事になり、ハードルが一気に高まりました。

そんなIE900ですが、流石に20万円はなかなか手が出せない価格ですし、私自身も購入しませんでした。サウンドの凄さは認めますし、「今一番良いイヤホンはどれを買うべきか」とだ誰かに聞かれたら、真っ先にIE900と答えます。しかし、IE900の超高解像なサウンドは悪い録音のアラを目立たせるようなところもあり、正直あまり気が抜けない、シビアなイヤホンでもあります。普段外出時にDAPで気軽に音楽を聴きたい私としては、ちょっと使い所が難しく、価値が見いだせないという結論に至りました。

見た目はほとんど同じです

そんなわけで、IE900にそっくりなIE600の試聴機が周ってきて、それを聴いてみたところ自分の好みにピッタリ合うサウンドだったので、「IE900よりも、断然IE600の方が良いじゃないか」と驚いてしまいました。

その後、実際にIE600が発売するにあたって、やはり自分の第一印象というのはアテにできないので、改めてもう一度じっくり店頭試聴機を聴き直してみた結果、やはり私の好みにピッタリ合うという確証が持てたので、購入してしまいました。

パッケージ

プロ気質で地味な印象のあるゼンハイザーですが、やはり高級機ともなるとパッケージもそこそこ気合が入っています。

パッケージ

付属品

黒い内箱をスライドすると、イヤホン本体が収まっているスポンジの下にはケーブルやキャリーケースなどが収まっています。

イヤピースはシリコンと低反発スポンジタイプがそれぞれ3サイズ付属しています。スポンジはゼンハイザーが昔から使っている固くて光沢があるタイプです。

ケーブル二種

丁寧にピンアサインが書いてあります

IE900と同じようです

付属ケーブルは一本だけかと思ったら、ケースの中にもう一本入っていました。3.5mmと4.4mmで、IE900と同じもののようです。

説明書には見開きで各ケーブル端子のイラストなんかもあるので、このあたりはさすがゼンハイザーだなと思います。

ちなみにイラストにある2.5mmケーブルはIE900では付属していたものの、IE600ではオプションで別売と書いてあります。価格差による差別化でしょうか。

ケース

収納ケースはよくあるジッパータイプで、イヤホン、スペアケーブル、イヤピースがギリギリ収まるサイズです。高級ケーブルとかに換装したら多分入らないと思いますが、そういう人は社外品ケースも色々持っていると思うので、ひとまずこれで十分です。

デザイン

IE600のデザインは基本的にIE900と同じで、いわゆる典型的なコンパクト耳掛けIEMスタイルです。一昔前のIE800などは独創的なフォルムが賛否両論ありましたが、ここ数年のゼンハイザーはプロ用IEMを意識した質実剛健なデザインに回帰しており、冗談抜きの真面目な印象を受けます。

ゴツゴツしたハウジング

精巧に作られています

IE900はアルミ削り出しハウジングでしたが、IE600はアモルファスジルコニウム製だそうです。名前からすると、そっちの方がハイテク感があって高級そうに思えるのですが、IE900は一つ一つアルミのブロックからCNCロボットで切削作業を行っているのに対して、IE600は3Dプリンターで一気に大量生産できるため、コスト削減につながるようです。

CNC切削はミクロン単位の正確な精度が実現できますが、複雑に入り組んだ内部構造を作るなら3Dプリンターの方が有利なので、単純にどちらが優れているというものでもありません。

ロゴもラフな感じです

あえて3Dプリンター特有のゴツゴツした質感を残す事でハイテク感を強調しています。遠目では鋳物のようですが、上の写真でもたとえば下の方の影になっているあたりを見ると斜めの線があるので3Dプリンターの積層構造だとわかります。

きっと日本のメーカーなら、こういうのは不格好だからと、表面を手作業で磨き出してメッキや漆塗りなど、もう一工程入れるところですが、手間を掛けて付加価値を高めるのか、それとも音質以外のコストを削ることでコストパフォーマンスを高めるのか、考え方の違いでしょう。

IE900とIE600の比較

IE900とIE600の公式サイトを見るかぎり、7mm TrueResponseダイナミックドライバーは背面チャンバーと合わせてモジュール化されており、両者で具体的に何か違うのか書いていないので、共有パーツなのかもしれません。音質面で一番目立つ違いは、ドライバー前面のノズル部品がIE900ではトリプル、IE600はデュアルレゾネーターチャンバーと書いてある事です。

一般的なイヤホンでは、ドライバーから出た音は一本のノズルを通って出るだけですが、今作では、ここに複雑な音響チャンバーを設ける事で出音をチューニングするという技術を導入しているようで、それがIE900ではデュアルからトリプルになることで高性能だという事でしょう。

ノズルを見比べて見ても、IE900は精巧なアルミ削り出しなのに対して、IE600は黒いプラスチックのモールドのようですので、特に内部に音響チャンバーを成型するとなるとコスト的に大きな差がありそうです。あと、よく見るとノズルの角度もIE900は直線的なのに対してIE600は若干の後退角がついているなど、細かい違いがあります。

付属イヤピース

以前のフラッグシップイヤホンIE800は特殊なイヤピース形状だったので、社外品が使えなかった事を不満に思っていた人も多かったようですが、IE900とIE600では一般的なイヤピースが使えるようになっています。

純正の付属シリコンは中にスポンジが詰め込んであり、これがフィルターとして高音の刺激を整えるような効果があるようなので、社外品に交換する場合はそのあたりの差も考慮する必要があります。イヤピースを外す際にスポンジが抜け落ちる事もあるので注意してください。

普段はSedna Crystalを使ってます

私自身はひとまず試聴時には付属シリコンイヤピースを使ったのですが、それ以降は社外品(AZLA Sedna CrystalやSpinFitなど)に交換しました。というのも、付属シリコンはS/M/Lの3サイズのみで、自分の耳ではMでは小さすぎて低音がスカスカ、Lだと大きすぎて音の新鮮味が劣る(ドライバーから鼓膜への距離が遠ざかる)ということで、それらの中間サイズが欲しかったのが理由です。AZLAとかならSSからLまで6サイズあるので、自分に合うのが見つかります。

あと、付属シリコンはステム(ノズルに引っかかる部分)にかなり薄い部分があり、何度か着脱していると、左右とも亀裂が入って破れてしまいました。他のイヤピースでこんな事は一度も無いので、ちょっと驚きました。一応交換品を注文しましたが、それが届くまでは社外品を使うことになります。

赤いリングが段差になっています

ケーブルはMMCXなのですが、IE900と同じく、本体の端子周辺にちょっとした出っ張りがあり、多くのMMCXコネクターが奥までカチッと接続できません。きっと防水防塵とかの理由があるのでしょうけれど、互換性が悪くなるのを知っていて意図的にやっているのは趣味が悪いです。

これなら接続できました

この段差が厄介です

今のところ手持ちのケーブルではEffect Audioの安価なVogue Seriesのみ接続できましたが、それ以外は全滅です。上の写真を見るとわかるとおり、 同じEffect Audioでもその上のグレードのケーブル(写真では一番上)ではMMCX端子の後ろに段差が無いため接続できません。

Effect Audioによると、IE900・IE600用となると、高級ケーブルでも特注品でVogue Seriesと同じコネクターを取り付けることになるそうです。

ConXはダメでした

たとえばEffect Audio高級ラインのConX端子では、IE900だとギリギリ接続できたのに、IE600だとパチンと入らず、上の写真でも隙間が見えるように、しっかり接続できません。個体差でしょうか。このため、一応音は鳴るものの、引っ張るとすぐに外れてしまいます。

他にIE900・IE600に対応しているケーブルメーカーがあるかは不明ですが、探しているユーザーは結構多いと思うので、今が売り時ですから、声を大きく主張すべきです。

ちなみにVouge Seriesの一番安いケーブルのみ手元にあったので試してみましたが、低音が増える反面、ちょっとうるさく感じたので、結局純正ケーブルに戻しました。

純正ケーブルも別に悪くはないですし、親切に4.4mmも付属してくれているので、当面はそれを使っていますが、ちょっと硬めなビニール外皮なので扱いづらいです。音質はさておき、個人的にIE600はもっとカジュアルに使いたいので、編込みの鎖みたいな柔軟なケーブルに交換したいです。

2.5mmも付属してほしかったです

あと、IE900には付属していた2.5mmケーブルがIE600には付属していなかったので、AK DAPでは社外品の4.4mm変換アダプターを使って聴くことになりました。

装着感

今回私がIE600を購入した決定的な理由は、「寝たまま使えるイヤホン」という条件を見事にクリアできたからでした。これは個人的に結構重要な事です。

巨大なシェルのマルチドライバーIEMとかも、それはそれで良いのですが、そういうのとは別腹で、この手のイヤホンを常に探し求めています。

IE80・IE60・IE600

そういえば、大昔のIE60とIE80も、そんな寝る用途でずいぶん使い倒しました。IE80のゴツゴツしたシェルデザインよりも、IE60のコンパクトさが気に入って、あえてそちらを使っていました。当時は2万円台のイヤホンでもゼンハイザーとしてはハイエンド機の扱いだったので、隔世の感があります。

一番左のAcoustuneくらい大きくなると厳しいです

寝たまま使えるイヤホンとは、具体的には、まず軽量でフィット感が良く、横向きでも外れにくい事は当然ですが、さらに、イヤホン本体が外耳のくぼみの内側にピッタリと収まり、耳が枕に押し付けられてもイヤホンが圧迫されない事、横から押し付けてもサウンドが詰まったり変化しないこと、鼓膜への圧力が自然に抜けて圧迫感が少ない事、シェルとケーブル接続が堅牢で壊れにくい事などの条件が重要になってきます。

イヤホンを付けたまま寝ると耳が悪くなる、というのも一理あると思いますが、別に大音量で聴くわけではなく、たとえば移動中や出先で仮眠するときなど耳栓感覚で使いたいので、そうなると仰々しい巨大なIEMでは邪魔になる、というだけの話です。

Westoneと互角の薄さ

そんなわけで、これまでFinal EシリーズやベイヤーT8iEなど様々な小型イヤホンを使ってきて、最近はもっぱらWestone UM-PRO50に落ち着いていたのですが、今回を機にひとまずIE600に世代交代する事になりそうです。耳穴が小さい人はあいかわらずShure/Westoneの細いノズルの方がオススメです。

IE600が鼓膜への圧迫が少ないのは、通気性が良いという事なので、長時間装着するのに適しているのですが、逆に言うと遮音性はそこまで高くないので、外出時に外部騒音をカットするのにはあまり向いていません。もし騒音カットを最優先で考えるのであれば、やはりカスタムIEMとか、カスタムに近い形状の、ノズルが長くシェルが厚いイヤホンの方が良いようです。私が持っているユニバーサルIEMの中ではUEがダントツで遮音してくれます。

インピーダンス

いつもどおり周波数に対するインピーダンス変動を測ってみました。

公式スペックでは18Ωと書いてあり、実測もほぼその通りです。ちなみにIE900も同じく18Ωということで、グラフ上でも微妙な共振点の違いを除いて両者は重なっていますので、ドライバー技術もよく似ているということでしょう。

やはりダイナミック型だけあってインピーダンス特性が素直で、余計なクロスオーバーなどのアップダウンが無いのは嬉しいですね。インピーダンスが平坦ということは、電気的な位相も安定しているため、アンプに対する負荷も安定しています。つまり駆動するヘッドホンアンプの出力インピーダンス特性に依存しにくく、音質への影響も少ないという事です。

音質とか

冒頭でも書いたように、今回IE600を購入した理由は、個人的にIE900よりもむしろこちら方が自分の好みのサウンドだと思えたからです。

ただし完璧というわけではなく、当然のことながらIE900の方が劣っているというわけでもありません。あくまで個人的な目的と用途の話です。私の日頃の用途ではIE900のポテンシャルを最大限に活かせる場面が思い浮かばず、むしろ高解像すぎるのが逆効果になりがちなのに対して、IE600はまさにこういうのが欲しかったと思えるイヤホンです。

Hiby RS6
iFi Audio micro DSD Signature

今回は主に付属4.4mmバランスケーブルを使ってHiby RS6 DAPやiFi Audio micro iDSD Signatureなどで鳴らしてみました。写真では社外品イヤピースを使っていますが、試聴時は付属シリコンイヤピースを使っていました。

さすがゼンハイザーだけあって、どんなアンプでも鳴らしやすいように作られており、18Ω・118dB/Vというスペックは非力なDAPでも十分な音量が出せますし、逆にノイズが目立つほど高感度でもなく、ちょうどよい具合です。

特に最近はBluetooth・USBドングルなどで鳴らしたい人も多く、そういうのは大概アンプのノイズが多めなので、感度が高すぎるイヤホンでは気になってしまいますが、IE600ならそこまで目立ちません。


Hyperionから新譜で、Steven Osborneのピアノによるラフマニノフのピアノソナタ一番と「楽興の時」です。

演奏される機会が多い楽興の時と比べてソナタ一番はあまり馴染みが無かったのですが、Osborneの演奏で一気に引き込まれました。ラフマニノフにありがちなロマン派のマンネリズムみたいな作風とは一味違って、むしろメトネルとかを彷彿とさせる凝った作品で、Osborneの解釈も音色も絶品です。

Concord傘下で公式復刻を専門にしているCraft Recordingsは最近Contemporaryレーベルに着手したようで、1959年録音Art Pepper + Elevenのハイレゾリマスターをリリースしました。

このちょっと前には有名なMeets the Rhythm Sectionも復刻しており、今後のリリーススケジュールも充実しています。今回CraftによるリマスターはContemporaryらしい雰囲気とは違いますが、まるでVerveのような厚くゴージャスなサウンドに仕上がっており、聴き慣れた作品もまた新たな気分で楽しめます。ステレオですし、59年とは思えない高音質ですので、古さで敬遠せずに、ぜひ当時の名演奏を聴いてみてください。

IE600の音質についてですが、簡単に表すなら、緩く淡く広がる、軽快で気楽に使えるイヤホンです。中低音はそこまで厚くなく、どちらかというと高音寄りの軽いサウンドなのですが、スッキリと音抜けの良い鳴り方なので、シャープなシビアさはそこまで感じません。

ピアノソロなら、左手の厚い和声が重苦しくならず、打鍵も粒立ちが良いわりに、過度な尖りや余計なキンキンした響きもありません。ジャズもトランペットやサックスが暴れず、行儀の良い鳴り方なので、中高域にかけて不具合や死角がなく、かなり丁寧なチューニングが行われていることが実感できます。

空間は左右に広く、奥行きはあまり深くないため、自分の目前に平面的なプロジェクションのように演奏が広がっている感覚です。音楽の奥の奥まで覗き込むというよりは、リラックスして広い空間からやってくる音色を楽しむといったスタイルだと思います。ジャズが好きな人なら、IE600のサウンドはまさに「ウエストコースト的」と言えば、なんとなく理解してもらえると思います。

この鳴り方は生演奏の迫力を引き出すというよりはむしろスピーカー越しの音楽体験に近いです。たとえばLS3/5aのような古典的ブックシェルフをカジュアルに鳴らしている雰囲気が想像できます。

特にIE900と比べると違いは明らかで、IE900は音像がグッとフォーカスして、まるで針先のような精密な解像が感じられるのですが、IE600では音が広がっていて、どれだけ凝視してもIE900と同じレベルの解像度が得られないので、モニター用途でIE900を検討していて、予算的に厳しいからIE600を買おうと考えているなら、あまりオススメできません。

音の広がりというのは言葉で説明するのが難しいのですが、同じ距離感でも、IE900では演奏者の音像が数センチ四方に凝縮されており、その周囲には空間、空気感、響きみたいな臨場感が感じられるので、複数の演奏者がいても互いに重なって邪魔しませんし、スケールの大きな情景も把握できます。写真や絵画に例えるなら、広大な風景画に人物が立っているような感じです。

一方IE600では演奏者自体が左右数メートルに広がっているような感じで、ピアノを聴くなら、グランドピアノの目前に立っている感覚です。そのため演奏者中心で、周囲の情景とかはあまり感じられません。こちらも例えるならポートレート写真や肖像画みたいなものです。

周波数特性で見ても、IE900の方が高音のノイズや収録編集の限界などが把握しやすいので、分析用途には最高です。一方IE600はこのあたりが気にならないように、しかも高音が詰まっているようには感じない、クリアで爽快な鳴り方になるよう、絶妙なバランス感覚で仕上げています。つまり古い録音とかもノイズを気にせずに楽しめます。ポートレート写真に例えるなら、肌荒れとかが目立たないように、そこまで緻密に解像しないよう仕上げている感じです。

低音側はIE600の鳴り方はちょっとクセがあるので、ここは個人的に弱点だと思っています。ジャズなどを聴いていると、アップライトベースのソロはあまり聴き取れないのに、それよりも低いバスドラムは強いといった具合にアップダウンがあります。穴があるというよりは、中域から低域に向かうにつれて主張が弱まっていき、最低音でグッと持ち上がるような感じです。そのためEDMキックドラムとかはそこそこ強いので、聴くジャンルによって印象や意見が変わってしまうという点で、特にIE900と比べると、IE600はレファレンスモニターとは言い難い性格です。

IE600とIE900のどちらも、低音の鳴り方自体は立ち上がりも引き際も素早く、余計に響かせないため、他のイヤホンと比べると量感は薄く感じます。遮音性がそこまで高くない事もあわせて、屋外の騒音下で聴くと低音が負けてしまうので、多くのメーカーはそれを踏まえて低音を厚く太く響くように盛っているわけですが、ゼンハイザーはあえてそうしなかったわけで、つまりIE600もポータブルでアクティブに使うというよりは、むしろ自宅でゆったりと楽しむようなスタイルを想定しているように思います。

そんなわけで、IE600の魅力というのは、リスナーにできるだけ不快感を与えないように、高音の録音ノイズや中低音のモコモコ感を払拭して、どんな音楽でも無理なく楽しめるように仕上げてくれる事だと思います。そして私もそのあたりを気に入りました。

Dita Dream

ダイナミック型イヤホンで個人的に最高に好きなモデルのひとつに、Dita Dreamというのがあります。私の耳ではフィット感が最悪なので、じっと動かずに聴くことを要求され、なかなか使う出番が無いのですが、それでも毎回聴くたびに凄いイヤホンだなと関心します。

IE600と比較してみると、DreamはどちらかというとIE900に近く、楽器の音像が鋭くフォーカスします。まるで顕微鏡で覗いているかのように、前方の限られた空間に音像がグッと集約されており、それらの周囲の広範囲に空気感や臨場感が発散する、という感じです。

ラフマニノフのアルバムのソナタ第三楽章を聴き比べていて面白かったのは、Dreamで聴いている時は、体が自然と前のめりになって、目をつぶって、まるで深い思考か瞑想に入るかのように、音楽空間の奥底まで堪能するような聴き方になってしまったのですが、一方IE600で聴くと、背もたれに深く座って、自分の周囲の環境に溶け込んだ音を楽しむような聴き方になりました。

DreamはIE900以上に鋭くダイナミックさを強調するサウンドなので、ピアノとフォルテの差が激しく、極めて迫力のある熱情的な演奏のように感じるのですが、同じ曲をIE600で聴くと、あの激しいフォルテが何処かへ消えて、流れるような表現になり、全く違う演奏かと思えてしまうくらいです。どちらが個人的に好みのサウンドかというなら、確実にDreamの方なのですが、では夜疲れて寝る前とか、読書の傍らに音楽を聴くとなったら、Dreamでは激しすぎて長くは聴いていられないだろうと思います。逆にIE600なら急な刺激にビックリさせられる事もなく、そのへんで鳴っている音楽に浸っているという程度の感覚で、ずっと聴いていられます。

Dita Dream XLS

他のダイナミック型イヤホンと聴き比べてみても、それぞれ傾向が違うため優劣はつけがたく、たとえば全体的な力強さならDream XLS、もうちょっと中低域の厚みや太さが欲しければAK T9iE、生楽器の美音ならJVC WOODシリーズなど思い浮かびます。

そうやって色々と聴き比べていたところ、IE600のサウンドは、他のイヤホンとは違って、なんとなく「懐かしい」鳴り方だと思えてきました。なぜそう思えるのか考えてみたのですが、たとえば昔のIE60やIE80イヤホンと比べると明らかにクリア感が増しているので共通点は感じません。IE800やIE900のようなフォーカスの効いたサウンドとも違いますし、ソニーEX1000とも似ている気もしますが、他社製品というよりも明らかにゼンハイザーらしいサウンドです。

HD600

聴きながら考えてみた結果、IE600は古典的な開放型ヘッドホン、特にHD600などと似ているのだと思えてきました。HD600とIE600で番号が同じなのは奇遇だと思いますが、ゼンハイザーの歴史と伝統を感じさせます。

HD600や、当時のライバルDT880、K601などは、それ以降のモダンなヘッドホンと比べれば、ダイナミクスの迫力も、空間の奥行きも乏しく平面的で淡々とした鳴り方のように感じますが、逆にその整った薄味サウンドの方がリラックスリスニングに適しているということで、依然として愛好家が多いです。

近頃の家庭用スピーカーを見ても、最先端の音作りとは一味違った、80~90年代を彷彿させるような緩めのリバイバルモデルを出すメーカーが増えてきました。たとえばMissionの770やDynaudioのHeritage Specialなんか、第一印象は古臭いサウンドに思えても、同社の主力シリーズと比べると、そこまで集中力を求められず、素直に聴きやすいという独特の魅力があります。

IE600を聴いていると、イヤホンにおいても近年のハイエンドモデルが定義するサウンドを今一度考え直してみる良い機会なのかも、なんて思えてきました。色々と高級機に慣れ親しんだマニアこそ、ぜひIE600で肩の力を抜いた音楽鑑賞を体験してもらいたいです。

おわりに

IE600の魅力を一言で表すなら、全てがリスニング向けに「良い感じ」にまとまっている、バランスの良いイヤホンです。

ゼンハイザーらしいクリアなサウンドはもちろんのこと、コンパクトで堅牢なデザインの扱いやすさも踏まえると、日々のカジュアルな音楽鑑賞に最適です。もっと派手な迫力のあるサウンドのイヤホンならいくらでもありますが、IE600のようなスッキリした性格のイヤホンは意外とありません。

モニター用途にはちょっと緩すぎるかも

良い意味でIE900とは対照的な存在なので、すでにIE900を気に入って惚れ込んだ人であれば、ぜひ頑張ってそっちを買うべきで、IE600はその代用にはなり得ません。また、自己主張の強いハイエンドイヤホンを聴き慣れている人には、IE600ではスリルや迫力が無さすぎて物足りないだろうと思います。

ゼンハイザーというブランドの本流を考慮しても、やはりIE900はHD800Sと互角の用途を想定した渾身の力作という位置づけだと思いますし(価格的にもそう思えます)、そうなるとIE600はHD600のようなサウンドに思えてきます。

HD600は1990年代には最高級モニターヘッドホンとして一目置かれ、現在のヘッドホンと比較すると、解像感が甘かったり、ダイナミクスの迫力が足りなかったり、奥行きの立体感が出なかったり、低音の特性にクセがあったりなどの弱点があるものの、純粋に「バランスよく、長時間聴きやすい」サウンドのおかげで、リスニング向けヘッドホンとして現在でも熱心なファンが多いです。

最近のヘッドホンは派手すぎて聴き疲れするからと、古典的な開放型ヘッドホンサウンドに魅力を感じているユーザーなら、イヤホンではIE600で同じような体験を得られるだろうと思います。

IE600のサウンドは古臭いと言っているわけではなく、むしろたった7mmの超小型ダイナミックドライバーのイヤホンで、当時の高級開放型ヘッドホンと同じレベルのサウンドが実現できる事に、技術の進歩を感じます。

つまり近年のイヤホン業界はあまり視野に入れていないというか、そもそもライバル視していない、ゼンハイザーらしいモデルだと思います。